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普通、入院する時は、どこの病院でも問診票のようなものに普段の生活状況などを記入することになっている。病院側が、患者さんの普段の生活態度を見て、入院時の参考にするのだろう。家族関係や宗教、好き嫌いについても記入するようになっている。しかし、この今いる病院に入院したとき、私は意識がなかったので、当然その問診票にも記入した記憶はない。わかる部分は家族に聞いたかもしれないが、ICUでは看護師さんに口頭で質問された。「好き嫌いはありますか?」「ないよ。何でも食べるよ」「お酒はどのくらい飲みますか?」「弱いから飲み会のときに飲むくらい」「タバコは吸いますか?」「・・・。」↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月31日
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実は一日前にも糸井さんと、さらに上の上司である佐久間さんがお見舞いに来てくれていたらしい。しかし、昨日は面会できず、お母さんから私の様子だけ聞き、そのままお見舞いの花だけ置いて帰ったとのことだった。そのお見舞いの花も、生花だと花粉や何かしらの原因で感染の恐れもあるからと、私のところへ持ってくることはできなかった。私がいたところは無菌室というほどではないが、お花も警戒されるくらいの徹底管理だったということだ。そのお花は一般病棟のロビーのようなところに飾ってある、とお母さんが教えてくれた。どんなお花だったのか気になったが、結局私がそのお花を目にすることはなかった。佐久間さん、ごめんなさい!私の心には、お花、届きましたから↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月30日
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糸井さんは、感染を防ぐための白衣と、給食当番の時被るような白い帽子を被って入ってきた。「大丈夫か~?」「あ、糸井さん~!」会社にいる時は、上司ということもあり、少し恐縮してしまう私だったが、その時は単純に糸井さんが来てくれたことを喜んでいた。「すごい心配したんだぞ」糸井さんは少し目を潤ませながら、何度も「よかった」というように、うんうんとうなずいていた。糸井さんは私が急変した日、たまたま北関東の少し離れた取引先のところに行っていたらしく、私が大変だという知らせを聞いて、取引先の人も慌てて車を出してくれて、病院に飛んできたという。「取引先の人にもお礼を言わなきゃな」いろんな人を巻き込んで大変だったんだな、となんとなく理解した。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月29日
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私はお父さんに昨日のことを話した。「起き上がろうとしたんだけど、お父さんが肝臓くれたって聞いて、お父さんに悪いと思って起き上がらなかったんだよ!」当然のことを自慢げに話していた。その後もお父さんとは二言三言言葉を交わしたが、座っているのもつらそうで、「お父さんもう帰るね」と言ってまた岡田さんに連れられて、違う病棟にある自分のベッドに戻っていった。この日は本当に慌しく、お父さんが帰っていったと思ったら、また別の来客があった。会社の女上司の糸井さんだった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月28日
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そんなお父さんの姿を見て、私は初めて、「お父さんに捨てられたわけじゃないんだ、嫌われてたんじゃないんだ」と思った。大学生のとき両親は離婚し、それ以来私は父とはあまり連絡をとっておらず、母から一方的に父の話を聞くだけだった。母は家を出て行った父を相当恨んでおり、「お父さんは私や子供たちを捨てて出て行ったんだ」と聞かされていた。女の私から見れば、確かに父の言動には、お母さんに対してひどすぎる、と思ったこともあって、私も母と同じように思う気持ちはあった。父のことを男して毛嫌いしていた。父にはあくまでも「お父さん」でいてほしかった。離婚は二人の問題なので、まさか子供たちまで捨てたというわけじゃないだろう、とは思っていたが、この時父の涙を見るまではそれもあやふやで、勝手な思い込みでしかなかった。なのでこの時は本当に、「お父さんは私のことちゃんと愛しててくれたんだ」と実感できた。ハイテンションな頭の私も、この時ばかりはさすがにうるっときた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月27日
