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あまりにだるいので仕事を休んでしまいました。ああまた風当たりが強くなるぞこれは。まあ明日いって挽回するしかないのでしょうが。あまりにだるくてだるくて起きたら夜の9時でした。何時間ベットでうだうだしていたのかと考えると末恐ろしい。明日ははずせない仕事があるのでいかなきゃと。そういえばもう1月も終わりなのですな。はやいなあ。私ももうすぐ仕事はじめて何年目になるんだろう。でも全然進まず。さっきまでアンフェアをみてました。あーと思いながら見てましたああいう信念でもあればいいんでしょうけどね。まあとりあえず世の中新聞をよんでもニュースを見ても嫌なことばっかりでほんとブルーになるのでこういう日はニュース断ちするのがいいのでしょうけどまそうもいかず。庵でもつくって隠居したいとか訳わからんことを考えた私でござった。
2006年01月31日
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なんちゅうかだるいです。一ヶ月の中で波はあるのですが、波にのまれているカンジですかね。現実逃避してきた後遺症かもしれません。まあなんというか逃げたくても現実からは逃げられないということですわね。考えがぐるんぐるんまわってどうしてこの世の中は汚いんだろうとかそういうこと考えたりしていかんいかんと思ったりしてます。そういう自分はどうだと言われればそこまでなのですが。お返事なかなかかけなくてすみません。
2006年01月30日
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なぜか京都にいますです野暮用で(汗)。なかなかいいホテルで、また使おうと思っています。チェックアウト11時だしすっごく清潔だし。なんといっても駅から近い。しかも大浴場(ちっちゃいけどビジネスには十分)付き。ホテルマンの対応もなかなかでした。ちなみに三井ガーデンホテル京都四条です。ちょっと行きたいイベントがあったのですが、早々に寝坊し・・・。これは重症だなあと思いつつ、必死に博多駅に行きました。とりあえずオープニングぎりぎりには間に合ったのですが、あまりの焦りようで、京都駅に着いて出口を手っ取り早く聴こうとそのへんの駅員さん捕まえて、四条烏丸出口はどこですかときこうとおもったのに、口から出たのは・・・・しじょうとりまる・・・・苦笑する駅員さんを横目に慌てて走ってタクシーに飛び乗りました。タクシーのおじさんに「いやー京都は寒いですねー」と話し掛けると「どこからきたん?」と聴かれたんで、「福岡です」と答えたら「あら~今の季節になにしに?」と言われてしまいました。とほほ。「福岡は活気あるやろ~京都は今の季節はだめやなあ」と。そういえば確かに土曜にしては人が少なかったような。福岡だったら土曜はごった返して大渋滞なので。でもまあ京都は道がきちんと整備されているというのもあるんだろうと思いつつおしゃべりしてました。なかなか気さくなおっちゃんで、短い間でしたけど、いろいろ京都のことを教えてもらいました。「おねえさん、舞妓体験するならいい着物を追いとる店にいかな化粧もへんにされるで」とか言われてちょっと嬉しかったり(舞妓っていう年でもないんで(笑))。とりあえず目的地についてほっと一安心。大笑いしてホテルに帰ってきました。笑うっていいことですよね。うん・・・。11も年の離れた地元の高校生とお知り合いになっファーストキッチンでしゃべってたんですが、今時珍しくしっかりと自分の夢を持っていてうらやましいなあと思いました。「夢ありました?」ときかれ、どきり、とした大人の私でした。彼女の先生よりも年上かもしれない私。久しぶりに高校生のころの夢とか思い出して遠い目になりました。また明日会う約束して別れました。私はこうやってふらりと突然いきたいところに行ってしまうので周りの人間はびっくりするようです。でもなんかこう違う世界にいきたいなあといつも思っているのでそのミニバージョンで片づけられるならお金使ってもいいのかなあとかそんなことを考えています。昨日仕事でものすーーーーんごく嫌な言葉を聞いてどっかーーーーんとブルーになってもう表面上の笑いしかできなかったから今日はココロから笑えてよかったです。部屋に帰って大浴場で風呂入って、テレビで女性のうつの番組を見ていました。ああこういう番組が作られる時代になったんだなあと思いました。それにしても「夢」かあ。ずきっとしましたが、小さな夢はいくらでも転がっているのだろうなと最近は思ったりも(無理矢理ですが)しています。大人になってからというもの、仕事や人間関係ははっきりいって辛いけど、そのなかで達成感を感じていくのが大人の社会ってもんなのかなあ。学生時代はまだそれから逃避しようと思えばできた部分はありました。嫌なやつとは口をきかなくてもよいし自分の嫌なことには関わらなくてもよかった。でも学生という身分を失えば、仕事をしていくにしろ、人間と関わって生活していくにしろ、いろんな人間の生活の形態は様々だと思いますが、その辺とうまく折り合いをつけていかなきゃいけない。まあその辺は学生時代バイトしたりして徐々に学んでいくのでしょうが。「最初からこれになりたいと決まっていて、それを達成する」私はそれをしませんでした。というかできませんでした。だから自分の生き方に対してすごく根本的な疑問を持っているところも大いにあります。だけども達成してもしなくてもずっと何かしら生きていく指針のようなものを見つけていくことが大事なのかなあとかぼんやり思う29才の冬でした。
