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昨夜はオフ会、帰還時刻は午前0時過ぎ。当然扉は閉まっている。インタフォンに向かって恐る恐る「開けてくれるか?」 もちろん返答なし。何度か試みたが返答なし。しかたなくノブを回すと開いた。物騒である。戸締まりぐらい、ちゃんとせんとあかんやろ! と言いたいのをぐっとこらえて飲み直す。 実は飲み会中、何度か、「いつまで飲んでるのん? 明日も仕事やろ?」 という迷惑メールが入っていた。 家の前に着いたら必ずメールを入れるように、という指示とも命令ともつかないものがあり、まだほろ酔い状態の頭で、家の前からメールをしたことを思い出して納得した。 よく寝た。そして朝から風呂に入った。実にさっぱりした気分でこの文章を書いている。 三島由紀夫の小説に「宴のあと」というのがあったが、宴の翌日の朝風呂というのは最高だ。悪玉のアルコールが身体全体から昇華してゆく感じがする。 断っておくが、このように書いたからといってカミさんがわざわざ朝風呂を湧かしてくれた、というわけではない。単に昨夜、カミさんが風呂を湧かせていたことを忘れていただけのことで、つまりは風呂まで「怒り沸騰状態」で入ることが適わず、その湯熱が朝まで残っていた、だから入っただけにすぎないのだ。いやなことはすぐに忘れるB型であることがうれしい気がする。 ところで朝風呂といえば、銭湯にかぎる。実は近くの柏原温泉は日曜だけ朝風呂をやっている。普段は午前11時の開門から深夜1時だが、日曜だけは朝7時開門。駐車場付きで360円ポッキリ、さらにラドン温泉までついている。スーパー銭湯ほどの設備こそないが、私のような働くことによって糧を得るプロレタリアートには格好の憩いの場となっている。風呂あがり、汗を拭き拭き飲む瓶入りニッキ水やミカン水には、どこか古き良き日本の、映画館で飲んだあの懐かしい味がするようで大好きだ。 ニッキ水やミカン水が似合う小説といえば浅田次郎の「活動写真屋の女」だろう。そういえば千本通り(西陣にあり、昔はたいそう賑わいがあった)の映画館閉店を題材とした彼の「オリオン座」という小説も良かった。 まもなく依頼者宅に向かいます。案件は症状固定による後遺障害認定請求、それにしてもドクターというのはどうしてこうも字が下手なのだろう。いっそドイツ語の筆記体で書いてくれたほうがわかりやすいかもしれない。
2005年04月30日
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まもなく風薫る五月、沿道のツツジが五色の花弁を開いて陽を浴びている。独身の頃から男の子が生まれたら屋上に大きな鯉のぼりを高々と掲げるつもりでいたが、五月が来る前に息子は亡くなってしまった。もし生きていたら19歳、月日は無情にも思い出を希薄させ、押し流してゆく。 哲学には二大思潮がある。観念論と唯物論である。我思う故に我あり、などは観念論であり、J・P・サルトルなどが唱えるプラグマティズム(文学上の主流だと思うが)もこの範疇に入る。一方、唯物論にヘーゲルの弁証法を取り入れ、そこから社会構造を説いたのがエンゲルスとK・マルクスだった。 もちろん仏教は先の観念論に属するが、仏教では一切が空であると考える。この世にあるものは全て空なのだと。空であるとするならば、この世にあるものは全て人間が都合よく創造したモノ(まやかし)であるとする唯物論に接近するどころか、合体することになる。本来の仏教には霊というものは存在しない。人は生まれ変わるという、六道輪廻という考え方があるからだ。だから今の日本仏教界は摩訶不思議なる仏教だと言える。ちなみに中国やタイには死者の霊を祀る墓というものはない。 ああ、それにしてもここ数年五月になると、こどもの日だけ無料招待をしていた近所の銭湯のことを思い出す。仲間みんなで菖蒲湯に浸かって遊んだ、疑うことなどとは無縁だった日々。失うことなど何もなかったあの頃が妙に懐かしく感じてしかたがない。 時刻は朝の8時20分、八尾FM局「ちゃお」からは尾崎豊の歌が流れている。僕が僕であるために。そう僕が僕であるためにはみんな格闘しながら生きているのだと思う。尾崎豊はタイプは違うが河島英伍などと同じ、本音を語ることができる歌手だった。 そういえば花高(大阪花園高校)の河島英伍の武勇伝というか伝説は当時の大阪では結構有名で、同じ時期に高校生だった私らはそれらの一つ一つを異世界の、まぶしいモノでも見るかのように聞いたものだった。それにしても惜しい奴ほど、人生の役目が終わったとばかり死に急ぐのはどういうわけか。 思えば遠くへ来たもんだ、とつくづく思う。あの海援隊の歌としてつとに有名だが、実際の原作者はあの中原中也である。 中也の詩にはなぜか悲しいものが多い。たとえば「死別の翌日」の書き出しはこうだ。 生き残るものはづうづうしく、 死にゆくものはその清純さを漂わせ もの言いたげな瞳を床にさまよわすだけで、 親を離れ、兄妹を離れ、 最初から独りであったもののように死んでゆく。<中也詩集より抜粋> わずか20代でここまで達観した詩を書いた中也はさすがだ。
2005年04月29日
