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寝たような、寝なかったような朝を迎えた。一晩中、寝静まった、院内の廊下を行ったり来たり高層階から日の出を拝む。ナースがカーテンのすき間から笑顔を見せた。眠れなかったみたいですね。手術前だからよく寝て体力をつけておいたほうがいいわよ。、妻にも言われたことのないような言葉。ナースが天使に見えてしまうというが本当だ。6時の検温、血圧、うんもや尿の量や回数の自己申告を終えて歯磨き、洗顔。 9時半ころ回診があるのでベットに居てね。と言われていたので、時間直前まで、いつもの溜まり場、喫煙所に行き、お仲間さんと世間話に花を咲かせた。この後ショッキングな事が起きるとは知る由も無かった。9時半、ベットで横になり、いつでもおなかを見せられる体勢で待った。今から回診が始まります。ナースが直前に連絡。6人部屋は一人一人のカーテンが開けられていて朝日でまぶしいぐらい明るかった。しばらくすると廊下を歩く集団らしい足音が近づいてきた。ちょっと緊張する一瞬である。順番に、カーテンが引かれ消毒する音や医師と患者の話が聞こえる。そろそろかな。1人の年配の医師(大学病院だから教授かな)を筆頭にまだインターンみたいな医師、そしてナース。全部で10人ぐらいかな。宜しくお願いします。全員の目線を受け、聴診器でも当てるのかなと思っていると、なんと医師の口から出た言葉は、パンツをひざまで下げて、ひざを抱えて横を向いてください。我が耳を疑った。うそ。こんな明るい所で、こんな大勢居る所で、躊躇しているまもなくいとも簡単にナースがあっというまに。もう赤面状態。助けてくれー。何するんだ。思わずけつを割りたくなった。現場で「けつを割る』という言葉があり仕事途中でほっぽり投げて帰ってしまうことをいうがまさにそんな心境である。悲劇はさらに続く。教授と思われた年配の医師が手袋をはめたようだ。まさか。と思った瞬間横を向いて丸出しの出口、確か一方通行、進入禁止のはずの所にオイルと思しきものをつけた医師の指が。いとも簡単に交通違反を犯したのである。そして指を蛇行運転で直腸がんめがけて正面衝突状態、交通事故はやはり痛い。トンネル内で腸壁に張り付いた大きながん細胞に何度も何度も指が正面衝突しているのが、まともに脳で理解した。思わず、ギャーと言ってしまった。二度とされたくない。悪夢の時間が長く感じた。患者も大変だけど医師も仕事柄とはいえたいへんな職業だなとつくづく思った。帰りがけ医師が人工肛門だな。と言った。そのときは交通事故のショックでその意味を深く考えなかった。一時間後、トイレで出血した。ナースに伝えた。その後、肺活量検査と心電図検査を受けた。午後は何も無い。半休日であるケツ圧が上がったせいか、薬が変わった。
2004.04.30
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2年前に直腸ガンで入院し人工肛門になった話を回顧録で書いておりますが場所が場所だけに表現に不適切な部分が出る可能性があります。ごめんなさい。又、ぼかして書いたほうが良いのか、ありのままの良いのか、小生書きながら非常に悩んでおります。又、専門家でないため、言葉がわからなかったり、書き留めておいた不明の専門用語が出てくるかもしれませんが、素人のこととして勘弁してください。それでも書こうと思うのは最近、男女ともに腸のガンが増えてきて他人事ではなくなりつつあり、兆候を知っていればこれほど悪化する前に対処の方法があったはずということ。健常の人にはあまりなじみが無いと思います人工肛門にするか、本物の肛門を温存するかを選択しなければならないときのこと。人工肛門であることを公開して生活するか、隠して生活するか、人前に出ない生活にするかということ、自分のように人工肛門になるとどんなメリット、デメリットがあるかということ。人工肛門をつけた現在の生活状況。仕事面での変化。など患者の立場で書いて行きたいと思いますので宜しくお願いします。又、同じオストメイトの方、書き込みお待ちしております。次回は入院2日目のはじめての回診。そのとき突然医師の指が・・・・・。ギャー。食事中の方、次回は読まないで下さい。
2004.04.29
