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一回り以上年の若い女性と結婚した知り合いが、付き合いで帰りが遅い日が続くと、奥さんに「罰よ、体に触らせない。」と言われたと話していたことがある。家内が年上のご婦人ばかりのある習い物の席で、お茶の時間にその話を披露したとき、ある方が言ったそうだ。「すごい!うちなんか罰よ体に触りなさい、だわ。」その席で、男女に友情は成立するか、が話題になったそうである。全員夫とは友情で結ばれていたそうだ。恋愛とは常に一時の幻影であって、必ず滅び醒めるものだという事を知っている大人の心とは哀しいものだ確か坂口安吾がこんな事を言っていた。でも幻影が醒めた後、幻滅ではなく友情が残ったなんてずいぶん上等ではないか。確かにうちの家内の眼にも昔は「恋情」の炎が燃えていたはずなのに、いつしか静かな湖のような「友情」の色に変わっている。時々秋の夕暮れのような「憐情」が見えるような想いがするのは、気のせいだろうか。
2004.01.31
私も家内も末っ子同士の夫婦は、依頼心が強く甘えん坊でいい加減。業績の良いときは派手で、悪くなれば不義理のしまくり。親の目から見ればそんな危なっかしい夫婦に見えたのだろう。娘二人が比較的まっとうに育ったのが不思議でならないらしい。孫が良い子、故に親も良いと言う数学的帰納法でしか評価してもらえなかった。その結果出てくる言葉が「親はあっても子は育つ」である。でも子供が小さい頃、いくら注意しても部屋を片づけない二人に、家内が「あんた達、こんなことしててお母さんみたいになってもいいの!」と言えば、娘達はコマネズミの様に動き回り、たちまち部屋がきれいになったものだ。ちゃんと躾のポイントは押さえていた。親爺ギャグを連発する私を本当に自然に無視をすると言う特技を娘達が身につけたのは、私のおかげだ。私の親爺ギャグに「すみません、ここは笑うところですか?」と質問するパートや「ワ~~、うちの父とそっくり。うちの父もよくコテコテの親爺ギャグを言っては周りを黙らせるんです~。」などという失礼なぶりっこアルバイトとは訳が違う。あまりに自然に無視をするので、本当に聞こえなかったと思いもう一度同じ事を言って、思い切り睨まれてしまうくらいである。世渡りの技術を何とか身につけさせたいという親心が実を結んだ瞬間である。子供が生まれたとき、子育ての方針に反面教育という高度のテクニックを選択した私たちのことは、あまりに自慢めいてしまうので誰にも言っていない。
2004.01.29
学生時代、大学の野鳥の会に所属し、全国に野鳥を見に行っていた。卒業後もたまに昔の仲間と宮城県の伊豆沼などには行ったこともあるが、その後全くと言っていいほど行く機会がなかった。今日、千葉県市川市行徳に行ってきた。昔「新浜」に鳥を見に行くと言うと東西線の行徳駅で降りて、駅から海に向かって歩き、後猟場を覗いてから江戸川放水路まで行き、川沿いを東西線の高架の下まで歩き、行徳駅に向かうというコースであった。後猟場は、皇太子が雅子様にプロポーズしたか、初デートの場所か、とにかく話題になった場所である。今は「宮内庁新浜鴨場」と言うらしい。そのころ履き物は必ずゴム長、何故なら行徳駅の南には家など一軒もなく一面の蓮田。駅から後猟場のこんもりした木々が見え、沖合では埋め立て工事が始まっているのが分かる程度。田んぼのあぜ道を歩き、雨の後など飛び越えられない水たまりを渡るため、ゴム長は必需品であった。地図を見て多少の予備知識は入れていたので、田んぼの中とは思っていなかったが昔のイメージが湧かない。ビルがたくさん建ち並び、公園の木々なども樹齢数十年と言った感じである。でも30年という月日は樹齢にとっては十分なのだろう。食事をするため駅から離れた駐車場に車をとめたが、わざわざ駅まで行き、昔のコースを少したどってみてようやく得心した次第。千葉県行徳野鳥観察舎で久しぶりに野鳥を観察。オオタカの成鳥やタヒバリを見た。カモはオナガガモとオカヨシガモ程度。でもタヒバリ、数十年ぶりで見たが、プロミナーの視野に入った瞬間、「タヒバリ」と口から出た。これを昔取った杵柄と言うのだろうか。その後、船橋三番瀬と言うところへ行ってみた。私が鳥を見ていた頃には稀な鳥と言われた「ミヤコドリ」が群れで越冬しているという。やっぱり海辺の水鳥の観察にはゴム長は必需品だと思った。ちょうど引き潮でお目当てのシギ・チははるか遠くであった。ゴム長だったら干潟の水たまりなどものともせず、まっしぐらに行きたい場所に行けたのに。ミヤコドリらしい鳥影もない。船橋三番瀬、こんな自然が残っていたと喜ぶべきか、こんな所しか残っていなかったのかと怒るべきか。つい先日、新聞に東京湾に人工の干潟や浜を作るという記事が載っていた。やはり人間のおろかさに心底怒るべきであろう。