2006年01月28日
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どうも疲れが溜まっているようで昨日あたりからだるくてもう仕事中大変でした。転勤族の我々は今異動の話がぼちぼち出ていて、皆さん上司に呼ばれて話をされております。私も本当は異動期なんですが、まあ体調も体調なので、しばらくここで働いているみたい?です。とりあえず2月中旬くらいからぼちぼち勤務制限を外していく方向で話が進みました。そういえば公費負担の切り替えをちょっと前にしました。市役所から書類が来たのでばばっと記載して病院に出したら後は代行してくれるとのことで安心しました。まあ私は役所勤めなんでこういうお堅い書類の記載は慣れていますが、普通の方だったら結構苦戦するかもしれないなあと思いつつ書いておりました。これで4月から1割かあとか思いつつ。この時期風邪もひくし花粉症もぼちぼち出ているし、医療費はばかになりません。精神科に行っていると気付きませんが、普通の病院にいくと請求された金額にびっくりすることもしばしば。こりゃうかうか風邪もひいてられんとか思って病院を後にする私です。あーこれからしっかり領収書取っておかなきゃなあなんて考えていました。あと一日仕事に励みます。
2006年01月26日
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いろんなことが起こるものですね。仕事にしろなんにしろ。私自身、「え?はい?」っていうことが起こってしばしここ数日固まっていました。実名をあげてばらしまくりたいのですがね。ていうかどうして実名報道しないのかがよく分からないけど。とりあえずものすごく雲の上の人だと思っていてすごいと思っていてストイックだったと思っていた人もただの変態おやじだったということでしょうか。「表の顔、裏の顔」、それぞれあっていいと私は思っています。どんなに偉い人でもただの人間だから欲望を持つ、それは当然。私にだって欲望くらいありますわ。でもまあ常識の範囲内でやってほしいものです。中洲にくりだすなりなんなり楽しんでくださいませ。しかしなんだかなあ・・・。まだ初で任官当時、あれだけ怒鳴られてあれだけ執務室で議論ふっかけられてやられまくってあれだけしんどくても「まあ厳しく育ててくれているのだろう」と思って必死にやったあげくガス欠になってぶっ倒れた私も私なんですが。その怒鳴りまくった人間が常識はずれのただの「エロおやじ」だったというのは全くもってなんというか情けないというか・・・。まあ昔書いたフリーページ読み返すとホント悲しくなりますな。もう情けないを通り越してあきれかえるしかないです。言い訳は「仕事のストレス」。はあ・・・。仕事のストレスでぶっ倒れた私って馬鹿??とか思ってしまいましたとさ。とほほ。まあ今はなんとか安定して仕事をしています。人間悪いことはできませんな。
2006年01月24日
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あっという間に休みは終わるものですね。もう日曜日も終わり。昨日は同期の女性達と会って散々仕事の愚痴大会をしてきました。久々に面白かったなあ。ものすごい衝撃の事実も知ったのでせいせいしたこともありますし。(内部的なことなのでかけませんが、私の鬱の原因の1人の話です)あはは。ざまーみろ。←心の叫び。風邪はまだまだ酷いですが、あるあるでやってたキノコなべでもつくって今週には治したいなあとか思っています。
2006年01月22日
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ようやく一週間が終わりました。今日は無茶苦茶大きな仕事があったのでぐったりでした。とりあえず一段落です。風邪気味でやばそうだったので、内科にいったら、扁桃腺が腫れていますとのこと。インフルエンザではなさそうなので良かったです。とりあえずゆっくり休みたいです。ふう。
2006年01月20日
