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昨日はいつもお世話になっている歯科医に治療に行きました。堺市上野芝駅前ですので、車で40分~60分かかりますが、もう長年治療のたびに出かけています。 インプリント治療のため昨年10月6日に3本手術をしました。根になる骨がものすごく弱く小さいので、日本一の歯科医が東京から駆けつけて来て、手術が終わるとまたすぐ東京へ御帰りでした。 その手術の後、頬が大きく腫れ上がり大阪の大教会説教に招かれていたので、肥りましたね?と言われながらの奉仕でした。 12月13日は関東の大教会礼拝説教っでしたので、それくらいまでは仮の歯を12日(土)に診療日を入れてもらい、仮歯でも入れば少しは話もよくなるかも?と感謝していました。 東京の歯科医に相談したら、絶対そのままにして辛抱してもらいなさいと言うアドバイスだったので、仮歯は入れられないので来なくて良いとの電話が入りました。直後、電話が鳴り13日の説教のために土曜日から来て備えてくださいとのこと。グッドタイミンげで13日は、午前9時と11時の礼拝説教でした。 昨日は、日本一の歯科医が4ヶ月はそのままにして骨ができるのを待つようにとの指示だたことを詳しく説明し、来週6日(土)でちょうど4ヶ月目ですから、仮歯を入れることができますとのこと。 3月8日からの聖地旅行の時は、今治療中の3本がしっかりした歯になっているので、ホッと一安心です。 2月は礼拝はもちろんですが、11日(祭)ヨベル聖会メッセージ。13日(土)在日大韓基督教会河口教会100数年記念・賛美とみことばの集いメッセージ。最後の週28日(日)は大阪オンヌリ教会礼拝メッセージ2回と奉仕が続くので、はがしっかり治っていることは話をするためにはものすごい感謝です。 とは言いながらまだ治療が必要な歯が数本あるので、今年いっぱいはかかるだろうと言われています。 慎重の上にも慎重を期して、治療を続けてくださる堺の歯科医と、わざわざ東京から駆けつけてくださる名歯科医に心から感謝しつつの昨年6月に始まったインプラント治療に感謝しながらの日々です。 まだ堅いものが食べられず、今日からは甘いものも少し控えて、今週6日(日)の仮歯の治療を心待ちしながらの日曜日の朝です。 幸い6日は、壊れたメガネも完成しているので、7日の日曜日は変身?しての礼拝説教になると楽しみにしています。 さあこれから、生駒聖書学院教会の礼拝、午後2時より大阪エリムキリスト教会、午後5時半からは堺市堺東のエリムキリスト教会礼拝へゴーです。聖霊が伴ってくださり、満たされてみことばをまっすぐに語り、愛する兄弟姉妹の幸せに輝く姿を思いながら・・・・。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日・礼拝の日です。感謝します。ハレルヤ。ヘブル人への手紙13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。13:16 善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。
2010/01/31
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ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 朝の目覚めから安眠のときまで、今日もまた天国の一日です!が口癖になっています。天国は死んでから行く所と考えられています。それは間違いではありません。 3月8日(月)出国、13日(土)昼に帰国する6日間に聖地旅行へ行きます。まだイスラエルには行っていませんが、気持は聖地旅行を楽しんでいます。 でも気持だけでも聖地ですが、旅行社から切符が届くと、それは確実な喜びに変わります。中にはイスラエルに着くまでは信用いできない?と言う、変わった方もありますが、それは例外。普通には予約を入れた段階で間違いなく聖地へ行く保証が与えられ、料金を支払い航空券が届けば確実です。 今日もまた天国の一日です!と毎朝、毎夕告白しています。それは天国に行く気持があるからです。同時に天国行が保証されているからです。 旅をするときはホテルや宿を予約します。フロントで予約をしていますと言うと、お待ちしておりました。・・・様.お部屋へご案内しますと、歓迎されます。一夜の宿へ止まる時さえ予約をしている方が間違いありません。行き当たりバッタリもスリルはあるかもしれませんが、良いホテルであればあるほど予約が必要です。そして時には旅に出る前に、今度はあそこに予約したんだよと自慢します。 来週は2日(火)ー5日(金)まで、掛川市ヤマハリゾートで大会があります。昨日遊びに来ていた4歳の孫が嬉しそうに、じいも行くの?今度遊びに行くんだ。いっしょの遊んでねと大騒ぎをしていました。 まだ現実には行っていなくても、パパが申込み登録したから大丈夫!とのことばで安心し、何も心配しなくて大喜びです。 イエス・キリストを信じるとき、それは地獄行の道が封鎖され、天国への道が開かれたことです。人は罪を持つ限り天国行くことは出きません。この世でどのような豊かな(天国と思うほどの贅沢三昧)生活をしていても、死ねば終りだけではなく、地獄へ行かなければなりません。マルコの福音書 9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。9:45 もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちにはいるほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。9:47 もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国にはいるほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。9:48 そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。 その地獄行の罪人を救うために、イエス・キリストは全人類のすべての罪を十字架の上に引き受けてくださいました。罪だけだはなく病も呪いも貧乏も、そして死を全部引き受けてくださったのです。 墓に葬られましたが、すべての地獄行の問題を処理し終わり、三日目に復活し今もなお生きて働いておられる救い主となってくださいました。聖霊によりイエス様をアーメンと信じ、自分の心にお迎えするとき、イエス・キリストは心にお入り下さり、天国行の切符となられるのです。 そのことを聖書に書いてあるとおりに信用するなら大丈夫です。「この奥義はあなたがたのうちにおられるキリスト、栄光の望みのことです」(コロサイ1:27) イエス・キリストが聖霊により子頃の中に住んでおられるので、そこは天国です。もちろんこの肉体が死ねば地上でのいのちが終わるので、天国へと目されます。永遠に肉体も死なない天国です。ソの日を待ち望みながら、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。と、愛と赦しと感謝死あふれながらの毎日を過ごせる幸い!ハレルヤ。感謝します。ルカの福音書17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
2010/01/30
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生駒聖書学院卒業生出版の、「揺れても沈まない・四次元の経営」を昨日紹介しました。 フランスのパリ市紋章には、帆に風を受け荒波をけって前に進む帆船が描かれ、その下にラテン語で、Fluctuat nec mergitur(揺れても沈まない) と銘文が書かれています。 人生には越えなければならない荒波が幾つもやってきます。しかし、大波に揉まれ木の葉のように揺られながらも沈まず、不安な中にも安定を求め、しなやかに乗り切って行くことができます。 コロンブスがアメリカ大陸へ向かったとき、発見の偉大な業績を達成するまでには、嵐に遭遇し、どこにいるやらわからなくなったり、乗組員の失望や反対など様々な困難に出会いましたが、その航海日誌には、今日も航海を続けたと書き続けられていたそうです。 昨夜は、一月誕生の神学生5人(ひとりは12月生まれでしたが)と近くの食堂で誕生会をしました。人生は様々だとそれぞれの苦労やユニークさに感動しました。 生駒聖書学院で過ごす3年間が、一人ひとりの将来を決めていく大切な期間であり、そのような時期を委ねられていることに厳粛な思いで眠りに着きました。 朝の目覚めとともに、机上にあった昨日届いた、「揺れても沈まない」の署名が目に留まり、神学生一人ひとりの前途に、また卒業して苦労しながらの前進している姿を思いつつ、祈りをささげる朝のひと時です。詩篇 107:22 彼らは、感謝のいけにえをささげ、喜び叫びながら主のみわざを語れ。 107:23 船に乗って海に出る者、大海であきないする者、 107:24 彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。 107:25 主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。 107:26 彼らは天に上り、深みに下り、そのたましいはみじめにも、溶け去った。 107:27 彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。 107:28 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。 107:29 主があらしを静めると、波はないだ。 107:30 波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
2010/01/29
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今朝早く学院へ行くと、イーグレープと書かれた大型封筒が届いていました。チャペルのあと家で開封すると、平田和文著四次元の経営「揺れても沈まない」贈呈でした。 現在、長野県松本市で株式会社アルプス警備保障を経営する平田和文社長出版の新著です。 推薦文に、「神の導きを信じて歩み続ける人」と書いたことを思い出しました。世界遺産の屋久島に生まれ、孤高の志を胸に生駒聖書学院に入学し、卒業後は開拓伝道を開始しました。 志半ばで警備会社を立ち上げ、その後新たなるチャレンジで冒険家として世界を経巡り、日本百名山登頂を最速66日間で達成し、松本市に移り住み、現在はアルプス警備保障という会社を経営し、自社ビルも購入、最上階には神学生時代からの夢であったキリスト教会も開設し、松本市の救いに取り組んでいます。 会社経営の真髄を語る本・泉堅(万座温泉ホテル代表と取締役会長) 真のリーダーの資質が問われる・渡辺明日香(株式会社ルーク19) 勇気溢れるプイレゼント・堀内俊之(株式会社白銀工房社長)と推薦文にあるように、活躍し広がり続ける人脈を見ることもできます。第46回日本ペンテコステ親交会大会(2月2日-5日・掛川市ヤマハつま恋リゾート会場)では、生駒聖書学院書籍コーナーでお買い求めいただけます。署名;揺れても沈まない/四次元の経営著者:平田和文定価:1,600円(税別)発行;イーグレープ電話;03-3261-2141 Fax.03-3261-2147mail;p@e-grope.co.jp 生駒聖書学院卒業生たちが、伝道牧会やその他の分野でも、「受けるよりも与える方が幸いである」ことを、身を持って実践していることに勝る幸いはありません。 ぜひ、本書を手にとってお読みくださるよう推薦します。コリント人への第二の手紙 9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。 9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。 9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。 9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。 9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。 9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
