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とんど行事も終わり、冬ごもり時期ですが暖冬で雪が降りません。残しておいた供え餅を取り出してきました。固くなったお餅は「押し切り」で刻みます。この農用工具は牛馬時代の稲藁、雑草、牧草等・・・の手動裁断機です。稲わら、雑草、牧草を3/4cmに裁断し台所残飯等を混ぜて牛馬に与えていました。高校時代は夕方の餌当番は私がやっていました。一見して恐そうですが、手動ですので勘をつかめばケガをすることはまずありません。家畜農業時代が終わって機械化農業となってからは不要となったのですが、春秋の畑作業の整理にはこれを持ち出して不要野菜を寸断して彼方此方に撒いて有機肥料づくりにも人役役立てています。お餅が固くなっているので包丁では刃こぼれするのでこれを使用するのが最適です。<6個の供え餅><小正月行事について>WEBより今年の農作業が、順調でありますように。豊作の秋を、迎えることができますように。そんな祈りを込めて、「餅花」を飾りました。元々は、ヤナギなどの枝に、紅白の餅(団子)を小さく切って刺したものでした。が・・・時代の流れとともに、黄色や緑色などに着色した餅が飾られるようになります。小正月行事は旧正月と混同されてわが地方では「田正月」とも言ったりするようになりました。柳に米粉団子を付けて田圃の一角に取り付け「五穀豊穣」をお祈りしたものですが、これも機械化農業時代になってからは自然と廃れてしまったようです。<WEB>より借用 田正月 父もこのようなことを行っていました山陰ではお雑煮は「小豆雑煮」と相場が決まっています。今回もこれでいただきました
2019/01/19
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本日、正月千秋楽行事の「とんど」祭りです。数年に1回しかないような無風快晴! しめ縄、お飾りを各戸は本日に持参して積んで当番さんの「お発ちです」と宣告し厳かに着火されます。勢いよく火炎は立ち昇ります拝礼、お神酒をいただき「家内安全、今年も元気で過ごせますように」と40分程度で鎮火すると、歳徳神さんと2基の「幟」は次年度の当番家で1年間 お預かりのこととなります。ーーーーーーーーーー好天に恵まれたので家族揃って国宝、松江城見学へ<解説>国宝までの経過 一部パンフ借用松江城天守閣は戦前の昭和10年までは国宝に指定されていましたが、昭和25年の文化財保護法の制定によって国宝指定の基準が変わり、重要文化財に格下げされたのです。その理由は、歴史的事実(新築年)がはっきりしないことでした。(※なにさ、今になって・・・そっ そんな殺生な・・)昭和11年まではその証拠が在ったということですが昭和25年頃は戦後の大改修中で紛失したらしいのです(※きっと保管場所を忘れたのでしょうね)近年築城400年祭が行われた際にその証拠を探し出そうと懸賞金もつけて市民は立ち上がったのです。・平成24(2012)年5月に天守閣隣の松江神社で2枚の祈祷札から「慶長十六」や「正月吉祥日」などの文字が確認されたのですこれが「祈祷札」の一枚目で右柱に同等の「祈祷札」が付けてあります。その後の調査で、この祈祷札が地階の2本の通し柱(写真)に打ち付けられていたことが判明し、築城が慶長16(1611)年であることが確定したので晴れてここで再度の国宝指定(認定)となりました。下部写真※この「祈祷札」はレプリカです(2度と紛失したら一大事!ですからね)ーーーーーーーーーーー講釈はこれくらいにして、松江城へとご案内します<堀に映る>美しい城壁と櫓<絶好の撮影地>小泉八雲(ハーン)が絶賛し「まるでドラゴンだ!」と<松江城天守閣>お馴染みの風景です 冬半ばで芝生の色には春は感じません<忍者・・・>今日は成人の日 忍者のボランティア<望楼から>最上段の5階は、壁のない360度の展望が広がる望楼です<東方面>周囲の山々には雪はなく大山だけは雪山でした。暖冬ですね<お付き合い>ありがとうございました。天守閣見学は中学生以来です。当時の雰囲気と変わりませんがこれが却って往時の姿と思えば納得できます。城郭内の資料、展示物、文化財は近くの「松江歴史館」で公開されています。
