今日、我が家でちょっとした悲劇が起こりました。
東京の大学に行っている長男に、
うちのばあちゃんが、渋谷で会う約束をしていたのです。
しかし、先月、じいちゃんが倒れたので、東京行き自体が流れてしまったのでした。
ところが、じいちゃんが倒れたことは伝えたのですが、
ばあちゃんの東京行きが無くなったことは、伝えられてなく、
息子はハチ公みたいに、待ちぼうけだったのです。
しばらく、おふくろと、私の間で、責任のなすりつけ合いが起こりました。
思い返してみると、
先月、ばあちゃんから、
「宏貴に話した?」
私 「うん、伝えたよ」
という会話がすべてだったのです。
ばあちゃんは、東京行き中止の意味だったのですが
私は、「じいちゃんが倒れた」ということを伝えた
という意味で応えたのです。
というのも、大学の試験中だったので、
じいちゃんは、そんなに緊急のことではないから、
今、この時期に、伝えなくてもいいんではないか
という意見が家族の中にあったところだからです。
「でも、伝えた。」という意味だったのです。私は。
ことほど左様に、言う人と聞く人の受け取り方は、
違うものです。
ところで、先生は、生徒に、しっかり話しているつもりでも、
その通り伝わることは、本当にめずらしいものです。
必ずと言っていいほど、歪んで伝わっています。
もちろん、聞く人にも責任はありますが、
しゃべる人は、しかも、教師なら、
その言葉や表現が、どんな風に生徒に受け取られるか
をイメージできなければ、商売になりませんね。
有名な禁句の一つに
野球の監督が、選手を送り出すとき、
「三振だけはするな!」
と言っちゃうことが挙げられます。
確かに、論理的には良いのです。
しかし、選手の潜在意識には、何がイメージされたでしょう?
そう、「三振する姿」です。
こういう時は、「かっ飛ばしてこい!」でいいのです。
母親が子どもを激励する意味で、
「お前は、なんてバカなの?」と言っちゃうと、
子どもには、「僕はバカなんだ」
としか、インプットされません。
言葉の字面だけでなく、そのイメージをイメージしたいものですね。
あるヒーリングの先生が言ってました。
「相手がどう感じるかを考えるというのがコツ」だと。
やたらに押したり揉んだりすりゃーいいってもんじゃないですね。
今日は、亘理の逢隈児童館で、
ドライアイスの実験をさせていただきました。
先生方の協力で、大興奮の1時間半で終わることができました。
本当にありがとうございます。
あとの振り返りでも、先生方が一人一人の子供の
日常の性格をよくつかんで、気にとめてられるなあって、
関心しました。
その上で、この実験がどういう影響を与えたかを
分析されていました。
お役に立つことができて、うれしい限りです。
普段と違った側面を、子どもたちは、いっぱい見せてくれたようです。
先生方にとっても、そこが大発見だったそうです。
おっと、昨日の仙台でのデート
ちょうど、七夕まつりとぶつかってしまったのですが、
行ってよかったあ!
次の展開につながってきました。
では、これから、夜の稼業です。
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