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磁石は鉄を引きつけます。なぜ磁石が鉄を引きつけるのでしょうか。鉄は鉄を引き付けることはできません。磁石はその磁力の粒子が全部同じ方向に流れているからだそうです。それに比べると鉄は粒子がバラバラに流れています。その鉄が磁石に引き寄せられた瞬間、その粒子が同一方向に流れ、その鉄もまた鉄を引き寄せます。 人間は生きるように生まれてきたのに、なかなかそうはいきません。その原因は真の神のいのちから離れているからです。イエス・キリストを信じると信仰が神に向かって流れてゆくので幸せになり、自分もまた幸せだけを引き寄せることができるようになります。 ピンチがきてもそれをチャンスに変えてしまう、神の聖霊の力があなたの人生に流れる幸いを今日も経験してください。 聖書詩篇84:4 なんと幸いなことでしょう。 あなたの家に住む人たちは。 彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。 セラ 84:5 なんと幸いなことでしょう。 その力が、あなたにあり、 その心の中にシオンへの大路のある人は。 84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、 そこを泉のわく所とします。 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。 84:7 彼らは、力から力へと進み、 シオンにおいて、神の御前に現れます。
2007/01/31
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毎年この時期は全国から牧師たちが600名ほど集い、全日本ペンテコステ親交会大会が行われる。 今年も浜名湖の舘山寺遠鉄エンパイアホテルを会場に、今日から金曜日まで3泊4日で開催される。今回の講師はカナダのトロントからジョン・アーノット牧師初め同教会の牧師たち数人が来日されている。トロント・ブレッシングと言われる大リバイバルが数年前から同教会で始まり、全世界から大勢のクリスチャンが集会に集い、多くの祝福が全世界に注がれ続けている。 そのリバイバルは、霊的回復や精神的な解放が与えられ、その特徴は笑いである。聖霊の喜びが内側から沸き溢れ、自然と笑いがこみ上げて来て、心も身体も自由になり、仕事も活気が出てきてすばらしくなり、家庭も和やかになりすばらしい祝福があふれるようになる。 イギリスの教会は笑わない謹厳な教会が多かったが、飛行機をチャーターしてトロントへ多くのイギリス人が訪れ、新しい息吹が流れている。もちろん日本からも大勢が参加し恵を受け続けている。 ジョン・アーノット牧師は、十回近く名古屋に来日しその最初から集会に集うことができ常に満たされ恵まれた推進力を与えられている。今回も神学生一同とともに参加し、彼らは自動車でもう出かけたが、新幹線で出かけることにしている。 今回の講師は全員カナダからのスペシャルゲストだが、唯一の日本人講師として選ばれ一回だけ分科会で講義するなっている。 昨日歯を入れたが早く口になじんでくれて大会での話がスムースに行くよう楽しみに出変えようと思う。「私が治療した上等の義歯だから説教が上手になります」との歯科医の言葉をそのまま受け取り思い切って話そうと思いながら浜松へ出かけよう。詩篇 133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。 それはひげに、アロンのひげに流れて その衣のえりにまで流れしたたる。 133:3 それはまたシオンの山々におりる ヘルモンの露にも似ている。 【主】がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。 [ 134 ] 都上りの歌 134:1 さあ、【主】をほめたたえよ。 【主】のすべてのしもべたち、 夜ごとに【主】の家で仕える者たちよ。 134:2 聖所に向かってあなたがたの手を上げ、 【主】をほめたたえよ。 134:3 天地を造られた【主】が シオンからあなたを祝福されるように。
2007/01/30
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イエス様の救いを「アーメン。信じます」と、素直な心で受け入れてくださる方々との出会いがあり、喜びの日々を過ごしています。 16歳のとき種子島のキリスト教会で、「アーメン。信じます」とイエス様の十字架の救いを受け入れました。最高の喜びすばらしい奇跡の始まりでした。 歌も歌わず運動も逆立ちひとつしなっかたし、ものも言わない無口で引っ込み思案の少年時代。 イエス様を信じれば新しく生まれ変わると聖書にあるとおりに、新しい日々がスタートしました。「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)とのことばのように、聖霊によって注がれる神の愛に包まれて生きています。 人と話すこともできなかった者が、「アーメン。信じます」と無条件の愛に変えられて、今は牧師として生かされているだけでも恵みです。 土曜日の葬式に参列して、一度会えば百年の知己のように知り合いになれる方がいることを聞きました。 そんなにすばらしい出会いスゴイなと思いつつ、帰りに書店で「出会いにひとつの無駄もない」(中谷彰宏著)を買いました。この著者の本はいつも立ち読みがほとんどですが、1400円+税を支払い楽しく読んでいます。 幸いなことに先週出会った方々が、昨日の礼拝に6人も参加してくれました。気軽の声をかけることができるように楽しい訓練?の日々です。 今日は最高の治療で奥歯がきれいになり、歯科医によると説教もすばらしくなりますよ!と励まされています。今週は牧師の大会で話す場が与えられているので楽しみに治療に出かけます。幸い歯科医の先生もクリスチャンでともに祈ることもでき感謝なことです。 今日は娘と、「幸せのちから」と言う「映画を鑑賞予定。アメリカンドリームを生きているクリス・ガードナーの実話が映画になって封切られたとのこと。本を読んで感動したので明日仕事が休みと言うので付き合うことにしました。明日は聖書学院も浜松行きで授業もないので・・・・。 毎日、「この日は主が造られた日。この日を喜び楽しもう」(詩篇118:24)と感謝と喜びをどんな出来事にも見出しながら過ごせる恵みに感謝します。ありがとうございます。テサロニケ人への第一の手紙 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 5:19 御霊を消してはなりません。 5:20 預言をないがしろにしてはいけません。 5:21 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 5:22 悪はどんな悪でも避けなさい。 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
2007/01/29
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だれでも幸せになりたいと願っています。幸せになるために必死にもがいています。幸せそうに振る舞い、幸せそうに話し、だれに対しても幸せそうに見せなければなりません。 しんどくなります。ストレスがたまります。見せかけの幸せほど辛いことはありませんね。現実をありのまま受け入れるほうが何倍も幸せです。人生は毎日が100パーセント満足と言うわけには行きません。自分が計画したとおりにすべてのことが運ぶほど人生は甘くない。思いがけないで出来事に直面する日もあるかもしれません。 今日は最悪だ!と思う日もあります。すべて自分の思うとおりにことが進んでいるときは、何の苦労もなく幸せを感じることができます。槽でないときはどうですか? 否定的な悩みの多いこの世に生きる私たちが、常に信仰的に肯定的に生きるためには、どうしたらいいでしょうか? 答えはそこに喜びを招き入れることです。御霊の実は・・・・喜び・・・・です。ピリピ4:4には、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。主にあって喜びなさい」 幸福感は状況に依存する感情です。Happyは偶然とか、幸運と言う意味のHapと言うことばから来ています。良い事が起こったらハッピー! 喜びは心の態度であり、ひとつの選択です。喜びは私たちの内側から出てくる、状況に左右されない心のあり方です。外部の状況にかかわらず、喜びを選び取ることができるのです。 喜びがあると人生は楽しくなります。クリスチャンはこの世で最も前向きな人間です。 喜びの人生を生きるためには、すべてのことに感謝する心の態度を養うことです。感謝はもっとも健康的な感情です。それはすべての問題を受け入れるということではありません。すべての問題の中で感謝するのです。すると答えが見えてきます。解決の道がハッキリしてきます。 夫婦間でも、親子でも、すべての人間関係の中でありがとう!感謝しますの気持ちがあると解決は早いですね。問題そのものは状況としてとらえて見て下さい。チャレンジとして受け止めて喜びましょう。喜びは聖霊が与えてくださいます。上からの喜びはスゴイ力で前に進ませてくれます。今日は日曜日です。喜びの心でキリスト教会の礼拝に出かけて見ませんか。スゴイことが待っていますよ。今日も喜びの中で朝から夜まで礼拝です。ハレルヤ感謝します。ローマ人への手紙14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
2007/01/28
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昨日は知多半島まで往復した。西名阪から東名阪、湾岸道路から知多半島へとずいぶん近くなったと思ったら、湯ノ山サービスエリアまで4キロの渋滞。昼になり伊勢うどんで昼食。教会に着いたのは予定時間を2時間も越えていた。 帰りは午後の空いた時間帯。夕方には奈良に着きそのまま健康ランドへ。昨夜風呂のお湯が出なくなり水だけ、さすがに水でシャワーする元気はない。直っていると思いながら久しぶりに大きなヒノキ風呂へ。 アカスリとのポスターが目に付き、思い切ってやってもらう。指名はしなかったが年末にアカスリをしてくれた方で、覚えてくれていろいろ話しながら流してもらう。牧師だと分かると安心?して、いろいろと自分のことや子どもことを話してくれた。 仕事が終わって家に帰ると深夜の2時過ぎ。幸い実家が隣なのでお母さんが子どもたちを世話してくれ、小学生の子は送り出してくれる。それでも保育園の子は8時に自分で送るとのこと。 神が愛であり、イエス様がどんな重荷をも背負ってくださり、十字架に死に三日目に復活し、アーメン信じますと言う時、心にお入りくださることを話すとシッカリと聞いてくださり、水曜日のラジオ放送も聞くとのこと。イエス様の救いがほんとうの幸せをもたらすことを興味深く聞いてくれたと思う。使徒の働き16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスは、主に祈ったり、賛美歌をうたったりしていました。 ほかの囚人たちも、じっと聞き入っています。 その時です。 16:26 突然、大地震が起こったのです。 牢獄は土台からぐらぐら揺れ動き、戸という戸は開き、囚人たちの鎖もはずれてしまいました。 16:27 看守が目を覚ますと、戸が全部開いています。 てっきり、囚人はみな脱走したものと思い込み、もうだめだとばかり、剣を抜いて自殺しようとしました。 16:28 その瞬間、パウロが叫びました。 「死ぬなっ! 全員ここにいるぞっ!」 16:29 看守はあかりを取って来させると、中に駆け込み、恐ろしさのあまりわなわな震えながら、パウロとシラスの前にひれ伏しました。 16:30 そして、二人を外に連れ出し、「先生方。 救われるには、どうすればよろしいのでしょう!」と尋ねました。 16:31 二人は答えました。 「主イエス様を信じなさい。 そうすれば、あなたも家族全員も救われますよ。」 16:32 こうして二人は、看守とその家の者たち全員に、主のすばらしい知らせを伝えたのです。 16:33 看守は、二人の打ち傷をていねいに洗って手当てをしたあと、家族ぐるみでバプテスマ(洗礼)を受けました。 16:34 それから、二人を自宅に案内し、食事のもてなしをし、家族そろってクリスチャンになったことを、心から喜び合いました。