2010/01/28
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いつも使っていた外出用のメガネが壊れ、眼鏡店に行き視力を測ったが、6ヶ月前と全く同じでした。 どうして壊れたのですかと聞かれ、運転中助手席に置いたままでしたのでと答えました。 もうひとつの外出用メガネを磨いて上げましょうと言われ、ポケットから取り出し手渡すと、美しい女子店員に叱られてしましました。 メガネははめていないときはメガネケースに入れてください!そのためのメガネケースですよとのこと。当たり前のことですが、メガネは自分の目と同じだという心得があれば、あっちこっちにそのままで置くことはないと思います。 大事なものは大事に扱うことが当たり前です。当たり前のことをちゃんとしなかったことを反省させられる眼鏡店での昨日でした。 読書用にメガネと外出用を別にしていたので、両用のグラスに変えてもらい、完成は来週の土曜日。それまでは今あるもので間に合い、少しゆがんでいることがわかったので、メガネが完成したら修正してくれるとのことでした。 イエス様は、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われるだけでなく、その愛を極みまで現してくださいました。その愛は不注意の愛、いい加減名取扱ではなく細やかに語りかけ祈りを聞きお守りくださいます。 いつまでも存続する信仰と希望と愛を、シッカリ保ちまもり恵まれた幸せな日々を進みたいものです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。ユダ書1:17 愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。 1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」 1:19 この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。 1:20 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、 1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。 1:22 疑いを抱く人々をあわれみ、 1:23 火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。 1:24 あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、 1:25 すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。
2010/01/27
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08年8月4日の朝より、「今日もまた天国の一日です!」と告白し続けています。 今朝も目覚めの時や祈りの時、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します」で、朝の時間を過ごしています。 一月も最後の週、生駒聖書学院も平常の授業で、神学生たちも寒さの中ですが、元気で朝の祈り(5時起床)より励んでます。 神学生のブログ、青い鳥より転載します。去年の冬、私は韓国で冬休みを過ごしました。100年ぶりと騒がれた大雪が降って、通麻痺に陥ったほどです。道端には寒さのせいで解けない雪が、何日もそのまま積もっていました。ほとんど部屋に閉じこもったまま過ごしていた。年末の日、知り合いから電話が掛かってきました。声をはずみながらとてもうれしい話を聞かせてくれました。その知り合いは4年前に日本福音宣教会という宣教会を通して知り合いました。地方の町に住みある教会の長老です。ホテルで勤めながら休みの時は、田舎にある畑の仕事をしています。その畑は買うときから宣教のための資金にしますと、神様に誓いを立てたそうです。村の人々からは農作業を知らない知り合いに人が助言をしてくれたり、からかったりしていたそうです。しかし、素人のような人がたまに来て作業をした割に、いつも収穫の時は村の誰よりも高収入を得るので、村人からはとても不思議がっていたそうです。そして、3年前に知り合いは作業の時、石が多く道路からけっこ深い畑を高く上げるために業者に工事を頼みました。畑を土で埋めて整える工事です。大型トラックが工事を始めた途端、思わず村人からすごい反対にあいました。どんなに頼んでも、説得しても村の人々の心は変わりませんでした。結局知り合いはその工事を諦めました。そして、知り合いは草がぼうぼうとしげっている畑を見ながら神様に祈ることしかできませんでした。3年の月日が流れ、その祈りは聞かれました。その村の山の持ち主から自らその工事を名乗り出て、工事をさせてくれと連絡が来たのです。今度は誰の反対も妨害もなく、工事は無事に終わりました。知り合いは工事の前の写真と後の写真を送ってくれました。工事が止まったままの畑を見ながら、知り合いは本当にあの山の土が私の畑に降ってくれたらいいのにとまで祈ったらしいのです。信仰によって山を動かすことができると、イエス様は言われた言葉は今、現在にも起こることを実感しました。寒さに耐えきれず湯たんぽをついに買いました。今日から私も湯たんぽ組です。みんなと仲良くお湯待ちに食堂に走ります。今年の冬は絶対去年より寒いです。体に気をつけて風邪ひかないように祈ります。私の祈りの課題です。1月28日、木曜日に説教があります。覚えて祈ってください。 今、神学生の間では湯たんぽ流行のようです。心も暖かく、信仰・希望・愛も暖かく、身体も暖かく春の陽を待つ、生駒聖書学院です。 今日もまた天国の一日です!生駒聖書学院への入学をお待ちします.ヨハネの黙示録7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」 7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、 7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」 7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。 7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
2010/01/26
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IACA大阪支店「聖書の世界を訪ねて・イスラエル周遊」6日間 土曜の夜に、3月8日(月)~13日(土)関空帰国の日程が届きました。もう10年以上前になりますが、同じ日程で3人で出かけて、すばらしい旅をだった思い出があります。 8日(月)KALで関空より出国。アムステルダム乗り継ぎでテルアビブへ、ホテル小休止。 9日(火)早朝、死海観光と遊泳体験へ。昼食後マサダ経由でクムラン、エリコ、誘惑の山を観光しつつガリラヤ湖へ。湖畔のホテルで夕食と憩いの時間。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!お休みなさいで熟睡。 10日(水)ガリラヤ湖周辺観光。昼食にはペテロ鯛をご馳走になり、午後からカナやナザレを歴訪し、エマオを経由してエルサレムへ。ホテル・グランドコートでバイキング夕食。 今日もまた天国の一日でした!感謝します。 11日(木)週日、ベツレヘムや旧エルサレム市内でゴルゴダの道を歩き、嘆きの壁で祈る幸いも体験できます。10年前にいっしょに行った二人は、幸せな結婚を祈り、今ではふたりとも幸せなママになっています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 12日(金)は早朝テルアビブ空港からアムステルダムへ。ザーンセ・スカイ風車村や木靴工房などを観光。ゴッホ美術館にも行く予定です。 その後、空港より関空への帰路につきます. 13日(土)お昼に関空帰着という日程で、短いけれども充実のイスラエル聖地旅行を計画してみました。 費用は225.000円+(関空使用料2.650円、出入国税6,390円、燃油21.600円) ホテルは全部四つ星、グランドビーチ・ギノサールキブツ・グランドコートホテル(変更の場合でも四つ星です) ご参加いただける場合は申込締切り1月31日まで。料金払込は申し込み一週間後。 下記までご連絡ください。 株式会社アイエイシ・トラベル大阪支店・大塚まで 電話066-265-3337 または生駒聖書学院・榮義之まで メール;elimyoshi@kcn.jp詩篇121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。 121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。 121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。 121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。 121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。 121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
2010/01/25
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同じ聖書の箇所が、三日間心に響き続けており、金曜日、土曜日と今日の礼拝で、出エジプト記15章よりメッセージを続けています。 今朝は富雄キリスト教会(毎月第四日曜日)の礼拝説教です。最近礼拝出席者が多くなているとのことで、昨日も喫茶店勤務の方が礼拝に来ると喜んでいたそうです。 六日働いて一日休む、規則正しい生活ができれば、霊肉ともに健やかに幸せな天国の日々になることでしょう。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します!ハレルヤを合言葉に、肉体を離れて天国に行く日まで恵まれて過ごしたいものです。 イスラエルは400年間のエジプトでの奴隷生活より、モーセに導かれて偉大なエクソダスを経験しました。再び奴隷につなごうとエジプトの戦車隊が追撃を開始しました。 そのような危機一髪のとき、全能の神の御手が何と紅海を真っ二つに割き、海の中を乾いた道を行くようにして救われました。 後を追いかけて来たエジプトの戦車600両は、溢れ返る波に飲まれて藻屑のように滅び去りました。 完全な出エジプトが達成され、モーセとアロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来ました。 ミリヤムは人々に答えて歌いました。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」彼女はそのとき90歳でしたが、年齢に関係なく、老幼男女ともども救いを喜び感謝しました。 ところが喜びにあふれて進むこと三日目、水が見当たりません。やっと見つけた水は苦くて飲めず、民はつぶやき初め、そのつぶやきはあっという間に広がりました。 つぶやきがなんの解決にならないことを知りながら、つぶやいてしまう弱さを21世紀の私たちも持っています。飲み食いのことでつぶやくのは醜いことですが、やはりつぶやいたり、不平不満をぶちまけないと気が済まないような苦味が人生にはあります。 つぶやける人は幸いかも?ぶちまける人があるからです。しかし、つぶやかれる方はたまったものではありません。持って行きどころがない幸せを経験させられるからです。 聖書には、「主を叫び求める人は救われる」とあり、モーセは主に向かって叫びました。すると奇妙な方法が提示されました。 一本の木を苦い水に投げ込めと言われ、そのとおりにすると水は甘くなり、不平不満やつぶやきは消え、渇きは潤されました。 現代に適応するなら木はイエス・キリストの十字架を予表します。十字架の元に行けばすべてが解決します。 罪の苦味、病の苦味、呪いの苦味、貧乏の苦味、死にゆく苦味など、人生のあらゆる苦味が甘味に変わります。 そのすばらしい救いを味わい、いつも十字架を仰ぎ、復活のいのちに生かされ、聖霊に満たされて渇かない人生を歩みましょう。 イエス・キリストこそすべての苦味を甘さへと変えてくださり、すべてを理解し問題を解決してくださるお方です。イザヤ書53:3 彼(イエス・キリスト)はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。 ヘブル人への手紙 2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主(イエス・キリスト)はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15 私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。マタイの福音書11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエス・キリスト)のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