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17時には夕食が出た。えらく早い時間なので、面食らう。こんな時間に食事できるのは久しぶりだ。手術前の人や歩行可能者は近くに廊下に運ばれた配膳車に取りに行く。手術直後または歩行不能の人はベットまで運んでくれる。食事の量は普通である。味はご想像にお任せまーす。身体にはやさしい献立であった。「おかわり』とは言わなかった。言っても出るわけない。お箸は持参の物を使った。終ってから自分で洗った。食後消灯9時までしばらく時間が有る。しばらくプリペイドカード式TVでニュースを見ていたが飽きてしまい喫煙室に向かう。喫煙室は常連さんばかり。病人同士という仲間意識が成り立ち、すぐ友人ができる。身体中チューブと点滴を抱えて来ている人もいた。この人、たばこ吸って大丈夫なのかな。他人事ながら、内心心配になる。自分の現在の病状や、相手の病状や、話題が尽きずナースに促される消灯時間まで楽しく過ごす。高層階にあるため夜景がきれいだ。携帯電話が使えないので公衆電話で家と会社に電話をした。しばらくは仕事から解放されたいと思う反面、一番気に掛かる。歯を磨きカーテンを閉めてベットにもぐりこむ。21時消灯。甘い物好きなので、隠し持っていた飴を出そうとしたら袋の音が静かな部屋にひびき、あわてて毛布の中でそーっと開いて口に放り込む。こんなことをやっているから血糖値がさっぱり下がらない。1時間も経たない内に又、喫煙室に忍び足で行くと、先輩達がおしゃべりしながら煙を出していた。眠気が起きない。いつもはAM1時半以降に寝ている。曜日が変わるころまで話し込んでいた。又、ナースの見回りが有り、部屋に戻った。その後も眠れず、4回ほど通った。午前4時ごろ行ったら薄暗い部屋に女の人が1人でいてびっくりした。別棟の入院患者だった。長いこと入院してるとのこと。30代の青白い顔の人だった。6時起床。病院は早い。寝不足だが元気である。血圧、脈拍など測ってくれた。8時の食事まで間があるので、いつもの場所へ行った。朝日が昇るのを見た。晴天であった。今日から検査の連続だ。
2004.04.28
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家出人のように荷物をたくさんかかえナースの後ろをついていく。最近の病院はまるでホテルのようだ。こちらがあなたの部屋です。案内された部屋は6人部屋で中央のベットが自分の場所だ。同室の患者さんにご挨拶をしてから頼んであった病院服に着替えた。薄い服だが院内は適度な暖房で、家にいるより快適だ。着替えてしまうと、自分が病人だと自覚した。ありがたいもので、向かい側の方が、持ってきすぎた荷物をロッカーに入れるのを手伝ってくださった。窓から外を見ると高層階なので、見晴らしがよい。早く窓際に移りたいと思った。ベット周りを確認し、一段落したので、ヘビースモーカーの自分はロビーの2帖ほどの喫煙ルーム(現在はないが)に行き、一服した。すぐ昼食である。ベットに戻り、あっさりした食事をとった。忙しい毎日だったのが夢のようである。昼のテレビなどを見れるなんてまんざらでもないな。でもやはり現場のことが気になる。動いていないと落ち着かない。午後からはカウンセリングが始まる。スケジュールが立て続けに入っているようだ。体重と身長測定を行い、現在服用している薬の確認などを行なった。レントゲンも撮った。医師による手術までのスケジュール説明を受けた。心電図と肺活量のチェックが3月13日、明日である。胃カメラ、内視鏡による腸の検査、その他の検査が目白押しだ。手術は、18日とのこと。やはり不安になる。説明が終わり喫煙室に行く。もう数人と友人になる。ここで得られる情報とかは、不安な患者にとって結構良いものある。現に退院後2年、未だに付き合っている程である。夕飯まで時間が空く。ベットでのんびりテレビを見ていると息子が忘れ物を届けにきた。夜、番頭さんが今日の現場の状況とか明日の予定とかを報告にきた。ちょっと安心した。家族も様子を見にきた。元気そうに振舞った。
2004.04.27