2007/01/27
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恵まれた一週間。毎日いろんなことがあるが、すべてのことに感謝します!ありがとうございますと過ごしています。 今日は用ができ知多半島まで出かける予定。車なのでそんなに長くかからないはず。中部空港も近くにあり、知多半島中央教会の地元だ。向井芳太郎牧師と嗣業牧師がすばらしいキリスト教会を建て上げ、多くの人々の幸せに貢献している。 「あなたが幸せなら私も幸せです」と、人々が幸せになることだけを願いつつ、イエス・キリストの救いを伝え続けているのが牧師の働きです。理想としてだけではなく現実に毎日出会う方々が幸せになるお手伝いをしたいと祈りつつです。 昨日、神戸の牧師のご母堂が高齢で天国へ召された知らせが入りました。牧師は30代のとき社長をしていたが、両親の反対を説得し生駒聖書学院に献身入学。やがて両親もクリスチャンとなり幸せな老後を過ごしていました。「あなたの父と母を敬いなさい」との聖書の教えを実行し、すばらしいキリスト教会を阪神大震災で守られ、さらに震災後大きな教会へと成長している牧師の慰めと平安を祈ります。ヨハネの黙示録21:3 私は、王座から大声で叫ぶ声を聞きました。 「ごらんなさい。 神様の住まいが人々の間にあります。 神様は人々と共に住み、人々は神様の国民となります。 神様自ら人々の中に住み、21:4 その目から涙をぬぐってくださるのです。 もはや、死も悲しみも叫びも苦痛もありません。 それらはみな、永遠に姿を消したからです。」21:5 王座におられる方が宣言されました。「ごらんなさい。 わたしはすべてを新しくします。」 そして、続いてこう言われました。 「これらのことを書きとめなさい。 わたしが伝えることは、真実で、信頼できるからです。21:6 いっさいのわざが成し遂げられました。 わたしは初めであり、終わりです。 のどの渇いている者には、いのちの水の泉をあげましょう。21:7 勝利を得る人はだれでも、すべての祝福を相続できるのです。 わたしはその人の神となり、その人はわたしの息子となります。
2007/01/26
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夜遅く散歩中に出会った60代男性から電話があり、29日の礼拝に参加するとのこと。2000歩ほどいっしょに歩きお話を聞いただけだったが嬉しい! 月曜日に歯科医で出会ったダンスホールのオーナー50代女性は昨夜の大阪エリムの集会に参加。日曜日の礼拝にも出席を約束し喜びに変えられた笑顔に幸せを見た。 60数年前の願いがかなってバプテスマを受けた84歳の男性は、次の日曜日から富雄キリスト教会に出席する。 昨日は寺田町の喫茶店を訪ねるため、新世界から天王寺公園を歩いたが、入園料150円。65歳以上は無料の表示。受付で証明するものを見せなさいと少しきつく言われ免許証を提示。アッいいですよどうぞとニッコリして通してくれた。ついでに茶臼山にも登り(海抜35メートル)慶沢園を回って天王子駅からJR寺田町まで。 久しぶりの出会いに感激し、40分ほど聖書のことばをお伝えし、再会を約してエリムキリスト教会へ戻ると同時に携帯がなり、教会階下の喫茶店でお待ちしていますとの電話。 そこで集会が始まる直前までいろいろと半紙をお聞きし、聖書からアドバイス。特別なことをアドバイスするのではないけれども、聖書のおことばを相談に応じて開くだけだが、神のことばは生きていて力があるので、聖霊のお働きで笑顔が浮かび、勇気が与えられましたと、感謝の祈りをともにささげる幸い。 イエス・キリストは昨日もきょうもいつまでも変わらないお方。十字架にすべての罪を贖い死なれたが、3日目に死を打ち破り復活し、「アーメン。信じます」と信じる者を救い、聖霊によりその心の中に来てくださるお方です。神の子としてくださり、平安を与え愛で満たし、永遠のいのちの喜びで天国に行くまで導いてくださいます。幸せ!を求める人生ではなく、アーメン。信じますと純粋に幼子の心で受け入れるだけで幸せが来るのです。幸せから幸せへ聖霊に導かれて進める幸い。ほんとうに感謝です。そのような幸せを受けるだけでなく、お分かちできる幸い。感謝します。ありがとうございますと、栄光を神にお返ししながらの日々です。ピリピ人への手紙4:4 いつも、主にあって喜びに満たされていなさい。 もう一度言います。 喜びなさい。 4:5 自己中心的でなく、思いやりにあふれていることを、だれからも認められますように。 主がもうすぐ来られると、いつも意識していなさい。 4:6 何事も心配してはなりません。 むしろ、どんなことでも祈りなさい。 神様にお願いしなさい。 そして、祈りに答えてくださる神様に感謝するのを、忘れてはなりません。 4:7 そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神様の平安を経験できます。 キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。 4:8 さて、皆さん、筆をおく前に、もう一つ申し上げたいことがあります。 真実なこと、良いこと、正しいことに注目しなさい。 きよいこと、愛すべきことについて思いめぐらし、他人の長所に目をとめなさい。 神様を喜び、賛美することばかりを考えなさい。 4:9 私から学んだこと、その行動から教えられたことがあれば、みな実行しなさい。 そうすれば、平和の神が、共にいてくださいます。 4:10 あなたがたが、また助けてくれるようになって、どんなに感謝し、また、主を賛美しているか知れません。 あなたがたはいつも、できるかぎりのものを私に送ろうと心がけていたのに、機会に恵まれなかったのです。 4:11 生活に困っていたから、こう言うのではありません。 私は、物が豊富にあろうとなかろうと、楽しく生きていくすべを学びました。 4:12 文なしの時にも、何でもそろっている時にも、どのように生活すべきか知っています。 満腹の時にも空腹の時にも、豊かな時にも貧しい時にも、どんな境遇でも満足する秘訣を身につけたのです。 4:13 なぜなら、力を与え、強めてくださるキリスト様に助けられて、私は、神様の要求を、何でも成し遂げることができるからです。
2007/01/25
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昨日は午前中特別講義。午後は出かけ予定を中断し書斎で仕事をしていた。お客様ですよと家内に呼ばれ家に帰ってみると、高齢の男性が「私を覚えていますか?」と名乗って挨拶。 48年前にお嬢さんたち3名が日曜学校に通っていたときのお父様だった。もちろん娘さんたちは結婚し孫も9名もいるという。一昨年最愛の奥様を召されて今は一人暮らし。悠々自適に、「奈良の文化と交通を考える会」とか、「日本ナショナルトラスト永久会員」として、様々な活動にも取り組んでいる。 また奈良フロイデ合唱団でも活躍され、今でも1万人の第九合唱のときは大阪城ホールで鍛えた歌声を響かせていると言う、お元気な84歳の方でした。 若いときからキリスト教会に出入りし、様々な活動にも参加していたが、洗礼を受ける機会がなく高齢に至っている・・・・とのことなので、洗礼を受けていただくことにした。 長年の念願がかない喜びの中を自宅までお送りし、来週の日曜日から礼拝に出るのが楽しみだとの声とともにお別れした。 86歳の高齢の教会員の家がすぐ近くだったので、ちょっとだけお寄りして健康と長女の祝福をお祈りした。 朝から動き回ってはいたが1万歩歩いていなかったので、夕方遅く6000歩を歩き目標達成。夜は今日備えて聖書を読み熟睡。今日は水曜礼拝と夜がリバイバル集会。夕方にダンスホール経営者と会い、夜の集会にいっしょに参加。今日もすばらしい出会いや思いがけない喜びの知らせに胸を弾ませつつ、ハレルヤ。ありがとうございます。感謝します。ルカの福音書 11:1 ある時、イエスは外で祈っておられました。 ちょうど祈り終えたところへ一人の弟子が来て、「主よ。 バプテスマのヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」と願いました。 11:2 そこでイエスがお教えになった祈りは、こうでした。 「天のお父様。 あなたのきよい御名が、あがめられますように。 あなたの御国がすぐに来ますように。 11:3 私たちに日々必要な食物をお与えください。 11:4 私たちの罪をお赦しください。 私たちも、私たちに罪を犯した者を赦します。 私たちを誘惑に会わせないでください。」 11:5 -6祈りについての教えはまだ続きました。 それが、このたとえ話です。 「真夜中に、どうしてもパンを三つ借りなければならなくなって、友達の家に駆けつけたとします。 戸をどんどんたたき、大声を張り上げて、『迷惑をかけてすまないけど、突然のお客でねえ。 あいにく、家には一切れのパンもないんだよ。 お願いだから貸してくれないか』と頼みます。 11:7 友達は何と答えるでしょう。 中から、『おいおい、かんべんしてくれよ。 いま何時だと思ってんだい。 戸じまりもしてしまったし、もうみんな寝てるんだ。 何も出してやれないよ』とどなり返すだけかもしれません。 11:8 だが、これだけは言えます。 友達だからというのでは何もしてくれなくても、しつこくたたき続けるなら、その根気に負けて、必要な物をみな出してくれるでしょう。 11:9 祈りも同じです。 あきらめずに、求め続けなさい。 そうすれば、与えられます。 捜し続けなさい。 そうすれば、見つかります。 戸をたたきなさい。 そうすれば、開けてもらえます。 11:10 求める人は与えられ、捜す人は見つけ出し、戸をたたく人は開けてもらえるのです。 11:11 パンをねだる子供に、石ころをあげる父親がいるでしょうか。 魚が食べたいと言うのに、毒蛇を与える親がいるでしょうか。 11:12 卵がほしいと言うのに、さそりをあげたりするでしょうか。 もちろん、あげるはずがありません。 11:13 罪深い人間でさえ、子供には良い物をあげたいと思うのが人情です。 そうだとしたら天の父が、求める者に聖霊を下さらないということはありません。」
2007/01/24
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昨日は学院講義の後、大阪の行きつけの歯科医へ。朝1万歩は歩いたので自動車でCDを聞きながら出かけた。 先週抜いた歯の型取りが完成し、その調節をしてもらい来週はしっかりと歯が完成するとのこと。もう大丈夫ですよ。最新の方法ですから話に不自由はありません。今までよりもっと良い説教ができるようになりますと励まされて治療を終えた。 診療に来ていた50代のダンスホールのオーナーに紹介され、歯科医の応接室でお話を聞いた。幸いアーメン信じますとともに祈ることができ、喜びに顔を輝かせながら重荷が取れたようです。胸がすっとしました。感謝の握手とともに、水曜日の大阪の集会への出席を約束してくれた。 ダンスをしたこともないし、ダンスホールへ行ったこともないが、お招きにあずかったのでダンスホールの見学に行く日もあるかもしれない。 今日は兵庫県からの講師で朝5時過ぎには家を出てくださる。キリスト教神学と比較宗教額講義で、神学生たちは頭をシッカリ使う講義だ。コロサイ人への手紙 1:9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。 1:10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。 1:11 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、 1:12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。 1:13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。
2007/01/23
