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昨日のヒット数328。お疲れさまでした。さて、本日は、主演女優で期待する今後公開される日本映画について。「スウィングガールズ」(上野樹理)「下弦の月」(栗山千明)上野樹理は「チルソクの夏」で、「いい!」と思い、栗山千明は「死国」でデビューして以来のファンです。「キル・ビルVOL1」は彼女の魅力で支えられていたようなものです。とにかく期待しております。------------------------------------先ほど、気がついたのですが、本日は開設200日でした。
2004年08月31日
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以前に日記で「愛国心私論」を書いたが、その後も愛国心については考えている。ある新聞に「行き過ぎた愛国心は有害であるが、愛国心がないというのは恥だ」という一文があった。これはある有名人の文章である。そうだろうか?その人に愛国心があるかないかと論じる必要があるのだろうか。そもそも、愛国心があるかないかなど誰がどのように判断するのだろうか。いくつかの例をあげよう。赤字国債を発行し続けることを許した政治家、自殺者増加にほとんど有効な手を打たない政治家たちには愛国心がないと判断してもいいはずである。「私は自分の為にがんばりました」というメダリストがいたとして、その人に対して「国の代表として五輪大会に出ているのに、お前には愛国心などないのか」と言えるであろうか。国際映画祭で高い評価を得て日本映画の存在感を世界に示した黒澤明や北野武のことを愛国者というのだろうか。日本球界を去って、アメリカ大リーグで大活躍中のイチローは愛国心がない人だろうか。日本経済を支えている多くの労働者のことを愛国者というのだろうか。そもそも、普通、日常生活をおくっているときに愛国心など考えるだろうか。すべての人に共通で、しかも評価のできる愛国心の定義などできないのではないか。こんな愛国心という概念は不要なのである。「ならず者の心のよろどころ」がいつの間にか、ならずものではない人々みんなに必要なことにすりかわっている。「愛国心とはこういう定義であり、評価も必要だ」という意見の方もおられるであろうが、そういう方はそれで結構。但し、他の方へそれを強制しないようにお願いしたいもの。と、そんなことを考えた。
2004年08月30日
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おそらく誰も書かないであろうから、私が書こう。昨日(8月28日)の新聞の死亡記事に「山本迪夫(やまもと・みちお)監督」の訃報が掲載されていた。わずか数行の記事でほとんど話題にもならない記事である。この監督の名前を多くの方はご存知ないであろうが、私は日本の怪奇映画の第一人者であったと思う。岸田森(この方も既に故人であるが)のキャラクターを活かしたのは、この監督の功績である。70年代前半に東宝が甘い青春映画と文芸大作が主流であった時期にひたすら添え物の怪奇映画のみを撮った職人である。残した作品は次。「悪魔が呼んでいる」(70年)「幽霊屋敷の恐怖・血を吸う人形」(70年)「雨は知っていた」(71年)「呪いの館・血を吸う眼」(71年)「血を吸う薔薇」(74年)これ以外にデビュー作があるが、デビュー作以外はすべて怪奇映画である。文芸大作、良心作、ベストセラーの映画化も良かろうが、映画オリジナルの魅力をもった特定のジャンルで力を発揮できる職人監督の腕を活かすことができなかったことも日本映画衰退の原因である。わずか5本のホラー映画で映画界を去っていった山本迪夫監督のことを悲しく残念に思う。心よりご冥福をお祈りします。
2004年08月29日
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「父と暮せば」(黒木和雄監督)「さよなら子供たち」(ルイ・マル監督) 「夜と霧」(アラン・レネ監督) 学校の教師たちの教育指導力がどれほど高く、巧いものであろうとも、戦争の残酷さを教えるなら、この3作品のいずれか、あるいは3作品共でもいいが、これらの映画ほど最適で説得力ある教材はないと思う。学校の授業の中にもっと映画鑑賞を利用すべきではないだろうか。映画が持つ豊かさと可能性をもっと利用すべきと思う。戦争のことだけではない。例えば、イランの人々がどのような生活をしているかを知ろうと思うなら、いかなる教科書よりも「友だちのうちはどこ?」と「運動靴と赤い金魚」という映画があれば、充分だと思う。パリの生活ならエリック・ロメールの「パリのランデブー」がいいと思う。映画は娯楽であるが、これだけではなく、もっと学校の授業にも活用できるはずだ。学校からの団体鑑賞もできるはず。
