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直腸がん摘出手術から10日目朝から昨日、再縫合した跡がチクチク痛む.チクチクという痛みは針で皮膚を突っつくような感じである.10時部長回診あり昨日に引き続き、残されたおしりの抜糸を行なう.裂けないことを祈る.抜糸はすぐに終った.糖尿持ちの自分は、肉がくっきにくいからだ.昼からは暇である.2時から4時まで、院内レストランでコーヒーブレイク.4時から8時までに息子を含め8人見舞いあり.番頭さんが工事の進捗状況やら予定の打ち合わせに来る.毎日だから大変だ.20時まで対応で結構忙しい.差し入れの本やお菓子や花が場所を取り始めている.面会時間が終わり静寂が戻る.ベットに入る前にストマー処理をしようとトイレに行く.ふくろに溜まった排泄物をなれた手つきで行なう。ここまでは順調だった.ふくろの排出口をきれいに拭いてパンツを上げようと立ち上がった時、かすかにベリッといやな音がした.ももを暖かい物が伝う.ギャー、出血だ.鳥肌が立つ.股が裂けたか?あわてて、トイレ内のナース呼び出しボタンを押す.「裂けたようです.」「すぐまいります.」パタパタと廊下を走ってくる足音が近づいてきた.やはり裂けていた.とりあえず裂けたおしりにタオルを当てナースに支えられて処置室へ向かった.本日抜糸したところが避けてしまったようだ.洋便器に座った時に、排出物処理をおなか側で行なう為足を開きぎみにしたのが原因だ.ちょっと抜糸が早かったのかな.というわけで再縫合となった.ちゃんとくっついてくれー.
2004.05.31
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直腸がん摘出から9日目午前4時に起床.ロビーにてまだ暗い町を見下ろしながら時間をつぶす.今日は9時半から抜糸がある.朝食後洗髪していただく.気持ちが良い。下地が見える髪を乾かしているとナースが呼びに来た.処置室に入る.パジャマを下ろし処置台に上る.医師が今は無き、元おしりを点検している.半分だけ抜糸してみようと言っている.まだ縫合部が完全にはついていないようである.抜くたびにチクチクした.耐えられない痛みではない.短時間で抜糸は済んだのだが、今度はおなかの縫合部、おへそから下に垂直に切開した部分の点検をしていた. が、再度縫合すると言う.ああああああああああ.うまくくっいていないようだ.持病の糖尿病のせいである.こんな時に足を引っ張る怖い病気だ.結局、追加縫合14針.これだけ細かく縫えば隙間無く両側の肉がくっつくのであろう.ちょっと痛かったが無事終了した.帰りの病室までは「前かがみソロリ歩行」と化した.お昼の食事を食べたが、微熱が出てきた.昼寝しようとしたが、縫合した所が痛い.喫煙室まで行き、いつものメンバーと話しながら気をそらしつづけた.夕方まで座りつづけたせいか、円座使用にもかかわらず今度は元おしりまで痛み出した.今日もたくさんの見舞い客が笑わせに来た.笑うとおなかに響くよー.コーヒーブレイクできるのは良いのだが.21時痛み止めを飲んで一応寝た. はずだ??
2004.05.30
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直腸がん摘出手術後8日目人工肛門部の抜糸が終った.この部分は痛みは無い.ただし、おへその下あたりから縦に尾てい骨にかけて縫合してある傷口は痛みがなかなか消えない.痛み止めを処方していただいているが、チクチクした痛みが続く.この痛みは安眠を妨害する.このため、朝までまんじりともせず、起きていたことが何回もあった。眠れなくてロビーのベンチで横になったりしていた.日の出も拝んだ.そんなわけで、昼間、眠くなる.手術後すぐの時は点滴に痛み止めでも入っているのか、拍子抜けするほど痛みが無かったから、イライラする.私の場合、この縫合部がなかなかくっかないようだ.持病の糖尿病のせいらしい.消毒、ガーゼ交換をしているときに、首をかしげていたのが気にかかる.早く、くっついてくれー.
2004.05.29
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直腸がん摘出手術から1週間が過ぎた.歩行も楽になってきた.ただ、イスに座るのはまだ痛む.座布団は必需品である.今日は人工肛門部の抜糸である.処置室で、あおむけになる.ストマーのふくろをはずし、消毒する.抜糸開始。おなかの左側に出ている、腸と皮膚を縫合してあった所だ.あっというまに終る.痛みはチクッとするが大丈夫.腸の縫合部が少し出血あり.腸は無神経なので痛みは無い.出血はすぐ止まるとの事.腸の血色は良好。再度新しい袋をつけて無事完了した.このあと、おへその下から尾てい骨までの縦の縫合部の消毒がある.これもくすぐったい程度で痛みは無い.
