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その頃のことではっきり覚えているのは、寝起きでぼんやりとしながら桃を食べてすぐ眠ったことと(その桃は口当たりが良くておいしかったことも)、たった十数メートルしか離れていないトイレの行き来が非常にだるく、「何これ…!?」と思ったこと。その行ったトイレではっきりとわかるくらい赤褐色の尿が出たこと…。ほんの少しの距離なのに、「早く戻って横になりたい…」そう思いながらベッドに戻り、すぐにまた眠りにについたこと…。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月31日
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おばあさんを病院まで連れてきてくれた親戚のおばちゃんや、以前一度お見舞いに来てくれた会社の隣の席の酒田さん(♂)は、二度目にお見舞いに来たとき、私の様子が以前と全然違っていたという。二人とも、一回目と二回目のお見舞いの間はそんなに開いておらず、ほんの短期間のことなのに、一回目の時は普通にしゃべっていたのが、二回目の時は、返事はちゃんとするのだが、なんだかぼーっとしているように思えたという。そして私は、酒田さんが二回目のお見舞いに来てくれたことは全く覚えていない。それくらいあっという間の出来事だった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月30日
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その頃の私は、起きているのはカステラや桃を食べたり、トイレに行くときだけで、それ以外はほとんど眠っていた。カステラや桃を食べているときも寝起きでぼーっとしたまま食べ、食べ終わるとすぐにまた横になって眠った。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月29日
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交代で来たおばあさんは、私が寝てばかりいたが、「肝炎で入院した」と聞いていたので具合が悪くてだるいから寝ているんだ、と思っていたのか、急に様子がおかしくなったというようには思っていないようだった。ただ、私がトイレに行くために目を覚まし、ふらふらと歩いて行く姿が心配で、トイレに行くにも一緒についてきた。私は私で、なんだかトイレに行くのもだるいような気がしたが、寝起きなのでちょっとだるいのかな、ぐらいにしか思わず、おばあさんに「ついてこなくていいのに!」とかんしゃくを起こしたりしていた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月28日
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「いつの間にか9月になったんだね」とお母さんと会話をしたのは覚えている。なので9月に入っていたことは確かだった。しかし、お母さんが帰ったのが9月の何日だったのかははっきりしない。お母さんは帰るとき、声はかけたものの、私が寝起きだったので単に寝ぼけていたと思って、反応が薄かったのも特に気にしなかったのだろう。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月27日
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後から聞くと、そのときの私は「うん、うん」とうなずいていたという。私はその頃から意識が朦朧とし出していた。気がつくとベッドの脇におばあさんがいた。看病を交代する話は前から聞いていたので、おばあさんがいることに特に疑問は感じず、「ああ、交代したんだな」と思う程度だった。一日の中で寝ている時間も多くなってきていた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月26日
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おばあさんはその頃70代前半で、体型はずんぐりむっくりしており、よくしゃべり、よく食べ、家族の中で一番元気なくらいだった。それくらい元気だったので、おばあさんは一人東京にやってきた。しかし病院までの道のりはわからないので、一度お見舞いにきて道を知っている親戚のおばちゃんが一緒について、おばあさんを病院まで連れてきてくれた。お母さんはおばあさんに寝泊りしていた寮のことや、私の世話のあれこれを引き継ぎすると、私に「じゃあ、いったん帰るけど、おばあさんが来たからね」と言って帰っていったらしい。“らしい”というのは、私はその時のことをはっきり覚えていない。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月25日
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他にも、お母さんが桃を買ってきてくれて、剥いてもらっておやつに食べたりしていた。その夏の終わりの桃は、よく熟れていてみずみずしく、とてもおいしかったのを覚えている。ごはんがまずかったせいか、カステラと桃にはほんとに重宝した。9月に入って間もない頃、入院したと聞いてすぐに飛んできたお母さんは、私の体調が変わりなく落ち着いているのを確認すると、家のことが心配になってきたらしい。お母さんは私の世話を、一緒に住んでいた母方のおばあさんと交代して、とりあえず家に帰ることにした。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月24日
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お母さんに入院のことがバレてからは、東京に住んでいる親戚のおばちゃんもお見舞いに来てくれた。そのおばちゃんはカステラが好きで、お見舞いの品としても持ってきてくれたが、私もカステラは大好きなので大歓迎だった。病院の食事は冷めていてあまりおいしくなく、朝ごはんに出たパンを残して替わりにカステラを食べたりしていた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月23日
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入院中、初めにCTなどの検査をしてしまうと、その後は点滴以外特にすることもなく、友達が持ってきてくれた本や雑誌を読んだり、眠くなったらうとうとしたり、と毎日なんとなく過ごしていた。私は普段、あまり小説を読んだりすることはなかったが、友達はその頃はやっていた江國香織とかの本を持ってきてくれて、読みやすかったので、持ってきてくれた本を全部さっさと読み終えてしまった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月22日