2004年08月28日
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映画も本も「難しいこと、重いこと」を平易に表現しているものが好きである。映画の場合、「ローマの休日」はその典型だと思うし、「父と暮せば」やトリュフォー映画もそれに相当する。本でいえば、「荒れ野の40年」(岩波ブックレット)を躊躇なくあげたい。これは、1985年、西ドイツ(東西ドイツ統合前)のヴァイツゼッカー大統領が敗戦40年にあたり連邦議会で行った演説である。読み始めて一気にひきこまれ、夢中になって読んでしまった。実に素晴らしい。何が素晴らしいかというと重みのあることを平易な言葉で語りかけて、説得力があるのである。この本はその後、私の「感動の一冊・好きな一冊」になっているが、今後もそうであり続けるであろう。ひきつけられる理由は、美辞麗句ではなく、率直な言葉であることだ。演説の冒頭では、多くの人への呼びかけがある。それは自国民だけではなく、戦時中に迫害・虐殺されたユダヤ人、ジプシー、精神病患者、他国のレジスタンスなど実に多岐にわたる。こうした人々も含めて哀悼や謝罪の言葉が語られる。この演説で印象的な言葉がある。それは「心に刻む」という言葉である。彼は、これを「歴史における神のみ業を目のあたりに経験すること」と述べているが、この行為がどのようなことかは、一人一人に課せられた課題であろう。過去の出来事が自分の内面の一部になることであろうが、その為には、まず何が起きたのかを見極める謙虚さが必要であろう。非常に様々なことを示唆してくれる一冊であり、私はことあるごとにこの本を読んでいるが、最も読んでもらいたいのは日本国政府の閣僚たちである。私はこの「荒れ野の40年」を読んで、このような指導者を持つ国民は幸福であると思った。
2004年08月27日
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「父と暮せば」は、ほとんど娘と父との会話で成り立っている。日常の延長にあるような会話と視覚的なスペクタクルの全くない場面が続くのであるが、一刻も退屈することなく弛むことのない緊張感が維持される。その理由は何であろうか。二人の演技力と演出力であることは確かなのであろうが、具体的にどのような映画術が駆使されているのかもっと知りたいものだ。この映画は厳粛な気持ちで向かわねばという気持ちにさせられる雰囲気があり、多くの感想や映画評もそれを加速させる。しかし、上に書いたように映画術をさぐる楽しみも提供してくれる。また、ラストシーンから思考実験の楽しみも与えてくれる。事実、この映画のラストシーンには、いろんな解釈があると思う。これは昨日の日記に対してゲストの明彦さんがコメントに書かれていたことである。この映画が公開されているのは東京、広島、長崎のみなので、ご覧になっている方は少ないと思う。ラストをここで明かしてしまうわけにはいかないが、これはいろんな解釈ができると思う。私自身、ここからできる「いろいろな解釈」に戸惑っている。ある解釈をすれば、昨日、私が日記に書いたことは成り立たない。しかし、その別な解釈も非常に魅力的である。映画を見て、様々な解釈に戸惑う(うれしい戸惑い!)のは久し振り。このように書いても、見ていない方には何のことか、さっぱり判らないであろうが、どうか見ていただきたい!「父と暮せば」を見て、厳粛な気持ちになったと同時に、映画を見る楽しみを堪能したことも事実。この多様な楽しみ方を許すという点ではトリュフォー映画の魅力にも通じる。一筋縄ではいかない映画である。
2004年08月26日
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「父と暮せば」をやっと観ることができた。背景に広島の原爆があるが、私はこのドラマを「原爆をテーマにした映画」とは見ることができなかった。「被爆して死ぬこと、酷い別れを余儀なくされた人々」への鎮魂であり、同時に二度と戦争をしてはいけないという祈りが込められた映画であることは理解できるが、これはもう少し一般化してみてもいいのではなかろうか。この映画は「心に傷を持って、これから生きていこうとしながらも、躊躇している人」がいかに生きることを取り戻していくのかという物語と見た方がいいと思う。生きていこうとするにもかかわらず、どこかにそれを止めるものがあり、それをいかに解きほぐすのかという物語であると私は思った。これは黒木版「大人は判ってくれない」ではなかろうか。海辺に佇むアントワーヌ少年と「ありがとう、おとったん」と言う美津江とが重なってみえた。--------------------------------------------------現在、この映画は次で上映されています。お近くの劇場で是非!東京:岩波ホール広島:ワーナーマイカル広島、シネツイン長崎:ユナイテッドシネマ長崎