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なんだか最近仕事から帰ってきてものすごく疲れてしまい、ぐったりと寝てしまいます。変な時間に寝てしまうのでまずいなと思いつつ。今週はいろいろと私の係は忙しく、今年一番の山場かもしれんです。はあ。明日はブルーウエンズデーです。
2006年01月17日
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今日は重いからだをひきずって仕事にいきました。なんとも仕事場は結構ばたばたとしていて一月は大変そうです。仕事が終わってから今年初めてのカウンセリングにいきました。実家での話。それからかなりの所まで追い詰められて締まった話。家族の話をしました。父と兄との関係を八百屋と例えました。なんかぴったりだと私はおもったので。八百屋の跡取り息子とその父親。私は嫁にいきおくれたちゅうぶらりんの娘。そういう感じかなあと例えました。本当は全然違うのですが。実家で二度も発作を起こしたことは、言葉よりもさきに感情が爆発したためではないかと言われました。今までずっと何も言えずにいましたので。確かにそうなのかもしれません。聞いてもらいたいけれど聞いてもらえない。分かって欲しいけど分かってもらえない。でも言葉と記憶がぐるぐるとまわってどうしていいのか分からず自家中毒を起こしたようです。「よく思いとどまってくれましたね」と先生から言われました。自分でもよくこうやって仕事いって普通に暮らしているなと不思議になるときがあります。コメントのお返しがなかなかできなくてごめんなさい。
2006年01月16日
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よく寝た。。。一週間よく自分でも働けたと思います。ゾンビのようだと自分でも思います。はああああ。昨日は友人とバイキングで沢山モノを食べて、終電で帰って、アロマバスにはいってアロママッサージをしてラベンダーのアロマを焚いて寝ました。起きたら・・・夜の7時でした。寝過ぎです。でもまあいいとします。
2006年01月14日
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やっと明日で仕事が終わりです。今週は本当にしんどかったです。いろいろ年末にお買い物したものがそろそろ届きそうです。そういうことを喜べるようになっただけでも進歩かな。とりあえず生きています。
2006年01月12日
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ここ数日ほとんど寝ていないことに今頃気がつきました。しかしそれでよく仕事ができるなあと妙なところで感心していたりして。あっぷあっぷしています。
2006年01月11日
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昨晩はほぼねむれず、悶々としながら過ごしていました。とりあえず無理矢理体を起こして無理矢理服きて無理矢理化粧してでかけました。仕事はたんまりたまっていてぼけっとしているひまもなくあっというまに時間が過ぎていきました。大仕事が数件あるので。今日は薬が切れたので病院にいってきました。休み明けの平日ということでものすごく人が多くてびっくりでした。うちのクリニックは小さいのでうじゃうじゃ人がいると気分が悪くなってしまうので、音楽聞いてなんとかごまかしました。まあここのところの状態を医師に話すと大層驚いておられましたが、まあよく復活したと。そういうところでしょうか。なんとか今週を終えたいです。
2006年01月10日
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更新をかなりさぼってしまいました。仕事を3日休んでしまって少し落ち着きましたが、かなり落ちていることは間違いがなく。何をしても何を聞いても涙が出たり。ワガママを言ったり。とりあえずモノだけは食べようと思っています。とりあえず仕事をしようと思います。
2006年01月09日
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寒いです。ものすごい雪のところもあるようで心配です。私は金曜日は仕事を休んだのですが、起きたらもう夜になっていました。知らないうちに昼間を避けていたのかもしれません。だいぶ体は動くようになってきたので、友人を誘って焼き鳥をたべました。なんか食べないと駄目だなあと。私のバロメーターは食欲で。一人でいるとどうもだめだめなので無理矢理仕事が終わった友人を誘ってなんでもいいから食べたいといったら焼鳥屋に連れていかれました。とりあえずまだ味覚があるのでセーフかなあと思いつつ。でもふとした瞬間に失踪したくなったりして。「失踪するにゃどうしたらいいんやろう」なんてとんでもない質問とかしてました。(私のほうが専門家なのに。。)でも実際行方が分からないのってどうやってやってるんだろうって不思議です。でも私はなんというか妙なところで律儀なところがあって、義理人情だけは裏切れないという気持ちがあって、すべてを断ち切ってどこかへいくというのは心ひかれるけど結局は無理なのかもしれません。友人曰く「何か今までしなかったことをしてみたら?」と。なんだろう。確かにいろんなものにがんじがらめになってしてこなかったことって沢山あって。そういうことをしてみるのもいいのかなあと思ったりしています。まだまだ頭の中はくるくるまわっていますが、何とかいろいろ気持ちを紛らわしていこうと思っています。
