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優先順位やスケジュール的に合わないため見ることができていなかった「オーシャンズ」。 昨日やっと見ることができました。子供が500円で見られることもあってか、殆どが子供連れです。 そのため、結構うるさかったですが仕方ありません。 内容は、よくあるようなドキュメンタリーで、脚本的には普通の出来だったと思います。 しかし、映像がとてもよかったです。イルカやクジラ、オットセイ、ペンギンなどの泳ぐ場面のように、よく見られるシーンもありましたが、見たことのないような映像がたくさん出てきて、とても面白かったと思います。まず、クジラの下から撮った映像がすごかったです。まるで、巨大戦艦やタンカーのようなクジラのスケールの大きさが実感できるカメラワークがすごかったです。それから、海鳥が爆弾が落ちるように急降下して、魚を捕まえるシーンも面白かったです。また、ジュゴンが餌の草をはむ姿も大変珍しかったと思います。食べているという感じではなく、掃除機で吸っているような感じが、とてもユーモラスでした この映画で特徴的なのは、夜の海での出来事を撮影しているシーンです。 日中はじっとしていて、夜になると動き出す動物たちの生態がとても面白いです。いつも死んだように動かないヒトデが、夜になると動き出します。ヒトデをクローズアップして、ヒトデの下のところに、透明な足みたいな触手が何百本も出てきて、動き出す様には目を見開かされました。まるで、長靴をはいた子供の足が歩いているみたいで、非常にマンガチックなシーンだったと思います。それから、シャコとカニの戦いもとても面白かったです。彼らの戦いというのは、動いている時間はとても少なく、動いているときの動きがとても速いです。夜の海なのに、昼のように明るいことにもビックりします。おそらく特殊な撮影方法なのでしょうが、どのように撮影したのか非常に興味があります。 公式サイトを見ると数々の技術を開発したことが書かれています。高感度カメラや小型ヘリコプター、移動撮影用のレールを水中に設営したり、大型照明システムを作ったりと、出来ることはすべてやったと言えるような徹底ぶりです。 高感度カメラは、光や海の濁度・色の条件に合わせて瞬時に感度の調整ができるHDカメラを使用しました。 上空から俯瞰して海の表情を眺めるのは、ヘリコプターに搭載したカメラ。 ヌーメニアのサンゴ礁の撮影では、砂の上に移動撮影用のレールを敷設することにより、望遠レンズでの撮影でブレを最小限に抑えました。「ゲームボーイ ガラティア」という焦点距離調整機も開発したそうです。 そして、フットボールスタジアムの照明に相当する照明を組み、海上から照射しました。これにより、波による光の揺らぎなどが反映され、より自然なん明るさを再現しました。なるほど、道理で海の上から差し込む光がとても美しかったわけです。 また、海の中だと、絶えず「ゴー」という海流の音なんかが聞こえてくると思うのですが、それが全く聞こえず、戦っているときに敵の身体をバリバリ齧っている音がとてもリアルです。まさかアフレコではないと思うので、ノイズキャンセラーの技術を使っているのだと思いますが、とても興味深かったです。 数々の見たことのないような動物が出てくるのも、とても楽しい見ものでした。 とくに、名前は忘れましたが、電飾みたいに自分の体の色を絶えず変化させている蛸の一種には驚きました。それもチカチカと変えているのではなく、黒い帯が身体の中心から頭の方に移動するという、まことにけったいな動きなのです。威嚇しているのか、餌を呼び寄せているのか分かりませんが、とても不思議な光景でした。あれはいったいどうやって実現しているんでしょうか。海の夕焼けや、凍りついた世界で満月が氷山の一角からぽっかりと浮かんでいるシーンなども、たとえようもないほど美しかったと思います。また、南極の氷の下の情景の撮影に代表されるような、困難な撮影シーンの連続で、カメラマンたちはさぞや大変だったっと思います。 最後は、お決まりの地球温暖化の話が出ましたが、先年上映された「アース」みたいにしつこくなく、さらっと出た程度で、嫌みがありませんでした。ジャック・ペラン、ジャック・クルーゾー両監督の見識だと思います。 ナレーターは出産後の初めての仕事である宮澤りえ。 控えめな表現で、ナレーターとして適役だったと思います。音楽はオーケストラの演奏ですが、演奏者は確認出来ませんでした。映像に似つかわしい雄大な音楽だったと思います。 日本版の主題歌はベートーヴェンの「悲愴」の第2楽章。 『Sailing my life』と題して、平原綾香と藤澤ノリマサが歌っています。エンディングにふさわしく感動的な盛り上がりがありました。 時間は1時間半ですが、ドキュメンタリーとしてはこれが限度かもしれません。 これ以上長くなっても、冗長感が増すばかりで、これは適切な時間配分だと思います。公式サイト
2010年01月31日
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以前から、ジャケ写が気になっていたヒラリー・コールの秀作「魅せられし心」。 HMVのマルチバイで、何と600円引きの1500円だったので、購入しました。輸入盤は前から安かったのですが、ジャケ写が違っていて、国内盤の方が格段にいい写真だったというのが購入を控えていた理由です。 HMVで何回か試聴していて、まあまあだなと思っていました。また、ネットで日本でのライブがアップされていて、歌自体は悪くないなと思っていました。 このデビューアルバムはジョン・ピザレリがプロデュースしたもので、彼はギターでも参加しています。 実際、じっくり聞いてみると、誰かの声に似ている。 すぐには出てきませんが、次第に分かってきました。ジェーン・モンハイトの声質を軽くして、素直な歌い方にした感じです。。。。 ビブラートが少し細かく、個人的にはそれほど好きな歌い方ではありません。 ただ、多少エキセントリックなところは見られますが、感情のこもった歌い方で、聴く者の心に迫ってきます。テンポが速い曲では、発音が滑らかで、聞いていて気持ちがいいです。ジャズ・ヴォーカルではありますが、ジャジーな感覚は薄く、フォーク、カントリー系のフレーバーも感じられます。 全曲、彼女のアレンジだそうですが、古い曲も古さを感じさせず、みずみずしく甦っています。 また、全体的にしっとりした丁寧な仕上がりで、完成度かなり高いです。 アルバムコンセプトが「ソングライターたちへのオマージュ」だそうで、スタンダードが多く含まれています。 1曲目はバーンスタインの「ワンダフル・タウン 」からスインギーなナンバー「It's Love」。軽快なテンポと明瞭な発音で最初から引き込まれます。 続いては、「there's Small Hotel」。 これは、ミディアムテンポですが、明るくスカッとしたヴォーカルが快いです。スイング・ナンバー「Deed I Do」は少し遅めのテンポをとっていて、ただ軽快だけではないサムシングを感じさせます。ダイナミックなヴォーカルとピアノに勢いがあります。 エリントンの「I did'nt Know About You」はしっとりとしたバラードナンバーに仕立て上げられていて、素晴らしい演奏に仕上がりました。 ボサノヴァの「Like A Lover」はミディアム・テンポで、情感を込めて歌われています。 ボサノヴァのタッチを残したドラムスと、ヴォーカルの裏で断片的なフレーズを弾くピアノのコントラストが面白いです。個人的にはジェーン・モンハイトの歌唱がデフォルトで、もう少し、ゆっくりとしたテンポが好ましいですが、これは一つの解釈として納得できます。続く、バラード「ブラックベリー・ウインター」(1976)はピアノの弾き語りでしっとりと歌われています。「ブラックベリー・ウインター」とは、ブラックベリーの花が咲く5月に突然訪れる冬のように寒い日を指すようです。この日が来ると、去って行った恋人を思い出し、寂しい思いをするという歌です。透明感に溢れた曲で、ヴォーカル、ピアノとも抜群の出来。サビの部分の盛り上がりも感動的で、このアルバム随一の聴きものです。 トム・ウェイツの「オールド・フレンド」は昔の恋人を思う歌で、寂しさを切々と訴えかけていて、聞き手も身につまされるようです。「表題曲の「魅せられし心」。かなりテンポが遅く、一見別の曲のよう聞こえます。フレーズの断片から、昔馴染みの曲だぞと思ったのですが、誰の演奏だったか忘れていました。iTuneストアでチェックしてみたら、思い出しました。ビル・エヴァンスの「Explorations」の1曲でした。さすがに、昔耳たこになるくらい聞いていたので、記憶の底に眠っていたようです。ここでの演奏は、ドラムスがマレットを使っているため、本来もっている耽美的な表情とは異なり、少しミステリアスな雰囲気です。奇をてらったわけではないと思います、ちょっと曲のイメージからは遠ざかってしまいました。 ボーナストラックの「風のささやき」も弾き語り。少し激情的な表情を見せることもあり、熱のこもった歌いぶりです。最後の音は原曲より上げていて、7小節も伸ばしています。最初聞いた時、いつまで続くのかと思って、ちょっとはらはらしました。 バックはピアノ・トリオに時折ギターが加わるというシンプルなものです。時折出てくる、テッド・ファースやピザレリの気のきいたソロもヴォーカルを盛りたてています。 ところで、「You Are There」と題された次回作が、3月に出るそうです。 これはハンク・ジョーンズ、ケニー・バロンなど、錚々たるピアニスト11人とのデュオで、これも期待が持てるのではないでしょうか ヒラリー・コール :魅せられし心(Victor VICJ-61594) 1. イッツ・ラヴ2. ゼアズ・ア・スモール・ホテル3. ディード・アイ・ドゥ4. アイ・ディドント・ノウ・アバウト・ユー5. ベター・ザン・エニシング6. ライク・ア・ラヴァー7. ブラックベリー・ウィンター8. ザ・スネイク9. オールド・ボーイフレンズ10. ハウ・アム・アイ・トゥ・ノウ11. ホワットル・アイ・ドゥ12. ユー・フォー・ミー13. 魅せられし心14. 風のささやき (日本盤ボーナス・トラック) Hilary Kole(vo,p)Tedd Firth(p)Paul Gill(b)Mark Mclean(Ds)John Pizzarelli(g)Recorded at The Barbershop Studios Lake Hotpatcong,New Jersey on May 27-28,2008
2010年01月30日
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今日の産経新聞1面に「見捨てられた国ハイチ」と題して、曽野綾子氏が寄稿しています。 氏が1996年に日本財団の仕事でハイチに行った時のことを書いています。(以下概要)同行したのは、長年日本で幼稚園教育に携わった後にハイチで働き出したシスター本郷幸子。当時、元カトリックの神父だったアリステッド大統領が主宰する財団が経営するストリート・チルドレンの施設を訪問した。そこでは、遊具もなく子どもたちは壁にもたれかかって時間をつぶしていた。筆者が持参したサッカーボールを渡した時に初めて彼らの眼に生気がよみがえった。 シスターが驚いたのは、かつて青々としていた丘が、炊事用のマキにするために伐採され、はげ山になっていたことだった。 道路は凄まじい未舗装の悪路で、首都から130キロのエンシュまで行くのに、四駆で6時間。シスターの生徒であるスラムの子供たちの家は、水も電気もトイレもろくな家具もなかった。シスターが子供たちに植えさせたトウモロコシは収穫直前で全部盗まれた。こういうことが起こると、まともな人間は働く気を失い、国家としても個人としてもただ他人のお恵みをあてに、働かなくなる。カトリックの施設で働く青年は、教会のガソリンをこっそり売って生きていた。また、シスターはあるとき、修道院の中に見知らぬ男がいるのを見た。シスターたちが夜読み書きするために使っていた、ソーラーシステムを盗みに来た泥棒だった。彼は車がないので、機械を一回で持ち出しきれず、数日後に堂々と残りを取りに来た。その間警察は、まったく犯人の検挙の意欲も義務も持ち合わさなかった。外国の週刊誌などは、ハイチは今回の災害で傷ついたようなことを書いている。「神と運命に見捨てられた国」という表題を掲げたのもある。地震の前から、人々は半ば自国を見捨て、ただ遠くアメリカなどから、はるか祖国を人間的な思いでしのんでいたのだ。(概要終わり) う~ん、実にシビアな見方です。 溺れかけた犬にさらに攻撃を仕掛けているようなものですが、気持ちはわかるような気がします。確かに、地震が起きて大きな被害をが発生したことは痛ましいことです。しかし、大きな被害が発生した背景には、貧しさがあり、貧しいのは国民が怠惰だということを物語っていると思います。今まで地震などで大きな被害があるのは、大抵が発展途上国で、先進国で非常に大規模な災害が起こることは稀です。その答えが、ここにあると思います。おそらく、今回の災害を、このような視点で見る方は少ないと思います。まさしく卓見ではないでしょうか。 これから復興に向けて、大規模な資金が投入されると思いますが、継続的な支援が必要です。 インフラを回復することも大切ですが、このようなことが起こらないように、教育を充実させることも重要だと思います。結局、これだけ大きな被害が出た理由はそれなりにあったということを、つくづく感じてしまいました。
2010年01月29日