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とうとうベットが空いたという連絡がきてしまった。今度は前みたいにあれこれ理由をつけて延期は出来ない。毎日悩みながらもやれることはほとんど終らせた。仕事の関係も段取りが殆どついた。もしもにそなえて遺書も書いた。好きなことは殆どしておいた。悔いはない。こんどは覚悟を決めた。入院に必要な物も殆どそろえた。入院中に読む好きな本もたくさん持った。ラジオも持った。まかせられそうな従業員も1人増えた。寒川神社にもお願いに行った。お守りも持った。家族にも、親友にも、仲間にも、関係ある方々にも、飼っているワンコロにも、思う存分接してきた。長いようで短い期間だった。飲みすぎたサプリメントのせいか、妙に元気である。病人の感覚がまったくない。最近、激痛も、なりを潜めていた。かかりつけの医者からも大丈夫だからとのんびりして来いと言われた。入院の日の前の晩、家と会社のことは頼んだぞと家族に申し付けた。ビールで乾杯する。日ごろ好き勝手している息子がめずらしく、おやじ大学病院まで送っていくよ。なんて言ってくれた。ちょっと心強かった。夜は案の定眠れず、本当にここに戻れるのかなと 朝までモンモンとしていた。寒い朝、快晴だった。両親と妻と愛犬の見送りをあとに車に乗り込んだ。引きつった笑顔で言ってくるぞと言い残し家を後にした。十分ほどで病院の地下駐車場に到着した。各種説明と手続きを終えて高層の入院病棟のナースステーションに向かった。いよいよ入院生活が始まる。一抹の不安が脳裏をよぎった。
2004.04.26
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20種類以上のがんに効くという各種サプリメントや、正体不明の商品を副作用のことも考えずに飲みつづけていた。なんとなく効能書きを見ていると効いてくるような気がして、どれが効いたか不明であるが、体調は良くなっていくような気がした。髪の毛がふさふさしたことには驚いた。おぼれる物はわらをもつかむといったほうが良いのかもしれない。何にでも手を出した。それでも飲んでいると気分的には落ち着いてきた。なにかガンと戦っている気持ちで、はりが出てきた。ただ、リフォーム業の仕事がやたら忙しい時期で、あちらこちらに迷惑が掛かるので手術どころではなかったというのと、単に手術に対する恐怖心で、入院を伸ばしただけに、今考えてみると、バカなことをしてたなと反省している。又、ガンの怖さに対する認識不足もあった。確かに当時生活には影響が無かったということも有った。そして、手術の日が近づくにつれて、日帰り温泉に行ったり、長距離ドライブしたり、飲みに行ったり、カラオケしたり、時間ができるたびに遊びまくっていた。もちろん仕事優先で。手術しない方法ないのかな。そればかり考えていた。かかりつけの医者から再度入院予約しないと大変なことになると言われ続けていた。もう逃げられない。覚悟を決め予約した。入院日がすぐ決まった。
2004.04.25
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私と接触のあるほとんどの人に、「まいったよ、直腸がんと診断されてしばらくすると入院手術が待っているんだ。ご迷惑かけるけどよろしく。」と言ってまわった。当時は日常生活、仕事関係も通常にこなしていたし、例の下腹部の激痛も前回の検査でライトアップ?されたせいか少し回数が減っていた。おなかの張りはいつものようであったが。友人、連業者、得意先の方々からも慰めや、入院中は任せておけという力強い激励があった。これは心細い患者にとってうれしかった。その公開した日からしばらくして、我が家に小包やら、手紙やら、FAXなどが届き始めた。なんと、がんに効くといわれるいろいろな商品であり、また、そのようなことが記載されたパンフレットやら体験談が書いてある本や雑誌などなど。がんの情報も。電話も増えた。話していなかった人からも誰誰から聞いたよとか、うちの親戚のおばあちゃんは何年か前に手術して元気でいるよとか、あの商品飲んでみるといいよとかである。こんなにみんな心配してくれるのか。と感謝の気持ちでいっぱいであった。現場でも職人さんまで重いの持つなとか、座ってた方がいいよとか、まだ、手術もしていないのに気を使ってくれた。そして、お客様までがいろいろな情報を教えてくださったりどこの病院がいいからとか、入院前に工事前にもかかわらず先にお支払いするからとか、もう、言葉で言い表せないくらい感謝感謝だった。ちょっと待てよ。まだ入院まで一月半位あるんだから、それまでに忌まわしきがん細胞が少しでも小さくなるような努力をしてみよう。そう考えるまでに時間は掛からなかった。高額だが比較的評判のいいアガリスク、友人、知人からいただいたメシマコブの粉末とかドリンク剤、プロポリス、苦い飲み物、MLM推奨の不明品、特殊な水、薬局で買えるがんに効くという商品、など、実に19種類のものを毎日飲み始めてしまったのである。下手な鉄砲数打ちゃ当たるを地で行った作戦に出てみた。駄目もとである。