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仲江太陽さん
とも@うつ病治療中さん
そわかさん358さんFree Space
あさみなみ大学は定員300人で抽選だったが、結局約450人すべて当選させていた。
これであれば経歴を書くのではなかったと後悔した。
前日に準備とリハーサルがあるので会場に来て欲しいと区役所から連絡がったので、私は前職でイベントの準備をしていた経験からステージの組み立てを手伝うつもりであった。
しかし、スタッフは準備の光景を見るだけで良く、2人のスタッフにスタッフとして入って欲しいと懇願された。
私は主任経験者ではあるが、指定管理者制度の導入によって一番給料の低い若手が主任になっただけだと回答した。
1人の女性スタッフはかなりがっかりされたようで去って行ったが、もう1人のスタッフは諦めなかったようで話が長時間続いた。
終盤になって、その方はカルビーの総務課で人事を担当していたと教えてくれた。
私の人物像を確認するための面接であったと思う。私は農業をしているので、山奥に農地があるのでいっしょに作業をしましょうとのことだった。
あさみなみ大学のスタッフは15人のようだ。
立ち上げに5年かかり、22期目とスタッフから教えてもらった。各区で市民による大学があるか調べたが安佐南区だけだった。
安佐南区役所の担当者には、安佐南区は区民に恵まれて安佐南区は発展するのではないですかと褒めた。
長期に渡り区民によるボランティアスタッフが大学を運営しているこの奇跡に驚いた。
きっと原田学長を支えようと良心的な安佐南区民が協力しているのだと感じた。
下河内運動広場の臨時職員であった元湯来町の町長の人徳の高さと同じように、この原田学長も同じように人徳の高さからスタッフとしてファンが集まっていると感じている。
私は原田学長が原爆資料館元館長と知ったことで、受講生挨拶を考えていた内容をさらに追加した。
受講生挨拶では涙を流しながら、母方の祖父がしていた座談会を復活してくれたという感謝の思いも述べた。
講義が終わってアンケート用紙の記載があったので、私の思いを用紙に記載したが、周囲を見渡すと受講生は私だけになっていた。
隣で記念撮影が始まり担当者がカメラを映していたので、変わって私がカメラを撮ることにし、担当者にはスタッフの中に入ってもらった。
ここでもスタッフは和気あいあいと喜びを持って大学を運営しているのだと感じ驚いた。
その後担当課からスタッフが受講生あいさつを聞いてスタッフとして入って欲しいと、また原田学長はエピソードを詳しく聞きたいと言われていると連絡があった。
私はスタッフ入りするかどうか検討すると回答をした。
原田学長が聞きたいエピソードは添付資料も見て頂きたい。
今思うと、私は名誉欲がないので今まで経歴を記載したことはなかった。
経歴を記載したことで、母方の祖父の功績を生まれて初めて知ることになる。
これも神の霊導だと思っている。
祖母に原爆の話を教えて欲しいと頼んだことがあるが、祖母は当時の悲惨な深い悲しみから1分沈黙が続き3分泣き続けて言葉にならなかった。
それを見て私は祖母に原爆の話を2度と聞いてはいけないと思っていたからである。
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