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ぼちぼちネタ切れかと思っていたのですが、アムランのハイドン・ピアノ・ソナタ・シリーズの第3弾が出ました。最初は個々の曲の個性があまり強くなく、どれがどれだかわからない状態でした。それで、前よりもあまり面白くないと思っていました。ところが、何回か聞いているうちに、曲の良さがわかるようになってきました。今回取り上げられた曲がハイドンのピアノソナタの中でどのような位置を占めているのかは知りません。大規模な曲があるわけでもなく、深みがすごくあるというわけでもありません。HMVのディストリビューターのコメントには、『1770年代、シュトゥルム・ウント・ドラングの時代(疾風怒濤期)に作曲された「ハ短調Hob.XVI-20」、1750年代の若き日の秀作「ハ長調Hob.XVI-1」や「変ロ長調Hob.XVI-2」、1794年にロンドンで作曲された円熟の「ニ長調Hob.XVI-51」など、初期から晩年までの11作品。』と書かれています。今回は、抒情的な曲が多く、それもモーツァルトが書いてもおかしくないような曲が多く、それらの曲が最初は気に入りました。その後、テンポの速い曲や、歯切れのいい曲もだんだん好きになってきました。装飾音符が多用される曲もあるのですが、アムランの演奏では、通常の演奏家のような軽やかな感じではありません。中身がぎっしりと詰まった音がしっかりと鳴らされていて、重力感があります。装飾音というと、軽いというか、つけたしみたいで、まかり間違えば、少し軽薄気味に響くことがあります。ところが、アムランの演奏では、この音のおかげで、軽薄っぽく響くことは全くありません。今回は特に速い曲はなく、いつものスーパー超絶技巧が聞かれるわけではありませんが、装飾音に代表されるように、細かなところでの技巧に裏打ちされた演奏が素晴らしいです。何しろ音がまろやかで、どんなに速く、難しいパッセージでも、刺激的なところがまったくない、というのは驚くべきことです。一部速い曲では音価を短めにとっていることがありますが、控えめなので目立ちません。今回もテンポがまったく妥当で、気に入らない表現は皆無で、曲の素晴らしさを存分に味わうことができます。その中で気に入ったのは、第47番ホ短調 Hob.XVI-47bisのアダージョ。モーツァルトの緩徐楽章みたいですが、べたべたしない乾いた叙情です。第44番ト長調 Hob.XVI-44は2楽章しかありませんが、両楽章とも素晴らしいです。音も粒立ちの鮮やかさが何とも言えません。ハイドンの音楽の清潔な佇まいを感じます。こういう音楽を書いた人は、あまりいないと思ってしまいました。この演奏を聴いていたら、今月号のレコード芸術の吉田秀和氏の「之を楽しむものに如かず」の最後の回の内容を思い出しました。氏はホロヴィッツの音の素晴らしさに触れて、「模範演奏とは言えないかもしれないが、ショパンのノクターン、ワルツから立ち上ってくるあの香ばしい匂い、あの匂やかな香あは誰の演奏に求められるだろうか」と語っています。香ばしいとは何とも凄い表現ですが、独特の指使いから生まれるサウンドで、ホロビッツだと分かります。アムランのピアノは技巧にばかり目が向けられますが、私には、音の粒立ちや、音の充実度は他の演奏家にはないものだと思います。この点については、ホロビッツの香と同じように唯一無二の物だと思います。ほかには、第20番ハ短調 Hob.XVI-20や第6番ト長調 Hob.XVI-6のアダージョもいい感じです。テンポの速い曲やダイナミックな曲もありますが、それらも申し分ありません。ということで、今回もとても楽しませていただきました。あまり知らない者が偉そうに言いますが、こんなにいい曲がそろっているハイドンのピアノ・ソナタが、曲の出来の割には、あまり演奏されていないのは、いかなることでしょうか。交響曲や、オラトリオなどもそうですが、名前は有名ですが、もっと演奏されてもいいと思います。Haydn: Piano Sonatas Vol 3 / Marc-andre Hamelin (Hyperion CDA67822)CD1:1.Piano Sonata1 in G major Hob XVI:65.Piano Sonata in C major Hob XVI:18.Piano Sonata in B flat major Hob XVI:211.Piano Sonata in E minor Hob XVI:47bis Add14.Piano Sonata in G minor Hob XVI:4416.Piano Sonata in E flat major Hob XVI:25 CD2:1.Piano Sonata in C minor Hob XVI:204.Piano Sonata in C sharp minor Hob XVI:367.Piano Sonata3 in E major Hob XVI:2210.Piano Sonata in F major Hob XVI:2913.Piano Sonata in D major Hob XVI:51Marc-Andre Hamelin(p)Recorded in Henry Wood Hall,Lomdon,on 27-29 August 2011
2012年06月30日
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昨年、来日公演もあった、リターンフォーエヴァーの3回目の復活のコンサートライブ。 2回目は2008年で、その時のライブも残されています。メンバーは、チック・コリア、スタンリー・クラーク、レニー・ホワイトのレギュラーメンバーだったメンツに、ジャン=リュック・ポンティのヴァイオリン、エレクトリックバンドで一緒だったフランク・ギャンバレのギターが加わっています。従来の曲に加えて、ポンティの「ルネッサンス」やクラークの「スクール・デイズ」が入っています。2008年の復活ライブ、2009年のワールドツアーライブと二組のアルバムを出していますが、二つ目の「Foever」の2枚目のスタジオセッションに、今回のメンバーであるポンティも参加してます。ちなみに、「Foever」は本年度のグラミー賞ベスト・ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム部門とベスト・インプロヴァイズド・ジャズ・ソロ(チック) の受賞アルバムだそうです。最近聞いていないので確かなことは言えませんが、今回のアルバム、緊張感が感じられません。そのためか、過去の二組のアルバムより落ちるような感じがしました。特に、よく知られた「セニョール・マウス」や「スペイン」はあまり面白くありません。まあ、「セニョール・マウス」では緊張感のなさが、まったりとした味わいになっていて、それはそれで笑えるのですが。。。ところが、昨日、筋トレをしながら聴いていたら、サウンドがえらく厚みがあって、悪くないです。「The Shadow of lo/Sourceress 」あたりから、次第にその良さがわかってきたような気がしました。特に、ポンティとクラークの曲はかなりいい感じです。おそらく、「スペイン」などはあまりにも聴きすぎて、新鮮味がないため、つまらなく感じた原因の一つだと思いますこのコンサートのハイライトはなんといっても「After Cosmic Rain」。分厚いサウンドに、刺激的なソロが続き、手に汗握りますが、なんと言っても、爆走する推進力が快感です。「School Days」の熱気もすごいです。アルバム全体を通じて、クラークのベースが活躍しています。この人の場合、アコースティックも、エレキもまったく同じように弾けるところが、何とも凄いです。もともと、世間ではジャコが出現する前はこの方が一番テクニックがあるということになっていたので、うまいのも当たり前ですが、それを改めて思い出しました。レニー・ホワイトは表に出ることもなく、ちょっと地味すぎかもしれません。ポンティは楽器の性格からして、それほどダイナミックな表現ができるわけではないので、影が薄いです。それでも、「School Days」では周囲の熱気に当てられたのか、白熱した演奏を行っていたと思います。チックはソロにバッキングにと大活躍でした。それにしても、いつまでたっても若々しい音楽で、そのみずみずしい感性は素晴らしいです。 DVD付を買ったつもりはなかったのですが、なぜかついてきて、価格は安かったので、得した気分になりました。DVDは「Return to Forever:Inside the Music」と題された1時間あまりのドキュメンタリー、「After the Cosmic Music」「The Romantic Worrior」の2曲のコンサートライブ、そして、「The Story of Return to Forever」という8分あまりのsneak peak Movie Traierという構成です。「The Romantic Worrior」はモントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブです。ライブ映像は、CDとは違う演奏です。「Inside the Music」は今回演奏した曲にまつわるインサイド・ストーリがメンバー3人により語られていて、これが盛り上がっています。特に、チックとギャンバレが語るギターとキーボードの演奏論は面白かったです。また、コンサートでのライブ映像もあります。モントルー・ジャズ祭のライブもあります。この映像を見ると、クラークのプレイが光っています。それから、ギャンバレも堅実なプレイで悪くはないのです。ただ、アル・ディメオラやビル・コナーズの超強力なギターに比べると、物足りません。画質はモントルーでない方の、コンサートの映像がいいです。おそらく、照明の関係など、制約が少なく条件が整っていたためと思われます。しかし、チックの激やせぶりがちょっと気になります。顔が小さくなってしまって、油が抜けたような状態です。悪いことがなければいいのですが。。。そう思ったあとでネットを調べてみると、昨年の来日時もこれが話題になったようです。2チャンネルには『奥さんのゲイル・モランの意図的な管理。バーベキュー三昧の肥満生活を止めて米食中心の健康生活にしたとか。評論家の小川隆夫氏に米食についてアドバイスを求めてきたりしたらしい。』、と書かれてあります。どうも、私の余計な心配だったようです。。。The Mothership Returns(Eagle Rock EntertainmentER202572)Disc: 11. Medieval Overture2. SeA±or Mouse3. The Shadow Of Lo / Sorceress4. RenaissanceDisc: 21. After The Cosmic Rain2. The Romantic Warrior3. Spain4. School Days5. Beyond The Seventh GalaxyDisc: 3(DVD)1. Inside The Music (film)2. After The Cosmic Rain (Live Austin, Texas)3. The Romantic Warrior (Live Montreux, Switzerland)4. The Return To Forever Story Trailer. Chick Corea(key)Stanley Clark(b)Lenny White(Ds)Jean-Luc Ponty(vn)Frank Gambale(g)公式サイト
2012年06月29日