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先日、「幸せの力」という本を読んだ。今週から同名の映画も封切られると言う。アメリカン・ドリームの実話である。著者はクリス・ガードナー、1954年生まれ。PSD(Poor=貧しく、Smart=賢く、Desire=強い意志)をモットーに、極貧で子連れのホームレスだった彼が、どのようにしてフォーブスに掲載されるまでになったかを自ら綴った書。 父親を知らずに生まれ、極貧の黒人。幼い日からどなんときでも、「幸せだ!」と教えられ、そのように振る舞い生きた男が、妻にも捨てられ小さな男の子を押し付けられ、手押し車に子どもを乗せ、小さなバックひとつ、同じスーツで野宿をしたり、雨が降ると公衆トイレを宿として歩き回り、ついには仕事に就き必死で働きながら、不平不満も泣き言も言わず、幸せそうに振る舞い生き抜いた姿に感動した。 大きな支えになったのはキリスト教会と牧師のメッセージと愛。彼は最初にキリスト教会の世話になったとき、その教会のために大きな献金をすることを決心し、現在何千万ドルもの寄付をする富豪になっている。ばかりでなく黒人の地位向上と経済力を与えるために、アメリカだけではなく南アフリカ共和国では、マンデラ大統領とも会談できるほどになり、乳母車に乗せられていた息子も2メートルの大男に成長し、父の片腕として現在も大活躍していると言う。 アメリカの夢は、幸せに生きた男の上に実現した、感動の実話です。幸せになるなるために生きるのではなく、幸せだからになるのです。今日も幸せの力で幸せに生きて行きましょう。詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。
2007/01/22
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幸いなことよ。昼も夜も主の教えを口ずさむ。その人は何をしても栄える。詩篇1:1-3 クリスチャンは新しく生まれ、新しい人生を生きるので、古いものは過ぎ去り、日々栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていく。聖書のみことばをシッカリ心にたくわえ口で告白し、聖霊に信頼し幸いに生きることができます。ハレルヤ。 新しい心(人格)はキリストの心であり、御霊の実を結ぶ人生です。 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」ガラテヤ5:22-23 愛はこの世で最高のものであり、聖霊の最初の実。「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」コリント第一13:13 愛はすばらしく美しいものですが、現代は愛が誤解されている時代。多くの人は愛は感情であり、一種の気持ちの高ぶり、感傷的な絆、波のように押し寄せてくる気持ちの高ぶりだと思っています。確かに愛は感情の高ぶりを与えますが、実際にはそのような気持ち以上のものです。 また、愛は制御できないものだという思い込みもあります。自分の気持ちが抑えきれない!恋いをしている。好きだ!しかし、本当の愛は自制できるのです。 ほんとうの愛はコントロールでき、選択することができ、また行いに表すことができるものです。「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか」第一ヨハネ3:18 クリスチャンはことばや口先だけの愛ではなく、行いと真実を持って愛し合いましょう。 愛はことば以上のものであり、感情以上のものです。ギリシャ語には4つの愛と言うことばがあります。1. エロス=性的な魅力 2.ストルゲー=自然(家族)愛 3.フィレオ=友愛4.アガペ=無条件の行いを約束する愛 私たちの周りには愛しにくい人々がいます。好きでもないし好きになれない人々、苦手な人々もたくさんいます。あの人話し方が嫌い、やり方が好きになれない、あの人の服装が、中には顔が・・・・。特に自分を嫌っている人を嫌いになる傾向があります。 しゃくにさわる親戚、厄介な隣人、不愉快な職場の同僚、どうしたら愛せるようになるか。とは言ってもすべての人に温かい愛情を抱くようにと聖書は命じてはいません。イエス様ご自身パリサイ人に対して温かい愛情を抱いてはいませんでした。ホッとしますね。すべての人を好きにならなくても、すべての人を愛することができるのです。アガペの愛で。ヨハネの手紙第一4:7 愛する友よ。 互いに愛し合いましょう。 愛は神様から出ています。 ですから、人を愛する親切な人は、その行ないによって、自分が神様の子供であることを証明すると同時に、ますます深く、神様を知るようになるのです。 4:8 反対に、人を愛さない不親切な人は、神様を知らないことを暴露しています。 なぜなら、神様は愛だからです。 4:9 神様は、かけがえのないひとり息子を、この不正な世に遣わし、その方の死によって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。 そのようにして、どんなに私たちを愛しておられるかを、証明されたのです。 4:10 この神様の行為によって、私たちは、何がほんとうの愛か、知ることができました。 真の愛とは、神様に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する神様の愛なのです。 それは、私たちの罪を責める自らの怒りをなだめるために、神様がひとり息子を差し出された愛に尽きるのです。 4:11 愛する友よ。 神様がこれほど愛してくださったのですから、私たちもまた、互いに愛し合おうではありませんか。 4:12 私たちは、これまで一度も神様を見たことがありません。 しかし、互いに愛し合う時、神様は、私たちの心の中に住んでくださり、心の中の神様の愛を、なおいっそう強めてくださるのです。 4:13 神様は、私たちの心に聖霊様を遣わしてくださいました。 そのことが、私たちが神様と共に生き、神様も私たちと共に歩んでくださる証拠です。 4:14 さらに私たちは、神様がひとり息子を世の救い主として遣わされたのを、この目で見、それを、いま全世界に伝えています。 4:15 イエス様を神の子と信じ、それをはっきり告白する人のうちには、神様が生きておられます。 そして、その人も神様と共に歩んでいると言えるので
2007/01/21
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いつもは5時前に起きるのに目が覚めたら7時前、カーテンを開くとすばらしい朝日の輝きに包まれた。夏は東の窓から差し込む朝日が、まだ南側の窓から差し込む。少しずつ朝日の輝きが早くなり春の気配さえもただよう。地球温暖化のこともあるが、温かい春を待つことは喜びだ。 春の季語に、立春、啓蟄、春暁、蛙の目借時、斑雪、初午、彼岸桜、八重桜などある。春が待たれるこの頃・・・・。 昨日は中国へ行っている先生を迎え楽しいひと時。今日は上海へ日本語教師で出かけている教会員も、中国の正月休みで帰国する。相次いで中国の生の話が聞けることになり嬉しく思う。 昨日の午後から夕方まで大阪上六の都ホテル喫茶室で集会。12名も集まりイスが足りないくらい。コーヒー一杯で3時間近くも話ができるし、駐車場は3時間無料になるのでありがたい。さすがに賛美歌は歌えないが、心の中でメロディを・・・・で喜びの集い。集まる方々は病院関係、証券や生命保険、税理士や技術関係、最初はキャリアウーマンたちを中心だったが、それぞれの仕事の関係の男性たちが誘われえて出席。昨日もキリスト教が初めての証券マンが来てくれた。 50代の男性は一昨年から教会に行っていたが、昨年12月の集まりで出会い、「イエス様を心にお受けください。アーメンと言えば救われます」との勧めにアーメン信じますと決心ができ、24日に通っていたキリスト教会でバプテスマを受けてクリスチャンとなった喜びを話してくれました。MKタクシーの研修会で350名の前で講演した社長も参加。時間が過ぎそうになるまで歓談のとき。 その後、近鉄デパートで会いたい方があり売り場を訪問、あいにくのお休みとのことで、「雪よりも白く」を店員に配りながら帰途についた。朝から夜まで充実の一日だった。イザヤ書41:1 海の向こうの島々よ、わたしの前では口をつぐんで聞け。 どんな難問でも吹っかけてこい。 おまえたちのために法廷が開かれているから、そこで話すがよい。 41:2 だれが、東の国のあの人物を奮い立たせ、行く先々で勝利を得させたのか。 わたし以外の者であるはずはない。 わたしが彼に、多くの国々を征服し、王たちを踏みにじり、その軍隊を剣の餌食にする力を与えたのだ。 41:3 彼は敵を追いかけるが、一度も通ったことのない道だというのに安全に進んで行く。 41:4 その進撃によって歴史は大きく塗り変えられる。 こんな途方もなく大きなことを演出したのは、だれか。 それは、わたし、初めでもあり終わりでもある、このわたしだ。 わたしだけが神なのだ。 41:5 海の向こうの国々は震え上がり、今度のクロス王の遠征計画はどこかとやきもきする。 遠い国々も震えおののき、戦争の準備をする。 41:6 互いに肩をたたき合い、「心配するな。 彼が勝つはずはないさ」と気休めを言う。 41:7 そう言う一方では、新しい偶像作りに駆けずり回る。 彫刻師は鍛冶屋をせかせ、鋳物師は、かなとこをたたく手伝いをして、「もう十分火が通った。 さあ、腕の部分をはんだづけしよう」と言う。 注意深く各部分をくっつけ、堅くしめつけて、ばらばらにならないようにする。 41:8 だがイスラエルは違う。 おまえはわたしの友人アブラハムの家族だ。 だから、わたしはおまえを選び、わたしのものとした。 41:9 おまえを地の果てから呼び出し、わたしだけに仕えよと言いつけた。わたしがおまえを選び、しかも、どんなことがあってもおまえを見捨てないからだ。 41:10 恐れるな。 わたしがついている。 取り乱すな。 わたしはおまえの神だ。 わたしはおまえを力づけ、おまえを助け、勝利の右の手でしっかり支える。 41:11 いきりたつ敵はみな、無残に踏みにじられる。 おまえに刃向かう者はみな死に絶える。 41:12 彼らの姿を捜し回ってもむだだ。 一人もいなくなるからだ。 41:13 わたしがおまえの右手をつかみ、「こわがるな。 おまえを助けに来た」と励ます。
2007/01/20
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昨夜の11時過ぎに、中国の九江市大学(学生数2万人)の日本語教授池田公榮先生ご夫妻が来られた。 種子島の西之表基督教会牧師で、若い日からの夢で中国に70歳のとき、奥様と二人で中国に行き日本語教授として働かれています。中国の正月休みで一時帰国。息子さんが宝塚市におり、種子島へ帰る前にしばらく滞在とのこと。 今朝のチャペルでお話をお願いすることになり、昨夜急な来訪になりました。家内と二人で大慌てで寝室を用意し、やっと間に合うことが出来感謝だった。 今日は一日中(とは言っても午後は都ホテルで集会)久しぶりにお交わりができるから楽しみです。 先生の中国でのご活躍は、鹿児島市日中友好協会ホームページ、「虹の架け橋」をご覧ください。http://www.nihao-kagoshima.jp/イザヤ書41:1 海の向こうの島々よ、わたしの前では口をつぐんで聞け。 どんな難問でも吹っかけてこい。 おまえたちのために法廷が開かれているから、そこで話すがよい。 41:2 だれが、東の国のあの人物を奮い立たせ、行く先々で勝利を得させたのか。 わたし以外の者であるはずはない。 わたしが彼に、多くの国々を征服し、王たちを踏みにじり、その軍隊を剣の餌食にする力を与えたのだ。 41:3 彼は敵を追いかけるが、一度も通ったことのない道だというのに安全に進んで行く。 41:4 その進撃によって歴史は大きく塗り変えられる。 こんな途方もなく大きなことを演出したのは、だれか。 それは、わたし、初めでもあり終わりでもある、このわたしだ。 わたしだけが神なのだ。 41:5 海の向こうの国々は震え上がり、今度のクロス王の遠征計画はどこかとやきもきする。 遠い国々も震えおののき、戦争の準備をする。 41:6 互いに肩をたたき合い、「心配するな。 彼が勝つはずはないさ」と気休めを言う。 41:7 そう言う一方では、新しい偶像作りに駆けずり回る。 彫刻師は鍛冶屋をせかせ、鋳物師は、かなとこをたたく手伝いをして、「もう十分火が通った。 さあ、腕の部分をはんだづけしよう」と言う。 注意深く各部分をくっつけ、堅くしめつけて、ばらばらにならないようにする。 41:8 だがイスラエルは違う。 おまえはわたしの友人アブラハムの家族だ。 だから、わたしはおまえを選び、わたしのものとした。 41:9 おまえを地の果てから呼び出し、わたしだけに仕えよと言いつけた。わたしがおまえを選び、しかも、どんなことがあってもおまえを見捨てないからだ。 41:10 恐れるな。 わたしがついている。 取り乱すな。 わたしはおまえの神だ。 わたしはおまえを力づけ、おまえを助け、勝利の右の手でしっかり支える。 41:11 いきりたつ敵はみな、無残に踏みにじられる。 おまえに刃向かう者はみな死に絶える。 41:12 彼らの姿を捜し回ってもむだだ。 一人もいなくなるからだ。 41:13 わたしがおまえの右手をつかみ、「こわがるな。 おまえを助けに来た」と励ます。
