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どんなに忙しくても1日に1度は「ハワイ市場」を開いて皆さんからのメッセージを読んでいた私。だけど、ここ何日も1度も見ることも出来なかった位に忙しかった。早朝家を出て帰宅するのは午後11時。もう、くたくたで死にそう~~ある人気雑誌を作るお仕事をする人々に関わった。1ページを作るのにこんなに多くの人が働いているのですね。う~、感動!「情報」まだ、あまり知られてないハワイの“いいもの”を遠く離れた日本の女の子達に教えてあげること。すごくウキウキする事だと思いました。「情報を伝えるプロな女達」その情報を文章にする女性とその情報を写真にする女性に出会えた。聞こえは派手だけど実際は地味なお仕事だと思う。だけどやっぱり人に夢を与える仕事をしてる女性達って輝いてたなぁ...日本から海外取材で長く家に帰れない彼女達のふとした会話の中から日本で待つ愛する人への気持ちを感じた...レストランで美味しそうなお料理が目の前に運ばれた。“彼に写真を見せるの”ってデジカメをとりだした女性。あぁ、愛だなぁ...いいなぁ...どんなに忙しくてもちょっとした合間に愛する人の事を考えて、そして愛する人の事を語る時の女性の表情って本当に可愛いと思う。私も仕事中に旦那や子どもの事を思い出して話すときにあんな表情をしてるのかな?もしかしてこんなにも輝いて良い仕事が出来るのは家で待っててくれる愛する男性がいるからなのかな。そして私もその一人なのかも。なんだか彼女達から色々と勉強をしたような気分になったここ数日でした。明日からは家に早く帰れそうなので家族とゆっくり時間を過そうと思います。旦那様~放ったらかしにしてごめんなさい!!でも私は又一つ成長出来たような気がします。
2004年01月28日
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今日は、連日の遊び疲れで仕事から帰るなり家族全員爆睡し、午後10時ごろのっそりと起きて楽天を開きました。今日は数日前から書きたいと思っていた自衛隊のイラク派遣についてです。イラク戦後の安全確保に協力する事を目的として日本から自衛隊がイラクへ派遣された。もちろん戦争が終わった今、「武力行使」としてではなく「復興支援」が名目である。“復興支援”といえば聞こえは安全っぽいとは思う。実際イラク戦後の国づくりの為にアメリカ軍も現在活動をしてる訳だけど先週、とうとうイラクでのアメリカ兵の死亡者は500人を超えた。この表にイラクでなくなった人の人数と名前が記されている。なんとも生生しい...http://www.msnbc.msn.com/id/3359080/ 表にある“Killed since May 1”498は戦争が終結した後に亡くなった人の数。“Total killed in Iraq”592は戦争が始まって以来亡くなった人の総合計。表を見ると無くなってるのはArmy(陸軍)の人が圧倒的に多い。戦争中はMarine(海兵隊)が多かった。アメリカ陸軍の役目は戦後の復興作業だから当然の結果となっている。この間、車を運転していたらラジオでこんなニュースが流れてきた。「日本軍が第二次世界大戦後、初めての戦争に参加する為にイラクへ向かった」“Go to war”とはっきりと。“戦後復興のお手伝い”って雰囲気の伝え方ではなくて日本軍が戦争に参加するというニュアンスのアナウンスだった。“日本では自衛隊はイラクに穴掘りのお手伝いにでも行ってる位のお気楽な考え方の人も多いんじゃないの?”一緒にラジオを聞いていた日本人のお友達がそうつぶやいた...本当に私も日本の役割がその程度の事だったらいいと思った。その人のお友達の旦那様がイラクに派遣されるという。“生きて帰ってこれるのかな?”周囲の皆がそう、心配してる。あの戦争の真っ最中と同じ位に今もイラクは危険だって毎日のニュースを見てればわかるから。