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4月30日 曇り・小雨 1日中外で体を動かし、その後の夜勤をした後なので とっても疲れて眠い。 なのに強風に吹かれてエミューの境界線の扉が開き、 エミュー同士が混じっていたり、 寝ていたら近所の方に起こされて、 寝ぼけながら近所の廃材をみにいったりなど 体を休めるまでにしばし時間がかかった。 ようやく昼寝ができ、午後からは GWなのでとり急ぎ、餌販売の準備をし、 そして近所の廃材を見に行き、 トタン等を大量に運んできた。 夕方、U子殿親子が一の橋を訪問。ニントモカントモ。 PS…明日朝7時半より「遠くへ行きたい」で 興部町&エミュー牧場オンエアー予定。ニンニン。
2005.04.30
4月29日 時々雨 昨晩は、弟に髪の毛を切って欲しいと言うので、 弟の散髪を久々におこなった。 ちなみに拙者はよく自分の頭を鏡も使わず そこらへんのハサミと整える用としてカミソリだけで いつも散髪してしまう。 伸びきってしまった弟の髪をはさみで切り 仕上げをバリカンで行う。 弟は前髪をザビエルカットに、 そして横後ろをエミューカットにと要望し、 要望どおりに仕上げてあげた。 翌朝、朝からイサホ氏と西興部村へ出発。 師匠の薪運びを手伝い、その後食事をした。 手作りらっきょは店にあるものと違い、美味しい。 食事後、少し休憩してから 山へ行って山菜(ギョウジャニンニク)をとりにでかけた。 まだまだ雪が多くて山菜も少なくまだ小さい。 どんどん上へいき、ほとんど山登り状態。 つかむ枝がないと届かないし、 採ろうものなら落ちそうになる。 実際枝をつかんでもそれが折れて落ちそうになるわけだが。 実際、採りながらのぼっていてそのまま足がすべって とうとう下まですべり落ちたこともある。 でもそこそことることができた。 今日は風も強く、雨も降っている。 そして一の橋へ戻ってきて山菜の手入れして夜勤へ・・・!! ニントモカントモ。
2005.04.29
4月28日 曇り時々雨 昨日は夜勤に行く途中で町内のEさんの家へおじゃました。 拙者はかつてEさんと交流している際に、 Eさんのお父さんとひょんなことから親しくなり Eさんご家族と交流していたのだが、 この冬、突然Eさんの父が亡くなってしまった。 町内の自然にも詳しく生活力あふれた面白いおじさんだったのだが もう彼と話をすることが出来ない。 それを知ったときはショックだった・・・ 今回はEさんのお父さんへ線香をあげたいという気持ちがあった。 夕食をごちそうになり、久々に交流した。 そして時間になりその日夜勤へとむかった。 翌朝夜勤から帰り・・・昼。 昼は、さっそく木を移植するための穴を遊牧村で掘った。 穴の中には根っこやら誰かが埋めたごみもあったりで そうやすやすとはほれない。 2箇所ほりおこしたが雨が降り始めてそこでやめた。 においや空気に色を感じる。 ひょっとすると砂が飛んできたのかも? いよいよ春である。ニンニン。
2005.04.28
4月27日 朝、小田原さんと遊牧村をみにいった。 そしてオンコの木の移植場所を検討してみた。 昼…弟の信金の通帳を作るために 弟と信金へ。さらについでに農協に餌代払ってきた。 それから弟の買い物につきあって 一の橋へ戻ってきたが…天候は崩れてしまい 雨が降り始めてしまった。なんてこったい。 いよいよGWシーズンである。 拙者の恋愛についてときより問われるので 自分の理想論を書くとすると、 拙者が目指している暮らしは・・・ 金を稼ぐための仕事に追われる暮らしではなく、 その土地に根付き、 家族との時間を大事に出来る暮らしを目指している。 その結論が牧場であり、半自給自足なのだが、 家族との時間はあっても、 もちろん家族団らんで、のほほんと暮らせるわけではない。 日々の暮らしに終われ、自然の中で生きるために必死だろう。 でも家族が助け合って日々生きていける暮らしは たとえ苦しい生活でも、満足感があるに違いない。 本当の家族の幸せがそこにあるんだと思う。 家族が一体となって苦労できる暮らし。 そんな暮らしを共有できる相手を求めているのでござった。 ニンニン。
2005.04.27
4月26日 今日は狂犬病の予防注射の日で 役場と医師が地域別の移動しており その場へアシリを連れて行った。 イサホ氏はノンノ、弟はシャイアンを連れ歩いた。 注射を終えてアシリと帰り、 それから午後、いろいろ事務確認した後 一の橋の小田原さんの家へとむかった。 牧場及び遊牧村周辺の整地をイサホ氏と計画のため、 動く前に小田原さんの意見や提案を聞きに行ったのだ。 ユンボのことなどや整地の内容など。 それと、雪でだめになりそうなオンコの木を 遊牧村に移動したいのでこれも話し合った。 明日、遊牧村現地を小田原さんと見る予定。 中学から授業の相談あり、来月授業をやる予定。 ニントモカントモ。
2005.04.26
