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ここ数日は、駱駝の背に乗せた鞍と言うか、そのデザインを描いている。想像で描くのは難しいから、パソコンでペルシャ絨毯を出し、男性的なモノと、女性的なモノを選んで印刷し、それを参考に描いている。 これは1月30日の状態だが、王子の方の鞍は何となく終えたが、お姫様の方の鞍は、一寸描き始めた所です。まあこの後、メインの人物と言うか、2人の服装と顔になるのだが、小さいので、難しい様な気がする。 全体です。 鞍の所の写真で1月30日です。 2月1日の段階です。
2018.01.31
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私は趣味で、月刊で無料の一人新聞を発行している。このブログはその原稿を貯める所で、毎日書いて、貯めて行き、月末にその中で、面白そうなニュースを5~8つ選択して、新聞を作るのです。要は、捨てる原稿が多い程、良い新聞が出来るとプロの新聞記者に聞いたモノだから、毎日ブログに書くと30程溜まるので、その原稿の3割位を採用して、7割位を捨てる様にして、新聞を編集しているのです。そして、紙に印刷して郵送しているのは約140名、パソコンで送っているのは290名位です。所が25年も続けると、読者も段々と歳を取り、目が悪く成って行くようで、紙で読む読者から、字を大きくして欲しいとの希望も聞こえました。今までの紙の新聞は、10.5の字で書いていたが、今月から12の字に変えたのです。私はパソコン音痴で、そんな変更が出来ないから、この正月に高1の孫が我が家に来ていたから、12の字に成る様に、新聞の原型フォーマットを変えて貰ったのでした。その原型を出して、28日に編集に入ったのですが、驚いた事に、写真が入らないのです。幾ら遣っても出来ず、香川県の孫に電話し、家に居るのを確認してから、香川県まで行ったのです。午後の3時に我が家を出発し、高速道路を走って2時間30分も掛け、三女の家に着いたのだが、孫が幾らパソコンを見ても、写真を入れるのが出来ない。其処で三女の亭主も、パソコンを見たが、それでも難しく、アメリカから帰っている長女の亭主もタマタマ遣って来たのだが、彼もパソコンに取り付いたが、簡単には出来なかった。そして夜遅くなって、やっと出来たが、その時は私が既に酔っぱらっており、どうにも成らなかったのです。そして一晩寝て、次の29日の朝、孫に遣り方を聞いて、我が家に帰って来たのです。私のパソコン音痴は困ったモノですね、毎日パソコンに向かっているのに、新しい画面に入る事は全く出来ないのです。そして、今まで遣った事ある画面でも、遣り方をドンドン忘れて行くので、ホント困っております。 下の方が今までの10.5の字の新聞で、上が12の字の今月号です。 紙の大きさはA3で裏表印刷です。この字の大きさ変更で、字数が3割程少なくなりましたが、お年寄りには読み易いでしょうね。
2018.01.30
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香川県に住んでいる三女の家へ行ったのだが、その時変な事を見せて呉れた。つまり体が柔軟だそうで、それは良いのが、中一の女の子をうつむけに寝かせて、腕を上げたら、グルッと頭の方まで、曲がったのだ。 これは大変柔軟だ。普通は肩の骨が折れてしまうだろうね。こんな子も居るのだね。 この様に、腕を持ち上げた。そして、此処まで行ってしまった。驚いた。
2018.01.29
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26日の新聞を開けると、1面に「不妊手術被害」と大きく掲載されていた。見出しだけ見て、意味が分からず、読まなかった。 そして次々とページを開けて見て行くと、21面にも、同じ様に「不妊手術の記録次々」と出て居たので、もう一度1面を見ると、旧優生保護法と見えたから、やっと意味が分かった。 ハッキリ言って、中身は読んで居ない。読む気がしないのだ。その理由だが、1 先ずどうして昔の常識だった事を、今の常識で裁くのか。2 子は親に似るモノで、この優生保護法の根幹は間違いが無いと感じている。3 人間は皆平等と言う考えからの批判だろうが、人間、誰も平等では無い。それぞれに大きな格差がある。4 マスコミは理想を言い過ぎる。少々先の実現が可能らしきモノなら良いが、究極の理想を言っても、始まらない。 以上の理由が考えられる。 先ず1だが、常識は時代と共に少々変化して行く。その良い例が、韓国が突き上げる慰安婦だ。だけど当時の売春は普通の商売だったのだ。それを今の常識で裁こうとしている所に違和感がある。その点をマスコミの誰も言わない。この知的障害のある女性に避妊手術をした事を槍玉に挙げているのだが、病気の内容に寄っては、つまり遺伝性の知的障碍なら、今でも正しいと感じております。また、知的障碍者が生まれても、良いのだろうか?本人の為にも、肉親の方々の為にも、社会の為にも、避妊手術をした方が良い場合もあると感じて成らないのです。だけど、遺伝性で無い知的障害だと、強制避妊は大きな問題はあるだろう。この様に常識は時代と共にドンドン変化して行くものです。それを今の常識で昔を裁くのは、愚行だと感じてならない。次に2と3だが、背の高い親には背の高い子が生まれる可能性は高い。足の速い両親からは足の速い子が良く生まれる。顔も大体親に似た子が生まれる。それを、認めないと言うも変でなかろうか。多分、その遺伝性は認めているのだろうが、人権を叫んでいるのだろう。人権とは人としての権利であるが、権利とは義務が伴うもので、その義務を全く言わない。義務を十分に発揮できない障碍者でも、人権を平等に認めると言う意見なのだろう。それはそれで理想であり、良いのかも知れないが、多くの人が義務を果たさず、権利だけ主張したら、良い社会では無いと感じるが。平等とは何を言うのだろうか。権利を言うなら、義務を果たす事も言って欲しい。つまり義務を果たす人に、権利も与えるのが正しいのではなかろうか。義務も真面に果たせなくても、権利だけは、平等と言うのが、今のマスコミの意見らしいが、理想だが、その点がどうも、納得出来ない。4のマスコミだが、報道する自由と報道しない自由はあるのだろうが、或る問題を必要以上に報道すると、しつこいと感じる人も多いものだ。この旧優生保護法の元での避妊手術問題はそう感じてならない。そう言えば、年末に気の狂った娘を長期監禁して、餓死させたニュースがあったが、このニュース等を何度も、何度も大きく繰り返し報道する必要があるのだろうか。その両親の気持ちも感じ取らなくては成らない。好き好んで娘を監禁し、餓死させたのでは無いのだ。私は今でも、この両親の気持ちが理解できる。自分の子が、精神病になり、暴力を振るう様になると、監禁したくなるものだ。そんな親の気持ちを考えると、通り一遍の報道は良いとして、何度も詳しく報道するのはどうかと思う。それと同じで、この優生保護法を槍玉に上げたいのだろうが、どうもマスコミの意図と、私は合わないのです。 これが1面です。 21面です。こんな事を此処まで大きく報道するのは、少々行き過ぎていると感じるが。
2018.01.28
