ウクライナ国家安全保障国防会議の議長を務めるオレクシー・ダニロフはドンバス(ドネツクやルガンスク)での戦闘を止める目的で締結された「ミンスク議定書」が混乱を作り出す可能性があると1月31日に発言した。この議定書はOSCE(欧州安全保障協力機構)、ウクライナ、ロシア、ドネツク、ルガンスクの代表が2014年9月5日に調印している。
言うまでもなく、この議定書を作成しなければならなかった理由はアメリカのバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ったクーデターで2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させたからである。
このクーデターは2013年11月からキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で「カーニバル」的な集会を開くところから始まり、混乱が生じる。それをEUは話し合いで解決しようと試み、アメリカ政府の怒りを買うことになった。
現場でクーデターを指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補は電話でジェオフリー・パイアット米国大使に対し、「次期政権」の閣僚人事について話している。その中でヌランドは「EUなんか、クソくらえ」と口にしたのだ。2014年2月からクーデター後にかけてネオ・ナチが行った破壊と殺戮については本ブログでも書いてきたので、今回は割愛する。
クーデターはネオコンを後ろ盾とするネオ・ナチが主導、新体制はネオ・ナチが動かすようになる。その体制を受け入れられないウクライナの軍人や治安機関員は少なくなかった。そうした人びとの中にはドンバスの反クーデター派に合流、新兵が多かったキエフのクーデター軍はドンバスで劣勢になった。アメリカは傭兵会社の戦闘員を送り込んでいたが、それでは足りなかったのである。これがミンスク議定書を成立させた背景だ。
2014年6月に新体制の大統領をペトロ・ポロシェンコが務め、アメリカ政府は戦闘の準備を進める。ポロシェンコは国立キエフ大学を卒業しているが、そこで親しくなったミハイル・サーカシビリは2004年から13年にかけてジョージアの大統領を務めた。
サーカシビリは1994年にコロンビアの法科大学院で学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学の法科大学院に通っている。その後、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働き、そこでエドゥアルド・シェワルナゼの下で働いていた旧友に誘われて政界入りしたという。
ポロシェンコ時代もウクライナではネオ・ナチが跋扈、そうした状態にあるため、破綻国家になる。そうした状況への不満から2019年5月に国民はボロディミル・ゼレンスキーを大統領に選んだわけだ。
ゼレンスキーもアメリカの私的権力には従っていたが、今年1月28日に侵略が差し迫っているという間違った警告はウクライナの経済を危険な状態にすると発言、パニックを作り出そうとしないよう西側の記者に求めた。その2日前、ロシア、ウクライナ、フランス、ドイツの代表がパリでウクライナ情勢について討議、事態を平和的に解決することで合意している。
アメリカ政府が圧力をかける中、フランスやドイツは事態の平和的な解決を模索している。これは2014年の2月頃と同じだ。おそらくアメリカの反応も同じで、「EUなんか、クソくらえ」と思っているだろう。
ただ、EUと言ってしまうと正しくないかもしれない。EUを動かしているのはヨーロッパ全域に親戚がいる「貴族階級」で、主権国家を尊重する庶民とは違う。肩書きがどうであろうと、その人脈は生きている。
現在、ウクライナの国家安全保障国防会議議長はダニロフだが、クーデター直後はアンドリー・パルビー。2014年2月から8月にかけて、そのポストにいた。この人物はウクライナ社会国家党(後にスボボダ/自由へ改名)とウクライナ愛国者党を作り上げ、クーデターの際には広場で狙撃を指揮している。
パルビーはネオ・ナチを率いているひとりだが、そのネオ・ナチは今でも健在。例えば、「右派セクター」を率いる ドミトロ・ヤロシュ