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最初に断っておくが、私はイカリやカゴメのCMをするつもりはない。するつもりはないが、みなさんのお宅ではウスターソースを使いますか? と問いたい。 わが家でカレーライスにウスターをソースをかけるのは私だけである。天ぷらにも天つゆではなく、ソースが欠かせない。サラダにはドレッシングではなくソースをかけないと食べる気がしない。とにかく洋食にはウスターソースをかけて食べるのが祖父の代からの石井家の習わしなのである。つまりは、三つ子の魂・・・である。 ソースをかけるかけないだけなら、個人の好みだからどうでもよいことのように思われるだろうが、実はそうではないのである。「何?」「そーすか?」 なんて、下手なダジャレを言ってる場合ではない。先を急ぐ。 わが家の女どもはどういうわけかウスターソース自体をかけないのである。つまり、ウスターソースは私一人のために存在しているのだ。ということは、減らない。減らないということは、どういう理由か。味が濃くなってくるのだ。ざら辛い感じといえばわかってもらえるだろうか? ただただ辛く、どぎつい味なのである。 変てこりんな、多国籍調味料が持てはやされ、シンプルなウスターソースが迫害されている。ちょうど外来種に住処を奪われる在来種のような感じだ。そういえばフレンチドレッシングなどはパピヨンもどき、豆板醤などはバラモン教の牛頭天王のようで、どうにも好かない。食の王道?「さしすせそ」だけは手放したくないものである。 だいたいからして衣服もそうだが、食べ物もシンプルが好きだ。お好み焼きにケチャップやマヨネーズはかけない。大好物のラーメンは醤油味しか食べない。味噌や塩は邪道! うどんやそばはキツネかタヌキ、たまに天ぷらはあるがごくまれだ。 やたら香辛料を混ぜ合わせ、デコレーションした食物は好きではない。特に辛いものは舌が巻きついてくる感じでクワバラクワバラ、である。 冷や奴は絹こし。カミさんたちが好んで食べるたまご豆腐やごま豆腐は豆腐もどきでダメ。気取った会席料理よりも、一品豪華てんこ盛りが好き。こちらのほうが食べた気がするから好きだ。 そうめんは揖保の糸が一番で三輪が二番、三四がなくて小豆島などは番外だ。 肉はカルビが最高、イカは剣先にかぎる! あぶってヨシ、刺身でヨシとくる。お好み焼きは豚玉かイカ玉、ミックスはお好み焼きではない。そばめしなどというけったいな食べ物があるがお好み焼きでないという注釈が付くかぎりでは、うまい!と思う。 ぐだぐだつまらんことを業務の合間に書いている。こんなに食べることにうるさい夫はそういない、はず。本音を言えばこういうことだが、もちろんカミさんの前では言えない。だからここに書いているのだ。 ところで、大阪でうまいもん言うたら、ラーメンなら古潭、お好み焼きは風月、串カツはじゃんじゃん横町の八重勝、おでんはたこ梅、シュウマイは日本橋の一心、大阪周辺の駅そばで旨いのはなんといってもJR大阪駅環状線乗り場東端のそば(なんと手打ちだ)で決まりだ。本格歯ごたえのそば、中でもお薦めのたぬきそばは280円だ!
2005年04月28日
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長らく東京法務局にしか請求取得できなかった「登記されていないことの証明書」は今年の1月31日から地方法務局でとれることになったが、身分証明書に関してはそうはいかない。 宅建業法人役員変更と風俗営業の絡みで4名分の身分証明書を取得しないといけなくなった。 ところが連休を目前に控えている。そこでカレンダーとにらめっこ。申請は連休明けになるのはもとから覚悟しているが、市町村によって証明書の到着が遅かったりすることがある。明けの6日を逃すとなんと9日になってしまう。これだけは避けたい。なんとしてでも6日受理を目指したい。郵便局の速達もあんまりアテにはならないし、クロネコメール便は不安だし、困ったことだ。 ところで今日は東大阪市役所まで足を伸ばすのみ。明日は早朝から時間予約をした産廃案件で府庁、そのあと吹田へ出向き、帰路は西成で交通事故案件。自賠責に出す資料をいただくことになっている。帰りは4時ぐらいか。少し早いがじゃんじゃん横町の「八重勝」の串カツで一杯やるつもりでいる。しかし明後日は京橋で行政書士MLのオフ会に参加することになっている。まして最近体調が良くないので前日ぐらいは控えるほうがよいかもしれないと考えている。
2005年04月27日
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日本人は腹切りがよほど好きらしい。 昨朝のJR脱線事故があった同時刻、私も快速電車で大阪へと向かっていた。ただし大和路線だった。 一夜明けた朝のニュースも現場中継からはじまっている。中にはどういう関係がある人なのかとクビを傾げたくなるような評論家までがマスコミの差し出すマイクに向かってコメントを発表している。 JR社長にむかって、「事故の責任を取ってお辞めになるおつもりは???」 と詰問する記者がいた。 はあ? である。この記者、辞めるのを腹切りと勘違いしているのである。 辞めれば責任が取れるのか? 辞めるだけなら責任を逃れているだけ。むしろ後始末をちゃんとしてから辞めるのが大人だろうが。難題を投げだし、さったと辞任宣言をするのを世間一般では無責任というのだ。 この手の事件があると上司が必ず「私の不徳の致すところでありまして」と頭を下げる。儒教では部下の不祥事は徳ある上司の徳が足らない為に起こったものであるという考え方をする。 儒教は徳を大事とする。徳治政治、つまりは徳ある人物が人の上に立つのが妥当であると考える。