2004年08月25日
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「フランソワ・トリュフォー映画の魅力」について書き始めたところ、早速、同じくトリュフォー・ファンのlalameansさんからコメントをいただいた。>「等身大の魅力」と「映像の美しさ」だなぁと思っています。> あと、「女優をさらに美しく撮る」名人芸も、> それに加えておきましょう(^^)いずれも、同感。今回はそのうちの「等身大の魅力」について書いてみます。フランソワ・トリュフォーは1932年に生まれ、1984年に亡くなりましたが、その52歳の生涯の中で21本の長編映画と4本の短編を世に遺しています。彼はもともとが映画ファンでした。10歳の頃、ズル休みをして映画「悪魔が夜来る」を見て、映画の魅力にとりつかれたと言っており、その後、映画を見まくる生活をおくるわけです。映画ファンから、今度は自分で映画上映会を企画することへ、そして映画について書くという評論家へ活動の場を移しながら、最終的には「映画監督」となります。つまり、大好きな映画にどんどん近づいていった、そんな人です。最後は主演女優を恋人にしたのですから、これは映画ファンの夢を実現したと言ってもいいでしょう。彼のように優れた映画監督、世界の映画史に名を残している映画監督に、このような言い方は不遜かも知れませんが、トリュフォーという映画監督は、私たち映画ファンから生まれた映画監督であり、我らが仲間という感じがするのです。もちろん、優れた映画術を発揮して、観客を魅了するのですが、彼の映画には親しみを覚えさせる不器用さも同居しており、その不器用さは決してその作品の欠点にはなっていません。「大人は判ってくれない」から「日曜日が待ち遠しい」まで、彼の作品を見ると、いわゆる国の為に作った映画、企業や大きな組織の主張の為に作った映画、いかにも感動しろよ、といわんばかりの映画は全くありません。世界的な映画監督になっても、常に「我々映画ファンの仲間」であることを感じさせ、「巨匠」という言葉が、良い意味で似合わない監督でした。
2004年08月24日
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フランソワ・トリュフォーの映画の魅力について述べてみる。論理的な映画論を期待される方は、がっかりされるかも知れないが、私が何故、トリュフォー映画にひかれるのか、好きになったのか、それを多くの人に伝え、トリュフォー映画ファンを増やすことをねらってみたい。そんなつもりで書いてみる。タイトルに<第1回>とあるが、不定期連載である。今回はまず、フランソワ・トリュフォー映画の魅力を箇条書きにしてあげてみよう。(1)登場人物が、私たち自身、あるいは周辺にいるような 人たちである。 タフガイやスーパー・レディーや超人たちではない ごく普通の人々である。(2)扱っている素材が恋愛を中心とした人生のヒトコマで 起き得る出来事である。(3)ロケが多く、自然の描写や自然の光がうまく取り入れ られている。 大げさな、そして人工的なセットや舞台装置はない。(4)語り口は平易で、しかも、優しい。「教えてやろう」と か「これが正義」という語りは全くない。 作家自身の悩みながらの語り口である。 しかし、得る物が多い。(5)見たときはピンと来なくても、そのうちに 「あの映画、今なら判るかも知れない」と思わせる そんな作品ばかりである。 つまり自分の人生の道しるべになりうる作品ばかりで ある。他にもあるが、「トリュフォー映画の魅力をあげてみよ」と問われたら、まず、上記をあげてみる。第2回以降は、これらをもとに具体的な作品や出演者について述べてみたい。
2004年08月23日
