JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.07.06
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カテゴリ: 海外旅行
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ホテルで10分ほど休憩した後は、早速、 Yさんと2人で夕方までダブリン市内を散策 する
こととする。 残りの未着のお二人・Hさん、Sさんはいずれもホテルに深夜に到着する予定
なのであった。ホテルの近くにあったのが St Mary's Chapel of Ease をズームして。
「ブラック教会」とも呼ばれるセントメアリーズ・チャペル・オブ・イーズ。
正式名 :St Mary’s Chapel of Ease
通称 :The Black Church(ブラックチャーチ)
所在地 :ダブリン1区、Mountjoy Street(マウントジョイ通り)沿い
建設年 :1830年
設計者 :ジョン・セミ・ジュニア(John Semple Jr.)
建築様式 :ネオゴシック様式
素材 黒い石(玄武岩)で造られている ため、「ブラックチャーチ」と呼ばれる。


Chapel of Ease(礼拝のための別堂) 」とは、 母教会(通常の教区教会)に通うのが
困難な
人々のために建てられる補助的な礼拝堂 のこと。
St Mary’s Chapel of Easeは、St Mary's Parish(セント・メアリー教区)の信徒の
便宜のために建てられた。
1962年に宗教施設としての役割を終え、非礼拝施設となりました
現在はオフィスなどに使用 )と。

St Mary's, Dublin (chapel of ease) - Wikipedia

ホテルを出て左に進み グランビー・ロウ を歩く。後方はあまり気にせずに、スマホの道案内に




道路脇の照明灯にも見事な彫刻 が。



前方にAbbeyPresbyterian Church・長老派教会。
スコットランド、パースの建築家アンドリュー・ヘイトンによって設計されたこの建物は、
装飾が施されたゴシック様式の建物で、高さ 180 フィートの尖塔があった。



Abbey Presbyterian Church・長老派教会の角を右折 して パーネル・スクエア・イースト
進むと パーネル記念碑 が前方に。



ParnellMonument(パーネル記念碑) は、アイルランド・ダブリンの目抜き通りである
オコンネル・ストリートの北端に立つ、19世紀の政治家チャールズ・スチュワート・パーネルを
記念する壮大なモニュメント。



大きな交差点にあるこの記念碑は、
アイルランド独立に影響を与えたアイルランド民族主義者 チャールズ・パーネル


パーネル記念碑の概要
設置年 :1911年
場所 :オコンネル・ストリート最北端(The Spireの北、The Garden of Remembrance に近い)
デザイン
   彫刻家:Augustus Saint-Gaudens(アメリカの著名彫刻家)が原案を設計
   完成は弟子の助けで実現
構造
高さ:約12(19?)メートル
 中央に立つパーネルの像( 堂々と片手を掲げて演説している姿
後方の花崗岩のパネルには、彼の言葉が刻まれた 銘板(inscription) があった。
『No man has a right to fix the boundary to the march of a nation.
No man has a right to say to his country: Thus far shalt thou go and no further.
We have never attempted to fix the ne plus ultra to the progress of Ireland's 
nationhood and we never shall.』

【国の歩みに境界を定める権利は、誰にもない。
『ここまで進んで、それ以上はいけない』と、祖国に言う権利も誰にもない。私たちは、
アイルランドの国家としての進歩に『これ以上はない』という限界を定めたことは一度も
ないし、これからも決して定めることはない。】と。

Twas Two Pisonouse Timcoves — Hive

見上げて。

From Swerve of Shore to Bend of Bay: A Visit to Glasnevin

Rotunda Hospital ロチュンダ病院- General Postnatal Ward
世界的にも非常に重要な歴史を持つ病院の一つ。特に産婦人科医療の先駆け的存在知られていると。
正式名称:The Rotunda Hospital
所在地:Parnell Square, Dublin 1(パーネル・スクエア)
設立年:1745年
創設者:Dr. Bartholomew Mosse(バルソロミュー・モス医師)
特化分野:産婦人科(特に出産・新生児医療)



そして トリニティ・カレッジ・ダブリンに向かう為、ルアス(路面電車)に乗車。



Trinity駅 で下車。



Trinity駅。
後方の建物は Parliament House・国会議事堂



アイルランド銀行



アイルランドの首都ダブリンの中心にあってトリニティーカレッジ正面入り口に
対極するように立つ重厚な建物。



8世紀のイギリス統治下の アイルランドの自治議会として利用され、ギリシャの神殿様式の
ような
重厚な建物 であった。建物正面の 三角破風(ペディメント)の上部に立つ3体の石像 は、
それぞれ古代ギリシャ風の 擬人化された寓意像(アレゴリー) で、当時の政治理想を
象徴している と。



