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早朝から同僚2名が収穫に来園。1時間弱汗びっしょりで草取りを手伝ってくれた後、ジャガイモの収穫。男爵のシンシアという品種。今年は大粒で量も多い。タマネギはやや成長不足であるが小粒のものもスープ等で美味。ニンニクは最後の段階でサビ病にかかったせいかやや小粒。しかしニンニクの芽も楽しませてもらったので良しとしよう。掘っている内にニンニクの臭いがプンプン。同僚の持ち帰りに厳重梱包を指示。以前ニンニクの臭いが車について困ったという同僚あり。新鮮なものは臭いも強力。トウモロコシも今が盛り。甘くて絶品である。品種は『味来』。まだまだ残っているので鳥につつかれぬよう網掛けをする。隣で畑をやっている義兄からマクワウリ/メロンをもらう。マクワウリの名は美濃の国(岐阜県)真桑村(現本巣市)で栽培され始めたことからこの名となったとのこと。未だ少し堅いので残りはもう少し熟させてから食べることとしよう。しかし昔の懐かしい味だ。
2008.06.28
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5月28日から発電開始してから昨日まで約27日間で発電量が500KWHを突破しました。この間電力使用量も500KWHであり容量的には完全に自立しています。昼間の売電量は約350KWH×26.25円/KWH=9188円となり1ヶ月では1万円/月が見えて来ました。今朝も薄曇りですが5:30頃から発電開始し5:50時点で0.5KWを発電、現在は1KWを発電中です。現在消費の1.4KWの内約1KWで朝の3時頃からエコキュートが稼働し1/3の安価な深夜電力でお湯を沸かしています。深夜電力料金の範囲である7時までに湯沸かしは完了します。太陽光パネルさん 今日も頑張ってください。
2008.06.25
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いろいろな百合が咲き乱れています。購入したもの、朝日新聞社が毎年プレゼントしてくれるもの等色とりどりです。どこの家が朝日新聞を購読しているか解るのが面白いですね。
2008.06.23
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紫陽花が青色を深くし始めている。ガクアジサイも負けじとピンクに染まって来た。
2008.06.22
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雨の中、スペイン旅行のための空白もあり久しぶりに農園へ。土日の草むしりが出来なかったため驚くほどに草が生え大きくなっている。その中でもカボチャは大きく育ち10cmを超える大きさにまで成長した。スイカのマダーボール種も大きくなっている。デンスケスイカも人工授粉は出来なかったが自然受粉で実をつけていた。トウモロコシ、枝豆も収穫し早速新鮮さを味わった。来週の土日は残りの草むしりに専念しなければならない。農園主が遊んでいる間も雑草は休むことなく自分の生を燃やし続けている。
2008.06.21
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スペインの旅八日目、日本に帰る日になった。延泊したため我々3人だけでの帰国。朝フロントにTAXIを予約しに行くと今日はTAXIがストに投入し14時までは動かないとの返事。一大事と町まで出る方法を尋ねると、近くのバス停から路線バスに30分ほど乗り、郊外線の駅へ行けと。慌てて荷造りしバス停へ。TAXIで空港まで行くと決めていたので、ホテルと空港との位置関係、移動ルート等は全く頭になかったのでややパニック状態に。バス停から宿泊ホテルを望む。バス停でバスを待つ旅友2人。バスは時刻5分間に来た。遅れてくるものと思っていたが早めに来ていて良かったと胸をなで下ろす。郊外線(RENFE)のBARBERA駅でバスを下車。そして切符も買わずにホームに入れたのであった。カタルーニャ駅まで20分程度乗車。この電車は落書きだらけ。窓にまで落書きがありさすが芸術の町であると、緊張感から解放されたせいか自ずと感じた。乗車駅でチケットを販売していなかったので精算窓口へ。しかし駅員から「一日乗車券を購入したら」とすすめられたのであった。しかし3名分の精算のみをし広場に上がる。空港行きのバス停へ向かうが、ここはなんと長蛇の列が出来ていたのであった。ニュース報道のカメラもきており約1時間並んでやっと乗り込みバルセロナ空港にたどり着いた。バルセロナ空港で税金を回収するために歩き回る。目立たない小さな窓のあるところが確認印を押してくれる場所である。これでは気の短い外国人は見つからずにあきらめて帰国すること間違いなし。これがスペインの国策ではないかと全員怒りまくる。予定のKLMフライトでアムステルダム・スキポール空港へ飛び立つのであった。バルセロナ発:KLMオランダ航空 KL1668便に搭乗。バルセロナを出発、オランダ上空へたどり着く。ノールトセイ運河が眼下に。ゴルフ場も見えた。ジャンクション上空を通過。トランシットでオランダのアムステルダム空港へ到着。そしてアムステルダム・スキポール空港で約3時間のトランジット。スキポール空港で最後の土産を買い込む。旅友のS氏は何故か??奥様に負い目があるようでプレゼント用品を、きれいなリボン付き包装を要求して購入。全員元気にJALのJL1412便に搭乗。乗客は殆ど日本人観光客。さすがハブ空港でありヨーロッパ各地を旅行した観光客が集まっていた。12時間の長旅を終え、無事定刻通り成田到着。心配していた荷物も無事出てきてまずは一安心してそれぞれ家路についた。日本と違い幾多の宗教戦争と多くの国や民族の影響を受けながら、地方ごとに独自の文化を育ててきたスペインの世界遺産を訪ねた旅。明るい親切なスペイン人にも触れることが出来、また優秀な添乗員や楽しいツアー仲間、すばらしい天候にも恵まれた、いつまでも思い出に残る9日間のおじさん3人の旅でありました。来年はまた3人でどこに行こうかな? ・・・もどる・・・ ・・・完・・・
2008.06.13
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スペイン旅行ツアーの最終日であるが我々3名は事前に1日延泊で申し込み済み。町までツアーのバスに同乗させてもらう。車窓から前日訪ねた「サグラダ・ファミリア大聖堂」を見る。カタルーニャ広場にてバスを下車。ツアー仲間も空港への出発まで、自由時間で散策に出かける。このあと9:30 に、我々3人と沖縄から参加されたMさん母娘の5人がツアーから離れることに。Mさん母娘は別便にて沖縄に戻るのだと。ツアーから離れるにあたって日本からの添乗員Sさんから「スリだけにはくれぐれも注意するように!」と注意されたが・・・・・。また親しくなった方との日本での再会を約束してバスを見送る。そしてオプショナルツアーの『モンセラット観光』が15時集合のためそれまでの時間は市内観光へ5人で出かける。カタルーニャ広場から、南西方向に歩く。「エスパーニャ広場」エスパーニャ広場は現在では多くの大通りが交わる主要な交差点になっていますが、歴史がある場所です。バルセロナを最も象徴的に表す1つであるこの広場は、1929年の万博のために作られた。沖縄から参加されたMさん母娘と一緒に歩いて来る。Mさんは今年旦那さんと南米へ百万円/人で行くと、我々も翌年南米(ペルー、ブラジル)へ行くことになったのだと。「エスパーニャ広場」から南にあるモンジュイック地区の『カタルーニャ美術館』方向へ。「カタルーニャ美術館」1929年のバルセロナ万博時に建造されたパビリオンを改装し、1934年にオープンした美術館。ロマネスク、ゴシック、バロック美術の貴重なコレクションを有する。なかでもピレネー山脈周辺の教会、修道院から移送した天井画や壁画、祭壇の装飾など、カタルーニャ独自のロマネスク美術の最高傑作を展示していると。向かい側のビルのガラスに映る我々の姿。レイナ・マリア・クリスティーナ大通りにある「マジカ噴水(Font Màgica de Montjuïc)」。ここで沖縄からのMさん達と別れる。