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「甦れ美しい日本」第1215号に、民主党のばらまきについて書かれています。民主党が政権を取った後で、世界にどれぐらいお金をばらまいたかというと、なんと22兆円だそうです。(以下概要)内訳はというと、<鳩山内閣>アフガン復興支援 4,500億円メコン川改修支援 5,000億円インドネシア円借款 360億円IMFへの資金支援 80,000億円(8兆円)パキスタン支援 1,000億円途上国支援 4900億円支那毒ガス処理 10,000億円(年間1兆円)途上国温暖対策 8,000億円ーーーーーーーーーーーーーーーー 小計 113,760億円(約11兆円)<菅内閣>アフガン支援 4,500億円途上国生き物支援 1,600億円ーーーーーーーーーーーーーーーー 小計 6,100億円<野田内閣>韓国スワップ支援 53,600億円(5兆3600億円) ASEAN支援 20,000億円(2兆円)支那支援 8,000億円インド支援 8,000億円チュニジア支援 211億円メコン河整備支援 6,000億円ミャンマー債権放棄 3,000億円ーーーーーーーーーーーーーーーーー 小計 98,811億円(9.9兆円) 合計 218,671億円(約22兆円)(ここから私の感想)何とも凄い額です。この中で目に付くのが、中国の毒ガスの処理と支援。それに、韓国のスワップ支援の5兆3600億円。wikipediaによると、『スワップとは、正式名が通貨スワップ協定といい、各国の中央銀行が互いに協定を結び、自国の通貨危機の際、自国通貨の預入や債券の担保いれ等と引き換えに一定のレートで協定相手国の通貨を融通しあうことを定める協定のこと』だそうです。この場合、ウォンを円に変えてやるということです。もし韓国が返済できなければ(今回の期限は10月)、日本は安いウォンを持っていなければならない。文字通り死に金です。(感想終わり)海外への協力金については、当該国に資金提供した場合、その当該国から20%のキックバックが、仲介した政治家のフトコロにはいるという話があります。当該国の日本にある当該国銀行の当該国政府の口座にお金が振り込まれる。日本にある大使館から、現金でキャッシュバックをいただく。大使館は外国であって治外法権ですから、日本の官憲の調査の手が及ばない。そこから受け取るお金は、いわば領収書のいらないお金です。22兆円の20%といえば、4.4兆円です。それだけのお金が、民主党に流れ込み、そのおお金が民主党議員にバラまかれたとすれば、なるほど、昨日今日議員になったばかりの民主党の議員さんたちが、駅前の一等地に事務所をいくつも構えているのもうなづける話です。 東日本大震災の被災地は、いまだ瓦礫の撤去が進まず、津波に襲われた町は、まだ何の復興も進んでいません。震災の復旧には14兆円くらいの予算がかかると言われました。そしてそのためには、財源がない。財源がないから消費税をアップするのだと言われています。1兆円というお金は、たいへんな額です。毎日お小遣いを100万円ずつ遣うとして、しかもそれはノルマで、絶対に何があっても毎日100万円をつかい続けなきゃならないとして、あなたが1兆円を使い切るのに、何年かかるのでしょうか。5年?、10年?、いいえ違います。答えは、2740年です。1兆円というのは、それだけ途方もない金額なのです。その大金を、なんと22兆円も海外にバラまいた。22兆円を日本国民の人口1億2700万人で割れば、ひとりあたり約22万円です。4人家族なら、この2年で、民主党に200万円くらいの個人献金をしたことになります。(以下略)いや~、こういう視点で民主党のばらまきを説明された方は寡聞にして知りません。この説明を読むと、いかにものすごい金額であるのかよくわかります。しかし、毎月100万円使って、1兆円を使い切るまでの年数が、なんと2740年とはぶった曲げました。まあ、人間一人と国家を同じ尺度で比べるのもなんですが、これがなんともすごい数字であることはわかります。自分のお金ではないので、こんな無駄遣いもできるわけですが、消費税1%上がれば2兆円の税収アップが望めるということを考えると、22兆円だと11%に相当するわけです。ODAは使い道さえ誤らなければ、それなりの存在意義はあると思います。しかし、貧乏人がそこまでして、他人を助ける必要があるんでしょうか。そこら辺にもメスを入れてほしいと思いますが、政治の世界では、一向に遡上に上がりません。その理由は、筆者の言うように、政治家へのキックバックの源泉であるからなのかもしれません。
2012年06月28日
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今日、消費税増税法案が衆議院を通過しました。 反対票を投じた民主党議員は57人、欠席・棄権が19人ということで、まあ想定内の結果だったと思います。しかし、毎日毎日こんな話ばっかりで、いい加減うんざりです。おまけに、反対した連中には肝が据わった人間はいないようです。何しろ、頭目が、「最後の努力として本来の民主党のあり方に帰ることを党の執行部に主張したい」などとほざいていることからも、その覚悟のほどがないことがわかります。「物事の順序が違うだろ」と言いたくなります。これに輪をかけてひどいのがルーピー鳩山。離党する勇気もない情けない男ですが、相変わらず、的外れなことばかり話していて、どのつら下げて物を言っているのかと思ってしまいます。迷惑分子ですので、さっさと離党したほうが、民主党のためにもなります。しかし、前原が「小沢は政治家ではない」と記者会見で話したそうです。先日の文春の報道を踏まえた発言とも受け取れますが、かりにも党首であった人物がこんなことを言われるようでは、お仕舞いです。民主党は終わりました。とにかく、消費税をさっさと片付けて、解散してほしいです。これが、今日の報道を見ての感想でした。ところで、お前はこの法案に賛成なのか反対なのかと聞かれたらどう答えるのか。自分としては、増税は仕方がないと思っていました。もちろん、確たる理由はなく、本当はやるべきことをやってからにしてほしいという気持ちが強かったです。いわば条件付き賛成。小沢の言っていることは、まあ正論ではありますが、共感することにはなりません。人間として好きになれない男だからです。 ところで、昨日あたりから、読みかけだった先月号の「Will」を途中から読んでいます。そのなかで、中小企業診断士の三橋貴明氏の「生き抜く経済学」第5回「真のデフレの恐怖」で、デフレについて詳しく説明しています。それを読んで認識を新たにしたところでした。デフレは物価が下がるからいい、と大方の人たちと同じ考えを持っていましたが、思考がそこで止まっていたことに気が付いたのです。物価が下がることイコール、デフレではないのだそうです。「デフレの真の恐怖」とは、物価の下落以上のスピードで所得が下がっていくことです。そうするとどうなるか。物価が下がる→モノやサービスが安く買える→企業のもうけが少なくなる→給料が下がる→買えるモノやサービスが少なくなるこういう図式です。同時並行して、企業ではこういう動きになります。デフレ期では実質金利が上昇→投資を減らす→雇用環境の悪化→失業者が増える →円高→企業の海外移転つまり、「デフレの恐怖」とは物価が下がるのではなく、所得が減る事なのです。これが進行すると、国民がどんどん貧乏になってしまう。最終的には、国民の受容すら満たせない水準にまで国民経済の供給能力が削減されてしまう。そうなって初めて「デフレは底を打つ」。ただし、それで終わりとはならない。インフラから何から不足した状況であるため、物価やサービス価格がひたすら上昇して「悪性インフレーション」が発生する。三橋氏の話をかいつまんで言うと、こういう感じになります。なにか、中南米やアフリカのことのように思えますが、その危険性が迫っている事はどうも確からしいです。それで、現在の状況を、この流れに沿って考えてみます。消費税が上がる→物を買わなくなる→企業の売り上げが落ちる→給料が下がる→買えるモノやサービスが少なくなるさっきの図式と全く同じです。そうすると、増税することによって、国が貧乏になっていくように見えます。増えた税金で福祉を充実させようとしているようですが、最終的には充分な福祉さえも与えることができなくなる貧乏国家になってしまうということが考えられます。そうすると、どうすすればいいか、。やはり景気を良くして、企業を活性化するしかないという結論になりそうです。それにはどうするか。金融緩和と法人税の減税が必要です。もちろん、そのためには原子力の力が必要です。ここまで書いてきてやっとわかってきたように思います。そうすると、今の動きには賛成できないという結論になります。う~ん困ったことになってきたようですね。。。しかし、私はこの問題をわかりやすく説明してくれる人を知りません。三橋論文を読まなかったらこんなことも考えなかったと思います。それにしても、考えなければわからない問題であることに対し、まともな説明や解説がないところに、日本の大きな問題があることは確かなようです。これだけ、ネットが発達しているというのに、そんな状態であることは、どこかおかしいとしか思えません。
2012年06月26日
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少し前に、「永遠の故郷」の「真昼」の読後感を書いたことがあります。 その時、CD版が出るので、是非手に入れたいという話をしました。そのあと予約を入れて、手に入ったのは発売から2,3日してからでした。その間に、吉田秀和氏の死というショッキングな出来事に遭遇しました。ブログでも書きましたが、無理してほしくないと思っていた矢先の出来事で、とても残念に思いました。 CD版の「永遠の故郷」は「永遠の故郷」で取り上げられたローレライを除く歌曲が吉田氏の美しい訳詩で楽しめます。また、CD版用に約100ページの本もついてます。本というほど大げさではありませんが、CDに収録されている演奏家と演奏曲目について、ざっくばらんに語られているものです。あとがきに、CD版の作られたいきさつが書かれてあります。本を読んでいて、曲を知らないのと知っているのでは、知っているほうがすっと面白く読める。ただ、100曲余りの歌曲を全部そろえるとなると、たくさんのCDを買わなければならず、非経済的なことになる、と氏は考えました。そこから、このCD版ができたということです。わたしが「真昼」を読んだときに、自分の手持ちの音源をiTunesに入れて、プレイリストを作って楽しんでいたのですが、わずか10曲くらい(大地の歌の「告別」が入っているので、曲数は多くない)にもかかわらず、結構手間がかかってしまいました。氏がそういうことまで見通したかどうかはわかりませんが、いかに編集者がいるとはいえ、少なくとも読者の心理を推し量って、必要なものをすぐ出すという、その行動力に驚いたものです。ちょっと考えただけでも、権利をめぐる各レコード会社との交渉など、難しいこと山ほどあって、出版社の本業とは言えないことをやり遂げた、関係者のご努力にも、敬意を表します。CDは5枚で、どれもが収録可能時間ぎりぎりまで詰め込まれています。シューベルトが多いのは、当然でしょうし、ヴォルフ、R・シュトラウス、ブラームスなどが多いのもうなずけます。少し驚いたのは、プーランクの歌曲が、短いとはいえ40曲近く収録されていることです。氏がこれほどプーランクをお好きだとは知りませんでした。音源はユニヴァーサル、EMI、ソニーなどで、そのうちの7,8割はユニヴァーサルのものです。なかでも、フィッシャー=ディースカウの演奏がかなり多いです。氏はディースカウの歌唱について面白いたとえをしてます。ホロヴィッツのピアノの音の出し方と同じだというんですね。それは、音の柔らかな綺麗さで、高音で、時々何かが爆発するように、すごいフォルテが出てくる。その綺麗な高音の軽い味わいから、強い低音のフォルテシモまでの音の幅が広い。というような内容です。全部を聞いたわけではないですが、ここに収録された数十人の歌唱を聴いてみても、ダントツにうまいのがディースカウであることがよくわかりました。個人的には若い時の歌唱の、何というか青春の爽やかさみたいなものが強く感じられ、とても好ましかったです。演奏者は有名な方がほとんどですが、私の知らないウイリアム・パーカーなどの歌手も入っていて、大変興味をそそられました。異色なのはウゴルスキーの「エリーゼのために」。テンポが非常に遅く、通常聞かれるような華麗な演奏ではありません。つぶやくような演奏で、時折立ち止まったりします。後半は、なにかを暗示しているような、暗い陰のある演奏。こんな演奏聴いたことがありませんでした。上質な紙を使用し、神経が行き届いた装丁で、丁寧な仕事ぶりがうかがえます。ということで、奇しくも遺作になってしまいましたが、最後にこんな素敵なものを残してくれて、感謝に堪えません。じっくりと聞いて、気に入った演奏家は、少し、他の演奏も聞いてみたいと思います。何はともあれ、氏のご冥福をお祈りいたします。合掌吉田秀和著 CD版 永遠の故郷 集英社 2012年6月20日第1刷発行