2004.05.28
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直腸がん摘出手術と肛門摘出手術も終わり、人工肛門が誕生した.術後の歩行も、初めアクシデントがあったがもう大丈夫.小股でも歩ける喜び.そろそろと院内を歩きまわった.人工肛門からガスも出た.無事口から出口まで開通である.これで普通の食事ができる.そうこうしているうちに大勢の入院仲間が出来た.病状は違うが.異業種交流の場だ.皆が助け合う.元気つけたり、情報をくれたり.さて、また、汚い話になってしまうが、避けて通れないので食事前の方はここで止めて、別のHPに移動して欲しい.何度も言うが、直腸と言う排泄物を溜める場所がなくなったため、その代わりに体外にふくろをぶら下げる.なお楽楽は経験していないが、洗腸法という腸の内部をぬるま湯で洗うやり方がある.それは、まず、ぬるま湯を数百CC、点滴に使っているような感じの袋に入れて、おへその脇に出ている腸(人工肛門)にチューブを差込み、腸内を洗浄し残置物を外に流しだす。こうすることにより、2.3日は大腸が空っぽになっているので、ガスはおろか、何にも出ない状態を保てるわけだ.運動しても大丈夫状態になるらしい.楽楽は未だにこわくて試していないが.私はふくろの方を選択している.健常者の肛門は下から排泄物が出る.また、意識して、止める我慢ができる.人工肛門所有者は、おなかから出した腸から、水平に排泄する.これを装着したふくろに貯蔵し、適時トイレに現物だけを人為的に捨てている.ふくろはワンピースタイプとツーピースタイプに分かれる.ワンピースタイプは、ふくろそのものに接着剤が付いていておなかに直接接着し.数回排出し、毎日交換する.ツーピースタイプは、接着剤の付いた台紙状のものを身体に直接接着する.台紙とふくろは取り付け取り外しが容易であり、ふくろだけ数回使用し、毎日取り替える.楽楽はこれにしている.一長一短あるようだ.私は皮膚が強いので接着剤に負けない。かぶれない.ほぼ、4日ごとに台紙を取り替えている. ふくろは毎日。台紙は5.6日は持つようだ.あまり取り替えないと接着剤が溶けて外れやすくなる.安全をみて4日だ.この儀式は人工肛門所有者になると一生続くわけだ.ただし例外もある.肛門を温存して一時的に人工肛門にしている患部が治癒してから肛門と腸を再接続する人.負け惜しみではないが、寝たきりになった時は人工肛門のほうが介護の処置がしやすいのではないかなと私は思うがどうであろうか?うつぶせには寝れないが.右や左向きで寝ることも可能だ.辱創も出来にくいのではないだろうか.また、人工肛門になってふくろを付けた場合、仮に、電車の中とか、すぐ近くにトイレが無い時に、便意を催した場合、心配ない.袋の無い人は大変である。私も経験済みだ.ゴルフ場で冷たいビールを一気飲み後に.あの時はあせった.テイグラウンドの上でクラブを振り上げたまま固まった.脂汗たらたら.その日のスコアーはご想像にお任せする.私みたいに人工肛門になると、ふくろに入りきれないほど出た場合と重みで接着剤が耐え切れずはずれる場合は別として. これは悲劇だ。ただし、想像しないで.アー.またまたこんな話になってしまった.本当にすみません.もう少し続けてしまう.なお、この悲劇は充分回避できる.排尿時に小便器のほうに行かず、大便器にすわり、こまめに大を排出しておけば安心である.ようするに、早い処理をしておくことだ.疑問に思うのだが、洗腸法の場合.もし下痢が起きた場合はどうするのだろう.袋はつけていないはずだし.神経の無い腸から急に出てきちゃったりしないのだろうか?今度、外来に行った時聞いてこよう.また、ナースに洗腸を進められるかもしれないが.でもつくづく思うが人間の身体はうまくできている物である.人造の物より自然な物のほうが機能的にはるかに超えている.だから、健康には注意しなければ。暴飲 暴食 喫煙?は駄目だよ.
2004.05.27
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ここのところ話題が先走ってしまい、回顧録でなく現在の悩みとか記入してしまった。さて、再度、入院生活時点に話を戻そう。2年前の3月18日直腸がん摘出、人工肛門という相棒誕生。手術翌日から歩く予定が右足のひざに力が入らず2日間ほど歩行訓練できず。しかし、徐々に回復し4.5日で足は完治。歩行リハビリが始まる。しかし、おへその下から縦に尾てい骨近辺まで縫合しているので歩くと開きそうな気がして、小股でソロソロ歩く。足を組んだり、ベタッと座ったり、階段を上がったりすると股が裂けてしまうのではという恐怖があった。食事も流動食から始まっている。点滴も続いている.抗がん剤は使用していないとのこと。まだかまだかと待っていたガスも、おなかの左正面の人工肛門からシューと出た。無事通ったようだ。これでひとまず安心だ。出ないと大変らしい。すぐに人工肛門につけるふくろの取付方法の教育、実地指導がナースの手で始まった。この日からストマーとの悪戦苦闘が続く。手術後1週間くらいなぜか熟睡できず。毎日大勢お見舞いの方が見える。中には糖尿病で入院したと思っている人もいて事実を聞いて驚いていた。来客がみえる度に、そろりそろりと歩き最上階のレストランに連れて行って下界を見ながらコーヒーブレイク。これが唯一の楽しみだった。番頭さんがキャンピングカーの本を差し入れてくれた。やっと口実が出来た。トイレ付きキャンピングカーで仕事ができる。寝ても覚めてもそのことばかり。早く退院して車選びをしなくっちゃー。たまには、こんな内容の日記がいいな。
2004.05.26
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人工肛門をおなかに持ちながら2年間生活をしているがいまだに慣れない。と言うか、無神経ゆえのハプニングに結構傷つけられる。たとえば、外出中、エレベーターに乗ったとしよう。エレベーターの中は意外と静かである。健常時には意識もしなかったが。こんな時に限って、「ぶ~」と勝手に出てしまうのだ。音色もまちまち。そのときの腸の気分によって。もちろん直接ではなく、例の袋の中にである。人工肛門である腸は無神経である。痛みも無ければ、感覚も無い。おなかが張ればおなかがふくらみ突然出てしまう。健常であればちょっと括約筋を締め一時的に我慢もできるが、人工肛門ではそれが出来ない。無音、有音を問わず、ふくろの臭気止めがきいてまず匂うことは無いが、有音の場合は恥ずかしさたるやもう大変である。周りの人に「失礼」と言うべきか、「人工肛門は無神経だから勝手に出ちゃうのだ」言うべきか、無視を決め込むか、他人がしたような顔をすべきか、その場から消えたくなる。いつもいつも出るわけではないが、これには気を使う。だから、公共の人の集まる所の静かな場所は手術後、行くのをためらうようになった。得意先の応接間。小さな病院の待合室。美術館。郊外の静かなレストラン。静かなそばや。静かな所は用が無いと行きたくなくなってしまった。楽楽はリフォーム業。車両で現場廻りが多い。車両の中が一番安心できる。それから人工肛門に消音装置が欲しい。洗腸でもすればよいのだが、自分はしたくないし。なおガスが出ないと最悪状態になるのも事実。腹痛が起きる。我慢は禁物だ。極力、発酵しにくいものを食べるしかないのかな。誰か、良い方法を教えてー。括約筋付き人工肛門ができればいいと思うのだが。人工肛門とは言うものの、自分の腸そのものだから難しいのかも。