エスカレーターでカタルーニャ美術館前へ。エスカレーターから振り返ると先程の「マジカ噴水」が。広場からは「エスパーニャ広場」を手前にバルセロナ市内が一望できるのであった。「カタルーニャ美術館」の高台から北方向に、「エスパーニャ広場」と市街を一望。前方にある高さ47mの2本のそびえ立つ塔はヴェネチアにあるサン・マルコの鐘楼から影響を受けたものであると。カタルーニャ美術館へ来た小学生か?「モンジュイック地区」バルセロナ万博開催前の都市整備によって、現在の姿に生まれ変わったモンジュイック地区。ミロ美術館やスペイン村など文化施設が集中し、丘の上から望む地中海の眺望は最高。「カタルーニャ美術館」の建物の4隅に建つ塔。次に美術館裏にある「バルセロナオリンピックスタジアム」まで坂道を上る。16年前の1992年のバルセロナ・オリンピックのメイン会場となったスタジアム。有森裕子、森下広一がマラソンでメダルを獲得したスタジアム。スタジアムへの入場は無料であった。スタジアム正面。別の角度から。スタジアムの西側に日本人建築家磯崎新氏の手による『サン・ジョルディ・スポーツ館』が建つ。塔は、「モンジュイック・タワー」。スペインの濃い青空に向かって真っ直ぐに伸びる凛としたデザイン。構造計算を駆使した3点の土台がタワーを支えます。タワーの傾斜は夏至の太陽角度に合わせた日時計として機能していると。正面から。上部を見上げて。再びカタルーニャ美術館方向を見る。マラソン大会か?多くの学生が。「サン・ジョルディ・スポーツ館」。オリンピック用の屋内競技場。1990年竣工。1992年に開催されたバルセロナオリンピックのメーン会場のひとつで、収容人員は約17,000人。広場の横にジャカランダが咲いていた。ジャカランダは世界三大花木(カエンボク、ホウオウボク、ジャカランダ)のひとつで、ノウゼンカズラ科の高木。ズームにて。こちらはアメリカ デイゴアメリカデイゴとはマメ科の落葉低木。長く伸びた花茎に、花径5㎝ほどの赤色の花をたくさん付けます。 マメ科の植物の花は、旗弁が上になって咲く場合がほとんどですがアメリカデイゴの花は旗弁が下になっているのが特徴的スタジアムから、「カタルーニャ美術館」へ再び引き返す。トーチを掲げる像。「カタルーニャ美術館」に更に近づいて。再び「カタルーニャ美術館」からバルセロナ市内を見下ろす。遠くに「サグラダ・ファミリア聖堂」の姿が見えた。カタルーニャ美術館前から北方向の「エスパーニャ広場」。右手に長楕円形のトーレ・アグバール (Torre Agbar) が見えた。バルセロナのディアゴナル通り、グランヴィア通りとメリディアナ通りの交差点にある超高層ビル。アグバール・タワーともいう。フランスの建築家ジャン・ヌーヴェルが設計した建築物で、バルセロナ水道局(Aguas de Barcelona、アグバール)が所有していると。カタルーニャ美術館前から東へ進み振り返る。「ミロ美術館」。ジョアン・ミロの作品を主に収めた、バルセロナのムンジュイックの丘にある現代美術館。個人美術館としては世界最大であり、バルセロナの人々からは「ミロからの贈り物」と呼ばれている。八重のブーゲンビリアがここにも。ケーブルカーに乗りモンジュイック城跡を訪れる左前方に「サグラダ・ファミリア聖堂」、右前方に長楕円形のトーレ・アグバール 。モンジュイックの丘から乗ってきたゴンドラを。頂上のゴンドラ昇降装置。「モンジュイック城」城壁のツタと庭園が美しかった。ゴンドラ乗り場の方向を見る。モンジュイック城入り口に大砲が。別の方向から。城門を入り城内へ入る。17世紀に建立された要塞のモンジュイック城は、兵器倉庫や獄舎などさまざまな用途に使用された。現在は一部が軍事博物館となっており、武器や軍服などが展示されていると。ここからはバルセロノナ港が眼下に見え青い地中海に豪華客船が何隻も停泊中。大型クルーズ船が2隻停泊中。ズームで。南方向には、埠頭がありコンテナが並ぶ。モンジュイック城の城門を出る。そして「モンジュイック城」を後にし、オプショナルツアーの集合場所のカタルーニャ広場に戻ることにする。モンジュイック地区の見学を終わり徒歩とTAXIでカタルーニャ広場に戻る。集合時間が14:45のため近くで両替、まだ時間があったので人ごみの中を『レイアール広場』へ。ところが、旅友のSさんが、OPの集合場所でリュックを開けようとしてリュックが空いていることに気づいたのであった。中を見ると財布を抜き取られ両替したばかりの金がないと・・・・・・。オバチャン2人の「スリ」にやられたのであった!!しかし15時から、モンセラットのツアー(我々3人と1名の日本人の4人)、ツアー代は、55€(約9,350円)に参加。マイクロバスで移動、途中車を止め撮影。バルセロナの北西に位置したカタルーニャの宗教的中心地となっている岩山である。この岩山からガウディーはカザ・ミラ等の曲線の建築物をイメージしたと伝えられている。モンセラットは聖なる岩山に抱かれたマリア信仰の中心地。切り立った岩山の前に建つ建物は「サンタ・マリア・モンセラット修道院付属大聖堂(Monaterio de Monserrat)」。中腹からバルセロナ方向を見るバルセロナへ来たら是非訪れたいモンセラットで、日帰り観光できるのであった。現地日本人添乗員(右側)に説明を受ける。山の中腹725メートルには修道院があり、今も巡礼者が後を絶たないと。迫りくる奇岩群はまさに大自然の奇跡。ガウディも足しげく通った場所、そして現在はパワースポットとしても有名。カタルーニャの宗教的中心地となっている岩山は、ガウディなどの芸術家がインスピレーションを受けたほど神秘的。モンセラットは標高1,241mの切り立った岩山。モンセラットとは「のこぎりで挽き切られた」という意味で、別名のこぎり山とも呼ばれると。様々な色のキャンドルが並ぶ。修道院へは無料で入れた。重厚感ある大聖堂は少年聖歌隊でも有名。地元カタルーニャ州の9歳から14歳までの約50名のメンバーで構成される少年聖歌隊は、入るのにも厳しい試験があるのだと。大聖堂の礼拝堂に安置されている「黒いマリア像」をネットから。イエス・キリストをひざに抱いた聖母マリアの木製像がケース内に収められていた。マリア像は右手に世界・全宇宙を象徴するといわれる球を持っている。一説では、この像は12世紀頃に作られ、当初は白かったものがろうそくのすすで黒ずんでしまったともいわれているが、真相は不明であると。 【https://item.rakuten.co.jp/gemsjapan/lp10365a-c6/】より大聖堂前。大聖堂前から一段降り、土産物店、広場へ。約1時間の散策でモンセラットを後にしてバルセロナへの帰路へ。帰り道は別のルートで下山、途中モンセラットの山並み。モンセラットから帰り、カタルーニャ広場で別れる。街中では雨が降ったのか、多くの観光客が。カタルーニャ広場に戻りレストランで夕食。最後は思い切りガイドブックに紹介されている店を選ぶ。この店の名物のエスカルゴとアムール貝ほかの貝盛り合わせを注文し大いに飲む。「エスカルゴ」。「アムール貝ほかの貝盛り合わせ」。夕食を終えてホテルに向かって。そして再びカタルーニャ広場に。この後、タクシーでホテルに戻ったのであった。日本が朝になるスペインが夜中の24時に、旅友Sさんは、日本にいる奥様へ電話し事情を説明しカードの停止等の手続きを依頼されたのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.12