入院までの間ひたすら情報が入るたびにどこへでも買いに走ったり届けてもらった。最後は23種類までいっていた。なんだか、効く感じのするものと、全然意味がなさそうなものがあったが、副作用のことも考えずにひたすら続けた。おかげで、副作用かもしれないが、抜けかかっていた髪の毛がふさふさしてきた。それから、元気が出てきた。やっぱり効いているんだと内心喜んでいた。ただし、どれが効いているかは知る由も無かった。あまりの種類の多さで。このあと、入院して検査した時にがんが小さくなっているとか、あら不思議、消滅しているとか、結構期待に胸が膨らんでいた。医師をびっくりさせたい。それでもその薬というか健康食品というか、入院までの間、一度も激痛が起きなかったことと、快適うんもで、おなかの張りも無くなったことは事実である。残念なのはどれが効いたのか、特定できなかったことである。ちなみにここ最近は飲んでいないせいか髪の毛が・・・。
2004.04.24
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悪性の直腸がんで早く入院して手術しないと駄目だということはよく解った。自分の体の内部にエイリアンがへばりついてる。鮮明なカラー写真で見せられたのだから間違いないのだ。覚悟は出来た。人生なるようにしかならない。入院までにできるだけのことはしておこう。命の不安もあるが、それは寿命と考えよう。勝手に自分の頭を納得させている自分がいた。始めのパニックが完全にとはいえないが七割くらい引いた。時間を有効に使おう。したいことはできるだけしておこう。試験前の時間のない状態で、がむしゃらに詰め込む、あの感覚。建築屋である自分は即 工程表を作ろうと考えてしまう。そうだ。入院の日取りはどうなっているのか。まだベットが空かないようだ。なるべく遅くしてくれ。時間が欲しい。時間が欲しい。時間が欲しい。かかえている現場をどうしょう。小さな会社はこんなとき困ってしまう。お客様、連業者 協力業者のこと、銀行さん、みんなに迷惑をかけてしまう。支払いは、借り入れは、どうなる。倒産。まさか、悪いことばかりが頭をよぎる。変だ。陽気で太っ腹な自分らしくない。手術に成功すれば大丈夫なのにこの世から消えてしまうような気持ちになっている。そうか、関係者にはっきり公開してしまおう。隠しても公開しても自分は変わらない。周りは変わるかもしれないが。数日たったとき大学病院から電話が入り、明日入院してくださいとのこと。まさか。まだ何も対策してないよ。まして明日からなんて。かかりつけの医師に悪いとは思ったが延期してくださいと言ってしまった。相当悪い患者と思っただろうが急に明日からなんて納得できない。今入院したら現場はどうなってしまうのだ。無理だよ。本当に大学病院に申し訳なかったのでは有るが延期してしまったのである。文句も言われたが。というわけでそれから約一月以上時間を稼いだのである。連業者 友人 そしてお客様の順に、公開始めたのである。反応は一応にまず驚く。いつ手術するの。どんな状態なの。なぜ入院を遅らせたの。今は医学が発達してるからすぐ直るよ。あとは任せて置け。大丈夫だよ。うれしくも有り、この不安感は本人しか解らないよなあとちょっとひねくれたりもした。健康が第一という言葉が身にしみる。一月半の余裕が出来たので早速現場の進捗状況や、資金繰り表、工事予定表、お役様訪問表、やりたいこと一覧表とその工程表、もちろん今まで内緒にしていたが遺言などなど、さまざまなデーターや文を作成した。そんなこんなしているうちに周りの状況が変わってきた。
2004.04.23
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内視鏡で撮影されたカラー写真は誠に鮮明にエイリアンを確実に捕らえていた。出口からなんと6センチの位置に。エイリアンの形状はしいたけ状で、色もしいたけの頭の色に似ていた。腸壁は空気を入れて膨らまされてヒダのついたトンネル状態。文字で書くと、トンネルの中で電車の前照灯に照らされた先には、いつの間にか大きく育っていたガン細胞そのものが内壁に三分の二くらい、へばりついていたと言う感じである。いやー、みるもおぞましい形状であり、がん細胞というより本当にエイリアンである。いまからいうのもなんだが、たまには検診をするべきである。自分に自覚が無かった。反省。トイレでどうにもならない激痛が起きる原因はこれだったのか。おなかが張ってもエアーが抜けなかったのも、ウンモがほそかったりふとかったりやわらかかったり、かたかったり、最近変だなーと思っていたことはこれのせいだったんだ。