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17日にインド旅行から帰国し、早速絵画に取り掛かった。私は飽きっぽい性格なので、大抵は1時間位しか描かない。先ずはインドの空港待合室で写した駱駝の顔写真を元に、駱駝の顔をかなり訂正した。やはり、無から描くのは私の様な素人には大変難しく、この顔写真は王子が乗っている駱駝の顔の参考にした。 そして、お姫様の方の駱駝だが、今度は自分の想像で、訂正をして行ったが、やはり旨く行かない。見るべき参考が無いと難しいのだ。また、その内に、この駱駝の頭も段々と変えて行こう。それから、夜空を想定した額に、月の砂漠の楽譜を書き入れた。楽譜を入れるべきか、入れない方が良いか、迷ったが、この額は結構な面積が有るし、矢張り楽譜を入れて見た。此処まで描いて、落ち着いて見ると、矢張り月の黒い部分が黒過ぎる様に見えたから、黄色を水で薄めて、上から塗り、これも少々黄色く訂正したが、まだ濃い部分が少々黒いようだ。月に1回ある絵画クラブの写生会が2月は18日だから、それまでに、全体の色付けを終えて、持参して、先生に批評を貰い、絵画仲間達からも、それと無い一言のサジェッションを貰えるので、それらを参考に、またまた色を重ねて行く予定です。県展提出は9月末までだから、まだまだ十分に時間はある。必ず入選させようと言う意気込みはあるが、絵の上手な人ばかりが、提出するのだから、結構難しいのです。 王子と女王をどう描くか、また鞍の刺繍をどう描くかで、大きく変化するだろうと思う。
2018.01.27
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25日の新聞に、「タクシーの相乗り実験開始」と掲載された。要は同じ方向に行く数名の客がタクシーに相乗りして、料金を安くする方法なのだが、その実験を始めたと言うニュースだった。このニュースを読んだら、皆様はどう感じるだろうか。良い事だと思うだけだろうか? 私は、余りの規制の厳しさに、驚いている。そんな実験を今頃する事自体が変なのです。そんなの10年か20年前に終わっていて、既に相乗りが実施されていないと、諸外国に負けてしまうのです。外国では、既にウーバーと言うタクシーがドンドン動いている。つまり今までのタクシー会社は大半が倒産し、一般の車が、一寸用事が無い空いた時間に、突然タクシーに成れるのです。既に数百万台が、暇な時にタクシーとして動いているのだ。御客はスマホで、ウーバーに登録した近くに居る一般の車を呼び出します。そのニュースをキャッチした近くを走っている数台の車が、「OK」と返事を出します。御客はその返事を数台から貰い、どの車にするか決め、連絡すると、その車が突然タクシーと成って、御客の前まで来て、御客を運んでいるのです。そんな知らない一般の人が運転している車に、乗るのは「どうも嫌だ」と、思う人も大勢居るが、そんな人は今までのタクシーを利用すれば良いのです。ウーバーに登録した一般の運転手は、それまでのトラブルの回数が、スマホに出る様になっており、誰もが、トラブルの無いように運転するから、お客はそのデーターを見て、運転手を選べるのです。客とのトラブルがあると、それがデーターに出て、御客が自分を選んで呉れないから、優良運転手しか、ウーバーでも残れないのです。私の双子の孫は、アメリカで働いているが、自分のアパートに帰るのは、このウーバーで帰るそうで、料金は大変安いそうです。日本では規制が厳しく、滋賀県の交通機関の無い過疎の田舎で、それに似た実験を昨年から遣っている状態です。 もう世界中のタクシーがそうなりつつあるのに、これでは日本は遅れてしまいます。そんな時代に入っているのに、今回の相乗り実験など、お笑いだと思いませんか。恐らく、諸外国では、タクシー会社は大半が倒産し、一般の車が、タクシーとして、御客を運ぶ様に成る筈です。これは全ての事に現れており、例は幾らでもある。日本は何事も、慎重と言うか、一番遅いのです。こんな事を繰り返していると、多くの産業で負けてしまうのではと、心配なのです。イノベーションはドンドン遣り、問題点があぶり出されたら、改善して行けば良いのです。既成事実を頑なに守り、業界を守ろうとしているのが諸々の規制です。
2018.01.26
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どんな事件でも、一連の事件の全ての結審は終わらないと、死刑の執行をしないそうである。そして、やっとオウム事件の全ての結審が出た。こうなると、一刻も早く、死刑を実行して欲しい。あんな気が狂った奴らを我々の血税で、生かして置くのは変で、早く処刑をして欲しいと、恐らく90%の国民がそう感じているのではなかろうか。まあ、日本は民主主義の国ですから、仏様の様な優しい人も居る筈で、少数意見としては、処刑はしないで、本人の自然死を待つ方が良いと思う人も居るだろう。そして何故かマスコミはその方を強く報道するきらいがある。坂本弁護士一家殺害から始まったが、そして長野県のサリン事件では警察とマスコミが大きくミスをし、また最大事件である地下鉄サリンの凶行と言い、前代未聞の犯罪を繰り返した。民主主義を守る意味でも、死刑判決が出た13名は絶対に死刑を執行し、後世の為に法(のり)を示して欲しいものだ。被害者数は前代未聞の数なのだ。
2018.01.25
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小説はフィクションだから、40歳を過ぎる頃から、歳と共に私は興味も失せてしまって、殆ど読まなくなった。 逆にフィクションで無い雑誌は色々と選択して購読している。その中の一つに「カレント」と言う小雑誌がある。その中で或る人が毎月、水問題を書いている。私はこれに興味があり、毎月雑誌が来たら、一番に読んでいる。だけど読み終えると全ての雑誌を直ぐに捨てているから、内容は詳しくは覚えていないが、その水問題を思い出しながら、パソコンでデーターを調べながら考察して見ました。太陽と地球の距離は1億5千万キロ、もし地球が太陽に少し近ければ、水は蒸発してしまい、遠ければ、凍結してしまう。地球の水は、液体、個体,気体と循環し、雨が降っても、2週間程で上昇し、また雨になり、その恵で我々は地球に生まれた。そして地球の水は14億キロトンあるが、97.5%が海水で、淡水は2.5%しか無い。その2.5%の中でも、1.7%は氷山で固定されており、使える水は0.8%しか無い。この水を70億人が分かち合う必要がある。 日本は人口減少の時代に入ったが、地球全体では、ドンドン人口が増え続けている。そして、私が子供の頃は地球の人口は35億人だが、2025年には80億人に成るそうだ。だから各地で水不足の時代に入った。中国では660都市中550都市で、既に水不足が発生し、アメリカでも50州中36州が近い将来、水不足に入る予想だ。水が豊富な日本では、誰も深刻には感じないが、20世紀は石油戦争の時代だったが、21世紀は水戦争の時代に入る可能性が高い。一方でバーチャルウオーターと言う考えもある。バーチャルウオーターとは仮想水と言う事で、例えばトウモロコシを1キロ生産するには1800ℓの水が必要であり、それを食べて生産される牛肉1キロは2万ℓの水を使ったのと同じなのです。つまり食糧を輸入する国はこのバーチャルウオーターで使用水を計算すると、水の輸入大国になるのです。 そして日本は食糧自給率が38%しか無いから、バーチャルウオーターで計算すると640億トンの水を輸入している計算になり、国内の全使用水量が580億トンだから、水の豊富な日本が、それ以上の水を輸入している事に成る。所が、車一台の生産に35万ℓの水を使っているそうで、輸出すれば、それを差し引きするべきだろう。だけどそれでも、日本の水の国際収支は大きな赤字なのだそうだ。人体だって殆ど水で構成されており、どっちにしても水は貴重な資源であるのは間違いない。この水は個人のモノだろうか、公共のモノだろうか? 空気は公共のモノと誰もが思うし、雨も川の水も、日本では公共と言うか国家と言うか皆のモノと思っており、使った後、最終は海に流れ込んでいる。所がドナウ川とかナイル川とかメコン川とか、大きな川は数か国を延々と流れて行く。