2012年06月25日
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製作費37億円、インド国内最大のヒット作で、アメリカ、イギリス、韓国などでの上映され、興行収入100億円というアクション大作という、うたい文句です。 「ワケわからんが面白い」というキャッチコピーに惹かれて、トレーラーを見たところ、かなり変な映画であることがわかりました。こういう映画は嫌いではないので、見に行きました。何しろ上映時間が一日1回しかないのですが、そのためか結構入りはいいようです。ところが隣が、始まると椅子に膝を立ててすわっています。以前コンサートでそういうことをしている女子高生がいましたが、こちらは30代くらいの女性。ちょっと気になってしまいましたが、映画が面白く、そのうち忘れてしまいました。インド映画はほとんど見たことがありません。今回は、「スラムドッグ・・・」以来のインド映画でした。冒頭からキャストやスタッフの名前が続きます。アンドロイドの物語なので、タイトルバックは、テクノ調で頑張ってCGを使っています。ただ、CGが少し古臭い感じで、一生懸命なのはわかりますが、少し間が抜けているように感じられます。まあ、映画がコミック調なので、あっているといえば言えますが、スマートさはありません。バシーガラン博士(ラジニカーント)は10年の歳月をかけて、自分そっくりのアンドロイド、チッティ(ラジニカーント)を完成する。博士はこのアンドロイドを軍隊に売り込むため、いろいろなところで、デモンストレーションを行う。ロボットは、最終的には人工知能開発局(AIRD)の認可を受けなければならない。その責任者は、バシーガラン博士の恩師のボア教授。ところが、ボア教授は弟子に自分よりも優れた成果を上げられたため、面白くない。チッティは火災現場で大活躍するも、入浴中の少女を裸のままで、救出してしまう。少女は人前で裸をさらすことを嫌がり、その場から逃げ出した結果、最悪の出来事が起こってしまう。ボア教授はこの事件を重要視し、ただ命令をそのまま実行するのではなく、人間の感情を察知して行動しなければならないと、無理難題を吹っ掛ける。バシーガラン博士は、一か月間でチッティが感情を持つアンドロイドに変えることに成功するが、新たな問題が起こってしまう。■チッティの活躍が笑える人間の感情を持つというと、「ターミネイター」を思い出しますし、事実その影響が感じられます。ただ、こちらは変な方向に進化してしまし、大変なことになります。この映画の見所は、バシーガラン博士の恋人サナが列車の中で襲われ、チッティが彼女を救出する場面です。彼女の大事なバッグを川に投げ込まれ、それを取り戻そうとするときの、チッティの行動がすごいです。飛び込んで、バッグを探し出すのはもちろん、乗っていた列車に追いつき、なんと列車の上ではなく、横を走っていくという、びっくり仰天の行動をします。警察の拳銃をみんな集めてしまって、それを横に並べて、まわりながらぶっ放すところも、面白いです。クライマックスは、チッティがチッティの複製を作って、軍隊に仕立て上げ、警察と戦う場面です。軍隊のフォーメーションがいろいろなパターンであり、それもなかなかユニークです。最後のフォーメーションは明らかに「トランスフォーマー」の影響が感じられます。この映画で目立っているのは主役のチッティで、多分動きに細心の注意が払われているのでしょうが、人間が演じていることを忘れさせるのに成功していると思います。その次に目立っているのは、サナ役のアイシュワリヤー・ラーイ。その美貌とグラマラスな肢体で、目を楽しませてくれます。さすがに、ミス・ワールド国際大会で世界一の美女に選ばれたのは、だてではありません。もちろん演技もいいです。■お約束のダンス場面も ストーリーとは無関係にダンス・シーンが挿入されています。 音楽はストーリー柄でテクノサウンドがさく裂します。しかし、チッティとサナの踊りがすごくうまく、楽しいです。日本で公開される映画としては、かなり異色な作品ではありますが、ラストのほろりとさせられるシーンを含め、とても楽しめる作品だったと思います。ハリウッド映画のように洗練されていないところが、いいのかもしれません。公式サイト
2012年06月24日
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パット・メセニーの新作は、新しいバンドでの録音。 バンドとしては4年半ぶりだそうですが、今回のバンドの特徴は、ホーン(クリス・ポッター)が入っていることです。ホーンが入ったのは、「80/81」以来とのことですから、約30年ぶりということになります。バンドはパットの故郷であるミズーリ州リーズサミットのユニティチャーチと呼ばれるキリスト教団に由来しているそうです。メセニー家はユニティーチャーチを創立したフィルモア家と100年前からの古い付き合いで、父親や兄が夏にそこで演奏していました。メセニー自身も数年間そこのバンドでホルンを演奏していました。出典:no treble 「New Year」はメセニーのアコースティク・ギターソロから始まります。心をわしづかみされるような、ラテンの哀愁的なメロディーが出てきて、泣けました。パットと、ポッターのソロは申し分のないもの。特に、ポッターの演奏は、かなりエモーショナルで、ハードな演奏の中に冷静さが感じられるような演奏の多い、今までのグループでは異色の存在だと思います。まあ、人間の息を吹き込んでいるという楽器の特性も関係していると思いますが、実に人間臭いソロで、個人的には好感度大です。車などで聞いていた時は、全体にポッターは影が薄いと思っていたのですが、コンポで聞いてみたら、全く違います。何を聴いていたのやら。。。サンチェスのシンバル・プレイが実に鮮やかです。「Roof Dogs」はパットのいつもながらの曲調で、ギターシンセが、ぐいぐいと迫ってきます。圧倒的な迫力で、聞き手としては、たじたじとなるしかありません。ギターシンセが終わって、ソプラノが入ってくるとなぜかホッとします。ホーンを加えた効用?かもしれません。「Come and See」はハープのグリッサンドを模したようなギターのフレーズ(なんという奏法か知りません)にバス・クラリネットが絡むという異色のイントロ。これもメセニーらしいメロディーラインで、ぐいぐい進んでいきます。「This Belongs to You」は哀愁を帯びたメロディーで、あの名盤「ミズーリの空高く」の空気を感じます。心を揺さぶられるという言葉がありますが、この演奏はまさにその形容にぴったりの演奏です。中間部にパットの短いソロがありますが、メロディーが素晴らしく、ソロはなくてもいいという感じがします。「Leaving Town」はミディアム・テンポの少しファンキーなフレーズを持つ、軽快だが重量感のある曲です。この曲はアルバムの中では最もオーソドックスな展開です。ポッターの激しいテナー・プレイが、パットのソロを上回っていると思います。ここでも、サンチェスの力強くも、多彩なドラミングが光っています。しかし、個人的にはこれほどうまいドラマーだったとは思っていませんでした。私の認識不足だったのでしょうか。エンディングがすごくかっこいいです。「Interval Waltz 」は遅いテンポで、静かな曲ですが、中身はかなり濃く、内に秘めた情熱が、感じられます。ソロは次第に高揚していく感じで、聞き手も次第に熱くなっていくようです。1小節が同じ音で「4分音符+16分音符+休符」のような構造になっていて、それが4小節単位でクレッシェンドしていきます。これが、とても印象的で、高揚感を生み出しているフレーズです。アルバムで一番長い「Signals」は副題に「Orchestrion Sketch」とあるように、オーケストリオンの演奏にクインテットの演奏がオーバーダビングされています。3分ほどのイントロ部分はかなり錯綜した音楽ですが、一面、幻想的な世界も感じます。オーケストリオンによるリズムが聴こえてくるところからは快適なテンポになります。演奏は、以前「オーケストリオン」について感じた印象と同じで、シャカシャカしている感じがあり、どうにも居心地の悪さを感じてしまいます。それでも、以前よりはその度合いが減っているように思います。慣れたのでしょうか?曲もあまり印象に残るようなものではありませんでした。「Then and Now」ではまた、オーソドックスな展開に戻っています。ここではポッターの熱気を帯びたプレイがいい感じです。最後はアップテンポの「Breakdealer」。アルバム最高の聴きものです。急速調でミステリアスなメロディーが流れてきます。不安を感じさせるリズム・フィギュアが執拗に繰り返され、それに乗って力のこもったソロが続きます。その、じわりじわりと高揚していく様は、いままでの感傷的なムードを吹き飛ばすような、暴力的な雰囲気さえ感じます。聴いていると、冷や汗が出てきそうな、緊迫感のある演奏です。これは、実演だとさぞ受ける演奏だと思います。テナーとドラムスのプレイが、断然光っています。ところでこのタイトル意味が分かりません。「運命を売る男」みたいな感じでしょうか。ということで、すごい演奏で、新しいバンドとしては、満点のスタートだと思います。特に印象的な曲が何曲かあり、今後、スタンダードとして残っていく予感がします。個人的には、いつものパターン通り、しばらくは繰り返し聞くことになる、と思います。といっても、すでに5回以上は聴いていますが。。。PAT METENY UNITY BAND(NONESUCH 7559-79615-0)1.New Year (7:37)2.Roofdogs (5:33)3.Come and See (8:28)4.This Belongs to You (5:20)5.Leaving Town (6:24)6.Interval Waltz (6:26)7.Signals (Orchestrion Sketch) (11:26)8.Then and Now (5:57)9.Breakdealer (8:34) PAT METHENY(electric & Acohstic Guitars,Guitar Synth,Orchestrionics)CHRIS POTTER(tn,bcl,ss)BEN WILLIAMS(b)ANTONIO SANCHEZ(Ds)Recorded February 2012 at Avatar Studioes,Nwe York,NY
2012年06月23日