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あとで知ったことだが、たばこは肺だけでなく肝臓にも悪いらしい。なぜなら、肝臓は解毒作用をする臓器であって、たばこの毒も肝臓で解毒されるらしい。なので肝臓が悪いことを自分で知らなかったとはいえ、不安だから、といってたばこを吸っていたのはさらに肝臓を悪化させる原因になっていたかもしれない。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月21日
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吸っていたといっても、タール1mgのメンソールのをたまに吸うくらいではあったが。しかし寮の机の上に置きっぱなしのたばこの箱を発見されるのはまずかったので、私は観葉植物の世話を頼んだ同期の友達に「たばこ処分しといて」とお母さんが来る前に連絡しておいた。こんなこともあろうかと、やはり部屋を片付けておいてよかった、とやれやれと胸をなでおろしたものだった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月20日
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病院での生活は、遅いようで早かった。お母さんが飛んできたと思ったら、もう9月になっていた。曜日や日付の感覚はすっかりなくなっていたので、「あれっ?いつの間にかもう9月なの!?」というかんじだった。お母さんは毎日私の住んでいた寮の私の部屋に寝泊りし、そこから毎日病院に通っていた。私は入院する前のどうしようもなく不安だった日々を、寮のベランダから月を見上げながらたばこを吸って紛らわしたりしていたが、大学を卒業するちょっと前から(当時付き合っていた彼氏の影響で)吸い始めていたたばこのことは、親には内緒だった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月19日
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大学のときからビールでもサワーでもジョッキ二杯飲むともうダメだった。すぐに顔は赤くなるし、気持ち悪くもなる。自慢できるのは潰れても記憶をなくしたことはない、ということくらいだった。実際、酒の飲みすぎで肝臓が悪くなる(肝硬変になる)のは、それこそ一日に日本酒5合(ビールなら5本)以上毎日飲み続け、それを約10年以上続けたりしたときのことで、私がそんな生活をしていたのなら話は別なのだろうが…。酒の弱い私にとっては、毎日どころか一日だってそんな量は飲めやしない。肝臓が悪くなった原因がアルコールでないのは明らかだった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月18日
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ちょうど友人たちは私と連絡をとろうとしていたらしく、音信不通になったことを心配していた。大学時代の男友達は、私が肝臓が悪くて入院したと告げると、「盲腸かなんかで入院でもしてるかと思ったら、酒でも飲みすぎたのか!」と冗談で言っていた。また、地元の友人たちは、「肝臓を悪くした」と聞いたとき、私が東京へ行って歌舞伎町で酒にまみれた生活でもしていたのかと思ったという。「肝臓が悪い=酒の飲みすぎ」というのが一般的な知識らしいが、そんなことはない。なぜなら私はお酒がとても弱いからだ。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月17日
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その病院に入院したのは8月25日頃だったろうか。もう8月も終わろうとしていた。入院して何日かたち、少し病院での生活のリズムをつかみ始めた頃、遠くに住んでいる友人たちにまだ入院したことを知らせていなかったことを思い出し、連絡することにした。院内では携帯電話の電源は切ってあったので、私はあらかじめ紙に書き写しておいた友人たちの電話番号を見て、病院の公衆電話から電話をした。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月16日
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また、相変わらず尿の色が濃い気はしたが、それも黄色い点滴の色だろう、と思ってこれもまた気にしなかった。入院してもどこまでものんきな私だった。今考えると、濃い色の尿と灰色の便はまさに、“肝臓が悪い”という顕著な症状だったのに…。排泄物というのものは、ただ汚いと思わずに、健康のバロメーターだと思って、日頃から観察しておくことはとても大事なことだ、と今は強く思っている。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月15日
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さすがの私も「あれっ?」と思って少し扉を開け、光を入れてさらによく見てみると、やはり色が灰色っぽかった。それまであまりそんなものをじっくり見たことはなかったので、灰色のなんてあるのかどうかわからなかったが、そういえば先日今村くんといわし料理屋に行ったのでそのいわしの色だろう、と思ってあまり深く考えず、特に医者にも看護師にも報告しなかった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月14日
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その病院のトイレはアンモニア臭のぷんぷんする、病院の中でも特に薄暗く、お世辞にもきれいとは言えない場所だった。個室に入って扉を閉めると、なお薄暗く、少しでも早く用を済まして出て行きたい気分になった。入院して間もない頃、点滴棒を連れてそのアンモニア臭のするトイレに行き、大きいほうの用を足したことがあった。薄暗い中にも、なんだか便の色が灰色っぽい気がした。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月13日
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病棟には先生が一日一回(多分)回診に来た。その時に以前と採った血液検査の結果を聞いたが、どうやらA型、B型、C型とかのわりとよく知られている肝炎ウイルスは見られなかったとのことだった。どの検査にも原因になるようなものは見つからなかったので、まあ何らかの肝炎だから安静にしていれば治るだろう、とのことだった。やはり一週間での退院は無理そうだったが、まあ仕方ないや、と思ってゆっくり入院生活を満喫するつもりでいた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月12日
