世の中には、全く無意味というものは無いのでしょうが、
「ボク」にとっては、無意味ということがいっぱいありますね。
これは、一人ひとり違うわけです。
そういう意味を持たないものは、関心のあるものに比べて、学習しにくいことは、
当然予想がつきます。
どうして、あの子は、スラスラ理解するのに、
この子の頭には入っていかないんだろう、って疑問のときには、
この子にとって、これは、意味を持たないんじゃないかって、
疑ってみた方がいいかもしれません。
でも、教育現場では、十分な関心や意欲を引き出さないままに、
覚え込みをはじめていることが、とっても多いですよね。
ここで、無意味材料と有意味材料の学習の違いをまとめてみます。
まず、無意味材料を学習する場合には、学習材料が少なければ少ないほど、
学習は容易になります。
これは、当たり前のようですが、
有意味材料のことを考えれば、当たり前でもないのです。
有意味材料は、ある程度の量があった方が、意味の網の目が豊かになり、
学習がかえって容易になるからです。
ですから、ゆとり教育の間違いもここにあります。
学習を無意味材料と考えたから、教える量を少なくした方がいいと
判断したのでしょう!??
次に、無意味材料でも、何とか、有意味化してやると
学習が容易になります。
当然ですね。
さらに、有意味材料でも、その有意味を、さらにはっきり
際だたせてやると、学習が容易になります。
で、こういうことをやると、学習する量は、その分だけ、多くなります。
しかし、結局は、そうした方が、よく学習できるわけです。
無意味なことは、机の上の学習だけではありません。
総合学習の花形、体験学習でも、
それが意味づけされてなければ、
見れども見えず、聞けども聞こえずになってしまいます。
より多く経験させればいい、というものでもないのです。
※ おっと、中学校の生徒が予定より早く醸室に、遊びに来たようです。
緊急出動!
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