2010/01/24
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今朝も早くより来客ありで、ブログが途中になりました。 昨日の都ホテル集会前に、38歳の元気いっぱい情熱の牧師が来訪。一時間近く情熱に満ちた話を聞き、心燃やされました。その足で都ホテルへ。いつもの喫茶室で今年の抱負をお聞きする時間を持ちました。 初めて参加した日産自動車セールスマン氏は、風雅の販売に成功し買ったお客様にも喜ばれ、今年もお客様の喜ぶ顔を目標に励むとのこと。 化粧品紹介の女性は、スッピンでも輝く美しさ!その秘訣は、アシュラム化粧品です。今年も人を美しく輝かせるために励みます。数年前から同社のシャンプーを使い、髪の毛も黒々で綺麗になったので、彼女のことばを正直に受け止めることができます。帰りは自宅までごいっしょでした。 46歳の証券マンは昨年洗礼を受けてクリスチャンになり、今年は良き配偶者との巡り合いを願っていました。 ふたりの証券マンも資産運用で幸せになる人との出会いを喜び、奈良県吉野町から集会に間に合うよう駆けつけてくれました。この人達に資産運用をお委ねした方々は幸いだろうなあと思いました。 病院理事長は、祈りの経営で新しい体制が始動し始め、多くの方々に健康の祝福を提供できる病院&ホスピスとなることを嬉しそうに話していました。 印刷会社社長は、昨年一月から参加し、60年?近く止められなかったタバコが止まって、顔色もよく若返ったような笑顔でした。祈りは求めてばかりで、ほんとうの祈りになっていないのでは?との質問があり、ちょうど2010年を祈りの叔父の年へとのテーマを用意していたので、プリントを渡しながら感謝でした。 祈りは求めることです。イエス様は、「 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます」(マタイ7:7-8)と教えてくださいました。 祈りの定義は、「求めて与えられることです」と言っても過言ではありません。 「イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。ありがとうございます。与えられました。感謝します」祈るたびごとに感謝しています。 同時に祈りの定義は、「求めたことが与えられましたと宣言することです」 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」(マルコ11:2-24) 「心のなかで疑わず、ただ、自分の言った通りになると信じるなら、そのとおりになります」 祈りは求めることであり、与えられることであるなら、祈った通りになると宣言することです。祈りの不思議さの一つです。 「アーメン。ありがとうございます。答えられ(聞かれ、満たされ、備えられ、与えられ、癒され等)ましたと、確信に満ちて宣言するとき、祈りは描いた餅ではなく、現実に問題の止まを動かす強力な力となります。詩篇65:1 神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。 65:2 祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。 65:3 咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。 65:4 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。 65:5 私たちの救いの神よ。あなたは、恐ろしい事柄をもって、義のうちに私たちに答えられます。あなたは、地のすべての果て果て、遠い大海の、信頼の的です。 65:6 あなたは、御力によって山々を堅く建て、力を帯びておられます。 65:7 あなたは、海のとどろき、その大波のとどろき、また国々の民の騒ぎを静められます。 65:8 地の果て果てに住む者もあなたの数々のしるしを恐れます。あなたは、朝と夕べの起こる所を、高らかに歌うようにされます。 65:9 あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らの穀物を作ってくださいます。 65:10 地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。 65:11 あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。 65:12 荒野の牧場はしたたり、もろもろの丘も喜びをまとっています。 65:13 牧草地は羊の群れを着、もろもろの谷は穀物をおおいとしています。人々は喜び叫んでいます。まことに、歌を歌っています。
2010/01/22
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ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。主の祈りは模範的祈り=徹頭徹尾求める祈りの模範です。ルカ11:5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。11:6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。11:7 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』11:8 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。11:9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。11:10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。ルカ18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」ルカ23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 マルコ11:22-24 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。:まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
2010/01/22
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ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。このことばを口ずさみながら目覚めます。 洗顔しながら、詩篇118:23-24「 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」の聖句が自然に告白。 その他、朝のみことばを次々と口にしながらの朝のひとときです。 今日は、第4回目の生駒朝祷会。午前7時なので今週は朝が珍しく日替わりで変更になり、早朝5時30分の猛声祈祷の時間が少なくなりました。 今朝のお話は大阪クリスチャンセンター理事長・米田昭三郎氏です。日本基督教団、大和キリスト教会長老で全国的にご活躍のすばらしいクリスチャンです。 お祈りが終わると、教会員が大阪から持参してくれる特別に美味しい味噌汁?とおにぎり二個や、デザートまでつく朝食を囲みながらのお交わりもあります。 これからコンビニまで散歩ついでに、60個のお握りを買いに出かけます。詩篇 118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 118:25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 118:26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。 118:27 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。 118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。 118:29 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
2010/01/21
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「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました」(詩篇119:9、11) 聖書の言葉に出会い、清い人生を生きるのは、聖書を読むことと、それを心にたくわえれば良いんだなと、素直に思いました。そのような生活を53年間継続しています。 特に、生駒聖書学院入学してからは、「聖書を読むだよ!」「聖書は神の生きていて力あることばだよ!」「聖書のとおりになるだよ!」と、自力で日本語を覚えたイギリス人院長の、独特のアクセントの日本語が、若い心と頭脳にインプットされ、今は自分が同じことを正しい日本語で強調しています。 聖地旅行を勧められましたが、余り行く気にはなりませんでした。それは歴史の遺物で、イエス・キリストは信じる者とともにおられるから、自分の心が聖地だという自負もあったのですが、本音はお金と時間がなかったからでした。 種子島からときおり訪ねてくる父は、若いときに世界を見てくるように(本人が外国航路の船乗りで30歳ごろまでに世界を廻っていたので)とよく言われました。 お金が無い、時間がないと言うのは口実で、ほんとうはやる気がないだけだと叱られ、やっと30歳で初めて海外へいきました。 イスラエルへの聖地旅行も37歳の時、聖地旅行のスペシャリストに無理やりツアーを組まされて出かけました。 最初の生地旅行で、15歳から聖書を読み始めた感激で、聖書の土地を歩くことが趣味のようになりました。毎年でも聖書の土地を歩いて見たい気持ちになってしましました。 現実には日曜日三箇所で礼拝をしている牧師です。なかなか日曜日を空けられず、聖霊の知恵と復活のパワーで?ウイークディ6日間の聖地旅行を行っています。 今年も3月8日(月)昼出発で、13日(土)昼帰国を計画しています。KALでアムステルダム半日観光(ゴッホ美術館や風車、木靴やチーズ作り見学)もいれてゆとりの旅です。 死海遊泳やエリコ、クムランや誘惑の山、ベツレヘムやエルサレム観光、ゴルゴダの道、ガリラヤ湖周辺やカナやナザレなど、8日間の聖地旅行に匹敵するようなすばらしい短期旅行です。 ご希望の方があればごいっしょにいかがですか。現地の案内は日本人ベテラン・ガイドが努めてくれるそうです。(今の予定ではルツさんだそうです) ご希望の方は、elimyoshi@kcn.jpまでメールください。明日21日(木)午前7時~8時、生駒朝食祈祷会です。朝食代500円米田昭三郎兄のお話です。大駐車場(無料)があります。お申し込みは、メール;elimyoshi@kcn.jpイザヤ書 33:17 あなたの目は、麗しい王を見、遠く広がった国を見る。 33:18 あなたの心は、恐ろしかった事どもを思い起こす。「数えた者はどこへ行ったのか。測った者はどこへ行ったのか。やぐらを数えた者はどこへ行ったのか。」 33:19 あなたは、もう横柄な民を見ない。この民のことばはわかりにくく、その舌はどもって、わけがわからない。 33:20 私たちの祝祭の都、シオンを見よ。あなたの目は、安らかな住まい、取り払われることのない天幕、エルサレムを見る。その鉄のくいはとこしえに抜かれず、その綱は一つも切られない。 33:21 しかも、そこには威厳のある主が私たちとともにおられる。そこには多くの川があり、広々とした川がある。櫓をこぐ船もそこを通わず、大船もそこを通らない。 33:22 まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちの立法者、主は私たちの王、この方が私たちを救われる。 33:23 あなたの帆の綱は解け、帆柱の基は、結びつけることができず、帆は、張ることもできない。そのとき、おびただしい分捕り物や獲物は分け取られ、足なえさえも獲物をかすめ奪う。 33:24 そこに住む者は、だれも「私は病気だ。」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。
