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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
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朝風呂の後は朝食。
1Fの食堂には未だ宿泊客の姿はなく一番乗り。

食堂の壁には見事な切り絵が飾られていた。

朝食の品数にびっくり。

夕飯の如きボリューム。




仕上げはコーヒー。朝からタフな朝食。

食堂の窓の外には足湯が。

朝食の後は一人で津和野の街の早朝散歩。
津和野川と津和野大橋。

鷺舞(さぎまい)の像。
鷺舞とは主として八坂信仰の神社にて奉納される伝統舞踊。
この島根県津和野町及び京都市の八坂神社で奉納されるもの。

鷺舞は、天文11年(1542年)に当寺の津和野城主・吉見正頼が京都から導入した
古式に則った神事舞。以来、弥栄神社の神事として歴代の津和野藩主からも保護されて、
現在では小京都・津和野を代表する風物詩として国の重要無形民俗文化財に指定。

稲成神社の鳥居。
稲荷神社は全国で四万社ほど有るが、「稲成」神社は二社のみとのこと。

津和野のメインストリート。右側が民俗資料館(旧藩校「養老館」)で左側が町役場。
町人街の町家と違って、武家屋敷の街並みは間口が広く密度の低い空間。

鯉?のモニュメントも。

多胡(たご)家老門。
亀井氏11代にわたって手腕をふるった家老、多胡家の屋敷門。
どっしりとした造りは、現在でも威風堂々たるもの。両脇には物見、番所が残されていた。
その佇まいは往年の隆盛を今に伝えている。県指定有形文化財。

鷺舞はシラサギがモデルのようだが、津和野の通りをアオサギ?も早朝散歩中。
人に慣れているのか近寄っても逃げようとしない。近くで見ると結構大きな鳥。

森鴎外生家。
西周(にしあまね)旧居と津和野川をへだてて向かいあっている国指定の史跡。
森家は代々津和野藩の藩医で、50石どりの家柄であったと 。
鴎外(林太郎)は文久2年(1862)1月19日この家で生まれ、明治5年(1872)11歳で
上京するまでここで過ごしたとのこと。

森鴎外遺言碑。
余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ
一切秘密無ク交際シタル友ハ
賀古鶴所君ナリ コヽニ死ニ
臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス
死ハ一切ヲ打チ切ル重大事
件ナリ 奈何ナル官憲威力ト
雖 此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス
余ハ石見人 森 林太郎トシテ
死セント欲ス 宮内省陸軍皆
縁故アレドモ 生死別ルヽ瞬間
アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス
森 林太郎トシテ死セントス
墓ハ 森 林太郎墓ノ外一
字モホル可ラス 書ハ中村不折ニ
依託シ宮内省陸軍ノ榮典
ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ 手續ハ
ソレゾレアルベシ コレ唯一ノ友人ニ云
ヒ殘スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許
サス 大正十一年七月六日

津和野といえば、殿町通りの土塀の白壁と、掘割に泳ぐ色とりどりの鯉と、
その脇に咲き乱れる白や紫の花菖蒲が美しく有名な風景。
6月頃に再び訪れたいと思ったのであった。

まだまだ独り占め。

養老館の門を覗き込むアオサギ?。

津和野コミュニティセンター の門。

遠くに教会の尖塔が。

津和野カトリック教会。

ゴシック様式の教会で、鮮やかなステンドグラスが印象的。
国登録有形文化財。

聖堂内。

隣接する乙女峠展示室では、カトリックの殉教に関する歴史資料を展示していました。
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