遊びの大切さは、
「認識」に必要な「ゆらぎ」からも
説明できると思います。
人は、ひとつの文字をじっと見つめてみていると、
目の前がぼやけてきます。
突然大きくなったような気がしたり、
視点がぼやけて何も見えなくなってしまったり。
実は、私たちは、固定されたものを、
固定された視点で認識することができません。
認識するためには、変化が必要なのです。
そもそも、私たちの眼球は、何かを見ているとき、
たとえ一点に注意を集中しているつもりでも、
無意識のうちに絶えず揺れ動いて、
視覚情報は変化しているように
なっています。
もし、動きが無いと、最終的には
刺激がない状態になり、
つまりは、見えなくなってしまうようです。
この宇宙は、すべて、どのレベルでも、揺らぎをもっています。
特に、1/f 揺らぎが心地よいようです。
宇宙そのものが、「ゆらぎ」から生まれたと説明されています。
ゆらぎでアンバランスが起きたのです。
ゆれ動き、変化することの大切さは、
人生の問題で行き詰まったときにも、当てはめられるでしょう。
精神病のほとんどは、意識が固定された状態のようです。
問題に対し、柔軟に、いろんな角度から見るためには、
「マジメ」であってはいけません。
価値観自体を揺れ動かすのです。
問題に飲み込まれてはいけません。
ガチガチの宗教が、
周りのことが見えないのは、「マジメ」だからです。
ゆらぎが無いからです。
問題の重要性を引き下げるのです。
固定された意識をゆるめて、ほどくのです。
その上で、新たな結びつきを試すのです。
これができるためには、問題に対して
「あそび」の精神で向き合わなければ。
「あそび」は、いろんな字や絵でガチガチになった紙を
白紙に戻す原動力。
白紙の上でなければ、良い絵は描けません。
白紙にさえできれば、どんな絵でも描ける。
それは、無限の宇宙と結びつくから。
楽しさの伝染病 2009.08.06
自分を好きになる難しさ 2009.07.21 コメント(4)
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