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翌朝、スペインの旅6日目も早朝散歩、バレンシアの宿泊ホテル『EXPO』八重咲きのハイビスカス。オレンジ。こちらもハイビスカス。塔が立っていたが。集合時間が近くなりホテルへと戻る。そしてホテルに戻る。手前の交差点角には新聞等の売店が。朝食後バレンシア市内観光。バレンシアは絹取引で栄えた地中海商業都市の一つで、その財力によりナポレオンの侵略や、フランコの独裁政治にも対抗でき、自由を守ったとのこと。バレンシアの見所は「カテドラル」「ラ・ロンハ」「中央市場」の3ヶ所。女性現地ガイドもバスに乗り込みバレンシア市内観光のスタート。世界遺産の「ラ・ロンハ」近くでバスから下車して市街地を散策。前方に「サンタカタリーナ教会の塔」が垣間見えた。バレンシアは陶磁器の街でもあり、ポーセリン・アートで有名なリヤドロ兄弟は、バレンシア近郊で生まれた。その直営店がバレンシア市内にある。ビルヘン広場( plaza de la Virgen)から「カテドラル(大聖堂)」と「エル・ミゲレテ(El Micalet)」を見る。ビルヘン広場には大きな彫刻と噴水があった。水の神と周りにバレンシアの8個の水源を現す女神たち。バレンシアにとって水は大切という象徴。バレンシアにとって水は大切という象徴とのことであるが、「ネプチューンの噴水」は休止中であった。大聖堂に隣接し、聖母広場に面したサーモンピンクの建物は、バレンシア市民にもっとも愛される「聖母デサンパラードの聖堂」。「バレンシア大聖堂」のゴシック様式の「ファサード」。「エル・ミゲレテ(El Micalet)」。愛称「ミゲレテの鐘」を持つ八角形のゴシック式鐘楼。14~15世紀の間に造られた石造りの鐘楼。1418年の聖ミカエルの祝日に大鐘が奉献されたことを記念し、ミゲレテの名が鐘に付けられた。それ以来、この塔はミゲレテの塔と呼ばれている。ミゲレテとは、バレンシア方言でミカエルの意味で、地元では親しみを込めてミカレット(ミカエルの愛称)と呼んでいる。50mの高さにある展望台まで207段の階段を上れば、バレンシアの街並みを一望できると。『カテドラル』は旧市街のシンボル。キリストの聖杯が安置されている旧市街のシンボル。かつてモスクがあった場所に、イスラム教徒からバレンシアを奪還したアラゴン王が教会として建設。ロマネスクにゴシック、バロックなど改修した各時代の建築様式が混在している。内部の礼拝堂には、イエス・キリストが最後の晩餐に使ったといわれる聖杯を安置。美しいメノウで作られた聖杯は15世紀にバレンシアまで運ばれた。1238年、ジャウマ1世により建設が始められた。中に入ったがミサの最中のため静かに退場。そして世界遺産の「ラ・ロンハ」スペイン第3の都市ここバレンシアにある正式名称「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ」は、バレンシアが経済的に大きく発展した15世紀後半に建てられた「絹の商品取引所」。1996年にユネスコの世界遺産に登録された。バレンシア旧市街の中央部に在る「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ」はイスラム王宮跡に1482年から1533年に掛けて作られたゴシック後期のフランボワイヤン様式による建物で、絹取引の貿易会館として作られた。スペイン語で「セダ」とは「絹」で、「ロンハ」は「貿易」であるとの女性現地ガイドの説明。単独で世界遺産に指定されたとのことですが日本からの添乗員からも疑問の声。建物も大きくなく何故?中央市場前に立つこの建物は「サンジョアンデルメルカット教会(Iglesia de San Juan del Mercado)」。その前に「中央市場(Mercado Central)」。中央市場の建築工事が始まったのは1914年で、施工から100年!もはや歴史的な建造物。総面積8160㎡、1200店舗以上が並ぶ、ヨーロッパでも最も大きな生鮮食品市場のうちの一つ。見事なドーム。中央市場内に1200店以上の店がある。野菜、肉、魚等庶民の台所が容易に想像できる場所。イベリコ豚がぶらさがっていた。建物の正面は市場とは思えない立派な作りであった。スイカ、アーティーチョークも。桃が売られていましたが日本では見かけない扁平型の桃が山積みされていました。一緒の旅友Sさんががアメリカンチェリーを買い配ったため、大いにツアー仲間から点数を獲得していました。このあと9時に中央市場を出発して、北東方面約350kmに位置する最後の訪問地バルセロナへ。メディテラネオ自動車道(AP7)をひたすら走る。直ぐに大きな川があったが。トイレ休憩でドライブイン『AUTOGRILL』へ立ち寄る。ツアーバスの前で旅友と一緒に。再び地中海が見えて来た。バンデリョス原子力発電所(Central nuclear de Vandellòs II)が右手に。1号機は廃炉となり、2号機は1080MWeの加圧水型原子炉。さらに3号機が計画されていたがこれは1995年9月2日に断念されたのだと。高速道路脇にあった『ラス・ファレラス水道橋(Aqüeducte de les Ferreres』。ラス・ファレラス水道橋はスペインで2番目の大きさを誇る別名 ”悪魔の橋”と言われている。タラゴナの中心部から約4km離れた場所にある、ローマ皇帝アウグストゥス時代の水道橋「悪魔の橋」。2層アーチ式で状態がよく、スペインではセゴビアに次ぐ規模の重要な水道橋。北を流れるガイア川から、タラゴナの街へ水を引いた当時は、全長が35kmもあったという。現在地はタラゴナ(Tarragona)。タラゴナはスペイン北東部に位置するカタルーニャ州の港町です。この町はローマ帝国時代にはタラッコと呼ばれており、当時の古代遺跡も多数。ここからバルセロナ方面への高速道路は2本に分かれていた。1本は山側を走るAP-7、もう一方は海岸線を走るC-32号線。我々のバスはそのままAP-7を進む。バルセロナが次第に近くなる。独自の文化を持つカタルーニャの中心都市、バルセロナ。サグラダ・ファミリア聖堂に代表されるガウディ建築や旧市街のゴシック地区など、趣深い建築物が待っているのであった。バルセロナ市街地に入り、車窓からガウディ建築を紹介された。バルセロナ市街地のレストランで昼食。先客で韓国人観光客が食事中でテーブルには持参のキムチが。我々のテーブルには梅干しはなし。前方に「バルセロナ凱旋門(Arc de Triomf)」が姿を現した。バルセロナ、シウタデリャ公園の近くにあるこの凱旋門は、1888年の万国博の時に、万国博の入口として建設されたもの。建築家ジュゼップ・ビラセカ・イ・カザノバスによる、当時流行していたネオ・ムデハル様式。レンガで作られた高さ約30メートルのこの門には、農業、産業、芸術、商業をイメージした様々な彫刻が施されていると。バルセロナ凱旋門はフランス・パリの白い石を使った凱旋門とは異なり、情熱の国スペインらしさが表れている赤いレンガで作られていたのであった。 車窓からガウディ建築の『カザ・ミラ』が左手に。ガウディがインスピレーションを得た、最終日に訪ねたモンセラットから切り出された石灰岩は、都市のなかに聖なる岩山を生み出したのだと。曲線がユニークな集合住宅である『カザ・ミラ』独特の形状からバルセロナ市民にラ・ペドレラ(石切場)の愛称で親しまれるガウディ晩年の作品。波打つ曲線のファザード、地中海の巨石を思わせる造形は、カタルーニャの聖地モンセラットの奇岩がモチーフ。断崖絶壁を想像させる自然主義的作品であり、曲線のみで構成されるユニークな形状は、ガウディのもっとも完成したスタイルが見て取れる。最上階にはガウディの作品を紹介する博物館になっており、屋上には兜をかぶった騎士を連想させる奇妙な煙突がそびえる。そしてサグラダ・ファミリアへ。着工から120年間を経過した現在でも建設中のスペインを代表する建築家ガウディーの代表作。彼の構想では、聖堂の外側にイエスの「生誕」「受難」「栄光」の3つのファザードが建ち、各ファザードは4本ずつ鐘塔を持つ。計12の塔はそれぞれ12使徒を意味する。また、4人の福音書家を表す4本の鐘塔の交差部上にイエスとマリアに捧げる中央塔が建てられ、計18の塔がそびえる壮大な教会は石に刻まれた聖書ともいえる。現在、完成しているのは地下聖堂と後陣「生誕」「受難」のファザードと8本の鐘塔のみ。ガウディの死後も工事は続けられ、2020年ごろ完成予定といわれていたがさすがに観光客が多く混雑していた。大きすぎてデジカメに収まらない。ファサードは、主に4本の鐘楼(塔)と、聖家族に捧げられた3つの門「望徳の門」「愛徳の門」「信仰の門」で構成され、ファサード壁面の彫刻にはキリストの誕生から青年期までの成長が、喜びや生気に満ちたシーンで表現されていると。唯一の日本人彫刻家、外尾悦郎氏の作品もあると。こちらは「愛徳の門」。愛徳の門は、救世主イエスの誕生を祝福する彫刻群で飾られているのが特徴。各彫刻では。イエスの誕生にまつわる様々なエピソードや、それに関連した登場人物たちが表現されていると。