《櫻井ジャーナル》

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2013.02.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 1936年、つまり77年前の2月26日に陸軍の若手将校が武装蜂起して政府首脳や宮廷の要人を襲撃、死傷させた。いわゆる「二・二六事件」である。この蜂起を利用し、軍部は支配システム、つまり天皇制官僚国家での影響力を強めていく。

 しかし、若手将校は軍部の影響力を強めるために決起したとは言えないだろう。その背景には、塗炭の苦しみをなめる庶民の存在があった。財閥や大政党は大儲けする一方、身売り、欠食児童、争議などが問題になっている。庶民の貧困化だ。

 決起した将校は庶民を苦しめているグループを排除しようと考えたのだろうが、彼らは大きな間違いを犯していた。昭和(裕仁)天皇はそうした政策に反対していると考えたのだが、天皇も仲間だったのである。そして決起した将校は切り捨てられた。政府首脳や宮廷の要人を排除しても意味はない。

 本ブログでは何度か書いたことだが、1923年に起こった関東大震災の後、日本の経済政策はアメリカの巨大金融資本、JPモルガンの強い影響下に入った。1920年代のアメリカは富の集中が進み、「余剰資金」が証券市場に流れ込んで一種のバブルが引き起こされていた。そのバブルが1929年10月に破裂する。

 その3カ月前、日本では浜口雄幸が内閣総理大臣に就任、大蔵大臣は井上準之助になった。この井上がJPモルガンと緊密な関係にあることは以前にも書いた通り。その井上は緊縮財政(小さい政府)、産業合理化(労働者解雇)、そして金解禁(金本位制)を打ち出すのだが、これはJPモルガンを中心とするウォール街が望んでいたことだ。

 1932年にJPモルガンが日本へアメリカ大使として送り込んできた人物がジョセフ・グルー。彼のいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だった。帰国するのは1941年のこと。第2次世界大戦はジャパン・ロビーの中心人物としても活動、大きな影響力を及ぼしている。

 JPモルガンの影響下にあった日本が何をやったかを振り返ってみると、1927年から28年にかけて山東出兵、1928年には張作霖の爆殺。この爆殺は河本大作大佐らが実行したのだが、この責任をとらされる形で田中義一内閣は総辞職、そして登場するのが浜口内閣だ。

 1931年には柳条湖事件(関東軍による偽装爆破事件)、32年には上海事変を引き起こし、「満州国」を建国、五・一五事件、33年に国際連盟を脱退、そして36年には二・二六事件である。

 この間、アメリカで大きな出来事があった。日本が頼っていたのはJPモルガン。この巨大金融機関を中心とするウォール街に操られていたハーバート・フーバー大統領が1932年の選挙でフランクリン・ルーズベルトに敗れてしまったのである。



 1920年代から30年代にかけての日本がウォール街の影響下にあったということは、日本のアジア侵略もアメリカ抜きに語ることはできないことを意味する。JPモルガンは日本に多額の投資をしていたわけで、日本が破綻したなら、投資を回収することができない。

 戦争中、日本軍は占領地で財宝を略奪するプロジェクト(金の百合)を実行したと言われている。その一部が「山下兵団の宝物」と呼ばれているもの。カネ儲けという点から見ると、日本やアメリカの支配層にとって日本軍のアジア侵略は成功だったのだろう。





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最終更新日  2013.02.27 22:12:01


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