トイレに行くたびにこのエイリアンと衝突していたのだ。ごめんなさい。なるべくきれいな言葉で書きたいのですが、ことがことだけに、申し訳ありません。理解していただけると思われる範囲でぼかしますが。かかりつけの医師はすでに大学病院に入院予約を入れているようだ。内心、こちらの都合もあるのに、とちょっといらいらしていた。医師はなるべく早く手術して患者の命を救いたかったのであるが、相変わらず私は仕事のことだけを優先で考えていた。自営の宿命みたいなものである。オバカである。転移していなければいいけどね。あれが腸壁を突き抜けていたりするとリンパを経由してあちこちに飛ぶ可能性がある。たんたんと説明してくれた。そしてなんでもいいから早く全身の精密検査を受けるようにと説得された。ガンと判定を受けたからには、これも人生、命尽きるまで頑張ろう。なんだか、開き直り的ではあるが、このエイリアンと戦ってみよう。得意先にも連業者にも仲間にも公表してしまおうと決心した。
2004.04.22
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風呂から上がり、床につくがますます希望がうせてくる。何か楽しいことを考えようとするも、やはり思考は悪いほうに走る。翌朝は寝不足で、気分が乗らない。この日も施工中の現場が多く、現場廻りにワンボックスカーに乗り込む。もちろん昨日買っておいたガンに関する本をたくさん抱えて。時間の空いた時に読むつもりで。今日からは、食事も菜食にしよう、腸に刺激の無い物にしようなどと考える。車に隠しているスナック菓子やチョコレートも捨てるのはもったいないので食べてなくそうなんてせこいことを考える。数日間このような落ち着かない日を過ごした。それでもあっと言う間にかかりつけの医者に会う日がきた。診察室に入ると、蛍光灯のバックライトを浴びたレントゲン写真が目に飛び込んできた。先生の机の上にはカラーで撮影された写真集が置いてあった。運命のときである。こんにちは。結果はどうでしたか。仕事の都合がありますからはっきり言ってください。私は大丈夫ですから。と、一気に言った。残念ですが、悪性のがんです。大学病院にすぐ手続きしますから入院して精密検査して一刻も早く手術されたほうがよいと思います。相当深刻な状態と考えられます。すごくきれいに取れている写真を指差しながらたんたんと説明していただくが、この時点ですでに私の頭の中は混乱状態。この日記に書けるほど当時の言葉や雰囲気は思い出せない。唯一、内視鏡で撮った鮮明なカラー写真映像。直腸内部に大きなカサブタ状のもの、その不気味な色と形だけはまだ脳裏に残っている。それは出口から6センチくらいの位置に。
2004.04.21
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ファミレスを出て頭の中が真っ白けのまま、とりあえず本屋に直行した。医療関係のコーナーに行き書棚を見ると今まで気が付かなかったがたくさんのガン関係の本が目に付いた。ガンが消えるとか、部位別のガンの説明書や、手術するなとか、健康なときは目もくれなかった本が並んでいた。数冊選び帰路についた。自宅に到着したのは夜だった。家族に向かって直腸ガンの疑いがあるみたいだと平静を装いというよりも引きつり顔で笑いながら言った。家族は皆、一応にびっくりして数秒間静かになってしまった。とり尽くすようにいやーまだ良性か悪性か検査するらしいから、大丈夫だと思うよといいながら、出してくれたお茶を口にする。矢継ぎ早に今日の検査について質問が飛ぶ。内視鏡検査の顛末をおもしろおかしく説明したが、全然受けなかった。そのあと風呂に入りながら眼をつぶる。医師の声が頭に浮かぶ。きっとすぐ入院ですね。頭の中は色々なことが浮かび再びパニック状態になってしまった。
2004.04.20