2010/01/20
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ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝しmす。 母親と一緒に女子高校生がイエス様を信じてバプテスマを受けました。祖父母もクリスチャンで、特に祖母は良く祈ります。その祈りのほとんどは自分のことより、息子娘家族と孫、曾孫のためです。受洗した高校生の孫も大学受験などもあり、特に洗礼を受けクリスチャンになったことが嬉しく、とりなしの祈りにしっかりと覚えられていました。 彼女が朝早く自転車で通学途中、突然前車輪に何かが詰まりストップ。かなりのスピードが出ていたので、そのまま彼女は吹っ飛びました。そして数メートル先の路上に顔から落ち、その身体の上に自転車が降ってきました。 後ろを走っていた自転車の男性が駆け寄り、すぐ119番で救急車の手配をし、その間に彼女は家に電話しました。ビックリした母親は、救急車と聞きすっ飛んで駆けつけました。 血だらけでしたが、幸い絆創膏を張っていた顔も打ち身の青あざだけ。右腕の打撲や顔中に少しの擦り傷はありましたが、大丈夫との事でその日は学校を休みましたが、翌日から元気に登校しました。 事故から3日目には元気で礼拝に出席し、美しい顔に傷がつくこともなく、親子そろって神様に感謝する姿は輝いていました。 愛の祈りには、考えられないような不思議な結果が伴なうことも多く、病気をいやし、災いや悩みから守られ、健康や祝福を与えられるという恵みがあります。 「アメリカの病院で行なわれた、とりなしの祈りの効用についての報告があります。重い心臓病の患者393名を対象に、ひとりひとりに向けて回復の祈りを行い、祈らないグループと比較をして見ました。すると、祈られたグループの患者群は祈られなかったグループの患者群より、明らかに症状が改善されていました。祈ることが何らかの形で心臓病を患った人たちに良い影響を及ぼしたと報告されたのです」と、人は何のために祈るかという書物にありました。 聖書はとりなしの祈りで満ちています。「あなたは本当に、正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼしつくされるのですか。50人の正しい人がいたら、45人・・・40人・・・30人・・・20人・・・もしやそこに10人見つかるかもしれません」と切迫して祈り、「滅ぼすまい。その10人のために」(創世記18:22‐32)との主の答えをいただくアブラハムのとりなしの祈り。 偶像を礼拝し堕落したイスラエル民族のために、「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。今、もし彼らの罪をお赦しくだされるものなら。―しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください」(出エジプト記32:31‐32)といのちを投げ打ってとりなしするモーセの祈りの結果、民族は滅亡より救われました。 使徒パウロは、「そこで、まず初めにこのことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます」(テモテへの手紙第一2:1‐4)と勧めています。 わずか30秒でも良いのです。愛する者のために祈りの心を持つとき、すばらしい平安が家族を包み、神の守りと助けが支えてくださいます。 愛する日本のために、すべてのクリスチャンが毎日とりなしの祈りを実行する時、十字架の救いが全日本を覆い、世界に貢献するすばらしい国になることを確信します。 ハレルヤ!ありがとうございました。今日もまた天国の一日でした!感謝します。お知らせです。 21日(木)午前7時~8時、生駒朝食祈祷会(食事代500円)が、生駒聖書学院で行われます。お話は米田昭三郎兄(大阪クリスチャンセンター理事長)です。ぜひお出かけください。 朝食準備のため、elimyshi@kcn.jp までご連絡お願いします。 ◇
2010/01/19
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ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。 聖書の天国についての箇所を引用してみます。黙示録2:7 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう 2:17 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。2:26 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。 2:27 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。2:28 また、彼に明けの明星を与えよう。3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。3:12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。 これらの箇所を見ると、天国は勝利者の凱旋する所です。イエス・キリストを信じるとき、どんな時にも逆転勝利の人生を歩むことができます。ヨハネの第一の手紙5:4-5 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。ローマ人への手紙8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方(イエス・キリスト)によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。コリント人への第一の手紙15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。コリント人への第二の手紙2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。 ありがとうございます。今日もまた天国の勝利に輝く一日です!感謝します。 今年もこのことばを朝ごとに、事あるごとにつぶやきながらの活動です。そして夜には、ありがとうございます。今日もまた天国の勝利の一日でした!感謝します。で熟睡の日々です。 天国の勝利と幸せを祈ります。ハレルヤ!
2010/01/18
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ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。 朝の目覚めとともに、胸いっぱいに空気を吸い込み、顔を洗いながらでも、今日もまた天国の一日です! 朝は、生駒聖書学院教会礼拝。今日は近くの小学校のマラソン大会で、子どもたちの出席が少なくなるのは残念ですが、寒さの中元気に走り守られるよう祈ります。 昼からはいつものように、新世界西入口前の大阪エリムへ、午後2時よりの礼拝へ。終わるとすぐ堺郵便局西隣の堺エリムキリスト教会で5時30分からの礼拝へと移動します。 今週、みんなが創世記のヨセフ物語を読んでいるんで、ヨセフの生涯より、「すべてが益になる」ことをメッセージします。 12時前にはインターネットで配信されているのでよろしくお願いします。 ヨセフは12人兄弟の11番目。父の最愛の息子でした。兄たちに恨まれ憎まれて、エジプトの奴隷として売り飛ばされてしまいました。 侍従長の家で働き、何をしても成功する仕事ぶりに、侍従長はすべての責任を任せるほど信頼しきっていました。 ところが好事魔多しで、ヨセフが美男子だったので侍従長の妻が、いっしょに寝るように誘惑しました。ヨセフが拒絶すると、彼の上着をはぎ取り、狂乱を装い奴隷に襲われたと叫びました。 そのまま捕えられて牢獄へ入れられ、さらに不運は続きましたが、牢番はヨセフの無実を知り、彼を牢獄の管理者(牢名主)にしたので、牢獄でも幸運になりました。 献酌長官と調理長官が王の怒りに触れて牢獄へ入れられ、二人が見た夢をヨセフは解き明かし、献酌長官は特赦されましたが、ヨセフが無罪であることを報告せず、さらに二年間も牢獄生活は続きました。 エジプトの王パロが奇妙な夢を見、その夢の解き明かしをする者もなく悩んでいたとき、献酌長官は牢獄での経験を思い出し、ヨセフは牢獄より王宮へと呼ばれました。 見事な夢の解き明かしに、王はヨセフを全エジプトの総理大臣に任命し、全土を襲う大飢饉からエジプトは救い出されました。 飢饉に悩むヨセフの兄弟たちは、エジプトに食糧を買い求めに来て、17歳の時に売り飛ばし40歳近くになったヨセフと再会し赦され、全家族がエジプトへ移住する壮大な歴史です。 そこから現代へ適応できることはたくさんありすぎて困るほどですが、3つのことを今朝は話します。 第一に、どのような境遇に出会っても、神の真実の守りがあることを本気で信じて、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。と宣言することです。 創世記 39:2 主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。39:3 彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。39:21 しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。 39:22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。39:23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。 第二は、ヨセフは自分を奴隷としてエジプトへ売り飛ばした、憎んでも憎みたりない兄弟たちを赦したことです。創世記 50:16 そこで彼らはことづけしてヨセフに言った。「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました。50:17 『ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄弟たちは実に、あなたに悪いことをしたが、どうか、あなたの兄弟たちのそむきと彼らの罪を赦してやりなさい、と。』今、どうか、あなたの父の神のしもべたちのそむきを赦してください。」ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた。50:18 彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。「私たちはあなたの奴隷です。」50:19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。50:20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。50:21 ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。 天国は赦しの場所です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!すべての憎しみや恨みは消えました。感謝します。と赦しを宣言してみましょう。 最後に、すべてのことが働いて万事が益となると言うことを知っている幸いです。 ヨセフの二人の息子の名前に、彼の確信を見ることができます。創世記 41:51 ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた。」からである。41:52 また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた。」からである。 新約聖書ローマ人への手紙には、有名な言葉があり大好きです。なんで自分はこんなに不運だろうと思うような日、このことばをつぶやいてみたらいかがでしょう。神の言葉は生きていて力があり、不思議なことが胸の中で起こり、言葉が変わり、行動が輝き、運命が変わるような変化が起こり始めます。8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!すべてのことが働いて、万事が益となりました。感謝します。詩篇105:16 こうして主はききんを地の上に招き、パンのための棒をことごとく折られた。 105:17 主はひとりの人を彼らにさきがけて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。 105:18 彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中にはいった。 105:19 彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。 105:20 王は人をやってヨセフを解放し、国々の民の支配者が、彼を自由にした。 105:21 王はヨセフを自分の家のかしらとし、自分の全財産の支配者とした。 105:22 これはヨセフが意のままに王の高官を縛り、王の長老たちに知恵を与えるためだった。 105:23 イスラエルもエジプトに行き、ヤコブはハムの地に寄留した。 105:24 主はその民を大いにふやし、彼らの敵よりも強くされた。