正面入口の下から頂上を見上げる。塔の前に立ち説明されたが遠くて分からず、ガイドブックから。黄色線内が、「聖母マリアの戴冠」。ガウディの友人の息子で彫刻家の「ジュアン・マタマラ」が手掛けた作品。神がマリアの献身的な愛に対して戴冠を行う姿が表現されています。向かって左がマリアの婚約者でイエスの養父の「聖ヨセフ」です。ズームして。「受胎告知」「イエスの生涯」。この彫刻「イエスの生誕」では、イエスの誕生に喜ぶ養父「ヨセフ」と、赤子のイエスを抱きかかえる「聖母マリア」の姿が表現されている。「東方三賢人の礼拝」エルサレムでイエスが誕生した際に、東方で星を見た三賢人が、その星を追って、エルサレムの「ヘロデ王」を訪れるという聖書の一場面を表現。「羊飼い達の礼拝」ベツレヘムの町の郊外で、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちに、天使がキリストの誕生を告げた一場面を表現。そして「希望の門」左手のエジプトへの逃避の場面の下には、“希望の門”と名付けられた扉が。彫刻の多さに圧倒される。「信仰の門」生誕のファサードに向かって右側に位置する「信仰の門」は「聖母マリア」に捧げられた門。ファサードを飾る彫刻では、イエスの幼少期から青年期、更に聖母マリアを主題にした場面が表現。見上げる旅友。現状の全景が見える位置から。鐘塔には上れないとのことであったが幸運にもエレベーターに誰も並んでいないことを現地スペインガイドが発見。急遽上る希望者を募る。もちろん手を挙げる。再びファサードを見上げる。上部からはバルセロナ市内が一望でき銃弾の形をした水道局の建物も見えた。別の方向を見る。上部は建設用のクレーンが林立し完成まではまだまだほど遠いことが想像された。展望台から上部を望む。タワークレーンがセットされて。塔の内部から上部を見上げる。塔の中を歩いて下る。廻り階段を下る。塔の上から廻り階段を降り1階の作業場1階から見上げる、高い足場が積み上げられていた。手作業で部品を作成。日本人もいるとのこと。型があり細かいものを作っていた。作業場の片隅に完成図であろうか置かれていた。複雑な形状。ステンドグラス。外に出て、下から見上げた受難のファサード。「受難のファサードの彫刻」。受難のファサードの彫刻は、キリストの苦悩と悲しみがテーマとなっており、最後の晩餐からキリストの十字架磔刑までの場面が12の彫刻群で表現されていた。更にその遙か上には復活を遂げた「キリストの昇天」の彫刻も飾られていた。彫刻家の「スビラックス」は、ガウディの意図を最大限に汲み取りながらも、細部の作風に関してはガウディに囚われず、角張った縦長のフォルムで人物を表現し、自身の作風で仕上げたと。中央上に「十字架磔刑」、その下に「聖ベロニカと複音史家」。中央に「3人のマリアとキレネのシモン」、右に「ピラトの判決」。一階部分。方向を変えて。ズームアップ。「この人を見よ(エッケ・ホモ )」鞭を打たれてイバラの冠を被せられたイエスを罵倒し騒ぎ立てる群衆に向けて、ローマ帝国のユダヤ属州総督「ピラト」が「この人を見よ」という言葉を発した瞬間が表現されている。サグラダ・ファミリア聖堂の彫像は聖書の各場面を表現している。ツアーガイドであろうか。スペインを代表する建築家ガウディが設計した2026年完成予定の大聖堂。着工した1882年3月19日から137年が経とうとしているが未だに建設が続いている。行った時は2020年ごろ完成といっていたが。後6年位で完成するのであろうか。最後に見上げてバスに乗車。幻に終わった公園都市『グエル公園』グエルがスポンサーとなったガウディ最初の都市開発プロジェクト。約20haの土地に当初60戸の住宅を建設する予定だったが、グエルの死により計画は失敗に終わり、美しい公園が残された。緻密な計算で設計された広場横から続く石の柱廊。蛇をイメージしたという遊歩道。鳩の巣になっている。柱廊の下でギターを弾く人物。おとぎの国の家を思わせる建物が並ぶ。下の広場へ降り。公園管理者用に建設された事務所塔の先端にガウディ建築物の象徴、ダブルの十字架が鎮座する。ズームで。公園のシンボルである、モザイク造りのトカゲ。トカゲは水の守護者と言われている。丘の上に立つ塔。この建物は違うが、グエル公園内にはガウディが暮らしていた家が博物館として保存されている。ーーーーー アントニ・ガウディの一生 ーーーーーアントニ・ガウディはタラゴナ近郊の都市レウスで1852年に生まれた。バルセロナ建築学校に21歳で入学、苦学生だったガウディは、複数の建築家の助手として早くから現場で実践を学んだ。卒業後、後にパトロンとしてガウディを生涯支え続けたバルセロナの新興ブルジョアジー、エウセビ・グエルに認められ、斬新なデザインと構図美を持つ作品を発表、建築家としての地位を確立する。晩年はサグラダ・ファミリア聖堂の建設にすべての時間と情熱を捧げるが、1926年、路面電車にはねられて73年の生涯を閉じる。広場から遠くに地中海が見える。公園ではノカンゾウ(野萱草)が満開ユリ科ワスレナグサ属の野草で、一日花で食用にできる。多くの観光客が。17:37グエル公園を後にする。旧市街地を散策し各自で夕食へ。各自で夕食後集合して、宿泊ホテルへ『CAMPANILE』。時間は22時過ぎ。室内に入り水廻りをチェック。ツインルームに入り。我々は1日の延泊にしているので連泊となる。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.11
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スペインの旅5日目は、アルハンブラ宮殿観光、昼食後、スペイン第3の都市バレンシアへ。グラナダの昼食会場、そして食事を終えバスへ。バレンシアまでは約450~500kmのバス移動。高速道路脇の山には洞窟が点在。山の手前には鉄道が走る。地中海に近く夏の暑さをしのぐために洞窟の住宅が目立つ。旅の疲れが出たか、バスの中は静かで皆さん爆睡中。車窓の風景を楽しみながら進む。山肌にはオリーブの若木が一面に。トイレ休憩のため高速道路のドライブインに立ち寄りトイレ休憩。ここのトイレの男性表示。赤色では日本人が間違う可能性大。巨大なイベリコ豚。今宵の反省会のためにワインを購入。オリーブの畑の先にはぶどう畑が。高速道路の料金所アリカンテ(Alacant)の街を通過。右手に地中海を見ながら進む。地中海の見える別荘地。地中海に沿って鉄道も走る。空、そして地中海も青。オズボーンの雄牛( Toro de Osborne)は、雄牛のシルエットを模した、全高14mの黒色の看板。シェリー酒の製造メーカー。白に統一されたマンションタイプも建つ。海の向こう(南側)はアフリカ・アルジェリア。トイレ休憩で、Aotglill SA へ立ち寄る。現在地はバレンシアまで約40kmの場所。サービスエリアを出発、この辺りはビルの建設ラッシュ。高層ビルが林立。湾に沿った大きな街並みが。右前方には禿山が。山肌に「クリェラ・CULLERA」とある。料金所を通過。バレンシア手前の下水処理場。バレンシアの宿泊ホテル『EXPO』へ到着。夕食は、バレンシアのホテル近くのレストランで、スペイン名物の ”パエリア” を食べる。この土地の名物料理パエーリャ。鶏肉とロブスターより小ぶりのエビが入ったもの。黄色い色は名物のサフラン。かなりのオリーブ油が入っているようで私にはもう少し具沢山でさっぱりしたものが欲しかった。これもツア-料金の影響か? ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.11