2004.05.25
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直腸がん摘出手術後人工肛門がおなかに出来た。手術前のようにトイレでゆっくり本を読むことは出来なくなる。なぜか?まずふくろに溜めた排出物を処理する準備として洋便器に、健常者と同じ向きに座り足を広げる。もちろんパンツを下げてだ。トイレットペーパーを先に7,8枚カットしてひざのあたりに乗せておく。ラストのペーパーを便器の中に処理物が落ちる位置に敷く。これは、便器を汚さない為の心使い。次におなかにぶら下げた、ふくろの一番下の部分、折りたたまれた排出口を上に向けた状態で片手で開く。排出口が開いたら、そっと下に向けると重力の法則で落下する。和便器では難しい。完全にうん○座りすると、人工肛門がちょうどももにあたりふくろを圧迫してしまう。中腰でもできるが落下距離が遠くなり、はねてしまう。パンツやズボンやバンドなどに誤って排出物をつけてしまう危険性が大。洋便器の場合に話を戻す。あらかたの排出物が出たら、反対の手でひざの上のトイレットペーパーを取り、排出口の出口付近の内部をふき取る。何度も。手につかないように。最後に、出口部分の表をきれいにして再度折り曲げて終了。両手を使っているから本を読むゆとりは無い。慣れるとこの一連の動作が非常に早くなる。健常者のように、いきまなくても良い。すべてふくろに溜めてあるからだ。気持ちの良いウオッシュレットの出番は無い。はじめのころは間違えてついボタンを押した。お湯が出てびっくりしてあわてて止めた。というわけで、短時間で処理が終ること、両手を使うこと。よって、本を持って入っても読む暇も無く一件落着となる。ついでに、言っておくが、ビニール製の袋の中に排泄物を溜めるのであるが、そのままだとこびりついて重力の法則に逆らい、落下を拒む物が出てきてしまう。これを防ぐ為に、袋の交換のたびに、ベビーオイルを少量垂らし、装着前によくふくろを揉んでおく。そうすると、ふくろの内側はテフロン加工とまではいかないが、滑りやすくなり、こびりつきは激減し、健常者の快便状態と同じになる。ただし、オイルを入れすぎるといつの間にか、ふくろに前もって付いているおなかの皮膚と接着させている接着剤がとけてしまうことがある。はずれてしまうと最悪である。ご想像にお任せする。直、これは人工肛門所有者の排出物処理の一例である。もっと大変な方がいらっしゃるし、他の方の例も知りたい。それから、洗腸と言う、一種の浣腸をする方法もある。これは時間がかかり大変であるが、2日間くらいはふくろ無しで生活できる。出口にガーゼを当ててテープで止めておく程度で済む。。ようするに、洗腸し排泄物をすべて強制的に出してしまう方法である。こうすることにより、ガスや固形物が殆ど出ない安心生活ができるのである。楽楽はこの洗腸者用トイレと人工肛門者用トイレを実用化したいと思う。研究中である。人工肛門になった先輩の知人がいる。彼は、誰にもそのことを知られたくなかった。家からほとんど出なくなってしまった。仕事も辞めてしまった。そして落ち込んでしまった。結局、復活しなかった。こんな人を増やしたくない。微力でも役に立ちたいと思う今日このごろである。
2004.05.23
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直腸がん摘出手術も終わり、歩くのに多少問題があるが消毒中の人工肛門を初めて見てびっくり。覚悟はしていたが。おへその左側約10センチの位置に、飛び出しているそれ。おなかから、にゅーと顔を出している姿は、手術前の説明の場所と同じだった。が、その容姿や色まではまったくイメージしていないものであった。底辺直径4.5センチ高さ約2.5センチの円錐型の赤富士がおなかから突き出している。ヌメヌメとした感じの山だ。そして時々形を変える。大きくなったり小さくなったり。そしてこの赤い色はどういったらよいか。赤光りしている。新鮮なマグロの切り身の色と言うべきか。活火山的、生き物である。そう、これは腸そのものだ。見たとたん、精神的ショック。人様に見せる事は無いにしても。人体は、ある部分を覗きほとんど皮の皮膚で覆われているがそれには無かった。どなたかが言っていたが、口から肛門までの内側は、外側。食道から胃、大腸、直腸、肛門まで。不思議である。と言うことは、今見えている腸の表面は本来内側なのか。悪性腫瘍を切り取って、安全な腸がそのままおなかから出ているわけだ。手術前の説明時は、不安で頭が真っ白。聞いているだけが精一杯。手術後の容姿までは聞けなかったし、もしその時写真で見せていただいても手術をしないとは言わない。命が掛かっているのだから。人工肛門は、ようするに切断した、腸のそのままということ。医師の話で、確かに腸をおなかに出すとは聞いていたが。しばらくは落ち込みそうだ。早く落ち込みから立ち上がらなくては。なお、これは回顧録、現在、アクシデントはあるが相棒である。
2004.05.22
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直腸がん摘出手術が終了し病棟復帰したが右足に力が入らない。しかし、3日目には太ももに手を沿えガクッと前折れしないように、そろそろと歩いた。いわゆる歩行訓練である。少しづつ回復してしてきているようだ。喫煙室は残念ながら木のイスである。入院中に知り合った別の病室の方が円座というドーナツ状の座布団を貸してくれた。ずいぶん楽である。座り方も痛みが出ないようにというか裂けないように工夫して座る。楽なのはやはり片側のおしりだけですわると二つのおしりの山が内側に押され、痛みが少ない。片側が疲れると逆にした。長時間座れるようになってきた。手術前は開腹手術したと思われる患者さんが前のめりになり、かばいながら歩いているのを見て、大変そうだなと思ったが自分も同じ状態で歩いている姿が窓ガラスに映り苦笑いした。さて、足の回復のめどがたちそうなので、毎日、医師ナースが行なう縫合した部分の消毒と点検に移る。始めのうちは、頻繁にガーゼの取替と消毒があった。食事ははっきり覚えていないが、おもゆからスタートしたようである。ガスはまだ出ていない。おなかの張りはまったく無い。点滴も相変わらず続いている。仰向けに寝た状態でガーゼをはずし、患部を拭いて、消毒だ。何気なくその様子を見ていると、我が目を疑る物があった。なんと左のおなかにちょこんとしわしわの赤富士が見えるではないか。エイリアンの映画が頭に浮かんだ。