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今日帰宅したら、緑色の封書が届いています。 ちらっと見たら、差出人は日本臓器移植ネットワークでした。最近、臓器移植の登録を行ったので、何か関連してのお知らせかと思って中を見ると、臓器移植法の一部改正に関する案内でした。この前新聞で読見ましたが、臓器提供者が優先的に親族に提供することができるという内容です。 詳しくいうと、配偶者と子供および父母が親族の範囲で、優先順位を付けることはできません。 また、親族だけに提供することはできず、そのような意思表示をした場合には提供はできなくなります。そして、親族への優先提供の意思表示をしていて、自殺した場合には、親族への優先提供は行われないと規定されています。親族へ提供する確率は非常に少ないと思いますし、自殺の歯止めもありますので、かなり良い改正だと思います。この改正が何を狙っているのか分かりませんが、自殺を防ぐ規定があるため、臓器提供者が増えるとは思えません。おそらく、臓器を提供すること自体に対する拒否反応が強いのだと思います。私の場合には、いまは薬を飲んでいるのでだめですが、献血は50回以上行っていますし、骨髄移植のドナー登録、そして臓器移植にも登録しています。臓器移植もなんでもOKにしています。このように、個人的には、このようなことに対して、まったく抵抗がありません。臓器の登録の時に妻にもカードを渡しましたが、特に何も言われませんでした。妻は、献血にもビビるような人間ですが、他人のことはどうでもいいようです。。結局、このようなことに対するアレルギーをのぞかない限り、どうにもならないことだと思います。骨髄移植のドナー登録も頭打ちになったようですし、そこら辺をどのようにして教育していくかを考えていかなくてはいけないと思います。あまり良くないことではありますが、このようなことをした場合、何らかのインセンティブを与えることも必要だと思います。日本人はそのようなことに対しては、嫌悪感をもつと思いますが、現実的には臓器を外国から提供されている状態で、そんなことを言っている場合ではないと思います。政治家の決断を強く望みます。
2010年01月28日
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ヒース・レッジャーの遺作。 ヒース・レッジャーが撮影途中でなくなったため、テリー・ギリアム監督は親友だったジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの三人に声をかけて出演交渉を行った。幸い、彼らがヒースの代役を快諾してフィルムを完成させたという。ジョニー・デップの撮影は1日半と限られていた。ジョニー・デップは監督に「何かアドリブでしゃべってもいいか。」と聞いた。そして「ボクが言いたいのは、メッセンジャーを撃つな、だ」と続けた。その言葉は、奇しくもヒーツ・レッジャーの最後の言葉は「メッセンジャーを撃つな」だった。何たる偶然!■あらすじ2007年、ロンドン。パルナサス博士(クリストファー・プラマー)が率いる旅芸人の一座の出し物は、人が密かに心に隠し持つ欲望の世界を、鏡の向こうで形にして見せる「イマジナリウム」。鏡をくぐりぬけると、そこにはどんな願いも叶う摩訶不思議な迷宮が待っている。ところが、1000歳になるという博士は、困った約束をしていた。それは、亡くなった妻が60歳!の時に生んだ一人の娘のヴァレンティナ(リリー・コール)が16歳になったときに、悪魔のMr.ニック(トム・ウエイツ)に差し出すということだった。自分が不死になる代わりの約束だったのだ。タイムリミットは3日後に迫った娘の誕生日。橋で首を吊られた、殆ど死にかけていたトニー(ヒース・レッジャー他3人)を偶然に見つけ、一座のメンバー、アントン(アンドリュー・ガーフィールド)が彼を救った。トニーは何とか息を吹き返したが、そのおかげで記憶を喪失し、一座と行動を共にする。そうこうするうちに、タイムリミットは近づく。そして期限の3日前が訪れる。悪魔が現れ、賭けに勝てば娘を渡さなくてもいいと博士に告げる。その賭けとは、鏡の世界に入り込んだ客に、悪魔の欲望の道と節度ある博士の道を選択させて、先に5人を獲得した方が勝ちというものだった。。。。■映像が素晴らしい 注目の鏡の場面は映像的に大変素晴らしい仕上がりになっています。 かなり3Dを意識しているような感じですが、とても立体的な作りです。特に、背景が砂漠の風景のカーテンで、一見実際の風景のように見えます。トニーがその方向に歩いて行って、やがて姿が見えなくなると、その風景は、また何事もなかったようにカーテンに戻る、という場面がまことにシュールです。また、原色の使い方が大変独創的でしたし、砂漠の場面などは昨年の「The Fall」の映像に似てとても美しく、堪能しました。 黒のバックに赤い縁で人間が動いているトランプ?みたいなものが出てくるところは、実に鮮やかで、ダリの絵を見ているような気分になります。まさに芸術品の域に達している映像美です。 それから、鏡の中で殺し屋から追われたトニーが天に届かんばかりの長さの梯子を登っていく場面は、とてもほのぼのとした色彩が、絵本を読んでいるようで、とても気持ちよかったです。■トニーが多すぎて誤解してしまう 事情とはいえ、顔の違うトニーが4人もいて、私には同一人物とは思えなかったです。 いきなり知らない顔が出てきて、この人は何なのかと思ったりして、混乱してしまいました。それにしても、皆さん結構似ていて、混乱に拍車をかけたと思います。これは事情を知らない方にとっては、少し困ったことです。 他のキャストも大変充実しています。 悪魔役のトム・ウエイツも、そのふてぶてしさがぴったりでした。個人的には、ミュージシャンだと思っていたのですが、俳優であることは知りませんでした。出演作品は20本近くあります。ヴァレンティナ役のリリー・コールもなかなか良かったですね。彼女はもともとスーパー・モデルで身長179センチで体重50kgと「痩せすぎのモデル」として有名なようです。映画ではそれほど背が高いようには見えなかったですし、やせ過ぎではなく豊満な身体にみえたのですが、衣装と撮影の魔術ですかね。。。ただ、ドール顔で、16歳という役の年齢にふさわしいあどけなさが表れていました。(実年齢は21歳です) 個人的に一番良かったと思ったのは、パルナサス博士の古くからの相棒、小人のパーシー役のヴァーン・J・トロイヤーです。 その特徴のある顔とぎくしゃくした演技はとても印象的で、一座のいかがわしさを一手に引き受けているようなところがあったと思います。 ということで、これはテリー・ギリアム監督の特異な才能が十全に発揮された傑作だと思います。 撮影が中止されなくて、とても良かったと思います。
2010年01月27日
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しばらく前から気になっていた作家兼ピアニストの青柳いずみこ。 彼女の本をヤマハで立ち読みしたアルゲリッチがソロを弾かなくなったことに関する文章を見たことがことが切っ掛けで、青柳氏の著作に興味をもちました。 色々調べているうちに、氏が師事した安川加壽子の評伝をものしていること知り、読みました。 個人的には、安川加壽子の演奏は聞いたことがありません。 生前の名声も全く知りません。 記憶に残っているのは、私が中学か高校の頃に、「レコード芸術」誌上で、ドビュッシーのレコードが出るたびに推薦されていたことと、大きな眼鏡をかけていて、いかにも日本のお母さんといった感じの姿だけでした。 この評伝では、ピアニストらしい専門的な見方が随所に書かれていて、ピアノを弾けない私にとっては、なるほどと思わせるところが多々あり、まさに目からうろこが落ちるようでした。 また、精緻な分析も印象深いです。 たとえば、演奏家の資質と教師の指導の食い違いについて、例として、戦後天才少年と褒めそやされ、後年自殺という不幸な経過を辿ったヴァイオリニストの渡辺茂夫について書かれています。 渡辺は7歳でデビューし、神童の名をほしいままにしていたが、メニーインに見出され16歳の時、留学先のニューヨークで多量の睡眠薬を飲み、自殺を図った。一命を取り留めたものの、再起不能になった。原因は、父から伝授されたメトードとジュリアードの師ガラミアンのそれがかみ合わなかったことにあると指摘しています。ヴァイオリンの場合には技術の90%がボーイングだといわれています。これは、声楽における発生と同様に、師事する先生次第で全く変わってしまうそうです。楽器を弾くことは運動であり、運動であればフォームやトレーニングはコーチで変わる。演奏の場合には、3歳や4歳で勉強を始めることが多く、渡辺の場合には、メトードが正反対であったため、本質的な矯正を余儀なくされた。ところが、楽器演奏の場合には、この技術的な問題が音や音楽の本質にかかわることまでもが変わってしまうことがあります。手ほどきされた技法とあとで要求された技法が違うために弾けなくなった例としてドビュッシーの例があげられています。 ドビュッシーが手ほどきを受けたのは、上流階級の婦人で、一説にはショパンの弟子と言われている。 ショパンの技法は当時革新的なもので、筋力より柔軟性、指の分離より重さの移動を利用するものであった。ところが、ドビュッシーの指導に当たったモンマルテルは、ショパンの隣に住んでいたこともあり、彼の演奏はよく聞いていた。しかし、モンマルテンの教則本は師ジンメルマンから受け継いだ古い奏法で窮屈な奏法にとどまっていた。このため、ドビュッシーは次第にピアノ演奏への興味を失っていき、紆余曲折を経たのちに作曲家に転身したのであった。安川加壽子の場合には、幸いそういう不幸なことにならなかったそうです。 安川加壽子の優れた指の運動性についての記述も大変興味深いです。日本の女性としては手は小さい方ではなかったが、柔軟性、指と指の間を広げる能力は驚異的だったそうです。何しろ、女学生と比べたときに、加壽子の親指と薬指、小指はゴムのように伸びて、その女学生の小指をはるかに超えて180度以上に広がったそうです。 それから、後進への教育に関する記述もあります。 師のラザール・レヴィが先生のディエメールが何も教えてくれなかったので、自力で技法を20年かけて編み出さなければならなかった。 それを、たった5分で伝えるのでよく聞きなさいと言ったといいます。それを、何の抵抗もなく吸収していった加壽子には、自分のピアニズムを分析する必要性がなかった。そのために、後進に教えるすべを提示できなかった。弟子は、形態模写のようにしてそのピアニズムを盗みながら、求める音楽に自分を適応させるしか方法がなかったと著者は述懐しています。 ピアニズムに関して言えば、加壽子のピアノが「フランス風」とひと括りにされ、日本ではその自然で合理的なテクニック、スタイルに忠実な客観的な解釈を、「フランス風」の名のもとに封印することにより、否定したことになったといいます。幼少のころの、少し小癪な感じの加壽子の姿や、評判の美貌で、舞台での所作の美しさを称賛された姿など、さぞや美しかったのだろうと思いました。晩年リュウマチに悩まされたり、それに伴う様々な症状や、骨折などを繰り返し、悲惨な様子が克明に描かれていて、そこまで書かなくてもと、痛ましい気持ちになってしまいました。 著者も先生の赤裸々に描こうとは思っていないと思いますが、正確な記録を残そうと、心を鬼にして記したのではないかと思います。普通の評伝の人間中心の描きかただけではなく、技術的なことや、果ては音楽界の問題点も顕わにされていて、眼を見開かれました。 これを読んでいる途中で、実際の音を聞きたいと思い、ドビュッシーの全集を物色しましたが、出てくるのは氏の校訂した楽譜ばかりで、CDはすべて廃盤でした。 何かの機会にでもいいので、是非再発を希望したいです。特に、タワーレコードには大いに期待したいです。青柳いずみこ著 評伝安川加壽子「翼のはえた指」 理想社 1999年8月20日 第2刷発行また、氏の弟子で、ショパン国際コンクール(1955)に日本人として初めて入賞した田中希代子のCDもあまりありませんでした。
2010年01月25日
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久しぶりに、現在休団(といっても6年になります)中のオケの演奏会を見に行きました。今回は、ベートーヴェンの第7番とドヴォルザークの8番という、力の入ったプログラムでした。観客の入りは上々で8割がたは入っていたと思います。今回もヴァイオリンは左右対向配置で、トロンボーン、トランぺットが正面ではなく、舞台上手にいるのはなかなか珍しかったと思います。最初はベートーヴェンの第7番。現在、「のだめ」が上映中なのでタイムリーなプログラムというべきでしょうか。 この曲は、ホルンパートにとっては鬼門の曲です。何しろハイEがよく出てくるし、特に第1楽章は序奏の後のヴィヴァーチェでいきなりハイEを当てなくてはならず、大変難しい曲です。ちなみに、昔カール・べ―ムがウイーン・フィルと来日した時に、若き日のトムべックがトップを任されて、ものの見事に外し、しばらくの間トラウマになっていたというのは有名な話です。私にとって、この曲をアマが演奏する場合は他人事とは思えず、いつもドキドキしながら祈るような気持ちで聞いていました。 さて、今回の演奏ですが、残念ながら不発でした。最後の2回出てくるハイEもピーンと突き抜けるような音ではなく、混濁していました。最終楽章は何回か当たった時もありますが、もう少し音量を出してほしかったです。ヴァヴァ―チェのしょっぱなに出てくるフルートの難しいソロは、Mさん(旧姓Iさん)が演奏していましたが、無難にこなしていて良かったと思います。冒頭のIさんのオーボエ・ソロは昔からのちょっとすっとぼけた持ち味が変わらず、懐かしかったです。第2楽章はテンポが粘らずスッキリしていと思います。そういえば、この楽章は最近DVDでみた「ノウイング」の地球滅亡寸前の情景を描いた場面で流れていましたね(使い方が秀逸!)。。。閑話休題第3楽章のトリオで2番ホルンに低い音で重要なパッセージが出てきますが、ここは無難にこなしていたと思います。欲を言えば、もう少し音量がほしかったのですが、Wさんは確実に上達しているようで、とてもうれしかったです。 弦は、終始バタバタしていて、揃っていません。それに入れ込んでいるのか、時折、突っ込みが速く、崩壊しそうになることが何回かあり、ひやひやものでした。トランペットはまずます、ティンパはもう少し切れが欲しかったです。解釈はオーソドクスなものですが、オケの能力の問題で、もう少しメリハリを付けてほしいと思いました。それに、第2楽章の第2主題の複打音のスピードが速すぎて、違和感がありました。 後半は、ドヴォルザークの第8番。この曲は前半に比べて音楽が崩れることがなく、安心して聞けたと思います。ただ、この曲でも指揮のテンポについていけず、1楽章では、大きな声で指揮者が拍を数えた場面があり、問題だと思います。この曲では、第2楽章アダージョが比較的良い出来だったと思います。この楽章は、ボヘミアの田園風景を思い起こさせる楽章ですが、そこを強調しているわけではありません。クラリネットとフルートのブレンド具合が誠にしっくりときました。弦はベートーヴェンのようにバタバタせず、ピッチも聞き苦しいほどではありません。そのため、第3楽章のスラブ舞曲の優美な旋律は、それほど悪くなかったと思います。フルートは第4楽章の難しいソロや後半の変奏でのオブリガートはさすがでした。 アンコールは、なんと、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」。アンコールで聴くことはおそらくめったにないはずですが、楽団内でおめでたでもあるんでしょうか。。。個人的には、メンデルスゾーンの天才ぶりをいかんなく発揮した曲と思っています。特に、上昇句を聞くとゾクゾクします。今回の演奏は、なかなか晴ればれとしてよかったのですが、欲を言えば、もう少し華やかさがほしかったように思います。入るとき、トロンボーンの降り番のY君が受付にいて、いつ復帰するかと聞かれまた。また、吹奏楽の昔の仲間も来ていて、どうしているかと聞かれました。帰りがけにも、私と同じように休眠中のフルートのTさんから同じようなことを聞かれました。今回、ホルンパートの会員は3人で、男は一人だけ、いつもいたI君はいませんでした。私も、復帰したいのは山々なのですが、長い間楽器に触れることもなく、いざ触れようと思っても、昔のように吹けるかどうか恐怖が先に立ってしまいます。私は、今回の指揮者を迎えた年から耳の故障で休んでしまい、それ以来ですから6年もたってしまいました。年も年ですし、最後の機会かもしれないので、結論を出さなければならない時期に来ているのかもしれません。岩手県民オーケストラ第61回定期演奏会1.ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品922.ドヴォルザーク:交響曲第8番ト短調作品88アンコールメンデルスゾーン:結婚行進曲岩手県民オーケストラ今村能(指揮)2010年1月24日 盛岡市民文化ホール(マリオス)大ホールで鑑賞
