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いつもの書き出しは天候の事ばかり。「三蜜警報」のなか、皆さんはお盆をどのように過ごされたのでしょうか?当家は初盆の親戚が2家、お墓参り・・・こういったときには近隣の親戚は超便利ですね。昔はそれが殆んどだったのが婚姻が広域になって今では国内、国外、、、と。先祖さんもこれにはびっくりでしょうかね。<雨降ってこい>こんな降雨を待っていたのに、、写真は7/29<落雷回避>配線を抜いておく アンテナ線山間部はどしゃ降りだったそうですが平野部の当地はすり抜けていきました。約1ケ月間はまったく降りません前7月は陽光の指す日はめったになく。夏野菜も高騰かと<不作>スイカの味は糖度不足! 味はイマイチ。早めに片付け 新型コロナウイルス。いつまで続くかこの伝染病!<めだか>暇なのでメダカを買ってきました<北アメリカ大陸?>盂蘭盆会のお墓参りの帰りに<送り火>当地は至って簡単、麻木を燃し「仏さん、ご先祖さんこの炎を見てお帰りなさい」※台風の本州接近は免れそうですね。小笠原高気圧(太平洋高気圧)がグーンと九州/本州に張り出しているために台風も近付けないらしい<ヒマワリ>あちこちで ヒマワリ油を獲るでもなく、既に黒い台地に変わっています。 行政のジゲ起こし対策と思われます。開花中は大勢の見学者がお見えでした。正面は 大山1,710m JR伯備線が一直線になる絶好のロケーションなのですが.......
2020/08/25
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日が昇って8時にもなってくると野良仕事は終了で、夕方まで屋内でドップリと冷房に浸かって? 転寝しながらPCに向かっています。殆どのお宅が盂蘭盆会でしょうね。町に出ないのでシャバの様子は解りません(笑)ーーーーーーーーーーーーーーーーーさて、昨日の続きです(未読の方は前ページからお入り下さい)昭和初期に発生した旧海軍戦艦の多重衝突事故で沈没した駆逐艦「蕨」の船体後部らしき物体がソナー探知で見つかったところまででした。<報じる地方紙>日本海新聞 令和2/8/8※新聞記事は見出しの「拾い読み」だけでいいですよ。<沈没した駆逐艦「蕨」>大和ミュージアム提供<ソナー探査>真上から見た物体を(上)と(横)から<発見場所>美保関灯台沖 北東33.4km ※<※注釈>場所を「美保関灯台」と記しています(大山沖と云わないで)・この港は島根半島の東端に位置し、港そのものが南向きで冬の日本海の荒波の影響のない風待ちの天然の良港であった。・当時の情報、マスメディアが美保関町(美保関新聞)であったこと、美保関港は中世より船舶航路の停泊港で栄え人口も多く活気に溢れた港町であったと思われる。・(承久、元弘の昔)後鳥羽上皇、後醍醐天皇もこの港から「隠岐流布」となった。等々が考えられます。<今後の計画>今後は自己調査スタッフとで水中ドローンで協力するという。見つかった物体を特定する他に数万枚の画像を撮影しコンピュータ処理して3Dモデルを作成し発表するという。※とかく山陰と言えば史実の少ない地域だが、例外には後醍醐天皇の政権奪取の「船上山の戦い」ぐらいなものだがこの海難事故は海軍の極秘扱いのため全国的には知らされていないらしい この調査の成果が発表されれば改めて脚光を浴びることになるのかもしれないですね。しかし歴史のロマンに興味を抱くことは楽しいですが、海難事故の悲劇ですから、、、、ね。119名の御霊に合掌するぐらいなものかもしれません。<後述>著者:五十嵐 遭(すぐる)氏 角川書店.H17年 再刊沈没殉職した「蕨」艦長 五十嵐少佐に当時三才の遺児(邁)がいた。五十年後、その遺児が、執念の追跡調査を縦糸に、家庭内でのさまざまの思い出を縦糸に、織物を織るようにして書き上げたのがこのノンフィクション「美保関のかなたへ」である。単行本283頁・再刊以来、慰霊祭にご出席の氏の淡々とした講演は心打たれるものがあった。 2008年4月6日、死去。享年83 合掌
2020/08/15