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歌手のさだまさしの自伝的小説「かすてぃら」を読む。 かすていらと思っていたのですが、「かすてぃら」という題名でした。筆者の父親ががんで亡くなるまでを描いたもので、さだが幼少のころからのこともつづられています。この父親が肝っ玉の据わった男で、とても好感が持てます。その父親の、あっと驚くようなエピソード満載で、「事実は小説よりも奇なり」を地で行くような人生を歩んだ方です。怒らすと頑として自分を曲げない男で、やくざまで負かしてしまうほどの豪傑です。かすてぃらは父親の大好物で、舞台や映画でいえば、印象的な出来事があるたびに登場する小道具みたいなものです。あるとき、父親が坂道に違法駐車したところ、警察官に駐車違反で切符を切られます。父親は手練手管を弄して説得に努めますが、警察官は頑として認めません。おこった父親は、次の日から、その場所に車が駐車していると、いちいち電話して件の警察官に取り締まるように話します。一種の嫌がらせですが、その警察官も嫌な顔一つせず、応対していました。そんなある日、家にその警察官が訪ねてきます。警察官は別なところに異動になり、挨拶をしに来たのです。帰り際に、お礼として置いていったのが「かすてぃら」でした。また、借金取りのやくざが父親のを待ち伏せしていた時の話もすごいです。やくざの車に乗れというのを自分車に乗せて、茂木港から長崎半島を南に降りていく未舗装の道を走っているときに話を始めました。三人組のやくざは金の返済を迫りますが、普通の倍の利息まで払ったと言って、それ以上の支払いを断ります。その前にやくざは母親に刃物をちらつかせて脅したということがあって、その時に父親の怒りが沸騰していたのです。彼らと口げんかしているうちに、刃物を抜いて脅しにかかります。それをみて、父親は、助手席側が断崖絶壁になっている方向に死を覚悟でハンドルを切ります。それを繰り返すうち、やくざが音を上げて、おとなしくなってしまいました。一週間ほどしてから、刑事が父親を訪ねてくる。やくざに脅された件で話を聞きに来たのだが、父親は刑事の「怖かったでしょう?」という言葉に切れて、「全然怖くなかった。」と答える。さらに一週間たってから、小林組の親分が父親を訪ねてくる。今までの出来事を知り、父親の男気に惚れたということだった。そのときのおみやげが4斤のカステラで、親分は父親のことを「叔父貴」と呼ばせてくださいと言う。その後、親分はカステラをもって、たびたび家に来たそうです。そして最後のカステラのエピソードは父親の葬儀の後、中華料理店で行われた精進落としの席で出てきた、ローソクのたったカステラ。その日はさだの弟の誕生日で次の日は友達の誕生日で、ケーキの代わりにカステラが出てきたというわけです。そのほかにも父親が巻き起こす事件に笑えます。父親は材木商を営んでいたのですが、ある時に自分が持っている山を造成して、家を建てるという話を不動産屋が持ち込んできました。条件がよく、家が建ってとんとん拍子で成約するときになって、不動産屋にかねて約束していた造成した土地を買い取ってもらう話をしたところ、そんな話なかったとにべもなく断られてしまう。例によって、切れた父親は妙案を思いつく。土地の周囲1mのところにぐるっと深い溝を掘ってしまう。不動産屋は抗議に来るが、父親は聞く耳を持たない。挙句の果ては家を購入する筈のお客にも逃げられるしまつ。いやはや、こういう人を怒らせたらろくなことがないという、典型的な話で、笑ってしまいました。大正生まれで、戦争を経験した骨太の人間のスケールのでかさを感じたものです。さだは普通の作家と遜色のない同じように流暢な語り口で、とても素人の手になるものとは思えません。なにしろ、落語が得意な方ですから、こういう話を書くのはお手の物かもしれません。普通に書けば暗くなりそうな話ですが、長崎の空のようなからっとした雰囲気が感じられ、それもとがったような感じではなく、ふんわりとした肌触りで、味わいが深いです。これをほおっておく映画人はいないと思います。完成の暁には是非見に行きたいと、映画化の話もないところで勝手に思ってしまいました。さだまさし著 かすてぃら 小学館 2012年4月10日 初版第一刷
2012年06月21日
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「幸せへのキセキ」を見に行くはずだったのですが、確認したはずなのに、時間を間違えてしまいました。 気が付いたのは窓口に行った時でした。予告を見て、見に行こうとしていたので、ちょっと順番が狂ったと思えばいいと自分に言い聞かせて、「ホタルノヒカリ」を見ることにしました。公開2週目にしては、入りはかなり良かったです。なるほど、オープニング2日間の成績が、24万2821人、興行収入3億1365万750円というのもうなずけました。観客は幅広い年齢層で、テレビの人気番組であることを伺えました。私は、テレビドラマはほとんど見ないので、このドラマの人気ぶりは知りません。映画版ではありますが、テレビ番組の内容を知らなくても十分楽しめる映画だったと思います。主役の二人のはじけぶりはすごく、役者とはいえとても恥ずかしい演技を真剣に演じていたのはさすがにプロだと思います。この映画で一番光っていたのは、脇役の松雪泰子(冴木莉央)。イタリア版干物女という想定ですが、干物度はほたるよりは下のようです。べらんめえ調で、なかなか威勢がいいです。ほたるが投宿したホテルに長い間泊まっていて、昼から酔っぱらっているような女です。その原因が次第に明らかになっていく様子を、自然体で演じています。冴木の弟優を演じた手越裕也はNEWSのメンバーだそうですが、初めて演技を見ました。なかなか爽やかな演技だったと思います。綾瀬はるかは相変わらず濃い演技で、個人的には少し辟易します。藤木直人はこういうコミカルな演技をする方とは思っていませんでしたが、女装をして男とダンスを踊るシーンなど、なかなかシュールだったと思います。イタリアの名所がいろいろ出てきますが、時間が短く、観光案内みたいな感じになってしまったのは残念です。画質は暖色系でとても美しかったです。公式サイト
2012年06月20日
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2009年に出ていた、マイルスの「Kind of Blue」リリースから50周年記念のレガシー・エディション。 このアルバムは単独のCDでは持っていなかったのですが、ジョン・コルトレーンとのセッションを集めたボックスを持っていたので、最初は全く買う気がありませんでした。現物は、図書館にあったので、聴いてはいましたが、それでも、買うところまではいきませんでした。いつだったかAMAZONのレビューで、何回再発を繰り返せば良いんだ、みたいなことを書いていた方がいて、それがきっかけで、なぜか買ってしまいました。興味の中心は見たことのないDVDでした。DVDは2008年製作の「Celebrating A Masterpiece: Kind of Blue」というドキュメンタリーと「The Sound of Miles Davis」と題されたロバート・ヘリッジ・シアターというスタジオ・ライブを収録したテレビの30分番組、それにフォトギャラリーという構成です。テレビ番組は1959年4月5日に米CBSで放映された物だそうです。曲は前半が「So What」、後半はギル・エヴァンスオーケストラの演奏でブルーベックの「ザ・デューク」、ギル・エヴァンスの「ブルース・フォー・パブロ」、ジャマルの「ニュー・ルンバ」の3曲。いずれも「マイルス・アヘッド」(1957)で録音済みの曲です。ギル・エヴァンス・オーケストラには、ウイントン・ケリー以外のクインテットのメンバーが参加しています。ギル・エヴァンスのバンドのメンバーも参加していますが、ほとんどクインテットの演奏です。ピアノはウイントン・ケリーのため、オリジナルとは少し雰囲気が違っています。フォトギャラリーではこのセッションの時の写真を中心としたものです。見たことのない写真もあります。マイルスがニヤッとしている写真やクラブでビリー・ホリデーと同席しているマイルスの写真が含まれています。ビリーのwikipediaによると。労働許可の没収されニューヨークで歌えなくなったため、長いツアーをこなさなければならなくなります。1950年にシカゴのハイノートでマイルスとのダブル・ビルで再び成功すると書かれています。どうも、共演したことはないようです。「Celebrating A Masterpiece: Kind of Blue」は「Kind of Blue」の音楽的な意味や歴史的価値、そしてセッションでの出来事などが、ミュージシャンをはじめとしていろいろ関係者によって語られています。出演ミュージシャンは、ハンコック、ジョン・スコフィールド、デイブ・リーブマン、ロン・カーターらのマイルス・バンドのOBや、エディー・ヘンダーソン、シャーリー・ホーンなどです。セッションの映像に、「The Sound of Miles Davis」の映像も入っています。セッションに関係した方で存命なのはジミー・コブだけだと思いますが、彼の発言が面白かったです。当日行ってみると、スケッチを示されただけで、すぐ演奏を始めたというんですから、おそらく、マイルスとエヴァンス以外は半信半疑で演奏していたのではないかと思います。出来てみたら、ジャズの歴史を変えるような演奏になったという認識も全くなかったようです。のちになって、このセッションの重要性がわかったというのは正直な発言だと思います。「ビッチェズ・ブリュー」のときのミュージシャンの反応と同じことが、この時に発生していたわけで、マイルスの巧妙な仕掛けだったことがわかります。また、いろいろなミュージシャンが、ファースト・テイクの重要性について語っています。ジャズの場合、新鮮な気分のファーストテイクがうまくいけば、それでいいという考え方です。エリントンとコルトレーンが共演したインパルスのセッションでは、テイクを重ねようとするコルトレーンに対し、エリントンはワンテイクを主張し、その通りになったようです。ファーストテイクですから、細部の詰めが甘かったりすることは往々にしてあることだと思いますが、気分を重視しているということがわかります。カインド・オブ・ブルーでも結果的に「フラメンコ・スケッチ」を除く5曲がすべてファースト・テイクで仕上がっています。これがモードの始まりのアルバムであることを考えると、モードを理解しているかどうかは別として、参加したミュージシャンの力量には驚嘆するほかないと思います。録音前に渡されたのはマイルスによる簡単なスケッチだけで、それがこんなにすごい音楽になるとは、私的には、全く考えられないことです。それから、作家のアシュリー・カーンが「死刑台のエレヴェーター」は「カインド・オブ・ブルー」につながっているという指摘は、初めて知りました。なるほど、「死刑台のエレヴェーター」ではラッシュを見ながら、アドリブを行った演奏ですから、手法としては、カインド・オブ・ブルーの先駆をなすものという指摘は当たっていると思います。録音の重要性にも触れられています。レコーディング・エンジニアのフレッド・プラウトが澄み切った音と、深い反響のバランスをとった功績を立てています。録音はCBSの30番通りのコロムビア・スタジオで、羽目板にいい具合に響く魔法のサウンド(ハンコック)だそうです。スタジオ・シークエンスやフォールト・スタートを聴くと、音によってずいぶんと印象が違ってくることがわかります。プラウとがマイルスに、マイクの位置は変えるなと言っているシーンがありますが、絶妙のマイクセッティングだったことは確かです。あのサウンドがなければ、深い闇を記録することはできなかったと思います。しかし、マイルス、コルトレーン、エヴァンスとも闇を持っているという指摘は、なかなか鋭い指摘だと思います。こう考えると、闇とは無縁のキャノンボール・アダレイが参加しているのも、音楽の厚みを加えることができる、スパイス的な役割を果たしていたと思えてきます。ということで、大変興味深いドキュメンタリーであり、この時のセッションの歴史的な意義というものの理解を深めるうえで、大変有益なものだと思いました。しかし、ジャズにおける、このような人間模様は大変面白いです。個性的な人物がジャズをやるのか、ジャズをやっていると個性的になるのかわかりませんが、多分そのどちらもいえることだと思います。MILES DAVIS Kind of Blue Legacy Edition(COUMBIA/LEGACY 88697 47627 2)
2012年06月19日