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スペインの旅五日目は、グラナダのアルハンブラ宮殿へ。この日も、早朝起床し、朝食後に3人でホテル周辺の散策に向かう。花壇では薔薇が綺麗に咲いていた。道路脇の花壇にも花が植栽。イスラム建築が残る町並み。狭い路地に入ると。重厚な建物・グラナダ大聖堂。グラナダカトリック教会であったのだろうか。ドームをズームアップ。先程の塔を再び見上げる。建物前にユニークな形状の柱が。8時頃だが人通りが少ない。集合時間が8時半のためホテルへ帰ることに。そしてホテルを出発してアルハンブラ宮殿に向かって進む。アルハンブラ宮殿の前には地元の高校生も見学に。入場制限があり、団体は予約制で入門時間が決まっている。入場者数は一日に6,000人とか。入場は、8:30~17:00で、300名/回。壁面に「ALHAMBRA」の銘板。入場門前に置かれている大砲。予約時間で入場宮殿は4つに分けられており全てを見ると最低2時間を要する。入り口の博物館内に修復中のライオンが飾られていた。入場門を入るとすぐに、ルネッサンス様式が美しい『カルロス5世宮殿』一階が博物館になっている。演奏会があるのかステージがセットされていた。アルハンブラ宮殿から眺める街の景色。白い街は、世界遺産のアルバイシン地区であると。イベリア半島最後のイスラム王朝が栄えた都グラナダ。1492年、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)でその歴史に終止符を打つ。アルハンブラ宮殿は無血開城により今も多くの建築や文化が残っているとのガイドの説明。左手にベラの塔(夜警の塔)。宮殿内から世界遺産のアルバイシン市街地。大理石で作られた豪華な装飾。柱上部の見事な彫刻。透かし彫りの装飾が見事である。150本に近い大理石柱からなる回廊。柱上部に施された透かし彫りは見事の一言。柱の繋ぎ部には鉛が入れらてあり地震等からの倒壊を防いでいるとのこと。ライオン像が池の畔に立つパルタールの庭園。青空に映えて美しい。アラヤネスの中庭は東西7m、南北35mの水面が広がっていた。壁面に文字、説明が。コマレスの塔。コマレス宮のアラヤネスの中庭の北側に建ち、高さは45mある塔の下には「大使の間」がある。王宮内の獅子のパティオ。142本の大理石柱がライオンの泉を囲む獅子のパティオ。天井の鍾乳石飾りが素晴らしい二姉妹の間。繊細な透かし彫りが至る所に。アルハンブラ宮殿から眺める街の景色。白い街は、世界遺産のアルバイシン地区。薔薇を前景にサンタ・マリア教会が。ヘネラリフェ。アルハンブラ宮殿から徒歩で約10分程で、丘を登ったところにある夏の離宮。続いてヘネラリーフェ離宮へ向かう。糸杉の中庭は見事な造形美に刈り取られ、ふと自宅の生け垣の刈り込みが待っていることを思い出す。壁に囲まれた細長い中庭にはバラなどの花が咲き乱れ、絶え間ない噴水の音が涼しさを演出している。この噴水は土地の高低差を利用して自然に噴き上がっている。これは北アフリカの砂漠からやってきたイスラムの民に、オアシスに対する強い憧れがあったからとのガイドの説明。仕事をふと思い出す。水は約35km離れたシエラ・ネバダ山脈からひかれ、この離宮には、たくさんの水路や噴水が設けられ、水をふんだんに使っているので「水の宮殿」とも呼ばれている。いつまでも立ち止まりたい空間であった。ヘネラリフェからアセキアの中庭越えにアルハンブラ宮殿の全景を見渡す。サンタ・マリア教会方向を見る。糸杉のある美しい庭園。アルハンブラ宮殿近くのサッカースタジアムが前方に。土産物屋のリヤドロ:2,700€(約46万円)と高価。グラナダの市街地を歩く。昼食はスペイン名物の 「タパス(生ハム、スペイン風オムレツなど」。昼食後、バレンシアへ移動したのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.10
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グラナダに到着、ホテルで夕食後、アルハンブラ宮殿の向かい、アルバイシン地区からさらに奥に入ったジプシー居住区の岩山の洞窟タブラオのフラメンコショーを見学。洞窟の壁に沿って椅子が並べられ、中央のスペースが舞台。我々以外にも多くの観光客が。ハードな旅程も何する事か。ツアーの友は皆元気に参加。最初の踊り子が中央に。ギタリスト、歌い手、ダンサーも同じ輪の椅子に座り、ダンサーはひとりずつ中央に出てクアドロ形式のショー。目の前で繰り広げられる踊りは迫力満点。ベテランダンサーの表情。身体全身から迫力ある歌声で。若い踊り子に続きベテランが登場。観客の手拍子が合っていないからやめろと。さすがはプロのわがまま?そして男性の踊り子が登場。飛び散る汗、間近で見るラスゲアード(Rasgueado)の華麗なテクニックに圧倒される。ラスゲアードは、ギターの奏法のひとつ。左手で和音を押さえ、右手の指の爪側で上から下に掻き鳴らすように弾く。フラメンコギターで多用される奏法のためフラメンコ奏法とも呼ばれる。踊りの途中休憩になり、ドリンク一杯付きを楽しむ。ダンサーの華やかな衣装だけでなく、表情や手の動きにも注目。衣装は黒と赤が多いのであった。日本人と思われる踊り子が登場し、汗びっしょりの熱演。飛び散る汗、間近に見るダンサーのテクニックに一同大いに盛り上がった。踊りが終わり〆のかけ声「オレ!」最後のダンサーが登場。ギターの激しく、悲しい音色はフラメンコの魅了のひとつ腰の振りも激しく響き渡るギターの音に合せて踊りも最高潮に。帰りにアルハンブラ宮殿の夜景を楽しみ興奮した心?を沈めホテルに帰った。長い一日。それにしてダンサー、ツアー仲間とも老若男女皆タフ!!!!。これにも感嘆。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.09
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この日の昼食はホテルでとり、再出発。>高速道路を東方向へ。今日も天気が良く気温も30℃以上に。バスの最前列で車窓風景を楽しむ。このあたりの南方向は、100km強でジブラルタル海峡へたどり着く。ジブラルタル海峡はヨーロッパとアフリカ、ふたつの大陸を、わずか14kmの幅で隔てる海峡。グラナダへの途中、Osuna(オスーナ)出口まで1000mとの表示板。車窓から白い壁の家が目立つ用になって来た。旅友の男性からのリクエストで急遽再度トイレ休憩。先程の休憩でビールを飲んだとか。一時間半走り目的地に近づく。白い村ミハスを訪ねる予定であったが、スペイン国内の大型車のストライキ突入の影響で急遽訪問地がモンテフォリオに変更されたのであった。オレンジとオリーブの林の高原の中をドライブ。山の斜面を削り取ったような村は、15世紀末に、頂上のアラブの城砦跡に造られたサンタマリア教会に向かって、白い家々が四方から一斉に這い登っているような景観でありここも素晴らしい。添乗員も初めての訪問地とのこと。切り立った山の上に建つ教会・サンタマリア教会。アンダルシアの白い村々の一つで、スペインで最も美しい村との呼び声が高い。白い村と言えばフリヒリアナ、ネルハ、ミハスなどが有名ですがモンテフォリオはまだまだ日本人観光客も少なく白い村の穴場的な存在だと。イスラムの歴史に溢れたサンタマリア教会の麓に白い軒並みが続く姿が美しかったのであった。村のモスクには数え切れないほどの岩ツバメが巣作りに励んでいた。山の裾野には張り付くように白い家が甍を並べていた。まだまだ日本人観光客は少なく、アンダルシアに点在している白い村や白い町の中では穴場的なスポットであると。自由行動でモンテフォリオの街を散策。白い壁に挟まれた急な坂を登りサンタマリア教会の方向へ歩く。白い壁と花。地面近くは積雪かと勘違いしそうなのだった。村の中の岩山の穴の中で子供達が明るく遊んでいた。サンタマリア教会を見上げる。家々がぎっしり連なる白い壁の村・モンテフォリオ。アンダルシア地方の建物が白いのは、昔の人々の夏の暑さ対策の知恵だと。ここで引き返し、石畳の坂を下る。再びモスクまで戻る。鐘楼であろうか。バスの待つ場所に向かうが、自転車レースの案内板『RUTA HIPONOVA』案内板には、左にレース写真、真ん中にルート、右に高低差等が表示されていた。そしてグラナダへ向かう途中、羊飼いが、牧羊犬を使い羊を誘導しているところに出会ったのだ。道路標識は「GRANADA(グラナダ)」。高速道路の法面にはエニシダが満開。途中夕食をとり、グラナダのホテルへは21時過ぎに到着したのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.09
