どんぐり倶楽部さんの影響で、
学問や勉強するってことについて、
ちょっとは深い視点をもてるようになってきたと喜んでいる寅さんです。
特に、特別支援教室で、子どもたちに算数の絵を描かせてみると
人間の認識というものについて、考えさせられることが
格段に多くなりました。
まさに、研究の宝庫です。
学問は、ある意味、モノゴトへのレッテル貼りです。
数字に置き換えるにしろ、名前に置き換えるにしろ。
でも、それは、「実体」ではないわけです。
どうしても、数字に置き換えられない子がいます。
でも、それはそれで、正しいことだと思います。
このエンピツと、あのエンピツは、全然違うものなんですから。
逆に、抽象化し、数字に置き換えてしまうことによって、
見落としてしまうことの方が、コワイものがあります。
先日書いた、「質量保存の法則」の問題にしたって、
砂糖が溶けた水を、原子の粒々でイメージすることだけが、
立派なことでは、全然ないわけです。
たしかに、透明になって、見えなくなっています。
色の問題もあります。
また、砂糖が水に溶けている状態と、
塩が水に溶けている状態では、イオンの観点からは、違うものです。
さらに、もっと極微の世界を考えると、また違った世界が開けるわけだし、
相対論の世界でも違ったものだ。
だいたい、質量というのも、いろんな説明の仕方や概念がある。
さらに、さらに、厳密に言うと、質量欠損も原子核の結合エネルギーにより
生じているので、「質量保存の法則」は成立しない。
ともかく、いろんな意味で、モノに質量のレッテルを貼るのは、
極々、限られた場面でだけ有効なのです。
芸術的な見方の方が、有効な場合が多いのが、人間生活というものです。
リンゴとイチゴを同じ「数」に置き換えてしまっていいのか?
それに人間も混ぜていいのか?
私たちの勉強は、「モノゴトを区別したり、レッテルを貼ったり」することです。
しかし、お釈迦様の言う「智慧」は違うようです。
「無分別智」こそ、仏教で言う「智慧」のようです。
モノゴトは、すべて「空」なのですから、
分別できないはずなのに、人間は自分勝手な物差しで
差別しているわけです。
もちろん、分別をしないで、私たちは生きていけません。
しかし、一つの分別にこだわってしまうのが、浅はかなところです。
特定の分別にこだわらず、いろんな尺度をもてること、
さらに、自分の内部世界を自分で破っていけること。
これが、学問であり、その楽しみであるのでしょう。
いろんな気づき、ありがとうございます。
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