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腸の内視鏡検査は麻酔で寝ているうちに終っていた。医師は電話中であったが、その様子で、こりゃ大変なことになったと内心思った。もうすでに自分の腸内の鮮明なカラー写真が出来ていて、医師の前に置いてあった。観念して座った。どうでしたか、もしガンであればはっきりと言ってくださって結構ですから。と言うと、そうですか。良性、悪性の検査はこれからだけど、九分九厘直腸ガンでしょう。写真を指差しながら、この大きさからいくと相当進んでいるようだね。できればすぐにでも入院手術をしないと。ガーン。麻酔も一瞬で覚めてしまった。覚悟はしていたけどまさか自分がガン・・・・。うそー。夢であって欲しい。他人の写真であって欲しい。医師は続けた。いつもの医者に検査資料を全部渡しておくから、そちらで詳細を聞いてください。10分ほどかかる100円パーキング場まで、傘も差さずにとぼとぼと歩いた。周りの景色がベールをかけたように見えた。なんか大声を上げたくなった。ワンボックスカーの運転席に座りしばらくボーーとしていた。しばらくすると一気にこんどは心配事がおそってきた。自営業の自分が入院したらどうなるんだろう。お客様の対応はどうしょう。今施工している所は、これから施工する所はどうしょう。仕事のことばかり心配になる自分。得意先に知らせるべきか。連業者に知らせるべきか。いや、まだ悪性と決まったわけではないし。そうだ。本屋へ行って直腸、大腸などのガンの本をまず読んでみよう。それから対策を立てよう。エンジンをかけて動き出したが運転してても注意力が散漫で怖くなり通りがかりのファミレスに入った。大好きなコーヒーを飲みながらも、味がまったく感じられない。そして、廻りの人たちにおれはガンになってしまったよー助けてくれーとアピールしたい衝動に駆られた。廻りの人たちが楽しそうにしていることが悔しい気持ちだった。そうだ。家族になんと言おう。すっかり忘れていた。家中大騒ぎになるなー。誰か泣くのかな~。TVドラマの1シーンが脳裏をよぎる。
2004.04.19
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いつもよりおなかが張るなと胃腸薬を飲む毎日が続いていた。それでも、薬を飲むと張りは引き、おなかの痛みはスーと消えて忘れてしまう。そういえば、トイレに座っている時、不定期であるが時々下半身に20秒くらい脂汗が滴り落ちるほどの激痛が走り、身をよじって我慢をしていた。我慢をしていると、うそのように痛みが引く。何でだろう。そしてその痛みを忘れてしまう。1ヶ月に1度くらいの周期が2週間、1週間、毎日と短くなっていくのに時間は掛からなかった。変だなーと思いつつも、病院に行く勇気がない。内蔵に異変が起きてるのだろうか。平成13年暮れも押し迫ったころである。大晦日、激痛も無く、用を足して水を流そうと振り向き、ふと洋便器に目をやると、赤い物が見えるではないか。もしかして血?痔になったかな?今日は痛みも無いのに、なんだろう。正月明けに糖尿病の診察をしていただいているいつもの医者にちょっと聞いてみようと考え、正月休みをのんびり過ごす。車泊と温泉好きの自分は、相変わらずあちこち探して入っていた。年は明け、14年おとそ気分も抜けないある日、いつものように診察に行き、医師に、「実はおなかの張りがひどいのです。大晦日にちょっと出血がありました。なんでしょうかね」激痛の話は出来なかった。怖かったので。医者は「あなたの年代だと、腸や胃を定期的に検査しないとまずいですよ」と言いながら、内視鏡検査のベテランの先生をすぐ紹介してくれた。「内視鏡検査ってあの気持ちの悪い胃カメラのことですか」医師「もちろん胃は口から入れる。腸は後ろからカメラを入れて盲腸のあたりまでを検査するんだよ」私、「それって痛くないのですか?」「大丈夫です。うまい下手は有るかもしれませんが」こんなやり取り後予約を取った。数日後、内視鏡検査の専門医のところへ行った。小さな待合室には幼児を含め7,8人待機中であった。看護士から大きなビンに入った下剤を手渡され、全部飲めとの指示があり、飲み始めた。すごい量である。それからトイレ通い。これは大変な行事である。その後診察台でまな板のコイとなった。こういうことは苦手なので、医師に麻酔を打ってもらい水平飛行となる。目がさめたら医師が電話で話している。聞いていると紹介の医師に「すぐ入院させないと駄目」というようなことを喋っているようであった。服を着替え医師の前に行く。「どうでした?」医師も戸惑っているようだったので、「覚悟は出来ておりますので話してください」と頼む。「解りました。大きな腫瘍があります。肛門の近くに。直腸がんかも知れません。九分九厘そう思います。すぐ入院手術の必要があると思いますが良性の可能性も有るので検査に出しますからいつもの医師に結果を聞くように」との話で帰宅する。良性を願う。
2004.04.18
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