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先日、演劇を2日連続で見た。劇団・太陽族の「砂の絵の具」と「空の絵の具」の2作品を連続して観劇した。私は映画は大好きなのであるが、演劇にはほとんど興味が持てない。だから、「ドッグヴィル」、「わが故郷の歌」、「69」などを見る時間をこれに当てたことは実に異例なことなのである。しかし、映画と演劇とを比較してみるという機会を持つことができたことは非常に良かったと思う。そのあたりのことは、この日記で少しづつでも書いてみたい。一番驚いたことは、セットが変わらない舞台の上で、現在、過去を自在に表現していること。映画でも現在と過去を自在に移動して展開する演出はあるが、舞台においては、もしかしたら、映画以上に観客の想像力を要求するのではないかと思った。映画との相違は「キャメラ」と「編集」であろう。当然のことであるが。
2004年07月31日
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「シュリ」を見たときに「何もハリウッド・スタイルを真似ることはあるまいに。その国独自の映画文法なり表現方法を生み出して欲しい。だからこそ観客としては、いろんな国の映画を見ることが面白いのに」と感じるのだ。同じ監督の「ブラザーフッド」にも、やはりそのような感想はつきまとう。「プライベート・ライアン」でキャメラを戦場の只中に置き、苛酷な描写をこれでもかとつきつける新しい戦争映画のスタイルを切り開いたのであるが、勢いのある韓国映画には、それを上回る新しいスタイルを期待したい。思想統制の残酷さ、現代にもひきつがれている朝鮮戦争独自の問題などをもっと突っ込んで欲しかった。私は「この映画はつまらない」と言っているのではない。ダイナミックでケレン味たっぷりの演出を堪能した。しかし、どこか欲求不満が残る。それは80年代の円熟期の深作映画に共通するものである。しかし、兄弟愛や家族愛が国家を超えた視点で描かれているのは、これは韓国の民度の高さによるものか。この映画を見た後、「二百三高地」(東映、80年)を見たくなった。
2004年07月30日
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ゆっくり映画を見たい!「ブラザーフッド」:30日まで「ぼくは怖くない」:6日まで「4人の食卓」:6日まで「ションヤンの酒家」:6日まで「マッハ!!!」:はやく見たい。「キングアーサー」:興味あり。「スパイダーマン2」:ロングランだから、まだいいかな。「父と暮らせば」:早めに見よう。 シネコンで上映なので、2週目からは 冷遇だろうな。31日からは「白いカラス」です。
2004年07月29日
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昨日の日記に対してゲストさんの明彦さんから次のようなご意見をいただきました。---------------------------------------------------映画や芝居が「心の糧となり、多様な考え方を与えてくれる」ことは十分承知しているつもりですが、精神的に追い詰められた時、果たして有効なのかどうか、最近わからなくなって来ました。それでも映画館や劇場には通い続けていますが。---------------------------------------------------このような意見は出てくるだろうとは思いました。「果たして有効なのかどうか」私もそれは一面において同意します。そういうことを示した映画も多くあり、それに強い感銘を受けたこともあります。しかし、ここまで映画に熱中しなかったら、自主上映や映画サークルなどの運動をしなかったら世界は広がらなかったろうし、実社会での様々な摩擦にも耐えることはできなかったと思うし、自分の人生はどれほど貧困なものであったかと思います。何物にもかえられないものとの出逢いもありました。この中から出逢ったものによって現在の私があるわけです。さて、毎日、「フランソワ・トリュフォー映画祭」のチラシやポスターを市内のいろいろな店に配っております。そこの店のお客様が自由に取ることができるようにと。歩き回りの日々です。
2004年07月28日
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先日の新聞によると日本の自殺者は5年連続で3万人を超え、昨年は過去最高の3万4427人であったという。しかも30代、40代の働き盛りが増えている。人口10万人あたりの自殺者数でみると日本は世界一ということが述べられている。なんと命が粗末にされている国であろうか。私は、いろいろな場で文化芸術の大切さについて発言することがあるのだが、それに対しては次のような言葉が多く返ってくる。「あなたの言うことは正しい。文化芸術はもっと大事にしなくてはいけない。しかし、文化芸術は人の生き死にには関係ないだろう。この社会にはもっと大事な問題があるのだよ」ちょっと待って欲しい。自殺者が5年連続して3万人を超えている国で、心の糧となり、多様な考え方を与えてくれる文化芸術を蔑ろにしていいのか。もちろんすべての自殺者を救えるわけではないし、自殺に至る事情は多岐にわたるであろう。それは理解しているが、このうちのわずかでも、もし、芸術作品を鑑賞したり、自ら創作に参加できる機会が与えられていたら、自殺は防げたかもしれないではないか。その可能性はゼロではないはず。現在の日本では、文化芸術振興や鑑賞機会の増大、そして創作活動への参加機会増大は、ゆとりのある人の為のものではなく、まさに人の生き死にに関わる優先度の高い重要課題である。(もちろん、自殺防止、減少対策には様々なものがあり、原因解決の為には、もっと抜本的な打ち手も必要であることを承知の上での意見である。)
