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次女が、大阪から帰ってくる家内を新横浜まで車で迎えに行くという。近所を走っていてもまだまだ危なっかしいと思っているのに、高速道路を乗り継いで、しかも初めていく場所である。道が分かるのかと聞くと、ナビがあるから大丈夫だとの返事。だが横須賀から新横浜までは、横横道路、保土ヶ谷バイパス、横浜新道、第三京浜と交通量が多く、しかも合流や分岐、出入り口が次々現れる道路を通らねばならない。時は日曜日の夕方、湘南方面からの行楽帰りの車が集中し、混む時間帯である。出口や分岐に向かう車が思わぬところから車列を作っていたりする。今年の春に本牧ジャンクションが出来て、釜利谷ジャンクションから湾岸道路を使えば、横浜駅東口方面から第三京浜に簡単に行けるのだが、私の車のナビは古いので、まだこの道は使えそうにない。口で説明しても、娘にはちんぷんかんぷんらしい。結局私が助手席に乗る羽目になった。横横道路に入ってみると、やはり六ツ川料金所で渋滞の表示なので、湾岸、本牧ジャンクション経由で行くことにした。娘はまだメリハリのついた加速、減速が出来ない。走行車線を走っていると、前の車との車間距離がどんどん離れていく。後ろを見ると後続車が迫ってくる。「もっとスピードを出せ!」と指示。前の車に追いついたら、中途半端な車間距離で、無理な割り込みをされる。「もっと車間距離を詰めろ。」ETCの前で、停車せんばかりに減速をする。私が後ろを走っていたら急ブレーキを踏むところだ。次のETCでは、「ブレーキを踏むな、突っ込め。」「お父さんは、教習所の先生とは正反対なことばかり言うね。」と言われてしまった。順調に新横浜駅に着き、改札口で家内を迎えたら、家内がハンドボール仲間に「主人は私のためでなく、娘のためについてきたの。」と、言わなくてもいい説明をしていた。でも帰り道は、私の特訓のお陰で、車の流れに上手に乗って帰ってこられた。家内が娘に「随分上手になったわね、安心して乗ってられる。」と言っていた。ちゃんと家内のためにもなっていたのである。
2005.07.31
今日家内は一泊で大阪に行っている。高校時代、ハンドボール部に所属していたのだが、OB達の全国大会があるそうだ。先週の半ばからの10日あまりは、家内にとって大変な日々だった。ある報告を巡って、夫婦がそれぞれのパソコンで情報集め。インターネットとは便利なもので、専門的な話しから体験談まで情報には事欠かない。良い情報を見つけては安心し、悪い情報を読んでは悲観する。今日の大阪行きもキャンセルしようか迷っていたようだが、気持ちを切り替えて行く決断をしてくれたので私も少し安心した。私達夫婦は仲がよいと言われている。そう言われると何故か気恥ずかしく思うこともあったが、今は違う。今まで仲良く過ごせたことを誇りに思うし、これからも出来るだけ楽しく過ごしたい。今更何のろけているの?と、不思議に思う方もいるだろうが、たまには夫婦のあり方を考えてみてもいいのでは?離婚や別居でもしない限り、一緒に生活しなければならないのだから。一緒に生活する以上、楽しい方がいいに決まってますよね?