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お父さんはヒーヒー言いながらも、私のベッドの脇のイスに座った。あら~、ほんとにお父さんだまだ頭がハイテンションの私は、普通に喜んでいたが、そういえばお礼を言わなくちゃな、と思ってまだ実感がないながらもお父さんにお礼を言った。「お父さん、ありがとー!」にこにこしながら無邪気に言った言葉だったが、お父さんはその言葉を聞いて目頭を押さえていた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月24日
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お父さんは病棟の看護師さんに連れられてヒーヒー言いながらやってきた。傷がとても痛いらしく、冷や汗をかきながらも私のいるICUにやってきた。まだ術後数日しかたっておらず(おそらくこの時は術後三日目)、本人としてはとても動ける状態ではなかったのだが、スパルタの看護師さんに「動いた方が回復も早いんだ」と言われて無理やり連れてこられたらしい。お父さんを連れてきたのは岡田さんという女性の看護師さんだった。そういえば昨日もICUに顔を出していたような気がする。後で聞いたのだが、この看護師さんは、看護師兼移植コーディネーターをしているという。移植コーディネーターとは、簡単に言うと、移植を受けるレシピエントと臓器を提供するドナーとの間をとりもったり、様々な移植に関する仕事をしたりする人らしい。「昨日もお父さんに『ふうこさんとこ行こう』って言ったのに、昨日はダメだったから今日連れてきたよ」今日見た感じでもかなりつらそうなのに、岡田さんはほんとスパルタだな、と思った。しかし、痛いからといって寝たままにしていると、お腹の中で癒着したり、腸がつまったりするので本当は痛みをこらえてでも早く動いた方がいいらしい。海外では、麻酔をたくさん使ってでも、次の日にすぐ歩かせる、というのを後に知った。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月23日
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時間も場所も、自分が東京のどの辺りにいるのかも全くわからなかった。気づくと私はある病院の(蛍光灯の光のせいだろうか)少しクリーム色がかったICUという箱の中にいた。東京のどこかの場所の外見がどんなかもわからない建物の一室にあるベッドで、私は昔からよく知っているけれども、久しぶりに見る顔に会った。その日、私は、移植後初めて、私に肝臓をくれたお父さんに会った。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月21日
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「今日は外は大雨だったよ」とお母さんは言った。私はずっとICUのベッドに寝たままだったので、その日外が大雨であったことは全くわからなかった。「ほら、向こうの窓から見えるでしょ」私はベッドの足元の方から、お母さんが指さした遠くに見えるその窓の方を見たが、なんとなく暗いような気はしたものの雨が降っているのはわからなかった。この世間と区切られたICUという場所に、窓があることさえ知らなかった。お母さんは「あの窓の方のベッドにお父さんはいたんだ」とも言った。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月20日
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ICUでは処置のほかに日常のケアもしてくれた。看護師さんやヘルパーさんが体を拭いてくれたり、髪も洗ってくれたりした。ベッドの上で、しかも寝たままどうやって髪を洗ってくれるのかと思っていたら、専用のそういう道具があるらしく、シャワーもちゃんとついていてまるで美容院のように上手に洗ってくれた。髪を洗ってくれたのは、看護師さんかヘルパーさんかどっちかわからないが、とにかく男の人で、力を入れてゴシゴシ洗ってくれたので、マッサージ効果もあってとても気持ちよかった。身動きがとれず、寝たままで窮屈な思いをしていた中でも、ちょっとリラックスした気分になれた。そのICUでは、患者の日常ケアをしてくれるときにはスタッフはピンクのビニールエプロンをかけていた。女性のスタッフはいいのだが、男性のスタッフもピンクのエプロンをしていたので、ちょっとオカマっぽく見えて、お母さんと一緒に「面白いね」と笑っていた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月19日
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そんな私を見ていた安斎先生は、お母さんに、「ふうこさんはいつもこんなかんじなんですか?」と聞いていた。意識のない私を見たのが最初だった安斎先生は、普段の私がどうであるかわからないのでお母さんに聞いてみたのだろう。するとお母さんは、「いつもこんなかんじだと思いますけど…何しろ(私が大学に行ってから)しばらく別々に暮らしていたので…。」と答えていた。おいおい。そんなわけないでしょー!別々に暮らしていたとか関係なく、ここまでおかしいわけないでしょ、お母さん☆心の中でつっこみながらも、確かに、内弁慶である私は、昔から家ではそんなかんじだったので否定するに否定できず、とりあえず黙っていた。家族の前ではそうだったとしても、普段は猫をかぶっているので人前では断じてこんなにハチャメチャではない。しかし、安斎先生も「そうですか」とあっさり納得していた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月18日
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「こわ~、あれは絶対偉い先生だよ~。」ゆかたを買って戻ってきていたお母さんに小声で話しかけ、ちょっと私は静かにしてみた。しかし、部屋に戻ってきた川辺先生に「やっぱりまだだめだって」と聞かされると、「ちぇっ、ケチ~」と外に聞こえそうな声を出してしまった。まだ飲食物はだめだが、氷をなめるくらいならいいと許可を得て、私は仕方なく氷で我慢した。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月17日
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皆様、昨日は励ましのお言葉ありがとうございました(>_
2006年03月16日
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今日は回顧録でなく今日のことを書きます。今病院です。今夜は病院にお泊りです。特に具合が悪くなったわけではないのですが、肝生検のための検査入院です。肝生検とは、長い針をお腹に刺して、実際に肝臓の組織を取って調べる検査です。肝臓の状態を調べるのに一番わかりやすいので定期的にやった方がいいそうです。今回は一年半ぶりの肝生検でした。久々にやると、十数回目の私でもやっぱり恐かったです(>_
2006年03月15日
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私のいたICUの部屋は、入り口半分くらいにカーテンがついていて、あとの半分はガラス窓になっていた。昼間の間はカーテンは開けっ放しになっており、ベッドに寝ていても、カーテンの向こうに様々な機械が置いてあったり、病院のスタッフが作業をするための机が並んでいるのがなんとなく見えた。川辺先生いったんカーテンの外に出て行った。私が相変わらず「ごはん~、ごはん~!!」と騒いでいると、部屋の外から「ダメダメ!」と厳しい声が聞こえた。「」と思って寝たまま部屋の向こうに目をやると、ガラス窓の向こうに川辺班の若い先生たちとは違った、偉そうな先生が二人立っているのが見えた。二人ともメガネをかけていて、そのうち一人は鼻の下とあごに黒いヒゲまではやしていて、二人ともにこりともせずにこっちを見ていた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月14日
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私は目が覚めてからお腹に違和感を感じることなく、普段とまったく変わらなかったので、ご飯が食べれない、と言われるのが不思議なくらいだった。「コーラがゴクゴク飲みたい~!」私の要求は今度はコーラへ移っていった。もちろん水もダメなこの状況で、コーラが飲めるとは思っていなかったが…。コーラのことを考えると、今度はケンタッキーフライドチキンが食べたくなった。「ケンタッキーとコーラが食べたい~!!」要求はさらに食べ物(しかもジャンクフード)へと移っていった。先生たちもそれを聞いて、「ケンタッキーおいしいよね。食べたくなったなぁ~」と言っていたが、私があまりに騒いでいるし、ガスも出たと聞いたので、川辺先生が「食べ物OKか一応上の先生に聞いてみてあげるよ」と言ってくれた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月13日
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意識が戻ってから、何も口にしていない私は口がカラカラだった。「水が飲みたい」と訴えると、まだ水を飲んではいけないようで、綿に水を含ませたものが出てきた。それを口に入れてもらって、少し水分をとったが、何しろカラカラだったのでまったくそれでは足りなかった。むしろ余計に喉が渇いた。「水~、水~、もっとゴクゴク飲みたい~!!」また騒ぎ出した私を見て、川辺先生は困ったように、「まだ麻酔がとれたばっかりでお腹がちゃんと動いていないといけないから…。ガスが出れば大丈夫だと思うんだけど、ガスは出た?お腹張ってない?」「出た出た。とっくに出たよ!お腹もまったく普通だよ。」ガスとは一般的に言うおならのことだが、普段の生活では、そんなものをしたら「はしたない」となってしまうのだろうが、病院内でのガスは健康な証拠、立派な健康バロメーターだ。何しろ、ガスが出ない、というのは(術後は特に)腸閉塞の可能性もあるわけで、そうなったらまた手術の可能性もあり、麻酔が覚めて初めて口からものを入れる時は、慎重にしなければならないのだ。そのタイミングをしるよい方手だてがガスなのだ。なので病院内でのガスは決して汚いものではなく、とても重要なサインなのである。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月12日
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しかし、寝たまま少し吊り上げられて体重を量ったり、超音波検査したり、痛くもかゆくもないことをして、楽しくおしゃべりしている間はよかったが、今度は安斎先生が「首の管を抜きましょう」と言ってきた。「首に管なんて入ってたんだ…」言われて初めて、自分の首の横から管が一本出ていたのに気づいた。いったん気づくと、そんなところに入っている管を抜くのがとても怖いものに思えてきた。「先生…首の管抜くのって痛い?大丈夫なの?」安斎先生は「大丈夫。痛くないですよ。あんな大手術(肝移植)したんだからこれくらい大丈夫でしょ?」と言った。そりゃそうだが、私は意識不明だったので手術の記憶は全くないのだ。「そんなこと言ったって、知らないうちに手術されてたんだもん!」そして有無を言わさず、その首の管の周りに貼ってあったテープをはがし始めた。「ひ~~~」こわいよぉ~、と思っている間に管はあっさり抜けた。少し抜ける感触はあったものの、痛みは全くなかった。なんの為の管だったのかよくはわからないが、とにかく首に入れるくらいだから大切な管だったんだろう。しばらく安斎先生が抜けたところを指で押さえて止血し、最後にガーゼをテープでとめて、そのこわ~い処置は終了した。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月11日
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南田先生が出て行くと、今度は安斎先生がやってきた。地方の大病院の息子である安斎先生(これも南田先生情報)は、いつも黒縁めがねをかけていて、私と年があまり変わらない割には落ち着いた感じで、いつも手を後ろに組んでゆっくり歩くことから、若いながらも将来院長になるであろう風格が漂っていた。しかし話し方はわりとのんびりしていて、ちょっとのほほんとしたところもあって、親しみを感じさせた。班長の川辺先生と、安斎先生は、二人とも漫画やゲームが好きらしく、私の処置や検査をしている時もずっとそういう話をしていた。やはり外科医は外科医の漫画は好きなようで、みんなブラックジャックは読んでいるようだった。それ以外にも安斎先生はマイナーな医者漫画の話をしてくれた。川辺先生は家にテレビゲームがあるので、病院のテレビにつなげばできるからもってきてあげようか?と言ってくれた。私は病院のベッドにいてもあまり眠れないし退屈なので、その提案に大いに喜び、「持ってきて、持ってきて!一緒にやろうよ!」とはしゃいでいた。川辺先生も「じゃあ、ひまな時間にやりましょう」と言ってくれた。私は、「これで退屈な時間をしのげるし、先生たちとも遊べて楽しそう!」と子供のようにわくわくしていた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月10日
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ICUでの私は、寝たきりで体中には点滴や尿の管や、それ以外にもお腹から何本も管が出ていて、意識をなくしてからシャワーすら浴びておらず、髪も自分では見えなかったが多分ぼさぼさで、用を足すことすら一人ではできず、とても美しい格好とはいえないものだったと思う。なので、私はその時置かれていた状況を、「仕方ない」とそれなりに受け入れてはいたが、やはり心の中は普通の20代の女の子のままなので、ハイテンションでちょっと頭がおかしかったとはいえ、以前の本来の姿を主張する自分がいた。南田先生に対するおかしな発言も、「私もちゃんとした女の子なんだよ」と伝えようとして出たものだったのだろう。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月09日
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しばらくして、お母さんは看護師さんからなにやら説明を受けると、私にこう言った。「今着てるゆかたは病院のを借りているんだけど、本来は自分で用意するものなんだって。病院の売店に青とかピンクのゆかたがあったけど何色がいい?」「ピンクー!」私はすかさずそう答えた。そして、お母さんが売店にゆかたを買いに出て行くと、私は消毒に来ていた南田先生に言った。「今はねぇ、おっさんくさいゆかた(白地に青の模様のがついていた)着てるけど、あとでピンクのに着替えるんだって!かわいいでしょー?」そして続けて、「今は寝てるから胸がちっちゃく見えるけど、ほんとはCカップなんだよ!男の子の友達もいっぱいいるんだよ!」と言った。南田先生は「ヘンなことを言う子だなー」と思ったのか、不思議そうに笑っていたが、「ふうこさんおもしろいねー。」とまるでおかしな生き物を見つけたかのようにちょっと面白がっているようにも見えた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月08日
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慌しくしているうちに時間もだいぶたち、ICUにはいつの間にかお母さんやお姉ちゃんも来ていた。私は昨晩の、自分でも夢かうつつかわからないが、おそらく夢の中で起き上がろうとした行動のことを、「昨日起きちゃったもんねー」と、まるで本当のことのようにお姉ちゃんに話した。するとお姉ちゃんはすこし驚いたようだったが、寝たままの私を見てすぐにそれは嘘だとわかったらしく、「ほんとにー?」と難なく切りかえされた。酸素マスクは外れたものの、鼻用の酸素の管が鼻の下についていた。それはちょうど鼻の穴の形に合わせて先が二本に分かれており、鼻の下に当てて酸素をを吸入する、というものだった。鼻の下に当ててあるだけなのだが、当てているうちに蒸気で水滴がついてきて、当てておくのも嫌になり、酸素を吸っていても、自分では「酸素を吸っている」という自覚は全くなかったので、私はすぐにそれを外そうとした。お姉ちゃんやお母さんは、酸素マスクのときと同様、「まだ(体内の)酸素が少ないからしてないとだめなんだって」と止めに入り、「水滴がいやだ」と言うとこまめに拭いてくれた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月07日
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意識が戻ってしばらくたつと、体の中に入っている様々な管を取り外す作業が始まり、まず、尿の管を取り外すことになった。「おしっこの管とりますねー」看護師さんにそう声をかけられ、私はその時初めて尿の管が入っていたことを知った。そんなとこに入っている管を取るなんて痛そう~!!と思ったが意外にもすっと抜けた。尿の管が入っていると、不思議なことに全く尿意を感じない。管を伝って流れていった尿は、管の先についたビニールの袋に溜められていた。管を外すとそれ以降のトイレはどうするのかと思っていたら、当然まだしばらくはベッドで寝たきりだので、トイレもベッドの上でする、とのことだった。男性はしびんを使うのだろうが、女性はそれ専用のゴムでできた浅い容器があって、それをお尻の下に入れてするのだという。「ええっ!!」と思ったが、この状況ではそれ以外に方法がない。あきらめてその簡易トイレを使うしかなかった。ちなみに用を足した後は看護師さんが紙でふいてくれるのだが、これも嫌がっている場合ではないので恥も外聞も捨てて従うしかなかった。なんとも情けない話だが、この時は頭のハイテンションも手伝って、この一連の作業をそれほど抵抗なく従うことができた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月06日
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朝一で採血して、それから色んな検査が始まって、ICUは急に慌しくなった。個室の中に移動式のレントゲンの機械を持ってきてベッドに寝たままレントゲンを撮ったり、そうかと思うと今度は別のエコー(超音波)の機械が入ってきたり、それが終わると手術の傷を消毒したり、とにかく検査だらけで疲れてしまうくらいだった。傷のところにはガーゼが貼ってあり、消毒する時はそのガーゼを取って大きい綿棒のようなものでイソジンをつけて傷を直接消毒するのだが、その綿棒でちょんちょんと触られてもちっとも痛くなかった。消毒していた先生に「痛くない?」と聞かれたが、本当に全然痛くなかった。傷は胸の下あたりからへその上までお腹一面ガバっと切られているようだったが、とても自分の目で見る気にはならなかった。(Yの字みたいなベンツマークが逆さまになった形に切るので「ベンツ切り」というらしい)医者が言うには、傷は糸で縫ってあるのではなく、ホッチキスの針でとめてあるらしかった。それまでに手術なんてしたことのなかった私には、「ホッチキスでとめる」ということ自体、未知の世界のことだった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月05日