2004年07月27日
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7月26日は、あのスタンリー・キューブリックの誕生日である。さて、本日のテーマは、映画鑑賞料金について。商品の価格は、その製作や販売コストに左右される。これは常識であるが、この常識からはずれているものがある。それは「映画」である。膨大な費用をかけて製作された「ロード・オブ・ザ・リング」や「トロイ」も、それより安い製作費の「スクール・オブ・ロック」も、同じ入場料なのである。かって円高の時期には輸入品が安くなって話題となったが、あの時期にも輸入品である外国映画の鑑賞料金は全く変わらなかった。また、デラックスなミニシアターや大劇場でも、古びた薄汚れた感じの劇場でも封切映画は同じ料金である。つまり映画の鑑賞料金とは統制価格なのである。これはおかしいと思う。多くの人に売れるものは安い値段に設定できるし、ごく一部のお客しか購入しないものは自然と高くなる。これは当然である。ならば、「ハリーポッター」は「スイミングプール」より安い入場料金が設定されてもいいはずだ。また、劇場の経営努力が入場料に反映されてもいいはず。さらには、作品価値からみて「市民ケーン」や「ゴッドファーザー」のような歴史に残る作品も泡沫作品(具体例にはあげないが、某有名女性歌手のダンナが作った作品もこれに相当)も同じ鑑賞料金とは、3大テノールも町内カラオケ大会のチャンピオンも同じ入場料でショーをやるのと同じことではないか。このように、例はいくらでもあげられるが、映画鑑賞料金の設定は、非常におかしいと思うのは、私だけであろうか。シニア、レディスなどいろんな安い料金設定があるのは知っているが、通常料金をもっとリーゾナブルにして欲しい。この日記を読んでおられる興行サイドの方のご意見も歓迎致します。
2004年07月26日
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音楽には詳しくないこの私ですらショックな3人の訃報。クラシック界のカルロス・クライバー映画音楽のジェリー・ゴールドスミス舞踏界のアントニオ・ガディスいずれもカリスマの名に相応しい人であった。かって黒澤明、木下恵介、淀川長治が相次いで亡くなったときと同じショックである。ジェリー・ゴールドスミスは映画音楽の巨匠であり、アントニオ・ガディスはカルロス・サウラ監督とのコンビがある。カルロス・クライバーは、何か映画と縁があったのだろうか?彼の指揮する何から映画に使われたことはあるのだろうか?3人の巨匠のご冥福を心よりお祈りします。
2004年07月25日
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フランソワ・トリュフォー映画祭への暖かいお言葉をありがとうございます。これを糧に宣伝集客活動に邁進です。その「トリュフォー・ウチワ」が、意外な話題になっており、欲しいという方も。ありがとうございます。長崎へどうぞ。このウチワの企画段階での会話。この日記のトップページにある「終電車」の写真を見せて「ウチワの図柄は、これでどうでしょうか?」「ドヌーブですね。いいんじゃないですか。ところでこっちの男をカットして別の女優の絵はどうですか」「ファニー・アルダンかジャンヌ・モローでしょうかね」「どうせなら、女優二人がいいでしょう。こっちの男は知られていないし」「いえ、この男優はフランスのトップスターですよ」「あ、そうなんですか。でも、シンプルにこれでいいかな」ああ、ジェラール・ドパルデューは名前すら聞かれないのですね。うーん、演技力も貫禄も存在感もあるけど、ドパルデューは太りすぎだよ。もうちょっと痩せて欲しい。「隣の女」ではファニー・アルダンとテニス・ウェア姿で出ていたことが信じられない。トリュフォーは彼を非常に気に入っていたらしく、もし、彼があのときに亡くならなければ、このコンビの作品はもっと続いていたと思う。残念だ!「ヴィドック」では跳んだりはねたりしていたけど、あれは特撮でしょう。あんなに太ってできるわけないじゃん。ところで、ドパルデューの新作は?少しはスリムになったかなあ。と、いうわけで、今日の日記ではエメラマリンさんのようなドパルデュー・ファンからは怒りの鉄拳が飛んできそうです。
2004年07月24日
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本日23日から25日にかけて、わが町の中心部の6つの商店街の合同の夏まつりが開催される。ここで毎日1000名にサービスでウチワが配られるが、そのウチワの一面は「フランソワ・トリュフォー映画祭」のPRである。図柄は終電車の一場面で正面を向いたカトリーヌ・ドヌーブと横顔のジェラール・ドパルデュー。「フランソワ・トリュフォー映画祭」の本格的な宣伝がいよいよ開始!協力店へのチラシやポスター配布を行っているが、このウチワ配布もその一環。3000名にはこの映画祭のことを知ってもらうことができるのである。それにしても地方都市でこれだけトリュフォー作品が宣伝されるのも珍しいと思う。暑さに負けず、とにかく宣伝活動だ!今年の夏はトリュフォーの夏!