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いろんな国の映画を見ようと19日の日記に書いたが、私のこれまでの実例をあげてみよう。(以下の作品は順不同)「セントラル・ステーション」(ブラジル)「友だちのうちはどこ?」(イラン)「恋恋風塵」(台湾)「ミツバチのささやき」(スペイン)「100人の子供たちが列車を待っている」(チリ)「オフィシャル・ストーリー」(アルゼンチン)「路」(トルコ)「旅芸人の記録」(ギリシア)「ペレ」(デンマーク)「クジラの島の少女」(ニュージーランド)もちろん、これらの国のことは大体において知ってはいたが、それほどの関心はなかった。あくまでも学校で習った範囲の知識と海外ニュースで流れてくる範囲のものを聞き流す程度であった。しかし、これらの映画を見たことにより、これらの国に対して非常な関心や親近感を抱いた。ちょっとしたニュースにも非常な関心を持つようになったし、実際に行ってみたいと思う国もある。「ミツバチのささやき」のあの荒野に立ってみたいと思う。「友だちのうちはどこ?」のあの少年の町を歩いてみたいと思う。それまであまり関心のなかったその国の問題についてもこれらの映画を見ることで、関心を持って、それを考える糸口をつかんだと思う。一本の映画が与える影響は大きいと実感。国際交流や理解というのは、こういうことからも始まるのだと思う。先日の日記にも書いたが、いろんな国の映画を見たいと思う。ひとつの映画から、その国に親近感を抱くこともある。そのような人が多くなれば、それは政治体制や政治思想や政府間の国交を超え、その国と日本との間に様々な問題が横たわっていても、両国の友好を築くことができると思う。だから、いろんな国の、それも国交がなく、また問題が横たわっている国の場合は特に、その国の映画を集めた映画祭はもっともっと地方都市でも開催されるべきであると思う。
2004年08月22日
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いろんな人と会っていると映画の話題がよく出てきます。先日も、やや年配の男性、比較的若い女性もいる場で「人間の条件」(小林正樹・監督)の話が出てきて、その方々から「もう一度、あの映画を見たいものだ」と言われました。全6部、9時間にわたる超大作。日本映画としては稀有なエネルギーとスケールを持った感動作であると思います。戦争が人間をいかに変えるかを描いたものです。「人間の条件」をもう一度、見たいという人はかなりいるのではないかと思う。以下はその時の会話。雑談ですから、その点はご了承ください。「あの映画はオールナイトで見て、素晴らしいと思った。」「今の日本には、あの映画こそ必要ではないか」「あの骨太さが今の日本映画にないと思いませんか?なんだかみな淡白で線が細いと思いません?」「今度は、この映画をやってくださいよ」「今、あの映画を製作するなら、主人公の梶には誰がいいかな?」「唐沢寿明は?」「あ、いいですね?」「では新珠三千代のやった役は?」「山口智子がいい」「ブー!」「では、誰?」「松島菜々子」「そうかなあ?」「いっそのこと男も女も韓国のスターではどうかな」「映画は今は韓国だよな、作品に熱気があるものな」
2004年08月21日
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いつものことであるが、忙しくて映画を見る時間がなかなか取れない。「父と暮せば」をまだ見ていない。「69」は本日までだ。これは本日、必ず行こう。「モナリザ・スマイル」もまだだ。大好きなジュリア・ロバーツ主演にもかかわらず、まだ見ていない。 「サンダーバード」も見たい。「スイミング・プール」も21日から公開される。以前は夏には再映館では「納涼特集・怪談3本立て」などがあって、ドラキュラとお岩さんなど邦洋とりまぜた番組があったが、最近はないなあ。そういえば、映画の世界から消えた風物がたくさんある。
2004年08月20日
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59年前のこの日、日本人は何を感じていたのだろうか?米軍の機銃掃射、空襲、艦砲射撃の心配もなく過ごすことのできる日々に安堵していたと思う。さて、その後の日本を考えてみよう。太平洋戦争が終っても、日本人を最も多く殺傷した軍隊はアメリカ軍ではなかったろうか。戦後、東西冷戦の中で我々はソ連を、現在では北朝鮮をそれぞれ敵国としてマインド・コントロールされてきた。北朝鮮の拉致事件もあるが、平時において同盟国の顔をして多くの日本人を殺傷したアメリカのことを忘れてはいけない。それに対しては日本の警察も充分に手が出せない状況なのである。今回の沖縄の米軍ヘリ墜落事故を見てもそのことはよく判る。それでも私を含めて多くの日本人は、アメリカに対して批判はしても憎悪を抱いているわけではない。映画、音楽、ファッションなど多くのアメリカ文化に親しんでいる。それでいいと思う。だから、私は北朝鮮に対しても憎悪を抱くつもりはない。冷戦下のソ連、フセイン政権下のイラクに対しても同様であった。北朝鮮がどんな映画を製作しているのか、是非、見たいと思っている。いろんな国の映画を見よう。ひとつの映画から、その国に親近感を抱くこともある。それは政治体制、政治思想、そして政府間の国交を超える。優れた一本の映画は100人の外交官に匹敵、いやそれ以上の力があると思う。