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そちらで毎日暑いと思ったら、彼方では「どしゃ降り」と安定しない気候。すでに季節は盂蘭盆会で明日からお休みの人も、、、猛暑で鳥取砂丘は60℃、さぞかし「マバラ」と思いきやマスクしての観光客にびっくり!!ーーーーーーーーーーコロナ、広島、長崎原爆特集TV・・・歳月はアッという間ですね。さて、今回は「地方史」について記したいと思います。時は昭和2年、今から93年も昔の話です。所は山陰の日本海「美保関の遥かに沈む某重大海難事故」として当時報じられ後世まで「海の八甲田惨事」と恐れられた海軍事件が起こりました。※美保関事件とは昭和2年8/24日 自国の連合艦隊63隻が台風接近中の美保関沖の日本海で無灯火の夜間練習に発生した衝突事故。巡洋艦「神通」が駆逐艦「蕨(わらび)」と衝突し、後続の軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦(あし)」も衝突した。蕨は船体が真っ二つに裂けて瞬く間に沈没!、葦は艦尾が切断大破、この2船の乗員110人が犠牲となった。この無理な訓練の背景には、ワシントン海軍軍縮会議で、日本の主力艦艇の数が抑えられたため、小型艦による夜間奇襲戦で挽回を図ろうとしていた。---以上 日本海新聞よりーーーー※この事件についての詳細は小生の楽天ブログで記していますので参考にしてください。 2008/1月/27日ーーーーーーーあれから93年・・・・(生まれていません)慰霊の会と建設コンサルタントで200m海底を5月後半に調査開始、海底にビームを発射を発射して障害物を探るマルチビームで©号指した結果、水深約100mに長細い楕円形な物体を探知したという。その海の場所は美保関灯台(松江市美保関町)北東33.4度の海底。※旧鳥取県赤碕町 北方約22kmと推定します 私の計算です)ちょうど、区切りがいいので今夜はこれにて・・・・
2020/08/12
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今日は3日、相変わらず新型コロナウイルスの話題です。真夏の太陽が帰ってきたが、何処にも出かけられずうちに籠っていて7月のデジカメの整理中、2仕事(カメラ、ブログ)をしているので今回は簡単なUPです。ーーーーーーーー<水溜め>エコツールと期待したが・・・?雨樋の一部を切って水槽(50L)に雨水を溜めて周りの鉢、プランターに「水やり」を行ったはいいが、梅雨明けとなって雨が降らない・・・・これではあてにならぬと放置していたら直ぐボウフラが湧きました。大至急でメダカを放流したら、競って泰治してくれました。ーーーーーーーーー<河川増水?>地元の日野川です。総延長60kmの急流で日本海へと下ります。九州、球磨川大氾濫時なのですが当地では無傷でした。左の中州は浸かっていませんね。降水量150mm程度です。余裕充分! 右に見えるのは「大山」H,1710mこの一級河川は急流なので此の程度では問題ありません。ーーーーーーーーーーーー<余談です>日本は山国です。太古の地球での造山活動が終わると降雨が続いて侵食が進みたくさんの河川が出来ました。文明開化頃のお話です。大勢の著名な外国人技師がわが国にやってきました。日本の急流河川を見て「日本の川はまるで滝だ!」といって驚いたという話があります。<重要設備は無傷> 対岸は「国土交通省 中国地方整備局 日野川河川事務所」※7年前 私はこの日野川の「環境改善?監視モニター」を仰せつかっていたので市民の方より少し詳しく説明できます。ここは前写真より3km下流、6km下って日本海に注ぐ地点です。ーーーーーーーーーーーー三蜜なので、時々は暇つぶしに人出のない郡部方面にドライブに出かけます。<20㎞上流のダム>朝鍋ダム:治山治水、農業用水 工事期間:平成1~H17年 貯水量:1,308千トン※若い頃にはダムの計画中に共有林の売却の件で何度かこの付近の調査に同伴したことがあり懐かしいです。(と言っても小生のお気に入りのドライブルートで時々この道は通ります)<自宅で>ハイビスカス よく水を好みますね・・・・肥料を利かやって観察していますが、さすが葉、花とも見ごたえがあります。<ブーゲンビリア><マクロで>屋外でのマスクはキツイですね。臨機応変でまいりましょう※毎年この頃行われる「皆生トライアスロン大会」は今年は40回記念だったのですが、中止となっています。
2020/08/03
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