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そうこうするうちに1時間ほどたったが、まだ先生は来なかった。「川辺班の先生たちは遅いからね~」今度は女の看護師さんが見兼ねてそう言っていたが、「まだ~?退屈、退屈~!」と私は注意されたのも懲りずにひとりで騒ぎ続けていた。しばらくするとICUがガヤガヤし出し、私の主治医の先生たちも次々とやってきた。そして次々とやってきては次々と朝一番の血液を採っていった。まだ手足に点滴のライン(手足に柔らかい針が入れっぱなしになっていて、そこにチューブを繋いで点滴をする)があちこち(かどうかはわからないが、おそらくあちこち)に入っていて、そこから血液を採っていったので痛くはなかった。あまりにも次々血を採られるので、しまいには「どーぞ、どーぞ」と言って血を採らせていた。だが、ボーイッシュな女医さんが来て、今度はどこから採るのかと思ったら、足の付け根から採ると言い出した。「え!?痛くない?」「太い血管だからあまり痛くないと思うよ」チクッとされたがあまり痛くはなかった。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月04日
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「あれ?この番号でいいんだっけ?」吉岡さんの番号をかけてみたつもりだったが、なんだか違うような気もした。案の定、番号は違っていたらしく誰も出なかった。だいたいその時間にかければまだ家にいることはわかっていたので間違ったことにはすぐ気づいた。頭がハイテンションになって、どうやら、忘れるはずのない番号まであやふやになってしまったらしい。「あれー?何番だっけ?」と考えているうちに、他の電話がICUにかかってくるとまずいと思ったのか、「またにしようね」と看護師さんに電話を持っていかれてしまった。今の状況を吉岡さんに伝えることはできなかったが、私は入院する前の福岡まで吉岡さんに会いに行ったことや、今村くんの信用にかける言動を思い出し、「やっぱり吉岡さんに限るよねー」と、聞いてもわからないであろう看護師さんに向かって言い、ひとり納得していた。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月03日
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退屈な時間を過ごしている間、私は元彼の吉岡さんと今彼の今村くんのことを思い出していた。「これは大変なことになったから連絡しないと」二人とも私が入院したことは知っているが、移植手術をしたことは知らないはずだ。私は元彼の吉岡さんの家の電話番号なら昔から何度もかけてすっかり覚えていたので、ちょうど仕事に行く前くらいの時間を見計らって電話をかけたいと思った。男の看護師さんに「電話かけたいんだけど」と言うと、「電話はかけれないけど、ICU用のだったらちょっと使ってもいいよ」と言ってくれたので「吉岡さんにかけるんだ」と言わなくてもいいことまで言って、とにかくかけることにした。↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月02日
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一度目が覚めてしまうとなかなか眠れず、まだ朝早いこともあって私は退屈だった。ハイテンションはまだ続いていたので私は周りの迷惑も考えず(というかそこは個室で周りが全然見えなかったので他に患者がいるのかどうかさえよくわからなかった)、大きな声で叫んだ。「せんせ~い!早く来て~!お話しようよ~!まだ~?」その大声を聞いて看護師さんがやってきて、「まだ来てないよ。もうちょっと待っててね。他の患者さんもいるから静かにね。」と注意されてしまった。「もうちょっとってどれくらい?」「あと1時間くらいかな」「え~、まだそんなにあるの~?」↑少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。応援よろしくお願いします!
2006年03月01日
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