2004年08月19日
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久し振りに映画の話を書こう。先日、「スパイダーマン2」を見た。7月10日から上映しており、約1ケ月経過して見たわけであるが、興行のピークは過ぎているのでお盆休みであっても観客は少ない。この映画の魅力は、スパイダーマンの飛翔シーンである。これは非常に快感である。そして、コンプレックスと悩みに苦悩する青年像もいい。今回もまた「大いなる力には大いなる責任がついている。」というテーマが語られる。これは現在の自国へのメッセージであろう。今回は劇中ではスパイダーマンのすべての関係者に、正体を明かしてしまった。次の「3」では、この点をどのように活かしていくのか、期待である。
2004年08月18日
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一体、新聞はどうなってしまったのか?一般紙もスポーツ新聞になったのか、それともIOCの大会速報機関紙になったのか、それとも選手の後援会報か?柔道の金メダルは偉業であろうが、それは「原発事故」や「沖縄の米軍ヘリ墜落事故のその後」、あるいは「イラク国民会議開催」を隅っこに押しのけてまで報道するほどに重要なことなのか。シドニー大会でも感じたが、今回もまた一般紙のオリンピック報道偏重には異常さを感じる。あまりにもバランス感覚を欠く紙面づくりといわざるをえない。それに記事内容も「日頃の鍛錬」、「師弟愛」、「夫婦愛」、「友情」を過剰なまでに情緒たっぷりに書き立てている。読んでいる方が恥ずかしい。もう、うんざりなのである。こういうワイドショー的記事によって何が我々の眼から隠蔽されているのか。
2004年08月17日
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昨日は「終戦記念日」であった。我々は「終戦」とはいうが、「敗戦」と言うことは少ない。「終戦」も「敗戦」も戦争の終わりを意味するが、この両者には大きな差がある。「終戦」とは、まるで「台風が去っていくのと同じ自然現象」のような捉え方であるが、「敗戦」には「何故、負けたのか、その責任は、戦争をしたことは正しかったのか」という総括が求められる。「終戦」という言葉に親しみを持つ限り、あの戦争に対する責任は問われないままであろう。それは国内に対しても国外に対しても。「君が代」、「日の丸」、「靖国神社」は、あの戦争を支えたイデオロギーである。それが敗戦後もこうして健在であり、法的に国歌・国旗として制定されていることに私は非常な違和感を持っている。総理大臣や閣僚が靖国神社を参拝することも、これは非常におかしいと思うし、先の戦争で被害にあった国の立場からみれば、抗議するのは当然であると思う。「日の丸」、「君が代」を撤廃し新たな国旗・国歌を制定し、「靖国神社」に代わる慰霊施設ができて、初めて我々はあの戦争を反省したと言えるのではないか。また、これは当然のことであるが、憲法9条の改正などやってはいけないことである。
2004年08月16日
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「スポーツに政治を持ち込むな」という意見がある。これは「スポーツは所定のルールによって行われるものであり、政治思想によってそれを変えてはいけない」という意味であろう。「オリンピックなどのスポーツ大会の開催や成果」を政治的に利用することは、ありうることだと思うし、それは決して悪いことばかりではない。しかし、スポーツの政治利用によって、スポーツをもとに国民ひとりひとりの意思を国家意思に統合したり、社会的な問題から目をそらすことは起きうる。それに対しては、我々一人一人の思考力、判断力、監視力が大事である。オリンピックの金メダル獲得のニュースによって原発事故、拉致問題、米軍ヘリ墜落事故などの続報が隠蔽されることは充分にありうることだと認識しておこう。-------------------------------------------------「全国戦没者追悼式」で、小泉総理大臣は「過去を謙虚に振り返り、不戦の誓いを堅持します」と式辞を述べたとのことであるが、言っていることとやっていることがまったくちぐはぐ。過去を謙虚に振り返ると、どうして靖国神社に参拝できるのか。それと様々な政策も!このような態度での式辞は死者に対して失礼であろう。
