JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

続日本100名城東北の… New! オジン0523さん

【甥のステント挿入… New! Gママさん

2025年版・岡山大学… New! 隠居人はせじぃさん

ムベの実を開くコツ… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2018.09.23
XML
カテゴリ: 国内旅行
薬師参道入り口の大門橋を渡り振り返る。



関東ふれあいの道の端の萩の花も満開。



大門橋の小橋を過ぎてすぐ右側に薬師参道の入口の門柱が。



日向薬師案内図。
日向薬師まで0.5kmと。



参道右手には石仏群も祀ってあった。



関東ふれあいの道 案内板。
日向薬師から巡礼峠(七沢森林公園内)を経て飯山観音への道は
「関東ふれあいの道・順礼峠のみち」として案内されていた。







竹林を見ながら進むと前方に急な階段が現れた。



左側に「いしば(衣裳場)」の説明案内板が。
案内板には建久五年七月二十九日から源頼朝の娘大姫が危篤状態に陥り、手を尽くしても
改善されない病状に対して頼朝はこの薬師に参拝したと。
先陣の隋兵として14名、中陣の隋兵として22名、後陣の隋兵として22名を従えての参拝。
八月八日寅の刻(午前四時頃)鎌倉を出発した一団は大山道を通り神明橋を渡り、熊野、白髭の
両社の間からここに到着。ここで旅装を脱ぎ白装束に衣裳を着替えたことから
「衣裳場(いしょうば)」といわれ現在は訛って「いしば」と呼ばれているのだと。



階段を上っていく。



前方上に仁王門の姿が。



仁王門。

炎は薬師の参道を焼き、仁王門も焼失したと。
前代の仁王門は楼門造りで、その規模も大きかったのだと。



金剛力士像(仁王像)は市の文化財指定を受けている物。
天保初年の火災により同4年に再建、作者は後藤慶明で明治20年代に子の慶広と
その長男運久によって彩色がほどこされていると。       

構造寄木造(よせぎづくり) 、玉眼(ぎょくがん) 、朱漆塗(しゅうるしぬり)。



吽形像は352cm。



『金剛力士像 二軀』説明板。



阿形像を下から。



お顔をズームで。



斜めから。



吽形像を下から。



お顔をズームで。



お顔の鋭さに比べて手は可愛い?



斜めから。



仁王門を潜り更に上って行く。



自然の岩石を削って作った階段には苔が一面に。



参道の右手の石仏群には花が。



道の所々に玉ねぎの断面の様な石から「玉ねぎ石」と呼ばれていると。
「玉ねぎ石」 ​は丹沢が隆起して凝灰岩類が地表に露出してから、
風化作用(物理的・化学的作用)によって形成されたものであるとのこと。



更に急な坂を必死に上る。



階段の姿にも歴史が感じられるのであった。



『聖霊墓』



参道途中には、歌碑が建っていた。
『ひらかるる 御厨子の扉 きしむさえ 生きの穢の 身を正さしむ  凱二』



樹木の根も階段に。



参道を15分程?進むと、境内に上る石段が見えて来た。



『南無薬師如来』の奉納された赤い幟が両側にズラリと。



                  ・・・​ その1に戻る ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2018.09.23 18:09:26
コメントを書く
[国内旅行] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: