《櫻井ジャーナル》

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2014.03.09
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 昨年11月2日から9日にかけてNATO(北大西洋条約機構)は「不動のジャズ」と名付けられた軍事演習を行った。ウクライナの西隣、ポーランドが軍事侵攻されたという設定で、総勢6000名。2006年以降においては最大規模だという。NATOに加盟する23カ国のほか、ウクライナ、マケドニア、スウェーデン、そしてフィンランドが参加した。ウクライナの首都、キエフで反政府行動が始まるのは演習が終わって10日余り後の21日だ。

 このNATOはソ連の軍事侵攻に備えるという名目で1949年に創設されたのだが、当時のソ連にそれだけの力はなく、アメリカ政府もそうしたことを熟知していたはずだ。ドイツとの戦闘で2000万人以上の国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、軍隊も疲弊していたのである。

 アメリカの金融界は1933年にファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していたことは本ブログで何度も指摘してきた。軍や情報機関にもそうした考え方の勢力が存在し、1948年に「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」ている。その翌年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、70個の原爆をソ連の標的に落とすことになっていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)

 この先制核攻撃の計画が立てられた時点で、西ヨーロッパにはゲリラ戦を想定した秘密部隊が存在していた。大戦中、ゲリラ戦を展開したジェドバラの流れで、NATOが創設されると「NATOの秘密部隊」になる。ジェドバラはアメリカとイギリスが作った組織であり、「NATOの秘密部隊」もこの2カ国が指揮するようになった。

 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)によると、1957年初頭にアメリカ軍はソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせ、63年後半にはソ連を先制核攻撃するというスケジュールになっていたという。その頃になれば、ICBMを準備できると信じていたようだ。この計画の前に立ちはだかったジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月、テキサス州ダラスで暗殺された。

 1990年に東西ドイツが統一されるとき、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連の外務大臣だったエドゥアルド・シュワルナゼに対し、NATOを東へを拡大しないと約束したことが記録に残っているのだが、約束は守られなかった。

 まず1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニア、翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立を宣言、コソボはアルバニアと一緒になろうと計画した。こうした動きをNATO軍やイスラム教の武装勢力が支援、1999年にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃している。このときにも攻撃を正当化するため、偽情報がメディアを通じて流された。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を)この延長線上にウクライナのクーデターはある。

 1990年代以降、NATOを東へ拡大させているのはネオコン(アメリカの親イスラエル派)。ウクライナの政権転覆を推進してきたビクトリア・ヌランド国務次官補の夫はネオコンの大物、ロバート・ケーガンだ。

 今年2月上旬、このヌランドとジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との会話がYouTubeにアップロードされた。何者かが盗聴したようだが、そこでヌランドは次のようなことを言っている:



 EUが話し合いでウクライナの混乱を収束させようとしていることに不満を抱いていたヌランドは国連を引き込めることを喜び、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたわけだ。

 言うまでもなく、「ジェフ・フェルトマン」とはジェフリー・フェルトマン国連事務次長を指している。2012年に潘基文国連事務総長がB・リン・パスコーと入れ替えた人物なのだが、就任が噂された段階から、この人選を問題視する人がいた。

Feltman

 国連事務次長になる前、フェルトマンは2009年からアメリカ国務省で近東担当次官補を、その前、04年から08年にかけて駐レバノン大使を務めているが、ダブルスタンダード(二重基準)を当然と考えているようで、中東にアメリカが干渉することは許されるが、イランの干渉は脅威だという立場。レバノン駐在の大使だった当時、イラン、シリア、ヒズボラを露骨に敵視していた。つまり彼はアメリカ帝国主義を体現したような人物なのである。

 フェルトマンがレバノンにいた当時、2007年に調査ジャーナリストの シーモア・ハーシュはニューヨーカー誌で興味深い記事 を書いている。アメリカ政府はサウジアラビアやイスラエルと共同でシリアやイランをターゲットにした秘密工作を開始しているというのだ。その手先として使われるのがイスラム教スンニ派の武装グループ。フェルトマンも何らかの形で関与していたと考える方が自然だ。

 イランとライバル関係にあるペルシャ湾岸の産油国は反民主主義的な体制で、「西側」では無視されているが、最近は民主化を求める運動も盛り上がっている。 2011年にバーレーンで民主化を求める抗議行動 があった際、ウクライナとは違い、治安部隊が暴力的に弾圧、約90名が死亡、数千人が負傷したと言われている。

 3月になると1000名以上の湾岸諸国の部隊(事実上のサウジアラビア軍)がバーレーンへ入って鎮圧に協力するわけだが、部隊派遣の直前、3月3日にフェルトマンはバーレーンの首都マナマを訪問し、国王を励ましている。その際、アメリカ海軍の第5艦隊がバーレーン政府を支援する体制に入っていたともいう。

 要するに、フェルトマン国連事務次長はアメリカ政府が代理人として送り込んだ人物。そのフェルトマンを選んだ潘基文事務総長もアメリカ支配層の影響下にあるわけで、だからこそシリアを「西側」が直接、攻撃しようとした際に支援するような言動を見せていたと言える。





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最終更新日  2014.03.09 19:56:10


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