あの北の王様もそうした理由から敬愛されているのだし、江戸幕府も300年という長きに亘って政権を維持できたのもこうした支柱があったせいだ。 事故の直接の原因はスピードの出しすぎと置き石である。いつもより早く感じた、という乗客の証言がなによりそれを雄弁に語っている。根本はここだけ。あとの話は全部尾びれ背びれである。運転手の安全配慮が足らなかったということに尽きるのだが、それではテレビやマスコミとしては仕事的につまらないようだ。小さなものを大きくするのは芸能ニュースだけでたくさんである。 過密ダイヤに車両の安全装備の不備などいろいろ取りざたされているが、完璧などあり得ない。 過密ダイヤを例に出すと、こんなのは国鉄時代からずっと過密ダイヤだった。立派な法律違反、そう「順法闘争」という言葉を耳にした人もあるだろう、順法にダイヤを組むと今より運行回数が減ってしまう。つまりは利用者にご迷惑を掛けることになる。だからこそあの時代、順法闘争のストがあるたびに列車が大幅に遅れたのだ。 むしろ私には運転歴11ヶ月が気になった。ふーんという感じである。そう言えば若い運転手が多いような気がする。 通常6ヶ月ぐらいで車の免許が取れる。取ったらすぐに公道を走る。危ないと思うが、こちらは線路の上である。ハンドルがない分、公道よりは安全かもしれない。 いずれにしろ、マスコミの弱い者イジメ、パッシングだけは聞きたくもみたくもない。
2005年04月26日
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CSS言語とHTML言語の関係がようやくわかりかけ、いいHPができると思っているが、肝心のコンテンツが全くお恥ずかしい限り。文章を書くことに書けては自信はあるが、HPという限られた空間の中での効果等をも考慮、配慮したものでないといけない。もちろんSEO戦略は言うに及ばずだが。 だらだら詰まらん?誰もが書いている業務に関する説明を書き綴ることも大事だとは思うが、その道のプロなを自負しているのであれば最低限の説明さえできていれば良いような気もする。実際画面の文字をスクロールしながらじっくり読む人は、ほんとに少ないというデータもあるらしい。 要は訪問者を鋭く突き刺すキャッチコピーの効果が大きいような気がするのだが・・・。この点について皆さんのご意見をお聞きしたい。
2005年04月25日
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日曜日というのに仕事をしている。明日からの予定をながめながら宅建業役員変更の書類を作成している。 休日の事務所周辺は喧噪とは無縁の世界が支配している。長女は朝4時起き、次女は朝7時起き、それぞれ仕事やクラブにと出かけていく。カミさんは弁当を作るために5時起きだ。6時には洗濯槽が回っている。 午後8時、事務所の椅子に座った。まずはハタキとちりとりで掃除。机をぬれ雑巾で拭く。事務所に数鉢あるスパティフィラム(もともと一鉢だったが株分けした)に水をやる。この観葉植物は世話が要らない。水さえ絶やさなければ、あとたまに水性肥やしをやるだけで元気がいい。水芭蕉のような花を咲かせるので気に入っている。 夜中の間にファックスが入っている。しかも5枚もだ。業務は2件で残りがFAXDMと呼ばれる広告だ。DMはどういうわけか、やたら塗りつぶし部分が多い。インクジェットFAXだからインク代のことが気になる。どこから調べてくるのか?(調べるまでもない。電話帳に掲載してある) FAXDMには同業他業者も実に迷惑だと嘆く。 断りの電話やFAXを流すが一向に減る様子はない。まるでジャッカルかハイエナ、銀ハエみたいな輩だ。というわけでインクの残りも少ない。昼ごはんを食べに出かけるついでに近くのミドリ電気でインクを買うとするか。まったく迷惑な話だ。
2005年04月24日
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相も変わらず貧乏事務所はバタバタ忙しいばかりで儲からない。事務所にいるのは今日だけ。明日は朝から吹田市、午後からは岸和田市で夕刻には事務所で相談の予約が入っている。 移動時間を利用して業務関係の本を読むことになる。知識の集積はわれわれの生命線、途切れたら息切れしてしまう。 その間をぬって業務だけでなくHPの更新やリフォーム、楽天日記への書き込み、相談メールへの返信などもしないといけない。気が付いたら今年に入ってから休んだのはわずかに数えるほどである。 おかげで肩こりがひどい。肩あたりがパンパンに張って首を回すとボキボキと音がする。仕事効率を考えれば休んでリフレッシュするにかぎるが、そうもいってはいられない。迫り来る連休の予定がすでにできている。お役所が休みなのでこの間を狙ってHPのリフレッシュ(CSS化)をするつもりなのだ。HPは自作自演の書きものだけに誰にも助けてくれとは言えない。 全共闘時代の名作「孤立無援の憂鬱」を書いたのは作家で京大助教授だった高橋和己だが、彼の憂鬱は専ら思想的であるのに対し、私のそれはただただ経済的理由によるものであるところに彼との相違がある。どうみてもこの差はきわめて大きい。
2005年04月21日