大陸の川は国際河川が多く、争いの元に成っている。アラル海に流れ込む2つの川も共産主義のソ連時代に、ドンドンダムを作って、砂漠を緑化し、世界中の羨望の的だった。所が、数年前に私が行った時、あの広い北海道と同じ広さのアラル海は水が無くなり、砂漠と成って、船が砂漠で腐っていた。上流で水を使うからアラル海に流れ込まず、干上がって、砂漠に成ったのだ。昔の地図ではアラル海は大きな丸い湖で、大勢の漁民も生活していたが、最近の地図では、細長い川の様な小さな湖と成り果てていた。それも僅か数十年の間の動きなのだ。此処までは、データーであるが、此処から下は私の考えです。だけど、水も自然のままだと、人類共通のモノかも知れないが、それを一端囲うと、それは個人のモノになるようで、ボトルに入れると商品となる。また水道事業をすると、市民に水を売れる。果たしてそれが正しいのか、間違いなのかは分からないが、今はそうなっている。所で、西欧諸国では、巨大な水道企業が君臨しており、自国だけでなく、後進国の水道も牛耳っている。スエズとかの大手3社は巨大企業である。日本の様に、地方自治体が水道事業を独占するのが良いのか、西欧の様に私企業に任せるのが、コストが安いのかと言う問題である。水の安全性とコストの両面からの考察となるが、結論から言うと、小さな地方自治で、公務員が運営するのは、税金をつぎ込んでいるだけで、分からないが、凄いコストが掛かっていると推測される。誰も水道の民営化を言わないが、県で1つとか、数県で1つの私企業に纏めて、水道事業を遣った方が、コスト面では、間違いなく安く成るだろう。公務では、金利計算とか設備の償却をしない。しかも人件費も仕事の割には高額だ。だから誰もが水道料金は安いと感じているいかも知れないが、それは税金がつぎ込まれているからなのです。つまり、水道局を独立させ、株式会社に組織替えすると、水道料金がどうなるかは分からないが、間違いなく、税のつぎ込みは無くなる。しかも逆にその水道会社が利益を出せば、税を徴収できる。安全面ではどうなるか、欧米で遣っているのだから、まあ、公務員が遣るのと似たり寄ったりではなかろうか。実はそうしないと、日本も海外の巨大水会社が狙っているのです。そして、もしかしたら東京の水道局などは、関東を1つの私企業にすると、3500万人に水を供給する巨大な世界屈指の企業に成るのではなかろうか。
2018.01.24
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私は別にトランプを擁護する気も無いが、トランプ大統領の就任1周年記念には、大勢の反対派がデモを遣ったそうである。 ただ、トランプ賛成の動きも大きい筈なのに、日本のマスコミは或る方向のニュースばかりを大きく掲載するのが気になるぐらいだ。それはそれで、さもアリナンと思うのだが、実はこんなアメリカのニュースを見る度に思うのは中国である。国土面積や人口から想定し、後20年もすると、恐らく中国はアメリカを、経済や軍事で追い越すだろう。各国の発展とその展開は第三国としては仕方ない事ではあるが、これだけ自由を締め付ける中国が、世界の覇権国家と成った場合、我々自由主義の国家は、どうなるのだろうか?実はそれが大きな心配なのだ。アメリカでは、トップの大統領でも、このように反対のデモを遣れる自由がある。それを先進各国では認めるのが当然と言う常識であり、日本もそうなっている。方や中国では、政府に反する事は一切認めない。インターネットでも、大変厳しい。要は政府の悪口と言うか反対発言や行動を徹底的に取り締まる。それが正しいと政府は嘯いている。反対派を押さえる事で、一致団結して、国家を伸長させている。そんな国家が世界のトップとなり、世界を引っ張るリーダー国と成ると、世の中はどう変化して行くか、想定しただけでも、ゾッとする。皆様は何とも思いませんか?既に共産党独裁が70年も続いている。歴史を見れば、何時かは崩壊するのだろうが、どうも当分はそうならないようだ。経済が伸びるなら国民も、少々の自由剥奪を納得している面もある。何時までつづくのだろうか?
2018.01.23
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昨年の11月2日のブログで、我が家の渋柿を収穫し、皮を剥いて、干したと、お知らせしました。その柿を今回取り入れました。そのまま軒下に吊るしたままでは、カビが生えるからです。軒下に吊るした柿を取り込んで、取りあえず廊下に置いて行った。そして、ビニールの青い紐を取り除き、乾いた干し柿だけを、レジ袋に入れ、冷蔵庫に収納した。冷蔵庫の中だから、これから段々と食べて行けば良いのだ。今までは長女の双子の孫が干し柿を好きだったから、送っていたが、二人共、アメリカで就職してしまって、干し柿を送る所も無くなり、自分で食べる様になりました。 干すと小さく成るものですね。
2018.01.22
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一昨日、女房のペットであるカコがシラサギに突かれて、殺された。女房は嘆き悲しみ、トバッチリが私にも来た。「お父さんがインドなんかに行くから、迎えに行った時に遣られたのだから、お父さんの責任だ。」とまで言われた。 まあ、言われて見ればその通りだが、どうも変だ。カコを外に出さなければ、良かったのだが、それを言わない。まあ、どっちにしても不必要な小屋を始末しなければ成らない。多分これからの人生は、新しく何かを作るより、今までに作ったモノを壊して整理する人生になるのだろう。女房が「カコの小屋の網は、ステンレスの網だから、錆びないから、保管して置いて!」と言った。其処で、電動ドライバーでビスを外して行き、屋根のトタンと金網を取った。一部は再使用が可能かもと思っていた材木部分は殆ど腐っていた。鴨は水鳥だから床と床に近い部分は略完全に腐っていた。乾燥させて、焼いて処分する以外に使い道は無い。 住民が居なく成った小屋です。横は鶏の小屋です。後はログハウスの囲炉裏小屋です。 野鳥が来ない様に、写真で分かるだろうが、空には網を張っていたが、まあ横は空いているので、シラサギが来たのだろう。 解体途中です。 解体を終えた。
2018.01.21
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1月18日、インドから帰った次の日、部屋でパソコンを開いていると、女房が遣って来て、何かチラシを見せる。そして言った。「お父さん、こんな所が宇佐(近所の街)にあるよ。お父さんは株や投資信託や外貨にと、色々考えて、投資しているけど、危険だし、これは凄い金利だけど、、、」と言う。そのチラシを見ると、年金利8~10と印刷されて居た。見た瞬間、私は「これはミスだよ」と言った。そんな高金利は今の日本にあり得る筈が無いからだ。そして、ジックリとチラシを見た。そしたら金利の前に。小さな字で、融資と書いてあった。「何だ。これは貸付の金利だよ」と言うと、女房は納得したようで「そう!? 我が家は借りる事は無いからね」と納得して出て行った。酷いチラシもあるものだ。何でこんなチラシを配布するのだろうか? だから後で、女房に聞いた。あれは新聞のチラシかと言うと、誰かが配って来たと言う。まあ、サラ金業者の様に、かなりの高金利で貸し付けたいのだろうが、そんな高金利でも困ったら借りる人が居るのだろう。所で、次の19日の新聞を見てまた驚いた。つまり銀行が貸し出ししているサラ金と同じカードローンのニュースだった。昔の20%前後の高金利が、裁判所で違法となり、その金利返金のアオリで、サラ金会社が倒産か、大手金融機関の傘下に吸収され、後ろに引いたのだが、今の低金利で儲からない時に、銀行の儲け頭と成って居るカードローンだ。