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040122-01623245-jijp-dom.view-001 イラクの少年の握手する自衛隊の男性の写真記事を見た。複雑な想い。戦争など体験したことのない日本の人々が、本当の戦争に触れ合っていく瞬間を感じた。長引くと予想されるイラクの復興だけど、日本からの悲しいニュースがありませんようにと祈るばかり...アメリカに住んでいたってアメリカ人と結婚していたって私の気持ちはやっぱり日本人で日本に住んでいる人と同じだと思う。自分の国の人々がイラクに派遣された事はとても複雑で心配な気持ちで一杯になっています。皆さんの無事を心から祈ります。任務を全うして無事に帰ってきてください。
2004年01月22日
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1000000アクセスを超えてしまったらカウンターは横に1文字分長くなるのかな?って想像していたら“O”に戻るだけでした。それで新たな気分で日記を書いて行こうと思いました。最近の私はですね。Minamiちゃん家族三昧です(笑)「毎日毎日来ちゃってごめんね~」って笑顔で言うMinamiちゃんに「いいわよ、もうこうなったら毎日来てもいいよ」状態な私。やっぱりホテル住まいは大変ですね。バケーションで来るのと引越しで来るのとは気分も違うというものでしょう。今夜も仕事から帰って、Minamiちゃん家族とすごしていた私。家の息子が急性中耳炎になったの。もう、午後10時をまわっていた。旦那に伝えると、「ボク?それとも君が病院に連れて行くの?」との返事。そりゃそうよね。Minamiちゃんの旦那様とお庭で話し込んでる真っ最中だから立ち上がりたくなかったと思う。「あなたに決まってるでしょ!」とMinamiちゃんの旦那様の前できつい口調で言っちゃった!ここ最近Minamiちゃんの旦那様がいる事をいいことに家事は手伝わないわ、態度はでかいわの旦那に少しイライラきていたからね。旦那はすっくと立ち上がって子どもをさっさと病院まで連れて行きました。ホテルに戻ったMinamiちゃんに後から用があって電話したらMinamiちゃんが、「今日、家の旦那がね、市場ちゃんが旦那様に病院に行ってと頼んだ時、驚いた事があったって言うのよ」それを聞いて“やっぱり!!”って思いました。きっとMinamiちゃんの旦那様はずっと優しいと思っていたハワイ市場さんは実は恐妻もいいところだったと驚いたにちがいない。「どうして驚いたかわかってる~~!」と叫んだ私。でも驚いた理由は違ってた。私の事ではなくて、家の旦那が迅速に子どもを病院に連れて行った行為に感激をしたと言うのだ。“ボクもアレくらい良い父にならなきゃ!”と言っていたそうです。だけど、、旦那は多分私の口調が怖かったから敏速な行動を起こしたのかもしれないな。敏速な行動のおかげで子どもは痛みも治まり今夜はゆっくりと眠れることでしょう。子どもの頃、経験したことがあるけど、あの中耳炎の耳の痛みって本当に辛いんですよね。
2004年01月21日
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アメリカ本土に初めて引っ越した頃、一番嫌だった、そして決して慣れなかったアメリカの習慣は、外も家の中も同じ様に靴を履いて生活をするアメリカ人達。外で犬のフンや汚い物をを踏んできたかもしれない靴のままで家に入ってきて生活するって日本人の私には慣れなくて嫌な事だったの。でも、どのアメリカの家も土足というわけではなく、例えば家の旦那の実家の様に家の中では靴を脱ぐ習慣の家庭もありました。だからか、家の旦那は結婚前から家に来ると自然に靴を脱いで、おまけに靴下までも脱いで入ってくれた。そこも私が彼を気に入った理由の一つだったのかもしれない。