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仕上げた論文の初稿校正も終わり、久しぶりに晴れ晴れとした気分で朝から「石橋」を鑑賞する。狂言方石田幸雄さんとシテ方宝生流田崎隆三さんの雙ノ会が5年目を迎え、記念の追加公演(若手能)となった朝の部は狂言が「清水」、能が「石橋」。 この「石橋」は、宝生流では前シテに該当する童子をツレの役者が行い、後シテとなる獅子のみをシテが行う。装束を替える必要がないため、間狂言もない。しかし、今回は<連獅子>の小書が付き、童子&赤獅子を田崎甫さん、白獅子を田崎隆三さんという形での上演。宝生流としては非常に珍しい。間狂言を野村萬斎さん。舞台には通常の紅白の牡丹に加えて、桃色牡丹も出される。 午後は雙ノ会の本公演であったが、それは観ずに国立能楽堂の山本会別会へ。「素袍落」、大曲「花子」、稀曲「政頼」の3番。「清水」から狂言4番というのもなかなか贅沢であった。 論文というのは1年のうちのほとんどが頭のある部分を占めているのだが、校正が終わる時というのは晴れ晴れとする。今回も(「も」だよ、トホホ)教育の論文で、文芸作品の論文とは違う葛藤を抱えつつの執筆であった。内容的にはもう少し、というか切り口をもう少し何とかできればと思われる展開であった。今回の論文の題目は「『高等小学読本』における教材化の一側面―能楽作品を例に―」というもので、学内機関雑誌での発表となる。前にも書いたが、当初集中的に調べていた内容が、ちょっと大きくなりすぎてしまったため、急遽こちらを先に完成させた。本来やりたかった、つまり自分の専門である分野の教材が先にできればよかったのだが、今回のものはその手がかりとなればいいな、という気持ちで仕上げた。事実の指摘としては結構面白いものができたのではないかと、これは自画自賛。
2005.10.30
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シテがなかなか登場しない「住吉詣」は『源氏物語』「澪標」巻を基にする。ツレ光源氏一行が都から住吉に下り、かつて流謫の身であった光る君が、内大臣として復帰できた御願成就の参詣を果たす。その光源氏を狩野了一さん。んー、美しい。ちょっと憂い顔で昔日を偲びながらも、今は晴れて内大臣という感じ。顔立ちが良いというのは得である。その胸に去来するのは、明石上と過ごした日々でもあるわけで、後半を引き出すような情感が削ぎ落とされた動きの中に漂う。 童随身が狩野さんと友枝さんのところの息子さんたちで、これまたなんともかわいらしい。
2005.10.24
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今日は市川市教育委員会が行う公開講座(大学との協力)。元々勤務校独自に公開講座を行っていたのだが、昨年から市川市の「いちかわ市民アカデミー」という講座になった。会場はうちと、その他に2大学が提供し、それぞれの大学で講座内容を決めていく。 今回は「和紙と日本の古典」と題して、和紙のあれこれを説明しつつ、紙の用例が見られる古典文芸を幾つか読んでいった。話の内容はさておき、鳥の子や薄様を皆さんに配ったり、架蔵の写本・古筆切・縮緬本を見ていただけるようにしたあたりがずいぶんと盛り上がった。 今日は高齢の方々が若い時に古典文芸の教育をきちんと受けているのを感じる。狂言「末広かり」なども教科書で読んでいた方がいらっしゃって、粗筋を言うと、「あぁ、そうそう」というような反応が返ってくる。キャッチボールをしているような感じで文芸作品について話せるのは、本当に嬉しい。
2005.10.22
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といってもアオヤマではないのが我々の業界。セイザンという琵琶の名器だ。この琵琶を所有していたのが平経正で、平家一門の中でも音曲・和歌に秀でた優美な武人。 この経正の青山を巡る話を舞台化したのが能の「経正(経政)」。今日は若松健史さんのシテで拝見する。このところ、神がかったというか、すごい舞台を拝見していたので(「姨捨」「鉢木」)、こういう小品をどう見せるのかと期待していたが、思ったほどではなかった。でも自分の研究課題に近い視点で見ると平家歌人としての凛とした品格は充分出ていたと思う。 名楽器については『文机談(ブンキダン)』という作品があり、来歴や逸話が面白い。説話の世界で学会発表があった時にわりと基本的な部分を扱ったなぁと思ったが、多分和歌の世界の人に以前から広く愛読されている作品だと思う。
2005.10.14