2005.07.30
昨日は家内が中学の同窓会の打ち合わせで横浜に出た。私は「ホッピー仙人」の仙人に湘南海童社から出ている、「酒飲み繁盛店」を買ってもらっていたので、それを受け取りに出掛けた。野毛で「福田フライ」や「北村」に立ち寄り、「ホッピー仙人」に。いつもの常連さん達と楽しい話しをし、仙人の写真を写して、1杯だけで店を後にした。家内と途中で落ち合うことも考えたが、打ち合わせが終わるのが9時頃だというので、一人で先に帰った。実は家内は密かに計画を練っていた。最近「お一人様」などと云って、女性が一人で飲食店に入ることが流行っているが、家内も野毛でそれをしたいらしいのだ。私が一人で野毛に通い始めた頃は、「一人で行って、何が楽しいの?」と云っていたのだが、最近は私と行って、常連さんとわいわい話しながら飲むのにすっかり嵌ってしまっていた。でも一人で飲み歩くのは何故かできないようだ。昨晩はとうとう一人で「ホッピー仙人」に行ったみたいだ。ゴーヤ泡盛さんと一緒になって、その後仙人に送ってもらって、「お秀」でズラさんやゴンチチ夫婦にお世話になったという。ゴンママとはすっかり意気投合したようだ。仙人に「お秀」まで送ってもらったり、「お秀」では顔見知りばかりだったり、お一人様とは言い難いので、野毛歩き「一人で出来るもん」ぐらいかな?
2005.07.15

12日の午後から箱根に行ってきた。宿の場所は強羅。箱根は日帰り圏内なので、宿泊することは少ない。強羅で宿泊するのも多分初めてである。宿に着いたらすぐ脇を箱根ケーブル電車が走っていた。家内は宿に着くとすぐにゆっくりしたいタイプなので、私一人でケーブル電車に乗り、早雲山の駅まで行ってみた。早雲山からは、大涌谷経由で箱根湖畔の桃源台までロープウェイが出ている。以前にロープウェイに乗ったのは40年ぐらい前であろうか、急にロープウェイに乗ってみたくなった。ロープウェイの切符売り場には、強風のため大涌谷から桃源台までは運航中止の貼り紙があったが、切符を買おうとしている時にその紙をはがしていた。取り敢えず姥子までの往復切符を買い、乗り場に向かった。乗り場には先客の5人のグループがいたが、係員はそのグループだけを1台のゴンドラに乗せた。次は私一人、後ろにはカップルが一組。空いている時には係員も気を遣ってくれるようで、後ろのカップルに次のゴンドラが来た時、そのゴンドラに乗るか、別のゴンドラに二人だけで乗るのかを聞いていた。当然カップルは次のゴンドラを待つと答えたようで、私は18人乗りのゴンドラに一人だ。でも50過ぎのオジサンが一人で乗っているゴンドラというのもビミョーだ。大涌谷から姥子までは旧型ゴンドラで、運航中止ぎりぎりの風なので、船酔いしそうな位揺れた。でも高いところから眺める景色は素晴らしい。何とかと煙ではないが、つい見晴らしの良いところを探して、そこに行ってしまう習性がある。今度はロープウェイを見かけたら、なるべく乗りたいと思った。
2005.07.13
夕方の5時半頃になって、家内が「今日の夕飯はどうするの?」と聞いてきた。うっかりしていたが、今日は家内は会合で出かけるし、子供達もいない。私一人で食事なのだった。こういう時は早々シャワーを浴び、5時過ぎには日ノ出町の駅を降りることにしていたのだが、完全に出遅れた。写真部が発足した「ホッピー仙人」に早く行きたかったが、どうしようか迷いながら家を出た。明日は朝が早いし、お腹も空いている。結局横須賀中央駅で下車。「中央酒場」で「まぐろの刺身」や「穴子の天ぷら」をつまみに、ホッピーを2杯いってしまった。途中ですごい雷雨になり、ずぶ濡れのお客さんが入ってきた。ほどなくして停電。非常用の照明だけの、暗い中でしばらく飲んだ。隣の年配の客が、「いいなァ~、この雰囲気、昔はみんなこうだったんだよ。」と嬉しがっていたが、私も同感だった。といっても停電時間はほんの1分ぐらいだったろうか。この店の近くに雷が落ちたようで、夕方の繁華街がしばらく真っ暗になった。娘も近くのファミレスにいたが、結構長く停電していた地域もあったらしい。