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今日は午後から依頼者と面談。そして夕刻には支部の総会。おそらく3時間ばかり空き時間ができるはず。映画を観るという手もあるが、日本橋でパソコン部品を探索したあと、難波のジュンク堂でじっくり専門書の座り読みをするのもいいかも。 相手が未成年、保険は自賠責のみ。無職ということらしいので賠償部分で足が出る場合は両親に請求することになりそうだ。 また福岡で地震。昨年からやたら大きな地震が日本中を襲っている。大阪もここしばらくは静かだが、用心することに越したことはない。
2005年04月20日
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新しいソフトを導入しているが、マニュアルが手元にないというか、書面の形ではないので、苦戦している。昔は辞典のようなマニュアルが付いていたものだ。見なくてもわかるように制作されているのが昨今の売りらしいが、活字世代を過ごした私にはどうにも馴染めない。 英語や国語の辞典も最近はデジタルが一般的。昔のようにペレペレ探し出すようなことはしなくなった。電池切れさえ気配りしていればいつでもどこでも好きなときにチョンチョンとキーを叩くだけで検索表示されるから便利と言えば便利。 今後推し進められる電子申請なども似たようなことになるに違いない。身分証明書カードを差し込み、ピ、ポ、パと必要箇所を選択するだけで、「受理いたしました! つきましてはご指定のメール先にお送りしておりますのでご確認ください」 なんて文字が表示されることになるのだろう。 われわれの作成する申請書類など今後30年もすればさぞかし時代がかった書面にみえるはず。「昔の人はこんな面倒なことをしていたんですね」 と言われているはず。 郵便局より中国情報が気になってきました。 反日を唱え、行進する若者の足を覆面をした当局が懸命に引っ張っている感じですね。自ら墓穴を掘る典型例ですね。下手なドラマよりおもしろい。砂上の楼閣がどう倒れていくのか。まずは高みの見物です。
2005年04月19日
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お隣の国の様子がどうにもおかしい。お隣とは今もって中華思想を携えている国のことである。 あの国では民衆は支配できるものであった。思うがままに操れるものだと思って今回のデモをプロパガンダに使うべく黙認したきらいがあった。デモそのものはやらせの部分が功を奏した。これを新たな?外交カードとしてこれまで同様、日中関係を有利にできるものと思いこんでいたら、なんと(人民の)ブレーキが利かなくなっていた。 古今東西、権力者の言うことを聞かなくなった民衆ほど怖いものはない。 戦中からずっと愛国心=反日は中国共産党の大きな支柱、錦の旗であった。 愛国心を持ち出されるとたいていの権力者はひるんでしまう。 そういえば日本でもその昔同じようなことがあった。2・26事件である。当時の日本軍は皇道派(急進派)と統制派(穏健派)にわかれ、反目し合っていた。 事件は皇道派の青年将校が中心に、なんと皇居を占拠するという形で勃発した。やがて反乱部隊は鎮圧されることになるが、なんと首謀者たちにはお咎めがなかった。 戒厳令まで出たあれほどの事件、なぜか? それは、「すべては陛下のために、よかれと思ってしたことである!」 からであった。 このときの処遇によって日本では、陛下のために、が免罪符となり、文民は排除され、軍部による独走を許すことになってしまったのである。 今回の中国でも、愛国のための反日暴動は許されるという意識が根底にあるらしいが、国際資本の誘致やオリンピックなどの国家的事業を控える中国では今後政権の威信にかけ、反日運動やデモにブレーキをかけることになるはず。 しかし長い間反日が唯一の存在基盤であった政権にデモや暴動を阻止することができるはずがない。 民主化、資本主義の大波に人民はすっかり浸り、豊かな物質社会を享受、自由を謳歌してしまっている人民にとって当局が本気モードで人民を押さえ込めば込むほど、その矛先は理不尽で時代遅れで、硬直的で、やたら権力志向が目立つ、目の上のたんこぶ「一党独裁政権」に向かうことになるだろう。 反日の向こうに控えているのは共産党崩壊という大事件だと思う。
2005年04月17日
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作ったはずのHTMLがすっぽりHDから無くなっている。正確には作ったまま数日間放置していた。もちろんその間パソコンは毎日稼働している。 検索機能を使って行方を捜したがどこにもない。困ったことだ。 実は以前にも同じようなことがあった。その時は住所録ファイルの一部が消え、業務用のドキュメントファイルの一部が欠落していた。「おむすびコロリン」ではないがどこか抜け道でもあるのだろうか? と思いたくなるような、超常現象である。 同業者のパソコン整備士にも尋ねたが、「???」と首を傾げるだけで明確な答えが見つからない。 ひとつだけ思い当たることがあるというか、考えられることがある。HDの回転数が微妙に変化したのではないかということ。 昔々、Basic言語やMsdosが全盛だった時代、多くのソフトにはプロテクト(コピー防止)がかけてあった。どうやって作るかといえば、正しい暗証番号が入力されない場合に、あらかじめ仕込まれたソフトが自動的に稼働し、ドライブの回転数を変えることでプログラムファイルを誤読させ、正常に動けなくする仕組みとなっていた。CDやMDなどで急に回転数が変われば音が変になるのと同じ仕組みである。 勝手に回転数が変わるということは、つまりは、HDの寿命が尽きている、ということ。さっそくあたらしいHDと取り替えることにした。 パソコンの前でタバコをよく吸う方、5年以上前のパソコンを使っておられる方、上記のような異変があったらそろそろ寿命と考え、HDを入れ替えましょう。