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報道によると、『衆議院の文部科学委員会で15日、著作権法の改正案について審議・採決が行われ、“リッピング違法化”などを盛り込んだ政府案が全会一致で可決した。あわせて、自民・公明の両党から“私的違法ダウンロード刑罰化”を追加する修正案が採決直前で提出され、賛成多数で可決された。』とのことです。政府案では、1)いわゆる“写り込み”等に係る規定2)国立国会図書館によるデジタル化資料の自動公衆送信に係る規定3)公文書等の管理に関する法律に基づく利用に係る規定、4)技術的保護手段に係る規定――の整備を行う。とされ、4)が問題となりそうです。これはDVDなどに用いられる「CSS」などの暗号技術を、著作権法上の対象となる「技術的保護手段」に追加するもの。その結果、これを回避してDVDなどを複製するプログラムが規制されるほか、技術的保護手段を回避して行う複製は、私的使用目的の複製の範囲外となり、認められなくなる。これが、“リッピング違法化”というものです。これがどういうことを意味するかということですが、世の中ではいろいろ騒がれています。レンタルDVDのりピングはもちろんダメ。また、DVDをiPodやスマホにいれるのもダメです。個人で購入して、iPodなどに入れた楽曲も、暗号化技術を使ったCDならダメになる可能性があります。現在直接CDを聴くというスタイルはメジャーではなくなっているため、また暗号化がメジャーレーベルで復活すれば、大きな影響が出てくると思われます。この法律は、一部を除いて2013年1月1日から施行すること、となっているようですが、どうなるんでしょうか。私などのようにレンタルDVDをリッピングして、後で見るというスタイルはできなくなるわけで、そうすると、レンタル業界そのものがかなり売り上げが減りそうです。そうかといって、DVDやCDの売り上げが増えるわけもありません。私が一番心配なのは、ネットワーク・オーディオが法律違反にならないかということです。まあ、暗号化したCDを買わなければいいだけの話ですが、CDに関する情報が正しく伝わらないと、この新しい形態の鑑賞方法が衰退していく可能性があり、とても心配です。違法ダウンロードを取り締まることは当然のことですが、リッピングもダメというのはいかなる理由からなんでしょうか。業界の圧力だとは思いますが、そんなことをしてバカ高いDVDを買う人が増えると思っているんでしょうか。理解に苦しみます。いずれにしても、まだ内容を知ったばかりなので、少し情報を収集して、推移を見守っていこうと思います。
2012年06月17日
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図書館に行ってたまたま見つけた一枚。個人では絶対に買わないCDですが、このピアニストの演奏はまともに聞いたことがないので借りてきました。曲はすべてメンデルスゾーンの作品で、ピアノコンチェルトと無言歌集、ロンド・カプリチオーソ、前奏曲とフーガ、厳格な変奏曲と多彩な組み合わせです。協奏曲はライブで、そのほかの独奏曲は、水戸芸術館コンサートホールでのセッション録音です。メンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番はとても珍しく、私は多分初めてお耳にかかりました。メンデルスゾーンを聴くといつも天才を感じるのですが、このあまり有名でない曲でもその天才の片りんを感じました。どこがといわれると答えに詰まるのですが、ほかの作曲家からは絶対に聞かれない物を感じることがあるからです。協奏曲は曲自体が軽いもので、どうこう言うような曲ではありませんが、つまらないという感じは受けませんでした。メンデルスゾーンらしい部分があり、それなりに楽しめたと思います。それは、小菅たちの音楽がよかったからです。バックは、暖かで、豊かなハーモニーで、ソロを盛り立てていたと思います。多分、水戸室内管の演奏はCDでは初めて聞きましたが、世評通りかなりうまい楽団だと思います。機会があったらぜひ聞いてみたいものです。あとは独奏曲ですが、曲自体こちらの方がいいこともあり、独奏曲はとても楽しめました。無言歌集はテンポが適切で、とても自然な表情のため、すっと体の中にしみこんでいくようです。特に気に入ったのは、第5巻第6番の「春の声」。分散和音がもこもこした感じで、ほかの演奏とは大違いです。この曲の代表的な演奏であるバレンボイムの演奏を聴いてみました。巧妙な演奏であることは確かです。ところが、小菅の演奏と比較すると、アゴーギクが目立ち、技巧を使いすぎているように感じました。メンデルスゾーンでは、あまり手管を使わない方が良いみたいです。また、田部の演奏も聞いてみましたが、基本的にはバレンボイムと同じ路線で、それにくらべると小菅の演奏のほうがメンデルスゾーンにふさわしいように思います。「ロンド・カプリチオーソ」は、幻想的な曲想で、聞いていると、真夏の夜の夢の世界のようです。季節は冬です。小さい雪の妖精がくるくる踊っているような情景が目に浮かぶようです。小菅の演奏は活き活きとして、とても楽しめました。メンデルスゾーンのピアノ曲の最高傑作「厳格な変奏曲」は変奏が的確に弾き分けられていて、聞きごたえがありました。メンデルスゾーンには珍しい重厚さや深遠さがある曲ですが、それらも十分に出ていたと思います。ただ、スケール感がもう少し出ると申し分ないように思います。それから、バッハの作品の思わせるような『6つの前奏曲とフーガ』の第1曲も良かったです。全体的には、メジューエワほどの深みあはありませんが、かなりいい線言っていると思いました。ところで、メジューエワのメンデルスゾーンのCDを昨日から探しているのですが見当たりません。困ったものです。MENDELSSOHN Piano Concerto No.1 & Piano Solo Works YU KOSUGE SEIJI OZAWA(SONY SICC 10084)1. ピアノ協奏曲第1番 ト短調 作品25 I.Molto allegro con fuoco2. ピアノ協奏曲第1番 ト短調 作品25 II.Andante3. ピアノ協奏曲第1番 ト短調 作品25 III.Presto-molto allegro e vivace4. 無言歌集より 第5巻 第1番 ト長調「5月のそよ風」5. 無言歌集より 第6巻 第4番 ハ長調「紡ぎ歌」6. 無言歌集より 第5巻 第5番 イ短調「ヴェネツィアの舟歌 第3」7. 無言歌集より 第5巻 第6番 イ長調「春の歌」8. 無言歌集より 第4巻 第3番 ト短調「胸騒ぎ」9. 無言歌集より 第3巻 第6番 変イ長調「デュエット」10. ロンド・カプリチオーソ 作品1411. 前奏曲とフーガ 作品35-1 前奏曲12. 前奏曲とフーガ 作品35-1 フーガ13. 厳格な変奏曲 作品54 小菅優(P)小沢征爾(指揮)水戸室内管弦楽団Recorded April 26-28(live),July 14-16,2009,Concert Hall ATM,ibaraki
2012年06月16日
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数日前、新聞に載っていた週刊文春の広告を見ていたら、小沢一郎の奥さんの支持者への離婚の報告の手紙がスクープされていました。 「小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」という題の、松田賢弥氏と文春取材班の手による記事です。 中身を見たいなと思いながら、コンビニに行ったときには文春がなかったので、まだ内容を把握していませんでした。今日、ふと思ってネットで検索したら、いろいろなところに出ていますが、最初に「元木昌彦の深読み週刊誌」というサイトをのぞいてみました。東日本大震災の時、小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出したそうです。それを見た和子さんは、岩手や日本のためになる人間ではないとわかり、離婚したそうです。おまけに、小沢に隠し子がいたことが8年前に発覚しました。3年間付き合った女性Aとの間の子供で、結婚前からつき合っていた別の女性Bに一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたのだとか。その時の小沢の言いぐさが、ふるっています。「Bと結婚するつもりだったが、水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにしていたところ、田中角栄から紹介されたお前(和子夫人)と結婚した。」おまけに、夫人は「地位がほしかっただけだろう」といわれ、「選挙も手伝ってもらった覚えはない、本当はBと結婚したかった、Bとは別れられないが、お前なら別れられるから、いつでも離婚してやる」とまで言われました。このことから、夫人は自殺まで考えたそうです。東日本大震災の後の3月16日に北上出身の第一秘書の川辺から、内々の放射能の情報を得たので、秘書を逃がしたこと、小沢も逃げるので、家族もどこか逃げるところを考えろと言われたそうです。そのことをなぜ国民に言わないのかと問うたら、小沢が岩手に行かないのは知事が岩手に来るなといわれたからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。それを聞いた小沢は、食料の備蓄はあるので塩を買い占めろと言って、その後は鍵をかけて家に閉じこもったそうです。岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです。夫人は、こんな男を国政に送る手伝いをしていたことを恥じ、離婚の慰謝料は岩手に義損金として送るつもりだとのことです。筆者は、最後にこう結んでいます。「馬鹿な男だ。小沢一郎という政治家の終焉である。妻から捨てられ、地元から見捨てられた政治家は生きてはいけない。消費税増税反対に最後の力を振り絞るのだろうが、もはや小沢の帰るところはない。」隠し子を他の女性に引き取らせる話は、田中角栄と同じ行動です。しかし、ほかはまるで違っています。角栄は奥さんを大事にしましたし、やりすぎではありましたが、郷土も大事にしました。小沢は郷土のことなどこれぽっちも考えていなかったと思います。考えていたのは蓄財のことだけ。個人的には、震災後、続々と国会議員が震災の現場に来ているのにもかかわらず、小沢が来ないのが不思議でした。その謎が明らかになったのですが、予想外のことに唖然としましたし、半面、小沢らしい行動だとも思います。まえから、小沢の行動を見ていると、上に阿り、下に偉そうな顔をするという、我々が考える性格の悪い人間の典型みたいなやつです。小心者であることはわかっていましたが、放射能が怖くて家に閉じこもっていたなんて、何とも情けない奴です。一般人としては考えられないことではありませんが、それも夫人が逃げないと言ったので仕方なく家に閉じこもっていただけのことです。こういう時に活動できないやつが国会議員をしている資格はありません。しかし、和子夫人が小沢の秘密をこういう形で暴露するなんて、よっぽど腹に据えかねたのだと思います。個人的にこの方は福田組の娘で大株主だくらいしか知りませんが、お金のことは別として、いいことと悪いことの区別はついていたようです。この手紙の中で、見過ごせないことが一つあります。岩手県知事が、放射能の影響があるので岩手に来るなと行ったということです。この知事は民主党出身で、知事になってからも民主党の肩を持つような発言ばかりをしてきた人物ですが、こういうふるまいを知事の立場でするなんて信じられません。この出来事は決して知事の名誉にはなりません。しかし、震災当時、小沢が首相だったらと思うとぞっとします。それを考えると、管直人だったのは不幸中の幸い?だったのかもしれません。これで小沢の正体がばれました。あとは、次の選挙で粛々と落選させることが、岩手県の名誉を回復することです。岩手4区のアンチ小沢の皆さん、お待たせしました。※この項を書いた後で、文春の報道の全文を掲載しているサイトを見つけました。長いので6回に分けて掲載されています。
2012年06月15日