アメリカ本土の時、来客が来ると決まると私は旦那に毎回、頼む事があった。“靴で家に入ってきたら絶対に脱いでって言ってね”だけど、旦那はそんなこといつも忘れていた。その頃の私は他人に注意出来るタイプじゃなかったので、旦那をベットルームに何気に呼び出して、靴を脱いでくれるように頼んで欲しいとお願いした。大抵のお客様は私と旦那が靴を履いてないと脱いでくれる人ばかりだったけど、いつも絶対に脱がない人がいた。旦那のお父さん。旦那に言われて脱がなきゃならないってわかっていてもいったん外に出ると次は必ず靴を履いて中に入ってきた。旦那の実母はいつも私に旦那の実父は無神経だから離婚したって嘆いていたけど、確かにそこで納得した。そして、もう一人いた。何度頼んでも靴で履いて家に入ってくる人が。旦那のお父さんのお母さん、すなわち祖母。まぁ、彼女は年寄りだから仕方ないとしても、頻繁に家に遊びに来ていた旦那の実父にはいい加減頭にきて、ある日思い切って言った。「すみません、家の中では必ず靴を脱いでください。これは日本の習慣であってこの家の習慣なんです」顔が真っ赤になるほどお願いするのは緊張したけど言ってみれば今まで心の中でもやもやしていたものがすっきりした。アメリカ本土時代、他にも悩まされた人々はいた。旦那の友人達。家の中で靴を脱ぐようにはなったけど、裸足で家の外に出て汚いガラージの中を歩き回りそのまま入ってくる。彼らの足の裏を見ると超汚い。真っ黒!靴よりも粘着質な皮膚に泥がついて家のカーペットやトイレの床がすぐに真っ黒になった。“外に裸足で出て、家に入ってくるときは足を洗ってね。”本当はそう言いたかったけど、勇気がなかった私は彼らが帰った後、黙ってカーペットと床掃除をした。というか、旦那に掃除を手伝わせて文句を言いながら心を落ち着けたものだ。 それからハワイに引っ越して私の悩みはほぼ消えた。ハワイはアジアのカルチャーが強く入っているせいか、日本と同じ様に土足厳禁の家ばかり。ケーブルのおじさんも、修理のおじさんも、来客達も、頼まなくてもみんな靴を脱いで家に入ってきてくれる。特にハワイの赤土は一度ついたら洗っても落ちないと言われてるの。だからとっても嬉しい。だけど、アメリカ人ってほんとに裸足が好きな人って多い。家の旦那も昔はそうだった。いったん家に帰ると庭に出たりガレージに出たりが裸足だから結局靴を履いて上がってくるのと同じ様に家のカーペットが真っ黒になってくる。今は厳しくしつけたから子どもも旦那も家の外に出る時はビーチサンダルを履いて出ています。そして昨日の日記の続きにもどります。楽天のパインちゃんの義弟さんの話しです。昨日は家に子ども達を含めて総勢16人くらい来たかな?気がつくとお隣の人とかご近所の人まで来ていて夜12時を過ぎるまでのパーティとなり楽しい一日でした。家のお庭でバーベキューと持ち寄りで沢山のお料理もあって賑やかに楽しみました。外では子ども達も靴を履かないで出ると“靴を履きなさい”ってママに叱られちゃったりしてたんだけど、パイン君の弟さんが裸足で庭に出ていたんだよね。(笑)それで、弟さんに言ったの。弟さんの靴がそこになかったから「ここに旦那のサンダルがあるから履いてもいいよ」って。弟さんはアメリカ本土から遊びに来てるから土足生活は日常の習慣。どうして私に旦那のスリッパを履けって言われたのか理解が出来なかったと思う。それで、「あっ、いいです」って断られてしまったの。 (笑)だけど遠慮してるのかと思って、「いいの、履いて」って私は頼んだ。それでも履かないから、とうとう言ったの。「外に出るときは靴を履いてね。ごめんね、日本のカルチャーだから」そしたら弟さん、私の言ってる意味がやっとわかったようで、「あっ、ごめんね。ボクの靴を取ってくる」って!!!あ~あ、私も強くなってしまったわ。旦那に気分を害しなかったかな?って後から聞いたら「大丈夫だよアメリカ人だからそう言って貰わないとわからないからね」だけど、ハワイ市場さんに叱られたパイン君の弟さん、どうしてこんな薄汚れた家の旦那のスリッパを履けって私に頼まれたのか不可解だっただろうな~これもアメリカと日本のカルチャーの違いってやつですね(笑)質問:左のコンテンツが全部消えてしまいました。故意に消したわけではなくて、楽天の不具合みたいです。現在連絡を取っています。
