JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.06.18
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カテゴリ: 海外旅行
​Dakhbed Yuli 通りをシャーヒ・ジンダ廟群に向かって進む。
​​道路左手には目新しい線路が。
​​

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Ulitsa Avitsenny通り。
​​

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西暦500年から1220年に占領された、サマルカンド北部の古代遺跡Afrasiyab ( Afrosiyob )の
城壁沿いをバスは進む。
​​

​​
洞窟の如き穴も。
​​

​​
そしてシャーヒ・ジンダ廟群に到着。
シャーヒ・ジンダ廟群には9~14世紀及び19世紀に建設された儀式用の建築物と霊廟の集合体。
シャーヒ・ジンダ(生ける王を意味する) という名前は予言者ムハンマドのいとこである

侵攻が行われた時期にこの地を訪れ、同時期に埋葬されたという伝説と密接に結びついている。
一般的に知られている伝説においては、彼はその信仰のため斬首されたが、自分の首を拾って
地中深い井戸の中にある楽園の庭に行き、現在でも生きているとされている。
シャーヒ・ジンダ廟群は11世紀から19世紀までの9世紀の間に作られており、現在では20以上の
建造物の集合体となっている。

シャーヒ・ジンダ廟群の配置図。
現存する14の霊廟が一直線に並び、「死者の道」と呼ばれていると。
下記配置図は
【https://hulule-hulule-voyage.blogspot.com/2015/07/blog-post_13.html】より
転載させていただきました。



表玄関の開口部上には、木の透彫で、優美な蔓草文とアラビア文字が表されていた。

​​ ​​

​​
「天国への階段」 を登って行く。
ここの階段の数が、昇りと下り同じだったら天国に行けるとか。
私も数えて、往路&復路でぴったり合ったのであった。
​​シャーヒ・ジンダ廟群の建築物はチャルタク (Chartak) と呼ばれる、アーチ状をした

​​第2のチョルタックの向こうに見える2つのドームは、アムール・ザデ廟(左)と
トグル・テキン廟(右)のもの。
​​

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「天国への階段」 の途中にある 「コシュグンバズ廟」 の二つのドーム。
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​​
アムール・ザデ廟(左)とシャディ・ムルク廟(右)が並んでいた。
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アムール・ザデ廟。
1836年建設、ティムールの部下の将軍の息子の廟。
チョルタックを抜けてすぐ左側にある。
遠方からは、焼成レンガ(テラコッタ)の低いドームが屋根に。
14世紀末、シャディ・ムルク廟の南側にアムール・ザデ廟が増築された。
この廟の装飾には様々な形のマジョリカが多くみられると。
マジョリカは絵付けタイルの総称であると。
​​

​​
シャディ・ムルク廟。
​​最初に建設されたのは、ウルジャイ・シャディ・ムルク(1372年没)の廟であったと。
彼女はアムール・ティムールの姉クトルグ・トルカン・アガの娘。
この廟の入口には肋骨のあるドームと彫りのタイルで飾られていた。
1383年にクトルグ・トルカン・アガ自身も亡くなり、同じ廟で埋葬された。
入り口の上には銘があり、その銘の内容は、「スレイマンが自身の幸福の宝石であった
女性と風で吹き飛ばされたように、私たち二人も地下で安心して眠ることができる」というもの。
廟にある納骨堂は開けられていないが、外側からの研究で地下に二つのアーチがついている
長方形の部屋があることが明らかになった。
廟の装飾は、青色のテラコッタやマジョリカのタイルで溢れていた。
建てられた時の姿をほぼ完全に保っていると。


​​
その先には現在ではタイルのない廟が続く。
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内部にはタイルで装飾された棺が安置されていた。
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階段上がって右手のシリンベク・アカ廟。
​​ 1385年建築で、アラビア文字にツタがからまっているような模様。
ティムールの妹シリンベク・アカを祀っていると。



銘板。



シリンベク=アカ廟の内部。
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ドームの天井。
​​ ​​

​​
正六角形の青のタイルが光に照らされて。
​​


クサム・イブン・アバスの廟とモスクが前方に。
この墓廟群にはたんにタイル技法の種類が多いだけでなく、その使用法によって、
イランや後のティムール朝建築には見られない特殊な雰囲気を醸し出しているのだと。
​​
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左側に青い大きなドームのある廟を手前から。
​​

​​
ウスト・アリ・ネセフィ廟。
ウスト・アリ・ネセフィという建築家によって建てられた「無名1」という廟が残っていた。
この廟の装飾には、模様の浮き出た壁画のマジョリカが多く使用されている。
表玄関は8角の星で装飾された。一番上にある星の部分に、「信心深い人のみ、安らぎが完全に
保たれている。同じ信念の人のみが親しい人である。消滅のために創作がある。夢にのみ
交友関係がある」と書かれていると。イーワーンのムカルナス部分は失われて白いまま。
​​イーワーン( Iwan )とは、イスラーム建築によくみられる、一方が完全に開き、
三方が壁で囲まれて、天井がアーチ状となっているホールまたは空間。
ムカルナスとは多数のうつろな負の曲面が群れとなって垂れ下がる回教建築の鍾乳石状装飾の事。
​​

​​
ウスト・アリ・ネセフィ廟内部からドーム天井を見る。
​​

​​
横壁。
​​ ​​

​​ ​​
無名の廟。
説明板には、11世紀に建てられたタムガチ・ボグラ・ハンのメドレセの基礎の上に
建てられたと。
​​青のタイルが剥がれ落ちている場所も。
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​​
「死者の道」を更に進む。
​​ティムールがいた時代にタイムスリップしたかのような光景。
​​ ​​第3のチョルタックが前方に。上部はやはりアラビア文字の銘文が。
​​

​​
トマン・アガのモスク。
15世紀初め、シャヒ・ジンダ廟群の上部分にはアムール・チムールの最も若い妻の廟が
建てられた。シャヒ・ジンダ廟群の建物で、トマン・アガの名がつけられているのは廟、
モスク、フジュラ(メドレセ又はハナカにある学生部屋)と上のチョルタックである。
トマン・アガ廟は葬儀用モスクと同時に建設された。トマン・アガ廟の南壁は、
モスクの北壁として使用された。
昔、部分的にモスクと接続したフジュラはアムール・ブルンドゥク廟に増築された。
彼女はカザン・ハンの孫で、1378年にアムール・チムールと結婚し、娘を産んだ。
チムールが亡くなり、彼女はジェイフ・ヌル・アドディヌアガと再婚したが、
彼が亡くなってからはゲラト市に渡った。彼女はホラサン市で亡くなり、
クサイヤ村で埋葬されたと。
​​


扉の上は、モザイク・タイルで、白とオレンジ色でアラビア文字の銘文が、
渦巻く一重の蔓草を地文として表されていた。
​​

​​
屋外にも棺の如きものが。
​​

​​
トゥグルグ=アカの墓と考えられている廟 (1361年)



第3チョルタックを反対側から見る。
​​


入ってすぐの天井は、焼成レンガによる尖頭ヴォールト。 
この細長く白い空間を、突き当たりを右に進んでいくとクサム・イブン・アバス廟。
​​

​​
工事改修中の廟も。
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​​
手前に八面体の廟 1430-40年。
​​高いドームと尖頭アーチの開口部のある八面体の館が残っている。
この廟はミルゾ・ウルグベクの命により建築され、一般的に「八面体」と呼ばれている。
廟の地下室には、4人の無名の女性の柩がある。この八面体の廟は、形ではイランと
アゼルバイジャンの塔形廟に似ている。両国の建築家は、当地の建物の建築に活躍したと。
コバルト・ブルーで卍のような文様をつくっていた。
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​​
アラビア文字も。
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​​
青にも色々な濃さの青が。
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シャディ・ムルク・アガ廟。 1372年建設。
シャーヒ・ジンダ廟群で、最も美しいとされており、ティムールが愛した美しい姪を祀っ廟。
​​​​​​​​


銘板。



ドームの天井。
イスラームの装飾らしく、組紐のような帯で複雑な幾何学文が入り込んでいた。
​​

​​
内部もタイルが貼り巡らされていて、床には数個の棺が安置されていた。
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​​
美しい青の文様。
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​​ ​​
​​一番奥にあるフッジャ・アフマッド廟(正面)。
1350年に建てられた2番目に古い廟。
 クトゥグルグ=アカの廟と考えられている廟 (向かって右)  (1361年)
​​

​​
ホジャ・アフマド廟。
14世紀の半ば頃、クサム・イブン・アバス記念館の北方にホジャ・アフマド廟が建設された。
ホジャ・アフマドという人についての歴史的記録は何もないと。
しかし、彼がサマルカンドにとって、非常に意義のある人であったことは確か。
廟の表玄関は幾何学的な模様で装飾されていた。
その廟の左側に、縦に書かれている言葉は
「彼の心の美しさによって、彼の墓も幸せで光輝くように」。
​​

​​
クトゥルグ・アガ廟。1360-61年の建設。
​​ ホジャ・アフマド廟の右側に、新しく同じスタイルの廟が建設された。
その独特な色は、青緑色や灰緑色、マンガンの色である。ホジャ・アフマド廟は白と青の
マジョリカで装飾されていが、こちらの新しい廟は、彫刻の上薬に塗られたテラコッタの
装飾で飾られている。
​​

​​ ​​
アムール・ティムールの妻の一人、クトゥルグ・アガが埋葬されている。
廟の下には納骨堂があるとのこと。
​​ ​​

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ムカルナスの美。
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​​
内部のドーム部。
​​


2つの青いドームが。ティムールの先生か乳母の霊廟。
​​​​


トマン・アガ廟。1405-06年の建設。
こちらもモザイク・タイルは素晴らしいが、扉は閉じられていた。


​​
夏のモスクは19世紀半ばの建設であると。
建物の外側のアイヴァン(柱廊)を暑い夏に礼拝所として使った例はウズベキスタンでは
よく見かけた。しかし、現在は巡礼者の休憩所に。私もここで一休み。
​​

​​ ​​
シャーヒ・ジンダ廟群の見学を終え、バスにてこの日の夕食会場へ。
​​サマルカンド州立医療研究所。
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店頭の女性とカメラに納まる旅友。
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レストラン内部。
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この日の夕食料理の一部。
写真を撮るのも忘れ食べることに専念?
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この日のメインディッシユな何であったのだろうか?
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Rudakiy通りをホテルに向かって走る。
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​​​​
ホテルに戻り、部屋で旅友とソーメンパーティーを。
旅友Sさんが持参された電気鍋でソーメン・揖保乃糸を茹でる。
​​​​

​​
そして私が持参した麺汁をペットの水で希釈して。
​​


この後は、ウィスキー片手にこの日の反省会を。

                 ・・・​ つづく ​・・・​​​





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Last updated  2021.02.20 14:20:05
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