2010年01月24日
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スイング・ジャーナルに連載中の「山中千尋の日々 day by day」、2月号はその3回目でした。ミュージシャンながら歯に衣着せぬ小気味いい文章は、彼女の演奏と同じで、とても爽快です。 今回は、レビュー(批評)に関する内容で、ミュージシャンが批評についてどう思っているか、ミュージシャンはそれに対してコメントすることはいけないことかについて書かれています。彼女は、寺島靖国氏のミュージック・バードの番組に出演していて、寺島氏がいつもぼろくそに批評しているのに、いざ自分がその立場になるとそのレビューが気にいらないと言ったことに対して、「作品を出すのなら、書かれ慣れないとだめですよ」と話されたそうです。 また、署名記事で紙面に書く場合はいいが、SNSなどでハンドルネームで、中傷するのはフェアではないと言っています。どなたかは分かりませんが、この評論家は、業界では人格者で通っている方で、彼のダークサイドを見てしまったようだと言っています。 また、「書き手と読み手」の「本職」は「書くこと」であり「読むこと」で、両者が一体となっても全く矛盾はない。しかし、ミュージシャンの場合には「作る/創る」という手段を持っているため、「書く、読む」に手を染めると「その領域に侵入するな!演奏する/書かれるにとどまっていろ」というメッセージが来るのだそうです。つまり、「書き手・読み手」について書くことは許さないという「不文律」があるといいます。 そもそも、このエッセイを書いた理由は、アンチエージングのように、ジャズ界に少し傷をつけて、ジャズ周辺の「書き手・読み手」の活性化を図ることだといいます。 なるほど、プロのミュージシャンでない私からは考え付かなかったことです。ミュージシャンにとっては、その書き手がたとえばこの曲はオスカー・ピーターソン風に演奏してほしいと思っていて、実際にはビル・エヴァンス風に演奏されたら、自分の考えに沿った批評(不満)になってしまいます。そのことに対して、ミュージシャンは反論する機会は閉ざされているわけです。 私も昔、ある演奏会で「指揮者の様式が古い」と書いたら、関係者から、「指揮者が怒っている」と聞いたことがあります。それを聞いた時、指揮者の立場になって考えることまで考えが及びませんでした。 現在、少なくとも一部の例外はあるにせよ、「書き手」に対する反論は出来る環境がありますので、意見を言うことは可能です。しかし、彼女が指摘しているように、ミュージシャンにとっては、お客に反論することになるので、なかなか言えないというのも理解できます。 今後批評に関してはなるべく実名で書くことは最低限の礼儀としてわきまえていく必要があると思います。ただ、そうすると、自由な意見が出てこないことにもなりますし、すぐに解決策が出てこないところがなんとも悩ましいです。少なくとも「書き手」は、実名を出して言えるような、誹謗中傷でない建設的な意見を心がけることが求められると思います。 それにしても、彼女の発現はとても勇気のいることだと思いますし、多くのミュージシャンも賛同する内容だと思います。今後、このように自由に意見を言えるような社会になってほしいと思います。 それから蛇足ですが、どういうわけか、このエッセイはいつも2ページめの半分がイラストで、全部書かせろといいたくなります。どうか検討いただけないでしょうか、スイングジャーナル殿。スイング・ジャーナルといえば、毎年12月に出ているジャズ読本が、昨年は発売されませんでした。不況のせいでしょうか、いつも楽しみにしていただけに、とても残念です。来年はぜひ復活させてほしいものです。
2010年01月23日
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先日レビューしたアクサンチュスのトランスクリプションの第2弾が先ごろ到着。 すでに、4,5回以上は聞いています。前作はマーラーのアダジェットに衝撃を与えられましたが、今回は前作よりも選曲がよく、楽しめました。 特に気に入ったのは、スクリャービンの2曲。 まさか、スクリャービンのピアノ曲を合唱で聴くとは思いませんでした。ピアノで聴くと、スクリャービン特有の水晶のような透明感が印象的なのですが、合唱で聴くとまた別な味わいがあります。今回の2曲は旋律がとても美しく私の好きな曲ですが、美しさと温かさが同居していて、スクリャービンの作品の持っている別な側面を教えてくれました。どちらも2分に見たいない曲で、もう少し聞いていたい気分になってしまいます。 続いては、ラヴェルの「マ・メール・ロア」から2曲。 第1曲 眠れる森の美女のパヴァーヌと第5曲 妖精の園です。どちらもア・カペラですが、「眠れる森の美女のパヴァーヌ」は途中で口笛が入り変化をつけています。「妖精の園」は最後の盛り上がりがなかなか素晴らしく、しびれました。途中に入るSolange Anorgaのソプラノ・ソロはとても高い音ですが、崩れは見られす、端正な表情が実に美しいです。どちらも、落ち着いたテンポで、身を任せることができます。 前作も、今回も殆どが遅い曲ですが、今回は早い曲がありこれがなかなか良かったです。 それは、ヴィヴァルディの四季から「冬」の全曲です。ここでは、通奏低音とリュートが加わっています。リュートの音色がとてもマッチしていていい感じです。この曲では、テンポの速い1,3楽章に精彩があります。第1楽章は、しんしんと降る雪の描写から始まり、中間部から後半にかけての躍動的な部分でのダイナミックな表現が素晴らしいです。第2楽章は早目のテンポのためか、暖炉の温もりはあまり感じられませんでした。第3楽章は途中にオルガンが入り、これも雰囲気を盛り上げるのに効果的です。全体的に器楽で聞くよりも、ポリフォニーの動きがよくわかり、とても楽しめたと思います。 続いては、ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集から「温室にて」。 ハーモニーは分厚くはないですが、雰囲気がよく出ています。耽美的にはならず、節度を保っているところが、物足りなくもあります。ここでもSolange Anorgaのソプラノ・ソロが錦上花を添えています。 この団体は女声が目立っていて、男声は地味ですが、彼らの実力を発揮したのは、シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」の第2楽章を編曲したものです。 女声とのコントラストや彫の深い表現は、原曲のしみじみとした味わいとは異なりますが、こういう男性的な演奏もできるのかということを気付かせてくれました。 「3つの宗教的歌曲」と題して、バッハのフランス組曲、イギリス組曲、そしてパルティータ第1番からの編曲がまとめられています。 端正で、宗教的な気分が横溢していて、すてきな演奏です。その中では、第3曲のパルティータ第1番のメヌエットllの開放的な気分がとても心地よいです。 ドビュッシーの前奏曲集第1巻の第6曲「雪の上の足跡」も素晴らしいです。 原曲のもつ凍てついた冬の風景を思い起こさせるような繊細な表現が、素晴らしいです。他の曲も、出来にむらがなく素晴らしい出来です。 ということで、前作よりレベルが高く、隅から隅まで楽しめるアルバムです。 それに、聴いていると、原曲を無性に聴きたくなります。 次回あたり、ヴォカリーズに挑戦してほしいです。それも速くて難しく、ポリフォニックな曲をぜひお願いしたいです。Accentus:transriptions 2(Naive V 5048)1. L'hiver from The Four Seasons Op. 8/1 - 4: 2. Litanei auf das Fest Aller Seelen D. 3433. Le Champ des morts from Alexander Nevsky Op. 78 4. Scheiden und Meiden from Aus der Jugendzeit 5. Im Treibhaus from Wesendonck Lieder WWV 916. Grablied from Quartet No. 14 in D minor D. 8107. Der Wegweiser from Winterreise D. 9118. Nacht und Traume D. 8279. Die zwei blauen Augen Listen from Lieder eines fahrenden Gesellen10.Buslied from French Suite No. 1 in D minor, BWV 81211.An Babels Wasserflussen from English Suite No. 3 in G minor BWV 80812.Jerusalem from Partita No. 1 in B flat major BWV 82513. Des pas sur la neige from prelude L. 117/614.La Flute enchantee from Sheherazade15.L'Indifferent from Sheherazade16. Prelude for piano in G flat major Op. 11/1317. Feuillet d'album for piano in E flat major Op. 45/118.Pavane de la Belle au bois dormant from Ma mere l'oye19.Le Jardin feerique from Ma mere l'oyeAccentusLaurence Equilbey,conductorRecorded in June 2006 at the Arsenal,Metz(France)
2010年01月22日
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スイング・ジャーナル主催のジャズ・ディスク大賞の季節が今年もやってまいりました。 今年は、上原ひろみの2連覇達成です。同点で、エディ・ヒギンズの遺作であるオリジナル作品集が金賞を受賞しました。 銀賞は、マンハッタン・ジャズ・カルテットのアート・ブレーキーへのトリビュート・アルバムでした。 選考委員は10名で、大賞は1位15点以下15位まで1点ずつ減っていきます。 金賞と銀賞の差は25点で意外な大差です。 さらに30点下がって4位のハイ・ファイブのライブが続きます。以下、ブランフォード・マルサリス、キース・ジャレット、チック・コリアのファイブ・ピースバンド、ファブリツィオ・ボッソ、アナ・コーエンなどが続いています。 私は、エディ・ヒギンズはあまりいいと思ったことはありません。 嗜好が違うということもありますが、刺激的でないということが好まない理由です。そのため、今回の受賞も意外でした、というか存在そのものを知りませんでした。 上原とヒギンズで極端な評価が見られ大変興味深いです。 上原で低い評価なのは岩波洋三氏と三村慎司氏(スイング・ジャーナル)のそれぞれ6点と7点。ヒギンズで評価が低いのは児山紀芳氏の1点(!)でした。これらの配点が少し変わっただけで、順位が変わってしまいます。これを見ると彼らの評価の観点が全く異なるであろうことは、容易に推測されます。 しかし、撰者が10名というのは少ない様な気がします。 昔はもっと大勢いたと思うのですが、新譜の減少とともに、レビュワーの数も減ってしまったためでしょうか。それに、僅か10名の中に編集部の2名が入っているのも問題ではないでしょうか。 選考後記で児山氏が問題点を指摘しています。 良質な音源を聞き逃さないためには、メディアや評論家に課せられた責任はますます高まっている。にもかかわらず、選考対象を国内発売作品に限定している。そして、注目したのはジョー・ロバーノの「Folk Art」、ジェフ・ワッツの「Wattts!」、ビジェイ・アイアーの「Tragicomic」などだそうです。 個人的な感想として、最近、この賞は保守化しているように思います。 もっというと、やけにヴィーナス・レーベルの高評価が目立ちます。確かに、演奏のレベルは高いのですが、驚きがないように思うからです。昔は、思わず聞いてみたいラインナップだったと思います。リーマン・ショックのあおりで、国内発売の数が減っていることもありますが。。。 これに対して、日本人のミュージシャンによるアルバムはかなり充実しているように思います。 日本ジャズ賞を受賞したのは、「マイ・ワンダフル・ライフ」で、2位の大西順子に40点もの差をつけてダントツの評価でした。個人的には、それほど差がつくとは思いませんが、両方とも話題性もあり、とてもいい出来だったと思います。渡辺貞夫の新作がトップから50点も話されているのも、出来からいって意外な気がしますが、それだけ他のアルバムが充実していた証だと思います。なお、日本ジャズ賞の配点は1位が10点満点で10位が1点です。 ということで、この賞もいろいろと問題を抱えているなというのが、最近の変わり映えしない感想です。 昔、油井正一氏がビッチェス・ブリューを評して「歴史を揺るがす大傑作」と言われていました。最近は、そのように言われる作品が出なくなって久しいと感じています。 原因としては、ジャズ自体にエネルギーがなくなってしまったのか、ミュージシャンが小粒になったのか、おそらく両方だと思いますが、昔みたいに投票結果を見て、わくわくすることもあまりなくなってしまったのは、寂しいです。 その中で、今後聞いてみたいアルバムは、悪く言いましたが、オリジナル集ということでエディ・ヒギンズ、それから早間美紀のデビュー・アルバムあたりになりそうです。
2010年01月21日
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この前レビューしたコーポロン=ノーステキサス・ウインド・アンサンブルの新譜の残りの一枚。 最初聞いていた時は、「Archetypes」のほうがいいと思っていましたが、これもそれほど遜色はありません。 目玉は、ブライアントのパロディー組曲。組曲とはいえ、別々な機会に作られた4曲をひとまとめにして呼んでいるようなもので、必ずこの4曲をそろえて演奏しなければならないことはないと思います。私も、以前このうちの「チェスター・リ―プス・イン」と「インパーシネイションズ」を別なCDで聞く機会がありました。作曲者の言葉を借りると、これらの作品を軽視したり嘲笑っているのではなく、「リミックス」しているのだそうです。そして、オリジナルには自分の学生時代に演奏したかすかな記憶というフィルターが掛かっているそうです。 個人的には、パロディーといった、ちょっとを人を食った、笑いの伴った作品ではなく、むしろコラージュというか変容、もしくは作曲者の言うところの「リミックス」みたいな感じがします。 「Suite Dreams」は組曲の中の組曲みたいな名前になってしまいましたが、なかなか面白いです。ここで使われているのは、なんとホルストの第1組曲のシャコンヌとマーチです。シャコンヌは主旋律だけでなく、木管に出てくる躍動的なリズムも出てきます。この2つのフレーズが同時進行する場面は圧巻です。冒頭は、シャコンヌの旋律を何倍にも引き伸ばしていて、よく聞いていないと、この旋律とは思えないほどです。 「MetaMarch」はその名の通りフィルモアの「アメリカンズ・ウィ」、スーザの「自由の鐘」、「国民の象徴」が使われています。 旋律の音を微妙に変えていてユーモラスな効果を出しています。3曲が同時進行する場面もあり、「パロディー」という名が最もふさわしいのはこの曲だと思います。他の2曲も面白いのですが、少し真面目すぎるので、もう少し、くだけた演奏でもよかったように思います。 もう一つの目玉は、殆ど録音のないフサの「レ・クレール・フォーヴ」(フォービズムの色)。 フォービズムは別名「野獣派」ともいわれ、マティスに代表される、原色を多用した明るく強烈な色彩が特徴です。フサの作品は、多彩な色というよりも、別名の「野獣派」がふさわしいような、野蛮でダイナミックな作品です。色彩はむしろ少なく、禁欲的な雰囲気です。 以前、バティスティ指揮のニューイングランド音楽院ウインドアンサンブルの録音がアルバニーから出ていました。そのあまりの野蛮さにスコアまで買ってしまったことを思い出します。その時の演奏は、暗い陰鬱さと野蛮さ、ひりひりするような緊張感が印象的でした。今回の演奏では、そのようなストイックな雰囲気は薄く、むしろ幾分開放的な気分が感じられます。技術的には今度の演奏のほうが優れていて、余裕があります。そのためか、ぎりぎりと締めつけられるような緊張感が薄れてしまっていました。個人的には、あの緊張感が懐かしく思い出されました。 ダナ・ウイルソンの近作「Colorado Peaks」は山の荘厳な風景を描いたものではありません。 この山に登るときの人間の大変さを暗示しています。終始暗い雰囲気で、あまり楽しくありません。後半の木管による16分音符の執拗な繰り返しが、なにか古臭いアメリカのサスペンス調のテレビ・ドラマを思い起こさせます。 グランサムの昨年出来たばかりの「Lone Star Twister」はローン・スター・ウインド・アンサンブルの委嘱作品です。 この団体はダラス・フォートワース複合都市圏を本拠地にするプロの吹奏楽団です。テンポが速く、リズミックなうえに、ダイナミックな曲です。4分半ほどの曲ですが、聴いた後はスカッとします。 そのほか、ティケリの「Wild Nights!」のダイナミックで、カラフルな演奏、ハートレイの名作『シンフォニア第4番」の都会的な雰囲気の中にも温かみのある演奏、分厚いハーモニーが心地よいジョセフ・トゥリンの「ノアための子守唄」と、全曲きわめて水準が高い演奏がそろっています。 ハートレイのシンフォニアはときどき録音が出てきますが、アメリカでは古典として名声が確立されいるのだろうと思います。日本では全く演奏されませんが、もう少し演奏されてもおかしくないと思います。North Texas Wind Ensemble:Musings(GIA Publicatons CD-819)1. Frank Ticheli:Wild Nights!(2007) 2. Joseph Turrin:Lullaby for Noah(2007) 3. Steven Bryant:Parody Suite(1997-2007) i.Chester Leaps In ii. Suite Dreams iii. ImPercynations vi. MetaMarch 7. Dana Wilson:Colorado Peaks(2005) 8.Karel Husa:Les Couleurs Fauves(Vivid Colors)(1995) i. Persistent Bells ii. Dance Masks iii. Ritual11.Walter Hartley:Sinfonia No.4(1965) vi. Allegro deciso i. Adagio ii. Vivace iii. Allegro molto 15. Dobnald Grantham:Lone Star Twister North Texas Wind Symphony Eugene Migriaro Corporon,conductorRecorded July 2-3,2008;Oct. 19,2008;April 3-6,2009;June 29-July 1,2009 at University of North Texas Winspear Performance Hall,Murchison Performing Arts Center
2010年01月20日
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いつも走るときにiPodで音楽を聞きながら走っています。 ところが、よく外れます。iPodもかなり古くなったし、イヤーパッドもとうの昔に耐用年数が切れて、イヤーパッドなしで付けていました。イヤーパッドがないせいか、イヤフォンではもともとだめなのか、いつも走るとすぐに、耳とスピーカーの間に隙間ができて、宙ぶらりんの状態になってしまいます。 それで、運動用のイヤフォンを調べ始めました。 少し調べ始めましたが、眼鏡をかけているので、耳かけ型は避けようと思って、カナル型を探していました。あるオーディオ雑誌を見ていたら、ゼンハイザーのカナル型が音がいいと書いてあるので、内容をチェックしました。それはCX 400-IIという、ミドルクラスのイヤフォンでした。その関連商品で、ダイナミック・インイヤー型 PMX 80 SPORTS IIという製品が目にとまりました。そこの書き込みを見ていたら、カナル型も運動しているときはずれてくるが、これは全くずれないと書かれています。そうすると、ずれないためには、ネックバンド型が一番いいようなので、眼鏡との干渉には目をつぶって購入。 本日到着して、さっそく使ってみました。 なるほど、ぴったりとフィットして感触は悪くないです。 ぴったり耳をふさぐので、低音も聞こえますし、今まで聞いていた音量よりも低くできるので、鼓膜にも優しいです。 ところが、時間がたつにつれて、耳が痛くなってきました。 やはり、眼鏡とイヤフォンの相乗効果で、耳のところの締めつけ増大して、痛みとなっているようです。なかなか難しい問題です。ぴったりとフィットさせるには、イヤフォンを押しつける力を増やさなければならないし、そうすると、耳のところが痛くなるし。。。昔、イヤークリップ型のヘッドフォンを使っていたのですが、同じような痛みで、あまり長時間かけていられなかったことを思い出しました。 あれから、40年近く経っています、この問題はいまだに解決されていないんですね。問題は「押しつけないで、耳にフィットさせる」というものです。 もともと押さえつける力と痛みはトレードオフの関係にあり、通常の技術では最適解を求める以外解決できないのです。それも、最適解は理想的な解ではないのです。こういう問題は、以前にもお話しした「TRIZ」という解決方法が最も得意な手法です。暇なときにでも、少し考えてみようかなと思います。うまく行ったら、どこかのメーカーに売り込んで一儲け出来るかも(^^;
2010年01月19日
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今日メールをチェックしていたら、ソースネクストから「いきなり高音質2」ダウンロード版の優待販売というお知らせが入っていました。 このソフトは以前から関心があったのですが、結構疑っていて、値段も3千円以上するので購入を見送っていました。ところがダウンロード版の優待で990円という破格値での紹介だったので、思わず衝動買いしてしまいました。 例によってこのサイトのログイン方法で戸惑ってしまいました。 どうしてもログインできないので、新たにアカウントを作ってなんとかダウンロードしました。「ヴァーチャル5.1」、「3Dサウンド」の2つのモードがあります。「ヴァーチャル5.1」はイヤフォンとスピーカーの2つのモードがあります。「3Dサウンド」は、コンサートホールのようなエコーをかける「Live」、モノラルにステレオ感を与える「WIDE」、ステレオの音を広げ、低音を増強する「MEX」の3つのモードがあります。他にはスピーカーの距離と、聞き手からの距離を調整する機能があります。以上、なかなか多彩な性能を持っています。早速聞いてみました。モノ録音での効果が大きそうなので、まず、モンクの「セロニアス・ヒムセルフ」を聞いてみました。「Live」、「WIDE」はいい感じです。「Live」はそのとおり、ライブでやっているような感じになります。ちなみに、これもモノラルのモンクとコルトレーンのカーネギーホール・ライブを聞いたら、効果が絶大でした。コンサートホールでの演奏の雰囲気が出てきました。また「WIDE」では左右の広がりが出てきます。「ヴァ―チャル5.1」もいいです。これを切ると、とたんに平面的になってしまって、その効果の絶大なことが分かりません。ステレオの初期の録音でも効果があるようです。さすがに、最新録音では、「Live」「WIDE」はほとんど効果がありません。「MEX」は低音が増強されます。最新録音で一番効果があるのでは「ヴァーチャル5.1」で、左右に散らばっている楽器が中央に張り出してくるような感じがします。 映画も見てみましたが、さすがに「ヴァーチャル5.1」は劇場で映画を見ている雰囲気にかなり近くなります。とくに、会話の場面がいいです。「3Dサウンド」はさすがにまるで効果がありません。 効果には結構満足したのですが、一つだけ問題がありました。 このソフトが起動すると、サウンドのソースがスピーカーではなくラインになってしまうのです。このためか、再生ボリュームが小さくなってしまうので、「サウンド」のスピーカーのレベルを変える必要があります。最初、それが分からず、せっかく、高音質になったのに、ボリュームが小さくなったと思ってしまいました。 結局、問題はありますが、思わぬ安い買い物をさせていただいたと思います。でも、この高音質をもっと楽しむためには、いいスピーカーがほしくなりますね、何とも悩ましいです。次はコンポにつないで、その効果をみたいと思います。 ところで、ソースネクストではソフトやハードの安売りをしています。 「超字幕」、「いきなりPDF」も990円です。 こういうバーゲンはあまり感心しません。 業績が悪化しているのかと思って、IR情報をチェックしたら、やはりそうです。2008年までは数億円の利益を出していましたが、2009年は売上高が96億円で、純利益が27億円の赤字です。ただ、2008年より2009年はだいぶ回復基調になっていることは確かです。それにしても、不況になるとソフトは一番先に購入を手控えられますので、つらい商売であることは確かです。私は、この会社の開発に対する姿勢が好きなので、何とか立ち直ってほしいと思います。
2010年01月17日