3杯は危険と分かっていたので、2杯でこの店を出たが、小やみになった町を歩いているうちに、どうしても「銀次」の「月見山かけ」が食べたくなって、行ってしまった。「銀次」でホッピー1杯と思うのだが、後の記憶の飛び方を考えると2杯飲んでしまったのか?「銀次」を出てタクシーに乗ったまでは憶えているのだが、それから先が思い出せない。家族の証言によると、帰ってから風呂に入り、寝室に行ったようだ。そして家内に、聞くに堪えない下らないことを連発したという。どんなことを云ったのか翌日聞いても、「口にするのも嫌だわ!」といって、教えてくれない。やはり横須賀のホッピーは危険だ。
2005.07.07
トイレに入っている時に、トイレの棚を何気なく見ていたら、「トイレ、その後で」という名前だったろうか、消臭剤の容器が置いてあった。トイレ、その後の「そ」の字の前に一文字ひらがなを加えたら、そのものズバリじゃないかとひらめいた。そうなると言わずにはいられない性格が悲しい。家内に、「そろそろ”トイレ、○その後で”がなくなるぞ!」「えっ!・・・・・ 最低!」ここまで言われても懲りないどうしようもない私である。次女にも同じ様なことを言って、同じ様な反応を返された。商品のネーミングって、予想もつかない落とし穴があるものだ。商品開発した人!もう少し考えてよ。
2005.07.04
今日は家内に頼まれて、近くの生協に梅を取りに行った。今年は24キロと、随分少ない。一番多い年は60キロの梅を漬けた。梅のヘタを取るのも一家総出で行ったものだ。商売柄、大きな弁慶ザルやステンのボール、ポリ容器などがあるので、洗ったり水を切って焼酎で洗ったりの作業は比較的楽に出来たのだが、梅を干す時は大変だ。確か大きなザルを10枚ぐらいベランダに並べた。雨が降りそうな時に、しまったりまた出したりの作業が大変で、たまたま一人で家にいる時にやらざるを得ない時があったが、なんで60キロも梅干しを作るんだと腹が立ったことがある。こうして作った梅干しを、来客があるとお土産に差しあげるのだが、これが結構喜ばれる。味噌も手作りするのだが、味噌も梅干しも作るというと、家内の評価ががらりと変わるのが面白い。家内は心臓が強いので、料理のプロである、関内の「POWWOW」のマスターにも味噌をあげていた。家内の先輩に梅干しをお持ちすると、なかなか手に入らない美味しい日本酒が頂けるという慣例が出来ているのも楽しい。今日持ってきた梅は、部屋中に香りが漂うくらい熟しているので、すぐにでも作業に取りかかれそうだ。梅を裏返したり、取り込んだりする時に、日光で温かくなった梅をつまみ食いする時の感触が口の中に甦ってきた。
2005.07.02
中学の同級生が、市内で小さなクラブを開いたのがもう20年前になる。私もその頃いろいろな団体に所属していて、会合が終わった後などよく利用させてもらった。その頃はまだ携帯電話は無く、ポケベルだったが、お店が終わってホステスの女の子達と食事に行ったりすると、よくポケベルが鳴っていた。でも子供の手が離れた頃からは、家内と行くようにもなって、今日の20周年記念は家内と伺った。20年前に二十歳そこそこだったホステスもお祝いに来ていたが、かろうじて昔の面影を残すのみだ。このお祝いに来る前の腹ごしらえに、知人から聞いていた、評判のお店に寄ってきた。全てのメニューがひと工夫してあり、若者に大好評で、予約無しではなかなか入れないそうだ。今日も予約で一杯だからと断られたのだが、30分で出るからと云って無理矢理入れてもらった。確かに出てくる料理は美味しいのだが、カワハギは薄造りではなく、厚く切ってわさびと醤油で食べるとか、その新感覚について行けなかった。最初は喜んでいた家内もしだいに無口になってしまった。お祝いの後何か欲求不満で、結局「中央酒場」でホッピーと黒ホッピーにキスの天ぷら、なすやきなどを食べ、やっぱり酒の肴はこれだよと言いながら家内と帰路についた。
2005.07.01
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