2004年08月15日
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トリュフォー映画祭の宣伝活動も後半に入り、いろんな作業が発生している。9月18日から10月11日までの時間割をハンディなペーパーに作ること。折りたたんで、手帳や定期券入れに入るようなものがいい。こういう細かい点にも工夫が必要。また半券でサービスをしてくれる店にも、半券の種類やお客の対応なども含めた簡単なマニュアルが必要。これはレジのところにおいて、すぐにわかるもの。映画本体のことではないが、その周辺にいろいろと工夫したり、作成したりするものも多い。来週はプレスリリースも行う。---------------------------------------------久し振りにシネコンへ映画を見に行く。見た映画は「スパイダーマン2」。この作品は、もうこの時期になると土曜日の午後とはいえ、すいている。「父と暮らせば」は時間が合わない。シネコンでは、「エルビス・オン・ステージ」や「ゴッド・ファーザー」がリバイバル公開されるが、時期がトリュフォー映画祭と重なる。客層も重なるのでこれは手強い。
2004年08月14日
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オリンピックが始まります。IOCによって記録映画が製作されることが規定されていると思いますが、いつの頃からかオリンピックの記録映画が公開されることがなくなりました。「東京オリンピック」と「白い恋人たち」は非常に優れた作品だと思います。どちらも作家の才気がほとばしっています。ギリシアには優れた映画作家が多いので、是非、素晴らしい記録映画を生み出して欲しいと思います。もし、テオ・アンゲロプロスなら、どんな作品になるだろうかと期待してしまいます。但し、私はオリンピック自体には全く興味がありませんので、番組は一切見ないと思います。
2004年08月13日
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「白いカラス」を見た。白い肌に生まれた黒人が人種を偽って生きていくという設定であり、その背景にはアメリカにおける苛酷な人種差別がある。ここのところを理解できなければ、この映画は説得力がなくなるであろうが、映画は普遍的な語り口・演出である。個人が過去や出自を偽って生きるということは大変なことであるが、現在の日本でドラマになりうるほどの「偽装しなくてはならないほどの個人の過去や実態」とは何だろうか?現在、再びドラマ化されている「人間の証明」(森村誠一原作)はある人物が過去を偽ることによって生じた殺人事件が描かれている。私自身は、この小説や映画を軽く見ていたが、この作品が問い掛けるものは非常に大きく、同時に時代を論じる素材になりうると思う。「人間の証明」については、原作と最初の映画化(角川映画)では、終戦直後の混乱期にその背景を求めていたが、今回は60年代末から70年代初頭にかけての学生運動の時期である。将来、再びこの小説が映画やテレビ化される場合は、背景をどのような事件にもっていくのだろうか。ひとりひとり隠したい過去は必ずあるだろう。その重みは個人によって大きく変わってくる。しかし、映画やテレビのように大勢の人を対象にする場合はその重みが、共通に認識できるものであるべきだ。そういう要因が、今の日本では何であろうかと「白いカラス」を見終わって、そして「人間の証明」を思いながら考えてみた。
2004年08月12日
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またも温泉疑惑。要するに温泉とは言えないものを温泉と偽っていたわけだ。でも考えてみれば、温泉疑惑など、これは無邪気なものである。「議員としての資質のない人々が、議員としてわが国を運営している事実」の方がはるかに深刻である。その議員は選挙民によって選ばれたことが、このことをより深刻な問題にしている。「議員もいろいろ」なのであろうが、「いろいろ」がひどすぎると思う。せめて日本国憲法をきちんと解読できて欲しいぞ!---------------------------------------------------本日は開設180日目でした。
2004年08月11日