2019/01/13
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新年早々、大学病院の定期診断に出かけてきました3,4年前の体調不良で肝心かなめの肝臓、腎臓を病んだので退院以降いまだに定期的に精密診断を受けています。退院時の検査周期は1月、3月、そして半年.......やがて1年となってきました。色々な検査項目があって全部集中して行うのは厄介な事、適当に細分してもらっていますが、現在での最少周期は血液検査が3ケ月毎となっています。新年早々、8日は胃カメラ、9日は腹部超音波を終えたところです。ーーーーーーーーーーーーーーやれやれまたか・・・と思いがちですが、却ってこれが健康管理継続でよいのかもしれません。これが無かったなら、行政が毎年実施している成人病検診だって同等な事ですが自分の場合は前歴があるのでより精密検診なのです。※行政によっては「腹部超音波」はCUTされていると思います。ーーーーーーーーーーー一たび大煩いして全快してもその傷痕は残っているらしいですね。ただのケガの外傷ならその程具合は素人判断ができますが、内蔵であった場合はそうはいきません。そんな訳でその局部を徹底的に診てもらっていることとなります。ーーーーーーーーーーーまた新年早々、嫌な予感がしないでもなかったのですが「前回と同様現状維持」ということでOKとなりひとまず安心です。ところが、「全身にわたって病気を徹底的に探し出す」という極端な検査ではもう検査を通り越して探索ということですから保険制度を利用するにしても助成がなく自己負担となりますが、またそんな方もいらっしゃらないのかもしれません。小生の注意点は・減塩料理・毎日定期的に体を使うこと(ウオーキング)・間食を控える・感染症に注意(特に風邪をひかぬこと)・美食飽食の戒めということみたいですところが最近のTVは、ワハハ雑談、料理番組だらけ! ーーーーーーーーーーーーーーお休みが連続し年明けで病院も大勢の人出でした。今回の私は時間帯の予約だったもので2日間とも待ち時間はありませんでしたーーーーーーーーーーーーー3学期も始まり児童の冬道を急ぐ光景もみかけるようになりました。寒い、寒いと言いながらポケットに両手を突っ込んで通った毎日・・・・今年はまだ平野には雪という大雪は降ってきません。地区の方と会うたびに「なんと、雪が降らないでいいですなあ」これがこの頃の出会いの挨拶になっています。「しかし、暖冬なら田圃の害虫が死なないから・・・」と冗談がとびます。「とんでもない、いくら寒くても虫は死ぬもんか。既に晩秋から耕耘している農家もいるけどこの布団のなかでヌクヌクと越冬しますよ ワハハハっ」と<初詣みやげ話>3日の「美保神社初詣」帰りに地元付近の水田に白鳥が遊んでいました。地元付近と言っても田舎の地元ですので平地ではありません。
2019/01/10
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お正月も 5日となりました。当地では「ゴカンチ」と言って家内で神さん事(神事)を行っていましたが、言葉だけ残っていて普段と変わりません。地区では「お陽待ち」と称して小さな祠に参拝し同じ境内のお籠り堂に集合して冬至が過ぎて陽光が北半球にやってくる「一陽来復」なので農作物の豊作と「家内安全」の神事を行ってきたのですが、平成年間になって廃止しその形式のみが残っています。ーーーーーーーーーー日記を大急ぎで・・・・ 元旦は地元氏神さんへ初詣・・・・閑散としていました。25に降った雪は融けません・・・・<八社巡り>宣伝タオルです近郊に「赤猪岩神社」、「楽楽神社・・・ササフク」が在るので出かけてみました。干支にあやかって「赤猪岩神社」は大人気! といっても田舎ですからさほどではありません。