2010/01/17
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モーニングサービスへ案内しようと準備していたら、中国のひとりは京都観光へ、種子島の先生は空席待ち(65歳以上は鹿児島まで一万円)で、お帰りとのことで朝食なしで送りました。 70歳で中国の揚子江沿い400万都市・九江大学(2万人)の日本語教授として5年間もご活躍でした。 種子島伝道で赴任して52年、現在も西之表基督教会牧師として、明日の礼拝までには帰るために空港で分かれました。 ちょうど大阪聖書学院を卒業し、種子島へ赴任された時、推薦状を書いてくださったので、生駒聖書学院に入学許可になりました。本来なら母教会の新学校へ行くのが当然であり、推薦も大坂聖書学院だと思うのですが、神様の摂理の御手の導きで現在に至っています。 人知をはるかに越えて神のご計画は先進して行きます。種子島へひとりのアメリカ人宣教師が来ました。わずか2年間の滞在でしたが、彼の蒔いた種はひとりの高校生の心に届きました。 アーメンと信じ、その日にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。あの日から54年目になりますが、今日もその少年を通して福音は広がり続けています。 誰かが種を蒔かなければ、福音はそこでストップします。しかし、徒労に終わりそうに見えるようでも、ソの蒔かれた種が30倍、60倍、100倍の実を結ぶようになると、イエス様は教えてくださいました。 今年は、ありがとうございます。「今日もまた天国の一日です!」感謝します。をことあるごとに流行らせたいと祈っています。 夜には、ありがとうございます。「今日もまた天国の一日でした!」感謝します。弟安らかな眠りをいただき、永遠の朝を待ちつつ毎日を過ごせるよう願っています。 ある牧師が臨終を迎えました。見守る家族が声をかけると、「もう天国に着いたのかな!」と答えました。「まだだよ!お父さんん」と言うと、そのまま「もうすぐ天国だね」と安らかに笑顔で目されたそうです。 この地上の生涯終えるまで、「今日もまた天国の一日です!」と、伸びやかに豊かな心で間日を迎え続けたいものです。ルカの福音書17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。 17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
2010/01/16
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今週は来客があったり、ラジオ録音で二回も朝日放送に出かけたり、アフリカ・ケニアの孤児院支援出走りまわったりしています。 東京や韓国からの講師接待もあり、朝食は牛丼の吉野家、モーニングサービスのパン屋へ案内したり、夕食は奮発してと思ったりですが、王将で餃子か来々軒のラーメンになったりで、接待ベタですねと言われたり・・・・。 行きつけの店が一軒もないほど、外で食べることのない生活で続けて来ました。粗食こそ健康の秘訣と心得ているわけではありませんが、専門家と話したとき、自然にそのようになっているのは幸せですねと、感心?されたり、あきれられたり・・・・。 今日は、中国宣教に出かけていた種子島の牧師が、中国の来客を伴って訪ねてくれます。奈良公園観光も兼ねていますが。今夜一泊だけですが、夕食をごいっしょし、明日は京都観光だそうです。 大和高田市に日中友好協会があり、そちらの方々の案内もあるとのことで、わずかの時間ですが中国の方々との出会いも与えられ感謝しています。 今日もまた天国の一日です!を、中国にも持ち帰りいただこうと楽しみにしています。 朝には、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です! 感謝します。 夜には、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 今日もまた天国の一日です!が、世界を駆け巡るように祈りつつです。ハレルヤ。詩篇34:1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。 34:2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。 34:3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。 34:4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。 34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」 34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。 34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。 34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 34:9 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。 34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。 34:11 来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を恐れることを教えよう。 34:12 いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。 34:13 あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。 34:14 悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。 34:15 主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。 34:16 主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。 34:17 彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。 34:18 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。 34:19 正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。 34:20 主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。 34:21 悪は悪者を殺し、正しい者を憎む者は罪に定められる。 34:22 主はそのしもべのたましいを贖い出される。主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。
2010/01/15
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生駒聖書学院三学期も始まり、院内も神学生たちの清掃奉仕でエデンの園のようにキレイになりました。 朝5時半よりの祈りの時間(猛烈に声を上げて祈るので猛声祈祷)も始まり、インターネットもチャペル(午前6時半~7時)を配信。今週は前田牧師、竹腰伝道師、金沢牧師の力強いメッセージです。 一昨日、間違ってスタジオへ行ったので、昨日再び朝日放送スタジオへ。警備員や受付の方々に笑顔で迎えられ、ディレクターの方も13階から駐車場まで出迎えてくれた。 出入りはすべてコンピュータで管理チェクされているが、帰るときどうしてもドアが開かず、通りかかった著名な方といっしょに出て、ありがとうございますとマンガを手渡すこともでき感謝だった。 昨夜は東京から、今日は韓国、明日は種子島と中国より来客があります。来週は京都や奈良など全国各地、全世界へと生駒聖書学院の交流が広がり、新年度へ向かって献身入学生も続々と入学してくる期待で、今日もまた天国の一日です!お知らせです。 来週21日(木)午前7時~8時、第四回生駒朝食祈祷会/会費500円 メッセージ(奨励)米田昭三郎氏(大阪クリスチャンセンター理事長他要職) 会場は、生駒聖書学院チャペル(大きな無料駐車場があります) 生駒市俵口町951 電話・FAX.0743-73-7622 メール;elimyoshi@kcn.jp 参加申し込み;朝食を注文するため、ご参加登録よろしくお願いします。
2010/01/13
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昨日は始業式を終え、真学生たちとバイキングへ。和洋中華&焼肉(牛・豚・海鮮・野菜等)が豊かにあり、昼なので割安で学期開始の恒例の食事会になりました。 90分食べ放題ですが、神学生たちは90分一ぱい使うが、40分で退座し銀行へ。ケニアのパラダイスの子どもたちの学校が始まるので、41名の学資援助金を送るためです。 銀行からすぐラジオ放送2月分の録音でスタジオへ。 いつもの警備員が怪訝な顔をして迎えてくれ、あれっ!間違ったかな?と思い受付へ。窓口で4ラジオ制作局へ電話し、結局水曜日の午後4時とのこと。 今日もう一度朝日放送スタジオへ行き、2月放送分録音です。 調度良かったと感謝して、アフリカ学資支援をMFA(ミッションフォーアフリカ)に届けるために、平野区の事務所に向かった。マンションの中にあるため、ベルを押すが応答なし。もう一回来るのも時間の無駄と思い、近くのコンビニ駐車場で待つことのした。 やっと電話が通じ、マンションを開けてもらい、パラダイスの今年の教育費を手渡し、アフリカへの送金を依頼することができました。ケニアの孤児院で高等学校まで支援している組織はほとんでないが、エリム宣教会はもう何年も支援を続けています。 今年も6月末に10日間程、20回目のアフリカ宣教を計画しています。毎年一回はアフリカへ行くように心がけています。 平野区から浪速区までラッシュの中をドライブし、大阪エリムの火曜集会に間に合いました。少し時間があり、ゆとりの一万歩を完歩でした。 朝一番のことばが一日を支配します。今日もまた天国の一日です!を朝の合言葉に。 今日もまた天国の一日でした!は、夜の休みの時に!ぜひ口癖に熟睡です。コリント人への第二の手紙 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2010/01/13
