今日は、学校に復帰しました。
もう、運動会の練習一色。
みなさん、あの学校の入場行進の練習、経験あるでしょう?
どう思います?
一糸乱れぬ美しさというのは、たしかに、あります。
何ていうか、団体の新体操みたいな。
学校には、幸か不幸か、団体行動に徹底的に反抗する
テロリスト?が、いて、先生達や、生徒会の頭痛の種になっています。
しかし、ふと、オリンピック開会式を思い出してみましょう。
各国選手団の入場行進。
国旗を先頭に楽しそうに行進して、列をそろえるという意識はないではないですか。
あれを、きたない行進だと思います?
日本人は、一糸乱れずの行進に感動する体質があるのでしょうか?
でも、それなら、素晴らしいお手本は、
将軍様の国の行進こそ、よく手も上がり、足まで上がっていて
模範中の模範ですね。
ナチスドイツや旧ソ連もそうです。
軍国主義というより、そうです、全体主義です。
足並みをそろえるということが、セットになっている。
常々疑問に思っているのだけど、
消防団の練習のほとんど大半は、行進練習に費やされます。
全然意義が無いとは言いません。
しかし、精神訓練のため、ああいう形を教えないと
自分の街を守れないのだとしたら、
何と情けない大人たちだろうと思ってしまいます。
もちろん、行進がすべて悪いとは思いません。
しかし、日の丸・君が代では、あれだけ、議論があったのに、
「足並みをそろえること」の是非を、何も疑問に思わずに、
ちょっとの議論もされずに
毎年、どこの学校でも、スルーしていることに、
私は、いらだちを感じます。
私は、これらの規律を外面的に守らせることに、
違和感を感じる生徒こそ、
明日の日本を切り開くリーダーになれると期待をしています。
もちろん、みんなのことを考えて行動することは大切です。
しかし、たとえば人を愛することを、形式から教えられて
そういう形式で愛を告白されて、
あなたは、うれしいでしょうか?
ラブレターが、形式通り、一糸乱れぬものだったら
そこに、情熱を感じますか?
学校を愛させるのも同じでしょう?
校歌を大きな声で歌えば愛してるんでしょうか?
(実際、生徒は誰も歌いませんけどね)
今日の議論は、私のお世話になっている中学校を非難しているのではないことは
わかってね。
日本全体なんだから。
私たちの中に、すり込まれたものがあるということ。
それに無意識では危ないということです。
学校のALT(外国語指導助手)のアメリカ人に聞きましたら、
当然、行進練習は無いそうです。
ま、運動会自体が無いそうですが、
もし、あるとしたら、オリンピックのようになるでしょう、ということでした。
でも、、軍隊に入れば当然訓練するとのことでした。
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