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「SAPIO」最新号に、『厚生省が血道を上げる「たばこ殲滅運動」の理論的支柱「平山論文」の不都合な真実』という長ったらしいタイトルで、現代史家の秦郁彦氏が論じています。 (以下概要)「非喫煙者でも副流煙によって被害を受ける」という論理を盾に、受動喫煙というリスクを広めたのはWHO(世界保健機関)。1999年WHOは日本の国際会議で「たばこ規制枠組条約」の調印を迫った。そのために、2003年に「健康増進法」が施行され、第25条には「受動喫煙の防止」が盛り込まれた。この法律により、最初は屋内での分煙から始まり、次には野外施設での灰皿の撤去、挙句の果てに路上喫煙防止条例まで導入されている。そもそも、この「受動喫煙」の概念は、平山雄(1923-1995)が提唱したものである。1965年から保健所のネットワークを利用して大規模な「人とがん」に関する大規模な追跡調査を実施した。その結果、「喫煙者の夫と非喫煙者の妻の組み合わせで妻の肺がん死が多いのは、副流煙の吸入による受動喫煙に起因する」という着想を得た。1981年イギリスのBMJ(British Medical Jourbnal)で論文を発表するも、「科学的証拠に欠ける」という批判ばかり。平山は医学的アプローチをあきらめ、政治工作と嫌煙運動へとのめりこんでいく。これに米国の公衆衛生局と反たばこキャンペーンを行っていたWHOが飛びつき、「受動喫煙=悪」という図式が復活する。平山は『禁煙ジャーナル」を主宰する運動家として全国を回り、ついには「ほとんどのがんはたばこが原因」と訴えながら、1995年がんで死去。このように科学的な根拠がないにもかかわらず、厚生省は受動禁煙だけではなく、「2022年度までに喫煙率を12.2%までに削減する」と、喫煙者そのものの削減に乗り出している。ところが、厚生省の「人口動態統計」によれば、肺がんによる年間死亡者は1950年には1119人だったのが、2010年には6万9813人と60年間で60倍以上に増加。ところが、喫煙率はJT調査によると1950年の85%から2010年には36.6%まで減少している。この結果からは肺がんはたばこだけが原因でないことははっきりしている。これは、陰謀が見え隠れする。この場合はあからさまな手口から明謀といったほうがふさわしい。(概要終わり)最後の明謀には笑えますが、これらの事実からは喫煙と肺がんの因果関係がかなり薄いということが推測されます。とすると、秦氏の言うように明謀があると考えるのが自然です。首謀者は誰でしょうか。たばこを憎んでいる人たちや、国が進めている分煙でご利益のある業界、たばこに代わる嗜好品の業界などが連動していると考えるのも、それほど突拍子もない考えではないように思えてきます。
2012年06月13日
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この前から話題になっている、丹羽宇一郎在中国日本国大使の尖閣に関する問題発言。 6月1日付の英『フィナンシャルタイムズ』のインタビューに、東京都の石原慎太郎都知事の進める尖閣諸島購入計画について、「実行された場合、日中関係に深刻な危機をもたらす」と答えたものです。 常識ある人間だったら、いくら心情的にそう思っても、公の場で、自分の立場もわきまえず、あのような発言をするなんて信じられません。欲の皮が突っ張っているとしか思えませんが、大使の前に商人である人間としては当たりまえなのかもしれません。商人は、国がどうなろうと自分がもうかればいいという考え方の人たちですので、そういう意味では見上げた根性だと思います。もともと、大使に就任当時も、ODAを、「日中関係改善のため続けるべきだ」とするなど問題発言をした方です。伊藤忠時代は、なかなか華々しい活躍をしています。1998年に代表取締役社長に就任後、多額の負債を抱えていた伊藤忠商事の業績を2001年3月期決算では過去最高の705億円の黒字を計上するまでに回復させた、凄腕です。社長就任中には、同社の関連会社であるファミマや吉野家の弁当を昼飯のために自分で買っていたそうですし、出勤には、運転手つきの自動車などを使用せず、社員の目線に立つために電車を使用していたそうです。少々パフォーマンス気味で、異論もあるとは思いますが、ビジネスマンとしては一流だったことは確かです。しかし政治と商売は全く別ものです。こういう輩が国益を守らなければならない大使をしているなんて、よりによってとはこういうことだと思います。発言問題だけでなく、いろいろな問題を起していますし、今回の件で、「深い反省の意を表している」とうそぶいているようですが、外務大臣も甘い。今後も何かあったら「反省している」といえば切り抜けられるとでも思っているんでしょうか。「反省」なら猿でもできます。しかし、民主党が政権を取ってから「よりによって」(選りに選って)ということがあまりにも多すぎます。首相からして「よりによって」ですから。。。。「甦れ美しい日本」1204号にこの件に関して、城内実衆議院議員が寄稿しています。題して、「丹羽中国大使を即刻くびにせよ」。温厚な城内議員にしては、随分と激しいタイトルです。城内議員は丹羽大使就任前の平成22年6月に、中国大使就任に抗議する質問主意書を提出していたそうです。安全保障や資源など国益の根幹にかかわる問題を抱える中国の大使に、中国にビジネス上の利害関係を持つ丹羽氏が、わが国と友好関係にある中小国の大使ならまだしも、よりによって中国大使に就任することが甚だ不適切であり、不謹慎だと強く感じたからだそうです。城内議員の懸念は残念ながら当たったわけで、全くひどいものです。城内議員は、『北朝鮮でこんなことを言えば、間違いなく死刑だ。中国でも刑務所行きだろう。米英独仏など先進国においても、即刻大使は召還されて解任、議会で「証人」喚問されることになるはずだ。対応いかんによっては政権が吹っ飛ぶ話だ。』としています。普通の国なら、首になるのが当たり前なのに、日本ではそういうことにならない。それは国家反逆罪や国家転覆罪などがないことにも一因があります。こういうことをなくすためには、これらの法律を、スパイ防止法などとともに早急に成立を図る必要があると思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。
2012年06月12日
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一か月ほど前に、ホームセンターからいろいろな種を買ってきて、育てようとしました。 もともとの動機はゴーヤで緑のカーテンを作ろうと思ったからで、どうせならほかの野菜も種から育てようという魂胆です。ナス、トマト、スイートコーンなどをポッドに入れて、サンルームで育て始めました。ゴーヤは種に傷をつけて、水を入れた皿を室内に入れて、芽が出てくるのを待っていました。ところが待てど暮らせど芽が出てきません。ゴーヤだけでなく、ほかの野菜もです。ゴーをにやして?、ゴーヤの皿にラップをかけて、日中は外に出しておきました。空気が蒸発しそれが冷えてラップにくっついて水滴になっています。それを見るとほどほど暑くなっているようですが、相変わらず、変化なしです。そのうち、スイートコーンの芽らしきものが出ていることに気がつきました。とてもうれしかったのですが、ほかの野菜は全く変わらず。次の手として、不織布でポッドをくるみました。ところがこれも有効ではありません。ゴーヤも変わらずで、ラップを取ってみると、少しだけ芽が出ていますが、それも2,3個だけ。かれこれ2週間ぐらいたっているので、見切りをつけて、ポッドに入れ、サンルームに持っていきました。種から育てるのはうまくいかないようですので、結局いつもの通り苗を買って植えました。緑のカーテンのためゴーヤの苗を買おうと思ったのですが、すでに店頭からは姿を消したみたいです。仕方がないので、あまり効果はないというキューリを代わりに植えました。今までの奴はそのまましぶとくおいていますが、変わりません。そろそろ、潮時かもしれません。昨日、散髪に行きました。ここの主人は趣味で野菜作りをしているので、この話をしたところ、不思議がっていました。全部だめというのはなにか決定的なことが欠けているからに違いありませんが、今のところ分かりません。ゴーヤの種はまだあるので、気温も高くなってきたことですし、もう一回挑戦してみようかと思っています。それにしても、家庭菜園とはいえ、野菜作りは難しい。床屋の主人は、イモ類は手がかからないと言っていたので、畑はまだスペースが余っていることでもあるので、少し植えてみようかと思います。これが済んでも、植木の選定も待っているし、これらが終わるまで、一息つけません。結局、今日は去年使って好評?だったサンシェードを窓に取り付け、去年はつけていなかった、西側の窓一つと、東側、さらに北側の窓二つの合計5カ所にも追加しました。去年の失敗から、風であおられないように、下もしっかりと固定しましたが、その固定の仕方が、まだ決まっていないため、今日終わることができませんでした。また、サンルームの日よけもやらなければならないのですが、固定方法を思案中で、まだまだ悩みは続きそうです。
2012年06月10日
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メロディー・ガルドーの最新作は「ラテン音楽を歌う」みたいなタイトルでもおかしくありません。 ボサノヴァやラテン音楽を中心とした選曲ですが、全曲ガルドーの手になる曲で、いい曲がそろっています。一部ヘイター・ペレイラやジェシー・ハリスとの共作もありますが、ガルドーの作曲能力の高さが感じられます。ラテン音楽に対する違和感も全くなく、作法に従った自然な歌いぶりです。音楽を自分に引き寄せるのではなく、自ら音楽に飛び込んでいっている様子がうかがえます。もちろん自作であるので、それがやすやすとできることは確かですが。。。特に気に入ったのは4曲目の「So We Meet Again My Heartache」。その題名通り、心の痛みが切々と歌われ、聞き手の心に訴えかけてきます。メロディーも沈痛な響きで、ラテン音楽特有の哀愁が強く感じられる名曲。ヘイター・ペレイラのアレンジはストリングスやギターを中心として、曲にふさわしい編成で、大変優れています。「Se Voce Me Ama」は男性とのデュオですが、クレジットされていません。ヘイター・ペレイラでしょうか。遅いテンポの3拍子の音楽で、聞いていると、時がゆっくりと流れていく感じがします。「My Heart Won't Have It Any Other Way」は』ゆったりとしたバラードです。南米の海岸をふく爽やかな風を感じさせます。明るい曲はすくないですが、その中でも冒頭の「Mira」は軽快なリズムとともに爽やかなメロディーが流れていき、悪くないです。気になったのは、3曲目の「So Long]で左チャンネルにプツっという音が、曲に合わせて入っていることです。楽器の音なんでしょうが、どうにも違和感があり、いったん気になりだすと、その音が耳についてまいりました。「lisboa」(リスボン)はゆったりとしたテンポで、熱さを感じます。まったりとしたムードが悪くないです。途中子供たちの声が聞こえますが、リスボンの子供たちでしょうか。そして、最後に教会の鐘やギターの音が聞こえ、雰囲気満点です。ガルドーのポルトガル語はそれらしく聞こえます。「Impossible Love」は狂おしい愛をうたっている様に感じられ、息苦しくなってきます。後半手拍子が加わるのですが、フラメンコのパルマでしょうか。最後の「Iemanja」はコーラスが入って、陽気な気分で終わります。実はこのアルバムの購入動機は、ごつごつとした岩肌に横たわるセミヌードの女性のジャケット写真(ガルドーでした)が気になったからでした。聴いてみると、この写真と音楽は全く関係ないと思われます。 ガルドーの過去の2作のアルバムはどちらもヒットし、私も、それに乗せられて聴いたようなものです。デビュー作はそれほど強い印象を受けなかったためか、2作目は聴いていませんでした。ところが、今回は大傑作で、これは記憶に残るアルバムになりました。40分あまりと、昨今ではかなり短い部類に入ると思いますが、物足りなさは全くありません。なお、私が聞いたのは海外版で、国内盤にはボーナストラック(ザ・ウィロウ)がついています。The Absence:Melody Gardot(DECCA B0016816-02)1.Mira2.Amalia3.So Long4.So We Meet Again My Heartache5.Lisboa6.Impossible Love7.If I Tell You I Love You I'm Lying8.Goodbye9.Se Voce Me Ama10.My Heart Won't Have It Any Other Way11.Yemanja
2012年06月09日