2005年04月16日
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「あの大八木を一発で倒した男」のビデオ2本が佐渡島から届いた。W先輩ありがとうございました。 さっそくみんなでビデオ観戦。大八木を倒したシーンは拝めなかったが、突進してきた平尾の足元に鋭く入ったタックルにスタンドから歓声があがっていた。 男は6番、左フランカーであった。フォワードの選手としては小兵ではあるが、豊富は運動量がそれを補っている。とにかくボールのあるところには男の姿があった。しつこいボールへの絡みはさすがである。 後半三十分、右側オープン攻撃から最後は男がライン際を走り抜けて右にトライ! ラグビーマガジンの名簿によると男は2年生までCTBだったことがわかっている。きっとタックルと走力をかわれてのFWコンバートだったのだろう。 今朝は早朝練習があるとかで末娘は5時過ぎに起き、身支度もそこそこに学校へと向かった。もちろんビデオはカバンの中だ。20年ぶりに若い頃の自分との対面、さぞかし懐かしいことだろう。
2005年04月15日
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日本人は和を大切にする。 和をもって尊しとなし。 万機公論に決すべし。 地位や権威で勝手に決めず、よく衆目の意見を聞いてから何事も決めよ。 などと説いたのはあの聖徳太子である。 日本人はそもそも集団生活を好む民族であり、集団のためなら個人の意見を捨てることを潔しとする。倭の国の倭は環濠の輪の意味であり、それは和を重んじていたからだと唱える歴史学者さえいる。語の意味は昔と今ではちがうことが多い。倭は夷と同じで卑しい意味とする説もある。いずれが正しいのかどうかまだわかっていない。しかし聖徳太子が指す意味での「和」は島国という特殊な環境のもと、狭い空間で生きていく上での処世術であったのだろうかな、と言えるのではないかと思う。 和を乱すということはそれがたとえ正しい行い、意見であっても悪であり、多数意見に従うためには(和のためには)個人的意見を捨てさる。 会議や集会などで、「せっかく話がまとまったと思ったら、一人だけ変なことを言い出す奴がいて、せっかくの案がおじゃんになった」 なんてことを経験したことがあるし、そうしたたぐいに話を日常茶飯事的に耳にしたりする。いくら正論であっても、もはやみんなの和を乱したことの罪の前には無に等しい。さらに主張すると、協調性がないだの、自己主張の強い男でイヤな男だ、というレッテルを貼られ、それ以後は疎遠というか、人間として敬遠されてしまう。 和を乱されると日本人はとにかく不満に思うようである。このあたりが個人主義を尊ぶ欧米やアジア大陸諸国とはまったく違うところである。 日本人は喧嘩や諍いをしてもあるときお互いが「水に流す」ことで和解をする。この水に流すというのは日本にしかない解決法だ。だからこそ中国や韓国には通用しないのだ。 多数決の原理は戦後アメリカから日本に入ってきた民主主義の贈り物だと思われているが、実は日本という国には大昔から和を維持するための多数決の原理というのが存在していた。スサノウノミコトが高天原を追われたのは和を乱したためだ。 大和と書いて「やまと」と読む。大きな和は大多数の合意と解する。つまりは古代大和朝廷は全国統一をした政権などではなく、連合国の意味であると私は考えている。
2005年04月14日
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ネット取引というのはとても便利なようだが、取り込み詐欺など、変なのが徘徊しているせいか、みなさんの猜疑心も尋常ではないようだ。 昨夜、自宅で巨人阪神を観戦していると1本の電話が鳴った。夜間は事務所にかかった電話は自宅に自動転送できるよう設定してある。交通事故の案件だった。「サポートコースですが・・・」 いきなり報酬の話が出てきた。「これって本当にこの報酬ポッキリなんですか?」 次から次へと報酬に対する疑問を述べられるので、質問の真意がわからず、「ところで肝心の交通事故はどういったものだったのですか?」 と苛ついてしまった。野球がいいところであったせいも多少はあった(笑) どうも信用されていないらしく、色々聞かれるので、「信用されていないならほかをあたってください。うちは国家資格の士業家、わけのわからん示談屋さんと同列に扱わないでください」 というような意味合いのことを言った。報酬というのは仕事の対価である。仕事の難易度や作業も判らないのに、感覚的に安いか高いかだけで判断されるのは心外である。こちらとしては報酬に比例する仕事をさせていただいているつもりである。とにかく報酬のことばかり聞くお客さんは苦手というか、仕事をする前からうんざりしてくる。「支払いはすぐにしないとダメか」 とも聞くので、信頼関係ですから。もっともあまり遅いのは困りますけど、と答えた。 交通事故といってもピンからキリまである。後遺障害が残る重傷もあれば、かすり傷程度で終わる場合もある。