中を読むと、理解出来ない馬鹿な人が矢張り大勢居るようだ。事業を始めるとか、何かの事故の始末とかで仕方無く借りるのなら、理解するが、殆どがそうでなく、生活が50%で、レジャーや趣味で、20%の人が借りていると書いていた。生活や遊びで借りたら、変だと感じないのだろうか?後で困るのが目に見える。自分の生活を落とすべきなのだ。収入に合った支出が基本なのだ。それが出来ない輩が結構居るようで、今の金融機関を儲けさせているようだ。自慢じゃないが、私は25年前に会社を退職し、この過疎地に入植した時、想像も出来ない位の支出で生活したものである。しかもそれをスポーツ感覚で、楽しんだ。心の持ち様で、貧しさ何て、簡単に克服出来るものだ。そんな生活も、年金を貰える様になったから、今は年3回位の海外旅行を楽しんで居る。だけど、何処の国に行っても、旅行社に払うお金以外に、1万円以上は使った事が無い。 1万円は100%旅行中の飲み物代で、お土産など1円たりとも買った事無い。今度のインド旅行も、ビールやワインで丁度1万円使った。 残った現地通貨は、少額だし、現地案内人にチップとして渡している。 19日の新聞だが、見出しは別の問題で書いているが、中に借りた理由が書かれている。
2018.01.20
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インド旅行の途中、コチン市の飛行場で、飛行機を待って居る時、広い待合室の上の方の周囲の壁に、大きな色々な宣伝ポスターがあった。その中の1枚に駱駝の写真があった。 これは良いと思って、早速カメラで写した。私の様な絵画の素人には、想像で絵を描くのは非常に難しく、今描いている「月の砂漠」の駱駝で、困って居たのだ。 駱駝の全体像は御宿の銅像を元に描いているが、銅像なので、顔がハッキリしないのです。この写真があれば駱駝の顔が描き易くなる。何か問題が発生し、それが頭に入っていると、この様に色々な機会に逢うものだろう。まあ人生でも同じで、色々な問題に突き当たって行くが、その時に色々なサジェッションがアッチコッチに有っても、気づくか、気づかないかは、本人の問題意識なのだ。今回の駱駝はそうだった。そして写真を撮ってから、今回のツアーの中で、一緒だった人で、絵画が趣味の人が居たから、この駱駝の話をした。そしたらまた別な解答を貰った。「絵を描くのに、その物ズバリを描く必要は無いのではなかろうか。漫画でも何でも良いから、自分で考えて、描いた方が良いのでは」と言ったのだ。まあ、それも明解答の一つなのだろう。 駱駝の頭って、こんなに大きいのだ。
2018.01.19
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インド旅行から帰ったその日(17日)、疲れていたから、早いが夕方、お風呂に入った。湯船に浸かって疲れを取って居たら、女房が大声で叫びながら、風呂のドアを開けた。驚いたのは、カコを抱えていたのだ。しかも死んでいた。可愛そうに何かの野生動物に殺されたのだろう、少々血が流れている。寒そうなので、お風呂の湯を何度も何度も掛けて、綺麗に洗った。濡れたカコをバスタオルで巻いて、女房は出て行った。そしてまた湯の中で、ユックリしていた。カコは女房のペットであり、婆ちゃんと女房の会話が、風呂の中に浸かっていても聞こえるのだが、悲しんでいるのが良くわかる。その内に「生きている。目が動いている」と大声で騒ぎ始めた。女房が私を迎えに、車で飛行場まで来た時に、シラサギが家の前に遣って来て、外に放しているカコと喧嘩と成ったそうで、婆ちゃんが、家の廊下から、手を叩いたたら、シラサギが逃げて飛んで行ったそうだ。つまり、我々が家に着いた時、直ぐに、シラサギとの喧嘩を知っていたら、つまり発見が1時間程早かったら、もしかしらた助けられた可能性が有ったのだ。怪我をして倒れていたのだ。 急いで風呂から出て、女房がドライヤーでカコを乾かしているのを手伝ったが、その内に動いていた目が、全く動かなくなった。残念、とうとう死んでしまった。 このカコはもう17歳位にもなり、目も数年前から白内障で、殆ど見えない様で、白くなっていた。女房が自分の体温や電熱機で、卵を温めて、孵化させた鴨である。三女の長男(今は高1の16歳)が三女のお腹の中に居た時、小さな雛であったカコを連れて、汽車に乗って、三女の家へ行った事がある。汽車の中の客席で餌を遣っていると、近くの乗客達が集まって来て、会話が弾んだそうだ。ホント死んでしまって残念だが、まあ鴨としては長生きだったのだろう。
2018.01.18
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船ホテルから降りて、またバスでアラビア湾に沿って北上した。そしてコチ(又はコチンともいう)まで3時間程走った。此処は、バスコダガマが1500年頃に,アフリカ回りでインドに着いた場所らしく、その教会があった。要は大航海時代の有名な記録場所なのだ。そう言えばコロンブスも1492年にアメリカを発見し、インドと思ったそうだからね。 バスコダガマを祭った教会です。 面白いのは、コチンの湊に、中国式の4本棒の魚採り方法の網が無数にあった。しかもそれが巨大だった。インドの人が中国で見て、この漁法を始めたそうだ。 横で見て居ると、何度も何度も網を持ち上げ、魚を採り、即其処で販売していた。ボラの子が多かった。 こんなに大きい網なのです。持ち上げるのに、6~7人がロープを引いて持ち上げていました。 そしてインドは職業に寄るカースト制度が残っている国で、洗濯のカーストしか洗濯が出来ない場所を見た。案内人に質問したが、私の質問の意図が理解出来なったようで、私の質問は、誰かが大きな会社を設立し、カーストは関係なく、希望者を雇えるかと言う意味だったが、その回答は得られなかった。会社なら、帳面の仕事も、生産の仕事も、掃除の仕事も、販売の仕事も、色々あるので、その点の質問だったのだが。 カーストとは、その階層の職を守っているのか、または発展の阻害なのか、良くは分からない。 夜は、パントマイムの劇を見た。要はセリフ無しの劇なのです。始めは1時間も掛けて、顔のお化粧を見せ、その後で、劇をするのです。1時間もお化粧を見るのは、飽きると思ったが、顔が段々と変わって行くのは、結構面白いものだった。そうそう、この劇団は全て男性です。女性役も当然男性で、歌舞伎の様なものでした。 この様にお化粧を見せる。そして劇が始まった。 クライマックスで刺し殺す所です。 次の朝は、飛行機でデリーまで行ったのですが、3時間30分も掛かりました。インドは大きな国なのですね。インド旅行の総括今回の南インドだが、実は少々問題も在った。ツアー旅行の楽しみの1つには、参加者達との付き合いと言うか、話し合いが大きいのだが、変な人が混じっていたのだ。合計で8名しか居ない小さなグループだったので、添乗員の経費も出ない位のツアーだと思う。つまり、一人でも減ったら、このツアーは中止となるギリギリの人数だろうと想定するが、その中のお年寄り夫婦だが、お爺さんの方が、我儘だったのだ。しかも高齢で体力が無く、旨く歩けない。だから観光で歩く場合が多いのに、我々はその夫婦が追いついて来るのを待つ時間ばかりとなる。その上耳が遠く、我々の話を聞き取れないのは仕方無いが、自分は小さな声でしか喋らない。しかも東北のズーズー弁で、意味不明が多く、非常に困ったのです。話し掛けられたら返事をしないと失礼なのに、意味が分からず、聞き返すばかりで、返事が出来ないのだった。まあ、それは身体的な問題であり、私が指摘するのは悪いのだが、問題は自慢話かしないのだった。如何に自分が上流の良い家柄出身かを自慢するのだが、それも同じ事ばかり言う。