2004年07月23日
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日本国憲法は本当に変える必要があるのだろうか?何事も完璧なものはないので、改善、改革というものは必要であろう。しかし、現実的に冷静に考えて、この憲法を変えねばならないほど逼迫した事情があるのだろうか?現在、日本がかかえる数多い問題のうち憲法を変えることが、それほど急ぐことなのか。「憲法を変えよう」という、憲法99条を逸脱した国会議員が作り出した空気にすぎないのではないか?現実に眼を向けて欲しい。日本にはもっと大事な問題がある。現在の改憲への誘導は、そうした問題解決への怠慢から目をそらすためのものではないのかと思ってしまう。アメリカの改憲要請など、これは内政干渉というものである。
2004年07月22日
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実は、私はミステリーも好きで市内のある書店が主宰するミステリー愛好会に入っている。今回のこの会の例会テーマはミステリー映画鑑賞会。但し、DVDによる鑑賞。作品選定は私が提案することになって、「恐怖のメロディー」と「新幹線大爆破」を提案し、後者が選ばれた。これは75年の東映の大作。30年も経つと時代のいろんな変化がわかり、この点でも非常に面白いが、作品自体も実にエネルギッシュな作風で、痛快娯楽作の見本のようなもの。時代の変化で面白いのは、電話。当時は携帯どころか、テレフォンカードもなく、小銭を入れながらの電話なのである。出演者も実に豪華。犯人: 高倉健、山本圭、織田あきら、郷瑛治運転指令長: 宇津井健ひかり運転士: 千葉真一公安本部長: 渡辺文雄警視庁刑事部長: 丹波哲郎国鉄総裁: 志村喬女優陣では当時人気絶頂の志穂美悦子、ポスト藤純子で売り出しの松平純子、藤浩子、デビュー間もない多岐川裕美がそれぞれわずか出演。みなさん、これ、一見の価値ある作品ですよ!
2004年07月21日
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実は、私はわが町を中心として活動している映画サークルの会員である。この会では毎年、上半期と年末にベスト作品選出を行っているが、19日の例会では上半期ベスト作品選出であった。私個人の選出結果は以下の通り。<日本映画>1.キューティーハニー2.世界の中心で愛をさけぶ3.ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS4.下妻物語5.ゼブラーマン<外国映画>1.くたばれ!ハリウッド2.ドッグヴィル3.殺人の追憶4.ミスティック・リバー5.10ミニッツ・オールダー 人生にメビウス (ビクトル・エリセ編)全体をまとめた選出結果は8月に発表。この会が発行している会報も今月で310号となった。
2004年07月20日
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映画「トロイ」を見ながら考えたことは、この映画にギリシア人は誰か出ているのだろうかということ。ある人物を、その国以外の俳優が演じることはよくあること。アキレスをブラッド・ピッドが演じる。キリストをマックス・フォン・シドーが演じる。ドクトル・ジバゴをオマー・シャリフが演じる。スパルタカスをカーク・ダグラスが演じる。しかし、日本の歴史上の人物や物語の登場人物を映画化にあたり外国の俳優が演じることは、まだない。それが実現して初めて、日本の歴史や物語が世界的なものになったといえるのではなかろうか。「平家物語」、「細雪」、「忠臣蔵」などは、既に海外でも有名であるが、ハリウッドをはじめとする欧米のスターによって演じられて、はじめて国際的に認知されるのかもしれない。「ラスト・サムライ」では、トム・クルーズは、まだアメリカ軍人のままであったが、彼が日本の武士を演じるのはもはや時間の問題であろう。このところ、ハリウッドは日本的な素材に注目している。ラッセル・クロウが近藤勇を、エマ・ワトソンが静御前をそれぞれ演じたり、「細雪」の四姉妹が次のようなキャスティングで映画化される日は近いのではないか。エマ・トンプソンジュリア・ロバーツニコール・キッドマンナタリー・ポートマン
2004年07月19日
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現在発売中の「日経エンタティンメント」(8月号)は次の2テーマで「世界の中心で愛をさけぶ」特集が組まれている。なかなか面白いので、興味のある方はご一読を。500円です。これも惜しいという方は立ち読みでもどうぞ。(1)セカチュウ現象、儲けのカラクリ(2)泣ける映画・小説探し隊(1)では、「世界の中心で愛をさけぶ」出版から現在までの軌跡が述べられている。本が最初に出たのは2001年4月なのですね。じわじわと部数を伸ばしてきて、昨年の今頃から飛躍的に伸びて、現在に至っている。ちなみに映画の撮影開始は昨年の9月。ここで面白いのは、映画の興行収入80億円(見込み)が、どのように配分されるかということ。配分が図式されていますが、いろいろと考えさせられます。(2)では、これまでの「泣ける純愛映画」をあげて、そのテーマや二人にたちはだかる障害、結末などを比較している表が面白い。もちろん、あの「ある愛の詩」や「タイタニック」もあります。「初恋のきた道」もあります。こうしてみると、この泣ける純愛映画の多くは、回想型になっていることが判る。なるほど!回想だから、せつなさが増すわけか。これは発見であった。この号には「東京ロケ新名所」案内もついています。次号は「本の大特集」です。