2004年01月19日
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今日は歯茎の手術をしてきました。話しを聞くだけで怖いと思うけど今日はその話。前にレントゲンを撮った時に前歯の歯根に黒い影が写ったの。もちろん、痛くも痒くもなかったしずっと健康だと思い込んでいた歯。だけど影があったのよ。黒い米粒程度の影が!それを取り除かなければこの歯はいずれ痛くなって悪くなると言われた。その治療法を先生から聞いて身の毛がよだちました。“歯茎を前からめくって根の一部を切除します。”もう、聞いただけで血の毛が引きました。あまりの怖さに手術の日を伸ばしに伸ばし、とうとうその日が今日でした。先生は歯根治療の専門医。「とても怖いんです」と正直に伝えました。「大丈夫、痛くないから30分位で終わりますよ。」確かに痛くなかったし30分位で終わった。だけど、麻酔が切れてくると結構な不快感。熱を持って腫れてるって感じ。縫われた糸が舌にあたるし。傷跡はもちろん怖くて見ていません。お昼休みに歯医者に行ったのでお昼からなんにも食べていない。食べれないと思うと余計に空腹を感じるのよね。夜8時ごろになってお腹が鳴った。お腹なんて鳴ったのは子どもの頃以来。昨日作ったカレーがどうしても食べたくて恐る恐る食べることにした。ご飯を柔らかめに炊いてお皿に持ったカレーを上手にのどの奥まで入れて頑張って食べたの。カレーってこんなに美味しかったの!?って思うほどすごく美味しかった。カレーを食べ終わって満足しながら何気にドクターからもらった手術後の注意書きを手に取った。“辛いものを食べないように”ガ~~ン!もっと早く読めばよかった。既に遅しで歯茎はヒリヒリと更に腫れてきたような気もする。左側の奥歯に引っかかったお肉の切れ端をとろうと指を口の中にいれたら、ほっぺのお肉が歯茎の皮に連結して引っ張られた。“痛い!!”やっぱりおかゆにしとけば良かったわぁ...だけど日本の歯医者で痛くもない歯の根に影が写ったからと治療するお医者さんは少なかったと思う。アメリカの人は年に一回は全部の歯のレントゲンを撮って歯のチェックをする人がほとんど。その料金だけは保険会社が全額払ってくれるのよね。その他は負担金が大きいのに。だからこうして早く見つける事が出来るのかな。でも保険会社としたら保険を使ってもらわない方がいいに決まってるから。予防は全額出して当然なのかもね。今日の歯医者でのお支払いは800ドル。500ドルは保険会社が払ってくれて私の支払い分は300ドルだった。それでも高いわ~~~今週土曜日に抜糸だけど又、それも怖いわ~~~高いわ、怖いわ、で、歯は本当に大切にしなきゃと今日も実感でした。PS 私書箱にメールをありがとうございました。実はお返事を返していない人が一杯います。すみません!!これから日記は出来るだけ更新しますのでお許しを。。。
2004年01月15日
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今日、仕事帰りに久しぶりにジムに行った時、フト決断しました。日記はもっと頑張って書く。たった一行でもいい。その日に起こった楽しかったこととか感じたこと、出来るだけ書こうと思う。日記を書いてないのにクリックしてくれる人がこんなに沢山いて、何か書かなきゃという気持ちも大きいかもしれない。運動も毎日10分でもいいから続けよう。まとめてやろうなんて考えるのはやめよう。ジムに行く時間がなくても家の周囲をお散歩するだけでもいいではないか。何でも頑張りすぎないで長く続ける事を大切にしようと感じた日でした。