2004.05.21
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直腸ガンの手術が無事終わり、長い眠りから覚めた。が。ナースの「さー、歩きなさい」とびっくりするお言葉にあせりまくった自分。手術翌日のことだったと思う。歩くことは不安もあったが、皆翌日からやってるらしいし、喫煙室の仲間にも歩いていって強がりたかったのであるが(タバコが吸いたかった、)やってみるとどう頑張ってみても、右足のひざが自重に耐えられず、ガクッと折れてしまう。何度も挑戦したが結局駄目。早々とベットに横になり、痛み止めのせいか、昨日は爆睡してしまった。そして今日早朝に起きてしまった。まだ皆カーテンが閉まっている。静かに、直っている事を期待しつつ、電動ベットを起こし横に向く。そしておっかなびっくり足を床に付ける。そーっと立ち上がってみる。ガクッと右足が折れてしまう。前に出れない。やっぱり駄目になってしまったのか。あせる。発汗してくる。何とかしなきゃ。右足は自力で持ち上がることを確認した。しょうがない。部屋の窓側のベットにいるので窓下の収納BOXの上に片手を、片側の手はいろいろな点滴をぬらさげた車輪つきのポールを松葉杖代わりにそろりそろりとけんけんしてみた。やはり、その都度、切り口に響き、痛みではないがなんとも言えない不快感が襲う。たかだか、3m歩くのにこのざまである。でも楽楽本人は必死である。窓際の見晴らしの良い一角に見舞い客用応接セットがある。そこまでなんとかたどり着いた。そして肘掛に手をつききき足を軸にくるっとまわり、そーーーっと腰を静めた。やわらかいイスだが、座ると痛む。というよりおへそからおしりを経由して尾てい骨まで縫合した部分が裂けてしまいそうな恐怖。マジに怖い。割れちゃったらどうしょう。二つのおしりを中央に寄せるように両手で外から押えた。少し楽になる。でも数分しか座れず。痛み出してきた。両手でイスの座面に手を突きおしりを持ち上げた。これが一番痛まない。ただし手がしびれて長時間は無理であった。そんなことをやりつつ、外に目をやる。まだ早朝の暗い中、眼窩の信号や高層ビルの赤い点滅、残業しているのかこうこうと明るいビル、国道を走る車のテールライト、が新鮮に目に飛び込んできた。そういえば手術の日からまる2日。外を見る余裕も無かったのだ。しばらく病室の仲間のいびきをききながら鞍馬の姿勢でぼーっとながら外を見ていた。汗も引いた。手がしびれて感覚がなくなりつつあるとき検温、血圧他をはかりにナースがきた。歩けた?やさしく声を掛けてくれた。そこで計ろうか?ここでお願いします。手はしびれても足がしびれたときの、こそばゆい感じはないのが解った。皆カーテンを開け始めた。外は明るくなっていた。足は昨日よりは回復しているような気はしているがまだ駄目だ。25m先の喫煙室へは、点滴ぶらさげポールを使えば行くけそうである。後で行ってみよう。食事が出たかどうかは覚えていない。ガスもまだ出てないようだ。ナースに訊かれた。手術のあとガスが出ないといけないそうである。その時、楽楽はまだガスはおしりから出るのだと何の疑いもなく、思っていたのであった。
2004.05.20
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直腸ガンの手術も無事終了した。無事覚醒した。ここから約1週間の記憶がほとんど飛んでいる。思い出せるのは翌日か翌翌日から「歩いてください」というナースのきついお言葉。まだ手術が終ったばっかりなのに。ベットに横たわったまま賭け布団を折りたたみ入院服の前を開けおそるおそるおなかを見た。真新しい包帯でぐるぐる巻きになっている。カテーテルが付いているようだ。べんいは無い。食事していないからだ。下半身は重い感じがする。足は動くのだろうか。そーっと動かしてみる。あっ。動く、動く。まだ自分の足と言う感じがしない。起き上がれるのかな。腹筋に力を入れてみたがまだ自力では駄目だ。電動ベットで30度ほど起こしてみる。切ったと思われるところの痛みは無かった。しばらくあたりを見渡した。患者仲間が「どうだった」と見舞いに来てくれた。中には冗談を言って笑わせる物もいたが、笑うと傷に響き痛たかった。それと背当てが上がった状態でいると、おしりに重量がかかり痛くなってくる。水平に戻す。横になってみる。大丈夫である。落ち着いてくると一服したくなる。早く喫煙室に行きたい。歩けと言われてるので、ベットから身体をひねり足を床に付けてスリッパを探す。足の感覚は問題ないようだ。スリッパも履いた。ベットの柵に手をかけ、ゆっくりと注意深く立ち上がる。両足に体重が掛かった。その時片方の足が・・・。
2004.05.19
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今、無影灯の下に横たわる自分がいる。周りを医師とナースが手際よく動く。お臍の下から尾蹄骨まで切り開かれている。この状態で両足を開くと八つ裂きになるのか?切除する場所が骨盤に包まれている当りらしい。メスが入りにくいのだろう。悪性腫瘍部分を切除しリンパも大事な肛門も全部取りさっているようだ。神経も多少傷つく可能性も有るという。手術中というのに、痛みは何も無い。痛んだら困るが。切除して、残った腸をおへその10センチ位左のおなかに先っぽを出す為、腸を引っ張っている。これが人工肛門。3センチ位、おなかから引き出しておなかの皮と縫合する。人工肛門というと金属か何かでできた物とか、メカニカルなものを連想するが、ただ腸そのものである。先ほど開いたおへその下から尾蹄骨までを縫合、消毒して包帯を巻き、終了。おなかの膀胱と肛門と直腸まわりは空洞と化したようだ。体重が少し軽くなったのか。「手術中」のランプが消えた。無事終了したようだ。そのままICUに行くのか?この手術中のことはまったく推測である。念のため。肛門も多少残したのか、それともそっくり取って、おしりの両側の皮を引っ張って縫合したのか。どちらだろう。今おしりの谷間に触れてみても、縫合のみみずばれの線が残っているのみで肛門は影も形も無い。じつはまだカガミを使えば見れると思うのだが見ていないのだ。手術が終わりストレッチャーで移動中に、家族と対面したのだが、映画のシーンと同じだった。呼びかける声がして目をやっと開けると霧のようなベールの中に家族の顔がピンボケ状態からピントが合い確認できた。しかし昨日の寝不足と麻酔のせいでまた、奈落の底に落ちていった。なお、このような文を読まれると、恐怖を感じてしまう方がおられるかもしれないが、医師、ナース連携で患者に気を使いながら、痛みを伴わないよう施術されている。痛みも一切無かった。入院中は本当に楽しかった。だから、早く悪い所は直して頑張ることが良いかと思う。現在人工肛門になり多少不便もあるが、これも人生。楽しく楽しく行こう。