物損だけのトラブルなどもあったりする。 こういった案件の場合、なかなか通常の報酬は頂けない。もっと安くしてもらえないかという希望があって、メールによるサポートを考え出した次第。これなら相談者の負担も少ないし、こちらとしても利益があるので度重なる相談にも応じることもできる。「最後に、あとから高額報酬を要求されたりしませんよね?」 と聞いてこられたので、とうとう頭にきて、「うちは無料相談も受け付けています。とにかく電話では事故の子細が判りづらいので、すみませんがメールでお願いします。メールには専用フォームがあり、あらかじめこちらが設定した質問事項に正直に回答してもらうだけで事故の態様が判るようになっています。すべては相談から、です。メールをいただくと事故の損害額の範囲がだいたい推測されますので回答致します。アドバイス、つまりはサポートですが、これもさせていただきます。それで気に入られたら有料にてお願いします」 ところがそれでもまだなにやら疑っておられるらしく、続けてご質問をされるので、「とにかくご相談がおありなら有料無料に関わらず、当事務所へメールを入れてください。全てはそれからです」 と言い放ったとき、阪神の選手がセンターへクリーンヒットを打ち、三塁から選手が小躍りしながらホームベースを駆け抜けるのが目に入った。「誰や誰や、誰が打ったんや? わからなかったやないか」 ところで春来るらし佐渡島から「大八木を一発で倒した男」のビデオが見つかった。しかも2本もである。まずはW先輩に、ありがとうと感謝したい。
2005年04月12日
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業務として異議申立や上申書というのがある。回答文を照査しながらヘーゲル的視線でもって深読みをする。表現のあら探しが得意なんですね、と人からよく言われるが、得意というか、これができないようでは文士などつとまらない。 小説を書くということは、全くの個人的小説でもないかぎりいろんな人物が登場する。それをひとりの人間(作者)が何通りもの人間の考えを述べ、行動させることによって物語となる。幾通りもの人格や言動を携えていないようでは小説などはとてもじゃないが書けない。 人間の意見というのは本人が気付く気付かないに関わらず、いくら公平だと言っても、結構一面的である場合が多い。ふむふむ、なるほどなるほど、と舌なめずりしながら文章を追っていく。読み終わるころには、きっちり反論文が頭の中にできあがっている。 昨日は後遺障害に関する異議申立を書いた。診断書に書かれたドクターの短いコメントの言葉尻をしっかと捕まえ、それに言葉をつけ加え、的確な色を塗る行為は文士冥利に尽きる作業ではある。
2005年04月12日
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書士と文士を兼ねている。違いは何かと問われれば「ほんとか嘘か」ということに行きついてしまう。 書士は嘘を書けないが、文士は嘘が書ける。また、書士に「・・・」はないが、文士の「・・・」はとても意味深い。 自叙伝や社史を頼まれることがある。普通なら何時間もかけ、十分な聞き取りをするのだろうが、私の場合はあまりそうしたことに時間をかけない。ご本人やご家族の経歴(年表)を聞く程度だ。むしろ写真や当時の資料を要求する。本人の言うことよりこちらを見たり調べたりする方がより真実に迫れることが多いし、想像力が湧くからだ。 時として創作者は強烈なパワーを発する一枚の写真やワンシーンを表現したいがために、壮大なドラマをこしらえたりする。なぜか? 感動をより感動化させるために、だ。
2005年04月11日
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事務所のネット戦略の深化に比例して、Hメールと無料相談が増えている。Hメールは面倒だがクリックしながら削除をすればどうにかなるが、相談メールというのは無視するわけにはいかない。中には本当にアドバイスを切望している方がいるからだ。 根が律気で実直なので(誰が?)答えないといけないという強迫観念にさいなまれ、ついつい返メールに時間を費やすこととなる。最近では多いときに日に14,5本のメールが飛来する。 HPの開設以来、私は間引き手抜きなどしたことはない。顔見ぬ相手の困惑を少しでも緩和解消できたらとの思いで真摯な姿勢で返事を書いている。 そうして返したメールに丁重な返答がくることもあるし、音沙汰無しというのもあったりする。匿名希望という気安さがそうさせるのだろうが、相談の結果、どうされたのか、どうなったかぐらいは報告すべきではないだろうか? これはネチケット等というネット特有のルールなどではなく、まっとうな社会人としての資質に関わる問題だと思うのだ。 お世話になったら「どうもありがとうございました」、 手助けしたら「その後だいじょうぶですか?」、 共同作業をしたら「また機会ありましたら、その節はどうかよろしく!」 こんな言葉ぐらい最低限はするだろうに。 逆説的に考えれば、そうした煩わしい社会作法や配慮をせずともクリックひとつで簡単に情報を得ることができるのがネット社会の便利なところであり、大衆に受け入れられている部分であるのかしれない。 しかしながら、いずれにせよ、このような風潮はいつまでも野放しにはせず、どこかで線引きが必要なんだろうな、という気がするのだが、みなさんはいかがでしょうか?