2007/01/19
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17日午後2時半ごろ、大阪府八尾市光町の近鉄八尾駅前の歩道橋で、大阪市平野区平野市町2、高須正臣さん(33)の長男、西田璃音(りおん)ちゃん(3)が、男に抱きかかえられて約6.4メートル下の車道に投げ落とされた。騒ぎに気付いた近鉄八尾駅前交番の府警八尾署員が駆け付け、歩道橋の階段に座っていた男を殺人未遂容疑で現行犯逮捕。璃音ちゃんは左足骨折や頭部を強打するなど重傷で、集中治療室で治療を受けている。(提供:毎日新聞) いったい何が起こるか分からない世相です。3歳の子どもを歩道橋から6メートルしたの道路に投げ落とした男。仕事にむしゃくしゃしたから・・・・がそうした理由だと自供しているという。 むしゃくしゃしたから・・・・で罪を犯す。まさしく罪が満ちている時代、しかも罪を罪とも思わない時代になってしまった感のある最近の殺人事件報道。 政治家たちのお金にからむ無自覚の税金無駄使い。 不二家の問題。交通事故やその他の様々な事件。このままではいけない美しい国に!と言いつつ憲法を改正しなければとしか言えない首相。戦争前の思想と伝統文化に逆戻りすれば・・・・という潜在意識が働いているような時代世相。いつか来た来た道を歩き出そうとしているとしか思えない最近の多くの主張に、危惧を覚えるこのころです。 罪を悔い改め新しい心で生きることが必要です。悔い改めよ。神の国は近づいた!悔い改めて、福音を信じなさい!聖書のことばに耳を傾けて、イエス・キリストを信じるなら神の国は実現します。 心から日本の救いと平和を祈ります。テモテへの第一の手紙1:5 この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。 1:6 ある人たちはこの目当てを見失い、わき道にそれて無益な議論に走り、 1:7 律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることも、また強く主張していることについても理解していません。 1:8 しかし私たちは知っています。律法は、もし次のことを知っていて正しく用いるならば、良いものです。 1:9 すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、律法を無視する不従順な者、不敬虔な罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、 1:10 不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。 1:11 祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、こうなのであって、私はその福音をゆだねられたのです。 1:12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。 1:13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。 1:14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。 1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 1:16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。 1:17 どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。
2007/01/18
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昨日の午後、久しぶりに銀行へ。今年から10年間家賃が無償になる大阪エリムキリスト教会の最後の家賃を支払いのため。 ATMで振り込みをしようと思って支払機を操作したが、何べんやってもうまくいかない。係りの方が指紋照合の機械の操作を側に立って教えてくれるが、確認できませんとの文字が出るだけ。 他の銀行員の方が来てさらに操作を支持するがダメ。もうひとりの方が来て両手とも試みるが、アクセス拒否。 窓口に呼ばれたが長い順番待ち。やっと窓口で確認するが指紋照合が合わず、結局再登録をすることになった。やっと終わって最後の家賃振込みが終わったが、何と一時間もかかってしまった。 自分の指紋が拒否される?不思議な経験。担当者も含めて4名の銀行員も不思議だ?と頭を振るばかり。結局は最初の登録の登録のとき(昨年)シッカリ登録されていなかった?のではとの結論。ATMを使うことがないので、でも登録拒否が分かって感謝だった。 死んだ後天国の入り口で入国拒否されないように、シッカリと天国入国を登録しておけば、平安な日々を過ごすことができます。 それはイエス・キリストをアーメンと信じて、バプテスマを受けることです。その瞬間に天国のいのちの書に名前が記入されます。天国はいのちの書に名前を記された者だけが入ることができます。 銀行のATMに拒否されるのも困ります。暗証番号だけだと不正が行われるので、指紋照合が導入されることになったので、安心して引き出すことができる。間違いが起こらないので幸いです。 天国へ間違いなく行ける保証を確信し、平安で愛の満たされる幸せを体験してください。ヨハネの福音書 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。 3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。 3:21 しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
2007/01/17
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先週の水曜日、歯科医で奥歯を抜いた。昨日、その型取りに行き、最新の治療法でまだ大阪で10名も受けていない新しい方法の歯を入れることになった。シッカリと入るので話も上手にできるようになりますよと、保証つきの型取りの時間だった。 診療が終わると奥で特別な紅茶を入れてもらい、来週の月曜には型取りが完成するので、今月中にはきれいに出来上がるとのこと。感謝。 人間の心も新しく作り変えることができると聖書は教えている。人間は幼いときから変身願望を持っている。ウルトラマンや仮面ライダーに代表されるキャラクターが、アニメの世界にはあふれている。 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去った。見よ。すべてが新しくなったのである。(第二コリント5:17)すべてが新しくなる約束は真実です。 2000年のキリスト教の歴史は、全世界で新しく人生をスタートした人々により、この世界がどれほどすばらしくなったかの証明です。しかもその新しい創造は毎日起こっています。 新しい人生を喜びに満ちて生きる姿を見ると、イエス・キリストの奇跡を感謝するのみです。歯が新しくなる喜びも嬉しいですが、心が新しくなる喜びを日々楽しみながら生きています。コリント人への第二の手紙5:17 だれでも、クリスチャンになると、内側が全く新しくされます。 もはや今までと同じ人間ではありません。 新しい人生が始まったのです。 5:18 この新しい出来事はすべて神様から出ています。 神様は、キリスト・イエスのお働きによって、私たちをご自分のもとに連れ戻してくださいました。 そして、この恵みによる神様との和解を、すべての人に勧める特権をも、私たちに与えてくださったのです。 5:19 つまり、キリスト様によって、この世をご自分と和解させ、その罪を数え立てずに、かえって、帳消しにしてくださったのです。 これが、人々に伝えるようにと私たちにゆだねられた、すばらしい知らせです。 5:20 私たちはキリスト様の大使です。 神様が、私たちの口から語りかけるのです。 あたかも、キリスト様がここで懇願しておられるかのように、お願いします。 どうか、せっかく差し出された愛を拒まず、神様と和解してください。 5:21 というのは、神様は、罪のないキリスト様に私たちの罪を背負わせ、それと引き換えに、私たちに恵みを注いでくださったからです。
2007/01/16
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世界にはあらゆるノウハウがあふれています。どのようにしたら幸せになれるか?きれいになる方法やダイエットの秘訣。1歳10ヶ月の孫が遊びに来て、ビデオを見つけ見せろと言うので自分でもなんだろう?と思いながらセットしたら、お金を10倍稼ぐ方法だった。講師の顔が映ったらすぐ孫はテレビを消してしまった。 書店のビジネスコーナーにはハウツー書籍がいっぱい。宗教コーナーには救われる方法がいっぱい並んでいる。お金のことや健康のこと子育てや人間関係。本を読まなくても毎日ああだこうだと方法論。ブログを開けばあらゆる情報が満載。 しかし、どんなにガソリンを満タンにしても、エンジンをかけなければ車は動かない。またガソリンが入ってなければエンジンをかけても動かないように、本当の幸せはやってこない。 すべてを導く聖書のことばをガソリンに、ガソリンに点火し動かす力を聖霊(神ご自身)にたとえることができる。生きていて力ある聖書のことばをそのままアーメンと受け止め、聖霊に満たされて実行するとき、どんな状況の中でも勝ち得てあまりある勝利を体験できます。 体験してみる価値のある人生です。50年間、そのような純真な気持ちでクリスチャンとして生活し続けています。イエス・キリストのお名前を、「アーメン。信じます」と告白するとき、新しい人生がスタートし、天国に行くまで平安と喜び、感謝の中で生きることができます。ローマ人への手紙(新約聖書) 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。 8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。 8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。 8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、 死に定められている。 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」 と書いてあるとおりです。 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
2007/01/15