まあ反面教師として、自分はそうならない様に注意すべきと思うが、その夫婦は毎月海外旅行に行って居るそうで、2月はラオスに行くと言っていた。同じツアーの人は迷惑だろうと推測する。ただ不思議なのは、奥さんも小さな声で困ったのだが、夫婦での会話が成り立っていた。つまり、小さな声でも奥さんの声は聞こえるようなのだ。私は声が大きいのに。聞き取れないお爺さんなのに、どうして奥さんの声なら、小さくても聞こえるのだろうか。耳も訓練に寄って、機能維持が可能なのだろうか?つまり歳を取って耳が遠くなっても、訓練に寄って、或る音程の音は、聞こえるのだろうか?まあ、今回のインドで3回目となり、北、中央、そして今回の南と回ったから、これでインドは卒業となりそうだ。 そして帰国して感じたのだが、日本は綺麗なのだ。そして空気が清々しい。つまり道路にゴミが落ちて居ない。インドでは、どの道路も車の走る中央部分は、車がゴミを跳ねるのだろうが、道の端の方は、何処もゴミだらけでし、空気は何か、埃っぽく、街路樹の葉っぱは、埃で真っ白に成っていた。ただ、私も歳を取り、旅行に対するワクワク感が減ったような気もする。歳と共に、色々な事に対する興味が減って行くのだろう。
2018.01.17
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案内人から、面白い事を聞いた。実はインド人はご存知の様に、真っ黒では無いが、かなり黒い肌で、中には真っ黒な人も結構居る。しかも手の掌や足の裏は黒くない。多分、数十万年も強い太陽の下で、肌を黒く焼き、それが段々と遺伝子に組み込まれて行ったのだろう。それでも、やはり白く成りたい願望があるそうだ。誰も皆が黒いのだから、黒くても、黒いのを美の基準にして、つまりインドでは黒い肌での美を追求するのではなかろうかと思ったのだ。つまりインドでは黒い肌での美を追求するのではなかろうかと推測し、黒くて綺麗なら良いのでは?と私が言うと、そうでなく、少しでも白く成りたい願望があります、と案内人が言う。やはり、今は世界のトップを走っているのが白人なので、その美の基準に倣っているのだろう。もし、黒人が世界のトップだったら、黒い肌が、美の基準に成っているだろうと思う。コモリン岬のホテルでは、朝の5時40分にホテルのロビーに集まり、太陽がベンガル湾から登るのを見に、真っ黒な中、バスで行ったが、残念な事に雲が出て、太陽が海から登る光景は見えなかった。 この様に、太陽は見えなかった。それにしても、大変な人出で、早朝でも数万人が日の出を見ようと集まったのでは無かろうか。岬と言うと、我々の感覚では、海に山が突き出て居ると想像するが、平らな平原が海に出て居り、面積は広い岬なのです。其処に、大勢の人々が集まっており、その観光客目当ての露店とか店が延々と並んでおり、その間を群衆が海に向かって歩いていると言う光景です。その後、朝飯を終えてから、岬を回って、アラビア湾の方に向かった。インド洋は左にアラビア湾と右にベンガル湾があるが、この2つの湾もインド洋の一部なのだろう。そして、アラビア湾に沿って、北上するが、行けども行けども、椰子林とその椰子の下に街と言うか、人家がある。約6時間も走ったら、ケーララ州の水郷地帯に入った。海の潮の満ち引きで、浅瀬に水が溜まるようになり、そこが観光地帯となったようだ。小さなホテル船を3隻借り切っての、クルーズ観光となり、2時間程奥地に行き、広い所で船を3隻並べて繋いだ。此処で宿泊となるそうだ。船を3隻繋いだ岸辺に上がり、少々散歩をした。船から見たのは、水郷地帯のその堤防の向こうには、水田や畑や椰子やバナナの木々が生い茂っているが、どうも水田の水位がクルーズ船が浮いている海より低く見えたから、その確認に下りて、散歩をしたのだ。 これが私の部屋でした。そしたら、やはり水田の方の水位が川の水より1メーター程低い。今なら溜まった雨水を何かのエネルギーで外に排出は出来るが、昔はどのように水を取り除いたのだろうかと、不思議になった。人家は堤防の上にあり、海より少々高いが、要はオランダの様に、そのあたり一帯が海より低い農地なのだ。 夕食は、1つの舟に皆が集まり、楽しく食べたが、もう5日目でもあり、それぞれがお互いに氏名と性格もある程度分かった仲だから、結構楽しく会話が弾んだ。途中こんなに鴨かアヒルか知らないが、沢山居た。周囲はこんな風景で、小さなホテル船が沢山浮いて居ました。これで後のブログは、日本に帰ってからの事に成ります。なぜなら明日帰国と成るからです。
2018.01.16
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早くもインド旅行は4日目となったが、朝真っ暗な4時半頃、私はホテルのベッドの中だったが、イスラム教の祈り声が、スピーカーで大きく響くから眠れない。だけど此処はヒンズー教の国インドで、イスラム教は15%と位と聞いている。それでも、大多数の他教徒への迷惑も考えず、スピーカーで、街中に大声でがなり立てる。そしてそれが終わって1~2時間もして、明るくなると、今度は少々小さい声だが、ヒンズーの祈り声が流れる。こんな宗教の習慣を第三者として見ると、どうも宗教は唯我独尊と言うか、自分中心で、他人の迷惑等考えない宗教が結構多い。特に今では、イスラムが酷いのではなかろうか。 そして朝の8時頃から、ホテルの直ぐ横の広場で、ボンガル祭が始まった。ホテルに近いから、ホテルの御客が結構見て居た。 約40cm位の竹馬の様な上に乗っての馬踊りです。ボンガル祭は豊穣を喜ぶ祭りです。 こんな踊りが続く。後の左がホテルです。 目隠しをした者が、棒で吊るした焼き物の御鍋を壊す楽しみです。 この祭りも約2時間位で終わり、バスでコモリン岬に向けて出発となった。大体6時間位で、インド最南端に着いた。途中、風車発電の凄い光景を見た。バスで走っても走っても、風車が回っていた。 そしてとうとうコモリン岬のホテルに着いた。早速ホテルに荷物を預けてから、岬を見に行った。ホテルから最南端まで、1キロ程は、色々な露天がギッシリ並び、人が一杯で、歩けない位だった。しかも暑くて暑くて、汗みどろとなった。そして最南端は一寸した島に成っていた。観光船は行ったり来たりして、観光客を運んでいた。銅像はインドで有名な作家らしいが、横の黄色い建物の神様は女神で、男が好きらしく、男がその島に上がる時は上半身を裸でなければ上陸させないそうだ。 ベンガル湾とインド洋の挟まれた所です。 それから、太陽が沈むインド洋の方に行った。残念ながら、海に沈む前に、雲に隠れてしまった。この様に何処へ行っても、人が一杯でした。 そしてこれから川船のホテルに行く予定なので、もしかすると、インターネットは無理な可能性もありますので、1日はブログを休む事になるかも知れません。
2018.01.14
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インド3日目の午前は移動となった。チェンナイ(マドラス)から南のマドゥライまで1時間30分の飛行機だった。マドゥライは小さな町だが、人口は70万とか80万とか言っていたので、人口の多さに驚いた。丁度昼に着いて、それから其処のホテルでの昼食となったが、此処は結構食べられた。チェンナイのホテルは大きく素晴らしい所だが、食事はそれほど私の口には合わなかった。此処は良い様に思う。そして、食事後市内の観光だったが、初めは王宮に行き、その後大きなヒンズー教のミナ―クシ寺院に行った。目茶目茶に大きな寺院で、良くまあこれだけの大きな寺院を石で作ったものである。 寺院の中の全体模型です。2~3階の寺院で、塔が10程もある凄い規模です。ホントかどうか疑るが、この塔の下(カラフルな彫刻の無い部分)は高さが20メーター位だが、地下に80メーターも入っているとの説明だった。つまり100メーターの台の上に35メーター位の彫刻一杯の塔を建てていると言う説明だった。 下から見上げると、この彫刻の無い下の部分より100メーターも下に入っていると言うが、ホントなだろうか。 これはシバ神の奥さんの像ですが、女性そのものだそうです。想像して見て下さい。真ん中に奥さんの全体像があるが、市内をバスで移動して居る時に撮った道路の店です。行けども行けどもこのような店が並んでいるが、売れるのだろうか?そしてイヨイヨ明日はインド最南端のコモリン岬に行く予定だ。