中央の像をズームして。
Hibernia(ヒベルニア) :アイルランドそのもの兜をかぶり、槍を高く掲げ、戦士風の
             姿をして堂々と立つ女性像。



右側の像。 Mercy(慈悲) 慈悲・寛容ローブ姿、やさしい表情。



左側の像。
Justice(正義) 目隠しなしの正義の女神。剣を持つ



Thomas  Moore 像。


アイルランドの詩人
で、アイルランド古謡に英語の歌詞を加えた 『アイリッシュ・メロディー』
(Irish Melodies、アイルランド歌曲集とも)の作詞者 として知られる。イングランドでは
ムーアは政治的に貴族的なホイッグ党の作家と考えられたが、アイルランドではカトリックの
愛国者とされた。
今日では『 アイリッシュ・メロディー』(とくに「​ ミンストレル・ボーイ ​」👈️リンクや
「夏の名残のばら」 (日本では「庭の千草」の歌詞でも知られる))の作詞者
👈️リンク として、
記憶されている。

Self-guided tour of Dublin | SmartGuide

そして トリニティ・カレッジ・ダブリン・Trinity College Dublinの校舎の壁を見る。



フェンス越しに トリニティ・カレッジ・ダブリンの正門 を見る。



Edmund Burke Statue・エドモンド・バークの像



エドマンド・バーク(英: Edmund Burke、1729年1月12日 - 1797年7月9日)は、
アイルランド王国生まれのイギリスの政治思想家、哲学者、政治家 。「保守思想の父」
として知られる。フランス革命の源泉となったルソー主義を激しく非難し、
1765年から1794年までイギリス庶民院(下院)議員 を務めた。



エドマンド・バーク ​👈️リンク



そして右側にあったのが Oliver Goldsmith Statue・オリバー・ゴールドスミスの像。
オリバー・ゴールドスミスは、英国の詩人、小説家、劇作家




アイルランド生まれ。主著に小説『ウェイクフィールドの牧師』、喜劇『お人よし』と
『負けるが勝ち』、長編詩の『旅人』、詩集の『寒村行』がある。



正面からズームして。

File:Dublin Trinity College Oliver Goldsmith Statue 02.JPG - Wikimedia  Commons

そしてここが「 トリニティ・カレッジ・ダブリン・Trinity College Dublin」の
Front Gate・正門。
今回の旅行がなぜアイルランドなのか!!??
それは学友の一人がここ「 トリニティ・カレッジ・ダブリン・Trinity College Dublin」に
1年間の留学経験
があるのだ。よって彼がこの旅行の提案者であったが、母親を介護しており、
母親の体調が芳しくないとのことで、 急遽この旅行への参加を辞退 したのであった。



トリニティ・カレッジ・ダブリンの配置図。



正面に Campanile・鐘楼 その最も 象徴的なランドマークの 1 つ
当時アーマー大司教だったジョン・ベレスフォード卿から寄贈され、チャールズ・ラニヨン卿に
よって設計され、トーマス・カークによって彫刻され、 1853 年に完成 した。



右側の accommodation office・宿泊施設



正面から。



右側の accommodation office



正面から。



Campanile・鐘楼を再び正面から。



近づいて。



右側の上部石像。
この彫刻がすべて 異なる学科を象徴 しているのが分るのであった。



左側の上部石像。



案内板。



GMB
GMBは、 ダブリン大学トリニティカレッジにある、Graduates Memorial Building
(卒業生記念館)の略称。



Statue of former provost George Salmon。
トリニティカレッジの元プロヴォストジョージサーモンの像。



少し移動して。 ジョージ・サーモン はアイルランドの数学者 、聖公会神学者。
20年間代数幾何学を研究し、 晩年の40年を神学に捧げた。 生涯トリニティ・カレッジで過ごし、
1888年から1904年まで
同大学32代学長を務めた。



ズームして。



右側にあった案内板。
右斜め奥に「 Book of Kells・ケルズの書 」と。ケルト美術の最高傑作と目される
彩飾福音書写本。世界中の人々を魅了してやまない写本成立の歴史的背景、構成、
携わった写字生、彩飾家を詳しく解説する。鳥や動物・植物文、組紐文、渦巻文、
幾何学文を徹底的に検証して、その象徴的意味を説き明かす。写本研究の第一人者による
決定版豪華美術書。カラー図版230点を付す と。 




                                   ・・・​ もどる ​・・・                 



                    ・・・​ つづく ​・・・







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Last updated  2025.10.13 19:26:52
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