2004年07月18日
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7月15日の「愛国心私論」に対しましては多くの方々からご意見をいただき、ありがとうございました。この日はいつもよりヒット数も多く、それだけ関心を持って読まれたのではないかと思います。この日記を書くにあたり最初は「偏狭な憎悪に満ちたむなしい言葉」の投げあいや、ある種の書き込みによって多くの善意の書き込みが阻害されるのではないかと心配したのですが、結果は、実に多くの示唆に富んだご意見が述べられたことに感激しております。ありがとうございました。実は、この種のテーマでは、言葉尻をとらえたからみ方で消耗な議論をはてしなくされる方が何名かおられます。その方も訪問されましたが、まったく書き込みはなされずに去っていかれました。これだけ多くの方々の真摯な意見の前には去るしかないでしょう。あのような無法な訪問者に対しては、こうしたみなさんの「姿勢」こそが最大の武器になります。さて、多くの方のご意見は実に多様性に富んでいますが、みなさん、同じことを言っておられるのではないかと思いました。それぞれの方々のご意見をひとつに括ってしまうことは大変失礼なことであり、また、各ご意見の背景にあるものを解釈するべきとは承知の上で、書かせていただきますと次のようになるのではないでしょうか。・「愛国心」についての多様なあり方への寛容さ・日本だけではなく、もっと視野を広げて考えようその他、私なりの感想を書いてみます。秀0430さんの「持たなければならないという義務ではなく、持たざるを得ないほどの強い思いがわいてきてしまうのが愛国心だろうと思います」という言葉には目からウロコでした。確かにそうです。anne2003さんの「愛国心を語る人に愛国心を感じません」という言葉には、「愛国心は、ならず者の心のよりどころ」という言葉を思い出しました。現在、愛国教育や愛国心を声高に叫ぶ政治家たちがそうでないことを祈るばかりです。クラシカさんが書かれている「自分が思う良い国とは具体的にどんな状態の国か?また、他の人(一緒の国に住む人達)はどんな国が良いと具体的に思うのか?そして、そうするにはどうすればよいか?」という姿勢は、現在の日本において最も欠けているものと思います。憲法論議では、その欠けた状態が最も顕れています。また、おこたさん、shiro-mikeさん、ようちゃん2号さん、bjkeikoさんのご意見から内田樹さんの「ためらいの倫理学」の中の「愛国心について」を思い出し、あの内容を更に理解させてくれました。クラシカさんの「踏絵」やアネマジロさんの「非国民」という言葉が「死語」になる国でありたいと思いますが、ボンボさんが懸念される「愛国心教育の強化」や「形からの愛国心」が、再び教育現場や日常生活に入ってきて、これらの言葉を復活(もうしているか)させる傾向に対して立ち向かうことを考えておく必要があります。しかし、今回の日記では、何よりも政治や戦争反対テーマのときに時々登場する無法な書き込みなしで、みんなが気持ち良く意見を交換できたことをうれしく思います。時々、こうしたテーマで書き、本来の目的である意見交換のコミュニティを形成していきたいと思います。
2004年07月17日
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グローバルなパッケージでローカルを語る :「ディ・アフター・トゥモロー」ローカルな視点でグローバルを語る :「10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス」の ビクトル・エリセ編
2004年07月16日
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「11日の参院選を棄権した人には愛国心はあるのだろうか?」このような問いがなされたら、あなたは、どのように答えるであろうか。「投票をしたかどうかで愛国心があるかないかを決めることができるわけがないではないか」という意見が多いのではなかろうか。私もそう思うが、そもそも「愛国心」とは一体何だろうか?「愛国心」とは本当に必要なのだろうか?この「愛国心」という言葉自体に不自然さを感じる。例えば「恋人を愛する」というのは、それ自体で心のあり方を示しているわけで、その場合の「愛国心」のような熟語は存在しない。「愛国」だけで充分なところに「心」をつけることである種の強制、そして心の内面への介入を感じる。最近は愛国心を定量化することも行われている。式典で国歌を歌ったか、それも声の大きさがどうかとか、国旗掲揚で起立したか、その姿勢がどうかである。実際にそのような強制が起きているのであるが、それはもはやお笑いかフェチの世界である。で、私はどうなのかというと、日の丸も君が代も嫌いである。はっきり言って鬱陶しい。オリンピックなどで顔に日の丸のペイントをして応援している人々を見るとうんざりするが、好きでやっている人には、どうぞご自由にである。では、あなたは日本の国を愛していないのか、国のことを何とも思っていないのかと問われれば、そうではない。この私は日々を過ごしている共同体が、もっと快適なものになればいい、そのためには私は何をするのか、そういうことを考え、実行する。私にとって「国を愛する」というものは、そういうものではないかと考えている。「国を愛する」ことをひとつの形にして各人の内面にまで強制することに対しては拒否である。