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平家の武将知盛というと「船弁慶」の後場に登場するが、「碇潜(いかりかづき)」にも登場する。タイトルで明白なように歌舞伎『義経千本桜』の「知盛入水」同様、碇とともに入水するという『平家物語』諸本にはほとんど存在しない話(平教盛・経盛兄弟が碇を負う)を劇化させたもの。前場は老人が教経(ノリツネ)の最期を語り、後場が知盛(+二位殿・大納言局)の最期と、1粒で2度おいしいパターン。『平家物語』の時系列に従えば、先帝(安徳)と二位殿、教経、知盛の順で入水していく。 前場の尉については間狂言で知盛の霊と説明されるが、イメージとしては教経の霊が語っている感じ。ただし、叙述は「けり」で統一されていて、平家一門の最期を目にした知盛が見ていた光景となるので、知盛の霊が教経の最期を語ってもおかしくはない。 『平家物語』ではかなりの山場となるところであり、「碇潜」自体も面白い(古態による上演があったり、演出も自由裁量の部分があるようだ)のに、稀曲なのはなぜだろう。源義経を臆病者に描く(『平家』もこの部分は同様)から、近世期に受けなかったのだろうか。ちなみに宝生・金春・喜多流には現在ない。 今回は観世流で小書<船出之伝>が付いたので、後場は実際に二位殿&大納言局も登場し、ワキの台詞も変わっていく。一番の見せ場は題名のように碇を戴いた知盛の最期であるが、大小前の作リ物の船から本舞台を広く使って海に飛び込む様を見せた。シテ中森貫太さんは身体を絞ったのか細くなった印象で、白くすらりとした手の美しさに磨きがかかっていた。力強い手の表情が良い!
2005.10.12
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国立劇場の今月の歌舞伎は「貞操花鳥羽恋塚(みさおのはなとばのこいづか←ヨメネー)。 顔見世的な序幕、源三位頼政・頼豪阿闍梨を描く二幕、保元の乱後の崇徳院を描く三幕、渡辺亘・遠藤盛遠・袈裟御前の三角関係を扱う四幕、と『保元物語』『平家物語』の有名な挿話をまとめた通し狂言で、その根幹には、頼朝挙兵に至る以仁王の院宣が関わっていく。鶴屋南北らしい派手な構成で、古典作品を良く練っている。 7月の社会人向け夜公演で解説にあった、国立劇場の舞台装置をふんだんに活かした凝った作り。前々から話題だったのは、生きながら大天狗となった崇徳院が都へ駆ける場面を現す宙吊りで、舞台下手側の花道沿いに飛ばすのではなく、なんと客席を斜めに飛んでいく宙吊りが披露された。ちなみに14日21日の社会人のための歌舞伎入門では、この宙吊り場面の第三幕のみを行う。 それはともかく、崇徳院の天狗話とか、盛遠出家して文覚のいきさつとか、近世末期から近代にかけて読み物として広まっていたであろう話を、面白く書き換えながら、打倒平家に生きる人々を描く点が興味深い。転写の際の異本発生とは異なる次元での改作で、完全に別作品であるわけだが、こういう下地を読書経験として、または何かで聞いたというレヴェルであれば、面白さ倍増の作品であった。 <今日のこぼれ話> 大劇場内の某喫茶に入ったら、すらりと背の高い小顔の店員さん……おおぉっ!?某小鼓方さんの若い時(10年位前)に似ている。親戚かと思ってしまった。頻繁ではないにせよ、あちこち入っているのだが、目撃は今回が初めて。見比べたい方は、是非国立劇場へ(笑)。
2005.10.07
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はっきり言って論文が遅れている(←威張るな!開き直りか?)。本当ならば今日の観世座公演はすっきりとした心と身体で行くつもりだったが、無理だった。 立合能というが異流が交ざるわけではなく、観世座主催の宝生流公演という感じで、シテ高橋章さんの「楊貴妃」。地頭が三川泉さんで、小倉ファミリーも総出演。今日は<玉簾>の小書で作リ物が絢爛豪華なものになる。しかし、[序ノ舞]を省略してしまう小書であるため、ちょっともったいない(省略しない場合もあるらしい)。詞章にある「九華の帳」をなぞらえた簾を手(扇)ではらう風情がなんとも美しく気品にあふれていた。 自分の仕事もできていないのに行ったバチか、自分の前は巨大な外国人さんで、舞台の半分以上が見えない。大きいばかりでなく、前にのめる、横に動く……とせわしないこと甚だしい。ということで、自分もちょっと非常識人間になってしまった、反省。 今回の論文は、国定教科書『高等小学読本』収載の能狂言作品について。能狂言については書くつもりがなかったのだが、元々やろうとしていた題材が簡単にはまとめられなくなり、データとしてだけ持っていたこちらに変更した。当初考えたかった問題は、日を改めて書く予定。
2005.10.06
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