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朝に目覚めたときの最初の思いとことばが、その日一日を支配する?と良く言われます。そのことを知った日から、朝のつぶやきをできるだけ明るくしようと思い、長年の口癖になっています。 08年8月4日より、「今日もまた天国の一日です!」と思い、同時に口に出して言います。今年は、日本中に広がるようにと願いながら・・・・。 33年前ですが、アメリカへ一ヶ月間の伝道旅行を信仰によって出かけようと決心しました。貯金も蓄えもない時代でした。教会からだしてもらえる状況でもありません。 信仰と告白だけで行こうと祈り初め、アメリカの友人たちに手紙を書き、歓迎するとの返事が届きました。一ヶ月前の9月には予定が全部完了し、ロングビーチ、サンアントニオ、デンバー、サンホゼ、フーラー神学校、グアダラハラの教会と宿泊先まで決まりました。 朝、目が覚めると「お金どうしよう?」と言うことばが口から出ます。毎朝のつぶやきが、「お金どうしよう?」になってしまいました。 ある朝のこと、信じてアメリカへ行くと宣言しているのに、どうして「お金どうしよう?」と言うのですかと、家内に言われてしまいました。 翌朝から決心して、アドナイ・イルエ!主は備えてくださる。お金は大丈夫と思い、できるだけ口に出すようにしました。「お金どうしよう?」と言う心配やことばを口にしないように決心し実行しました。 不思議なことに出発の日までに60万円が備えられ、予定されていた多額のセミナーまで中止になったり、メキシコ行きやハワイ滞在(飛行機の故障でウエイトになり一日だけですが)のおまけ付きもあったりでした。 聖書学院の始業式に間に合わずに一日遅れでの帰国になりましたが・・・・。 今日は生駒聖書学院3学期始業式です。神学生たちが真に献身の道をひたすらに歩み、すばらし牧師、伝道師、宣教師として活躍するよう祈り、宣言しながら始業式に臨みます。 今朝のつぶやきも、「今日もまた天国の一日です!」主の恵みは朝ごとに新しい! この日は主が造られた日!この日を楽しみ喜ぼう。ハレルヤ。感謝します。詩篇118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 118:25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 118:26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。 118:27 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。 118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。 118:29 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
2010/01/12
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キリスト教会へ行くまで、祈ったことが一度もない無神論的な少年時代を過ごしました。「アーメン。信じます」とバプテスマを受け、クリスチャンとなって初めての礼拝のときでした。 牧師が、「兄弟。前に来て祈ってください」と、突然指名されたのです。人と話したこともほとんどない人生、神様にお話ししたこともなく、「天のお父様・・・・」言葉が続かず、長い間の沈黙。やっと牧師がアーメンと言ってくれたので、聞こえないような小さな声で「アーメン」。 キリスト教会での恥ずかしい経験で、祈りの生活がスタートしました。聖書には、「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」(マタイ6:8)とあります。クリスチャンになった当初から神がすべての必要を知っておられる恵みの祈りでした。 親は、子どもが求める先から、その必要を知って与える備えをする以上に、父なる神は私たちの願いに心を開いて備えをしていてくださるのです。結婚して12年目に長男が与えられ、長女誕生で2人の子どもを育てました。子育ては私がしたと家内に言われながら、次のことだけをしっかり守りました。 一つは、子どもたちを心を込めて愛したことです。 もう一つは、約束したことは必ず守ったことです。 子どもたちは、誕生日にあれが欲しいと願って父がわかったよと答えると、二度とうるさく求めることはありませんでした。求めたものが手に入るまでには時間がかかるときもあります。時々は、あれ買ってくれるよねと何度か聞くことはあっても、不安や恐れ、疑いの気持ちではなく、愛の信頼の求めでした。 イエス・キリストを信じることにより、神の子とされた私たちは、人間の父よりも何百倍も大きく、真実な天の父を神として祈る幸いを与えられています。 わすか30秒の祈りが世界を変えるというのは、長い時間祈ってはいけないという意味では決してありません。長い時間あれをしてくれ、これをして欲しいとうるさく言わなくても、神との交わりの中で必要なことを率直に求めることです。 まず第一に、霊的な祝福、聖霊に満たされて神との交わりがいつも豊かであるようにと祈ります。まして神は求めて来る者に聖霊をくださらないことがありましょうか。求めるとき、聖霊のバプテスマだけでなく、聖霊充満の恵みを受けるから幸いです。 第二に、心の安らぎを受けます。愛し合う夫婦はいっしょにいるだけで平安です。信頼しあう親子も同じです。子どもが幼い頃、書斎に入ってきて、何か用事?とたずねると、お父さんと一緒にいたいからと答え、じっと待っていてくれたことがあります。今は、孫がときどき遊びに来て、おじいちゃんといっしょに居たいから、ということもあります。イライラやプレッシャーから解き放たれ、精神的に安らぐ祈りを感謝します。 第三に、主の祈りでも「日ごとの糧を与えたまえ」と祈るように、すべての必要を祈ることができます。贅沢をするのではなく、必要な物は必ずキリスト・イエスにある栄光の富の中から供給されると、アドナイ・イルエの神は約束しておられます。 具体的に、明確に必要を求めるとき、思いをはるかに越えた祝福の備えを体験できます。9月にコミックを出版するために、200万円が必要です。金も我が物、銀も我が物と宣言される神に求めるとき、お金も豊かに与えられる幸いを感謝します。何も心配しないでよいと約束された主にお願いできるからです。 第四に、健康についても祈ることができます。約束は、「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます」(テサロニケ人への手紙第一5:23ー24)。 第五に、とりなしの祈りの恵みが与えられます。様々な祈りや求めがありますが、素直に率直に、父なる神にイエス・キリストのお名前によって祈るとき、考えられないような祝福をいただけることはすばらしいことです。 「アーメン。信じます。ありがとうございます。すべての祈りをお聞きくださいました。感謝します!」ヨハネの第一の手紙 5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。 5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。 5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
2010/01/11
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私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった」(創世記26:12) 種を蒔くと収穫がある。当たり前ですが、豊かな収穫は豊かな種蒔から始まります。 新しい年2010年、どのような種を用意し、豊かな収穫を得ようとているでしょうか。 まず信仰の種をしっかりと蒔きたいものです。信仰の種はどこにあるのか。 「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ人への手紙10:17) 「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」(詩篇1:2-3) 信仰の種は、聖書のみことばです。その種をしっかりとまず自分の心=考えに中に蒔くとき、底に書かれていることばが発芽し、100倍、60倍、30倍の収穫を得るような、天国の日々を生きることができます。 「イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」(マルコ11:22-24) 人間関係に悩んだり、やるべきことにプレシャーを感じたり、戸惑ったり・・・・私たちは、日々たくさんのストレスに囲まれて生活しています。うつ病と認定されている人が400万人を越えているような時代になってしまいました。 でも同じような問題に出会っても、ストレスを感じない人もいます。人間関係は特にそうです。ストレスの大きさというのは、自分がその状況をどう受け止めているかで決定されています。 受け止め方を変えることで、感じるストレスを和らげることができ、今日もまた天国ですと感謝し、平安に生活することができます。 その秘訣はポジティブなことばをつぶやくことです。みことばをつぶやくのが一番です。 ・もうだめだ、おしまいだ。大変だ=信じるものには何でもできる。神には不可能はない!なんとかなるさ。これからだ。大したことじゃない。 ・自分にはできない。無理だ!=私は、私を強くしてくださる方によってどんなことでもできます。大丈夫。できる、できる! ・いやだな。やりたくない=いつも喜べ。絶えず祈れ。すべてのことに感謝せよ!やるぞ。よそいやってみよう。 ・何で自分ばかり。どうしてこんな目に合うのだろう!=あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。こういうこともある。人間修業だ。 ・ゆるせない。頭に来る!=我らに罪を犯すものを赦します。まあ、いいや。不愉快なことばかり考えて続けることは意味がないし損だ。 ・嫌われるかもしれない。どう思われるかな?=あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしがのろう。合わない人がいても当たり前。人は人、自分は自分、祝福を与える。 ・失敗するかも。うまくいかなかったらどうしよう=わたしがあなたとともに行って成功させよう!その人は何をしても栄える!繁栄する。失敗は成功のもと。命を取られるわけじゃないし。 ・こんな失敗をしてしまって。もう自分はだめなんだ=試練を喜ぼう。患難は忍耐を生じ、練られた品性を生み出し、この希望は失望に終わらない。聖霊によって神の愛が豊かに注がれている。私が苦しみに会ったのは良いことだった。すべてが働いて益となる。次に生かせる経験だ。感謝します。 信仰の種を、つぶやきながら蒔くことは強よがりでも、いじっぱりでもありません。みことばの種をしっかり心に蒔き、告白し続けてください。必ず100倍の収穫を見ることができます。 希望の種を蒔き続けましょう。愛の種を蒔き続けましょう。今日もまた天国の一日です!コリント人への第二の手紙9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
2010/01/09