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私の女上司の糸井さんがお見舞いに来てくれたとき、たまたま今村くんと出くわし、糸井さんはなぜかすぐに帰ってしまった。後で一緒に来ていた同僚に聞いたところ、「突然でびっくりしてた」と言っていた。たぶん彼女なりに気を使ってくれたのだろう。また、糸井さんは「やっぱり親に連絡しろ」と、女であるにも関わらず、お決まりの男口調で何度も私に言った。そう言われると、私が連絡しないことで周りにも迷惑かけるし、「やっぱり連絡しといたほうがいいかな…」と思い直してしぶしぶ連絡することにした。案の定、母親はびっくりして、すぐに飛んできたのは言う間でもない。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月11日
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今村くんがお見舞いに来てくれたとき、点滴棒を押しながら話をしながら一緒に廊下を歩いた。今村くんは仕事が忙しいせいか「自分も入院したいなぁ」とぼやいたり、「自分も点滴してみたいなぁ」と、入院している人たちが聞いたら怒りそうなことを平気で口にしていた。私は彼のそういった言動には慣れていたので、特に何を言うでもなく「入院や点滴なんてしないほうがいいよ」と適当に流していた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月10日
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その話を友達に話すと、「ひどいね」と言ってくれた。確かに、最初に自分のことを案じるなんてどうだろう?とは思ったが、まあ、それも仕方ないか、と思って特別怒りは感じなかった。怒りは感じなかったが、「えっ?いきなりそれ?」と思ったのは事実だ。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月09日
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そういえば、入院前夜に今村くんに「肝臓が悪くて入院することになった」と告げると今村くんは開口一番、「染らないよね?」と聞いてきた。私は一瞬「今村くんから染った可能性だってあるのにな」と思ったが、その場は「染らないよ」とからから笑っておいた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月08日
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私は圭介のことは今村くんには話していなかったので、今村くんと圭介が鉢合わせたらどうしよう~、とちょっとひやひやしながらも「それもまた面白いかな~」などと悪い考えを巡らせながらお見舞いに来てくれた友達とそのことを話したりして楽しんでいた。まだまだそんな余裕があった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月07日
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私が入院したと聞くと、会社の上司や寮の友達や、今村くん、圭介、その他の友達もお見舞いに来てくれた。退屈だろう、と雑誌や小説を持ってきてくれたり、ぬいぐるみやスナック菓子やお花も持ってきてくれた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月06日
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自分の親には連絡をしていなかった。なぜかというと、うちの親は昔から心配性で過保護で、風邪で熱でもだそうものなら、すぐに新幹線に飛び乗って、実家のある名古屋から東京まで飛んできそうだったからだ。入院したなんて言ったら、それこそ飛んでくるに違いない。心配かけたくないのももちろんだが、その過保護ぶりを会社の人に見られるのも嫌だったし、何よりも自分では1週間で退院するつもりだったので私さえ話さずにおけば、バレずに済むと思っていた。上司には「連絡したら」と言われたが、「大丈夫です」と答えておいた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月05日
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動けるように点滴は点滴棒にぶらさげてあった。私は点滴棒を使って点滴をするのは初めてで、それをカラカラ転がして歩くのも初めてだったので、なんだかほんとに病人になった気がした。私は点滴棒をカラカラさせながら、まず公衆電話のところまで行き、会社に電話をした。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月04日
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それから看護師さんが病棟の案内をしてくれた。案内の後ベッドに戻ると、検査のための血液を採られ、すぐに点滴も始まった。点滴針を刺したのはベテランの看護師さんで、「太くて刺しやすい血管ね」と言ってさくっと針を刺された。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月03日
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荷物の片づけをしてパジャマに着替え、ひと段落したら、寮母さんは寮に帰っていった。「寮母さんって、ほんとにみんなのお母さんみたいなかんじなんだな」とその時初めてわかった。一緒にいてくれたことがとても有り難かった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月02日
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皆様、明けましておめでとうございます!昨年はブログに来てくれたこと、読んでくれたことに感謝します☆今年はさらなる日本の移植事情の発展に向け、私も頑張ってまいりますので、皆様にも応援とご理解をよろしくお願いいたししますm(__)m皆様に出会えたこと、昨年の私の大収穫でした!今年もぜひぜひよろしくお願いします\(^0^)/↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年01月01日
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