2004.05.18
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直腸がん手術は午前11時からとのこと。 (回顧録)刻々と時が迫る。昨晩中、廊下を走り回ったせいか、疲れ気味である。ベットでしばらく横になっていると家族が来てくれた。すでに手術の覚悟はできているのだが、一抹の不安が残る。寝不足でボーとしているせいか、けだるかった。病室の人たちや喫煙室で知り合った人たちも大勢激励に来てくれた。感謝。感謝。これは患者にとって、まことに心強いものである。手術前、腹式呼吸の練習もした。下の毛もカットした。いよいよ時間が来た。 ナースが迎えにきた。手術用の服に着替え、ベットに横になる。家族は専用の待合室で待つようだ。きっと心配するだろうな。数時間で終了するとはいえ。手術室の前で家族に「頑張ってくるから」と言って握手した。緊張感が強くなってきた。ここから1人だ。履いている血栓予防の白いストッキングが足を締め付けている。全然似合わない。これ。広い手術室に入った。数日前に紹介された見覚えのあるICUの人たちもいたのでちょっとほっとした。無影灯の下に横になると、簡単な説明があった。背中に麻酔をするためか背中をめいっぱい丸めた。手の指に赤いランプがついた。他にも身体のあちこちにコードがついたものを取り付けていた。、手際よく事が運んでいるようだ。寝不足なのに今は緊張で目はさめている。目を開けていると怖いので閉じた。目をつぶるといろんな音が手術室にこだましてこれまた不安。麻酔をかけまーす。これを吸ってくださーい。顔の近くに酸素マスクみたいな物が近づいた。そのとき走馬灯のように今までの思い出が早送り状態で脳裏に浮かんだが、そのまま落ちたようだ。このあとのことはまったく不明である。覚えてない。覚醒してくれ。手術成功してくれ。と思う間もなく。そして、頑張ってくれた同期の桜が無くなる不安も。
2004.05.17
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今21時消灯時間である。とりあえずカーテンを引き、ベットに横になる。直腸がんの手術まであとわずか。自分の心の中で、カウントダウンが始まっている。下剤点滴も終った。おなかがゴロゴロしてきている。すでに出口のあたりに意識を集中していないといけないレベル。この時点は、今はない括約筋が活躍していた。最後の最後の主人に対する奉公である。今から思うと、まともに見たことが無いが、こらえ性の強い頼もしい奴だった。多少の出血にもめげず、軟硬にもそつ無く対応し、一方通行を逆行する内視鏡にも医師の指にも泣きもせず頑張ってくれたいわば同期の桜だ。その最後の奉公で、出てくる敵をかたくなに押え。おまえはえらい。おもわず援助の手を差しのべ、トイレへと走った。もうこれくらいでいいよ。我慢は。よくやったよ。なーんてその時は考えずにベットと病室を行ったり来たりしているうちに夜はしらじらと明けていった。そう。殆ど寝れなかった。ちょっと訂正有り。他の患者さんに悪くて、喫煙室とトイレの往復をしていたのが現実である、そして頭の中は手術のことなどすっかり忘れていた。何の余裕もなくひたすら往復していた。手術まであと5時間と迫る。誰もいない喫煙室で、タバコに火をつけた。
2004.05.16
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いよいよ直腸ガンの手術の前日です。(回顧録2年前です)昨日は5日ぶりに自宅に泊まった。友人や会社の人にも会えたしいろいろの事を託せた。ショッピングもした。愛車にも乗れた(点滴のおかげ)。家族とも愛犬とも時間をともにした。散髪もしたし、風呂に入ってよく洗ったし。もう思い残すことは無いと言いたいが結構有るのだ。これは公開しないほうが良いかと思う。助かっちゃった時に後悔しそうだからである。永遠のなぞも必要である。私の秘密。どうしてもと言う方は、e-メールにて。これは冗談。こんな冗談が言えるのは今生きているからだ。そんなわけで、なじんだ布団から勢いよく飛び起きた。寝不足。何度も何度も目がさめた。朝7時、愛犬に見送られ、タクシーで病院へ急いだ。日曜日の朝の病院は静かだった。(回顧録です)救急外来の自動ドアを通り院内へ入った。入院患者の歩行訓練中の人しかいなかった。エレベーターも私1人。高層階の病室まで一気に上る。エレベーターホール前の喫煙室はいつものメンバーが早朝ミーテイングしながら占領していた。ただいま。お帰り。えらく早いねー。声を掛け合った。楽楽もとりあえず仲間に加わった。入院中の日課である。毎日そこであれこれ話しているので私の手術日は皆知っているわけだ。いよいよだね。麻酔が効いてる間に終るから。痛くないから。と、皆、気を使ってくれた。殆どの人が身体からチューブと透明の袋を下げていて、かつ点滴をぶらさげた金属製のポールを抱えているそう、手術体験者、経験者、先輩である。手術が終ると私もこんな感じになるのかなと思った。長期入院している人は人体についてまことに詳しい。私なんか、どこに臓器があるか全然わからない。自慢じゃないがへその位置と胸の位置と脳の位置と大事な所くらいである。はずかしいかぎりである。その後部屋に戻った。ナースステーションに無事戻ったことを報告。昨日はごめんなさいね。と謝まられた。朝食と昼食は食べたかどうか記憶に無い。1日中そわそわと、どこか落ち着かなかった。無性にハイになっていた気がする。病院内を歩き回ったり、同室の人としゃべったり、公衆電話を掛け捲ったり、していた。手術の前日はこの程度しか覚えていないほど思考回路が麻痺していたようだ。気を紛らわせかった。明日の手術のことを考えたくなかった。夕方からいよいよ下剤点滴に入った。下剤は嫌いだ。肛門が痛くなるから。でも手術後からこの痛みも経験できなくなるなんて、そのときは夢にも思わなかった。そして、下から出る、拭く、洗う、当たり前のことが変わってしまうなんて。ウオッシュレットを使わなくなるなんて。明日で五十数年間働いてくれた肛門のお役目が終るなんて。経験してからでないと解らない、今だから言えることだがこんなことなら、写真でも撮っておきたかった。見たことの無い自分の出口。これは独り言です。明日は手術だ。下剤点滴のあと、まともに眠れるのかな。夜中トイレの往復かも。「おかあちゃん、カミー」おやすみなさい。手術が成功しますように!