今日は仕事先からの帰り際、思わずエキサイティングしてしまった話題があった。鼻息をプンプンと荒立てて15分も演説をしてしまったその話題の焦点は、“自然分娩で苦しんで子どもを生まないと虐待する母親が増えるのか?”“帝王切開で生まれた子どもは虐待される確立が高いのか?”なぜこのような話題になったかと言うとアルバイトのAちゃんの妹さんが子宮筋腫を持って危険な出産をしたの。結局自然分娩が無理だから30時間苦しんだ後に帝王切開となった。どうしてもっと早く切らなかったの?という家族の疑問に対しての医者の言葉を聞いて私は驚いた。“虐待する母親が多いから自然分娩をするようにしてるからです”はぁ~?って思いました。理由が“自然分娩が母体に一番安全だからです”と説明するなら私にもわかる。虐待と帝王切開につながりはないと私は思う。子どもは育てる過程で愛情がわいてくるものだと私は思っている。痛い思いをして生んだから可愛がるってもんではないと思う。では痛い思いをしていない父親はどうなのだろう?両親が子どもを想う気持ちは全く同じではないかと思う。前にユニセフの統計についてのニュースを読んだけど虐待死の子どもの数の多さは日本は世界でもかなり高い位置にあると聞いた。(詳しい順番は忘れました。)そのお医者さんは学会で学んだ何かの統計に基づいて言っていたのかもしれない。でも私はそうは思わない。自然分娩で生んでも、帝王切開で生んでも、無痛分娩で生んでも、育てている過程で親の愛情はすくすくと育ってくるのではないか?少なくとも私はそうだ。そういえば、前に私の私書箱に意地悪なメールが来た事を思い出す。“帝王切開で子どもを生んであなたは女として失格ね”って感じの内容でしたが。腹が立つどころか、なんて不幸な人なんだろうって思った。ホントッ、意地悪よねぇ~(笑)だけど、こんな考えの女性が実際に日本には沢山いるのだろうか?アメリカでは日本よりもずっと自然分娩にこだわる人は少ないと聞いた。私の場合を話します。難産だった。でも自然分娩を希望した私に24時間も頑張らせてくれた。そして、赤ちゃんが危なくなって切った。「このまま無理に出すと赤ちゃんに異常が起こる可能性があります」無痛分娩だったので冷静に自分の頭で考える事も出来た。運ばれた病室には3人ものドクターが待っていた。「下着のラインで切ってあげます。跡は消えていきますから安心して」自分のお産にはすごく満足した。私が自然分娩で生みたいという気持ちを優先してくれ、そして的確に説明をくれた。一番怖かった痛みもなかった。私の一番心配していた傷跡の事もきちんと説明してくれた。ほんとにあれから4年、あの傷跡はどこへ行ったのだろう?と思うほど小さくなって見えない。実際日本の新生児の死亡率はアメリカよりも低い。国民保険制度も大きく関係してるはずだと思う。アメリカにもそれがあればこんなに暮らしやすい国はないと思うのに...以上はあくまでも私の考えです。それぞれの考え方があると思いますが、“自分のお腹を痛めた子は可愛い”この言葉はまだ生きているのでしょうか?医学が進歩した今、この言葉にはもう深い意味はないのではないのでしょうか。“自分が育てた子は可愛い”私にはこの言葉が一番適当で心地良いと思います。*参考にしたサイトhttp://www.cdc.gov/nchs/
2004年01月14日
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沢山の私書箱のメッセージと掲示板のメッセージをどうもありがとうございました。普段、ロム専門の方や昔にメールのやりとりをした事のある方からもメッセージを頂くと、“あぁ、まだ見ていてくれたのね”と嬉しい気持ちにもなっています。家の旦那の近状報告ですが、、、腕が自由に動かないにも関わらず、指先を上手に使って仕事から帰るとコンピューター・ゲームにいそんでおります。それも何時間も!だから最近は可哀想というよりも、、、“ゲーム出来る位なら庭の草でも抜きなさいよね!”