2018.01.13
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次の朝から、観光旅行となった。先ずホテルで紙幣の交換をしたが、少額紙幣が少ない様で、かなり難しいようだった。その理由だが、昨年秋、高額紙幣を突然廃止したのだ。日本でいうなら1万円と5千円札を、突然廃止したのと同じです。理由は、裏取引では高額紙幣が使われるから、今まで、裏取引での儲けは誰も箪笥預金にしているから、それを吐き出させる戦略だったそうだ。理由のハッキリした箪笥預金は、その日から1か月位は、銀行に預け入れが可能だったが、裏での儲けを、この政策で吐き出させたのだ。まあ、その話は長くなるので、ここでは止める。始めて知った事だが、インドは牛を尊い聖牛として、殺さない食べないとは聞いていたが、実は牛肉の世界一の輸出国なのです。そのデーターを私が日本の新聞ニュースで知っていたから、現地の案内人に、ホントの事を聞いたのです。やはり正しいそうで、ヒンズー教では牛を食べないし、殺したりしない事には成っているが、それは建て前であり、しかも敬虔な信者だけの問題で、実はカースト制度の身分制度が厳格に分かれており、カーストの下の方の民衆は、自分が喰うか食わずだから、牛を殺し、その肉を集め、輸出しているそうです。確かに食べる人は殆ど居ないようです。牛肉の一番の得意先は中国で、カンボジアに一端肉を運び、其処から中国に輸出されているそうだ。成る程ね。これには目が覚めた。また、チェンナイと言う市に成っていたが、我々の記憶ではマドラスとしか記憶が無かった。その点を質問すると、やはり、10年程前に、名前を変えたそうだ。その理由だが、イギリス人は植民地として、東インド会社を設立し、インド経営と言うかインド支配が始まったが、その時から地名がマドラスと成ったそうだ。要は植民地時代の名前を変えたそうである。 観光に先ず行ったのが、カンチーライムと言う高さ59メーターもある石のヒンズー教寺院だ。これは凄い。余りにも高いから、遠くからでも見える。7世紀頃から建設に掛かったそうで、大半は14世紀に完成したそうだ。シバ神(破壊の神だが、恩恵ももたらす神だろうだ)を祭った所です。 その下から見上げるとこんなモノです。 街の中は、高級車であるトヨタやホンダも走り回っているが、下記のように牛や馬も荷物を運んでいる。何か混沌とした感じである。トクトクと言う黄色い3輪車も沢山走っていた。要は自動車だけ見ても、物凄い格差のある社会です。 次の寺院も寄ったが、同じ様なモノが多い。 そして昼ご飯となったが、一般家庭で食べる食事を出すレストランで食べた。余り美味しいとは思えなかった。 それから又寺院だ。だけどそれはマドラスのインド洋に面した所にあるモノで、津波で流されなかった唯一の寺院だそうだ。インド洋の底に引き込まれ、海底で眠っている寺院も結構あると言っていた。インドの東海岸は結構津波が押し寄せる所らしい。 低い所からしか写真が撮れなかったが、この向こうはインド洋です。
2018.01.12
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10日の朝9時に、今回のツアー仲間が、旅行社が指定していたカウンターに集まった。合計で8名しか居ないツアーだ。これでは添乗員が付いて行くのだから、儲けは無いのではなかろうか。早速手続きを終えて、出発となるが、この下の写真の飛行機である。何かカレー臭い感じもするが、乗り込むと、カレーの匂いは無かった。昔は、韓国の飛行機に乗るとキムチ臭かったが、今はどうなのだろうか。そして出発したが、なかなか滑走路に着かない。前に沢山の飛行機が順番を待っているのだろう。飛行機がカーブした時に後を見て、驚いた。後に10機も、並んで付いて来ていた。今でも、成田反対闘争を続けている馬鹿がいるが、困ったものですね。何とか空港を拡張しないと、この始末です。東京からデリーまでは約6000キロもあり、しかも東西ですから、インドに行く時はジェット気流があり、600キロ位しか飛べないので、9~10時間も掛かった。これがインドからの帰りなら、ジョット気流に乗るから、2時間位短縮するそうだ。デリーからチェンナイ(昔のマドラス)まで2時間30分も掛かって、インド時間で夜中の12時にチェンナイに着いた。バスに乗り、現地の案内人の説明で、ホテルまで行ったが、途中の話です。「インドは大きな国で、言葉だけで、1650もある。そして、チェンナイはタミル人で、タミル語で、字も違うから、他の言葉のインド人と話す時は、英語で無いと通じない。英語が共通語に成って居ます。言葉が全く違うし、民族も違う。」と言って居ました。街をホテルまで走ったが、結構大きい街で、早速ホテルに行ったが、これが非常に豪華な部屋で驚いた。 この飛行機です。 後に10機も続いて来ていた。 チェンナイの空港です。 部屋を逆の方からも撮って見ました。
2018.01.11
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何時もの様にパソコン持参で旅行に行きますが、インドでの接続がどうなっているのか、全く分かりませんので、もし接続が可能なら、通信できるから、このブログに毎日アップしますから、御期待下さい。私は高知の田舎に住んでおり、成田で9日の夜前泊をして、出発は10日です。帰国は17日です。このブログは成田のホテルで書いております。9日昼4時頃、高知竜馬空港を飛び立って、羽田に来て、それからバスで成田に着いて、次のインド行きの飛行機を待っているのですが、途中で、富士山が見えましたので、今回のインド行きも、良い旅に成る事を祈っております。インドは広い国で、人口も1億2千万人も居るので、今回は一番南の方を回ります。最先端の岬に立って、インド洋を眺めるのが、楽しみです。 高知竜馬空港を飛び立った所です。左上ので光って居るのは太平洋です。 この様に、左下の方に富士山が見えました。
2018.01.10
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私の一人新聞の読者に、間六口(これは芸名でハザマムクチ、元公務員)と言う人が居る。彼は素人の講談師で、バナナの叩き売り等を、観客に見せている。その人から、6名程の高知の素人のお笑い漫談落語大会「土佐のお笑い」のチケットを貰った。だから1月8日、その弁天座に行った。弁天座は昔からの歌舞伎座があり、高知では結構有名な場所である。まあ、その弁天座でのお笑い漫談が今回の話題では無い。その弁天座はそれほど大きく無く、満席で300名程の所なのだが、集まった人々の年齢が、私(75歳)を中心とした位のお年寄り集団だった。先ず驚いたのは、始まって直ぐだが、私の左の横の横、つまり一つ席を離れた所のお爺さんが寝たのだ。寝るのは良いのだが、イビキを掻く。しかも静かな場面を落語家が話している時は、漫談の声が小さいが、その時に不思議と大きなイビキが出るのだった。私や周囲の人々は気に成って、漫談を聞く雰囲気に成れなかった。周囲の皆もそのお爺さんの顔を見つめるが、本人は寝ているから、分からない。