2005年04月09日
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天気晴朗波穏やかなり。まばゆいばかりの日射しが春をもり立てている。 カミさんは朝から花粉一杯の醍醐寺へと出かけていった。三十三カ所札所の上醍醐への参拝が本来の目的だが、花見遊山もかなりある。醍醐の花見は豊臣秀吉が好んだ。私もこの時期に行ったことがあるが確かにすばらしかった。醍醐味もこの醍醐見から由来するそうだ。ところで桜といえば徒然草などにも登場する御室の仁和寺も相当なものである。 四月が桜で上醍醐)、五月はアジサイで宇治の万福寺、六月が牡丹で長谷寺とカミさんたちの札所参りは計画通りに進行する。この計画のしわ寄せは全て私に向かう。ポチの今日の昼ご飯は「ボンカレー」である。
2005年04月09日
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工場の事務員さんから電話がかかってきた。「プリンター壊れました」 なんでも数日前から様子がおかしく、昨日などものすごい音がしたという。 早速駆けつけたが、動くことは動く。ただし伝票類の巻き取りができず、ロールバーの入り口でクチャクチャになってしまう。「買い替え時期かな」 とポツリ。新品なら15万円、ヤフオクなら6万ぐらいか。首をひねりながら頭で試算する。 ご承知のように納品伝票は複写用紙を使う。使っているのは古いエプソンのドットプリンター、VP850である。15年ぐらい前の古い機種だが、エプソンはリボンの型式が一貫して同じなのでインクリボンの供給は今もある。ただしこの一、二年の間に量販店でも取り寄せが普通になっている。 パソコンとの接続ケーブルを取り外し、カバーを開けて中をのぞいてみた。 巻き取り口の入り口になにやら白いモノが挟まっている。ピンセットで引き出そうとしたら粘着性があって板にへばりついている。「最近、タックシール使うた?」 ハイ、との返事。 単表紙設定で巻き取りをさせてみる。やはり。原因はこの白いモノ。 金属ヘラで板にこびりついているシールを押し剥がし、灯油を浸した綿棒で粘りを取り除く。仕上げは綿棒で何度もから拭きだ。 無理矢理押し込もうとしたらしく、ヘッド部分の紙押さえ金属板がひん曲がっている。こちらはラジオペンチで補正、ついでにインクリボンも取り替えることにした。「得しましたな」 と事務員さんが言うから、「うん」 と答えた。 不況下、修理などの後ろ向き投資はできるだけ控えたいものだ。
2005年04月08日
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娘が「ラストサムライ」のビデオを借りてきたので夜家族みんなで観た。 いい映画だと聞いていた。感動モノだと聞いていたので、さぞかしどんなに感動させてくれるのかと思ったら世間の評判ほどでもなかった。 私は天の邪鬼ではない。むしろ従順なタイプに属すると思っている。サムライであることと文明開化については佐賀の乱(江藤新平)などに代表されるのでここでは控えたい。 渡辺の存在感はさすがだったが、肝心の映画制作者の意図、この映画によって何を言いたいのかが、最後までつかみきれないので困った。 この時代、俸禄の廃止や断髪、廃刀令などと武士にとっては辛いものばかりであった。心情的には今の郵政民営化にも相通じるものである。サムライ魂は良きにつけ悪しきにつけ富国強兵策によって見事に復活、あの太平洋戦争へと突き進むことになったが、ちょうどこの映画の時期はそこに至る谷間であったことは疑いのないことである。 朝からややこしい話をするつもりはない。ただ久々の大作であっただけに、思想が上辺だけの映像で流れさっていたのが残念に思うのだ。むしろ、その前の日曜日に(これも家族みんなで観たのだが)、「スクールウォーズ」のほうがずっとストーリーが明快で感動モノであったように思う。観念や思想は小説や哲学やジャズの世界に任せ、映像を一方的に流すだけの映画はもっと単純明快に楽しむほうが成功するような気がする。
2005年04月07日
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先日、他の郵便物にまぎれて立派な冊子が送られてきました。開封し、表紙を見ててっきり文学系の冊子だとばかり思った。なぜか?「個性派ライター大集合!!」 と書いてあったから。 このように書いてあれば誰だって作家の紹介だな、と思いますよね。 ところが開けて吃驚。たしかにライター特集には間違いないのですが、タバコに火をつけるライターの特集だった。右上には「tsn 05禁煙グッズカタロク」と書いてある。tsnが何の略かと申しますと「日本たばこ」の配送会社「タバコサービスネット」略だそうです。 実は家業がたばこ屋で、こうした業者のDMや販促品等が送られてきます。それにしてもとんだまちがい。中味を確認するまでは思いこみで判断するといけないという教訓ですね。 昔、パチンコ屋さんで、パの部分の照明を消して営業していたところがあった。「あれっ?」 最初は偶然だったそうですが、次第に衆目を集めるようになったとか。キャッチコピーの原点ですね。 行政書士も強烈な、差別化を図るキャッチコピーが欲しいですよね。
2005年04月06日
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大阪府が自HPに広告主を募集するそうです。すでにパスポートセンターHP上では実施されているこの広告事業、なんでも府のHPには一日9000アクセスほどあるらしく、行政に関連する事業展開をしている業種で広告を希望する企業は多いのではないか」と胸算用をしているとか。府内の事業所向けには格好の場とのふれこみです。 応募企業は企画案を提出すること、さらにはすでに二年以上のHP実績などが要件だとか。 それにしても広告主に企画案を提出させるとはさすがにお上のすることは違います。通常のやり方としては募集する側が広告主に対してプレゼンテーションを提出、説得を交えての営業の末に勧誘するんですがね。 下々側から深読みすれば、今日ここに至ってもなお、お上は「受理」という言葉にこだわりを感じているってことでしょうかね。 まっ、いずれにしろ行政も「金は天下の回りモノ」という発想から逸脱しはじめたということでしょうか。「自らのパンは自らの知恵と労働で稼げ」ってところでしょうか。