2004年07月15日
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「ディ・アフター・トゥモロー」は「華氏451」に匹敵する映画である。本当である。何がかというと、映画の中で燃やされる本の数量がである。主人公たちが逃げ込んだ先が幸いにも図書館で、地球全体を襲った超寒波を生き延びることができたのである。もちろん、本を燃やして暖をとったということである。ラスト、主人公たちが救出される場面に続いて、あちこちのビルの屋上に人々の姿が。みなビルの中で超寒波をしのいでいたのである。つまり、どのビルの中にも暖をとるに充分な紙や本があったということだ。そのほとんどはオフィスビル。IT大国のアメリカでの企業でのペーパー・レスは、ほとんど進んでいなかったということのようだ。しかし、それが人類を救ったという教訓的な内容である。本と紙は人類を救う!この種の大作では、大抵は人類を救うのは、アメリカ製の最新科学技術か兵器であるのだが、「紙と本」であるという点、これはかなり異色である。
2004年07月14日
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映画「トロイ」は、そこそこの出来であるが、それなりに見るに耐えるものになったのは、そのほとんどがピーター・オトゥールの力によるもの。ブラッド・ピッドのアキレスは、どうみても、そこらのアンちゃんである。この映画で一番気になったのは「改変」である。ホメロスの「イリアス」にさほどの親しみを持たない我々には大したことではないかもしれないが、古代ギリシアの伝承に親しんでいる欧米人にはどうだったのだろうか?深作欣ニ監督の「柳生一族の陰謀」では、ラストの「夢でござある!」が、さほどの賛否両論にはならなかったので、これもそうなのかも知れないが、欧米人や「イリアス」に親しむ人々の感想を聞いてみたいものである。さて、この「改変」であるが、娯楽映画の効果としては許されるのであろうが、現実に行われる「歴史の改変(改竄)」は許されるものではない。
2004年07月13日
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6月末に国立国語研究所が「外国語の言い換えについて」提案を行っているが、わが国には永田町という<国内外国>があり、その<国内外国語>もまた言い換えをしなくてはいけないのである。この場合、注意が必要なのは非常に口当たりがよいのであるが、それはとんでもない意味を持って我々をとんでもない状況に導くものになるということだ。そうした国内外国語の一例をあげてみると次のようなものがある。・改革・人道復興支援・自己責任・創憲・加憲・国際貢献・個人情報保護・国民保護他にもまだまたある。例えば、「有事」もそうだ。「暴走政治」によって、わが国はとっくに「有事」である。選挙の結果に関わらず、まず、<国内外国>の壁を崩して、我々の日常生活の延長にある国内にする必要がある。
2004年07月12日
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6月26日の日記の中で「ニュールンベルグ裁判」という映画を紹介したが、これは61年の映画で、当時の評価は非常に高かった。その頃の「朝日新聞」の映画欄はウサギのマークで作品評価を表示していたが、この作品は「飛び跳ねているマーク」で最高位の評価であった。私が観たのは公開から何年も経って、再上映であったが、強烈な印象を残している。さて、この映画はオールスター・キャストである。スペンサー・トレーシーバート・ランカスターリチャード・ウィドマークマキシミリアン・シェルジュディ・ガーランドマレーネ・ディートリッヒモンゴメリー・クリフトまさに当時の錚々たるスターたちが顔を揃えている。しかも法廷ドラマであるから、まさにすさまじいばかりの演技合戦である。バート・ランカスターは本来はアクションスターとして売ってきたが、この映画ではほとんど動かず、セリフも少ないというアクション・スターとしては冒険的な役柄。今、考えるとヴィスコンティの「山猫」での老貴族の役は、この「ニュールンベルグ裁判」があったから出来たのではなかろうか。マキシミリアン・シェルは新人で、ベテランスターを圧倒するほどの熱気であり、彼はこれでスターダムにのし上がった。今、映画の見せ場といえば、爆破、カーチェイス、破壊というものばかりでじっくりと俳優の魅力と演技合戦で見せる作品が少なくなっている。スターの魅力を思い切り引き出し、俳優たちの火花散らす演技のぶつかり合いを改めてスクリーンで見たいものである。その意味ではこの映画「ニュールンベルグ裁判」は最適ではないかと思う。リバイバル公開を熱望する!