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現在、当地では「父と暮らせば」(黒木和雄監督)が公開中。昨日(9日)は、主演の宮沢りえ、原田芳雄、監督の黒木和雄の舞台挨拶があった。私は、そのことを知ってその回のチケットを購入したのであるが、マスコミとの打ち合わせが入って、そのチケットは知人にシフト。原爆投下時刻の11時2分。ちょうど、商店街の事務局との打ち合わせ中で、今年は黙祷はしなかった。いずれも「トリュフォー映画祭」の宣伝の為である。このところ、宣伝活動の後半になっていろんな事項が発生して忙殺気味。いつの間にか「モナリザ・スマイル」が公開されているではないか。「マッハ!!!」は見ることが出来るであろうか。
2004年08月10日
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もうかなり前のことであるが、中曽根首相は原爆症で入院中の被爆者を訪問して「病は気から」と言った。要は元気を出して欲しいと言うつもりであったのだろうが、この人々が何故入院生活を送らざるをえないのか、全く理解できていない。所詮はこの程度の認識か。6日の広島、9日の長崎でのそれぞれ平和祈念式で現首相は「平和憲法を順守し、非核三原則を堅持する」と述べた。これは非常に判り難い、白々しい挨拶である。まず「平和憲法を順守する」とあるが、それなら9条をはじめとした改憲の動きなどするなと言いたいし、そもそも憲法違反が明らかであるような「自衛隊のイラク派兵」、「多国籍軍への参加」は一体何なのだ。それに「非核三原則」がもはや守られていないことは明らかではないか。幾多の犠牲者への追悼の場での、このような虚飾に満ちた挨拶は死者に対して失礼ではないか。
2004年08月09日
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映画を見ていて非常に引き込まれ、印象に残るのはクライマックスシーンのように強烈な印象を与えるべく演出されたシーンばかりではない。日常の何気ない場面、食事をする、町を歩く、買い物をする、部屋でくつろぐといったシーンが非常に心地よく、印象に残ることが多い。ドラマティックなシーンは、それら日常の営みが破られたところにあるといえよう。それゆえ、日常の何気ないひとときがいかに大事であるかということである。59年前の8月5日の広島、8日の長崎では、そうした何気ない日常の最後の日であった。現在、広島、長崎、東京で公開中の「父と暮らせば」の黒木和雄監督の88年の作品「TOMORROW 明日」は、そうした日々の営みが、いかに貴重なものであるかを静謐な雰囲気の中で描いた傑作である。
2004年08月08日
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昨日の日記へのご意見をありがとうございました。明彦さん(ゲストの常連投稿者・感謝です)の書き込みにありました「トゥルー・ライズ」もまた、私には不快な映画です。全体的には仕掛けも派手でスピーディーな展開や007のパロディ的な部分は非常に面白いと思うのですが、あの「きのこ雲を背景のキス・シーン」には激怒。核爆発を描いた作品はいくつかありますが、アメリカ人は核爆発とは、「ちょっと大きめの爆発」程度にしか考えていないのではないかと思います。実際に核の被害にあっていない国民なので、仕方がないのかとは思いますが、自国が所有している核兵器が一旦使用されたら、どのような被害をもたらすのかは、きちんと認識していただきたいものです。但し、これは映画人より政府側の責任でしょう。(現実にはアメリカにも多数の被爆者がいるのであるが)しかし、被爆国である日本人自体が、核兵器の被害について認識が薄れてきているのではないかと思います。いろんな理屈をつけて核兵器所有を正当化し、わが国が核兵器を持つことも可能などと発言する人は多いのですが、そういう方々には広島・長崎の原爆資料館を見ていただきたい。
2004年08月07日
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私は、これまで実に数多くの出来の悪い映画、下品な映画を見てきたが、それらについてもどこか好感を持っている。しかし、どうしてもそのような感情を持てない映画がある。代表例をあげると「ディープ・インパクト」と「アルマゲドン」。どちらも隕石が地球に衝突するという映画。2作品共に見たが、映画の出来とは関係なく、これらの映画に非常に嫌悪感を持っている。両作品共に隕石は核兵器によって破壊され、地球は救われるのであるが、そのような安易な核兵器の使用、その結果が何の疑問もなくハッピーエンドであるという結末。それをメロドラマタッチで糊塗した演出に対しては非常な不快感を持っている。これらの映画が娯楽映画としてある程度の評価ができることは承知の上であるが、被爆地に住む私としては、「核兵器を何の疑問もなく人類の救世主として描くような映画」には嫌悪感を抱かざるを得ないのである。もちろん、これは私の意見であり、これらの映画を大好きで感動された方もおられることは当然と思います。