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コーポロン=ノーステキサス大学ウインドアンサンブルの恒例の新譜が出ました。価格面から、直接GIAで購入。一枚$15.95、送料$5.5で合計$37.4、1$95円としても、日本円で3550円余りで、1枚当たり1800円弱と格安です。 例によって、古典と最新作の組み合わせです。 今回の特徴は、古典はあまり多くなく、フサの作品が2つ入っていることが目立っています。 今回は、「Archtypes」と題された一枚をレビューします。 ちなみに「Archtype」とは「アーチ」でArchtype bridgeはアーチ橋のことです。このシリーズはアルバムの題名に曲名が使われることがなく、何を意味しているのか分からない場合がありますが、今回もその例にもれなかったようです。 全9曲で、その中でつまらなかったのは、Kathryn Salfelder(1987-)の「Cathedrals」。 ジョバンニ・ガブリエリのいくつかのカンツォーナの主題を使った作品です。主題が、ステレオ的に聞こえるのはいいのですが、全体が微温的で、退屈です。コーポロンともあろう人がこんな曲を取り上げたのが全く理解できません。 それから、ワーグナーの吹奏楽作品「ウエーバーのオイリアンテの動機による葬送音楽」も面白くないです。 Michael Vottaの編曲です。分厚いハーモニーはなかなか心地よいのですが、現代に生きる人間にとっては、刺激が少なくて物足りないです。それに、刺激的な音楽が多いこのアルバムでは、いかにも分が悪いです。 他の曲はわくわくドキドキ、とても刺激的な曲が並んでいます。 まず、冒頭のデヴィッド・サンプソンの「Moving Parts」。スピーディーな進行と、原色をふんだんに使った絵画を思わせる濃厚なテイストをもっています。また、きらきらとした輝かしさもあります。ヘスケスの「ディアギレフ・ダンス」の感じによく似ていて、ディズニーに出てくる音楽のような曲想です。これは傑作。 ブルジョアの近作「ウイリアムのための交響曲」は3楽章構成で演奏時間19分ほどです。 各楽章に名前がつけられていて、この作品は、すでにベルギー・ギデと作曲者の指揮でハファブラ・ミュージックから出ていました。この作品はブルジョアの友人であるティモシー・レイニッシュ夫妻の委嘱作品で、夫妻の息子ウィリアムスの悲劇にささげられた作品です。作曲者自身のノートによると、次のような経緯があったそうです。彼は数年前に結婚し、新婚旅行にブルジョアの住んでいるマヨルカ島を訪れたそうです。その後、妻子とともにピレネーを訪れた時のことです。ウイリアムは一人で山に出掛けたますが、山の斜面に横たわっているのを発見されました。おそらく、稜線を歩いていて滑落したものと思われます。 1楽章「Will-o'-the-Wisp」では、もやがかった沼地をぼんやりと照らす月明かりが描かれ、曲が進むに従って事故を暗示させる不穏な雰囲気を醸し出します。「Will」とはWilliamの愛称で、前半のリズミカルで楽しげなフレーズは彼の性格を表しています。 2楽章「Dianthus Barbatus」(美女撫子)というナデシコ科ナデシコ属(=ダイアンサス属)の耐寒性多年草で、英国ではスウィート・ウィリアムと呼ばれています。ピンクや赤い花を咲かせる愛らしい植物で、その名の通り優しさと慰めに満ちた楽章。ホルン・ソロがフィーチャーされますが、欲を言うと、フレーズの細部が安定せず、音色もいまいちです。続く、オーボエやサックスのソロはいいです。後半に出てくるテュッティの動機が、迫りくる悲劇を予感しているかのようです。 3楽章はブルジョア特有のぎくしゃくしたリズムで進行します。 曲の終わり向けて次第に静けさを増し穏やかに幕を閉じます。この部分一部引用 アダム・ゴーブの演奏会用序曲「Adrenaline City」は、以前「Time Lines」(2006)というポリフォニックのGreat British Music for Wind Bandシリーズの一枚に収録されていました。 ゴーブ特有のメロディックな旋律と湧き立つようなリズムが心地よい作品。中間部の乾いた叙情も相変わらず素晴らしいです。今回の演奏は、「Time Line」でのロイヤル・ノ-ザン・カレッジ・オブ・ミュージック(RNCM)と甲乙つけがたいです。こちらの演奏のほうが6秒ほど長いですが、こちらの方がリズムが軽くのりがいいです。RNCMはリズムが重く、なにかいまいち踏ん切りがつかないようなところがあります。 ティケリの「Angels in the Architecture」(建築の天使)(2006)は冒頭にソプラノ独唱で19世紀のシェイカー教の歌「光の天使」が歌われ、一瞬英国の王朝音楽ものかと思わせます。テンポが速くなった後、サスペンス調で勢いのあるフレーズが洪水のように噴出します。ここからは、人智を超えた神と悪魔の対立、神の光、悪魔の暗部と続き、ベルの乱打共に金管のコラールがクライマックスを築きます。最後に再び「光の天使」が表れ、神の勝利を告げます。途中の、神と悪魔の対立の部分が、ヴァイオレンス調で非常にエキサイティングです。この曲はマンハッタン・ビーチ・ミュージックのサイトで聞くことができます。カレル・フサの「Al Fresuco」(1975)はイサカ大学のウォルター・ビーラー・メモリアル・コミッション・シリーズの委嘱作品です。原曲は自身の「管弦楽のための3つのフレスコ画」(1946)からの題材をまとめたものです。特にテーマはありませんが、巨大なスケールの傑作です。冒頭はマリンバとピアノに支えられて、ミュートをつけた金管や木管がモチーフの断片を吹きます。フルートにテーマが出ます。テーマはアルト・サックスに引き継がれ、次第に泡立ってきます。テンポが速くなり、変形されたたテーマがエネルギッシュに進行していきます。ここでのハーモニーは分厚く、快感です。ミュートをつけたトロンーボーンのグリッサンドも効果的です。この部分は、凄味があり実に見事です。特にテーマはないそうですが、フレスコ画からインスピレーションを得た物語でも見ているようなような起伏に富んだ音楽で退屈しません。また、後半、ギャロップ風リズムに乗ってひたひたと押し寄せる楽想は迫力満点です。続く、金管のコラールが吹きならされるヒンデミット風の楽想が表れる部分は鳥肌が立ちます。速いパッセージの木管、金管のユニゾンなどがあり、かなり難易度の高い曲です。私はこの曲は初めて聞きましたが、とてもいい曲で、何故埋もれているのか分かりませんでした。 録音は、とても充実してます。 とくにバスドラムの音は素晴らしいです。North Texas Wid Symphony:Architypes(GIA Windworks CD-820)1.David Sampson:Moving Parts (2003)2.Frank Ticheli:Angels in the Architecture (2008)3.Kathryn Salfelder:Cathedrals (2007)4.Karel Husa:Al Fresco (1975)5.Richard Wagner:Trauermusik, WWV 73 (1844)6.Derek Bourgeois:Symphony for William (2004) 7.Adam Gorb:Adrenaline City (2006)North Texas Wind Symphony Eugene Migriaro Corporon,conductorRecorded June 29,2008:April 3-6,2009;June 29,2009 at University of North Texas Winspear Performance Hall,Murchison Performing Arts Center
2010年01月16日
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この前聴いたアクサンチュスの「人間の顔」というアルバムに感心したことから、何枚か彼らのアルバムを入手しています。 そのなかで、「トランスクリプション」と題された、2001年収録のアルバムを聴きました。これは、器楽や声楽の作品の編曲を集めたものです。器楽の編曲でも、すべて歌詞がついてます。とにかく、彼らの驚異的な歌唱が楽しめます。 一番の聴きものは、「Kein Deutscher Himmel」(No German Sky)と題されたマーラーの第5交響曲の「アダジェット」。 ジェラール・ベソンの編曲です。 女声の高音が印象的です。とにかく、めちゃくちゃ高い音が何回も出てきますが、まったく崩れを見せず、実に見事です。特に、中間部でのソプラノ・ソロの超高音はすごいです。こんな高い音は、いまだかつて聞いたことがないと思えるほどです。それから、その前に出てくる。、メゾ・ソプラノ・ソロの豊かな響きにも見魅せられます。また、劇的な表現がすごくて、ある意味で原曲を上回っているようにさえ思えます。欲をいえば、低音が若干弱くもう少し出てきてほしいところがありました。第1曲目の「アニュスデイ」はバーバーの弦楽のためのアダージョの作曲者自身の編曲。これも素晴らしい演奏ですが、痛切な感情はあまり感じられません。どちらかというと、ドライな感じがします。 「ラクリモーサ」と題されたショパンの練習曲集作品10の第6曲。 編曲は1969年生まれの作曲家フランク・クラウチクです。この憂いに満ちた曲の特徴が出ている編曲だと思います。また、劇的な表現も見事で、この曲の隠された魅力が表現されていると思います。 ラヴェルの「マラルメによる3つの詩」から「溜息」はクリトゥス・ゴットヴァルトの編曲です。10月の秋の気分を描いた作品ですが、原曲よりテンポが遅く、深刻な感じで、秋の気分はあまり感じられません。もともと、ちょっとしゃれた曲ですが、少し大袈裟な恰好になっていて、ラヴェルのエスプリ薄れているのが残念。冒頭の噴水を思わせるヴァイオリンのフレーズが出てこなかったのも、すこし不満です。 ベルクの「初期の7つの歌」から「ナイチンゲール」。 短い曲ですが、私の最も愛好する曲です。少し、テンポが遅いですが、濃厚なロマンティシズムを湛えた、素晴らしい演奏です。もう少し、彫が深くてもよかったような気もします。 マーラーの「リュッケルトによる5つの歌」からは「私はこの世に忘れられ」。この曲は孤独感、諦め、そして虚無感を感じさせますが、アクサンチュスの演奏では、あまりそのような感じは受けません。それとは逆に、慰めや温もりを感じてしまいます。ソロで歌うのと合唱で歌うのとでは、これほど違うのでしょうか。いかに編曲とはいえ、これほど違うとは思いませんでした。ソロの場合には歌い手の感情がダイレクトに伝わってくるのに対し、合唱ではそれが若干水増しされるのかもしれません。 ドビュッシーの「シャルル・ボードレールの5つの詩」から「アンジェラスの鐘」は、曖昧模糊とした印象派のサウンドがよく表現されていたと思います。 これもゴットヴァルトの編曲です。 最後は、ショパンの第3ピアノ・ソナタの第3楽章「ラルゴ」。 何か、教会音楽のような清澄な響きで、敬虔な祈りを思わせ、この曲の新たな魅力を教えてくれたような気がします。この曲では、感情の高まりがとても感じられ、息苦しく感じるほどです。 合唱の録音は、ソースとしては一番難しい部類に入りますが、混濁もなく、広々とした空間を感じさせるものです。 惜しむらくは、レベルが低いことです。テュッティでの混濁を気にしたのでしょうか。 ところで、本日、これも集中購買の一環として注文していたDVDが来ました。ちょこっとしか見ていないのですが、映像としてハイセンスなできです。通常のミュージックとは一線を画す芸術性で、実にすばらしいです。これについては、後日レビューをしたいと思います。アダジェットAccentus:transcriptions(naive V4947)1.Samuel Barber / Agnus Dei (Adagio Opus 11)2.Gustav Mahler / Kein Deutscher Himmel (Adagietto, Syphonie No 63.Johann Sebastian Bach / Immortal Bach (Komm, Susser Tod Bwd 4784.Frederic Chopin / Lacrimosa (Etude Opus 10, No 6)5.Maurice Ravel / Soupir6.Hugo Wolf / Das Verlassene Magdlein7.Hugo Wolf / Auf Ein Altes Bild8.Alban Berg / Die Nachtigall9.Gustav Mahler / Ich Bin Der Welt Abhanden Gekommen10.Claud Debussy / Les Angelus11.Frederic Chopin / Lulajze, Jezuniu (Largo, Sonate Opus 58) Accentus Chember ChoirLaurence Equilbey,conductorRecorded Feb.2001 in the Arsenal Hall of Metz(France)
2010年01月15日
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いよいよ小沢一郎氏の周辺が騒がしくなってきたようです。 元秘書の金沢氏も「上申書」を出していたことが明らかになりました。これが決定的な証拠と思われますが、相変わらず石川参議院議員はそんなことは知らぬ存ぜぬですし、民主党の幹部も政局には影響はないと当たり障りのないことを言っています。本当にそう思っているのでしょうか。本当だったら、政治家を辞めた方がいいです。もちろん、影響があると言ったら、党内での立場がなくなるわけで、それは言えないのでしょう。名古屋市長に転身した河村氏あたりだったら言いそうな気がしますが、いまの民主党にはそういう気概のある方はいないようですね。 この前、JR高崎駅のホームで小沢に「山形へ帰れ」といった右翼がいたようですが、何の反応も示さなかったとか。 せめて「おれの選挙区は岩手県だ」と訂正しておけば、少しは人間味が感じられますが、冷たい人間としか思えません。元来、この方は寄ってくる方には優しいのですが、離れていく方には冷たい扱い方しかしていません。離れる原因も、その方が台頭してくると切るという非常に分かりやすい性格のようです。結局、変わる変わるといって何も変わらなかった、しょうもない人間です。それでも、外出するときは大きなマスクをして顔を覆っています。おそらく、小沢は小心者なのではないでしょうか。そのため、出来るだけ外では素顔をさらしたくないということだと思います。それに、天皇を政治利用してしまい、そのことについて批判されても逆切れするばかりで、人間としても全く尊敬できない人間であることが露呈されました。 おまけに、今度は外国人への地方参政権の付与問題です。 岩手県民はそのことで、批判の目を向けられていることは御承知の通りです。私は、小沢の選挙区の住人です。速い話が選挙で落としてしまえばいいのですが、何しろ自民党があきらめたのか、すっかり魅力のある人物を立候補させなくなってしまいました。衆議院選挙は当分ありそうにもないですし、当分岩手県の名誉を回復する機会はありません。せっかく、菊池雄星投手の活躍で、岩手県の好感度が上がったと思ったのですが、小沢の台頭で逆方向に振れてしまいました。 最近、政治のことで頭を悩ますようなことが続きます。いままで政治のことで将来が心配になったことなんてありませんでした。まったく、頭にきます。いい加減、何とかしてもらいたいものです。 今、心配なのは石川衆議院議員の自殺です。さっさと起訴して拘留した方がいいと思います。そうしないと、トカゲのしっぽ切りになりかねないからです。 ところで、今日体育館に筋トレに行ったら、あの甲子園で一躍ヒーローになった佐藤涼平君が来ていました。 実物を見るのは初めてでしたが、小柄でかわいい顔をしてました。中学生といってもおかしくない感じでしたが、さすがに腕のあたりや、ふくらはぎなどは鍛えられてるなと思いました。