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宿泊ホテル「TRH LA MOTILLA」。ホテル前の街角にあるこの飛行機は?。オリーブの実。そして8時半にホテルを出発、この日は大河の恩恵で栄えた貿易の都そしてスペイン第4の都市セビリヤの観光。今日のバスの席は最前列が指定席。左前方にサッカーのスタジアム。ローマ時代からアンダルシアの中心都市だったセビリア。フラメンコや闘牛の本場として、またビゼーの『カルメン』の舞台として有名。グアダルキビール河畔に広がる旧市街は、素朴で温かい風景を見せてくれる。セビリアは8世紀から約500年間イスラムの支配下に置かれ、その影響を強く受けた。正面に「黄金の塔」が姿を現した。グアダルキビル川のセビリア港への外部からの侵略を防ぐためにムーア人建てたのが黄金の塔。つまり黄金の塔はグアダルキビル川を守る要塞としての役割をしていて、川から侵入しようとするものを見張っていたということ。グアダルキビル川の水面に映る塔が黄金に見えたことから、黄金の塔と呼ばれるようになったと。まずは美しい半円形対称なスペイン広場を訪問。広場の噴水は出ていなかったが橋の手摺り等にはセビリヤ焼きの陶器がはめ込まれ、スペイン各地の歴史を描いたタイル画のベンチが備えられていた。映画『アラビアのロレンス』や『スター・ウォーズ エピソード2』のロケ地として使われたことから一躍有名になたっと。1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会の会場として、建築家アニバル・ゴンサレスによって造られた。右側半分を見る。右側の塔。左右対称の左側を見る。左側の塔。建物の中央。スペインの国旗がはためく。スペイン広場で美しいのは、ムデハル様式の壁面のタイル。半円の壁面にはスペインの各都市を象徴する歴史的なできごとと、その都市がどこにあるのかを示す地図が描かれていた。重厚なレンガ造りの建物との調和が見事。ア・コルーニャ(CORUNA)の文字が。ア・コルーニャは大西洋における重要な港。左側の塔下から右側の塔を見る。そしてバスに乗り込みサンタ・クルスへ向かう。ムリーリョ公園にはコロンブスの記念塔が聳えていた。柱の中程にはコロンブスが乗船したサンタ・マリア号がアメリカ大陸に舳先を向けていた。1492年コロンブスは新航路探索に向けてここセビリアから出発した。スペイン王室と契約を交わしたコロンブスはやがて新大陸航路を発見し「太陽の沈まぬ国」の基礎を築くことになるのであった。そんな記念塔が立ち、オレンジの大木があるこの公園はサンタ・クルス街の入り口にあった。バスを降りサンタ・クルスの街を歩く。アルカサルの北側に広がる旧ユダヤ人街。アンダルシア地方の典型的な家々が並び、花をあしらった白壁や鉄柵の奥に覗く美しい中庭などがあり、歩いているだけでも楽しい。Sevillarte自社工場で生産したセビリア焼きの陶器はどれもスペインらしい明るい色調。絵皿をはじめ灰皿、時計、小物入れなど手ごろな価格でアイテムも豊富であると。伝統的なセビリア焼き。伝統の手法ですべて手描きされている。小道の合間から、ひときわ高くそびえるヒラルダの塔が見えた。ホテル、レストランもあり広場にはカフェも。世界遺産であるスペイン最大の『カテドラル』を見学。世界第3の規模をもつゴシック様式のキリスト教聖堂とのこと。『ヒラルダの塔』は96mを誇りイスラム教→キリスト教の歴史を刻んでいる。後ほどこの塔へ上る。ライトアップされた夜景も見事だと。最上部をズームアップ。女神像は風により方向が変わるようになっていた。カテドラル前の広場へ。スペイン最大の大聖堂『カテドラル』ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで、世界第3位の規模を誇るキリスト教大聖堂。1248年にフェルナンド3世がセビリアを奪還すると、イスラム礼拝堂はキリスト教の大聖堂として使用された。ゴシック様式の大聖堂としてはヨーロッパで、16~19世紀に造られた75枚のステンドグラスは息をのむ美しさ。聖アントニオンの小祭壇に掛けられているムリーリョの『聖アントニオの奇跡』は必見。また、コロンブスの墓や名画、宝物など見どころはいっぱい。入口にも女神像が。カテドラルの中庭。聖堂内へ入り。カテドラルを彩る装飾品のなかでもとりわけ圧巻なのが、主祭壇と聖歌隊席。聖書の場面を1000体以上の彫刻と45のレリーフで表現した黄金色の祭壇は、天井まで届きそうなほどの圧倒的な大きさ。当時のスペインを構成したレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの4国王がコロンブスの棺を担いでいる光景。パイプオルガン。内部には黄金に輝く主祭壇、コロンブスの墓等があり、中でもステンドグラスの美しさには感動した。鐘楼であるヒラルダの塔へのぼる。緩やかにスロープがくるくると続き、塔の最上階まで続いていた。階段のない塔で、途中途中に何周したか表示があるのですが、一体何周したのか、忘れるほどに多かったのであった。『ヒラルダの塔』に登れば、『オレンジの中庭』が下に見えた。この南スペインには多くのオレンジが植えられていてオレンジの中庭と呼ばれる庭も多くある。丁度オレンジが生っていて、なんとも落ち着くいい雰囲気の庭であった。オレンジの庭をズームで。塔からは市内も一望でき遠くマエストランサ闘牛場の丸い建築物も確認できた。カテドラル前の広場。左奥にスペイン広場の塔が見えた。レンズを左側に振って。ヒラルダの塔から降りる途中に。カテドラルの中庭でオレンジの木を再び。カテドラルからバス乗り場へ。建物間の上には日除けのテントがやはり陽射しが強い。路面電車が走る市街地。路面電車の駅、観光用の馬車も多く。カテドラルの西側イスラム教支配時代のモスクを取り壊して建設されたカテドラル。鐘楼であるヒラルダの塔は唯一のモスクの名残り。カテドラルとヒラルダの塔。バスに乗り昼食会場へ、前方にヒラルダの塔。昼食会場へ。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.09
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コルトバ市内へ向かう途中のサービスエリアのガソリンスタンドでガソリンの価格表示があった。日本よりもガソリンが高い。sin plomo(無鉛ガソリン)が210円/L程度である。そして何故かディーゼル油の方が高い。これはスペインと日本の税金設定が違うためか。そしてコルトバに到着。観光用の馬車が客を待っていた。キリスト教徒によって街が奪回されてから今日まで、イスラムの遺産であるメスキータ(モスク)を取り囲むようにコルドバの街が形成されていることからも、イスラム時代の栄華は忘れ去られることはないだろう。旧市街全体が文化遺産に登録されている。壁面に「AMADOR DE LOS RIOS(アマドールデロスリオス通り)」。アマドール・デ・ロス・リオス(1816-1878年)はスペインの歴史家。旧市街地を馬車が走る。遅い昼食会場へ。スープそしてパンは袋に入れられ。メインは肉料理。約1時間のランチタイムを終え外へ出る。広場のサン・ラファエル勝利記念像。そしてメスキータ入口へ。メスキータとは、スペイン語でモスクのことですが、一般的にコルドバの聖マリア大聖堂を指すようになったそうです。ここにはイスラム教の大寺院と、キリスト教の祭壇との二つの異なった礼拝堂があります。モスクの総面積は24,000m2、西洋のイスラム寺院では世界最大のものです。この中には最初1,013本の円柱がありましたが、中にキリスト教の祭壇を建てるため改修され、856本となりました。8世紀半ばにイスラム王国に支配された後、500年近くイスラム文化の頂点を極めた大モスク『メスキータ』を見学。このモスクにはイスラムとキリストの支配の歴史が融合した建築物とのこと。モスクのミナレット(尖塔)は93mの高さを有しキリスト教徒により上部に鐘がつけられ鐘楼へと姿を変えていた。左手がメスキータ内の中庭メスキータは、後ウマイヤ朝を創始したアブデラマン1世によって、785年に建設が始まり、その後歴代の王によって増改築された世界最大級のモスク。シュロの門から足を踏み入れると、約850本もの馬蹄形アーチが目の前に広がる。鮮やかなセピア色のアーチは、モザイクを駆使した唐草模様やアラビア文字で装飾され、荘厳な雰囲気。