2004.01.28
横須賀の京急馬堀海岸駅から防衛大学方面に向かって2~300メートルほど行ったところに串焼き「南」がある。今一番のお気に入りの焼鳥屋さんだ。備長炭で、焦げ目を丁寧に取り除きながらじっくり焼き上げた焼き鳥は、どれもひと味違う。その中でも特にお薦めが、さび焼きである。ささみを軽くあぶって,すり立てのわさびを塗る。これがキク~~~~のである。家内と娘二人も大好きで必ず頼んでしまうが、食べると涙は出るし、後頭部をたたかずにはいられない。そんな我々の姿を見て、ご主人がニヤニヤしながら言うのだ。「わさび、サービスしておきましたから。」ささみにわさびを塗って焼くのは、野毛の「鳥芳」にもあるが、ここのは刺身の感覚だ。また「グレビ」も大好き。グレープフルーツジュースの生ビール割だ。缶や瓶で割ってもこの味は出ない。家でやってもこの味と違うんだよ、と言ったら私も家でやったんですが、やっぱり生ビールじゃなきゃだめなんですよ、とご主人。グレビを何杯もお代わりした後は、八丈島の焼酎「盛若」、ワインで使った樽で熟成させると言うことで、赤、白、ロゼがある。他にもいろいろお薦めはあるが、御輿好きで肩に担ぎコブのあるご主人のキャラが一番のお薦めかもしれない。
2004.01.27
以前小泉首相がインタビューの質問に、「抵抗勢力などけっぱぐって・・」と、横須賀弁で答えていた。後輩が遊びに来て、この事が話題になったとき彼いわく、「けっぱぐるって標準語ではないんですか?」異常なほどに驚いていた。一応都内の大学を卒業した30過ぎの男性である。広辞苑を見せてやっと納得してもらったが、こんなに驚くのだったら、彼の母親が実の母ではないと言う事実をどう伝えればいいのか。(まだこの事実は確認していないが)川崎の浅田で生まれ、横浜市内を何度か転居しながら育った家内には、「けっぱぐる」だの「おっぺす」などの横須賀弁がかなり面白いらしく、私が使うたびに笑っていた。でも家内だって結構方言使っているジャン。横須賀も東京湾側と相模湾側ではかなり方言が違う。相模眼側のお嬢さんと結婚した知り合いは、「やっと女房の実家の会話に参加できるようになって、私はバイリンガルですよ」と自慢していた。でも小泉首相が地元言葉を使ってくれると正直嬉しい。野党の再質問に苛立っているご様子だが、是非こう答弁してほしい。「だがらさっきこう言ったべー。」
2004.01.26
横浜の常盤町で生まれ、横浜小学校、港中学を卒業した父は半世紀以上前に横浜を離れたせいか、今でも「しょうせん」「なんきんまち」である。もう40年近く前、家ですき焼きをすることがあり、お祝い事でもあったのか、肉は「たけうち」でと言うことになった。中学生になった私がお使い役に、でも一人で横浜に行くのは初めてであった。横浜に着いたら、「しょうせん」に乗り換えて関内で降りて、馬車道の交差点を桜木町方面に向かえとのこと。でも横浜駅に着いたらどこを見ても「しょうせん」と読める漢字がない。関内、桜木町、と言う名前が頭にあったので事なきを得たが、私も根岸線のことを地元では「しょうせん」と言うのだろうなどと深く考えもしなかった。「しょうせん」は「省線」で、省は鉄道省の省だと知ったのはだいぶ後になってからである。その「たけうち」、子供の頃から肉は「たけうち」か「すえひろ」と聞かされていたので家内との初デートの時、横浜でお肉をご馳走すると誘って、連れて行った。なのに定休日。あわてて馬車道の「すえひろ」に向かったが、ここは開いていた。今から7年ほど前、あれから一度も「たけうち」に連れてもらってない、と時々ちくちく刺す家内と「たけうち」へ。でも入り口で値段を見たとたん、主婦がすっかり板に付いた家内が、こんな金額出すんだったらうんといい肉買って、家でみんなで食べようと言い出して入らずじまい。そして昨年の暮れ、今度は値段など見ないで、まっしぐらに入ろうと二人で決意を固めながら「たけうち」へ。なのにその「たけうち」がない。仕方なく、野毛のお寿司屋さんへ。そこの若いご主人に「たけうち」のことを聞いてみたが、知らないとのこと。ちょっとお袋に聞いてみますとわざわざ奥にいた母親を呼んでくれて、消息が分かった。数年前に売りに出ていたそうだ。たまたまお客さんで来ていた70過ぎの男性も話しに加わり、有名なお肉屋さんだったのにとしばし昔話に。入った店は「錦寿司」、とてもアットホームでおいしいお寿司屋さん。すっかり気に入ってしまった。
2004.01.25
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