なんて文句を言えるいつもの元気な私に戻りました。でも、旦那はちょっと変。普段と態度がかなり違うの。いつもより優しくて怖い位、素直。例えば、先週末の話。旦那が私を置いて友人達と私の大のお気に入りのレストランへ食事に行った。「どうして私を誘ってくれなかったの!」と文句を言うと、いつものように「今電話しようと思ったんだ」と面倒臭そうな言い訳。「どうして行く前に電話してくれなかったの?」と更に突っ込むと「今から来ればすむ事だろ、それでいいだろ」とムカつく感じの返答。友人の前で強気の発言をしたい気持ちはわかるけど、「ごめんね」の一言も出ないのかと呆れながら一人寂しく家で過すことにした。彼らが家に戻ってきたらどうせ、旦那も“プンプン”してるだろうから私も“プンプン”していようと構えていたの。そして、旦那が外出先から戻ってきて目もあわせないでコンピューターをしていたら、後ろから囁くような甘い声で「ごめんね」知らん顔していたら私が笑顔を見せるまで「ごめんね」と言いながら頬をすりすり。こんな素直に謝る旦那は新婚以来はじめて見た。大抵私が怒ってると彼も私の怒りが収まるまでは「ごめん」の一言だけ残して知らん振り。ご機嫌取りなどは決してしない人だからちょっと気持ち悪い。でも私に感謝の気持ちを少しは感じてるのかも。近頃は私も彼に随分と優しくしてあげていたから。と、言っても毎晩きちんとお夕飯を作ってあげただけだけど。でも、これは私には結構大変な仕事なのです。私は家に帰るのが早くて午後6時過ぎ。それからお料理を作ると午後7時過ぎ。食べて片付けると午後9時になる。それも座るのは食べてる間だけでゆっくりする暇もない。それからお庭の水巻きとかメールをチェックしたりするとすぐに午後11時なの。楽天の更新すら、ままならないスケジュール。それをここ最近ずっと続けていた。昨日は食料の買出しがあったから家に帰るのが8時過ぎになってしまった。帰るとゲームをしててまだ何も食べていないと言う。いい加減甘えるんじゃないわよとばかりに知らん顔をしていたら、それを察知したかのように目玉焼きを作り、子どもをお風呂に入れていた。“な~んだ、やれば出来るんじゃない”と、思った私って鬼のような妻なのかも...必要以上に優しくしすぎるのは男を駄目にしてしまうという教訓を持つ私だけど、、、やっぱり病気の時位は出来るだけ優しくしてあげようと思う。甘えない程度にね(笑)
2004年01月09日
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明けましておめでとうございます。ハワイ年明けの最初の日記です。ハワイは31日、1日、2日と三日間も雨が降り続きましたが、3日は曇り4日、本日の日曜日は晴天になりました。観光客の方は高いお正月料金のハワイなのに雨の日が多くて残念でした。私も長かった2週間の連休も終わり、月曜日からは通常の仕事が始まります。新しい一年が始まるんですよね。頑張ろう。久しぶりに旦那ネタです。家の旦那は占いによると3年間の大殺界を終えて今年から運気好調になる予定。だけど、昨年12月最後の週末に事故をしてしまいました。占いが当たってしまった。旦那と一緒にいた友人の電話で急いで病院まで車を飛ばした私。命に別状はない程度の怪我と聞いたから安心はしていたけど、、、色々な事が一度に頭を駆け巡った。“もしも旦那が働けない体になったら?”家のローンは私の収入だけで払うのは無理だから売ってローンのない小さな家に買い換えなきゃいけないかも。昼、夜、2ジョブで私が大黒柱になるかもしれない。旦那には家で出来る仕事を探してあげなきゃ。それとも日本にとりあえず帰って実家の仕事を継ぐか...でも、それだけは嫌だ!そうこう考えている間に病院に着いた。病院では元気に立って歩いていた旦那。だけど、、、かなり悪い状態らしい。全くもとの状態に戻る可能性は低いし、手術も必要になる様子。とりあえず、仕事復活には問題はない程度。でも、つくづくと実感しました。