2004年08月06日
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周囲を麦畑に覆われた寒村に住む10歳の少年。彼があるとき廃屋のそばの穴の中につながれている少年を発見する。恐ろしい秘密めいた予感によって家族にも言えないままであるが、やがて、その囚われた少年と関係ある秘密が、自分の家族が巻き込まれていることに気付く。そして、その少年を自力で助け出そうとするが・・・・。ともすれば、陰惨に救いのない物語になりがちであるが、それを救っているのが、「回想の視点」であることと限りなく広がる郷愁に満ちた麦畑の風景。これが実に素晴らしい。「ミツバチのささやき」のあの鉄道線路と平原にも匹敵する素晴らしい風景に満足。
2004年08月05日
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7月31日の日記に対してのコメントをありがとうございます。映画と演劇の比較論のようになっていますが、どちらがより優れているか、インパクトがあるかという比較よりも、私としては映画に対して新しい考察の視点を見いだせそうです。映画とは何か?私は何故、映画が好きなのか?これはずっとつきまとう謎です。
2004年08月04日
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映画好きの間でよく話題になることのひとつに「ルパン3世」を実写にしたら、どんなキャスティングになるかということがあります。以下は私の案です。みなさんはいかがでしょうか?ルパン3世 中村勘九郎次元大介 トニー・レオン石川五エ門 田村正和峰不二子 鞏俐銭形幸一 丹波哲郎ぼくの案は「ルパン3世」ファンからみるととんでもない案かも知れません。
2004年08月03日
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アネマジロさんから次の書き込みがあった。真の映画ファンでないかぎり 「どれだけ得か?」みたいな所があるような気がします。確かにそうだ。この「トリュフォー映画祭」では、全部で13の商店や会社から協力をいただき、半券での割引サービスや入場者へ抽選でのプレゼントがある。一例として、チケットは8枚セット、5枚セット、ペア、シングルと種類も多く、8枚セットと5枚セットではそれぞれの枚数のコーヒー券をつけてくれている店もある。また、半券で全商品1割引というサービスのお店もある。全部のサービス紹介は省略するが、内容も多様である。それらのサービス内容はチラシの中に写真入りで紹介しており、店の宣伝にもなっており、映画館の入場者がその店のお客様になるような動きができないかと期待している。何よりもこういうサービスで固定的な観客からもっと観客の幅を広げたいのである。熱心なトリュフォー・ファンや映画ファンは特に宣伝しなくても見に来てくれるが、それだけでは不十分で、もっと観客層を拡大にしたいのである。映画を一部のマニアやファンだけのものから、もっと多くの人に見てもらえる仕組みや風土ができないか、それが大事だと思う。
2004年08月02日
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フランソワ・トリュフォー映画祭のチラシとポスターをおいてくれる店を求めて歩き回っている。映画の客層を考えて、店も選ぶ必要があり、歩くわりには数は稼げない。普通、映画のチラシはB5サイズが多いのであるが、今回の「トリュフォー映画祭」のチラシは折りたたみ式で手帳にはさめる大きさに工夫したオリジナルなもの。小さいので、店にも置いてもらいやすいのである。しかし、ある店で、「いろんなチラシを置いても、お客はなかなか貰っていかないのですよ」と言われた。そうかも知れない。確かに、チラシがなかなか減っていない店が多い。そこでポスターも同時に掲示してもらい、「ポスターを見る」→興味を持つ→「チラシを取ってもらう」という動きを期待。この後に「チケットを買ってもらう」というアクションにつなげたいことは当然である。チラシ配りは、単純な作業なようで、いろいろと工夫の余地はある。さあ、明日もまた!
2004年08月01日
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