2005年04月05日
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昨日は完全休養日。朝から風呂屋に行き、昼前からチビチビ飲んでは寝ていた。夕方のカミなりにはビックリした。電気が数分間消え、一時はどうなるのかと思った。 昔から世の中で怖いのは「地震カミナリ火事親父」と決まっていた。いつしか親父が抜けてしまったが、他の三つと並び称されているところから、それほどまでに父権というのはすごかったということなのだろう。 そういえば「巨人大鵬玉子焼き」というのもあった。こちらは子どもの人気御三家だった。巨人もダメだし、大鵬(すもう)もダメだし、玉子焼きも唐揚げに変わってしまっている。 ところでこれから富田林まで車を走らせる。先週だったか滝谷不動尊近くの民家の軒下で畑で取れた蜜柑を売っていた。道を尋ねるつもりで車を止め、ついでに蜜柑を買った。一箱1000円の「いよかん」はたいそう好評だった。また今日も? いえいえ、クセになるから買いません。
2005年04月04日
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ラグビー部のマネージャをしている末娘が帰ってきて言うには、「顧問の○○先生は○体大の出身で、現役時代はFWとして活躍、花園ラグビー場であの大八木選手を得意のタックルで一発で倒し、大歓声があがったらしい」 とのこと。なにやら「探偵ナイトスクープ」が好みそうな話ではある。眉唾めいているが○○先生の体型を持って繰り出される低く鋭い突っ込みは案外本当のような気もする。そういう意味ではまさに伝説のタックルかもしれない。「うぬ? 大八木選手の時代ならスクラップ持っているけど。ベータのビデオもあるけどな」 と、埃が積もる書庫を漁ることになった。さすがに当時の「ラグビーマガジン」は見つからなかったが、確かにビデオは出てきた。しかし今のデッキはVHS。規格が違うので当然ながら映らない。該当すると思われるビデオが何本もある。業者に依頼してダビングをする手もあるが、やたら高いと聞いたことがある。「さてどうしたものか?」 と腕組み思案。すぐに思い出したのが佐渡島のラグビー狂会怪鳥××先輩。大八木の頭をポカリとやれるのはこの怪鳥をおいて他にはいない。先輩ならVHS版を保存しているにちがいない。早速メールを入れることにした。結果報告が楽しみ。 最近は女性の裸を観てもあまりワクワクすることがなくなってきたが、今回は違う。「早く観たい!」 なんだか久しぶりにワクワク、高揚した気分になってきた。
2005年04月03日
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交通事故では「死人に口なし」が文字通り横行している。亡くなられた方やせんえん性意識障害(植物状態)でベッドに横たわる人など言いたくてもものが言えない。 青信号だった、にはじまり、飛び出してきたとか、被害者の抗弁がないことをいいことに加害者は言いたい放題である。こうした場合、どうのようにして加害者の虚偽を立証すればよいのか。真っ先には目撃者の証言だ。これがない場合、事故車の傷跡や被害者の車両の具合や傷害箇所に現場での検証が大事となってくる。 行政書士の仕事に事実証明に関する書類の作成というのがある。上記の作業やその結果に基づく書面作成こそ、まさに事実証明に関する書類作成ということになる。 ついては事故現場で水平器を使ったり、メジャーで測定したり、タイヤ跡を探ったり、目撃証言を尋ね歩いたりする。当然交通事故のシュミレーションソフトを駆使することとなる。このようにして正確な事実を獲得するには何よりの粘りや根気が必要となってくる。 普通の事故の場合でも、加害者と被害者の話をトランザクション(突き合わせていく)するとつじつまが合わなくなってくることがある。現場をじっくり観ながら、そのあたりを考えると一定の事実が浮かび上がってくることがよくある。ときには被害者である依頼人が嘘をついている場合だってある。こういう展開になってくるとあとはミステリー小説の世界です。 幸いというか不幸というか、私の場合、長年の売れない作家生活で培った探求心と向上心、突き止めなければネバーギブアップしない強靱な?猜疑心がこうした業務遂行においてとても役に立っているような気がする。
2005年04月02日
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風呂あがりにセンタンのカップアイス「宇治ミルク金時」を食べた。 ただでさえ食べにくい「かき氷」をさらに凍らせてある。力を込めると添付の木製スプーンがシナでも作るようにひん曲がってしまった。しかたなく台所のスプーンで食べることにした。 宇治金時だから抹茶と小豆が混ざっている。しかしいっこうにミルクが出てこない。食べても食べてもミルクに当たらない。ようやく底が見えはじめた頃、ぼんやり鶯色の中に白い練乳らしきモノが判別できるようになった。底の隅から掻き回し、中央の島をスプーンでごそっとすくった時、底でへばりついていた練乳がねっとりと持ち上がってきた。 多分、製造時には最後に練乳をかけるのだと思うが、凍る間に底に沈んでしまうに違いない。 本物のかき氷なら練乳は一番上にあるもの。時の経過と共に練乳が氷と混ざり合い、微妙な甘さを醸し出す。それが旨くてミルク入りを注文するのだが、カップアイスの場合は逆だ。最後の残りで一気にねっとりべっとり甘さの凝縮が口の中を支配的にする。このしつこさには閉口してしまう。シーズンを前にメーカーさん、何とか対策を練ってください。
2005年04月01日
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