私は、自尊心に目覚めさせることが、近代教育の焦点だと考えてます。
もちろん、その自尊心とは、〇〇さんよりも偉い、という意味ではなく、
認識する力や、判断する力においてです。
そもそも近代啓蒙主義の出発点は、
外部から押し付けられた規律からの解放と
自ら選択した新たな規律の選択にありました。
ルソーは、良き市民は、
「自らの判断基準によって行動する」
ことのできる人であると考えました。
また、ディドロはそれを
「偏見、伝統、すべての人々の同意していること、権威などを
足蹴にして、あえて自発的に考える」人のことであるとしました。
18世紀末になるとカントが、
「自分自身の悟性を使用する勇気を持て。
それが啓蒙主義の標語である。」
とか
「自ら考えるという行動基準が啓蒙主義である」
と定義しました。
啓蒙主義への批判もあります。
それは、「血ぬられたフランス革命を起こした」
とか、「共産主義を生んだ」とか
「科学万能主義」を生んだとか
しかし、それらは、本当の意味の自尊心・自立心の現れではないですね。
自分の本来の判断よりも、誰かが作った理論や知識(の解釈)を
神にしてしまった結果です。
本当の自尊心があれば、社会の「正義や道徳」にも
懐疑のまなざしを向けますし、
科学理論に基づいて、人生の意味を固めようなどとは考えないものです。
また、人にも押し付けようとしないものです。
啓蒙主義は近代科学を生みましたが、
その科学理論を神にしては、
元の木阿弥なのです。
人間行動は、理性的でなくてもいいのです。
そもそも、それが現実なのですから。
人間の幸せを求めるための解放運動は、
歴史上の知識なんかじゃなく、
まだまだ、道半ばだと言えるでしょう。
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