2004年07月11日
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日本国憲法第99条に下記が述べられている。第九十九条【憲法尊重擁護の義務】 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。これによると、現在、改憲を主張する国務大臣や国会議員は、まず大臣や議員を辞職すべきと思う。裁判官や公務員も同じである。現在、蔓延している「改憲ムード」は一体、誰の為のものなのだ?
2004年07月10日
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おこた♪さんから次のような質問を受けた。●軍隊もので、5人か7人のおっちゃんが出てきて、そのうちの一人がいつも「手榴弾を首から下げた」確かひげ面、小太りのおっちゃんが出てくる映画、どなたかご存じないですか?20年前後前の映画です。(もっと古いかも?!)確か「何とかの何人」とかってなタイトルだった気がするんですけど。タイトルになんしか、人数が入っていたと思うんです。それしか思い出せなくって。というご質問ですが、私には判らないので、どなたか教えていただけないでしょうか。私もまた、映画について判らないことがあるので、ここで併せて公開捜査を行いたいと思います。以下質問です。●俳優の消息です。1.東映やくざ映画でいい味を出していた待田京介さんは、 今どうしておられるのでしょうか?2.かって大映に成田純一郎という時代劇スターがいました。 (三樹夫ではありません) この方はNHKの子ども番組に出ていて、その後映画俳優に 転向されたのですが、ある時期からぷっつりと出なくなりま した。消息をご存知の方は?すみません。よろしくお願い致します。
2004年07月09日
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今日もまた映画「世界の中心で愛をさけぶ」について書く。これで4日目である。私は原作を読んでいない。映画が初めてである。柴咲コウ演じるりつこは映画だけの設定など、映画と原作は多少異なるということを知って見た。映画が始まったときにいろいろと判らないことがあった。例えば、・りつこの足が何故不自由なのだろうか?・りつこが何故、あのテープを持っていたのだろうか。・ウォークマンは意味があるのか。・りつこが片親なのは意味があるのか。・山崎努演じる写真屋のおやじが何故、登場するのか。・何故、台風なのか。このあたりの設定が納得できずに見ていたが、十代の二人の恋心の瑞々しい輝きに惹かれて次第に映画の世界に引き込まれていった。そして映画が進むにつれ、これらの設定に意味があること、何故にそのような設定なのかが明確になり、入院中の亜紀が退屈しのぎに手品をやることと、それがラストシーンにむすびつくなど、いろんな伏線が一挙に効果をあげていくことに非常な快感を覚えていった。この映画は悲劇であり、悲劇をストレートに描くと、マイナス要素だけの映画になってしまうが、この映画では次の2点をプラス要素として描かれている。・十代の可能性をひめた恋・それを現代につなげる写真屋のおやじそれらを破綻なく展開させる演出術が見る者に一種の快感を与える。映画独特の快感である。こういう快感を与えてくれる映画は少ない。今でも鮮烈に感じるのが「ダイハード」である。あの第1作目は本当に素晴らしかった。この映画の作者たちは、ベストセラーの映画化というマイナス要素(どうせベストセラーの映画化という固定概念、原作に負けるなど)の中で映画ならではの工夫を行っている。りつこの設定は、そのひとつである。このあたりは、マイナス要素をいかにしてプラスに転じるかという「商品開発」という観点からも教訓は多いと思う。
2004年07月08日
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実は愕然としている。「世界の中心で愛をさけぶ」のキャメラ、そのシネスコサイズの使い方が素晴らしいと書いたが、その手腕を発揮した撮影監督・篠田昇さんが6月22日に亡くなられていたのだ。不覚にもそのニュースを、昨日(6日)になってやっと知った次第。まだ52歳という若さである。残念としたいいようがない。心よりご冥福をお祈りしたい。それにしても、なんと言うことか。世の中の定めとして誰でも、いつかは死ぬことになるが、世界中に向かって「死んでしまえ!」とさけびたい人はいっぱいいるぞ!