2010年01月14日
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昨日のNHKプロフェッショナル・仕事の流儀で、IBMのフェローである浅川智恵子さん(51)のことが取り上げられていました。 普段、テレビで見るのはニュースくらいなものですが、ニュースステーションをみるつもりが、偶然に目にとまりそのまま最後まで見てしまいました。このIBMのフェローというものは、IBM専門職の最上級の地位で、日本では3人(アメリカで就任した日本人が江崎氏ほか1名)しかいません。今までに、218名(内、75名が現在IBMに在籍中)いるそうですが、その中からノーベル賞受賞者も5名いるそうです。このフェローという地位は、業界をリードするイノベーションや世界中のお客様やビジネスパートナーとの協働を通じて技術的に優れた功績をあげた社員に与えられる最高職位だそうです。浅川さんのことはこの番組で初めて知ったのですが、小学校の4年生にプールで眼をコンクリートにぶつけ、原因が分からず、次第に目が見えなくなり、中学2年に完全に見えなくなりました。その後、盲学校に入学し、追手門大学英文科を卒業しました。通訳になろうとしましたが、失敗し、日本ライトハウスでコンピュータと出会います。 同年、IBMの点訳翻訳システムの開発で、盲人の学生研究員として開発に参加し、翌年IBMに入社しました。以来、日本語デジタル点字システムや、ホームページを音声で説明する、「ホームページリーダー」などを手掛けています。現在、7人の部下とともにウエッブ・アクセシビリティについて研究しています。 その間、2004年には東京大学工学系研究科先端学際工学専攻の博士課程を修了しています。 浅川さんは全盲になってしまったあと、しばらくひきこもりになってしまったそうです。 そして、すべてを受け入れて、変わらなくてはと思い、学校に進むこを決心したと語ってます。 彼女の心情は、とにかくあきらめないで最後まで頑張るということです。 苦しくなるまで頑張ると、そこから道が開けてくるといいます。また、日常生活においても、人に助けてもらわなければならない生活をしてる彼女にとって、仕事においても、多くの人の力を結集させることで初めて、1人では思いつきもしなかったような斬新な研究が生まれると考えています。 ずば抜けてプログラミングの出来る部下が悩んでいる時に、いう言葉がいいです。デモの評価で「わくわくしない」、アドバイスが「プログラミングをしないで考えてみたら」など、とても柔軟な考えの持ち主だと思います。 技術者は、とかく、技術偏重で自己中心になりがちですが、浅川さんはマーケティングのこともよくわかっていらっしゃるし、何よりも自分がユーザーである技術の開発者であることが物凄い強みだと思います。この「プログラミングをしないで考えたら」という言葉は、プログラム経験者ならば、「うんうん」と頷いてしまう言葉です。 実際、プログラムを書きながら考える方が楽なのですが、易きに流れてしまうことがあります。浅川さんは、そのことを踏まえて、敢えて厳しい方法をとるようアドバイスしたのだと思います。 浅川さんは、人当たりが良くて、とてもそんな芯の強い方には見えないのですが、本当の意味で強い方だと思いました。今までの人生、決して平坦な道ではなかったと思いますが、そのような環境と、まっすぐに困難な道に立ち向かっていく姿に感動してしまいました。また、そのようにハンデをもった人間に門戸を開き、なおかつ実力を花開かせたIBMという会社の恐るべき実力には畏怖さえ覚えてしまいます。このような会社が他にはたしてあるのか、疑問に思ってしまいました。プロフェッショナル 仕事の流儀 「あきらめなければ、道は開ける」 なお、来週の火曜日に再放送があるようですので、見逃した方は是非!
2010年01月13日
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アムランの超絶技巧が楽しめる一枚。いままで出ているとは知らなかったのですが、ひょんなことから知ったアルバム。国内では、一昨年の10月に発売されています。目玉は3つのヨハン・シュトラウスの旋律による交響的変容。どれも、10分以上かかる大作です。それから、ゴドフスキーの自作の組曲が二つ。こちらも、交響的変容と雰囲気が似ていて、まったく違和感がありません。シュトラウスの3つの交響的変容は、どれもが超絶技巧の限りを尽くした難曲です。アムランの演奏では、その技巧を超越したところでの、絶妙なルバートが聞く者の心をくすぐります。これがじつに絶妙です。たとえると、羽根箒でなでられるような、ちょっと不思議な感覚です。これが、嫌みになる寸前のところで止まっていて、実に鮮やかです。それから、ウイーン情緒が豊かで、ユーモアもあります。これはアムラン単独ではなく、シュトラウス、ゴドフスキー、アムランの3者が作り上げたもののように思いました。ウィーン音楽好きには堪えられない音楽の醍醐味がここにはあると思います。ゴドフスキーの音楽にいつも感じられる、そこまでしなくてもというやり過ぎ感は、この情緒纏綿たる音楽に中和されて、いい感じになっています。また、アムランの演奏には、軽さや柔らかさを感じさえすれ、こういう典雅さやユーモアなどとは無縁だと思っていました。とこが今回の演奏では、作編曲者との共同作業とはいえ、こういう面も持ち合わせていることを知りとても嬉しかったです。 3曲の交響的変容は1912年に出版されています。この中では、最初に収録されている、「芸術家の生涯による交響的変容」が一番できがいいように思います。次々と繰り広げられるアイディアがとても面白く、聞き惚れてしまいます。。「こうもり」による交響的変容では、劇中に使われるいろいろな主題が次々と出てきて、こうもりをご存知の方にはなかなか楽しい聴きものだと思います。この曲でもウイーン情緒満点で、ユーモアも感じさせます。ただ、色々出過ぎていて若干散漫になっている感じがします。3つ目は、「酒、女、歌」による交響的変容。序奏のきらきらしたラテン的な透明な響きは実に素晴らしいです。気品もあります。 ゴドフスキーの「仮面舞踏会」、「トリアコンタメロン- 三拍子による30の雰囲気と光景」はどちらも5曲取り上げられています。どれも短い曲ばかりですが、個人的なイメージのゴドフスキー(テクニック至上主義の音楽)とは違って端正な表情が垣間見えることもあり、いい気分にさせてもらえます。「仮面舞踏会」のすべてや、「トリアコンタメロン」の中でも、そのものずばりの「古いウイーン」や「ランデブー」に、ウイーン情緒が色濃く残されています。彼はリトアニア生まれのポーランド人ですが、1909年から1914年にかけて、ウィーン音楽院のマスタークラスで教鞭をとっていたので、その時にウイーン情緒を身につけたのだと思います。ちなみにこの時代は、彼の人生で最も幸福な時代だったようです。 『最後のワルツ』は、1970年代初頭にアムランの父ジル・アムランがゴドフスキーのピアノ・ロール録音から採譜を行い編集を手懸けたことによって、1975年に出版されたというアムラン自身にも関係の深い曲です。オスカー・ストラウス(1870-1954)の作品をゴドフスキーがアレンジしたものです。ちなみに、オスカー・ストラウスはウイーンの作曲家ですが、有名なシュトラウス一家とは全く関係なく、紛らわしいために「strauss」の最後の「s」を削って「straus」としたそうです。 このアルバムは、作曲者の意図(パラフレーズをより高いレベルの音楽として聴衆に認めさせようとしていた)に反して、真剣に音楽に向かって聞くのは不向きだと思います。一種のサロン風の音楽で、かなりポピュラーよりです。だからこそ、親しみやすく、お茶のお供や仕事中に流す音楽にふさわしいと思います。ゴドフスキー入門としてふさわしいアルバムでもあります。カプースチンのゆったりとしたテンポの曲に酷似した雰囲気で、大方のカプースチン好きには受け入れられる音楽です。 ところで、この項を書いているときに、wikipediaをみていたら、『ゴドフスキーの息子のヴァイオリニストのトレオポルド・ゴドフスキー2世(1900-1983)は、友人のピアニスト・レオポルド・マネス(Leopold Damrosch Mannes,1899-1964)と共にカラー写真の開発に当たり、コダック社の協力により1935年に初の本格的なカラーフィルム「コダクローム」を開発した。彼はジョージ・ガーシュウィンの妹フランセスと結婚している。』という記述に目を見張りました。どういうきっかけからそうなったのか分かりませんが、人生とは全くわからないものですね。ヴァイオリニストとピアニストがフィルムを作るなんて、考えられません。Godowsky: Strauss Transcriptions and Other Waltzes(Hyperion CDA67626)1. Symphonic metamorphosis of themes from Johann Strauss's 'Kunstlerleben'2. Fantasies (24) for Piano 'Walzermasken': no 2, Pastell3. Fantasies (24) for Piano 'Walzermasken': no 14, Franzsisch4. Fantasies (24) for Piano 'Walzermasken': no 22, Wienerisch5. Fantasies (24) for Piano 'Walzermasken': no 24, Portrait Johann Strauss6. Symphonic metamorphosis of themes from 'Die Fledermaus'7. Triakontameron: no 4, Rendezvous8. Triakontameron: no 11, Alt Wien9. Triakontameron: no 13, Terpsichorean Vindobona10. Triakontameron: no 21, The Salon11. Triakontameron: no 25, Erinnerungen12. Symphonic metamorphosis of Johann Strauss's 'Wein, Weib und Gesang' Waltzes13. Der letzte Walzer: Act I Waltz Marc-Andre Hamelin(p)Recorded in Henry Hall,Lomdom,on 14-16 Dec.2007
2010年01月11日
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意味不明な題名ですが、フランス映画です。映画ジャッジで批評を見たら悪くなかったのですが、日本公開は昨年の5月ですでにDVDも出ています。DVDで済まそうかとも思ったのですが、やはり劇場で見る方がよいと思い、見に行きました。結論から言うと、なかなか微妙な作品だったと思います。 簡単に言うと、遺産相続のお話です。 有名な画家だった叔父の残したパリ郊外のイル・ド・フランスにあるアトリエに住む女性エレーヌ(エディット・スコブ)が亡くなる。その家には、コローの「セーヴル街道」「木陰の門」などの絵画や、アール・ヌーボーの家具など高価な芸術品が多く飾られています。それらの遺産は、3人の子供たち(シャルル・ベルリング、ジュリエット・ビノシュ、ジェレミー・レニエ)に相続されますが、残すべきか、処分すべきか。そこから、3人の苦悩が始まっていきます。 遺産相続に関しては、私も昨年手続きなどをしてみて、なんて非生産的な手間のかかることだと思いました。 この映画のように莫大な遺産を相続した場合には、それはそれは手がかかることだと思います。ストーリーはそういう意味で単純なのですが、そこに3人のうち2人が中国とアメリカに住んでいるという事情やら、フランス在住の長兄フレデリックの高校生の娘の非行などのエピソードが付け加えられて、物語に厚みを与えようとしていたと思います。 この映画の呼び物は、オルセー美術館が全面協力したコレクションがみられることだと思います。 私が見たことのない作品ばかりですが、細部が分からないため、もっとクローズアプしてほしかったと思います。出来なかったのは照明の関係でしょうか。 映画は、ほとんどがエレーヌの家の中と外のシーンで、変化はあまりありません。 その代り、その室内の美術品を堪能しろということなのかもしれません。 国に寄贈された家具が、オルセー美術館に展示されているのを見て、フレデリックが「寂しそうだ」と感想を漏らしています。 いままで、身近にあったものが、他人の手に渡るとは、そういうものなのかもしれません。本来、人間の住居とともに生息?していた美術品が、美術展などの施設に置かれるのがいいのか、問題提起しているようですが、協力がオルセー美術館なので監督の皮肉でしょうか。 この映画で特徴的な美術品はフェリックス・ブラックモンの花瓶。 日常使っていたもので、この家に住んでいた家政婦エロイーズに譲られる。それはエレーヌが「花瓶が空だと虚しい」と言っていたことを、子供たちが覚えていたからでした。この花瓶がなかなか洒落ていて気に入りました。ブラックモンはほかにもう一点、ガラスの器がありましたがこれもよかったです。そのほか、オディロン・ルドンの「ドメシー家の装飾画」、ドガの「右足の踵を見る踊り子」という彫刻、ルイ・マジョレルの書斎机「蘭」、ヨーゼフ・ホフマンの戸棚など、私が知らない物ばかりで、ためになりました。フレデリック夫妻がオルセー美術館に行ったときに、美術品の修復も描かれていましたが、短くもう少し詳しく見たかったです。 映画のインパクトは強くなく、映画に出てきた美術品や家具が記憶に残るというのは、どうなんでしょうね。 オルセー美術館側としては成功、映画の制作側は半分失敗みたいなところでしょうか。 キャストでは、エレーヌ役のエディット・スコブと娘のアドリエンヌ役のジュリエット・ビノシュが本物の親子みたいによく似ています。 また、この映画で一番活躍するフレデリック役のシャルル・ベルリングがなかなかいい演技だったと思います。それからフレデリックの娘シルヴィー(アリス・ド・ランクザン)が後半大きくクローズアップされますが、それまでのストーリーと脈絡がなく、唐突な感じが否めませんでした。最後の、どんちゃん騒ぎもそれまでのムードと異なり、余計だったと思います。 映像は柔らかいタッチで、とても美しいかったと思います。 特にエレーヌの家のなかや、周辺の木々や草花など、柔らかな光に包まれた映像はとても美しく、まさに芸術品並みだったと思います。