※この神社は大国主命が兄弟のいじめにあって(近くの天万山からイノシシだと言って赤熱した岩を投げおろして絶命させたのですがヤサカ姫の手厚い看病で蘇生した・・との伝承が古事記に載っているそうです)平成初期に山陰漁場の「松葉ガニ」にキチンーキトサンが手術の縫糸になったり、傷口の回復に絶妙の効用があるという「鳥大医学部」発見で有名になってからはどんどんと参拝客が来るようになりました。境内では焼けた大岩が祭ってあり想像を豊かにさせてくれます。<WEB>より拝借です楽楽福神社は暗くなったので撮れませんでしたが壮大で鬱蒼とした景観に歴史の重みを感じました。ーーーーーーー3日の初春のような陽天に誘われて隣県、美保関神社参拝(40km西方)となりました。出雲大社となると100km程度にもなるので・・・(出雲大社)は年齢の節目、節目で詣でることにしています。<美保関港>※島根半島の殆どの港は北、北西に面していますがこの美保関港は南が湾になっていて絶好の風待ちの港でした。元弘の役で隠岐配布となった後醍醐天皇はここで10日も風待ちであった昔の美保関の冬場は風待ちの船で大賑わいだったでしょうね。賭け事、賭博も盛んだったとか(笑)<美保神社><参拝>整然と4列縦隊で日本人はお行儀がいいですね<参拝終えて><青畳石通り>通路石に雨が降ると青色に染まる不思議な景観が醸し出される通路で大正、昭和の歌人、文人等が訪れて歌詞、短歌、色紙保管されています。<仏国寺>前述の後醍醐天皇逗留寺<美保関灯台遠望><過去には忌まわしい海難事件が・・・・>※昭和2年8月、この沖北東40kmで海軍史上空前の大事故が起きた。深夜の練習中「蕨」に巡洋艦「神通」、駆逐艦「葦」に巡洋艦「那珂」が激突して百余名の水兵が水没した。境港「台場公園」に忠霊塔が在るのはこの事件です。<灯台>明治37年11月 点灯大急ぎで周遊してきました。帰路は米子空港(鬼太郎)に寄って一休みしたのですが紙面上割愛です。 お付き合いありがとうございました。
2019/01/05
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明けましておめでとうございます。 まとめて <年末>をまとめてUPとしました。ーーーーーーーーーーーーーーー25日に里雪が降ってきました。しめ縄作成の最中です。しめ縄は当家では自宅綯いを継続しています。しめ縄は父の役目でした。子供の頃は素直でしたので傍に座って見よう見真似でやっていましたが、いつしか親父の専門となっていたので、亡くなってから遅まきながら小生の順番が回ってきました。しめ縄は地方色があり流行が無いのが嬉しいですね「なんでも出来ばつで、ガンジョすりゃあ、それが一番だ」というのが祖母の口癖でした。※どんなものでも精魂込めて自分が栽培、作成したものが最高で神様がお喜びだ。ーーーーーーーーーーーー藁は埃がするし周囲が散らかるので「ハウス内」で行なって自宅に持ち帰り元旦2,3日前にお飾りを付けて飾ります。しめ縄の諸物は自宅に在るのですが裏白は近くの山まで採りに出かけます。<シデ(紙垂)>つくりは・・・・・孫にも手伝ってもらいました。折り紙のようなので簡単に思っていたのですが4年前に型板を作成してその上をなぞれば簡単に作成できるようにして重宝しています田舎の家には昔からたくさんの神様がいらっしゃいます。氏神さん、エビスさん、大黒さん、庚申(こうしんさん)、サイの神さん、・・・・と昔はそれぞれにしめ縄を編んだのですが、昭和30年代の「新生活運動」で我が家も一連の縄〆でそれを代用することで今日に至っています。<お飾り付けた>〆縄綯い・・・1日 お飾り付け取り付け・・・・1日そして30日は「お餅つき」40代の後半まで屋外で杵餅をペッタン、ペッタンと付いたのですが、もうそんな体力はありません、片付けも大変ですので今流に変更しています。「大晦日」この夕べから越年のお礼「神様、ご先祖様のおかげさま」という心を込めて拝礼となります。神棚・・・・横幅:1間 関西間で1.96mとなります。)(1間=6尺5寸)遅まきながら、年末の我が家の年の瀬の一端を紹介しました。 次回は、初詣のUPとなります
2019/01/03
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