4月25日 曇り時々雨 少し気温もあがってきたようだ。 弟が旅から帰ってきた。 森の時計にも行ってきたらしい。 もうすぐ春である。 整地にユンボを借りたいのだが どなたか貸し出ししているだろうか。 弟マー君の信金通帳を作る必要が出てきた。 午後、本人が書く必要があるため 弟と信金へむかうが、 なんてこったい。弟は印鑑を忘れてきたらしい。 しかたがないので町を寄った後、一の橋へ戻ってきた。 書類はもらってきたのであらかじめ記入しておけば 弟が同行しなくても大丈夫のようだ。 万里長城祭が迫るが、今年は時期が早いこともあり 雛が間に合わない可能性がでてきた。 ここしばらくは、いろんな人と会って交流を深めてきた。 小峰ハウスに訪れた方との出会いも多かった。 でもいろんな出会いを繰り返した跡に ぽつんとひとりの時間があると、 少々寂しさも感じる。 そして最近、結婚した友人のとても幸せな姿もみた。 ひとに会うたんびに いい結婚相手をみつけろとせがまれるが 拙者はいまだにみつからずでござる。 夢についてはまっずぐ貫くものがあるが 恋に関しては、ぜんぜん不透明でござる。 価値観を共有できる相手を求めている。 たまにそういう方が現れなくもない。 実際、女性に共感や興味を抱いたりしたことはある。 しかし、拙者は価値観だけでなく お互いの活動の場を「一の橋」に求めているので そこまで到達する相手はなかなかいない。 だれかどこかでいないものかなぁ~ 自分の生き方をここで貫いていく先に 現れることを信じているのであった。 シャイアンが鹿の群れを追いかけていた。ニンニン。
2005.04.25
4月24日 晴れ だいぶ雪も溶けてきた。 あたりには鹿の群れが目立つ。 近所のおじいさんがだいぶ体を悪くしているらしい。 Y川さんが、ビニールハウスを解体していた。 雛の孵化に備えて孵化室を掃除した。 雛の孵化は万里長城には間に合わないかも?? かつて間に合わなくてイベントのために 数十万円自己負担して雛を輸入し イベントを決行したこともあったが、 さすがにそうもいかないので 今年は見合わせるしかないか? 来週早々に決断予定。ニンニン。
2005.04.24
4月23日 晴れ朝、一の橋からバスで熊と旅するひとは稚内へ旅立った。当たり一面雪に覆われていた。飼育作業をしてから休んだ。午後には当たり一面の雪は溶け始めていた。卵を検査したり抱卵を追加した。それから少し打ち合わせをしてから夜勤へとむかったのだった。ニンニン。
2005.04.23
4月22日 雪昨日からずっと雪が…。朝、弟・マー君は旅に出た。富良野の方へ一人旅に行ったようだ。アシリは鎖が外れており、しょうがないから一緒にそのまま寝た。朝食を食べて、UTA子さんと犬やエミューの飼育作業開始。UTA子さんには作業服をかした。そのとき、カメラとかばんを持ち出した。かばんの中には熊さんがいるという。なんとUTA子さんの手作りだというから凄い。なるほど!!熊と一緒に旅している女の子…!!その手作りの熊をモデルにして旅先で写真を撮っているようだ。飼育が終わり、昼飯がてらお勧めレストラン・モレーナへ。ついでに注文いただいていたエミュー肉も持参。カレーを食べた。珍しい飲み物をくださった。中国の友人の友人のCDをここでかけてもらって聴きながら食事した。そしてUTA子さんの両親は天然酵母のパン屋をやりたいらしいので、すでにやっている友人の天然酵母のパン屋に連れて行ってあげた。それからじつは、拙者が図書館で購入&貸し出し希望していた「山古志村のマリと三匹の子犬」という絵本が入ったというのでさっそく借りに行った。絵本・・・大地震の災害の中、産んだ子犬を守り抜いた母犬の物語だが、拙者が1番感動したのは、地震で離れ離れになった子犬を繋がれた鎖をはずして守ろうとし、その後傷だらけで子犬を無事安全な場所へ移動すると、子犬をおいて家のタンスの下敷きになったおじいちゃんを必死で励ましたシーンである。そのついでにS子さんよりキッズスクールの打ち合わせを行なった。S子さんは地域で活動する友達でもあるし、地域の子供の生涯学習には拙者もぜひ協力したい。そして熊さんもいることなので、UTA子さんと万里長城にも立ち寄った。少し歩いていたがまだまだ雪が積もっている。しかも降っている雪が激しくなってきた。びしょびしょになった。それから五味温泉で入浴後、町で手延べうどんを食べに行き、再びモレーナに預けている物をとりにいき、そして一の橋へかえった。今日は1日中雪がふっていた。そして拙者は夜勤へとむかったのでござる。ニンニン。
2005.04.22
4月21日 雪雪が降り、そして積もった。昼からかつて一の橋に在住していた親友が旅先で出会った女の子が、エミューや拙者たちのことを聞いて訪れ、拙者の家に滞在。親友からは熊と旅をしている女の子が行くかもしれないとのことで…金太郎?と思った。その旅の子、UTA子さんと合流。実家は長野だが東京在住で、東京から南に行き、南から北上しているらしい。退職後、障害者が描いた絵をみたのがきっかけで福祉作業所のようなところを回りながら旅をしているようだ。ちょうど木曜は拙者も夜勤がなく、沖縄カップル・ひろ&のんさんを誘っていた。そんで夕食の話をしたら、ちょうど月曜日の企画の試作を作っていると言うので拙者の家で試食をやろうという話しになり沖縄料理を作ってくれた。美味しかった♪いろんな雑談で笑いながら話した。弟・マー君も一緒である。それと拙者のカラオケステレオや一の橋で手にいれた昔の音楽番組のカセットテープをなにげにきいて昔にタイムスリップした気分。案外、お宝かもしれない。ひろ&のんさんの犬が行方をくらまし探しに行ったら案の定、ノンノやアシリのもとに。真夜中になり、おふたりは帰った。同時にイサホ氏が帰宅。今後のプロジェクトの方向性を確認。そして、お泊りのUTA子さんとイサホ氏と少し話をしてから寝た。ニンニン。
2005.04.21
4月20日 曇り早いものでもう4月下旬。夜勤が終わり、パンを買って一の橋へ戻った。そして小峰B&B滞在のおふたりと交流。おふたりは…元TVリポーターと元カメラマンである。話の後で、エミューの飼育作業&犬の世話を開始。弟が自分も教えたいというので弟が飼育指導する事を指導してみた。ひとりでやるときとは違う。まわりへの気配りが重要になって来る。犬の世話の後、アシリをつれて小峰ハウスへ。そして出発の準備をして昼飯をモレーナに食べに行った。アシリは動物のにおいが沢山するのか!?興奮しておしっこをしてしまい、ママさんに拭く道具をだしてもらい、拭いた。下川町内・モレーナの本格派カレーはかなりのお勧めでとても美味しい。客が来ると拙者はよく一緒にここに食べに来る。かなりくつろいでしまった。その後牧場に戻り記念写真を撮って、B&Bに来た友人は興部へとむかった。今回の友人は会う前から興味や話題が良くあうのだがいろいろ世の中や暮らしについて語り合った。お勧めで興部のノースプレインファームを紹介したのだ。それから拙者は寝不足の疲れをとるべく2時間ほど寝てそして牧場事務所に戻って連絡事項を確認後、夜勤へと向かったのだった。明日も別のB&B客予定。ちなみに弟、はしゃぎすぎ。ニンニン。