2004.05.15
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久々の帰宅そして、床屋さんで洗髪中に年老いた母が病院からの電話を伝えに来た。すぐ病院に電話してください。とのこと。タオルを頭に巻いたまま病院に携帯でかけた。○○病室の外泊許可を受けた楽楽ですが、何か?ナースステーションの担当が電話にすぐに出た。あのー。楽楽さん。実は・・・・・・ドキが、胸胸、いや、胸がドキドキ、携帯を握る手が汗ばむ。聞き覚えのあるナースの声を聞き逃さないように聞く。その瞬間、私は唖然とした。「ごめんなさーい。すぐ、戻ってくださーい。』何かまずいことでも有ったのですか?「はい。点滴打つのを1本忘れてましたー。」携帯電話が急に重くなった。今日今すぐですか?はい。どうしても打っておかないといけないのです。貴重な時間が減るよー。仲間とか分刻みに会うことになっているのにー。しかたがない、30分で戻りますから宜しく。と言って、電話を切った。床屋さんもそこそこに愛車に飛び乗り病院へ逆戻り。病室の人たちがキョトンとしていた。ベットの上に座ったまま点滴を打つ。こんな時に限って点滴液が減っていかない。ナースに内緒でポータ、ポータをポタポタにした。それでも2時間のロス、挨拶もそこそこに仲間の待つ場所へそのまま行く。しゃべくりまくった。自由が丘でショッピングも楽しむ。番頭さんにも会い、今後のことをしっかり頼んだ。だって、もしかしたらこれが最後かもしれないから。夜、遅めに家に戻ったら家族と犬が出迎えた。いよいよだね。夜中まで話していた。気泡ぶろにのんびり浸かった。絶対生きてここに戻らなきゃと祈りつつ。風呂上りにビールを飲んだ。うまー。日付けはとっくに変わっていた。ひさしぶりに自分の布団にもぐりこんだ。しばらく眠れなかった。今までは2年前の回顧録です。ここからは本日。16.5.14楽楽の行く所には必ずついてくる、人工肛門という相棒と一緒にお出かけの日。ストレス解消日です。趣味の車泊は何処にしようかな。西のほうに行ってみるか。足の向くまま気の向くまま。週末はパーキングキャンプ。電子レンジとビールを積んで。行ってきまーす。談合坂SAか諏訪湖SAにするつもりです。ウニバーサルトイレを探して。薬とストマー器具積んだかな。
2004.05.14
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直腸がん摘出手術まであと2日 回顧録です早いもので手術は明後日に迫っている。入院してから、5日目である。人工肛門になることは、とっくに頭から離れていた。手術のほうに頭が行っているせいか。今日は、土曜日である。(回顧録なので本日ではない。)朝7時より点滴開始。これは胃潰瘍跡の修理のためか。点滴が済むと麻酔担当医師と打ち合わせ。緊張の時間である。やはり麻酔薬への不安は相当強い。何か、アレルギーが出ないだろうか。手術中麻酔が切れたらどうしょう。一番不安なのはそのまま帰れなくならないか。言葉で大丈夫と言われても、不安が募る。その後手術セットなるものを買うようにナースから指示された。血栓予防の足に履くストッキング的なもの。腹巻みたいな物。その他。午後はICUの打ち合わせ。手術に立ち会うナースとの顔合わせ。このイベントは良い。患者思いだなと思う。なんとなく安堵感が出た。さて、このあとは何もないようだ外泊許可をとって見納めになるかも知れない自宅に戻ろう。念のため。友人にも会っておこう。ナースステーションに外泊許可書を提出。即、受理された。善は急げ、同室の人たちに「明日朝戻りますから』とお願いして、タクシーで我が家へ急いだ。うれしかった。ただし、お見舞い客が知らないで来ちゃうかなと心配。久々に吸う外の汚れているはずの空気がうまかった。携帯電話掛けまくり状態。「モス、モース。おれ、おれ、出て来れたよー』と家に帰ると予期した通り老犬が尾っぽを振りながら玄関で待っていた。自分のほうが犬より先に飛びついた。舐め回されて、よだれまみれになった。老犬がいつものようになにか運びたそうにしているので、洗濯物を入れた紙袋を渡すと大きな口で咥えて、引きずりながら誇らしげに前をうれしそうに歩いた。一服後、すぐ床屋に行って頭を清めた。整髪中「今病院から電話が掛かってきた』ということを年老いた母が息を切らして知らせに来た。なんだか至急病院に連絡して欲しいらしい。胸騒ぎがした。何かあったのか。
2004.05.13
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直腸がん手術までの毎日 回顧録です。毎回下の話ばかりで申し訳ありません。今日は大丈夫です。今回は手術前の肺活量の検査や呼吸の訓練などです。肺活量の検査は、楽でした。掃除機のホースの先のような物を口にくわえ指示に従い思い切り吸ったり吐いたり。検査は痛くも痒くもなかったですが、結構血圧が上がる。ただし気張ってやるものですから、咳き込んじゃったりして、そのたび、やり直ししました。喘息の人は大変かもしれない。それから、子供のおもちゃのようなおしゃぶり型呼吸練習機というか、正式名称は解りませんが、そんなかわいらしいものをナースから渡されました。暇さえあれば、毎日これで吸ったり吐いたりしなければ駄目ですよ。肺を強化する為かな。三色の丸いピンポン球が見える透明のハコで吸い口がついているもの。本当に言葉で表すのは難しい。大の大人がこれを毎日吸ったり吐いたりするしぐさはちょっとこっけいに見える。他の患者もけっこうまじめにやっている。でも大事なことである。毎日していると肺活量が大きくなる感じがする。恥ずかしいので咳き込みながらカーテンを閉めてやった。意外と疲れる。今日も番頭さんが仕事の経過説明に来た。現場のほうは、問題ないようだ。持って来てくれた物に双眼鏡が有った。いっしょにコーヒーブレイクした。富士山が見えている。高層の病院の病室から見る景色は最高である。窓側にも移れたので、夜景も見れる。見納めになるかもしれない不安も有る。今夜は双眼鏡であちこち見てみよう。
2004.05.12
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腸の内視鏡検査の続きである。まな板のコイは横を向いて寝転がった。おしりのまわりがくりぬかれた服をまとっているせいかなんとなく落ち着かない。無防備である。寒くはないのだがおしりがスースーする。診察台はちょっと冷たい。検査医師とナースから、今から行なう説明があった。先ほどのスピーカーから指示が出るとの事である。今回は麻酔は打っていないので周りの様子がよく解る。出口に潤滑油みたいなものを塗っている気配だ。いよいよ内視鏡が一方通行を逆行するようだ。意外と簡単にチュルッと入った。最初が太いようだ。言葉にいい表せないような感じである。そして冷たい感触である。自分からは見えないのだが入れているのは1本だけではないような気がする。そっと目を開けるとすぐそばに先ほどの医師の白衣見える。そして内視鏡とその他の管をさらに押し込もうとしているようだ。痛みはないが途中で止めたりしている。スピーカーからは「そこで息を止めて』とか「右を下に』とか「左を下に』といろいろ指令が来る。赤上げて、白下げないで赤下げて、などと同じだ。途中で自分が指示に従い必死で体勢を変えている状態を考えて不謹慎であるがおもわずふきだしてしまった。そのうち、笑っているどころではなくなった。ただでさえおしりに管が入っているので簡単には体が動かない。大汗をかきながら指示に従う。指示がけっこう早いのだ。そのうちに冷たい管が足にからみはじめ、自分の足ではほどけない状態となる。あせりまくる。あせればあせるほど足にからみつく。もがいている自分にまたおかしさがこみ上げてきた。おかしさをこらえながらもだえまくった。これはマトリックスの世界だ。いや、宇宙映画の酸素などを送る管をつけた感じだ。もっと解りやすくいうと、最近あまり見ないがおもちゃにある、握ると前に飛ぶ緑のカエルのようだ。こんなことをしている自分を家族を含め、誰にも見られたくないと、その時つくづく思った。ハイ終わりです。お疲れ様でした。スピーカーの声と同時に機械が出口から抜けて、身体が急に軽くなった。悪戦苦闘のうちに終った。アー。疲れた。コーヒーでも飲もう。病室へ戻る時の歩き方は、想像にお任せする。
2004.05.11
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直腸がんの手術の日が近づいたところまで回顧録形式に書いていますが、途中忘れていたことがありましたので、数日分戻リます。直腸ガンの告知、説明の前に、大変な検査があった。前にも書いた出口から一方通行を逆行する検査である。今度のはいきなり指が・・・、ではない機械による検査である。そう。内視鏡をおしりからいれて調査する方法である。食事制限と下剤とかで腸内をきれいにしてからの挿入だ。前回のように相部屋の病室のベットの上でみなの前でパンツを下げ医師の指が急に、 ではない。まあ、あの日のショックは一生忘れられないと思う。そのぐらいはずかしい場面であった。今回は、内視鏡検査の部屋で行なうのでまな板のこい状態で我慢していれば済むわけである。その部屋はやはりハイテク機器様なものが多くあり、TVモニターや各種チューブ状のもの、そして大きな手術台とその上からレントゲンと思われる大型の機械が覆い被さるように配置されていた。このような部屋はもっと暖かい色彩で患者に不安感を与えないインテリアにすればいいのにとつい職業病が出てしまった。あまりにも無機質な感じだ。奥のほうにはコントロールルームと思われる水族館の水槽的部屋が有り、白衣姿の若い医師たちが忙しそうに動き回っていた。おしりの部分があいた手術服に着替えドキドキしながら手術台の横に立った。頭上のスピーカーから声がした。テスト。テスト。テスト。テスト!