2010年01月10日
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メーカーのコメントにつられた買ってしまった一枚。 なにか今までのメカニック一辺倒ではない、詩情を感じさせる演奏ということで期待していたのですが、ある面では期待どおりでしたが、少し首をかしげたくなるところがありました。期待が大きすぎたかも知れません。芸術とは難しいものなんだなと、改めて思ったわけです。 ところで、従来からメジューエワがテクニックの面で語られることは殆どないと思います。彼女が語られるときには、解釈とか表現の仕方とかが多いと思います。それは、ある意味テクニックがあることを前提に話されているわけで、テクニックがないからそのような話になっているわけではありません。個人的にも、最上級のテクニックかどうかは別として、彼女が表現しようと思っていることに対して、支障は全くありません。 よく上手な演奏家と下手な演奏家が同じ曲を演奏した場合、下手な方が曲の難しさがよくわかることがあります。それからいうと、今回の演奏は難しい曲という印象は、他の演奏家に比べて少ないことは確かです。 技術的には現在でも困難なところを抱え得ている曲に対しても、技術的な危うさは微塵も感じられません。 そのため、たとえば「革命」、「大洋」など、この曲の持つ凄味が薄れていることは確かですが、それは彼女のせいではなく、曲が本来持っている性格だと思います。それに、難しい曲でも、弾き飛ばすということがなく、よく考えられた演奏だと思います。気になったのは、解釈というかアゴーギグです。色々な場面でためを作っているため、わざとらしいところまではいきませんが、すこし、癖のある表現のように思った次第です。従来の彼女の演奏を聞いた限りでは、そのような癖のある表現は聞いたことがなかったので、違和感があったのかもしれません。また、彼女のショパンの他の曲の演奏がどうかもわからないので、ショパンに限ったことなのか、最近の演奏の傾向なのかは分かりません。少なくとも、この前のスクリャービン、シューベルト作品集ではそんなことは全く感じられなかったことは確かです。 叙情的な作品は全く問題のない表現だと思います。 気になった曲について一言。 作品10の第4番でのアゴーギグがちょっと不自然で、フレーズの切れ目にほんの僅かな空白があります。「黒鍵」はスムーズな運指なのですが、最後のところでためを作っているところが少し臭いです。「革命」はしっかりと表現されていて、技術的な困難さはほとんど感じられません。それよりも、あまりにもスムーズなため、嵐のような激しさがあまり感じられないほどです。しかし、ここでも、ごく一部分でのアゴーギグが気になりました。作品25の第10番でもこのような傾向はさらに強いです。それから、何箇所かで弾き違い(たとえば作品25の第10番の終結部でのコード)をしているような気がしましたが、私の思い違いでしょうか。 解釈については、問題があるように思いましたが、そのほかは殆ど文句のつけようがないと思います。 叙情的な曲は、温かみのある表現で、練習曲であることを忘れさせるような詩情が醸し出され、メジューエワの世界が広がっています。アゴーギグも適切です。 ということで、解釈上少し気になる点はありますが、他の面では文句なしの出来だと思います。 作品25の第7番のような少し虚無的な感じのする曲でも、血の通った温もりを感じさせます。その表現の傾向が逆効果になっている(木枯らし)場合もありますが、このような表現はかつてなかったことではないでしょうか。そういう意味では、この練習曲集の概念を変えたことは間違いありません。 いづれにせよ、きわめて高水準の演奏であることは間違いありません。今後、前奏曲集や夜想曲集という、よりメジューエワには適していると思われる曲も予定されているらしいので、期待が持てると思います。 メジューエワ:ショパン「24の練習曲」(若林工房 WAKA4139)1-12.ショパン:12の練習曲作品1013-24.ショパン:12の練習曲作品25エリーナ・メジューエワ(p)2009年7月、9月 新川文化ホール(富山県魚津市)で録音
2010年01月09日
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このまえ、プーランクの伝記を読んだ影響で、今まで聞いたことのない「人間の顔」が聴きたくなりました。 それで、探したところ、フランスの若い合唱団の比較的新しい録音があることを知り、入手しました。プーランクの合唱曲を聞くときにいつも感じる、宗教曲臭がなく、すんなりと入ってきました。劇的な表現も申し分なく、これはプーランクの合唱曲の代表的な演奏ではないかと思います。 2000年に録音されたもので、アクサンチュス室内合唱団というフランスの合唱団をロランス・エキルベイという女性の指揮者が指揮をしています。私は初めて耳にした合唱団ですが、エキルベイが1991年に設立した団体で、2007年には「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」で来日したこともあります。どうやら、単に私が知らなかっただけだで、巷では有名な団体のようです。フランスのナイーヴレーベルからすでに十数枚のCDをリリースしています。その中にはフォーレのレクイエム、ブラームスのドイツレクイエム、シェーンベルクの合唱曲、そして2枚のトランスクリプションなど意欲的な録音が目白押しです。ブックレットにメンバーと指揮者の写真が載っていますが、皆さんお若いです。演奏は大変素晴らしいです。ピッチもあっていますし、透明感が曲にとてもふさわしいです。通常弱い男声部もいいです。人間の顔の最終曲の女声のハイEがピタリと決まっているのは大したもんです。指揮者のエキルベイはエリック・エリクソンの弟子だそうで、道理で優れた演奏を聞かせるわけです。「この人間の顔」はP.エリュアール(1895-1952)の詩による、無伴奏2群の混成合唱のためのカンタータです。P.エリュアールは、フランスのシュルレアリスム派の詩人です。1943年にドイツ軍の目を盗んで配布された詩に作曲したもので、地下出版され、ドイツ軍から解放後ロンドンに楽譜を送り、終戦前の1945年1月にBBC合唱団がイギリスで初演しました。フランスでは、その2年後の1947年5月に初演されています。作曲の動機は、フランスのレジスタンス運動を鼓舞するためだったそうで、芸術家として政治的の事柄には首を突っ込まなかったプーランクとしては珍しいことです。弾圧への憎悪、侮蔑、怒りから、「自由」への祈りと、プーランクとしては珍しく起伏の激しい表現が特徴的ですが、全編に悲しみが漂っています。最後の「自由」の内容は、いかにも、レジスタンスを呼び掛けるのにふさわしく、「自由」を擬人化していますが、声高に叫ぶのではなく、内に秘めた情熱が感じられます。曲の完成度が高くバラエティに富んでいて、世評、プーランクの傑作と言われているだけのことはあり、とても感銘を受けました。 他には、「7つの歌」(1936)と小カンタータ「ある雪の夕暮れ」(1944)が収録されています。 「7つの歌」の第1曲「白い雪」がG.アポリネールの詩によるほかは、すべてP.エリュアールの手になるものです。 「ある雪の夕暮れ」は伝記のレビューの時に聞いていたロバートショーの演奏もよかったのですが、これもとてもいい演奏です。とても透明な音楽で、メロディックなうえに温かさもあり、プーランクの合唱曲の中では好きな曲になりました。特に第1曲「大きな雪の固まり」はいいです。 ところで、某ブログには、RIAS室内合唱団のプーランクがいいと書かれています。このアルバムの曲をすべて含みさらに2曲プラスされています。これもいつか是非聞いてみたいですね。Poulenc: Figure humaine : Choeur de Chambre Accentus(naive V4883)1.7 Chansons 1. La blanche neige (The White Snow) 2. A peine defiguree (Hardly disfigured) 3. Par une nuit nouvelle (A new night) 4. Tous les droits (Every right) 5. Belle et ressemblante (Beautiful and lifelike) 6. Marie (Marie) 7. Luire (Gleaming)2.Figure humaine 1. De tous les printemps du monde 2. En chantant les servantes s'elancent 3. Aussi bas que le silence 4. Patience 5. Riant du ciel et des planetes 6. Le jour m'etonne et la nuit me fait peur 7. La menace sous leciel rouge 8. Liberte3.Un soir de neige 1. De grandes cuillers de neige 2. La bonne neige 3. Bois meurtri 4. La nuit le froid la solitudeJean-Francois Chiama (tn)Paul-Alexandre Dubois (br)Accentus Chamber ChoirLaurence Equilbey(cond)Recorded in Octber 2000 at the Espace Projection,IRCAM,Paris
2010年01月08日
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野口嘉則氏のメールに今年は国民読書という内容が書かれていました。 活字中毒である者としては、興味がそそられ、ちょこっと調べてみました。もともと「国民読書年」(National Year of Reading)は2008年にイギリスで行われ、読書を推進するさまざまなキャンペーン、イベントなどを行ったとのことです。おそらくそれをモデルにして日本でもやろうとなったと思われます。 実際に、国会で「国民読書年に関する決議」なるものが2008年6月6日に行われ、それを受けて国民読書年推進会議が同年11月18日に発足しました。国民読書年推進会議がどんなものかというと、財団法人「文字・活字文化推進機構」(会長=福原義春・資生堂名誉会長)の中に設けられたものです。目的は、学校、家庭、職場における国民総読書量(Gross National Reading、略称GNR)の底上げを図りたいということです。そのために、下記のような施策を実施するということでした。1.公共広告機構など各種メディアの協力を得て、国民の不読率の引き下げに努める。2.社会人を対象にシンポジウムや講座、研修を開催する。3.読書推進や新聞活用教育の実践を学校に促し、言語力検定を実施する。4.学校図書館、公共図書館の整備拡充を提言する。そして、今年の10月末に、秋の読書週間に合わせ、東京都内の1万人規模の屋内施設で「国民読書年祭典」を開催するということです。ロゴとキャッチフレーズや、AC公共広告機構の「コトバダイブしよう」というCMの流されているようですが、みたことがありません。 キャッチフレーズが「じゃあ、読もう。」。この前に何が来るんでしょうか。「コトバダイブしよう」といういうのも意味不明です。また、今年は国立国会図書館など色々な団体で様々なイベントが行われるそうです。施策の一番目に不読率の引き下げという言葉があります。不読率とは、本を全く読まないことだそうですので、本を読む人の人口を増やすということです。 とにかく、全年齢にわたって不読率を引き下げることを考えるのではなく、まず将来性のない年寄りは除いて、子供や若い人たちの不読率を上げることを考えるのが先だと思います。 読書をしないのは、他に面白いことがたくさんあることが第一の理由だと思いますので、不読率が昔より高いのは当然のことです。その面白いことをなるべく排除することを考えなければなりません。また、読書をすることがいかに効果があるかを教えることも大切です。そして、読書を義務ずけることが重要です。義務付けたとして、具体的にどのような方法をとるのか、またどのように測定するのかも重要な問題です。このように、色々考えてくると簡単な問題ではないことが分かります。 ところで、事業仕分けで、こどもの読書などを支援する「子どもゆめ基金」が廃止されるという方針が出されたそうです。 最終的にどうなったか分かりませんが、明らかに、国会決議にそぐわない仕分けです。ここにも、事業仕分けの弊害(無知無定見)が見受けられます。
2010年01月07日