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4日夕方の便で沖縄へ。30分遅れで午後6時30分到着。レンタカーの迎えを受けて手続きを終えたら7時をまわっていた。 ホテルチェクインを後回しにし、うるま市石川山城まで高速を走り、午後8時過ぎに予定の家につき、ご馳走の歓迎を受けた。家族全員が揃ったところで家族の悩みなども聞き、家族全員で手をつないでもらって祝福の祈りを終わったときは、もう午後10時を過ぎていた。 那覇市内のホテルピースランド久米に11時過ぎにチェックイン。駐車場の予約はしていなかったが一台だけ空きがあり、アドナイイルエ!850円3日分を支払い、部屋へ履いたときは12時前。 ヒーターを入れないと寒いくらいで、シャワーを使い、今日もまた天国の一日でした!と熟睡。 朝早く起きてゆとりの一万歩。週日用事を済ませたりで一日が終わる。 水曜日の朝は、ホテルの前に日本キリスト教団那覇中央教会があり、朝の聖書研究会へ参加し、お交わりの時が与えられともに祈り合う祝福のとき。コミックと愛 輝きに向かってを贈呈した。 午後からは南城市つきしろの午後の集会で説教。近くには生駒聖書学院卒業の牧師の家もあることを知り、前日にコミックのポスティングでその家にも入れたので少々驚いた。 昨年、病になりまだリハビリ中だが、奇跡的な回復力で元気と聞き、主の癒しを信じる幸いを感謝した。 集会後、北中城の教会を訪ねコミックをポスティング。雨も降り始め寒さも加わったように感じながら、ナビ付きのレンタカーでうるま市の教会へ。 木曜日の朝も早く起きてチェックアウトまでゆとりの一万歩で空港へ。沖縄はもっと暖かいと思ったが4日間とも寒波襲来?で生駒から寒さを持ってきたように思われた。集会はそれぞれ暖かい聖霊の臨在ありで喜んでもらえたが・・・・。 関空に着くと沖縄の比ではない寒さで、雨も降り始めてきた。高速を飛ばして生駒山のトンネルを抜けると雨はなかったが、かなりの冷え込みで思わず寒む!とことばが出てしまった。 昨日は、溜まっていた書類やコミックや本の注文もあり、手伝ってもらって午前中には全部処理し終わり、午後からは訪問に出てお交わり。夕方になり万歩計はまだ4000歩。 訪問先の地域はまだ一度もポスティングをしていなかったので、ちょうど6000歩を歩ける範囲をコミックを入れながら完歩。途中でみぞれが降り始めたがハンカチを帽子にして、ポスティングを続けることができた。 テレフォンメッセージにインターネット礼拝。ブログを書く時間がなく、30秒の祈りを沖縄旅行中の続きで転載し、レポートが今日になりました。 ただ、沖縄へ行ってきたという簡単な報告ですが、動き回る3日間でした。 今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。詩篇121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。 121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。 121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。 121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。 121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。 121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
2010/01/08
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重荷や悩みを全能の愛の御手に 祈りは、神様にお話しすることであり、求めることです。イエス・キリストの御名によって祈るとき、必ず聞かれます。『神様への緊急電話』(フランシス・G・ハンター)で、以下のような祈りを知り、いつも重荷を主に委ねる平安を体験し続けています。(1) 象徴的行為として、神様に向って両手を差し伸べます。(2) できるだけ腕を前の方にまっすぐ伸ばします。こうして自分の手を自分自身からできるだけ遠く離すのです。(3) 手のひらが上になるようにします。(4) 手のひらを上にしたままで、心の中にある祈り、願いを神様に申し上げるのです(もしそれが大きな祈りや願いであれば、両手でコップのような形を作り、それをできるだけ自分から遠く離します)。(5) さてここで祈りの重要なところにさしかかりました。ここで、2つのことのうちどちらかを選ばなければなりません。その手をぎゅっと握り締めて、その祈りの重荷を自分のうちに引き戻すか、あるいは単純に次の段階に進むかです。(6) ただ手のひらを裏返しにします。すると、「手の中には何も残らないことになります。何かを持っていようとしてこぶしをにごり締めてはいけません。できるだけ指と指を離して伸ばします。(7)腕を下に下します。こうするならば、何ももとに戻すことはできません。 いつも両手を上に上げて祈っているわけではありませんが、多くの持ちきれないような悩みや苦しみを、下には永遠の愛の御手があることを確信して、全部の重荷を委ねるのです。そのときに、だれでも重荷を負って苦労している者は、わたしのところに来なさいと招いてくださる愛の主が引き受けてくださることを、アーメンとお任せできます。 祈りの答えの第一の恵みは、豊かな平安が与えられることです。問題の最中にあっても、聖霊の慰めと力が体の内にみなぎり、主ともにいます平安で満たされます。 第二に、知恵が与えられます。イライラしないで不平不満や悩みから解放されて、はっきりとした目当てが与えられます。神のなさる最善を信じているので、あわてず、あせらず、いそがずに平安の中で解決していきます。 第三に、感謝の心に満たされ、喜びと希望にあふれて、どんなことにも対処することができるようになります。一時しのぎの解決ではなくて、神がなさる恵みのみ業を信頼することができます。 第四に、思いがけない奇跡的な介入があり、求めていたものが与えられ、捜していたものが見つかり、叩いた門が開かれます。しかも求めたとおりの結果であるだけでなく、思いをはるかに越え、神の栄光が輝く結果となります。 第五に、その祈りを通して神への信頼と愛が増し加わり、自分のことだけでなく豊かなとりなしの祈りへと広がっていきます。 聾(ろう)者の青年は、祖母が脳溢血で倒れて以来、その救いを祈り続けていました。帰省する度に身体をさすったり、肩を揉んだりしながら聖書を開き、イエス・キリストの救いを示すようにしていました。 牧師が福音を伝えに松江まで来て、洗礼を授けるように祈っていました。メールでその願いが届いたので、往復650キロを車で松江市まで行きました。69歳のその祖母は孫の愛に感動し、77歳の祖父も同時に「アーメン。信じます」と、イエス・キリストを受け入れ、バプテスマを受けられました。青年は耳で聞く聖書をその場でプレゼントし、祖父母は身体全体で救われた喜びを表していました。 祈りは、自分で持ち切れない重荷や、悩みを全部主の愛の手にお委ねすることです。イエス・キリストのお名前によって、すべてを全能の愛の手に委ねます。アーメン。ありがとうございます。すべては解決しました。感謝します。
2010/01/08
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歴代誌でカタカナだらけの系図の中、ヤベツ(4:9、10)に出会うとはっとすると同時に、その祈りに驚かされます。彼はイスラエルの神に呼ばわり、4つのことを求めています。 (1)私を大いに祝福してください。 (2)私の地境を広げてください。 (3)あなたの御手が私とともにあってください。 (4)災いから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてください。 最初にヤベツに出会った時、何とあつかましい自分中心の祈りだと思いました。私を・・・・私をと4回も繰り返しています。しかしその祈りの箇所で聖書は、「そこで神は彼の願ったことをかなえられた」(10)と記しています。大いなることを神に求めてよいのだと、確信が与えられました。 数年前、歯医者へ行き治療が終わると応接室に招かれ、「祈っても答えられないのはなぜですか」と質問されました。 ためらうことなく、「疑いながら祈るからです」と答えると、「そのとおりですね。ではどうしたら疑わないで祈ることができるのですか」と2番目の問い。 「そうですね。イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。と祈ったら疑いや恐れが来る前に、ありがとうございます。答えられました。感謝しますと先取りで告白すればいいですね」と、聖霊の知恵のことば?で答えました。 治療の帰り道、「私を大いに祝福して下さい。アーメン。ありがとうございます。大いに祝福されました。感謝します」「私の地境を広げてください。アーメン。ありがとうございます。私の地境は広がりました。感謝します」「あなたの御手が私とともにあってください。アーメン。ありがとうございます。あなたの御手が私とともにありました。感謝します」「災いから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてください。アーメン。ありがとうございます。災いから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいました。感謝します」と祈りました。 当たり前のことですが、神の約束のことばは生きていて力があります。その約束のみことばに素直に応答することこそ、信仰生活の真骨頂です。どのような祈り願いをしても、必ず「ありがとうございます。答えられました。感謝します」と、率直に告白し始めると、思い煩うことなく重荷を主に委ねて平安になります。 歯科医の国家試験を受けた医学生から相談を受けました。「イエス・キリストのお名前によって合格させてください。アーメン。ありがとうございます。合格しました。感謝します」と祈るよう勧めたところ、素直に毎日祈っていました。 ある日電話が来て、「そう祈っていても合格していなかったらどうするのですか」と質問されました。「その時はその時です」と答えると、「そうですね。まだどうなるか分からないのに、心配してもどうにもなりませんね。その時はその時ですね」との返事でした。幸い合格して今は歯科医として活躍し、夕刊紙のコラムを書くほどになっています。 祈りをするとき、願ったとおりに答えが来ないときもあります。その時はその時ですと、神に信頼して委ねて祈り続けると、願いをはるかに越えた答えが備えられていることに驚くことはしばしばです。 生きていて力がある神のことばに信頼して、単純率直に祈りをする幸いを感謝します。 勇気を持って祈り続け、30秒の祈りで世界が変わる恵みを体験したいものです。 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。(エペソ人への手紙3:20、21)
2010/01/07
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祈りの時、みこころがなりますようにとよく祈ります。様々な願いが心に起るとき、どれがみこころからのものかわからなくなります。そして願ったことがかなえられなかたら、みこころではなかったのだと変な安心をしてしまうこともあります。 生駒聖書学院の責任を引き受けた年、アメリカへ行きたいと思いました。それはみこころだろうか。子供が生まれたばかりでお金もなく、1カ月も教会と学院を留守にすることになります。 祈りながら聖書を開くと、「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」(ピリピ2:13、口語訳)とのことばに出会いました。 今まではたくさんの願いが心に起るとき、まずみこころだろうかと考えました。するとすぐ、そんなに大きなことはみこころではないという思いが来るので、やはりみこころではないとその願いを捨てていました。 また、誰かに相談すると、ほとんどがみこころではないと思うよと否定されることが多くありました。 とどめは悪魔がささやきます。お前にそんなことを願う資格があるのか。そんな願いは神のみこころではないと全面的に否定する思いを与えます。 祈りの中で与えられた御言葉は、第一に、神はあなたがたのうちに働きかけて願いを起こさせてくださる。神がご自分の子とされた者に、みこころのままに働きかけてくださるのです。だから、与えられている思いは神の働きかけだから、その願いを起こさせてくださるのだとわかりました。 第二に、実現に至らせるのは神であるので、みこころにかなう願いは必ず実現することも信じることができました。 第三に、それは神のよしとされることであることも、すっきりと聖霊によって理解することができました。 その日以来、神のみこころを決めるのは自分でもなく、人やましてや悪魔に決めさせてはいけないことが明確になり、神ご自身がみこころを決めてくださる喜びを体験しています。 神は、ご自身のみこころの全啓示を聖書によって明らかにしておられます。聖書のみことばをしっかりと受け止めるとき、そこに神の願っておられる幸せを体験できるから幸いです。 神のみこころを確信して祈るとき、そこに必ず起こされた願いが実現されていく、神がよしとしてくださる祝福を受けることができます。その日以来、どのような願いが起こされても、みこころは神に決めていただくことにしました。 祈りのとき、もしみこころならばという願いがかなわなかったときの言い訳となるような言葉を使わないで、聖書の約束に従って、単純明快に、率直に祈る恵みを与えられています。 全費用も不思議に備えられ、アメリカへ1カ月間の宣教奉仕へ出かけ、さらに大きな祝福を体験できました。 祈ることが神のみこころであることを確信して、イエス・キリストの福音を信じて救われる人々が起こされることを楽しみに伝道したいものです。 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。(ヨハネの手紙第一5:14‐15)