2004年07月07日
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昨日の日記で映画「世界の中心で愛をさけぶ」では平井堅の歌でぶち壊しだと書いたところ、「平井さんの歌はそんなにだめですか」とコメントが来た。同様な質問で「ではどんな音楽であればいいのか」という質問もあったので、これらについて書いてみたい。私は、平井堅のあの歌「瞳をとじて」自体が悪いと言っているわけではない。あの歌を映画「世界の中心で愛をさけぶ」のエンドタイトルに流すことは、映画の効果としては、まずいのではないかと言いたいのである。人は一般的に言葉を聞くと、その瞬間に冷静になるか、その時のの思考を中断されてしまう。映画のドラマ部分が終ったとき、見ている私の感情は高ぶり、ドラマの余韻にひたろうとしていた。そのときに、それまでそのドラマで全く流れていない歌詞が聞こえた場合に「これは何?」と余韻にひたっている状況が中断されたのである。これは「いい映画を見た」と感動にひたっている私には、まったく逆効果であり、水をさされた感じなのである。しかし、エンドタイトルの音楽は約束事であるので、では、どうすればいいのか?案としては次の通りである。A:ドラマの中で亜紀が弾いたピアノ曲(アヴェマリア) を使用。B:ドラマの中で二人をむすびつける深夜放送で流れる当時の ヒット曲を使用。 (この場合は歌詞があっても、ドラマの中の二人の思いが再 び思い返され、余韻にひたることができ、効果的)要するに、ドラマを振り返ることのできる音楽がいいと思う。もし、どうしても平井堅の歌を流すという商業的な制約があるなら、ドラマ部分でこれを使用する工夫が必要であったと思うが、上記2案のどちらかの方がはるかに効果的であったと思う。以上は、あくまでも私の考えで、「瞳をとじて」がこの映画の主題歌としてしっかりすり込まれている人には、まったく不具合がないのかも知れない。
2004年07月06日
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こういう出来のいい映画を見ると非常に気持ちがいい。もちろん内容は悲劇なので、涙を流してしまったが、内容に関係なくいい映画を見た後の快感は何物にもかえがたい。いろんな場面やいろんなエピソードが最後にピタリとあわさって見る者に心地よさを与えてくれる。現在の恋愛と過去の恋愛が交互に描かれるが、過去の十代の恋愛が瑞々しい。ストーリーは原作があるので、ストーリーだけを味わうなら本を読めば、それでいいのであるが、映画ならではの魅力を述べておきたい。この映画はシネマスコープ、いわゆる横長の画面である。十代の恋愛の部分では、若者らしく「走る」をキーにして、横長の空白部分を未知への可能性として表現する。横長によって生じる空白には求めるものや未来への可能性が表現される。現在の大人の部分では、その空白が「あるべき者」の不在を表現する。それが非常に効果的である。ラストは生き残った者のやるべきことを描き、失われた恋が癒されるわけではないと思わせる。この映画の隠し味としてトリュフォーの「隣の女」が感じられる。山崎努演じる写真屋のおやじは、「隣の女」の脚の悪い婦人と同じ設定であろう。非常に出来のいい映画で、いろいろと伏線がはってあるので、二度目にはもっと発見があるかもしれない。ひとつだけ欠陥を書いておきたい。それはラストに流れる平井堅の歌。「半落ち」でも、最後の森山直太朗の歌が映画の雰囲気を壊してしまった失敗をここでもおかしている。平井堅の歌によって、その時点でピークになった映画としての感銘がぶち壊しである。人気絶頂の平井堅の歌で観客動員に寄与したいと思ったのであろうが、そのようなことは間違いであろう。映画の中身で勝負して欲しい。この作品の中身は充分に立派なのであるから、もっと自信を持って売って欲しい。どうせベストセラーで当て込んだ映画だろうとか評判がいいけど、どうしようかと思っている方ヒット作にはいいのがないからなと思っている方映画館へかけつけてください!そう思っていた私が推薦するのですから!最後のクレジットで、平井堅の歌が聞こえてきたら、瞳を閉じないで耳をふさいでください。
2004年07月05日
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昨日の日記にも書いたが、本日(4日)は、エヴァ・マリー・セイントの誕生日であるが、彼女のデビュー作の相手役がマーロン・ブランドである。そのマーロン・ブランドの訃報が伝えられた。実は、まだ生きていたのかという感じが正直なところ。それは出演作が少ないなど俳優としての活動が目立たないということではなく、彼には常に死のイメージがつきまとっていたと思うのである。それまでにない強烈な存在感や不良性感度の高さで衝撃的な登場であったが、常に死のイメージがつきまとっていたように思える。恵まれた少年時代ではなく、そこにコンプレックスを持ち、そこから来る思索的な雰囲気は、ハリウッド大作よりはフランソワ・トリュフォー作品に相応しいと思う。もしかしたら、本人は、トリュフォーの「緑色の部屋」に出たかったのではなかろうか。秋には「ゴッド・ファーザー」がリバイバル公開されるが、その直前の「妖精たちの森」や「私は誘拐されたい」も見たい。
2004年07月04日