2006年01月06日
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なんとか生きています。今日は少し起きあがって外に出ることができるようになりました。朝、上司に連絡して、申し訳ないが金曜日まで休暇をとらせてもらうように頼みました。(結果的に来週月曜まで休みということになります)上司は昨日は通常休暇、木金は生理休暇で処理してくれました(嘘ではないので・・・)。とりあえず発作の後遺症でもう体力もなにもなく、仕事ができる状態ではなかったので、今休んでおかないとこれはまずいと自分でも思っていました。だからとりあえず月曜までぼけっとして休みます。それしかもう浮上する方法はないと思います。家族とのことは辛いけど少し距離を今はおこうと思います。とりあえず転がってなにもできませんでしたが、夕方ころから少し元気がでてきたので、スーパーまででかけました。とても寒くてダウンジャケットを羽織っていてもぶるぶると震える程寒かったです。ドトールで暖かいコーヒーを飲みながらTMRの新しいCD(UNDER:COVER)を聞いていました。10周年記念のカヴァー曲集で、懐かしい曲も沢山入っていてなぜか新しいのに懐かしくて涙涙。ラストに私が一番好きな「LIGHT MY FIRE 」という西川ちゃんが作詞した曲があるんですが、(オールナイト放送一回目にかかった曲です)その一節にやられて涙が爆発しました。著作権違反になるので書きませんが。西川ちゃんは元ニートで(自称)バンドを解散したあと一年ぐらいずうっとひこきこもって曲を作るだけの生活でどうやって生きていけばいいのか悩み続けていたらしいです。そういう辛い思いがいっぱい詰まっているからいつも彼のライブとかは痛いほど真剣だし人に対してものすごく真摯だし見ていて痛々しいくらいだけど、必死に生きているんだなあって思いました。(すみません勝手なファンの戯言です)。←ライブにいけばいつものおちゃらけ西川と違うことはわかるんだなあこれが。オールナイトとか聞いてた人には分かるかも。まあそれはいいとして、ドトールでひとしきり怪しく泣いた後、少しすっきりして、寒い街に出て人が歩いている姿を少し眺めていました。きっと一人一人何かを抱えて生きているんだろうと思うとまた少し涙が出ました。その後もう結構夜中だということに気付いて、まだ開いている近くのビデオやさんにいきました。私がマニアック映画好きということを知っているし、その店もセレクトショップか?というくらいマニアックなので、1時間くらいそこにいました。そこで、ちょっと懐かしいけどバスケットボールダイアリーズそれからこれは見逃したマルチュク青春通りそれからオールド・ボーイを借りました。「バックドラフト売ってます?」と聞いたら、「ありゃーもうテープどっかにうっちゃったかもねえ忘却の彼方ばい」と言われました。「でもその辺で1000円もせんでDVD売りよるばい」と言われ苦笑。「感動の名作をつい見たくなってしまって」といいました。あと「「イ・ウンジュさん」の遺作のスカーレット・レターって怖いですか?」と聞くと「いや~そげんでもないよ。エッチい映画ばい」と笑われました。マニアックな韓流コーナーにどっかんとおいてあるのですが、まだ誰一人として借りていかないそうです。それでも頑固においているおじさんが好きであります。韓流ブームに聞くと、だいたい50代くらいの方が借りていくそうです。でもそういう方々が借りたいようなものはまあ一応おいてはあるのですが、それよりマニアックなほうが多いので、訳も分からず借りていかれるとか(苦笑)。私は昔から韓国も台湾も香港もベトナムもなんでもいろいろごっちゃにしてなんでもかんでも学生時代貪るようにミニシアターで見ていたので、なんか洋画もアジア映画も同じに捉えているタイプの人間だそうであります。褒められているのかなあ。8月のクリスマスが私がまともシアターで見た韓国映画かな?まあいいや。楽しみは多い方がいい。おじさんと会話し、家に帰り、音楽を付けました。リヒテルが弾くリストのコンソレーションがたまたまつきました。ああいいなあと思っていたら自然とピアノを開けていました。ラヴェルのパバーヌが弾きたくなって弾いていました。それからドビュッシーを弾いたりリストを弾いたりしていると心が段々と落ち着いてきました。ものすごく久しぶりにピアノを弾いたことに気がついて、少し嬉しかったです。まあこうやって私は生きています。
2006年01月05日
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昨日の夜からぐるぐるぐるぐるときえたいきえたいとそればかりが浮かんでもうどうしようもなく。同じ病気を持つ人にえんえんと話を聞いてもらってなんとかおさまりました。いのちの電話はつながらないし(まあ、この時期だからこんでいるのでしょう)もうなんだか食欲もないし、落ちるトコまでおちました。仕事なんぞもちろんいけるわけもなく。最悪だな。明日は仕事、行きます。
2006年01月04日
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わたしの家に帰りました。昨日は眠れず、両親が知らない内に朝一のバスで帰ろうとコートをきたままリビングに座っていたのですが、朝方眠ってしまったようで、機会を逸してしまいました。とりあえず朝ご飯を食べました。母は母で母の実家の行事やらなんやらで忙しいらしく、早く帰れという空気が漂っていたので、もうさっさと帰りたくてご飯を食べて勝手口から荷物かかえて逃げ出しました。でも母親から止められました。とりあえずわたしのいえにかえりました。寒かったしせまいけどわたしのいえです。医者は両親に心の辛さ、成長期、私があまりに何も言えない人間だったのでその分をとりもどすように分かち合えと言われてきましたが、やはり両親には思い出したくない過去であって、もう精算された過去にすぎないと痛感しました。確かにもう家が酷かった時代からは10年は経っています。しかし私にとっては何一つ辛さは精算させていません。でも彼らにとって過ぎ去ったことをぶり返すのはもうやめようと思います。今はもう有り金つかんで逃亡したい気持ちばかりが先行してどうしていいのか頭が混乱していますが、きっと朝おきて仕事にいけば気がまぎれるのではないかと思います。
2006年01月03日
コメント(8)
家が嫌いです家族が嫌いですでもその家族に期待する自分が一番嫌いです3日朝こっそり帰りたいとそう思っています誰も話を聞いてくれない兄貴は帰りました私が泣いても私が何を話しても誰も真面目にうけあってくれないもうどうでもよくなりました
2006年01月02日
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とうとう2006年になりました。無事にまだ生きています。珍しく行く年来る年のときはまだ発作が大丈夫だったのですが、今日昼間ひょんなことからぜえはあいいだしてしまって、父親には呆れられました。つい中学時代の話題(学校関係のこと)になってそのときの辛かった記憶がぐるぐると回り出してしまって。家でのことはもちろん父や母は知っていますし、学校がものすごく荒れていたことも両親は知っていますが、どのくらい学校で私がサバイバルしてきたか、それは全然知りません。(言わなかった私が悪いのですが)。毎日毎日呼び出されて(ヤンキー学校だったので)それを打破しまくる毎日。そのうち誰も寄りつかなくなりましたが。先生ともかなり闘って(政治的思想が強い先生がその思想を押しつけたり、暴力がものすごく横行していたのがいやで、反発しまくっていました。)いたことかを親に話していたら心臓がばくばくしてきてもう駄目でした。それはともかく、中学校の先生は子供のことをなめきっていたとしか思えませんでした。(当時の私には)。私は若干ませがきだったので、その辺の哲学書とか政治書、宗教書は小学校時代にひととおり読んでいたので、知識はあったんですよね。だから授業を聞いていると、子供の思想誘導をしているのが、分かるんです。純粋なまっすぐな子だったらなんの疑問もなく受け入れてしまうと思うんですよね。もちろんじぶんなりの思想、信条を形成していくことは重要だと思いますが、それは自分自身でやっていくものであって人からおしつけられるものではない。そう思って思春期でやんちゃだった私は右思想の先生には左思想のことを言い、左思想の先生には右思想のことを言って反発していました。(いやな生徒だなあ)。だって生徒が何も分かってないとバカにしているとしか思えなかったんですよね・・・。この馬鹿野郎と。でも私も馬鹿野郎の一人で、いじめがものすごく横行していたのですが、(クラスに2人以上はターゲットがいました)もうめんどくさくていじめもしなかったし、助けもしなかった。そういう馬鹿野郎の無関心野郎でした。一番駄目人間でした。その当時の彼女とたまに病院で会うのですが、顔も上げられません。恥ずかしくて。そんなことを考えている私です。
2006年01月01日
コメント(12)
全20件 (20件中 1-20件目)
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