2005.04.20
4月19日 晴れ数日振りの一の橋でござる。夜勤から戻ってきた。エミューたちも元気だ。家の煙突も無事直っており弟も元気そうだ。たまりにたまったメールも確認。昼寝してからB&B客の準備。そして本州のほうから連絡のやりとりをしていた知人とその札幌在住の友人のおふたりが小峰ハウスへ到着。牧場のまわりの様子がてらアシリもつれながら散歩しつつ、小峰ハウスへ移動。そして、お話をして、夕方になってエミュー肉をきってみんなでエミュー肉の焼肉を食す。なんたって今回、訪れた方は昨年からのブログつながりなのだが、メールでやりとりしてみると偶然にも札幌で知人の店にエミュー肉を食べにきておりだがしかし在庫がなく食べれなかった方だったのだ。『エミュー肉』で偶然つながっていた。料理の準備をしていたらいつのまにかアシリがうんこをしていた。アシリはぜんぜん違うほうを向いてとぼけていた。片付けていると機嫌をとりにきていた。肉を食べ、温泉へとむかった。拙者は夜勤だが、みんなは温泉に入浴後小峰ハウスへと帰って行った。ニンニン。
2005.04.19
4月18日 朝、ゆっくり起きて出発の準備。すると実家の電話にメールが届いた。あらかじめこっちの連絡先を教えていた内閣府座談会で知り合ったチャイナサロンを行なっている中国人である友人Uさんからだった。ちょうど帰るところだったのでもう帰るよと慌てて電話し、帰る前にランチがてら会おうということになり急いで拙者も家を出た。そして渋谷のハチ公前で待ち合わせて食事をしながらお話をした。拙者は黒豚カツどんを食べた。なんと、すっごく美味しかった。あっというまに1時間がすぎた。Uさんの友人が中国で出している民族楽器の音楽CDをくれた。民族楽器の音色は聞くだけで感動する。拙者も好きなのでこれは嬉しい。ちょうどUさんも昼休みが終わって職場に戻っていったのだが拙者もそういえば空港に行かねばならずかなり時間がやばいことになっていた。羽田についたら搭乗手続き終了時間になっており慌てて受付に渡すと、びっくりして搭乗口のほうに連絡確認し急いで手配をして誘導してくれた。そして拙者は搭乗口へと走った。ぎりぎりセーフでござる。ぎりぎりだったので飛行機の一番後ろの席になり、ある意味、最初にドリンクももらえるしトイレもドリンクのある場所もすぐ後ろでラッキーだ。ドリンク6、7杯ぐらい飲んだでござる。旭川空港についてから下川へ・・・。そのまま夜勤の仕事につくので、町に寄ってラーメン食べようとしたら店があいてなくてそのままアポロ(喫茶店)へ。ついでにお店の子供が高校入学したので祝いも持っていった。するとAETのG氏がいて昨年出来なかったが、今回は中学でモンゴル講座を設けようという話になりモンゴルのVTR公開授業とゲル設置授業の計画をたてた。そして拙者は夜勤へとむかったのでござった。こうして再びもとの生活へ。ニンニン。あ、戻る道中、下川周辺で鹿の群れを3度もみた。鹿があちこちにいたでござる。運転には注意でござる。ニンニン。
2005.04.18
4月17日朝から急いで礼服に着替えてさっそくでかけた。本日は今回の帰郷の最大の目的である友人S氏の結婚披露宴である。S氏は地域通貨でつながり、渋谷と一の橋を拠点としながら交流をしてきた地域活動仲間でもあるのだ。ちなみにS氏の奥さんの職場がなんとアロマテラピーで偶然、下川の自然療法と繋がっているのだった。下川つながりの夫婦でもあるのだ。台場まで足を運んだ。イサホ氏もやってきた。都市農村交流のひとたちもいた。会場では奥さんの妹さんが素晴らしい映像でふたりの出会いや結婚式の様子を紹介。S氏のあんなにでれでれしてそれでいてあふれるばかりの幸せな笑顔はみたことがない。そして奥さんも同様に幸せそうなのだ。こっちまで幸せな気分になってしまう。S氏らしい披露宴進行で、料理もお礼の品も産地直送品ばかり。この中には拙者のもあるのだが。S氏の初デートもS氏らしい。草刈だったらしい。耕すときも収穫のときも誘ったけどだめで、草刈にまで誘ったらしくそれが初デートとなったとか。両方の両親も非常に良い方達。S新婚夫妻、末永く幸せに・・・そしてこれからもまたよろしくでござる。最後はお礼の品を物産展方式で選んでもらうという楽しい催しつき。イサホ氏と拙者もエミューグッズや下川グッズを紹介。エミューグッズは拙者の描いた漫画・羽のアクセサリー・エミューオイルのリップクリームから選んでもらったが、漫画がダントツの人気。そしてリップ、羽の順だった。その晩、さっそく実家に戻って産地野菜や肉を食した。ニントモカントモ。
2005.04.17