そして「中休み」の時に、そのお爺さんが立ち上がって、便所にでも行ったのだろうが、居なく成った。後半が始まったが、帰って来ない。多分自宅に帰ったのだろう。ホットした。 こんな爺さんに成って、周囲の迷惑を顧みずに、色々遣るお年寄りには成りたく無かった。これが反面教師の1つだった。そして、また別の話だが、私の前のお婆さんとその横のお婆さんが、講談が始まる前から、グダグダと話をしていた。落語が始まると止めるだろうと思って居たが、声は少々小さくはしたものの、私語を止めない。しかも椅子をガタガタ動かしたり、持っている持ち物を開けたり閉めたりするので、ガサガサ音がする。これも困ったのだ。がその内に静かに成った。所が、中休みが終わると、私の席の後に、その婆さんの一人が、席替えをした。そして、前の私の背もたれを押したり、足で私の椅子の脚を押したりするから、嫌な気になった。しかも最悪は、その内に後で何かビニールの様なモノを触る音がすると思うと、何か匂いがするではないが。振り向いて見ると、弁当を食べている。昼の1時からの講演なのに、2時や3時で、どうして弁当持参なのだろうか?食べてから参加するのが常識ではなかろうか?遊びの席だから、弁当を楽しみながら落語を聞くと言う事のようだが、このスタイルは日本の一部の人の常識なのだろうか? 大相撲でも弁当を食べて居るようだしね。私は日本の素晴らしい常識を、ホント凄いと思っているのだが、一部の人々だが理解できない常識もあるようだ。数年前だが、琴の演奏会に行った時、演奏が始まっているのに、話を止めないお婆さんが結構居た。1名や2名で無かったのだ。これでその後、琴の演奏会に行く気が萎えてしまった。こんな馬鹿な婆さんが居るのだと、失望したのだ。少なくても、音楽の演奏会なのだ。演奏が始まったら、誰もが私語を慎むのが、日本の当然の常識だと思う。だけど或るお年寄りにはそれが分からない人が結構居る様だ。辛い話だ。一部のお年寄りは、まるで中国の観衆のようだ。中国人は他人の目は気にしないから、演奏中に弁当を食べるお客が居るそうで、「大変驚いた」と一流の演奏家が言っていた。今回の経験だが、私の近くの客席で、2人もそんな人が居たのだが、反面教師そのものであり、私はそうなりたく無い。 弁天座です。 中はこんな状態です。 そして素人落語が始まった。
2018.01.09
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東京の次女家族が帰った後、久しぶりに丸い絵である「月の砂漠」に向かった。2時間程描いてから、自宅に帰ると、女房が「文旦の収穫をしなければ」と言う。そう言えば文旦は年末に収穫し、1~2か月寝かせて、味がまろやかに成ってから食べるのだ。年末から子や孫達が来て居たから、収穫を忘れていたのだ。だから急いで二人で収穫をした。私の部屋の直ぐ横に1本だけ、植えているのだが、毎年、確実に成って呉れる。数は読んで居ないが、恐らく60~70個位あると思う。文旦は大きいから、3人の娘家族に送っても、4家族で、十分に食べられる量である。 この様に、2ケース取れました。そして、蜜蜂の冬の餌(砂糖水)も与えた。別に与えなくても、良い箱が殆どだが、1つだけ、越冬の為の蜜が溜まって居ない箱があるのです。 それは餌を与えないと、餓死してしまう。今まで、そんな事余り知らずに、過去に多くの群れを消滅させてしまった。蜜が巣に残って居るかどうかは、秋の蜜を絞った後の問題で、絞り過ぎて、巣に蜜の残が余り残って居ないと、餓死するのです。当然なのです。だから、秋の蜜絞りは、箱の重さから想像して、絞る必要がある。どうして蜜の少ない箱が今年は分かっているのかは、10月頃に、新しい箱に入った群れがあり、これが大問題なのです。つまり越冬の為の蜜を貯める期間が無い時に入ったのだから、其の儘では、当然餓死しかない。それに蜜を遣る序に、他の少々軽い箱にも砂糖水を与えております。まあ今回もギリギリセーフだったようだ。これからインドに行くので、帰国したら、また砂糖水を与えなければこの箱は餓死するだろうと思っている。
2018.01.08
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1月6日、最後まで我が家に居た、東京の次女とその2人の子供が帰った。これでまた婆ちゃんとマルルと我々だけの生活に戻った。予約した飛行機は昼頃だと言うから、午前中に女房と空港まで送って行った。これで、ヤレヤレだ。余りにも大勢だったのが、火かが消えた様な感じで、ゆったりと出来て、何か嬉しいのだが、張りが無くなってしまった。何も意欲が湧かない。飛行場からの帰り道、街で買い物をして、自宅に着いたら、机の上に次女の置手紙があった。 内容は「このまま歳を取って、動けなくなったら、自分の家へお出でよ。近くには、色々な老人ホームが有るし、田舎より、生活の便が良いよ。」と言う内容だった。まあ、人の多い所は余り好きでは無いし、行く事は無いとは思うが、何か涙が出るような、嬉しい気持ちになった。それにしても、誰も歳を取り、そして死ぬ前には、動けなくなり、人の世話になる。突然死ねるなんて、事故以外に無いからなア。それにしても、私は結構元気で、薬はゼロだ。先月伊豆に級友達と旅行した時も、友達は全員何らかの薬を、飲んでいたようだ。薬ゼロは私一人だった。 空港の駐車場で、 空港内です。
2018.01.07
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昨年末から正月は、子や孫が大勢我が家に来たから、絵画には筆が向かう事は無かった。だけど、孫達が来たから、絵画の中の王子様とお姫様の顔を撮るチャンスと、孫の顔写真を撮った。三女の高一の長男と、次女の中一の長女です。それをパソコンでプリントしたら、サイズが大きい。だからコピー機で、45%~55%に数枚縮小して、丸い月の絵の上に置いて、サイズ確認をした。もっと顔を大きくしたいが、どうなのだろうか?漫画等は体と比較して非常に大きな顔だが、漫画的にして良いのだろうか。迷う所である。やはり体と顔の大きさのバランスを合わすべきかも知れない。前にもお知らせしたが、この小さな写真の裏を鉛筆で真っ黒にして、月の絵の顔の所にその写真を置いて、上からエゾルと、下に移るのです。つまり転写できるのです。それに色を塗って行きます。普通の絵画も、始めは色々と鉛筆でデッサンして、一番良いデッサンを、転写してから、色を塗って行くそうです。それにしても、顔写真が余りにも小さいから、孫に似た顔を描くのは、かなり難しいようだ。 駱駝の足の所の写真がプリンターから出た写真です。それを縮小して、利用します。 こう成ったが、余りにも顔が小さい。似せて描くのが難しいだろう。
2018.01.06
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この正月に、三女家族が我が家に来た時に、三女の亭主の古いジーンズを、私に回して呉れた。少々サイズがきついが、皆が「良く似あう」と言う。だけど、サイズ的にキツイズボンは自分の性格に逢わない。その上、キツイ方がカッコよいと皆が言うが、少々ゆとりが無いと、何となく気分が良くない。そして2日に長女と三女家族が帰って、次の3日に、東京から次女が来て、我が家に居るが、4日になり、する事も無いと言うから、高知市のイオンまで映画「8年越しの花嫁」を見に行った。少々早く着いたから、次女と次女の孫達とジーンズ店で、自分の性格に合った、少々ユッタリのジーンズを探した。だけどサイズ的に気に入ったのが、値段を聞いて驚いた。EDWINの12000円なのだ。ズボンなんて、1000円も出せば幾らでも新品の良いのが買える時代である。だけど一緒に見て居た子や孫が「良い!良い!」と言うから、買ってしまった。まあEDWINブランドで、日本製だから、多分岡山の倉敷製なのだろうが、買った後でこの値段なら、女房に叱られると思った。12960円もするなら、10着は買えると言われるのが分かるのだ。其処で帰ってから、両手を付いて、女房に「高いモノを買ってしまった」と謝った。そしたら、「まあ、ブランド品を買うのは生まれて初めてだろうから、それで良い」と許して呉れた。そうそう、「8年越しの花嫁」は良い映画で、涙が止まらない所もありました。時間があるなら、是非見て下さい。 こんなジーンズだが、高いモノだ。
