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大観音城
は真弓山城(足助城)、飯盛山城、臼木ヶ峯城、城山城、 成瀬城、および黍生城
(きびゅうじょう)と共に足助七城(足助七屋敷)に数えられる。
足助七城のなかでは東端に位置
し、 真弓山城(足助城)とは足助川を挟んだ対岸の山に
築かれている
のであった。

「 牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)
」。
牛頭天王は日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされたと。









雑草が生え放題で荒れ気味の参道には朱の鳥居の奥に小さな稲荷社の祠も。
手前の鳥居は今にも倒れそう。
そして参道には、ぼんぼり(雪洞)?も立てられていたがこれも倒れていた。





















足助氏七屋敷の一つと云われる大観音山城がここにあったと。
当時は岩崎城と呼ばれていたそうです。築城時期や城主など、詳細は不明ですが、同じく
足助地区にある飯盛山城を本城(領主が本拠地としているお城)に置いた足助氏一族が
守っていたと伝わります。
城山の南西尾根にある観音寺一帯が居館跡(城主が普段生活していた場所)の曲輪
(城の1区画のこと)とされ、そこからさらに北東に伸びた尾根伝いに曲輪が連なり山頂に
主郭が確認できます。
城を敵から守るための設備である堀切や土塁、土橋などが残っており、当時を偲ばせる
のであった。








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