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『 薊庭蕭瑟故人稀 何処登高且送帰
今日暫同芳菊酒 明朝応作断蓬飛
』
薊庭(けいてい)蕭瑟(しょうしつ)として故人稀なり
何の処か高きに登り 且つ帰るを送る今日 暫く芳菊の酒を同(とも)にするも
明朝は応に断蓬(だんぽう)と作(な)って飛ぶべし
【薊庭(今の天津市薊州区)はもの寂しくして古くからの友人も稀なり
どこか高きに登り これから帰る君を見送ろう今日はしばらく芳しき菊を浮かべた酒を同(とも)にするも
明朝は間違いなく君は断蓬(だんぽう)と作(な)って飛んでゆくことだろう】と。


この言葉を分解すると:
「精神不運即愚」
精神が不運である(運が悪い)と、人は愚かになる、という意味が読み取れます。啄木は、自らの精神的な苦境や不安定さを鋭く意識しており、それが人間の知的な
判断や行動に影響を与えると考えていたのかもしれません。
「血脈末運即病」
血脈(家系や生命力)が運に恵まれなければ、人は病気になる、という意味です。これは、啄木が肉体的な病や家庭の問題を深く意識していたことを示している可能性が
あります。
この一節から、啄木が精神的・身体的な運命論を考えていたことがうかがえます。
彼の短い人生には、多くの不運や苦難が伴っており、それを運命として受け入れると同時に、
言葉を通じて深く内省していたのでしょう。
啄木の日記全体を通じて、このような厭世的ともいえる思想はしばしば現れますが、それがまた
彼の文学の中核をなしているともいえます。この表現についてさらに解釈や背景を深めたい場合、
関連する記述や啄木の生涯についての情報も合わせて見ると、より豊かな理解が得られそうです。
」と。
その左にあるのは
東郷平八郎
「 忠誠貫於金石
孝
弟通於神明
」であろうか。
「 忠誠は金石を貫き、孝
弟
は神明に通ず
」と。
孝弟(こうてい)とは、
「 儒教における根本的な徳目の一つで、親や兄姉といった年長者に対する崇敬を意味する概念
」
だそうだ。






























































牛久大仏へ(その4) 2025.11.20
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