4月16日ついに訪れた実家のそばの伊勢原町2丁目自治会館でのもっと北の国から地域交流会の日。拙者を御支援していただいている方を中心に実家の川越(伊勢原・霞ヶ関周辺)の方を呼んでの歓迎交流会でござる。30名以上の方が小さな自治会館に集まってくださった。拙者の友人かられいさんの友人で近所にいる方、弟の同級生ママのHさん、ダンスの方々、先生、卓球サークルや民謡の方・・・そして親友ロジャー夫妻!!みんな集合だ。母やその友人が料理の準備を進めてくれた。父も体が悪いのに会場を一緒に準備してくれた。拙者も肉などの準備を進めた。11時を過ぎ、会場に人が集まり、そして父の進行のもと、交流会は始まった。最初に父が言いたい事を言いまくって、そして拙者が、下川、そして一の橋の地域の様子から現在の取り組みまで話し、エミューや遊牧村の説明をして、また同じ川越出身でエミューを始めたイサホ氏のことや出会いを簡単に話した。ほとんどの方が漫画を読んで下さっているので多くの説明はいらないかもしれないが。そしてエミューダンスをフルバージョンで演じてエミュースタイルのまま、一の橋の暮らしを雑談したあと、試食タイムにはいった。下川のトマトジュースはすでにお出しし、そして肉はその場で焼いて配り、卵の御菓子も食べてもらった。卵の殻などもみせながら特徴を説明。それから興部のチーズやケーキを出して、下川や興部、紋別などの特産品なども話し、地域交流を通じながらその中で物を流通させていく、コミュニティービジネス構想を話した。さっそくみんな興味を持っていただいて注文したいという声が殺到していた。それから質問タイムを通じながら親達が準備してくれた料理で食事会。あっというまに時間が過ぎた。とても充実した交流会であった。その後つかれてうとうとしてしまったがあわてて起き上がり外出。外はどしゃぶりだったが、そのままぬれて走りながら駅へむかった。今夜も新宿で、こんどはまた別の集まりと会うのだ。とても優しく家庭的で楽しい主婦やコミュニティービジネスのことまで語り合い実践している一家の主さんでメール友達である方とその仲間達と合流。交流を深めた。ちなみにエミューダンスも披露。美味しい料理も食べ、カラオケも楽しんだ。みんな個性的で面白い。そしてまたもや深夜に帰宅した。おもにメールや掲示板などで交流していた方々なのだがけっこう密に地域の事などを話したり実際にお互い物を送りあったりなど交流しておりぜひ会いたいと思っていた方々なので今回会って話せてよかったでござる。ニンニン。
2005.04.16
4月15日川越の朝。昼からイサホママ(れいさん)と、A子さん姉妹と実家の裏のパン屋さんで会って食事しながら会話をした。それからしばらくすると、実家の近所で弟の同級生だった子のお母さん・Hさんも来てくださり、その後話しですっかり意気投合。それから拙者はれいさんが帰る途中まで乗せてもらい、小江戸の商店街で降りて親の友人でありお知りありでもあるおばさんの展示会へと足を運んだ。見事な花の絵画が並ぶ。おばさんも歓迎してくださった。それからすぐにこんどは、エミューの羽を通じながら輪を広げた友人とその仲間たちに会いに新宿へ。みんな遅れまくりなうえに、誰もお店の場所を知らないという愉快な集まりだが集まったところでお店へむかった。金曜の夜なのでみんな大変なのに、自分の予定に合わせてわざわざ駆けつけてくれたのだ。なんていいひとたちの集まりなのだろう。拙者もエミューダンスでお礼した。帰りは共通の知人がいることから意気投合した友人とおなじ東武東上線なので帰ろうとしたらお互い埼京線で池袋を乗り越してしまい、そのまま川越までむかったのだった。彼も国際交流をしたり、また農業にも関心が深くけっこう、電車ではまじめに語り合った。そして深夜に帰宅。ニンニン。
2005.04.15
4月14日 昨晩は、O塚先生がきたりなどあったが拙者は夜勤明けで準備をしていざ、旭川空港へ。町で矢内さんからエミューの卵の御菓子もGETして。空港から羽田へ。そしてそこから品川で友人と交流。このたびめでたく御結婚する友人だ!!地域活動をともに取り組む信頼できる友人だ。彼が祝いのお礼に配るエミューグッズを引き渡したのだ。それから親に早く帰ってこいとせかされているので実家のある川越へむかった。池袋で滞在中に沢山利用するので電車の回数券を買いたかったが、売り場には沢山の学生が並んでおり断念。夕方6時…ようやく実家へ帰郷。それから父母が開くダンス教室の生徒さんでもあり友人で16日の交流会に参加出来ないから会いたいという方がおり母(父が再婚した今の母です。)と、彼らと実家の近所に出来たうどん屋に食事にいって話をした。60~70代の方で非常に良いおじさんだ。そのうちのおひとりは、北海道の教育大の教授だった方だ。拙者の知り合いの教授と同じ大学だ。しかも名前が…これまた「博之」。もうひとりの方とこの方のコンビは絶妙で。全く性格が別で、ソフトとハードといったかんじ。話をするために誘ってくださるとは嬉しい限りだ。母とも深い信頼関係で結ばれているようだ。ちなみに生徒としておふたりは、父は厳しくて大変、でもその情熱に感動し、やめられないんだ。とも言っていた。親の話を他から聞くのは、子供として楽しく嬉しいものだ。親のことを知りたいのが子なのだから。ニントモカントモ。
2005.04.14
4月13日 雨 今日は雨だ!!飴ではない。 イサホ氏は昨晩帰宅。彼にとっては帰宅直後になるが、 早朝からテレビマンユニオンさんが取材に!! 拙者も夜勤から戻ってから合流・・・!! 取材の番組は「遠くへ行こう!!」 話は・・・永島敏行さんが北海道を旅する話だ。 永島さんは知人である。 なんと偶然にも再会を果たすことになる。 再会シーンを撮るまで永島さんもこちらには顔をださない。 撮影されつつ、」永島さんとの感動の再会である。 その後連絡は何度かとってはいるものの、 会うのは6年ぶりで、積もる話でいっぱいだ。 正直、拙者のほうは撮影そっちのけで 永島さんと再会したことで頭はいっぱいである。 イサホ氏、永島さん、拙者で広くなった牧場を歩きながら談話。 その後、カメラマンがエミューたちを撮影している間、 永島さんと今後のお互いの活動で盛り上がる。 もともと永島さんは食べ物を作る重要性を訴えている方で 生産者と消費者をつなげることに一生懸命だ。 彼の活動とエミューでの今後の活動をいろいろ話し合った。 ということで・・・取材よりほとんど 永島さんとの再会と話。 今後、お互いを活かして取り組むことを楽しみにしながら 再び、永島さんは旅立った。 じつのところ、今回の番組、興部の生産者がメインである。 よって我々は直接は関係ないのだが、 興部との交流があることがきっかけで、 なおかつ、永島さんと知り合いということで おまけなのだ。 でも一応、エミューやイサホ氏、拙者が登場するし、 登場する興部の方は交流が深い人達が多いので 時間のある方はぜひ。 読売TV、日本テレビ、福岡TV、中京TVなどで 朝7時半~8時 「遠くへ行こう」でオンエアーでござる。 午後は、出発の準備。 町で結婚式で配られる羽のアクセサリーをGET。 (NAOTOY・山崎Hさん作) そして一の橋の子ども会の打ち合わせ。 それから、役場に知人の公営住宅保証人の取り消しの連絡。 そして、本人と話しをした。 正直、辛い。でも友人と保証人はわけが違う。 保証人は保証人として決断しなければいけないことがある。 ご本人も理解してくれたでござる・・・。 お互い辛いけど、 いろんなことを気づくきっかけになるし、 結果的にはよかったんだと信じているでござる。 こんどは弟が風呂場の煙突壊れたと騒いでいる。 雪でつぶれたのかな?事務所の風呂をやむをえず貸し、 修理を急いだほうがいいでござるなぁ~ニンニン。 明日からいろいろ用事あり。 14日→結婚する友人と東京で。 →夕方は親の友人と談話予定。 15日→川越のRさんの家へ。夜はエミューの羽交流会。 16日→川越市伊勢原町「もっと北の国から交流会」・夕方は東京で交流会。 17日→友人の結婚式 18日→帰還 でござる。ニントモカントモ。
2005.04.13
4月12日 晴れ 首は神経と関係があるのだろうか・・・。 今日は晴れた。 いよいよ出かける日も迫り、準備を進めている。 荷物の整理、事務所の片付け、 友人との打ち合わせ…。犬たちの寝床掃除。 明日、搬入をすませれば なんとかばっちり??なはず。 結婚式に出向くに当たり、ついでの用事(イベント)を 3つも予定つけたので大忙しとなった。 その他にも予定をつけているのでやばい? あとは、出かけてかえったらいろいろ進めよっと。ニンニン。
2005.04.12
4月11日 曇 拙者は町内及び一の橋に置いて何度となく移住相談や 受け入れをしてきた。 現在某氏が一の橋移住を希望したとき、 住宅を借りる際の保証人となった。 よほどのことがないかぎり一般常識があれば問題ないだろうから 本人を信用しての保証人である。 移住者を受け入れてあげたいという思いもある。 彼自身は根が人の良い性格なのだ。 ところが、移住後、借りたものを元の場所へ返さなかったり、 悪酔いをして本人は気づいていないのか?でも 周りからは実際は反感をかっていたり、 手伝ってもらったのはいいが、やり方が悪く あとで自分がやり直したり、破損箇所を直したり・・・ 本人の好意を尊重して自分の負担はあえて言わなかったり、 貸したものや気になることはそのつど本人に言いながら 信頼するようにしてきた・・・。 それでも、住宅を借りていながらまわりに迷惑が かかりそうな部分を気にしていたので 役場にアポをとって、事前に保証人は取り消せるのか確認し、 問題があったときには注意し、 それでも対応がいい加減であれば自分も考え直そうと思っていた。 しかしながら、家賃及びまわりでの支払いの未納や 破損箇所の報告滞納などが目立ち、 いよいよ考え直す必要があるのではと思ったりもする。 予定が詰まっていてあれこれしているというのに、 回りの危険や迷惑等を気にもせず、 煙突破損で改良したまま、 そのまま休んでいる・・・そして近所からの苦情も多く 役場も動いているが連絡がつかずに困っていた。 拙者は本人の安否の問題もあるので、 中の様子をみたほうがいいと判断し、 役場と住宅内にいるはずの彼の家の鍵をあけてもらって 呼び出してもらい、話してもらった。 本人いわく、安い家賃で住まわせてもらっているのに 故障や破損のたんびに役場に連絡するのは悪いと思ったから 自分で対処しようと思ったという・・・。 しかし普通、借家は理由はあれ、無断に改造することじたい 非常識である・・・。 自分が持ち主でない場合は、完全に元通りにするか、 もしくは自分でやろうとするならば、 持ち主(管理人)の許可をもらうのが 一般常識である・・・。 ましてや公営住宅であり公共のものなのだから 対処する前に連絡するのは当たり前だ・・・ それに煙突の破損なので 周りの安全面もあるので早急な対処も必要で 素人感覚で判断するのも対処後、 問題を起こす可能性もあるので 早急な報告と安全面の確認が必要不可欠である。 料金滞納(その後支払ったようだが)も 今回のことも、普通常識的にはありえない。 なぜなら保証人や近所のひと、持ち主に迷惑がかかるのが当然。 他人のことを気にしていないのか、気にしているのに対応しないのか・・・ 家を借りて住むとか、人と共同生活をするとか、という面では 考え方が根本的に問題があるような気がする・・・ 拙者は、なるべく人は信用したいので、 近所の人や役場のひとは、保証人を降りることを進めてくれたが、 もう1度意思確認や意見を聞き、それによって考え直したいと思う。 根はいいひとなので、自分で家を持って住めばいいんじゃないかと思う。 事務所やまわりを片付けていた。でかける準備も進めている。 時間があるのはもう明日だけとなった・・・首・肩がまだ完治していないが いろいろ早く進めないとなぁ~・・・ニンニン。
2005.04.11