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元旦から2番目の日曜日。一年の計は元旦にあり!と意気込みで迎えた新年です。聖霊の臨在とイエス様の力を感謝します。 変わりたい変えられたいと多くの人が願っています。自分を変えるよりも人を変えることばかりに熱心な人もあるようです。 外見を変えることに熱心な人は、ダイエットと言えばスグ飛びつきます。今年テレビでナットウを食べてダイエットに成功したと放映(見なかったが)されたそうです。そうすると店頭からあっと言う間にナットウがなくなり始め、生産業者も追いつかないほど嬉しい悲鳴をあげているそうです。 クリスチャンは外形的なことに余りこだわりませんが、神の栄光をあらわすためにもっともっと変わりたいとの願いはあります。 ダイエットはそんなに難しいことではありません。20パーセント食べているものを減らし、20パーセント運動量を増やせばいいだけです。ダイエット食品もダイエット・サプリメントも不要です。要するに摂取量と消費量のバランスがシッカリ取れていれば大丈夫です。 また、ことばの問題だともある本に書かれていました。スリムな方々は食事をするとき、太るから食べないで置こうとか、何を食べてもすぐ太るなど、肥満に関することばを出しません。いくら食べても大丈夫!と言い方はするかもしれませんが・・・・。 それに比べて太っている方やダイエットをしている方は、食べたらすぐ太るとか、何を食べても身体についてしまうとか、甘い物やケーキが好きだから・・・・などと、常に肥るという意識でことばを出しているようです。 体調や自分の身体に関することで、今年は意識もことばも変えてみてください。身体に関することだけでなく、すべての面で前向きで肯定的なことばを意識して使ってみましょう。 なぜ変われないのか?私たちの回りには、こうしたらいい、ああしたらいいと言う方法論が満ち溢れています。ハウツーものの本もいっぱい出ています。決心もし実行もしてみるけれども、余り長く続かない。3日坊主(3日牧師とは言わない?)で終わってしまう。継続は力とは分かっているが、何かと理由付けをして怠けてしまい、すぐ新しい方法論に飛びついてしまいます。 ダイエットだとナットウが言いといえばすぐ納豆。寒天ダイエットもあるし・・・・限りない方法論があふれており、商品も提供されている。何事につけ成功した人々は、実行し続けた方々であることは自明の理である。 外見的なことだけでなく、心の問題はさらに実行する力が求められる。人間の心構えや意思はそれほど強くない。スグあきらめて投げ出してしまい、うまくいかない理由を外に求めて自分を正当化しようとする。 しかし、問題は内側にあり自分自身にある。そこで自分を責めるとウツになってしまうし、人を責めると傲慢で鼻持ちならない人間になってしまう。内側も外側もきれいに変われたら何と幸いなことか。 聖書はそのような変えられていく力を紹介している。 第一に、イエス・キリストの十字架によってすべての古いものが完全にぬぐい消され、帳消しになったと告げている。アーメンと信じれば新しい人生がスタートします。 第二に、イエス・キリストは十字架で死に墓に葬られたけれども、3日目に復活して今も生きている神であるから、その方を信じれば復活の力で生きることができる。新約聖書には力ということばが57回出てくる。ギリシャ語ではデュナミスと言うが、英語のダイナマイトはこのことばから来ている。ダイナマイトの力が信じるとき心に与えられる。というより死を打ち破ったキリストが、聖霊によって信じる者の心に宿ってくださるのです。 ハウツーではなくて復活の力が聖霊によりダイナミックに働いてくださる。不可能の乗り越え偉大な人生を与えてくださるのです。私は、私を強くしてくださる聖霊によってどんなことでもできるのです」(ピリピ4:13)という変えられた生き方に変わるのです。新としが栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられている日々に変えられます。ローマ人への手紙 7:15 私は自分が全くわかりません。 ほんとうは正しいことをしたいのに、できないのです。 反対に、したくないこと、憎んでいることをしてしまいます。 7:16 自分の行ないが誤りであること、破っているおきてそのものは良いものであること、それは、よくわかっています。 7:17 しかし、どうにもできません。 それをしているのは、もはや私ではないからです。 悪を行なわせるのは、私のうちに住みついている、私より強力な罪なのです。 7:18 古い罪の性質に関する限り、私は自分が全く腐敗しきっていることを知っています。 どんなにもがいても、自分で自分に、正しいことを行なわせることができません。 そうしたいのですが、できないのです。 7:19 良いことをしたいと思ってもできず、悪いことをしないようにと努めても、どうしてもやめられません。 7:20 自分ではしたくないことをしているとすれば、問題点は明らかです。 すなわち、罪がなおも私をしっかり捕らえているのです。 7:21 正しいことをしたいと思っているのに、どうしても悪いことをしてしまう、これが人生の現実であるように思えます。 7:22 新しい性質をいただいた私としては、神様の意志どおり行ないたいのです。 7:23 -25ところが、心の奥深くに潜む低劣な性質には、何か別のものがあって、それが私の心に戦いをいどみます。 そして、ついに私を打ち負かし、いまだに私のうちに住みついている罪の奴隷にしてしまうのです。私は、心では、喜んで神様に従う召使でありたいと願いながら、実際には、相変わらず罪の奴隷となっている自分に気づくのです。 これで、私の実情がおわかりいただけたでしょう。 すなわち、新しいいのちは、「正しいことをせよ」と命じているのに、いまだに住みついている古い性質が、罪を犯したがるのです。 ああ、私はなんとみじめで哀れな人間でしょう。 いったいだれが、このひどい低劣な性質の奴隷状態から解放してくれるのでしょうか。 ただ神様に感謝します! 主イエス・キリストによって、私は解放されました。この方が自由の身にしてくださったのです。 [ 8 ] 8:1 こういうわけで、今やキリスト・イエスに属する人は、有罪の宣告を受けることがありません。
2007/01/14
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高校生のとき、学校に一人の鍼灸師が講演に来た。種子島で普通に診療している方だった。話の内容はヘレン・ケラーが日本に来たとき、握手をしたことがあり、その時の感激を目に見えるように話してくれた。その話の中で、「人が全世界を自分のものにしても、自分のいのちを損したら何の得になろうか」と言うことばがあるが、人のいのちは全世界よりも尊いことを強調し、若い皆さんが自分のいのちも人のいのちも大切に生きて欲しいという話だった。 当時はまだクリスチャンではなかったので、キリスト教会にも行っていなかったし、聖書も読んだことがなかったので、聖書のことばだということを知らなかった。 2学期になって聖書を読んだとき、マタイに福音書16章にその感動とともに聞いたことばが目に飛び込んできた。16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。 16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。 その後、クリスチャンになりいのちの尊さはもちろん、平和のすばらしさを体験し、平和憲法のある国に生を受けたことを感謝し続けている。 いのちを損なう最大の罪は戦争であり、アメリカはイラク戦争にさらに増兵しようとしている。すでに若い兵士たちが3000人も戦死し、イラクの戦死者は当然それを上回る。このブログを書いているときに、テレビは防衛丁が防衛省になたことを阿部首相が自慢そうに語り、最初の防衛省大臣が満面の笑みを浮かべて、自分が最初の大臣であることを誇っている。 平和憲法があるのに自衛隊を海外に派遣し、さらに輪をかけて国外派遣ができるようになることは自明の理である。戦争に行くのではない、援助に行くのだと誇らかに語る政治家の姿に、戦争をしたくてたまらない戦争を知らない世代の政治家の姿に、「剣を取る者は剣で滅びる!」と言われたイエス・キリストのことばを知ってほしい。 同時に、年末から正月にかけて新聞やテレビをにぎわしている残酷な家族間殺人事件。しかもバラバラ殺人という人間とは思えないような事件が続発している。人のいのちの尊さがどんどん失われている。小説もテレビや映画も、さらにパソコンやゲーム機の中にも暴力と殺人があふれている。日本は美しい国。愛と祈りでこの国を変えて行こう。政治家だけが悪いのではない。国民が選挙に行かないで一部の選挙上手に国を任せているからだ。いろいろ難しいことが多いが、神に不可能はないと信じて前進して行こう。主の祈り 6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。 6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。 6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。 6:9 だから、こう祈りなさい。 『天にいます私たちの父よ。 御名があがめられますように。 6:10 御国が来ますように。 みこころが天で行われるように地でも行われますように。 6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 6:12 私たちの負いめをお赦しください。 私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕 6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。 6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
2007/01/13
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午前中の授業が終わり、午後からお見舞に出かけた。毎日一万歩なので生駒駅まで歩き、病院のある町でも駅から歩き、帰りは駅からタクシー。 病院は入院者との関係は牧師と記入し、3階の看護士詰め所へ。案内された面談室で会談。あわてず、あせらず、落ち着いて平安の気持ちで退院を待つように語り、ともに心を合わせていやしと回復を祈った。 身体や心が病むとき一番大切なのは平安な気持ち・・・・。幸いです。すごく平安な気持ちです。以前教会で聞いたメッセージを覚えて実行していると、にこやかにほほえみながら答えてくれた。 ペテロの第一の手紙 3:8 -9最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。 まわりにいる方々の幸せを祈り、祝福があるようにと心の中で願うとき、自分の心に喜びが広がるのを感じるとのこと。うずくまり顔もげなかった方が歩き始めたり、挨拶もしなかった方がにっこり挨拶を返してくれうようにもなった。 平安な気持ちがあるので夜も熟睡できる。感謝、感謝で病院でも過ごせることが分かって感謝ですと、喜びに輝いて話してくれた。退院も間近と思った。詩篇139:7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。 私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。 139:8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、 私がよみに床を設けても、 そこにあなたはおられます。 139:9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、 139:10 そこでも、あなたの御手が私を導き、 あなたの右の手が私を捕らえます。 139:11 たとい私が 「おお、やみよ。私をおおえ。 私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、 139:12 あなたにとっては、やみも暗くなく 夜は昼のように明るいのです。 暗やみも光も同じことです。
2007/01/12