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この前の全日本選手権で浅田真央のフリーの演技を見ました。 曲はラフマニノフの前奏曲第1番の「鐘」のオケ編曲版。この曲にはストコフスキーしか編曲はないはずですが、久しぶりに聞いてそのスケールのでかさに驚いたものです。演技の時の演奏は青島広志指揮シアター・オーケストラトーキョーによるものですが、私は当然持っていなくて、カンゼルの昔のストコフスキー編曲を特集したCDで聞いてみました。ストコフスキーの編曲は、細部を極端に巨大化するようなところがあり、場合によってはグロテスクになってしまうのですが、この曲では曲の潜在的なエネルギーをいかんなく表現していると思います。 ところで、カンゼルと言えば、今年お亡くなりになってしまいました。 以前は、彼の新譜が出たときは欠かさず聞いていたのですが、しばらく前から聴かなくなりました。 きっかけは、実演を聞いたことです。 はっきり覚えていませんが、多分1997年の来日の時だったと思います。 東京フォーラムという響きが最悪の場所での鑑賞だったこともありますし、オケの技術がいまいちだったこともありました。そのため、結構ショックが大きく、それ以来遠ざかってしまいました。 今年の4月に膵臓、肝臓及び大腸癌と診断され、8月1日のリヴァーベンド・ミュージック・センターでの公演が最後の演奏になったそうです。そして、一月後の9月1日、メーン州スワンズ島の自宅にほど近いバーハーバーの病院で死去。享年74歳。今年は、コンコードがテラークの自社録音を停止したため、カンゼルのCDも「From the Top at the Pops」が最後になりました。(この部分wikipediaから引用) テラークでデビュー当時は、1891年序曲のCDでの物凄い録音が評判になったと記憶しています。 私が聴き始めたきっかけは何だったか覚えていません。個人的には、「マントバーニ」に代表されるムード・オーケストラ(死語?)やカーメン・ドラゴン、フィードラーの演奏が好きだったことがバックグラウンドツにあると思います。そういうわけで、彼の演奏を聴くのは映画音楽などのポピュラー系のものばかりでしたが、そのゴージャスな演奏には一時期結構のめりこんだものです。この手の演奏ではとにかく選曲とアレンジが重要で、この団体はその面でも申し分なかったと思います。 個人的に最も好きなアルバムと言えば「Fiesta」と題されたボサノバなどを集めたラテン音楽のCDでした。 それに、リチャード・ロジャーズなどのミュージカルの楽しさを教えてくれたのも彼でした。 現在、このような演奏をする団体はどれくらいあるか分かりません。 世界的にはどうなんでしょうか。日本では、いろいろな楽団がポップスのコンサートも行っていて、それなりに活況を呈しているようですが、レコーディングの話があまり聞こえてきません。 レコーディングも殆どないのではないでしょうか。Erich Kunzel Cincinnati Pops Orchestra:The Fantastic(TELARC CD-80338)
2010年01月05日
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1日にメールを見ていたら、見慣れないメールが来ています。 それはPaypalという決済サービスからのものです。この会社はネットでの決済サービスを行っている会社で、取引先にクレジット番号や口座番号を教える必要がないため安全とされているサービスです。なぜ、この会社から連絡があったかというと、Paypalを利用しているところがあるからで、私自身もこの仕組みを使っているところがあるということは認識していました。今回は、このPaypalという会社から、不正なアクセスと思われる取引が12月31日にあって、現在はPaypalでは保留状態になっているという内容でした。処理内容を見ると、クレジットから150ドル引き落としがあり、「Web Accept Payment Sent」という処理で-150$となっています。問い合わせをしたのですが、セキュリティ・センターに連絡しろみたいなメールが来て要領を得ません。幸い、日本でもカスターマーセンターが開設されているので、今日電話で連絡しました。中国人らしいオペレータの指示に従って、その件について未承認手続きを行いました。さらに、使っているクレジットカードが使えない状態になっているので、また使えるようにするための手続きのための、身分証明書と、クレジットカードの写しを送付。最終的には、この手続きのためにPaypalが200円クレジットから引き落としをするので、クレジットの取引を確認しなければなりません。そのため、まだ完全には終わっていませんが、何とかほぼ処理を終了しました。 今回は、Paypalのシステムにより、不正アクセスが分かったのですが、危ないところでした。 一応、パスワードなどを更新したので、とりあえずは大丈夫と思いますが、本当に助かりました。以前、不正アクセスで100万ほど使われて、危うく、払うことになりそうだったことがあります。そのときもクレジット会社から連絡があり、若干の出費はありましたが、何とか殆ど支払いをしなくてもすみました。それはもう10年ほど前のことになりますが、セキュリティは以前よりは強固になっているとはいえ、相変わらずリスクがあることは変わっていません。企業にとっては、信用問題なので、セキュリティに力を入れるのはもちろんですが、そのためには投資が必要で、痛し痒しだと思います。 今回の不正アクセスのきっかけが何であるかは分かりません。 どこでどういうようにログイン情報を盗まれたのかも分かりませんが、自ら注意していくことが大切であることを改めて認識した次第です。IDやパスワードを記憶しないようにすることは、その初歩ですが、面倒くさいのでやってしまいます。仕事では禁止されているので、記憶していないのですが、自宅ではどうしてもルーズになってしまいます。この際、現在ID、パスワードを記憶しているサイトをチェクして、記憶しないようにしなければと思います。
2010年01月04日
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2007年モンタレー・ジャズ・フェスティヴァルが50周年を迎えました。それを記念して、作品の委嘱やら、スペシャルバンドの結成など、色々な企画が行われました。その中の一つとして、その名もズバリ「モンタレー・カルテット」なるユニットのコンサートがジャズ・フェスティヴァルの2日目の9月22日に行われました。メンバーは、実質的なリーダーであるデイヴ・ホランド(b)、クリス・ポッター(tn)、コンサロ・ルバルカバ(p)そしてエリク・ハーランドのドラムスという超強力なユニットです。臨時編成で、そんなにこった編曲をしているわけではありませんが、名手ぞろいですので、アンサンブルにも抜かりがありません。クリス・ポッターのテナーが前篇で大きくフィーチャーされています。切れのいいサウンドと乗りのいいフレーズで、出来はかなりなものですが、時折一本調子になるきらいがあります。それから、エリック・ハーランドのドラムスも大活躍です。この人は、多彩なテクニックを持っているのはわかるのですが、何でもかんでもでしゃばりすぎで、何回も聴くと鼻についてきます。演奏の質からいくと、ゴンサロが一番です。当夜、彼が最高のコンディションだったことが窺えるような、素晴らしいパフォーマンスを繰り広げています。 ここに収録されているのは全8曲で各人が2曲づつ持ち寄っています。この中では、さすがにホランドの作品のレベルが高く、続いてはゴンサロ作品でしょうか。他の二人の作品も悪くないです。全体的にはシリアスなムードの曲が多いですが、ラテン・フレーバーの曲もあり、それほど窮屈なプログラミングではありません。この中では、オリエンタル・ムードの横溢したホランドの「Veil of Tears」が作品、演奏とも優れています。ベースのソロとは思えないほどのフットワークの良さを感じさせる、ホランドのソロから始まります。エキゾチックなムードを保ったまま、クリス・ポッターのソロへと引き継がれていきます。ポッターのソロも曲調に沿った寂しげな雰囲気で、そこに絡みつくゴンサロのシンプルでパーカッシヴなモチーフも効果的です。聞いていると、砂漠を隊商の長い行列が進んでいくような光景を思い浮かべてしまいます。一種のコンセプトを持った作品だと思いますが、大変優れていると思います。ホランドのもう一曲は「STEP TO IT」。クールな佇まいの中に秘めた情熱が感じられるラテン・フレーバーの作品。ゴンサロの「MINOTAURU」も哀愁を誘う、ラテンメロディーで、その前の2曲がシリアス系だったので、ほっとします。ポッターのエネルギッシュはソロにコンサロの絶妙なコンピングが素晴らしいです。 エリック・ハーランドの妻にささげた「MEIDEN」は、美しく物悲しいテーマをもった佳曲です。冒頭のホランドの悲しみを抑えたベースソロも心に染みます。ハーランドは、さすがにおとなしくしています。よしよし(^^;最後は、ポッターの「ASK ME WHY」。ごつごつした感触のテーマで、変拍子の大変難しい曲ですが、さすがに難なくこなしています。ポッターのエネルギッシュなソロに続くゴンサロのソロが大変素晴らしいです。最後は、ハーランドのドラム・ソロで大いに盛り上げています。 ホランドはこのユニットが気に入ったらしく、スケジュールの都合でコンサロが交代したほかは同じメンバーで演奏を行っています。グループの名前は「The Overtone Quartet」で、昨年秋にアメリカからヨーロッパへのツアーを敢行しています。しかし、このグループ名、どういう意味なんでしょうか。そのまま訳すと「倍音4重奏団」。何か裏の意味がありそうですが、私には想像がつきませんでした。THE MONTEREY QUARTET:LIVE AT THE 2007 MONTEREY JAZZ FESTIVAL(MJF RECORDS MJFR-32244)1. Treachery2. Minatour3. Otra Mirada4. Step To It5. Maiden6. 507. Veil Of Tears8. Spoken Introduction9. Ask My WhyDave Holland(b)CHris Potter(tn)Gonzaro Rubalcaba(p)Eric Harland(Ds)Rrecorded Live at Monterey Jazz Festival 22 Sep. 2007
2010年01月03日
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バーブラ・ストライザンドの「Love in Concert 2006」以来3年ぶりの新作。 ソニーレーベルなのに、プロデューサーがダイアナ・クラールとトミー・リピューマというヴァ―ヴの方たちです。バーブラはかねてから、彼らの仕事に注目していたそうで、2006年にバーブラのコンサート後の集まりにダイアナが行ったことから、接触が始まったようです。それが、この2枚組のアルバムとして結実しました。1枚はジョニー・マンデルの編曲によるオーケストラ伴奏、他の1枚はピアノトリオまたはギターを含むカルテットでの伴奏です。スモールコンボの伴奏で基本的にコンセプトを確立してから、オケ版が作られたようです。 国内盤は2枚組のみのリリースのようですが、アメリカ盤はオケだけの1枚物も発売されています。 コンボはジェイ・クレイトンのベース、ジェフ・ハミルトンのドラムスに時折アンソニー・ウイルソンのギターが入ります。 アドリブ・ソロが入るようなアレンジが殆どなかったことも関係しているのか、それともプロデューサーとして専念したかったのか分かりませんが、ダイアナが参加しているのは数曲のみです。 殆どがよく知られたスタンダード・ナンバーで、ゆったりとしたテンポのバラードに仕上がっています。 どの曲も美しいですが、メリハリがあまりないため、物足りないところがあります。 バーブラの歌は、声域を考えた注意深い選曲で、殆ど崩れを見せるところはありません。 ただ、せいぜいフォルテどまりで、ダイナミックな歌唱を堪能するまでにはいきませんでした。聞いていて、昔の「ブロードウエイ・アルバム」などの熱唱が懐かしく感じられてしまいました。 その中では、3曲目のボサノヴァ「ジェントル・レイン」のしっとりした歌唱はなかなか良かったと思います。 この曲は、最近のツアーのウォーム・アップで使っていた曲だそうです。また、「Spring can realy hang up the most」も現在のバーブラにはしっくりきています。「A Time For Love」の後半、声がしわがれるところがあり、びっくりしてしまいました。わざとではないと思うのですが、なぜ取り直しをしなかったのか疑問です。なにか、化粧を落とした後の顔を見せられたようで、気持ちが悪かったです。オケ版では、ボーナストラックとしてルグランの「You Must Believe Spring」が歌われています。ブックレットによると、バーブラがダイアナに教えてもらった曲とか。 ジャケ写やブックレットでのバーブラの写真をみると67歳とは思えないほどの若々しさですが、声はさすがに衰えてきたことは隠せないと思います。 最近の録音を聞いていると、アルバムとしての完成度はあるレベルに達していますが、驚きがないように思います。それに、次第にエネルギーが衰えてきているように感じます。これは仕方のないことではありますが、一抹の寂しさを感じてしまいます。 年齢から言っても、今後、アルバムの数は望めないと思うので、次回は、今までのイメージを超えるような斬新な企画でのアルバムを出してほしいと願っています。 Barbra Streisand:Love Is The Answer(COLUMBIA 88697 48283 2)1. Here's To Life2. In The Wee Small Hours Of The Morning3. Gentle Rain4. If You Go Away (Ne Me Quitte Pas)5. Spring Can Really Hang You Up The Most6. Make Someone Happy7. Where Do You Start?8. A Time For Love9. Here's That Rainy Day10. Love Dance11. Smoke Gets In Your Eyes12. Some Other Time13. You Must Believe In Spring(DISC1 only) Recorded 2008 at the Capitol Studio,Hollywood,LA,Ca
2010年01月02日
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