4月10日 雪 昨日の日記、4月なのに8月と書いてしまいました。 気分は春を飛び越えて夏?雪が降っているのに。 夜勤明け、弟にエミューの飼育をやってもらいつつ 拙者は、犬たちのうんこの後始末。 大まかではあるけど、だいぶ片付けた。 それから宅急便で荷物の発送。 そして連絡事項まとめて、 こんどは興部の知人の訪問。少し話をした。 それから夕方まで休憩をとり、夜勤へ・・・!! 冷え込むと体の筋肉が硬直し、治りかけたはずの首が痛む。 13日はほとんど予定が詰まるので・・・ 11日、12日しか時間がない・・・。うーむ、スケジュールが・・・。 ニントモカントモ。
2005.04.10
8月9日 雪朝、雪が積もった。とはいえ日中の気温でどんどん溶けていったのだが。寝不足で眠い。昼寝した。午後からは、ちと仕事がたまりすぎていて、どんどん発送物の荷造りを進めていった。肉の配達もある。日が暮れてからT野さんとお連れのお客さんがエミューをみに来たが、すでにエミューはお休み。それでもチビたちが小屋から出てきて姿をみせてあげていた。夜勤前に夕食をと食べていたら、口からいやなにおいが全体に・・・うげぇ~・・・カメムシをかじってしまった。舌がひりひりする。吐き出した。拙者のホームページのTOPページのカウントは平均80ぐらい・・・実際は日記のページで見る方など多彩なので回覧数は特定でできないが、多い時はカウント数が150を超えていた。常連さんが増えてきている気もするし有難い。夜、外で冷えて肩に力が入った瞬間、直ってきていた首に激痛が・・・。昨日から痛み止めをとめていたせいもあるのか?痛みが再び・・・!!ニントモカントモ。
2005.04.09
4月8日 やや雪 夜勤休みの明くる日なのだが・・・朝から夜勤先へ。 決算手当てなのだ。 とはいえ、案の定、 決算手当ての朝会の時刻ぎりぎりに到着したら その数分前に始まっておりすでに終わっていた。 理事長の挨拶のあと終わりにいただいたのでござった。 さて、その後とあるイベント企画のために ある場所へ行くと、たまたま、 拙者もコミュニティービジネスを 話し合っているHさんがおり、 Hさんと具体的な話をすることとなった。 それからその場所の用事も済ませて、 信金でお金を下ろして一の橋へ戻った。 すかさず準備をして、こんどは弟とともに役場へ。 役場で弟の障害者手帳をGET。 そして福祉施設ハピネスへむかった。 ハピネスで担当の若手職員さんと合流し、 名寄の福祉施設O学園へ見学にむかった。 するとそこの園長さんは拙者のことをご存知でござった。 園長さんと主任のMさんが同席し、 まず拙者や弟の意向を話し、 O学園の内容についてご説明いただいた。 さらに館内を見学し、職業訓練の場所や、 陶芸、織物、絵画、養鶏所などを見学。 あ、織物指導は、よくご存知の方が やっていたのでびっくり。 自分のやりたいことを相談しながら体験学習でき、 また職場訓練および働くことが出来るようである。 交通費、設備使用は手続きを随時踏んでいけば 結果的に支援されるのでかからないですむ。 弟の意向にあった施設であったため、 ここで体験していくことで考え、 さっそくまた下川の役場へいき、 こんどは施設に関する支援手続きを済ませた。 でも、ちょうど人事異動の時期とぶつかり 役場はかなり大変そうでござった。 その後、こんどは施設まで向かうための 交通費支援のための手続き書類をとりに 再びハピネスへむかった。 それから拙者は弟を町へおいて、 まず車の保険の支払いにでかけ、 その後、矢内さんにパンを買いにいったついでに お話などもしてきて、 そして寿で、弟と合流し、一の橋へと戻った。 しかし、頭がふらつきそうになるぐらい疲れた。 でももうすぐ夜勤の時間でござる。 あ、町内では高校入学祝いのお礼挨拶に 親子が訪問している姿が目に付く。 小さな子だった子がもう高校生なのもびっくりだが、 入学の日でにぎわっている時期なんだなぁと改めて痛感。 一の橋ではそんなことはないのだけど、 町ではけっこう挨拶などでみんな忙しいようだ。 ニントモカントモ。
2005.04.08
4月7日 雨 今日は雨が沢山降っている。 昼から荷造りの準備等をしたり、 友人・披露宴イベント時の物産展での 一の橋の配布資料等をまとめ印刷したりしていた。 すると訪問者が・・・!! TV番組作成会社のディレクターだった。 知人の興部の某ファームを訪問し、 ここの情報を聞いての訪問であった。 ある程度の流れを話してから外を散歩。 桜並木などもみながら、 北の大地の魅力を互いに語り合った。 この方、結構想いは似ている。 ちょうどイサホ氏が戻ってくる日があり その日だけイサホ氏と拙者がいる時間がある。 ちょうどその日に彼らは興部へ行く途中こちらへ 立ち寄りたいらしい。 しかもそのときに取材に来る訪問者を聞いて驚いた。 永島敏行さん・・・、彼は6年ぐらい前に ここへ訪問し、一緒に寝泊りしながら牧場作業をしたり 散歩したり、小学校に遊びにいったろして交流している。 テレビの取材等ではない。 永島さん本人が体験をエッセイに書いていて、 彼自身が体験しにきていたのだ。 なんと、偶然の再会ということになる。 あと、昨晩電話でテレビ局の取材があった。 「自給自足」をテーマとした番組制作らしい。 拙者のホームページにとまり、その生き方に注目したようである。 拙者は、モレーナなど、地域で自給自足に近い状態で取り組み方々を 何名か紹介した。拙者のHPからすでに何名かの情報も入手されており、 その関係でファーマーズカフェや、沖縄料理のカップルのことも話した。 でも長話となり、夜勤の時間なので電話を切った。 そして、今晩、沖縄料理のカップルと計画を立てていることがあり、 それについて話していると、 思い出したようにNさんが話し始めた。 このTV局のことであった。 あのあとTV局は拙者が紹介した場所に電話であたっていたらしいが、 ファーマーズカフェに電話し、その際にやはり沖縄カップルの話となっていた。 その瞬間、当人であるNさんが店へ入ってきた。 すかさずカフェのMC氏はNさんに電話に出てもらったらしい。 そんなNさんたち、近日STVのニュースで 沖縄料理販売活動が、紹介されるらしい。 下川の友達の輪パワーを感じる一面でござった。ニンニン。