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7月生まれなので、同じ7月にどんな人が生まれたのか非常に興味がある。時々、アトランダムに書いてみる。(日記のネタがないときに書くのかって・・・・?)まず、7月2日生まれであるが、小柳ルミ子と南沙織が、この日に生まれている。この二人に天地真理を加えて、一時期は三人娘であったらしいが、そのうちの2人が誕生日が同じとはなかなか面白いではないか。本日7月3日は、「仁義なき戦い」の深作欣ニ監督とトム・クルーズの誕生日である。将来、トム・クルーズの伝記映画ができたら「7月3日に生まれて」という題名になるのだろうか。もし、深作欣ニが生きていれば、深作欣ニ監督、トム・クルーズ主演の作品が生まれていたかも知れない。この日に生まれた映画関係者として「ロード・オブ・ザ・リング」でミソをつけた字幕翻訳家の戸田奈津子。明日、7月4日は女優エバー・マリー・セイントの誕生日である。「波止場」でデビューした知性派美人女優。こういう女優がいなくなったなあ・・・。7月生まれのお話は以上でおしまい。知性派女優つながりでキャンディス・バーゲンについて。彼女の最新出演作が「ハッピー・フライト」。ここからは昨日見た映画の感想である。全く話題にもなっていないこの映画を見たのは、上映時間が87分という点。この程度の長さが娯楽映画としては理想的であると考える私としては、これは隠れた傑作ではないかと期待したが、結果は「×」で、短くても退屈なものはある。キャンディス・バーゲンは重要な役での出演であるが、全く魅力なし。「デンジャラス・ビューティ」でも同じような役柄であったが、こんなことでいいのか。主演はグウィネス・パルトロウ。彼女も全く魅力なし。これがオスカー女優か。そういえば、かっての人気スター、ロブ・ロウも出ていたが、これでは、まるで出がらしスターを並べた作品である。これはミラマックス作品であるが、一体どれほどカットされたのだろうか?------------------------------------------マーロン・ブランドの訃報が入りましたが、このことは次の日記で。アクセス数が20000を突破、皆様方、ありがとうございます。今後ともご指導・ご鞭撻をよろしくお願い致します。
2004年07月03日
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ひであき4946さんの6月26日の日記「弱者の戦略」5・商品開発を読んで、「日活ロマンポルノ」の誕生は、その最良の事例ではないかと考えた。日本映画の黄金時代に日本には松竹、大映、東映、東宝、日活、新東宝と6社があったが、テレビの登場による影響を最初に受けたのが新東宝。その後は5社体制が続く。70年に入り、大映と日活がダイニチという共同配給会社を作ったが、大映が倒産し、その後71年夏に日活も倒産となった。そこで、再建が検討されたが、問題はどんな作品を生み出すかである。(1)劇場の状況現在も継続されているが、各社は系列の劇場を所有している。日活も当時は、各都道府県に系列の劇場を持っており、状況からみて、その各劇場は簡単には他社や洋画の劇場には転向できない。この劇場を生かす道をさぐる必要があり、そこにビジネス継続の可能性がある。(2)配給する作品では、それらの劇場にどんな作品を配給するかが問題である。当時の日本映画は、・東宝 文藝作品、青春ドラマ、都会派ドラマ・東映 任侠映画、不良性感度の高いドラマ・松竹 寅さん、人情喜劇、文藝作品という状況で、それぞれ人気と顧客を確保しており、それらの中に割り込むことは不可能である。また、ほぼ2週間ピッチで作品を提供する必要があるので、高い製作費をかけることはできない。一方、監督や助監督は多く、新人も含めて作り手は多い。(3)未着手のジャンル当時、ピンク映画というのは大手五社とは無縁の小プロダクションで3百万円程度の製作費で作られていた。しかも過当競争で製作費は低下しており、きちんとしたジャンルとしての製作が困難となっていた。当時の日活の経営者が着眼したのは、このジャンル。単なるポルノではなく「ロマンポルノ」と銘打って「生々しくなく、きれいでドラマがある作品」として、そして従来のポルノの2倍程度の製作費で製作しようと決定したのである。ポイントとしては・低コストで製作可能。・まだ未着手のジャンル・数多く作ることのできるジャンルである。このように考えると「日活ロマンポルノ」は、まさに弱者の戦略における商品開発の成功事例ではなかろうか。ロマンポルノ発足時の日活は、とにかく作品を作ることが最大の優先事項であり、作品内容への管理までは、ほとんど手が及ばず、それが作家たちの製作意欲を高揚させることになり、多くの傑作を生み出す結果となったことはご存知の通りである。もちろん、当時はポルノを作るということでスタッフの心労は大変なものであったという代償はあったが。日活ロマンポルノの作品作家研究も大変に興味深いものがあるが、その誕生をめぐる経営的な視点での研究は、きっと示唆に富んだものではなかろうか。
2004年07月02日
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7月1日である。50年前のこの日に自衛隊が生まれた。同じ年に「七人の侍」と「ゴジラ」というその後の日本映画を代表する2作品が生まれた。「自衛隊」と「七人の侍」と「ゴジラ」は連想ゲームのごとく繋がっている。それは「守るための戦い」である。映画の上であるが、自衛隊が最も戦った相手はゴジラをはじめとする怪獣たちであった。その「ゴジラ」の原作者、香山滋もまた、7月1日に生まれている。となると7月1日は、自衛隊とゴジラの日か。将来、この日が国軍記念日として制定されたら、これは極めて憂鬱である。この日は私の誕生日でもあるのだ。
2004年07月01日
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