2010/01/05
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李明博(イ・ミュンパク)貧乏少年、大統領になる! 韓国の李明博大統領は、1941年大阪生まれ、現代社長、国会議員などの要職を歴任。 ソール市長になり、20万人の人々を説得して清渓川復元事業を成し遂げました。 2007年大統領選挙で531万票差という圧倒的人気で、大17代韓国大統領となりました。 熱心なクリスチャンで毎週礼拝に出席し、社長や国会議員、ソール市長時代でさえ、駐車場係を自ら進んで行う忠実な人だそうです。 貧乏少年、大統領になるの小冊子は、2004年5月14日に、ソウル市長時代に韓国のキョンビョン・キリスト教会で彼自身が語ったものです。 彼は社員が数十人という零細企業だった現代建設に入社し、29歳で取締役、36歳で社長、47歳で会長になり、現代建設を韓国最愛の企業にしてしまったのです。 彼は子どもの頃、両親と五人の兄弟7人がわずか一間の部屋(ボロ寺を貧しい人達が、段ボールでし切って作った部屋)で暮らしていました。 中学生になったとき母は、受けるよりも与える方が幸いだから、人を手伝い助けなさいと言いました。彼は家が貧しいから人助けをしたら、食べさせてもらったり、お金をもらえるからだと思いました。 最初は乞食扱いで手伝いを申し出ても相手にしてもらえません。ぼつぼつ手伝いを喜んでくれる家も出てきました。 しかし、母親は手伝っても水いっぱいであっても飲んではいけないよ。一生懸命手伝いなさい。 水いっぱいさえももらわずに働き続けることで、知らず知らずのうちに自信がつき、どんな人の前でも、金持ちの家でも堂々と入ることができました。 中学時代に彼を散々いじめて不良扱いをした教師がいました。曽於教師が夜間高校進学を進めてくれました。しかし、長男ひとりを大学にやるために兄弟全員は中学までとは母は夜間高校へ行くことを許しません。 しかし教師は、試験で一番になれば学資免除とのこと。夜間高校入学3ヶ月後、自分でポン菓子売りをしながら3年間を首席で通し、卒業後はソールでドヤ街暮らし。苦労のどん底で高麗大学合格しました。 早朝4時に市場の掃除をしてお金を作り、徴兵後は卒業まで軍服を着たままで通した有名人として知られてました。 就職活動を続けましたが、どこを受けても就職の内定ももらえませんでした。学生運動を6ヶ月したので政府のブラックリストへ載せられ、刑務所で習慣の経験もあったからです。 彼は大統領にも面会求めましたが、秘書官にしか会えませんでした。失望のどん底で秘書官をぶん殴って帰ろうと怒り心頭になりましたが、イエス様の守りで暴力は振るわず、捨て台詞を残して辞去しました。 その後、彼が祈り求めたとき、現代建設株式会社が新入社員募集を募集を知り応募しましたが、高麗大学卒業?ななぜと言われ、またダメかと思いましたが、内定が来て就職することができました。 働きに働いて入社13年目、35歳で現代の社長へ駆け上りました。 大統領秘書官が社長就任のときに、「大統領があなたが現代へ就職できるよう計らってくださったのですよ」とのこと。 ぶん殴って帰ろうと思ったが、ぐっと忍耐しての捨て台詞!「ひとりの個人が自分の力で生きようとする道を国家が閉ざしたなら、国家はその個人に対して永遠の負債を持つことになるのです」 ずっと朝5時からの朝祈祷を欠かさず、母親の信仰と祈りを受け継いでいる大統領に祝福あれと祈ります。 日本の総理大臣にも、イエス・キリストを心から信じ、真実に国民を愛し、国のためとという大義名分に隠れることなく、国民一人ひとりを愛する=鳩山首相は友愛を掲げていますが=そのとおりに実行する政治が行われる国になるよう祈る2010年の朝です。ヨシュア記 1:5 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。 1:6 強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。 1:7 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。 1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。 1:9 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」
2010/01/04
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あいうえお50音で幸せ輝く2010年! ハレルヤ・アーメン明るい愛にいのち嬉しく、笑顔でおめでとうございます。輝く感謝で気になる苦労も蹴飛ばし幸福!栄える幸せ素直に受けて聖霊に注がれ続けます。宝のような力で強い天国の尊い日々です。何でもニコニコと抜きんでて熱中し乗り切ります。働く日々も振り返らずに平安に保証されます。毎日見上げて胸いっぱいに恵みを求めます。やさしいイエス様は豊かな永遠の喜びを!楽天的で立派な人が、類は友を呼び列を作ろう!エリムの群れも。笑いで包もう愛と平和の日本列島&世界中!アーメン。 昨日、さっそくメールで新作が届きました。あかさたな・・50音で幸せ輝く2010年! ハレルヤ・アーメン朝から愛を受けて前進しよう1日を。感謝して生きよう365日最高の1日でした!と告白しよう。大切にしよう1人1人りを。なんでだろう~とつぶやくのはよそう。働かざる者食うべからずしっかりと働こう!まことの神様を人々に伝えよう。やなことを一生懸命頑張ろう!ラッキーを見つけよう。わいわい食事をして健康の日々を。知恵を振り絞ってあかさたな‥を作ってみました。感謝致します。今日もまた天国の一日です!アーメン。とありました。 今年も、あなたの信じる(思う・考える・願う・・・・)通りになると教えた、イエス・キリストのことばをしっかりと胸に刻んで、最高の思い=神のみことばを、毎日心でしっかり信じましょう。 そして、心で信じていることを口に出して告白するとき、祈りは山を動かします。聖書はそのように約束しているから思い切って前向きのことばをいつも口に出し続けましょう。 心で信じ口に出すと身体がそのように動き出し、実行する力が聖霊により与えられます。 聖書の約束は、神が与えた霊は臆病の霊ではなくて、力と愛とバランスの霊です。勇気を出して正しいことを実行し続けましょう。 ピリピ人への手紙4章13節には、 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。(新共同訳) 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(新改訳)とあり、いつもそのことばを告白しながらチャレンジします。 さらにパウロは、テモテへの第一の手紙1章12節でも、断言しています。 「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです」新共同訳) 「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。 なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです」(新改訳) この一年間の日々が、今日もまた天国の一日です! 今日もまた天国の一日でした!であるよう祝福を祈りながら、新年礼拝に出発の朝です。 午前10時=生駒聖書学院教会 午後2時=大阪エリムキリスト教会 午後5時半=堺エリムキリスト教会(午前10時の礼拝はインターネット・メッセージ)ヨシュア記1:5 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。 1:6 強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。 1:7 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。 1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。 1:9 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」
2010/01/03
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もう長年の習慣になりましたが、元旦礼拝では子どもたち(赤ちゃんから大学生)に、牧師からのお年玉があります。 家族といっしょに祝福の祈りを終えるとお年玉です。赤ちゃんでも手を出して受け取り、すぐ口に入れようとするので、ママがあわてて大笑になる光景もあります。よちよち両手を広げてだっこされるように近づく子もいます。 恥ずかしそうにくる子、大学生になると難で私までも?という顔ですが、私とにっこりありがとうございます。感謝しますと受け取ってくれます。 昨日の傑作は、可愛い高校生の女の子、お年玉をもらうとさっと千円札を抜き出して、おじいちゃんにこれと言って渡しています。あれっ?と思いましたが、あと聞くと借りていたので返したのだとにっこり。 幼稚園児までは文字通りお年玉。小学生、中学生、高校生は少しづつアップのお年玉です。 今年は幼児が多く大学生まで入れると30名近くにお年玉でした。午後からは富雄キリスト教会での元旦礼拝を終え、孫たちが来たのでやはりお年玉です。 お年玉もプレゼントも何ひとつない幼少年時代でしたが、いまこうして元旦礼拝に来る子どもたちに、わずかのお年玉でも出来るようになった恵みを感謝します。 さらにアフリカのパラダイス孤児院では、今年も高校進学になる子たちが授業料を待っています。ケニアの学校は一月新学期なので、教育資金をこれから贈ることにしています。 厳しい時代に入りましたが、お金がすべてではないことを日本人すべてが再認識するときに来ていると思います。 お金は必要ですが、お金を使う人によってお金は悪魔にもなり天使にもなります。高度成長やバブルを経験することによって、お金は日本人の心を支配し、お金がすべてであり何でも手に入るから、お金が無いと幸せになれないと言うような風潮を創り上げてしまいました。 人の心はお金で買えると言うことばや、女性の気持ちも金次第!など、とんでもない発言がマスコミを賑わしたり・・・・。若者たちはそのような言葉をカッコいいと思ったり、現代の問題の根源はやはり先に大人になった者たちの責任です。 幸せに生きる秘訣は、聖書の教えるような価値観を持つことです。 「神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。 二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。 私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために」8箴言30:5-9) そのような祈りと願いをもって生きるなら全人類がみな幸せになるのです。神の愛の約束を信頼して、新しい年も幸せに過ごせるよう祝福を祈ります。 エリムキリスト教会も、神の栄光のために!みことばと聖霊に満たされ、恵みが増し加わる教会となることを願っています。 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。(コリント人へ第二の手紙9:8-11) 明るい愛が、感謝に輝き、宝のようにように輝くクリスチャンが集う、仲の良い平和な教会です。 昨日の元旦礼拝で、あかさたな・・50音で幸せ輝く2010年! ハレルヤ・アーメンと告白しました。明るい愛にいのち嬉しく、笑顔でおはようございます。輝く感謝で気になる苦労も蹴飛ばし幸福!栄える幸せ素直に受けて聖霊に注がれ続けます。宝のような力で強い天国の尊い日々です。何でもニコニコと抜きんでて熱中し乗り切ります。働く日々も振り返らずに平安に保証されます。毎日見上げて胸いっぱいに恵みを求めます。やさしいイエス様は豊かな永遠の喜びを!楽天的で立派な人が、類は友を呼ぶで列を作ろう!エリムの群れで。笑いで包もう愛と平和の日本列島&全世界!アーメン。 2010年の祝福を祈ります。
2010/01/02
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