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聖書学院のスケジュールは、月曜日朝8時半チャペルとオリエンテーション、そして授業です。3学期は火曜始まりで、昨日は院内清掃の時間、夜は水曜集会へ全員出かけました。今日から通常の授業が始まります。 一年生は、旧約・新約聖書研究と根本教義で前田基子副院長担当。2,3年はモーセの幕屋の学びで榮義嗣教授担当。私は旧約講解と教会歴史・今期は日本キリスト教の歴史を講じます。 午後からは、訪問伝道や病院見舞、路傍伝道など実践的な学びがあります。アルバイトで月謝を稼ぎながら将来に備える神学生もあります。 全寮制の神学校ですので、起床は朝5時、消灯午後10時半と睡眠時間5時間半確保しています。院長も副院長も院内に居住しているので、神学生とほとんど同じスケジュールで動いています。 朝5時前に起きて、5時半から7時までは祈りとチャペルの時間。それから神学生たちは掃除と食事です。私は7時に朝食、8時半までの時間メールやブログ書き込み、日課の聖書を読み院長室に下りて行きます。 自分の授業のときはそのまま教室に、外から来られる教授を迎えて挨拶したり・・・・。授業がないときは書斎で調べ物や雑務もこなします。毎日充実の日々です。 今日は東大阪エリムの姉妹が入院しているので見舞に行き、健康の回復を祈ります。神学校の院長ですが、現役の牧師です。両立は難しいのではと聞かれることもあります。そのように思い二つの働きの間で悩んだこともありました。どちらも一生懸命にやろうと思いましたが、少々バテぎみになり一生懸命をやめました。 与えられた思いは一生懸命ではなく、一所懸命に切り替えました。一日一日生きる一日一生です。一箇所一箇所生きる、一所懸命に集中し始めたとき、心が自由になりました。ある意味では一所懸命には年季が入っています。アルバイトをしながら開拓伝道をしているときも、仕事をしていると教会のことが気になり、教会にいると仕事のことが気になりでしたので、考えを切り替えて仕事のときは仕事のことだけ、教会にいるときは教会のことだけと集中しました。 聖書学院の院長を引き受けたとき、教会との板ばさみになったこともありました。外部からのアドバイスや無責任な批判もありました。その時、一所懸命に切り替えることができ、それ以来すべての働きをその考えで集中しながら楽しく生きています。 毎日、この日は主が造られた日!今日もこの日を喜び楽しもう!詩篇118:24詩篇34:1 私はあらゆる時に【主】をほめたたえる。 私の口には、いつも、主への賛美がある。 34:2 私のたましいは【主】を誇る。 貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。 34:3 私とともに【主】をほめよ。 共に、御名をあがめよう。 34:4 私が【主】を求めると、主は答えてくださった。 私をすべての恐怖から救い出してくださった。 34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。 「彼らの顔をはずかしめないでください。」 34:6 この悩む者が呼ばわったとき、 【主】は聞かれた。 こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。 34:7 【主】の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、 彼らを助け出される。 34:8 【主】のすばらしさを味わい、これを見つめよ。 幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 34:9 【主】を恐れよ。その聖徒たちよ。 彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。 34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。 しかし、【主】を尋ね求める者は、 良いものに何一つ欠けることはない。
2007/01/11
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一年の計は元旦にあり。一日の計は朝にあり。近くに住む93歳の婦人が俳句を作ってくれました。 霜ま白 エイと踏み出す 一万歩 松の内 明けて2キロの 太っ腹 年末、正月と少々食べ過ぎて年賀の挨拶にお伺いしたとき、毎日1万歩も歩いているのに・・・・、お交わりの感想だそうです。 歯の治療で今日午後から歯科医通いです。水曜日は大阪エリムで集会、その前に地下鉄御堂筋線我孫子駅前の歯科医まで行きます。地下鉄で動物園前から近いのでずいぶん助かります。 子どもの頃から鬼歯があり、歯ではかなり苦労しました。高校生のとき校内検診の歯医者に、「ようかん食べてことがあるか」と歯並びの悪さを評され、悔しい思いをしたことがありました。医者や教師、もちろん牧師はその筆頭だと思いますが、ことばには十分気をつけたほうがよいと思います。 今年もありがとうの思いとことばで、歯の治療に通いたいと願っています。詩篇 19:7 -8神様のおきては完全無欠です。 私たちを守り、賢くし、喜びと光を与えます。 19:9 そのおきては純粋で、正しく、すたれることがありません。 19:10 また、金よりも慕わしく、蜜ばちの巣からしたたる蜜よりも甘いのです。 19:11 それは、危険に近づくなと警告し、従う者には祝福を約束するからです。 19:12 しかし、心にひそむ罪を、どうして知りえましょう。 どうか、隠れた罪からもきよめてください。 19:13 故意に悪に走ることからも引き止め、守ってください。 そうすれば、私は過ちを犯さず、大きな罪からも逃れることができます。 19:14 私の口のことばと、秘めた思いが、神様に喜ばれますように。ああ、私の岩、私の救い主、主よ。
2007/01/10
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今日から聖書学院の3学期がスタート。すぐ近くにある幼稚園、小学校も今日から。クリスチャンスクールは日本の祭日は関係なしなので昨日からスタートしている。 昨日は愛知県小牧市の「クリスチャンウエィで行われた神の家族の新年聖会で午前、午後と2回説教。大勢のクリスチャンたちの集いで恵みのときでした。クリスチャンウエィの和田牧師夫妻は、生駒聖書学院を35年前に卒業、卒業後の9月に市民会館を会場に伝道会を開催。4日間説教をしたことを懐かしく思い出し、当時人口7万人だったが現在は15万人を越えている。 教会もゼロからのスタート。小さな教会が田んぼ沿いに建ったが、区画整理でに大きくなり、市民病院建設でもっと大きくなり、さらに再度の最開発で移転を余儀なくされ、700坪余りの代替地を市内のはずれに獲得、300名が入るような立派な教会堂が高地に輝いている。今年はクリスマス・イルミネーションを借りている350坪の駐車場も含めて張り巡らし、多くの市民に庭を開放し、すっかり名所になったそうだ。 和田牧師は元デザイナーで芸術家で、夫人牧師も美のセンス抜群。とってもきれいな教会、隣接する自宅も美しく、敷地全体が天国を思わせる輝きに包まれたキリスト教会だ。道を通りかかるだけでも入ってみたくなるような雰囲気があふれている。 聖会が午後5時に終わり、聖会のためにクリスマス・イルミネーションをそのままにしておいたとのことで、うす曇の暗くなりかけた中にイルミネーションが美しかった。ひときわ輝くトップスターに、見送られるように会場を後にした。 すぐ新幹線で帰るつもりだったが、稲沢福音教会の奈良崎牧師夫妻に夕食を招かれ、稲沢市の教会まで連れて行ってもらった。今年8月末まで死の区画整理事業で立ち退きを求められ、教会が移転するのでその前に見て欲しいとのこと。 稲沢福音く教会は忘れることのできない思い出の場所。36年前、ラジオ放送希望の声を始める決心をした教会だ。玄関横の小さな祈りの部屋で、お金もなく何もない駆け出し牧師だった。赤面恐怖症で信徒もほとんどいない。支援も協力もない、まったく何もないとき。イエス様の十字架を救いを伝えたい、アーメンと言えば救われる喜びの知らせを伝えたい、それだけの思いだった。 聖書のことばに押し出されてスタートし、36年目を迎える。感謝! その時与えられ聖書のことばが、すべての働きの原点となっている。黙示録 3:7 また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。 『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。 3:8 「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。
2007/01/09
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新しい人生を生きる。キリスト教では新しく生まれ変わることを言います。死んでからもう一度別の人生と言う意味ではなく、この生きている世界でもう一度神の子として生まれ変わることができるのです。 過去を変えて新しい人生を生きることが、瞬間的に可能なのです。 古いものは過ぎ去った・・・・第二コリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 だれでも、クリスチャンになると、内側が全く新しくされます。もはや今までと同じ人間ではありません。 新しい人生が始まったのです。 すべてが益となる・・・・ローマ8:28 そして私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身に起こることはすべて、益となることを知っているのです。 すべてがわざわいでなく良いこと・・・・エレミヤ29:11 わたしは、おまえたちのために立てた計画をよく知っている。 それは災いではなく祝福を与える計画で、ばら色の将来と希望を約束する。 あなたの一生を良いもので満たされる。詩篇103:5 あなたを祝福でおおわれる。 第一テサロニケ5:16 いつも喜びにあふれていなさい。17 いつも祈りに励みなさい。18 どんなことがあっても、感謝を忘れないように。これこそ、神様が、キリスト・イエスに属するあなたがたに、望んでおられることだからです。 ありがとうございますと、そのようにしてくださったイエス様の十字架の愛と復活のいのちを、聖霊によって今あたえられていることを感謝することによって、明日はさらに希望に輝きます。 不平や不満、グチ、つぶやき、文句、悪口、中傷、皮肉、否定的なことばや破壊的なことば、できない、不可能だ、自分にはむりだ、仕方がない、あんなやつ信用できない。金がない、給料が少ない。何もない、疲れた、しんどい、いそがしいなどと否定的なことばから解放され、幼子がことばを覚えるように、神の子どもになったので、生きていて力のある神のことばを話せるようになります。 詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 毎日告白する価値はあります!ハレルヤ。アーメン。
2007/01/07
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7日が最初の日曜日。元旦礼拝で多くのクリスチャンや正月を祝う新しい方々と、天地万物の造り主で愛なる真の神さまを礼拝し、幸いなスタートでした。 クリスチャンはなぜ日曜日に礼拝をするのでしょうか?一番大きな理由は、全人類の罪を十字架に贖い死なれたイエス・キリストが、墓に葬られて3日後の日曜日の朝、死を打つ破り復活したことを喜び祝いに集う日なのです。日曜日の礼拝は喜び祝う祭りです。週に一回祭りがあるってすばらしですね。祭りを祝う私たちも礼拝の場で、死からの復活のようなエネルギーをいっぱい受けて新しくされ、月曜日からの仕事に励むことができるのです。 旧約聖書では6日働いて7日目を安息日として休めと命令されています。働いた報酬としての休み、行いの結果としての救いを強調しています。 しかし、イエス・キリストは安息日の終わりとなり、行いの結果としての救いではなく、働きの報酬としての休みでもなく、十字架の上にすべての問題を背負って死に、日曜日の朝復活することによって、アーメンと言えば救われる!恵みの道を開いてくださいました。 ですから日曜日は神から与えられた祝福と平安を象徴する日です。恵みと祝福、エネルギーとパワーをしっかり充電していただいて、新しい週にスタートするのです。 聖霊は常にパワー内側からあふれさせてくださり、神の愛を注ぎだし、力を与え、望みにあふれさせてくださいます。 ぜひ日曜日はキリスト教会の礼拝で身も心もリフレッシュされ、霊的にも物質的にも健康的にも恵まれた人生をご活躍ください。カーテンがピシッと閉じられるように、年間52回の「日曜日をシッカリ守り、充実と幸せの年にしてください。1月7日から12月30日までの52週に豊かな祝福を祈ります。 8日は成人の日です。神の家族キリスト教会主催の新年聖会が、「豊かな収穫の時」と題して、愛知県小牧市のクリスチャンウエィを会場に行われます。聖会は「午前10時半と午後2時の2回。成人式の祝福の祈りのときもあります。 講師として2回のメッセージを語ります。朝早く名神・東名高速で春日井まで、春日井から10分くらいのところに素敵な教会(クリスチャンウエィ)があります。お近くの方お出かけください。愛知県小牧市高根2-154-1 電話0568-78-1212へお問い合わせください。コリント人への手紙第一 15:50 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。 15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。 15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。 15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。 15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。 15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」 15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。 15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
