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隠居人はせじぃさん
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Gママさん
noahnoahnoahさんCalendar
畳表を交換した八畳間にある『床の間』に、妻が五月飾りの鎧飾りを飾りました。
床の間とは床を一段高くして、置物・花瓶などを飾り、正面の壁に書画などを掛ける日本
の伝統的な和室の装飾空間。
この鎧飾りは長男の初節句のお祝いにと、妻の両親から戴いたもの。
なんと25年以上前のもの、我が家のお宝です。今度の「なんでも鑑定団」に出せそうな
逸品なのです。

三曲一隻の黒漆の屏風、止まり木の上で羽根をやすめる一対の鷹の姿と老松が
描かれている。


この武将は誰であろうか、昔聞いた記憶があるが思い出せないのであるが。

端午の節句の飾りはこの五月人形の内飾りと、鯉のぼりの外飾りと分けられるのだ。
男の子の健康を願う内飾りに対して、外飾りの鯉のぽりは、滝をさかのぼる力強い鯉に
あやかったもの。立身出世の例えにされ、立派におとなになるようにとの願いが込められ
ているのだ。
長男が小さい頃は、この外飾りの鯉のぼりも隣の畑で何年かに渡り揚げたのであるが
強風により鯉が外れ飛ばされ道路に落ちてしまったり、急な雨での鯉のぼりの片付け
作業を行ったことを懐かしく思い出したのである。先日家の近くを散歩していた折
農家の庭に揚がっていた鯉のぼりである。最近ではこの様な大型の鯉のぼりが
我が住む地域でも少なくなってきたのであるが。

この鎧・兜は昔、武家社会の男子にとって非常に大切なもの。また、今日では男子の身を
守るという意味をもっており、端午の節句に飾ることで、男の子の誕生を祝い、災いや
病気にかからないように身を守ってほしいという願いがこめられているのである。

インターネット情報によると
「端午とは、五の端(はじ)」。端は先端の「たん」であり「はじめ」を意味し、午は「ご」と読む
ため「五」と置き換えられ、五月最初の午の日が端午の節句になったと。
「端午の節句」は、女性が田植え前に厄払いを行う行事から始まったようだが、「3月3日」
が女の子の節句と言われるため、強引に男の子の節句にされたような生い立ち
とのこと。また、別名菖蒲(しょうぶ)の節句と言われるように、端午の節句では菖蒲を
用いて、春から夏へと変わる時期を無事に乗り越えるためのお清めが行われていたと。
武士の間では、菖蒲を尚武(しょうぶ:武道や軍事を尊む)に置き換えて、尚武の節句とし
て祝うようになり、男の子の節句へと変わって行ったと。武家では男子のお祝いとして、
甲冑(かちゅう)や刀などを飾り、勇ましく成長することを祈ったと。これがのちに形を変え
て、武者人形飾りとなったと。
現在では「子供の日」として国民の祝日にもなっているのだ。
そして今年は「菖蒲湯」に入るのを忘れてしまいました。
夫婦共々,ある道程を少しずつ歩み始めていることを実感せざるを得ない
『アラカンオジサン』なのです。
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