半円形のアーチは、赤い部分は煉瓦、白い部分は石で造られています。『円柱の森』と呼ばれる円柱が林立するメスキータ内部。二重構造のアーチが連なる『円柱の森』。写真はアブド アッラフマーン1世によりモスクが建てられた「最初の建築エリア(786-788年)」。赤レンガのアーチが続く様はまさに壮麗そのもの。天上を見上げて。列柱の彫刻を説明する現地ガイド。ステンドグラスも美しかった。アラベスク模様やモザイクが豪華なミフラーブの丸屋根。上部には八角形のドームがあり、僅かながら外からの柔らかい光を取りこんでいた。メッカの方向を示すミフラーブ。メスキータ内の荘厳な聖体顕示台。壁面のステンドグラス。教会横の説教壇。奥にキリスト像が。糸杉が立つ中庭へ出る。庭の美しさも有名で ”オレンジの中庭” は市民の憩いの場になっている。中庭からのアルミナールの塔。メスキータの横にあるユダヤ人街は、入り組んだ迷路のようで、狭い石畳の道の両側には、こぼれんばかりの花を競い合うが如く飾った白壁の家が並んでいた。ユダヤ人街にある花の小道を歩く。巨大なメスキータの周りを白壁に花を飾った愛らしい小道が囲んでいて、伝統工芸やコルドバ料理の店が軒を連ねていた。飲食店の中には「イベリコ豚」が。自由時間で、グアダルキビール川に架かるローマ橋へ向かう。グアダルキビール川の下流側。今は使用されていない水車。2千年以上にわたりコルトバの歴史の目撃者であるロ-マ橋を渡る。今尚通行量の多い16のアーチが連なる石作りの見事な橋である。コルトバを後にして、セビリアへ向かう高速道路の横が見渡す限りのひまわり畑。写真撮影のためドライバーが急遽道路脇の空き地にバスを止めてくれた。山一面がヒマワリ畑。そして出発すると反対側の畑は小麦畑か?到着したホテルの庭にはプール、その前で記念撮影の旅友二人。このあと夕食会場へ。夕食後、ツアー仲間のMさん母娘と我々の部屋でワインを二本飲み盛り上がったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.08
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この日はコルトバの市内観光。ホテルを8時15分に出発し一時間強走り、のどかな田園風景に溶け込む風車の姿が。別の丘には近代の風力発電の風車も並ぶ。アラビア語で「乾いた土地」を意味するラ・マンチャ地方。その中にある、コンスエグラには、雨の少ない土地でも育つオリーブ畑やブドウ畑が広がっていた。また、風車の村としても有名。小説『ドン・キホーテ』にも登場した白い風車は、のどかな村のあちらこちらに点在し、そのいくつかは内部を見学できるのであった。途中『ドンキ・ホーテ』ゆかりの白い風車の村コンスエグラに立ち寄った。丘の上は風もあり涼しく、コンスエグラの街並とラマンチャの乾いた荒野が一望のもとに見渡せた。せっかく風車まで行ったので、ドン・キホーテのマネをして体当たりをしたくなったが、まだ旅は始まったばかりですので風を体全面で受け取るだけに。風車の中で名物おじさんが土産物を売っていた。誰が教えたかけったいな関西弁を駆使して売り込みに懸命。おかげでサフランを土産に買ってしまいました。風車の動力で粉挽きが。歯車は木製で石臼を回して、小麦を粉にしてパンを焼く。風車の階段を上り窓から外を見る。目の前を風車がゆっくりと回り。丘から下り、トイレ休憩で土産物店へ立ち寄る。教会の前に空に向って延びる糸杉。糸杉と言えばゴッホの「糸杉」や「糸杉と星が見える道」の絵だが、今回の旅で私は初めて見たが、スペイン、ポルトガルには多いと。セルバンテスが泊まったという当時の旅籠はペルト・ラピセという村にあり、現在「Venta Del Quijote」と言うレストランになっている。概観や中庭にドンキホーテを思わせる雰囲気で「旅籠」だった名残りが今でも感じられた。店員と一緒に写真を撮ったら店の名刺を渡されメールで写真を送れとのこと。売店の女性。教会の前にもドン・キホーテのオブジェが。ドン・キホーテミゲル・デ・セルバンテスによって1605年に発表された小説『ドン・キホーテ』。騎士道小説の読み過ぎで頭がおかしくなった主人公アロンソが、自らを騎士ドン・キホーテと名乗り、従者サンチョ・パンサと年老いた痩せ馬ロシナンテとともに旅に出るのであった。その道中、自己の欠如や人間の美徳を取り戻していくこの物語は、中世の理想主義とリアリズムが融合した、ヒューマニズム作品の傑作として、文学的評価も高い。劇中、ドン・キホーテが風車を「巨人」と見間違え、勇猛果敢に戦いを挑む舞台が、ここカンポ・デ・クリプターナ。約20分のトイレ休憩の後にバスに乗り込む。九十九折の峠を越えて行った。道路の両側には岩肌が押し迫り。鉄道もある、制限速度は50km/h。山の斜面はオリーブ畑で延々と続く。山一面にオリーブの木、手前はヒマワリか?高速道路脇の斜面にもオリーブの木が。丘の上の小さな街並み。ズームして。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.08
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昼食後バスにて高速を利用してトレド観光へ。途中トレドの全景が一望できる場所で写真撮影。エニシダが咲く、タホ川の上流側。タホ川の上流側のこの新アルカンタラ橋を渡り市街地へ。タホ川の左上に「アルカサル」アルカサルは、11世紀にイスラム勢力からトレドを守る要塞として建築。以後500年間カスティーリャ王国の首都トレドの軍事拠点になった。1936年のスペイン内戦の際、ここで激しい攻防が繰り広げられ、建物は崩壊。その後市民戦争博物館として再建されたが、2007年まで修復工事のため休館中であったと。三方タホ川に囲まれた町並みは、4世紀にわたってこの地を支配したイスラム教徒の華やかな文化が偲ばれる。高台にある左が「カテドラル」右は「アルカサル」。カメラを西に振り、90mの鐘楼を持つ「カテドラル」。タホ川は古都の南側を迂回しポルトガルへと流れる。もっとじっくりと撮影したいビューポイントであったが、撮影後バスへ乗り城壁内へ。新アルカンタラ橋を渡り城壁内へ入る。街並みの間に日除けのテントが。トレドは画家エル・グレコが愛した街で創作活動に励んだ地として有名。グレコが残したトレドの風景画と、現在の町並みとが変わらないことに驚かされる。見上げると建物の間から高い鐘楼。この建物は。高さ90mの鐘楼を持つ「カテドラル」(左)フランス・ゴシック様式のカテドラルを外から見学。大きすぎて写真に入らない。スペイン・カトリックの総本山としての威厳を実感。パリのノートル・ダム寺院と同じフランコ・ゴシック建築のカテドラルはトレドの街のシンボル。サント・トメ教会でエル・グレコの『オルガス伯爵の埋葬』を鑑賞後、土産物売り場の散策へ。この地方は陶器が有名とのこと。世界遺産に登録されている『トレドの旧市街』は、ローマ時代、イスラム支配時代、ルネッサンス期など、あらゆる時代の文化遺産を残す街並み。狭い石畳の通路を下る。エル・グレコは天上の世界を描き続け、クレタ島生まれのギリシャ人で、エル・グレコとはスペイン語でギリシャ人を意味する。その生涯を宗教画家として送ったグレコはトレドに定住し、神秘的な作風を確立した。ゴヤ、ベラスケスとともにプラドの3大巨匠として知られている。下から見上げると各窓に花を飾りが。窓辺を飾るゼラニウム。ユダヤ人住居地区建物の壁面に、「BARRIO DE LA JUDERIA 1492」とマークが。旧市街地の狭い通路を進む、エル・グレコはギリシャのクレタ島生まれ、30代半ばで仕事を求めトレドへやってきた。以後亡くなるまでの40年間を過ごしたといわれるエル・グレコの家もあったのだが。狭い通路を上る。トレドの高台から北東方向を望む。同場所から北西方向を見る。西方向のタホ川を見る。北側の「ビサクラ新門」、観光案内所もあった。一時間半の観光を終え、北側に降り立ち高台を振り返る。ここで名物の象眼金細工(ダマスキナード)の実演を見学。妻と娘にお手頃のペンダントを購入。マドリード市内へ戻る途中、夕食会場へ。夕食の白身の魚のムニエル。夕食を終え街中を歩く。ロータリーの噴水。世界に広がるリヤドロの魅力リヤドロの人形は、伝統的な技法を身に付けた彫刻家によって、ひとつひとつ形作られる。