2007/01/07
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天国があることを確信し、そこへいける保証を持ている人は幸いです。どんなに旅行が好きな人でも、ただ道中だけが楽しいと言う人はいません。人生の目的地、終着駅はどこでしょうか。 なあに人間は生きているうちが花で、死んでから天国や地獄があるわけじゃないし・・・・と言う方もあります。しかし、聖書は、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)と明言しています。 パスカルは信仰は賭け(ギャンブル)のようなものだと書いています。天国なんかないと豪語し、生きている間好き勝手に行動し、不安と恐れに支配されながら、怒りや腹立ちに満ちて、贅沢三昧に生き死後にさばきがあり地獄行きと宣言されたら、生きている間も地獄、死んでも地獄です。 反対に天国があると信じ(賭け)、イエス・キリストを受け入れ、平安と愛に満たされ、喜びと感謝にあふれて人生を行き抜き、死後にたとえ天国がなかったとしても、失うものはなにもなく地上の生活は天国のようです。 人が求めている幸せは聖書に約束されています。ほんとうの幸いを今朝シッカリつかんでください。 今日は102歳で召された方の5年目の記念礼拝です。20代で肺結核になり、入院中看護師にこれでも読んだらと渡された新約聖書を読み、イエス・キリストの十字架と復活を信じてクリスチャンになりました。爾来102歳で召天するまで信仰の人生を行き続けました。召される2週間前にともに祈りをしましたが、認知症もなく元気な声で祈ってくれました。 主の聖徒の死は、主の御前において尊いのです。そのご家族とともに、天国を思うひと時を賛美歌と聖書のことばで過ごします。102歳まで生きた方が愛していつも告白していた聖書のことばを引用します。ローマ人への手紙8:28 そして私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身に起こることはすべて、益となることを知っているのです。 8:29 というのは、神様はあらかじめ、だれが自分のもとに来るかご存じで、そのような人々がご自分の息子と同じになるようにと、最初から定めておられたからです。 それは、ひとり息子を大ぜいのクリスチャンの中で長子とするためでした。 8:30 神様は私たちを選び、招いてくださいました。 そして、私たちがおそばに行くと、私たちに「無罪」を宣言し、キリスト様の良い性質を下さり、神様との正しい関係を結ばせ、さらに、栄光を与えると約束してくださいました。 8:31 こんなにすばらしい恵みに対して、いったい何と言ったらよいでしょう。 神様が味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょうか。 8:32 神様は私たちのために、たった一人の息子をさえ惜しまずに、死に渡してしまわれたほどのお方ですから、ほかのすべてのものをも下さらないわけがあるでしょうか。 8:33 神様がご自分のものとして選ばれた私たちを、あえて訴えるのはだれですか。 神様ですか。 とんでもない。 神様は、私たちを赦し、ご自分と正しく関係づけてくださった方ではありませんか。 8:34 では、私たちに有罪を宣告するのはだれですか。 キリスト様ですか。 とんでもない。 キリスト様は、私たちのために死に、そして復活し、今は天で、神の右の最も名誉ある座で、私たちのために祈っていてくださるお方ではありませんか。 8:35 では、いったいだれが、私たちをキリスト様の愛から引き離せるでしょうか。 私たちは困難や災難に会い、また迫害され、殺されるかもしれません。 しかしそれは、神様が、もう私たちを愛しておられないからでしょうか。 また、もし私たちが飢え、文なしになり、危険にさらされ、死に脅かされるなら、神様に見捨てられたことになるのでしょうか。 8:36 違います。 旧約聖書にこう書いてあるからです。 「神様のためには、いつでも 死ねる心がまえでいなければならない。 私たちは殺されるのを待つ羊のようだ。」 8:37 しかし、こうした中にあっても、私たちは、いのちを投げ出してまで愛してくださったキリスト様によって、圧倒的な勝利を得るのです。 8:38 神様の愛から私たちを引き離せるものは何一つない、と確信しています。 死にもいのちにも、そんなことはできません。 御使いにもできません。 地獄の全勢力を結集しても、神様の愛から遠ざけることはできません。 今日の恐れも、明日の不安も同様です。 8:39 あるいは、私たちがどこにいようと--空高くのぼっても、海の底深くもぐっても--私たちの主キリスト・イエスの死によってはっきり示された神様の愛から、私たちを引き離せるものは、何一つありません。
2007/01/06
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一年の計は元旦にあり、一日の計は朝にありで、元気良くスタートしている2007年です。 年末に、「捨てるほど幸せになる!」ということばを知り、クリスマス後、思い切って書斎の片づけをしました。ある程度部屋がスッキリしたが、まだまだ捨てなければと思うような本や雑誌が残っています。何十年も開いていない神学書や、小冊子、記念誌、写真等々・・・。 スーツやシャツ、普段着もクローゼットに下がったまま。ネクタイやハンカチにソックス。スッキリしたら気持ちまでも晴れやかになり感謝でした。 同時に、心の中も整理できれば嬉しい限りです。不平不満やつぶやき、愚痴や泣き言、非難中傷、ねたみや憎しみ、悪口や噂話・・・・イエス様はマルコの福音書で、「さあ、よく聞いて、その意味を考えなさい。人は決して外から入る食べ物によって汚されるのではありません。 むしろ内から出て来ることばや思いによって汚されるのです」と言われました。 すると弟子たちが、「さっきのおことばは、どういう意味でしょうか」と尋ねました。 イエスはお答えになりました。「こんなことがわからないのですか。 食べ物は人を汚さないということが、そんなに不思議なのですか。」 いいですか。 食べ物は別に人の心に入るわけではないでしょう。 腹に入って、外へ出るだけではありませんか。 こうして、あらゆる食べ物がおきてにかなうきよい物であることを示し、 さらに続けて言われました。 「人の内側から出るもの、それがくせものです。肉欲、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、あざむき、好色、ねたみ、悪口、高慢、あらゆる愚かさ、それらのものはみな、人の心の中からあふれ出ます。この内側から出て来るものが、人を汚し、神にふさわしくない者とするのです。」 人の内側にあるものが人を汚すのです。それをそのままことばにして出す人、暴力として相手を傷つけ殺人まで犯す人、ことばにも手にも出さないけれど自分のうちに閉じ込めてうつになる人、様々です。 家の掃除や車の掃除はしても、心の掃除をしないと今年も何も変わらないまま、ゴタゴタしたままの不幸せが続きます。 思い切って捨ててしまいましょう。「御子イエスの血がすべての罪からきよめてくださいます」 アーメン信じますと、十字架の上にいのちを捨てて、罪を呪いを、やまいや貧乏を引き受け、死と滅びの中から救い出してくださるエス・キリスト様の救いを信頼し、3日目に復活し今も生きているお方を心にお迎えしてみてください。 きれいにしてからではなくて、そのままお入りくださいとお迎えするのです。そのときに光が差し込むように心がきれいになり、何を捨てるかがはっきり分かるようになります。 今年は外側だけきれいにするだけではなく、心もきれいにしていただいて本当の幸せを天国に行くときまで持ち続けてください。 捨てれば捨てるほど幸せがやってきます。マルコの福音書 8:34 それから、弟子たちと群衆とを呼び寄せ、こう言われました。 「だれでもわたしについて来たければ、自己中心の生活をやめ、自分の十字架を背負って、ついて来なさい。 8:35 いのちを守ることにばかり、あくせくしていたら、かえってそれを失います。 わたしと、この神のすばらしい知らせとのためにいのちを投げ出す者だけが、生きることの意味をほんとうに知るのです。 8:36 たとい全世界を自分のものにしても、いのちを失ったら、何の得があるでしょう。 8:37 いのちを買い戻すどんな手だてがあるというのでしょう。 8:38 だれでも、この不信仰と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばとを恥じる者をメシヤ(救い主)のわたしも、やがて父の栄光を帯びて聖なる御使いと共に帰って来る時、恥じるのです。」
2007/01/05
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今年も毎日ゆとりの一万歩!を歩み続けている。出会う方には朝の早い時間には、おはようございますと声をかける。昼間は行き交う山道や散歩中の人にだけコンニチワ。夜も同じように、こんばんわ。あるとき夜遅く家に前で花に水をまいているご婦人に、こんばんわ!どなたでしたか?と顔をのぞきこみ、「ああ、種子島の牧師さん!」と立ち話。同じ種子島出身の方だった。生駒聖書学院の牧師は種子島出身と近くの人たちが知っているとのこと。 昨日はすぐ近くに住む小学校時代の同級生を訪ねた。今年は種子島に家を建て、生駒に半年種子島に半年の生活に切り替えると嬉しそうに話してくれた。 種子島から大阪に来てものすごい苦労をした。家族から仕事のことで反対されたり、結婚して独立し子どもも生まれたけれど、にませる乳もなく夜遅く質屋に通ったことも・・・・。同業者にも仕事をもらえず、銀行にも相手にしてもらえずだった。 在日韓国の業者が考えた新商品を、どの会社も相手にしなかった事を聞き、そのとき彼はその仕事を引き受け、その好意により彼の仕事は業界でも評価されるようになった。彼の苦しいとき相手にもしてくれなかった銀行も業者も一目置くような会社として堅実に40年間歩み続けている。 今は工場も2箇所に増え後継者も決まっているが、毎朝6時前には出勤し、すべての機械をしっかりと点検し、みんな働きやすい環境を整えているとほほえみながら話してくれた。 ふるさとは遠きにありて思うものとあるが、彼は本籍も種子島に置いたままで、故郷へ帰ることを楽しみにしている。故郷に錦を飾る同級生と、両手を重ねながら祝福を祈る幸いなひとときだった。 小学校5年生のときから知っている方の家の前を通りかかり、あめでとうの挨拶をと思い声をかけた。帰りに白菜や大根をたくさんいただき、子どものころと少しも変わらない笑顔に、健康と幸せを祈った。 今年も多くの出会いがあると思うが、出会う方々の幸せを祈り続ける一年間でありたい。 ブログ出会い!テレフォンメッセージ(0743-73-3740)やラジオ放送(ABCラジオ水曜朝4時35分)エリムキリスト教会(奈良・富雄、生駒聖書学院、大阪エリム、堺エリム、東大阪エリム)アフリカ・ケニアの子どもたち。 もっともっと多くの方に幸せを届けたい!切なる願いです。アーメンと言えば、救われて幸せになれる!この純粋なキリストの十字架の救いを知って欲しいと切に願っています。 天の故郷に帰る日まで、イエス様の愛を伝える喜びの中で、元気にスタートした新年です。ヘブル人への手紙 11:8 アブラハムは神様を信じました。 ですから神様に、生まれ故郷を離れて、新しく与えられる地に向かうようにと指示された時、そのことばに従いました。 彼は、行く先も知らずに出て行ったのです。 11:9 そして、神様の約束された地に入ったあとも、外国からの旅行者のように、天幕生活を送りました。 神様から同じ約束を受けた息子のイサクと孫のヤコブも、この地で、同様に天幕生活を送りました。 11:10 アブラハムがこうした生活に耐えられたのは、揺るがぬ土台を基とした天の都に、神様は必ず連れて行ってくださると確信して、待ち望んでいたからです。 その天の都を設計し、建設されたのは、神ご自身にほかなりません。 11:11 アブラハムの妻サラの信仰も、すばらしいものでした。 サラはすでに年老いていたにもかかわらず、母親になることができました。 神様の約束は必ず実現すると、堅く信じていたからです。 11:12 このようにして、年を取りすぎ、子供を生むことなど、全く絶望と思われていたアブラハムから、天の星や海辺の砂のように、数えきれないほどの子孫が生まれたのです。 11:13 信仰に生きたこの人たちは、神様が約束されたものを手にしてから、死んだのではありません。 しかし彼らは、約束のものが待ち受けているのを見て、心から喜びました。 この地上がほんとうの故郷ではなく、自分がほんのつかの間、ここに滞在する旅人にすぎないことを、自覚していたのです。