やっぱり人間って体が健康でいられる事が一番大切なんですね。どんなにキャリアを積んでも働けない体になったら何もならない。あんなに大好きな趣味のモトクロスにも旦那はもう行けないかもしれない。とっても気の毒だ。唯一、旦那が毎週楽しみにしている趣味なのに...オートバイを売って私が欲しかった薄くて大きなテレビを買おうかと昨日笑いながら言っていたけど、それを聞いても全く喜べなかった。今まで旦那がモトクロスに夢中になりすぎる事でお金もかかるし週末は出かけるし、それが原因で喧嘩も沢山した。内心そんな趣味やめればいいと思った事もあったけど。実際こうなると気分は全く逆だった。なんとかして、またオートバイに乗れるようになったらいいなと強く願う自分がいる。スポーツ万能でアクティブな旦那の姿が消えたら寂しすぎる。それに週末、がっくりしてる姿も見たくない。彼はよぼよぼのオジイサンになるまで多分、ずっと海に潜ったり、オートバイで高くジャンプしたり、スカイダイビングで空から飛び降りたり、し続けるタイプの屋外スポーツ大好き男。それが出来なくなったらこれからの彼の人生、ストレスがたまって不健康になりそうだ。今朝、いつものように旦那の友達がモトクロスに出かける為に家に置いてある道具を取りに来た。旦那が子どもを連れて見に行きたいと言って友人と一緒に出かけていきました。自分は乗れないのに可哀想~~~!!笑顔で見送ったけど涙出そうでした。それに、旦那は今の仕事を更にステップアップさせる為に来年の春から4ヶ月間、アメリカ本土の学校に行く予定でした。私はその間ハワイで子どもと暮らす予定だったんだけど...体が元に戻らなかったら行けないかもしれないの。可哀想~~!!長く行かれるのはすごく寂しいし、不安もあるけど絶対に行かせたい。だって、周囲の人はどんどん昇格して行くのに自分だけ取り残されたら可哀想すぎる。家の旦那は不満とか、愚痴を絶対に言わない性格。仕事の愚痴すら聞いたこともない。本当は自分も一杯心配とか不安とかあるのだろうけど、一切顔にも出さないし、自分自身も忘れようとしてるのがすごくわかる。夜中にインターネットで自分の体の事を調べたり、ドクターに手紙を書いたりしてるのを見ると、とても心が痛む...不安を私に見せないようにしてるから尚更...大げさだけど、なんだか今回、よくわかりました。もしもの話しだけど、例え旦那が半身不随になったとしても私は旦那を一生守っていける位の精神の強さが身についていると思う。これって、自分でも信じられない事なのです。日本に住んでいた頃。私は普通のOLをしていて日本人の彼がいて、週末はデートして仕事は結婚までの腰掛だと思っていた時もあった。子どもの頃からいつも思ってた。“女に生まれて本当に良かった”って。だって家族の経済的責任を負って定年まで働き続ける男には生まれたくなかった。細くてか弱くて、守ってあげたいタイプだっていつも付き合う彼から言われた女だった私が、、、いつもの間にこんなにも強くなったのかしら~~~!!まだ10年も前の事じゃないのに、嬉しいような、悲しいような複雑な気分。人間、必要性が出れば強くなれるんですね。古い映画だけど「ターミネーター2」のお母さん役のサラだってそうだった。彼女は普通のお母さんだったのに、いつの間にか腕に筋肉つけてマシンガンを持って戦える女になってた。私もあの状態に置かれたらやっぱりそうするだろうと思う。人間って生きるため、愛する人のために、強くなれるものなんですね。旦那がよくなる事を願っています。
2004年01月04日