2005.04.07
4月6日 晴れ 牧場事務所ではカメムシが大発生中できつい。 先日某教授からこんなお便りをいただいた。1部を抜粋。 『小峰さんの「エミュー牧場物語」を7巻まで 拝読させていただきましたが、とても面白いです! 小峰さんの画、文章、セリフ、コマ割などすべてに創造性があります。 エミュー牧場物語を読んで、小生自身もまた初心に戻り、勇気づけられました。 地域における人とのつながりは本当に得難い財産ですね!』 有難い。こんどはぜひ講演に参加してこようと思う。 またぼちぼちストップしていた漫画の原稿を描こうかな。 知人に、こんなお便りも。 『小峰くんはたしか、冥王星という星で、 とても行動力のある星だと載っていたよ。 男性の群れの中で開拓していくみたいなことも載ってたかなぁ』 うーむw、昔変わった占い師にあったが、 こっちの占い、けっこう当たってそうである。 朝、弟マー君は、絶好調であった。 そんな弟と、あさって名寄の職業訓練支援施設の下見に行く。 午後は荷造りや連絡事項、 孵化室の確認。いろいろやっているうちに あっというまに夜勤の時間である。 うーむ・・・時間がすぎるのは早すぎる。 今年は、万里長城祭も、5月15日という例年よりも 早い時期の開催らしく、イベントの相談も来ている。 さてさて、どうするか。考えないとでござる。 五味温泉では毎週木曜日の半額メニューがあるが 今月からラーメンに変わり、 カツカレーやカレーライスである。 ニントモカントモ。
2005.04.06
4月5日 時々雨? 昨晩は、Y川さんの家に少しおじゃました。 親戚から届いた洋菓子を届けにいったのだ。 それに遊牧村の整備に参加してくれている仲間でもある。 やっていただいたことを気持ちで恩返ししたいという意味もある。 少しだけ話をした。Y川さんは自分のお金で除雪機を購入したが、 奥さんもテレビが壊れたのでそれに負けない豪華な液晶テレビを購入。 豪華なテレビ昨日にびっくりでござる。 雑談を交わして家に戻って弟と話しながら食事をして夜勤へ・・・ そして今朝・・・夜勤から戻り、まだまだ首が痛くて コミネック大魔王なので弟に体の負担のかかる作業を賄ってもらった。 痛みは和らいで、起きれるようになった。 ひどい時は首に力が入らないので起き上がることも出来なかった。 体の回転を利用して起きていたのだ。 痛みの範囲が狭まり、やはり屋根から落ちた当時の痛みと一致することから そのときのダメージをこじらしたのだと思う。 今日、弟の相談を受け持っている福祉課の一の橋担当の方が再び 訪問してくれた。おもに一の橋寄りの地域の家庭訪問が仕事らしい。 なので、一の橋の老人から過去聞き取りした意見や内容を話したり 拙者がかつて仲間たちと考えていた 日常と一体化した福祉のあり方なども話した。 それは、拙者が弟の将来を考えるときに 一の橋全体の暮らしを視野に入れたうえで、 弟のようなひとの持続可能な生活環境を目指したうえでの 今であることを把握していただいて、相談にのってもらう意味もある。 こんなスケールで相談する変わり者はあんまりいないかも?? 前回、調べてもらった、職業訓練所と あと、職業訓練等における支援制度の資料を持ってきていただいた。 支援制度はまだ知る限りでは、就職活動もしくは就職がおもであり 雇用に対する支援なので、まだまだ課題がありそうである。 体験という意味では、障害者に対する職業訓練や体験の施設。 短期参加も可能のようで細かい仕組みを近日現地視察で把握してくる予定だ。 一の橋の地域活動との両立を考えたい。 弟はというと、資料を熱心に読み、なんと交通費による支援制度について 細かくつっこむ。さすがは弟らしい。 今日も夜勤である。ニントモカントモ。
2005.04.05
4月4日 晴れ 今日は晴れた、したがって日中は暖かい。 首のせいでどうしても集中できない。 そろそろ帰郷イベント準備も詰めていかないと。 建設課課長と役場の方が訪れた。 夫婦松の被害をみにきたのだ。 地域の方の無念と願いを受けてインターネットに掲載した。 それが早々と反響を与えたらしく、 早急な対応をと現場検証に来てくださった。 夫婦松のうち通路側の木は雪に押し付けられて 埋められて、ほぼ枯れる可能性大。 もう1つの大きいほうは枝の被害が多い。 直接除雪に携わったひとの意見と、 除雪を見届けていた地域の人との意見の食い違いも見られる。 役場を交えて実際の状況を検証するとともに、 今後の除雪について地域を交えて検証していく必要がある。 とりあえず役場も現状を把握してくれたと思うので、 今後の改善のきっかけは作れたのではないだろうか・・・。 Y川さんがなんと、遊牧村の看板から小屋までの道を 除雪してくれた。ありがたい。ニントモカントモ。
2005.04.04
4月3日 雪・雨 雪が降り少し積もった。すぐに溶けるけど。 小田原さんから夫婦松の被害状況を詳しく聞いた。 写真等もいただいた。 みんなで声をだしていく必要があると。 情報発信の必要性を受けて、 さっそく、その被害状況を自分の想いもつけて ホームページへ記載してみた。 一の橋・夫婦松及び桜並木神社通りの除雪被害状況 http://www.bioregion.jp/komine/NEW/news-ichinohashi.htm 朝は首がけっこう痛かったのだが、 いつもよりも1時間以上も長い 昼寝をしたらだいぶ楽になった。 疲労の蓄積もあるのだろうか?? 首を休めるなんてかなり難関である。 早くよくならないと困る。 とにかくカメムシがひどい。 無数に飛び回っているし、パソコンにも沢山いる。 なんてこったい。ニントモカントモ。