細部の小さな装飾から美しい彩色に至るまで、緻密な工程をたどって経験豊かな職人たちがその原型を芸術作品へと仕上げていき、120ヵ国を超える国々へと輸出されていく。リヤドロの芸術的価値は、世界中の美術館や博物館でも認められ、ロシアのサンクト・ペテルブルクにあるエルミタージュ美術館では常設展示されている。一個の値段が、当時は480€(約82,000円)と高価だった。再び夕刻のスペイン広場へ。文豪セルバンテス没後300年を記念して造られた広場。かつてはこの広場に兵舎があった。ドン・キホーテとサンチョ・パンサ像の上にはセルバンテス像。オリエンテ広場の前で旅友と。サバティーニ庭園を見下ろす。庭園の中を散策。手入れの行き届いた庭園。結婚式前の前撮りか。夕闇の市街地。王宮側からおオリエンテ広場フェリペ4世の騎馬像。アルムデナ大聖堂大司教区の守護聖母を祀る。1883年に着工したが、市民戦争の影響で工事が遅れ、1993年に完成したマドリードのカテドラル。ファザードは、正面に向って建つ王宮に合わせた新古典主義様式の装飾が施されている。時間が遅く中には入れず。王 宮小高い丘に建つ豪華絢爛な宮殿。マンサナレス川を見下ろす高台に建ち、1738年ブルボン王朝の初代国王フェリペ5世の命により建設が始まり、1764年カルロス3世の代に完成したバロック様式と新古典様式が調和した建物。「柱の間」の壁を覆うタペストリーや、赤いビロードが印象的な「玉座の間」などに王家の栄華がうかがえる。2500枚に及ぶ世界有数のタペストリーのコレクションは必見。ここも時間が遅く入れず。大きなパラソルの下で談笑するマドリード市民。花も美しく。交通整理のおまわりさん。有名ブランドのショップやホテルが軒を連ねるグラン・ビア通り。グラン・ビア通りの一角に「三越」。三越店内で迎えのバスを待つ。ホテルへ帰り、明日は8時15分出発のため早めにベッドへ。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.07
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この日は9時にホテルを出発するためホテル廻りを散策、ごみ箱を覗いてみる。マドリードはイベリア半島の中央に位置するスペインの首都。今日は土曜日で人通りがないのであった。このモニュメントは?公衆電話で。街中の大きなゴミのトレーラー。そしてヨーロッパ三大美術館に数えられるマドリッドのプラド美術館へ。スペインの三大巨匠ゴヤ・エルグレコ・ベラスケスの作品展示が充実している。2時間弱の観光時間では選択と集中が鍵。現地ガイドの案内に従う。ゴヤの『裸のマハ』は鑑賞できたが『着衣のマハ』は外出中。人気者は超多忙の様だ。プラド美術館スペインが誇るプラド美術館は、王室コレクションの保存、公開を目的に1819年に開館。1868年の9月革命で共和制になるのに伴い、「プラド美術館」として国営化された。所蔵点数は1万点以上、その膨大なコレクションは代々王室によって収集されてきたプライベートコレクションである。また、盗品や略奪品が一切ないのが特徴で、この美術館の誇りとされているプラド美術館の前に立つ「GOYA」の像美術館内は撮影禁止のため、ガイドブックから。残念ながら「着衣のマハ」は他の場所で展示しているとのことでなかった。芸術をこよなく愛したスペインの歴代王室が収集した作品の中でも、エル・グレコ、ゴヤ、ベラスケスはプラドの3大巨匠として知られ、数多くの作品が所蔵されていた。プラド横の教会・サン・ヘロニモエル・レアル教会も外部から見学。道路脇に無造作に「日産の中古車」が展示中。値段は、168,000€、連絡先の電話番号も。2階建てオープンの市内観光バス。プラド美術館から徒歩にてバスの待つ場所に。街中のロータリー。サン・ヘロニモエル・レアル教会前で観光バスへ乗車。そしてスペイン広場へ。この広場は中世スペイン文学の巨匠セルバンテスの銅像が、その傑作の主人公であるドン・キホーテとサンチョ・パンサを前に従えて座っていることで有名である。これらの銅像は1927年につくられ、またこの広場は建設当時、欧州一の高さを誇った117m(26階)の Edificio de Espana、高さ124mの Torre de Madridの高層ビルによって囲まれている。騎上のドン・キホーテの銅像と高層建築のコントラストは、観光絵葉書の格好のテーマとされている。オリエンテ広場と王宮アーティストを魅了し続ける広場で、王宮の東側に位置する。ブルボン王朝の中でも賢王とされているカルロス3世によって完成された王宮。外観はネオ・クラッシック様式、内装は豪華なフランス風の宮殿。現在は、国賓のための晩餐会、大使の信任状奉呈式等国の公式行事に使われており、公式行事のない時には、約2,700ある部屋のうち約50室が公開されているとのこと。隣には、フェリペ皇太子が2004年に結婚式を挙げたアルムデナ大聖堂があった。オリエンテ広場の花も美しく。昼食会場へ向かう天気の良い日は屋外で食べたいがツアーはいつも室内。昼食後マドリードの南、約70kmに位置する『トレド観光』へ。女性二人連れの、Oさん、Uさんと親しくなり。
2008.06.07
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マドリ-ド・バラハス空港に22時前に到着。まだ明るい。空港建物の屋根は自然光を取り入れた、日本風の竹の曲線美を想像されるユニークな意匠構造。この後ツアー客1名の荷物が出てこないトラブル発生。調査を空港に依頼しホテルへバスで向かう。30分でホテル着。OBの方とツイン利用。トイレにあるもう一つの便器?は何用? ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2008.06.06
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【海外旅行 ブログリスト】👈リンク本日から14日まで有給休暇を取りスペイン旅行です。会社の先輩とOBの3名でJALPACツア-に参加。JALにてアムステルダム、イベリア航空でマドリードへ17時間の長旅です。利用便は12:45発のJAL411とイベリア航空7939の共同運航便最初の機内食です。アムステルダム空港でイベリア航空便に乗り換え。空港内のオランダサッカーチームのユニフォーム売り場。オランダの国色であるオレンジ一色の売店です。 ・・・つづく・・・
2008.06.06
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昨日 ピーク発電の新記録を達成=5.4KW。昨日は晴天ではなく、おそらく雲間から太陽が顔を出した時でしょう。太陽光発電の効率は温度が高くなると低下しますので、夏場より今の時期が最適のようです。梅雨入りしてしまいましたが・・・・。昨日は発電量と消費量がずばり一致しました。昼間は電気が余りこれを売って夜のみ電気を買ったことになります。
2008.06.05
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太陽光発電の連系接続が完了し売電を開始しましたが5月の月末は雨の日が多く、発電量は伸びませんでした。しかし本日は朝から快晴。日発電量は34KWHと最大となりました。日の出30分後の朝5時から発電が始まっていることが判ります。深夜の消費電力はエコキュートが1/3の電気代で運転している事を示しています。売電計も数値を伸ばし、運転開始から67KWHを売電したことになります。発電量積算値は97KWH、よって昼間に発電した電力の70%が売れていることになります。67KWH×26.25円/KWH=1760円(5.5日間)の収入です。先週末、東京電力が連系時の電圧調査のため測定器を取り付けに来ました。我が家の発電→売電により規定値以上の電圧上昇が発生するようであればトランスの設定値を変える必要があるとのことです。しかしそろそろ梅雨のシーズン。6月はどの程度の月間発電量になるのでしょうか。
2008.06.01
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