2004.05.10
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直腸がんの告知も受けた。人工肛門になるということも聞いた。性機能障害が起きるかもしれないということも聞いた。糖尿病を持病に持つ関係上、悪性腫瘍摘出後、縫合(縫い合わせ)後、皮膚がなかなかくっつきにくいことなども聞いた。血糖値を下げることも準備としてやっていたようだ。病院食を食べているとスーと下がっているようだ。手術は麻酔が効いているので痛くないそうだ。患者にとって痛みはやはり怖い。肉体的にも、精神的にも。麻酔をかけて呼吸が止まってしまうのではないか。そしてそのまま戻れなくなるのではないかとか。心境としては手術に対する恐怖だけであった。手術後どうなるかとか、生活スタイルがどう変わるかなどまったく意識外であった。気にしたことはお客様のことだけだった。通常理系の人間なので、先読みとか計画には強いはずだがこの時はやはり頭の中がガンに対する恐怖よりも手術に対する恐怖で、思考能力がなくなったのではないだろうか。今考えると不思議である。毎日当社の番頭さんが仕事の報告とか決済とか病室に来てくれる。ちょっと安心する。お見舞いの方も見えてくれる。あんまり明るいがん患者なのでお見舞い客のほうがびっくりしているありさまだ。友人が又、サプリを差し入れてくれたのでナースの目を盗み飲んだ。すこしでも悪性腫瘍が小さくなることを願いつつ。追記2004年5月9日横になる暇もなく家事にいそしむ80になる母に感謝してます。
2004.05.09
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この日記は私が2年前に直腸がんを宣告され、周囲の方に励まされながらも手術を終わり、命を助けていただいた記録である。命と引き換えに肛門という人体に備わっていたものに別れを告げ、新たなパートナー、無神経な人工肛門をおへその左脇に付けて泣き笑いの新たな人生を歩んでいます。手術後退院までは喫煙室仲間と楽しかった思い出や、退院後から3ヶ月はおしりの痛みと人工肛門の処置との戦い。そして現在2年目までの精神的な葛藤。などを書いていくつもりです。私は建築のリフォーム業を営んでおりますが、最近ではやはり高齢化の影響か、段差解消とか手すりの取り付けとか室内を車椅子で動き回れるように広げるとか、リュウマチでほとんど歩行困難な方のお風呂とトイレの改造とか、階段昇降機、簡易エレベーターの設置とか、のご依頼が増えてきております。家族に車椅子使用者がおりますので、テストしたり、意見を聞きながら施工アイデアを考えております。今日2004年5月8日昨晩から大好きな車泊しようと出かけたのですが、またまた神奈川のお隣、静岡県熱海市まで来てしまいました。ノートパソコンで書いておりますが、送信がうまくいくかどうか。駄目だったら家からやります。隠れ家から1歩も出ず、読書と温泉三昧してまーす。今日の相棒は機嫌がいいです。ホッ
2004.05.08
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人工肛門にするという決断を下さずにはいられない状況になってしまった。性機能障害になるという可能性についてもやってみなければ解らない見たいだし。なんでこんな身体に自分だけがなってしまうんだろう。そんなことを考えていたら気分がめいってしまった。自分はけっこう楽天的なはずなのに。しかし、人生とは解らないものである。山有り谷あり。本当だ。それにしても、人工肛門になった後のことの説明がいまいち解らない。説明不足。おなかにうんもを溜める直腸の役目をする袋をつけるとか、袋を取り替えるとか、ズボンの中に隠れるのかとか、袋の処理方法とか、うんもが常に出てくるのかとか。やってみなければ解らない未知の世界である。ナースから、説明があるらしいが手術前にはいまいち理解できなかった。というより理解したくなかった。
2004.05.07
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手術まではまだ間がある。まじに逃げ出したくなる。まだ人工肛門になったイメージがわからない。図で書いてくれると位置とかはわかったが、生活はどうなるのか?人工肛門は露出状態なのか。カバーでも付けるのか。トイレはどうするのか。洋便器でおなかを下にしてうつぶせになるのか?その状態でウオッシュレット使うのか?トイレに入ったら裸で便器に?おなかのおしりをどうやって拭くの?家のトイレを改造しなくてはならないのか?頭の中はほとほと困り果てている。家族はなにか質問をしている。そして、説明の中で、医師から気になる言葉も出てきていた。手術すると「性機能障害」が起きる可能性があると。なんですと?性機能障害・・・・・???このごろCMなんかに出ているあれ?。EDとかなんとかいう。医師は続ける。直腸や肛門を切除するとき、万全の注意をしてますが神経を切ってしまうことも有りえるのです。性機能障害ってイ○ポテンツになるということ?おいおい、まだ60前だよ。困っちゃうよ。人工肛門になるということよりもこれって大事なことではないのかい。ワイフ、娘が脇にいるので突っ込んで訊きににくい。医師も性機能障害という言葉だけで特に細かい話が無い。手術の後遺症にしてはかわいそうだよ。気をつけるけど良くあることらしい。糖尿持ちなのでいつかは駄目になるかもしれないが、現役バリバリ。 とまでは行かないがこれはきつい。目の前が真っ暗になる。人工肛門の不安よりもこっちのほうが不安だよ。男にとって。人生において。ケツは無い。出来ない。こんなことってあり。踏んだり蹴ったりである。もっと尋ねたかったが黙っていた。娘の前できくわけにもいかないよね。手術がうまくいけば、そんなことは無いはずと思いながら。性機能障害という言葉が頭の中を駆け巡る。楽楽は何事も無いような顔をして。気分が落ち込んだ。その後手術承諾書の話と手術の日程の話があった。手術をしたくない気持ちになった。説明が終わり病室に戻る足取りは重かった。その後そのことに家族は触れなかった。
2004.05.05