2005.04.03
4月2日 曇り朝は雪が降っていた。西興部村の師匠のエミューのための飼料を購入し運搬。師匠はお体を悪くしておりもう薪は割るのはつらいとおっしゃっていた。奥さんがご飯を御馳走してくれた。拙者は、親戚の洋菓子店のケーキをお土産に持参。じつは、首の痛みを隠しながら餌を運搬、そして首に貼っている湿布を首まで隠れる服で隠しているのだが、さすが奥さんは、それでも気づいてばれてしまった。ちなみにやっぱ荷物持つとまだ、あとで首が痛かったでござる。夜勤前に立ち寄ったのですぐに夜勤の時間に。夜勤へとむかった。ニンニン。先月30日にカルチャーウィークエンドの実行委員会立ち上げの会合が行なわれ、会についての規約や役員等の話が行なわれた。その後は雑談。カルチャーナイトは日常の中の施設等で普段訪れないような場所を訪れたりその地域の文化や魅力に触れるのが目的の1つでもあると思う。拙者ら山間部・都市から離れた集落では、離れた集落の牧場・農場などを主体に、環境豊かな中での生活の魅力や体験の場を提供しようと考えている。そしてそんなコースを作り情報発信を検討。普段気軽にいけない離れた場所を自由に行き来できるように交通網の充実を図れれば幸いである。(渓和、一の橋、班渓、上名寄など・・・)それと拙者的には全体を通じてカルチャーウィークエンドは2日間のイベントにとどめないという考えでいる。通年を通じて町全体の連携をはかり、情報発信していけるものをベースに組み立てられたらいいなぁ~と思う。イベントはそのきっかけだったり、それらを同時に体験できる開放の日だったりということなのかなぁと思うのでおじゃる。一の橋では牧場&遊牧村、やるでござる!!ニンニン。
2005.04.02
4月1日 時々雪首が少しましになってきた。昨晩は夜勤なく、弟とケーキを食べてねたでござる。朝、首の痛みも少しよくなった。M氏訪問。話をする。午後・・・一応、町立病院に首を検査してもらった。骨に異常なし。あまり首に負担をかけたり、首を高くしてはだめと言われた。あ・・・首がひどく痛み出したのは・・・出張でホテルで枕が2つあり、枕を2つとも使って寝た直後だ・・・。一番の原因は、屋根から落ちただろうけど、枕事件とその直後に頭を洗って首を曲げすぎた事などが大きな原因となったようだ・・・役場の建設課に立ち寄った。ゲルの利用やウランバートルの使用、なおかつ一の橋の地図などのいろいろな資料など拙者に気遣って用意してくれていたのだ。ついでに除雪の話も議論した。夕方は、一の橋の総会だった。昨年度の報告と今年度の計画が話し合われた。そして夜勤へ・・・!!さて、下川町内の良質な鉱泉を持つ五味温泉では木質バイオマスボイラーが設置されましたが、森林の町として有名で林業で高い評価を受けている下川町の大きな財産である森林を利用した取り組みによるものなのですがなぜ、木質ボイラーなのか?はっきりいって重油と比べると手間も大きいしエネルギーは小さいです。しかし、化石燃料は限度があり、木は、循環型の燃料になります。近年、地球の温暖化が問題になっており、その原因となっている二酸化炭素の排出量を減らそうという動きが世界で出てきており、地球温暖化の進行に世界がひとつになって歯止をかけようという動きに「京都議定書」というものがあります。日本は世界で4番目のCO2排出量大国として2008~2012年の間に1990年の6%削減を約束しました。ところが、現状は依然エネルギー消費量もCO2排出量も削減の方向に進んでいません。この結果を受けて、日本政府は6%削減目標達成に向けて様々な施策を検討しています。概要の中に先進国の温室効果ガス排出量について、法的拘束力のある数値目標を各国毎に設定する。 国際的に協調して、目標を達成するための仕組みを導入する(排出量取引、クリーン開発メカニズム、共同実施など)。 とあります。注目する部分は、排出量取引。たとえば排出量の目標が100としてある地域(もしくは個人や企業)Aは、50まで抑えたとしてところがある地域Bは、150までしか抑えれなかった。するとBは50オーバーしてしまったわけだけど、Aはまだ目標の量より50削減しているのでBはオーバーしてしまった分をお金などで取引してAにまかなってもらい合計で目標量にする。こんな取引だったと思う。下川町はかなり前からそういった動きを想定して二酸化炭素を削減する取り組みに挑んでいる。森林はそれ自体が、二酸化炭素を吸収し、その上木材は、製品等になっても二酸化炭素を固定する働きがあり、森を育てて活用することが二酸化炭素の削減へつながる。木を燃やすと二酸化炭素を排出するが森を育てることで固定につながる。また材料自体が固定する働きもあるため、他の燃料を燃やすときより排出量そのものも減ると想定される。森を育て木材を利用する事は、将来、二酸化炭素の削減が義務づけられたときにそれ自体が商品となる可能性がある。まだ、森による二酸化炭素の吸収量まで取引として成立するには、議論の段階と地域の方に聞いたことがあるが、下川は、そういったことに積極的である。そういった全体の流れをきちんと理解してもらいながら現地と意見交換を交わしながら進めていく必要があると思うでござる。なかなか町の一方的な政策になりがちでなかなか意志の総卒が図れないのが課題かな?ニンニン。
2005.04.01
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