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キューバの若手ピアニスト、アルフレッド・ロドリゲスのデビューアルバムを聴く。クインシー・ジョーンズが高く評価するピアニストということから興味を持ちました。昨年には来日しているそうですが、寡聞にして知りませんでした。このデビュー・アルバムでは、共同プロデュースにクインシーと、ロドリゲスが名前を連ねています。音楽の中には、聴いてすぐ気に入る音楽と、時間をかけると馴染んでくる音楽、名演でも馴染めない音楽、などがあると思います。このアルバムの場合、個人的にはなかなか馴染めない部類の音楽でした。最初聞いたときは、何かごつごつとした無骨な肌触りでした。また、あまり洗練されていなくて、むしろ猥雑な感じさえ受けました。かなり時間がかかったのですが、最近になった、やっとなじんできた状態になりました。キューバ人ですので、ラテンフレーバーの演奏が多いことは確かです。個人的にはあまり派手にやられるとかえって鼻白むものですが、ロドリゲスはそれほど露骨には出して来なかったこともよかったと思います。トリオ演奏もあるのですが、ホーンが入っている曲が、他では聞かれないようなユニークなサウンドです。ホーン奏者は同じキューバの若手エルネスト・ベガですが、ユーモアが感じられるパフォーマンスで面白く聞くことができます。個人的には、ホーンが入った時のユリ・ケインのサウンドに近いものを感じました。ロドリゲスのピアノは超強力です。これがデビュー・アルバムとは思えないような、自信に満ちたタッチです。プレイ・スタイルは非常にオーソドックスで、難解なところはありません。今回のアルバムはすべてオリジナルで、作編曲に関しても優れた手腕を持っていることがわかります。作風は硬派なコンテンポラリー物から、キューバ音楽まで幅広いです。速いテンポの明るい曲はユーモアがあり、上原ひろみの作風にかなり近いものを感じます。「Cu-Bop」はその典型です。個人的に気に入ったのは、2曲目の「Sueno de Paseo」です。カリブの海を思わせるような、まったりとしたムードで、思わず「う~んトロピカル」と意味不明の言葉が出そうになります。冒頭の「Qbafrica」は普段聞かれないサウンドで、何かと思ったのですが、ブックレットにはピアノとメロディカとクレジットされています。まさか同時録音ではないと思いますが、メロディカが入ることで、賑やかなムードになるのは不思議です。「Crossing the Border」はウッド・ブロック?がちょこっとはいりますが、ほぼ全編ピアノ・ソロで、ロドリゲスのすぐれたテクニックが存分に楽しめます。「April」は純粋にソロ・ピアノで、最初はシングル・トーンの陰りを帯びたソロで、途中から出る、ラテン特有の哀愁を帯びたメロディーが、聞き手の心を激しく揺さぶります。最後の「Fog」はフルート、オーボエ、ホルン、バスーンの木管4重奏がつき合っています。木管が入ることによって、幻想的な雰囲気が醸し出されています。全体的に、ベース、ドラムスとも目覚ましい活躍ぶりで、ピアノに負けていません。ということで、かなり個性的な作品と演奏で、完成度が高く、これからの活躍が大いに期待されます。是非お聞きいただきたいアルバムです。少なくとも、上原ひろみが好きな方は、はまること請け合いです。なお、昨年ブルーノート東京でのライブがこちらで視聴できます。ALFRED RODRIGUEZ:SOUNDS OF SPACE(MACK AVENU MAC 1064)1.Qbafrica2.Sueno de Paseo3.Silence4.Cu-Bop5.April6.Oxygen7.Sounds Of Space8.Crossing The Border9....Y Bailaria La Negra? [a Ernesto Lecuona]10.Transculturation11.FogAlfred Rodrigues(p)Gaston Joya(b except 1,6)Peter Slavov(b 1,6 only)Michael Olivera(Ds,Perc. 2,3,4,7,9,10)Francisco Mela(Ds 1,6 only)Ernesto Vega(cl,bcla,ss)Santa Cecilia Quartet(11)Recorded at Westlake Studios Hollywood,Ca and Downtown Studios New York,NY
2012年06月07日
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ブランフォード・マルサリスの新作は、レギュラー・カルテットの録音です。前作のカルデラッツォとのデュオが、感情をあらわにした作品だったと思いますが、今回はいつもの演奏に戻ったようです。曲はモンクの「Teo」とスタンダードの「My Ideal」以外はメンバーのオリジナルです。サウンドは相変わらず立派なのですが、いまいち心に響くものがありません。いろんな種類の音楽が聞こえるのですが、強い主張が感じられないためでしょうか。才能のある人によくある、自分の引出しをなんでも見せたい、みたいな側面が彼にもあるように思います。アルバムの中では、ブランフォードの「Edymion」が素晴らしかったです。メロディーが憂いを含んでいますが、変拍子の複雑な構成の曲で、かなり独創的です。ブランフォードのテナーの音色も、この曲にふさわしいもの。聞いていると、コルトレーン後期やキース・ジャレットのアメリカン・カルテットの演奏を思い出してしまいました。フリー・フォームの曲で、中間部あたりからブランフォードのテナーが咆哮するところはなかなかの聴きものでした。続く、「My Ideal」は、イントロがテナーのニューオーリンズ風のアドリブから始まり、少しびっくりします。その後、メロディーが始まり、通常のバラード演奏になります。ソロは、大胆なフレーズが飛び出し、ロリンズを思い起こさせます。太い健康的な音色で、「Edymion」での病的な音色とはえらい違いです。これを吹分けているなんて、とてつもない技巧の持ち主であることは確かです。レヴィスの「MAESTRA」はバラードですが、乾いた叙情とでも言えるような、ひんやりとした感触が心地よいです。アルバムを通して、カルデラッツオはじめ、ほかのメンバーのプレイも素晴らしいです。特に、このアルバムから登場したジャスティン・フォークナーのドラムスが凄まじく、実演で聞いたらさぞかしと思わせるような演奏です。ということでしたが、ブランフォードも50歳をとうの昔に過ぎています。過去のジャズ・ジャイアントたちは、生涯の代表作を既に作っている年齢です。このアルバムを何回も聴いているうちに、ブランフォードには、そのような決定的な代表作がないのでは、ということを考えていました。いわば、平均点はものすごく高いのに、決定的な何かが感じられない、そういうアルバムばかりのような気がします。私の好きなミュージシャンであるので、評価が厳しすぎるかもしれないのですが、ここら辺で、そういう作品を作ってほしいと思っています。世界中のファンのために(?)、是非、よろしくお願いしたいです。BRANFORD MARSALIS QUARTET:FOUR MFs PLAYIN' TUNES(Marsalis MUsic 0874946001809)1.The Mighty Sword2.Brews3.Maestra4.Teo5.Whiplash6.As Summer into Autumn Slips7.Endymion8.My Ideal(BONUS TRACK)TREAT IT GENTLEBranford Marsalis(ts,ss)Calderazzo (p)Eric Revis (b) Justin Faulkner (ds)Recorded October 11 & 12 ,2011 at Hayti Center,Durham,NC
2012年06月06日
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ピナ 先年亡くなった、世界文化賞受賞のピナ・バウシュのドキュメンタリー。 といっても、ピナが出づっぱりではなく、彼女の率いるヴッパタール舞踊団の団員たちがピナの人となりを語る部分が多いです。もちろん、踊りの部分が最も多くを占めていることは確かです。彼女の公演を見たことはないのですが、とても斬新で、比較するのが適切かわかりませんが、シルク・ド・ソレイユが戸外でバレエを踊っていたDVDの雰囲気に似ていると思いました。彼女の演出の特徴の一つとして、細かい動きを連続して行い、そのサイクルを延々と続けるという手法があります。女性が男に抱きついているときに、別な男が、男と女の手足を直して、男性が女性を抱きかかえる形にするのですが、すぐ崩れてしまいます。それを何回も何回も繰り返し、最後抱きかかえるとすぐ崩れてしまうシーンがあり、おかしみさえ感じられました。普通のモダンバレエも、もちろんあるのですが、手足をちょこっと動かしたりと、パントマイムに似た手足の動きをする演出が何ともシュールです。それに、このドキュメンタリーではダンサーの動きの凄さも見せつけられます。たとえば、人間が手で輪を作って、そこにバレリーナが走って来てすり抜けるというシーンがあります。また、椅子を何脚も積み上げて、椅子の隙間を難なく通り抜けるという、一見当たり前に見えるシーンもありました。また、女性の背中に、男性が丸まった形で乗って、女性が男を背負ったまま歩くというシーン(今回のブログに載っている写真のシーンです)もあります。これらの運動は一見何気ない動きのように見えますが、おそらく普通の人には絶対できない動きだと思います。「フットボール・ネーション」というコミックに、あんな細い体なのにバレリーナの体幹は一番鍛えあげられていると書かれていました。最近そのせいもあって、バレエを見る時も、ダンサーの肉体の動かし方に注目してみていました。今回のシーンは、それを映像でまざまざと見せつけられた気がします。まあ、ちょっと考えればつま先立ちして、まわったり、片足を大きく広げて立っていることなど、体幹が強くなければできないのは当たり前なことは確かです。戸外で踊っているシーンが多いのも彼女の演出の特徴でしょうか。たとえば、製鉄所みたいな工場の建物の敷地でチャイコフスキーの「悲愴」第4楽章をバックにバレリーナが一人踊っているシーンや、車がたくさん通っている交差点のそばの植え込みの中で踊ったり、地肌のでている丘(山?)での踊りなど、閉ざされた空間である舞台での踊りとは違った解放感に浸れることは間違いありません。ピナの演出はとても独創的で、舞台に巨大な石があったり、大量の水が流れていたり、水をかけあったり、床に伏している女性の体の頭から足の先まで、スコップで土をすくってかけるという、常識的には思いもかけない演出が、とてもインパクトがありました。ところで、今回はまったくついていませんでした。10分ほど余裕のあるスケジュールだった筈ですが、駐車場が満車で10分くらい待たされました。おまけに、先にゲートをくぐったのに、駐車スペースに移動したら、あとから来たおばちゃんが車を入れるところに出くわし、頭にきました。案内人が悪いのと、おばちゃんがショートカットしてきたところに原因があるのですが、非常に問題ありでした。そして、映画館に着いたら着いたで、すごい行列でそこでも10分くらい待たされました。すごい混雑なのに、窓口が一つ閉鎖されてるのも問題でした。それに、すぐ見ないのに並んでいる人がたくさんいて、始まっている人を優先するようにできないのかと、自分のことを棚に上げて考えてしまいました。真剣に考えたことはありませんが、なかなかいいアイディアは出ないと思います。何か思いついたら、ビジネス特許(死語?)になるかもしれませんので、気が向いたら、少し考えてみたいと思います。(閑話休題)結局、本編開始から10分ほど遅刻してしまいました。もともと、1時間20分ぐらいの短い映画なので、そこで10分も遅刻するなんて、とても痛かったです。おまけにに、席に行ったら、隣の人が水筒やら食料やらを置いていて、かたずけるのに手間取っていました。まったく、ついていない時はこんなものかもしれません。しかし、持ち込み禁止といわれているのに、ここまで堂々と持ち込むとは、何とも豪胆というか図々しいというか。。。3Dでの上映でしたが、人物が浮き上がって見えて、この種の映画では3Dが相性がいいことが確認できました。もともとの映像が、彫の深い、陰影の描写にすぐれた画像だったことも、3Dの成功の原因だったと思います。ヴィム・ヴェンダースの演出は重厚で、上映時間が短いことは全く気になりませんでした。BDが外国版で出たら、ぜひとも手に入れたいと思います。公式サイト
