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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
関門の湯の後は下関のホテル近くの早朝散歩を一人で。
さすがにフグの街、下水道マンホールはフグ君が描かれていた。

ビルの横壁には何故か無造作に錨が立て掛けられていた。

再び「海峡ゆめタワー」

最上部にある球体の展望台。

そして関門海峡の向こう側の山の上が赤みを増して来た。

港にはケミカルタンカーが停泊中。
船の名前はCARBONIAN FAITHBOND。

ますます空の赤みが増してきた。

旧山陽ホテルは取り壊されて、今、跡地は駐車場となっていた。跡地前の歩道には、
碑が建てられ山陽ホテル跡の表示板が。

高杉晋作が大活躍した、下関。
晋作通りにある、お猪口を片手に微笑む晋作の像。

細江カトリック教会前の空き地には下関市議会議員選挙の準備が。

「維新の史跡 見て歩きコース」 の表示板。
14ヶ所の史跡が紹介されていましたが、今回、見ることができたのは数ヶ所のみ。

「港の見える丘の径」は、下関の海沿いの山並みを巡る遊歩道。
大歳神社から日和山公園を通り、水族館「海響館」近くの寿公園までを結んで
いるのです。
300段以上の階段を頑張って登る。

振り返ると山の上の空が赤く染まっていた。

そしてぜいぜい言いながら漸く日和山公園に到着っ!

遠く関門海峡大橋も望遠で確認できたのです。

陽光に赤く輝き始めた高杉晋作の像の横へ。
像の真下まで、もっと近づきたいのでしたが、柵で囲まれているのがちょっと残念。
像はよくある銅製ではなく、備前焼の陶製、焼き物であるとのこと。
なぜ陶製なのか?元は、昭和11年4月、高杉の70回忌を記念して建てられた
銅像があったようですが、太平洋戦争中、戦局の悪化と物資不足を補うための
金属類回収令により、供出されてしまったのだと。
戦後の昭和31年4月、今度は高杉の90回忌に再建されたのだが、再び戦争が起きても、
陶製なら溶かされることもないだろうからと、備前焼の陶像で再建されたのだと。

そして山の端からの日の出。

折しも関門海峡には貨物船が通過中。

日の出をズームアップ、絞りを調整して撮影。

そして丸き太陽が姿を現したのであった。

「海峡ゆめタワー」 も陽光を浴びて。

牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
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