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ハワイは大晦日午後3時になりました。外は雲がどんよりとして昨日から雨が降ったりやんだり。だけど少しだけ日本の冬を思い出せてこんなお天気も嬉しい気分です。今年は昨年と比べてどんな成長が自分にあったんだろうと昨年末の日記を読み返してみました。仕事と私生活...なんだか落ち込んだり、不安が一杯で色々悩みがあったような気がする。なんだか暗闇の中を突き進んでいたような感じ。家に閉じこもって山程買ってきた読むと肩こりになるデザイン関係の本と格闘してノイローゼ気味だったし。旦那とはイライラから喧嘩ばかりだったし。良いことなかったなぁ...だけど私はいつも周囲の人だけには恵まれていました。勉強の機会を与えてくれながら仕事を続けさせてくれた職場と旦那。私の実力以上に期待と信用を持ってくれたクライアントもいた。そして今年2003年があった。今までの恩返しをするように、ただ懸命に進んできた2003年はあっという間に過ぎたけど充実していたような気がする。結果としては仕事は昨年のマイナスがやっと少しづつ埋められてきたという感じ。結婚生活は...旦那ともこの一年、大きな喧嘩は数回にとどまったし、夫婦の絆も安定してきたような感じがする。念願の家も買えたし、お互いこの結婚にどっしりと座って将来も見えてきた。そして新しい女友達も増えた。子育て真っ最中のママもいるし、シングルマザーもいる。お料理や仕事、彼女達から学んだ事は沢山ある。海外で頑張る素敵な日本人女性たちばかりでした。2004年、明日からの私はきっとこれから自分が本当に何をしていきたいのかがわかってくる年になるんじゃないかと思う。そして、再来年2005年はそれを形にしたい。だから2004年はとっても大切な年になる。自分の利益よりも他人の利益を伸ばしてあげたい。周囲の人が幸せになるように行動したい。それがきっと再来年の自分の成功につながるような気がします。な~んて、うまくいくかな?だけど、どちらにせよ私にはお金はたまりそうにない。多分歯医者に恐ろしい支払いが来年はあると思う。150万?は固そう...(泣)だけど、昨年2002年の肩こりの苦学のおかげで現在の仕事があり、お蔭様で支払いが出来そうだ。これも不幸中の幸いと思うしかない。アメリカに来て特に思うことだけど人間、努力すれば出来ない事ってないのかもしれませんね。英語もだけど、今の仕事も、日本にいる頃の自分を想像すると到底出来そうにない畑違いのことばかり。でもやっぱり、すべては勉強ですね。机に座って本を開いて勉強すれば人間は脳みそが吸収してくれる。出来ることなら今から歯医者にでもなって、無料で歯科治療をしたいところだわ。6年は大学に行かないと無理な事だしお金もないけど、やろうと思ったら出来ないことないのかもね~普通の主婦が思い立って弁護士になったって話もよくあることだし普通の主婦でもやる気になればなんでも出来るような気がする。それがアメリカのすごさなのかも。日本はもう年があけていますが、ハワイはもう少し時間があります。2003年、私の日記を読みに来てくださりどうもありがとうございました。新しい年も、何かを学びながら少しづつ向上する事を忘れないで幸せな人生を送れる様に頑張っていきたいです。特に海外で生活する日本人達。私は応援したい。新しいカルチャーの中で試行錯誤して自分と家族の幸せを作っていく事は人知れずの苦労もあると思います。そして海外で勉強する学生達はこれからの日本を背負うとても大切な存在だと思います。もっと日本からアメリカの大学への留学生が増えるといいと願っています。国際的な感覚を持つ日本人の若者が増えて欲しいと思うから。来年もいい年にしていきたいですね。どうぞヨロシクネ!・・・・・・沢山私のサイトをリンクしてくれてどうもありがとう。今日見たら240件でした。私の方はリンクが50件位しか出来ないので一年位前から滞っています。一度私からのお気に入り日記リンクを全部外そうと思います。そして掲示板によくいらっしゃる方を順番に入れていこうと思いますのでご理解をお願いします。国際結婚リンクは楽天の規制で更新できなくなりました。新しくテーブル抜きの簡素なページを今後は作りますね。
2004年01月01日
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