2007/01/04
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一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり。 元旦の初日の出とともに、一年の夢を希望を幻を、すべてのことに感謝しつつ今年も迎えました。クリスマスのビッグプレゼント(大阪エリムのレンタル教会が今年から10年間無償)に感激し、31日の礼拝報告で教会員一同大拍手でした。新しい期待で真っ白に輝く新しい年へ前進したいと願っています。 新しい決意で信仰のことばを告白し続けることをやっています。 「神が御霊を無限に与えられるからである」ヨハネ3:35「私に与えられた絶大な神の恵みと、ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します」第二コリント9:14-152007年の日々の祈りと告白として•・ 無限の無限の神の愛がいっぱい!ありがとうございます!感謝します!•・ 無限の無限のイエス様のいのちがいっぱい!ありがとうございます!感謝!・無限の無限の聖霊の満たしがいっぱい!ありがとうございます。感謝します。•・ 無限の無限の救いがいっぱい 〃•・ 無限の無限の幸せがいっぱい 〃•・ 無限の無限の愛がいっぱい。喜びがいっぱい。平安がいっぱい。容がいっぱい。親切がいっぱい 善意がいっぱい 忠実がいっぱい 誠実がいっぱい 柔和がいっぱい 制がいっぱい 信仰がいっぱい 希望がいっぱい 感謝がいっぱい 力がいっぱい 調和がいっぱい エネルギーがいっぱい 健康がいっぱい 豊かさがいっぱい 笑顔がいっぱい 平和がいっぱい 繁栄がいっぱい 優しさがいっぱい 素直さがいっぱい 輝きがいっぱい 謙虚さがいっぱい 長所がいっぱい 想像力がいっぱい 創造力がいっぱい 交際力がいっぱい 強さがいっぱい 伝道力がいっぱい 勇気がいっぱい リーダーシップ力がいっぱい 元気がいっぱい 指導力がいっぱい 義がいっぱい 奇跡力がいっぱい 恵みがいっぱい いやしがいっぱい 能力がいっぱい 決断力がいっぱい 可能性がいっぱい 実行力がいっぱい 叡智がいっぱい 統率力がいっぱい ゆるしがいっぱい 行動力がいっぱい 直感力がいっぱい カリスマ力がいっぱい 充実感がいっぱい 復活の力がいっぱい 清らかさがいっぱい 楽しみがいっぱい うれしさがいっぱい 笑いがいっぱい 笑顔がいっぱい 神の栄光がいっぱい 知識がいっぱい 知恵がいっぱい 祈りがいっぱい交際力がいっぱい 慰めがいっぱい 友情がいっぱい 家族愛がいっぱい異言がいっぱい 奇跡がいっぱい 忍耐がいっぱい 勝利がいっぱい確信がいっぱい 自由がいっぱい 恵みがいっぱい 祝福がいっぱい繁栄がいっぱい 財力もいっぱい 成功がいっぱい 社交性がいっぱいそのほかいくらでも前向きな聖書の約束を、無限の無限のみことばがいっぱい!ありがとうございます。感謝します。神の栄光のために!ハレルヤと宣言してください。 自分が口にすることばは、」言えばいうだけもう一度それを言いたくなるような現象を引き起こします。イエス様は、「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」(マルコ11:23)と言われました。 やってみる価値はあると思いますので、ぜひ朝の目覚めとともに、夜ベッドへ入る前にいつでも口に出してみてください。そして一年の終わりにその結果を楽しみましょう。ローマ人への手紙10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
2007/01/03
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クリスマスに小学3年と6年生の女の二人が、作詞作曲で歌ってくれました。二人とも幼い日から教会に来ているこどもです。一人は生後5ヶ月のとき、航空機事故でパパを亡くし、パパの顔も知りませんが、3年前新しいパパが出来幸せです。もう一人はママが精神的に弱く時々家出をしたり・・・・、辛いこともいっぱいありますが、イエス様を心にお迎えし、明るく賢く美しく成長しています。二人の作った歌です。みんなの前で歌ってくれました。 神さまありがとう神さま ありがとう 私たちのために 生まれてくれて 愛してくれて ほんとうにありがとう私たちには 何にもできないけどひとつだけ できることがある それは人を愛すること人々を愛して 神さまのことを伝えること 愛しています! 神さま ありがとう 私たちのために 生まれてくれて あいしてくれて ほんとうにありがとうみことばを にぎって 歩んで行くんだ私の願い それはただひとつ 世界中の人たちが 神さまを信じて ともに歩むことをそれだけを願って行くよ 祈っていこう いつか きっと夢がかなうよ愛しています ヨハネの手紙第一 4:7 愛する友よ。 互いに愛し合いましょう。 愛は神様から出ています。 ですから、人を愛する親切な人は、その行ないによって、自分が神様の子供であることを証明すると同時に、ますます深く、神様を知るようになるのです。 4:8 反対に、人を愛さない不親切な人は、神様を知らないことを暴露しています。 なぜなら、神様は愛だからです。 4:9 神様は、かけがえのないひとり息子を、この不正な世に遣わし、その方の死によって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。 そのようにして、どんなに私たちを愛しておられるかを、証明されたのです。 4:10 この神様の行為によって、私たちは、何がほんとうの愛か、知ることができました。 真の愛とは、神様に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する神様の愛なのです。 それは、私たちの罪を責める自らの怒りをなだめるために、神様がひとり息子を差し出された愛に尽きるのです。 4:11 愛する友よ。 神様がこれほど愛してくださったのですから、私たちもまた、互いに愛し合おうではありませんか。 4:12 私たちは、これまで一度も神様を見たことがありません。 しかし、互いに愛し合う時、神様は、私たちの心の中に住んでくださり、心の中の神様の愛を、なおいっそう強めてくださるのです。 4:13 神様は、私たちの心に聖霊様を遣わしてくださいました。 そのことが、私たちが神様と共に生き、神様も私たちと共に歩んでくださる証拠です。 4:14 さらに私たちは、神様がひとり息子を世の救い主として遣わされたのを、この目で見、それを、いま全世界に伝えています。 4:15 イエス様を神の子と信じ、それをはっきり告白する人のうちには、神様が生きておられます。 そして、その人も神様と共に歩んでいると言えるのです。 4:16 私たちは、どんなに神様に愛されているか、知っています。 現に、神様の愛を身近に感じ、また、私たちを心から愛すると言われた神様を、信じているからです。 神様は愛です。 愛のうちに生きる人は神様と共に生きるのであり、神様もまた、その人のうちに生きておられるのです。 4:17 キリスト様と共に歩む時、私たちの愛は成長して、いっそう完全なものとなっていきます。 そうすれば、さばきの日に、恥じ入ったり、うろたえたりしないですみます。 それどころか、確信と喜びにあふれて、主の顔を見ることができるのです。 なぜなら、私たちは、キリスト様と愛で結ばれているからです。 4:18 私たちを心から愛してくださる方を、どうして恐れる必要がありましょう。 もし恐れがあるなら、それは神様が私たちに何をなさるかと、不安をいだいている証拠です。 神様の完全な愛は、そんな恐れを、すべて取り除きます。 恐れている人は、神様の愛をまだ十分理解していないのです。 4:19 これでわかるように、私たちが神様を愛せるのは、神様がまず愛してくださったからなのです。 4:20 もし「私は神様を愛しています」と言いながら、兄弟であるクリスチャンを憎み続ける人がいれば、その人はうそつきです。 目の前の兄弟を愛せない人が、どうして、見たこともない神様を愛せるでしょう。 4:21 ですから、神様を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。 これは、神様が命じておられることです。
2007/01/02
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初日の出が大きく輝いて、2007年の朝を迎えています。あけましておめでとうございます。 昨年はお訪ねいただきありがとうございました。今年もよろしくお願いします。新しい年のご健康とご多幸、すべての祝福をお祈りします。 一年の計は元旦にあり!今日の祈りと目標がこの一年を大きく変えてくれます。朝11時より元旦礼拝を「生駒聖書学院チャペルで行います。 参加者全員の祝福を「牧師が祈ります。本気でアーメンと、二人が心をひとつにして祈るとき、必ず聞かれるとイエス様が約束してくれました。偶像(人間が手で作り上げた神々や宗教)は聞くことも見ることも手を動かすことも出来ません。 天地万物の創造者、唯一の神、生きていてあなたにいのちを与え、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と宣言し、そのひとり子(イエス・キリスト=見えない神が人間となられて)として十字架にいのちを捨ててまで愛してくださいました。 3日目に死に打ち勝って墓からよみがえり、昨日も今日もいつまでの変わらないお方を、「アーメン。信じます」と心にお迎えするとき、すべての罪が赦され、十字架の血に洗われきよめられて神の子とされれます。神の子ですから神と同じいのち(永遠のいのち)を持ち、天国に行くことができます。 そんなに愛してくださるお方にお願いして聞かれないはずがありません。新しい年の初めに、「イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン」と祈ってみませんか。祈りや願いをしたら、「アーメン。信じます。ありがとうございます。答え(与え)られました。ハレルヤ感謝します。神の栄光のために!アーメン」と、祈りが聞かれたことを信じて感謝してみてください。 新しい年のご多幸をお祈りします。アーメン。マルコの福音書11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。 11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
2007/01/01
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