2012年06月05日
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ジョン・ピザレリの新作は「DOUBLE EXPOSURE」と題されています。 もともとこの言葉は写真業界の用語(二重露光)ですが、ここでの意味は、おそらく二つの曲を重ね合わせているという意味だと思います。 実際には、もろにそういう作りではなく、片方はリズムだけという扱いが多いようです。まあ、クラシックのアイブズみたいになったら、ジャズではなくなるのでしょうが。。。試みとして結構新鮮で、どの曲もうまくはまっているので、私としてはにやにやしながら聴けて、楽しめました。ブックレットにピザレリの解説が載っています。それによると、彼は、父バッキー・ピザレリのジャズレコードのコレクションや姉(彼女もギタリストだそうです)のコレクションを聴いて育ったそうです。同時に父や姉の友達が持ってきたレコードも聴いて、それらから影響を受けたそうです。このため、オールマン・ブラザーズの「In Memory Of Elizabeth Reed」はウエス・モンゴメリーの「Four On Six」と対でなければならずドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」の「Walk Between The Raindrops」はドン・セベスキーのサド・ジョーンズの「Tiptoe」へのオマージュだそうです。また、トム・ウエイツの「Drunk On The Moon」はビリー・ストレイホーンの「ラッシュ・ライフ」からインスピレーションを得たそうです。このように、ピザレリ独自の体験や彼の考えから、組み合わせが決まったようです。多分、昔のポピュラーソングに通じている方にはその組み合わせの面白さがわかると思います。私は、それほど知っているわけではないので、楽しさも中の上くらいかなと思います。最後の「DIAMOND GIRL」はマイルスの「SO WHAT」を下敷きにしています。「SO WHAT」はキューとして使っていますが、笑っちゃうくらいはまっています。ベースを聴いていると、例の旋律が聞こえてきそうで、これを組み合わせたプロデューサーは慧眼だと思ったのですが、ブックレットをみたら、ピザレリ自身のプロデュースで、さすがだと思います。個人的に気に入ったのは、ピザレリの奥さんのミュージカル女優ジェシカ・モラスキーとの「TRAFFIC JAM/THE KICKER」がスピード感があふれ、コーラスの醍醐味を味わわせてくれたと思います。「TRAFFIC JAM」はジェームズ・テイラーで「THE KICKER」はジョー・ヘンダーソンで、コーラスグループ、ランバート・ヘンドリックス・アンド・ロス風のヴォーカリーズに仕立て上げられています。ここでの歌詞はモラスキーの手になります。ヴォーカルは彼らしかクレジットされていませんが、オーバーダビングをしているだけでなく、ほかにも歌っている方がいるような気がします。それから、ジョニ・ミッチェルの代表作「パリの自由人」はイントロで入っているオルガンがいい味出していますし、ヴォーカルも軽快です。中間部のピアノ・ソロもしゃれています。ビリー・ジョエルの「ロザリンダの瞳」では、中間部にコーラスが入るほかは、自身のギター1本の伴奏で、ボサノヴァ風の軽いアレンジとともに、実に快適です。こうしてみると、ピザレリの音楽の守備範囲の広さを感じるとともに、取り上げられた曲の良さがしみじみと感じられる、大変優れたアルバムです。こういう音楽は、ジャンルを問わず聴いていただきたいものです。JOHN PIZZARELLI:DOUBLE EXPOSURE(TELARC TEL33221-02)1.I Feel Fine / Sidewinder2.Harvest Moon3.Traffic Jam / The Kicker4.Ruby Baby 4:515.Alison6.Rosalinda's Eyes7.In Memory Of Elizabeth Reed8.Drunk On The Moon / Lush Life9.Walk Between The Raindrops10.Free Man In Paris11.Take A Lot Of Pictures12.I Can Let Go Now13.Diamond GirlJohn Pizzarelli(vo,g)Martin Pizzarelli(b)Larry Fuller(p,e-p)Larry Gordings(org)Aaron Weinstei(vn)Tony Kadleck(Tp,Flh)John Mosca(Tb,Euph)Kenny Berger(bs,bcl)Andy Fusco(as,ts,cl)Jessica Molaskey(vo)Recorded Fall 2011 at Jacob Burns Film Center in Peasantville,NY
2012年06月04日
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いつ演るか忘れていた、花北の定期演奏会。 googleカレンダーには先週と書いていましたが、勘違いで今週だったことが2,3、日前にわかりました。開演時間も6時半だったと思っていたのですが、不安なので文化会館に連絡。6時ということがわかり、危うくセーフ。午後、畑を耕していたのですが、ミニ耕耘機を初めて使ったためか、なかなかはかどりません。何とか、最後まで耕して即行で会場へ向かいました。5分ほど前に何とか辿りつきましたが、前の方しか空いていなかったので、前から5番目くらいの右端のブロックに座りました。周りを見ていたら、かかりつけの病院の先生が後ろを見て、目が会い軽く会釈。家族連れだったので、何かの関係でしょうか。演奏が始まってから2回くらい退出していたので、もしかしたら急患だったのでしょうか。病院は会場から車で10分かからないところなので、用を済ませてからまた来ていたようですが、医者もつらいです。肝心の演奏ですが、いつものプログラム構成で、一部がクラシック、オリジナル、第2部が寸劇などを交えたポップスステージでした。いつもなら、アンサンブルを別なステージとして分けていたと思ったのですが、今回は1部に組み込まれていました。それも、アンサンブルだけ最後にやるということではなく、アンサンブルの間に、オリジナルが入るという変わった趣向で、何か意図があったのでしょうか。最初は、バーンスタインの「キャンディード」序曲。この曲よく演奏されますが、実はなかなか難しい曲です。難所の一つである、木管のアンサンブルが裸になるところが少し怪しかったですが、そのほかのところはそつなく演奏されていたと思います。続いては今年度のコンクール課題曲。最近の課題曲ってあまり魅力がないように思いますが、今年もあまり変わり映えしません。吹奏楽のための奇想曲「じゅげむ」は「じゅげむ」のリズムの面白さを表しているそうです。コミカルな曲で、旋律からして作曲者は関西人なのでしょうか。中間部は月並みで、これが必要だったかは疑問です。もう一つの行進曲「よろこびへ歩きだせ」は月並みな出来で、あまり特徴がありません。中間部の祈りのコラールも旋律に魅力がありません。続いては、中橋愛生の吹奏楽のための祝典序曲「科戸の鵲巣」(2004)。初めて聞いたく曲で、いい曲だと思いましたが、この項を書いていて、参考のために神奈川大学のニコニコ動画の音を聞いていたら、画面に饗宴XIが載っています。念のために、持っているかチェックしたら、ありました。。。いつもの、昔のことを覚えていない病だと思いますが、最近症状がひどくなってきています。ところで、この曲は、日本的な情緒が感じられる曲で、いろいろな鳥のさえずりも聞こえます。その中で、カササギの鳴き声を模したクラリネットのグリッサンドが刺激的です。演奏は鮮烈な音色がいいのですが、人数の割にはサウンドの厚みがあまり感じられません。ところで、この曲で活躍するパーカッションは目立っていました。アンサンブルの時にも感じたのですが、今回のパーカッションはレベルが高かったと思います。続いては、クラリネット4重奏で「スリー・ラテン・ダンス」。バスクラリネットのダークな低音のサウンドと、クラリネットのハーモニーが、魅力的な旋律に乗って繰り広げらます。後半速い難しいパッセージが頻出しますが、危ういところは感じられず、とても楽しめました。続いては、スパークの「ア・ウイークエンド・イン・ニューヨーク」。初めて聞きましたが、パリのアメリカ人を思わせるようなおしゃれな曲で、とても楽しめました。ジャッジーなサウンドや、おもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさなど、ニューヨークの雰囲気が感じられました。中間部にホルンで出てくる旋律は、アメリカやイギリスの軍楽隊の音楽に出てきそうな旋律で、胸のすくような高揚感が感じられます。それに続くアルトから出る哀愁を帯びた旋律もいいです。演奏はテンポが適切で、曲の魅力がよく出ていたと思います。第1部最後はパーカッションアンサンブルでゴーガーの「ゲインズボロー」(1965)。私も名前だけは知っているほどですので、パーカッションの曲としてはかなり有名なはずです。この曲で東北大会銀賞を受賞したそうですが、活きのいい演奏だったと思います。それに、みなさんとても楽しげに演奏していて、聞き手もニコニコしてきそうです。2年の男子学生は女子4人に囲まれて大変だったと思いますが、嬉しそうに演奏していたのが、印象的でした。第2部は恒例のポップス・ステージ。今回は「MUSIC TRIP」と題されていました。曲は知らない曲もありましたが、とても楽しかったです。特に、1年生が大活躍で、ハアハア言っていました。そりゃあれだけ動けば疲れます。おまけに、パーカッションは他の曲でも踊っていましたし、大変です。きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」でライオンの踊りを踊っていた二人のうち、一人のライオンのお面が取れてしまいましたが、お面を取りにいかずそのまま最後まで踊り切りました。ああいうとき、うろたえるものですが、なかなか度胸の据わった子だと思います。でも、できれば着ぐるみにしてほしかったです。「熱血!!先生オールスターズ ~学園ドラマ主題歌メドレー~」での不条理劇もとても面白かったです。しかし、よく考えますね。下手すると、曲の練習をしている時間よりもこの劇の練習時間の方が長かったりするんでしょうね。その時間がとても楽しいことも、よくわかります。花巻北高等学校第48回定期演奏会第1部1.バーンスタイン「キャンディード」序曲2.足立正:吹奏楽のための奇想曲「じゅげむ」3.土井康司:行進曲「よろこびへ歩き出せ」4.中橋愛生:吹奏楽のための祝典序曲「科戸の鵲巣」5.ヒケティック:「スリー・ラテン・ダンス」6.クラリネット4重奏 スパーク:「ア・ウイークエンド・イン・ニューヨーク」7.打楽器5重奏 ゴーガー:「ゲインズボロー」第2部1.曲名不詳2.楽器紹介(ジブリメドレー)3.きゃりーぱみゅぱみゅ:つけまつける4.We are All Alone5.熱血!!先生オールスターズ ~学園ドラマ主題歌メドレー~6.マンボ No.5アンコール1.バーンスタイン:「Make Our Garden Grow」2.ヴァン・マッコイ:アフリカン・シンフォニー2012年6月2日 花巻市文化会館大ホール
2012年06月03日
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