2018.01.05
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絵は誰もが四角いモノと思っている。まあ、西洋の人物画は縦長の卵の様な丸いのもあるが、私は逆転発想で、丸い絵を考えて、その丸全体を満月として、描いている。これなら非常に珍しいから、県展に出せば、審査でも、かなりプラス点が付くと思う。そして、その満月の絵を描いている内に、或る日、突然に六角の絵を思い付いた。何故なら私は、蜜蜂を趣味で飼っているので、何時もその巣を良く見る。巣は六角が無数に集まって出来ている。其処で正六角形の絵を考えた。そして六角形の絵に成るべきモチーフとか風景を考えたが、良いモノを思い付かない。だから数枚、並べて入る額を思い付いたのです。数枚となると、色々なシリーズを描く事が可能となる。そして思い付いたのは、蜂の巣と形が同じだから、蜜蜂が好む花々を描くと、丁度良いと気が付いた。その上、花なら絵の対象となるモチーフとしても、綺麗だし、最高のモノでもある。だけど始め頃は、そんな六角の額が出来るのだろうかと、色々考えた。そしてその内に、遣って遣れない事は無い、もし失敗しても良い経験だと思い、DIYに行き、厚さ7ミリのベニヤを買って来た。 ベニヤの上に色々なサイズの正六角形の線を描き、どのサイズが一番良いかを考えた。そして一遍が30cmの正六角形のカンバスが5枚入る額を考え出し、その設計図をベニヤの上に書いた。 さて、鉛筆で設計図を書いている内は、ホントに出来るのだろうかと、半信半疑だったが、鋸でカットを始めて、出来ると確信した。後は5枚の花々の絵をどう描くかである。 取りあえず、今年は丸い満月の絵が県展の本命だが、もしこの六角形の絵も旨く描けると、良い方を県展に出展する積りだ。 だけど、この六角の絵は、今年の県展には無理かも知れない。理由は蜜蜂が好きな花の中に、秋に咲くセイタカアワダチソウがあるからだ。秋まで待って、その花をカメラで撮ってからでないと、旨く描けないから、9月末に提出する県展には、時間的に無理かも知れない。 その上、このセイタカアワダチソウは背の高いカヤの様な草で、花が小さく、近寄ってシゲシゲと見た事も無いが、絵のモチーフに成る花では無いのかも知れ無い。 この様に、1枚のベニヤに図面を描いて、鋸でカットして行く。 補強の裏材の桟を貼って、中もカットして行く。 裏からの写真だが、略出来上がった。 ハチの巣の色のペンキを塗る。 カットしたベニヤの中身に補強材を付け、画用紙を貼って、額に入れました。とうとう出来たのです。 後は、どの様に、蜂が好きな花々を描くかです。
2018.01.04
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1月2日、昼ご飯を終えると、早くも長女と三女家族が香川県に帰ったから、残ったのは東京の次女の子二人だけとなった。大勢居たのが、少なく成ると、寂しいが、ホットする面もある。「来て嬉しい、帰って嬉しい」と言われる所以である。確かに女房は大変だったようだ。早速、余った蒲団を太陽に干し、ビニール袋に包んで、押入れに締まって行く。残った次女の子二人は寂しそうだったが、まあ3日には、次女本人が我が家に来るので、親子が揃うから、寂しいのは1日だけだ。二人の孫が暇そうだから、隣部落で遣っている「木彫館」に連れて行った。私の知り合いが、浦ノ内湾の中にあるこの小さな半島(長さ400メータ位の細長い)を買って、住む家も自分で建て、仲間と彫った色々な彫刻の展示館(半島中央部の背中部分に250坪の家)も建て、展示しているので、見に行ったのです。木彫は2000体以上もあるそうだ。膨大な数の木彫には、誰が見ても驚く。良くまあ、これだけ彫りに彫ったモノだ。本人は私より3歳年上の78歳だが、これからも彫り続け3000体以上にして、世界一数の多い木彫館にすると言っている。 この様に、ギッシリと彫刻が詰まっている。 半島の最先端から浦ノ内湾を見下ろす。向こう側に見える集落があるが、宇佐と言う部落で、江戸時代の終わり頃、この部落から出漁し、台風に逢って、無人島の鳥島に流れ着き、其処でアメリカの捕鯨船に助けられたジョン万次郎が居た町です。
2018.01.03
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小中学生の3人の孫達が27日から来ていたが、31日に、三女の残り家族3人全員と、アメリカの長女とその子も来たから、婆ちゃんも含めて、この正月は11名となった。大勢なので、寝るのも大変だ。私の部屋にも2人の孫が眠れる蒲団を敷き、居間も5人が寝て、女房の部屋でも孫一人が寝た。そして正月と成った。孫達はお年玉を待っていたのだろう。喜んで、それぞれから貰って居た。高校生の孫は皆から貰うから、合計で3万円にも成ったそうだ。 午後、今度は山に冒険に行った。山の中腹に走っている県道まで、誰も歩かない山を登る冒険登山なのだが、今頃は誰も山に入らないから、昔の踏み分け道が草や木で覆われ、結局は途中で通れなくなり、諦め、降りた。人が少なくなり、山での作業では、収入が少なく、生きて行けない時代とったのだろう、誰も山に入らないから、もう草木が生い茂り、通れない。将来の田舎の山々はどうなるのだろうか?山の持ち主のそれぞれの境界線が分からなくなるのだから、伐採も出来ない状態になるのではなかろうか。 正月の朝です。 昼と夕方は、余りにも人数が多いから、2つに分かれた。
2018.01.02
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子供の火遊びは絶対に叱られるが、田舎では、時々余った物を燃やさないと、始末に困る。12月の庭の剪定で、沢山の枝が空き地に溜まっていた。 しかも丁度30日の夜、少々雨が降ったから、山々の木々が濡れているが、雨は止んでいた。そして風も無かった。この条件なら山火事の恐れも少ない。其処で、孫達と焚火をして遊んだ。 大きな火にして、皆でワイワイ言いながら遊んで、最後に、新聞を濡らし、薩摩芋を包んで、オキ火のオキ火の中に埋めた。そして1時間程して、灰を掘ると、ホカホカの美味しい焼き芋が出来ていた。 木工屑に着火する。 ドンドン枝を放り込んで行く。 その1時間程の後、アメリカに居る長女と、香川県の三女と三女の亭主と長男が遣って来た。車が着いたが、ドアが開いて、驚いた。アメリカで働いている長女の双子の子の一人も遣って来たのであった。 長女が日本に帰るので、自分もCAとして働いているから、成田行きの便の仕事を取って、帰って皆を驚かしたのだった。 まあ大変な人数で、合計で11名での正月となった。 三女が持って来た大きなブリ。 片身で、これだけの刺身になった。 我が家恒例のお菓子撒きです。みんなでレジ袋を持って、私が投げるお菓子を拾う。その中には、お金も紙に包んで投げるので、皆大喜びで拾う。31日夜の遊びでした。 高校生の孫は、お菓子には目もくれず、お金だけを狙って拾ったので、3600円をゲット。
2018.01.01
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