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今から病状と手術についての説明である。狭い部屋に医師と私とワイフと娘が居た。静まりかえった部屋。緊張する。挨拶のあと、医師は私の体調の話から始まり、検査結果や、患部の位置、そして状況。ホワイトボードに人体のスケッチを書き非常に解りやすく患部の説明が続く。ちなみに私はステージ2、Bランクらしい。楽楽さんはこんな状況なので直腸ガンの部分を切除しますが、それに伴い周りのリンパ関係も転移を防ぐ為取る事になると思います。直腸の患部だけ取って肛門近くの直腸部分と接続すればいいのですがなにせ腫瘍の位置が悪いのです。ですから、現在の肛門にはつなげません。肛門を温存したいのですが、肛門の周りにがん細胞が残る心配がある。残して1年後に来られたときは転移していたり末期状態になる可能性が大きいです。肛門を取りましょう。医師は淡々と説明する。エッ。肛門を取る。肛門が無くなる。トイレはどうするのだろう。この辺から、またまた頭の中が真っ白けである。話を聞いているのであるが、他人事のように感じた。自分のことであって欲しくない。医師は耳慣れない言葉を口にした。肛門を無くして人工肛門にします。人工肛門?全然イメージが湧かない。ピンとこない。おしりが人工肛門?うそー。なんか未知の機械でも取り付けるのか?この時点ではこのくらいの知識しかなかった。医師はホワイトボードの人体の図の一部に○印を書いた。なんじゃ。この○は?自分の悪性腫瘍とは全然場所が違う。すぐ脇には最初に書かれた×印が有る。○と×。×はおへそだよね。一般的に。医師は続けた。この○しるしのあたりに人工肛門がつきます。無常にもその位置はおへそから水平方向13センチくらい離れた所である。もちろん正面向きである。見えないはずのおしりが前に来ちゃう。直接では見えないはずの肛門が見えちゃうの。もしかして前からうんもが出ちゃうのか。まさか。出たのはをどうするの。訳もわからないまま頭はパニクッている。
2004.05.03
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よく解らなくてつけてしまったニックネームを変更しました。楽楽4649です。楽しく楽しく生きていきたいと思いつけました。決して、楽して楽してではありません。?今後とも4649よろしくです。さて、昨晩は寝不足が続いたせいかグッスリ眠れた。ここでは朝は日の出前には目がさめる。家ではこんなことはまず無い。犬が枕もとまできて、35キロの身体でぶつかって来るまで寝ていられる。今日は胃カメラの日。そんな訳で朝食は抜き。内視鏡検査室まで行き順番を待つ。外来と違い時間が正確で殆ど待たなくてすむ。入院服で院内を徘徊するのもなれた。待合室に入ると肩に注射を打たれた。ナースに自分は胃カメラに弱いので麻酔してくれませんかと頼んでみた。了解してくれたようだ。ハイテク機器に囲まれた診察台に上がる。医師による説明があった。ドキドキしてて、うわの空で聞いていた。軽い麻酔薬を指に打った。そのまま意識を失った。目がさめると検査は終了していた。胃潰瘍の跡がありますね。手術のストレスで急激に悪化する可能性があるので少しでも直しておかなくては。手術中に穴が空いてしまう人もいます。え~、手術ということは大変なことなのだ。学の知識は何も無いが、びっくりした。相当、身体に負担がかかるものらしい。それにしても今日の胃カメラの医師は上手だった。過去に受けたときは、よく終了後1週間くらい咽喉が痛くて大変だったが、今回は何も感じられない。ずいぶん病院によって違うものである。カメラのチューブが細くなったのか。以前、ゲーゲーしながら、涙と鼻水ですごかったことを考えると進歩したのかな。ベットに戻ると、点滴が待っていた。きっと胃潰瘍の関係かな。点滴をつけるとますます病人らしくなった。昼食後、ワイフと娘が来た。心配そうな顔をして。明るく楽しそうに出迎えた。家族のことより犬のことが気に掛かる。どうしてるときくと娘が写真を見せてくれた。会いたい。これから医師による今までの検査結果やら重要な話が有る。家族を呼んでくださいなどと言われているので事態は深刻のようである。不安が頭をよぎる。ガンである事実は自分としては受け入れているのであるが。ナースが呼びに来た。運命のときである。なんといわれるか?小さな部屋で、納戸みたいな感じの殺風景な部屋に通された。会議室の机とイス、黒板が置いてあった。挨拶後、医師が口を開いた。追記書いていて思い出したのですが、直腸内視鏡の検査の日記が欠落してました。何せ2年前のことを思い出しながら書き込んでおりますので後日記入します。これまた、大変な検査でしたので。2004年5月2日GW中ですが書いているのは2002年3月15日頃のことです。GWは、楽して楽しく過ごしましょう。健康と交通事故に気をつけてください。
2004.05.02
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昨日は大変な一日であった。午後はのんびり出来たが。夜はやはり眠れなかったので喫煙室に往復した。結構夜中にここに集まってくる。話していると、いろいろな職業の人と出会える。株の専門家。IT企業の最先端の人。デザイナー。魚河岸勤務の人。女医のたまご。飲み屋経営者。病院のここだけは妙に明るい。常連、見舞い客、次々と狭い部屋に入ってくる。そして、なんとなく話が始まる。本日午前中はまた、回診が有るという。一瞬緊張が走る。又やるのか。勘弁してくれ。今日はすぐ終了。血圧が高いので薬を飲む。即効性がある舌下錠みたいな薬ですぐ下がった。会社の番頭さんがたくさん健康食品をかかえて来てくれた。仕事の打ち合わせをした。時間がなかなかたたない。おなかは関係なくすく。今夜は入浴日である。夕食後ゆっくり入った。ベットに戻りしばらくすると仕事帰りの妻が来た。手術の説明があるから明日の午後来るように伝えた。明日担当医からなんと言われるか心配である。午前中は胃カメラで検査との事。あれは嫌いだ。朝食は抜きとの事。
2004.05.01
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