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上海金茂大廈1本日中国時間午後2時にいつものタクシーが、私の住まいの玄関先に車を停めて、相変わらず車から降りタバコを吸っていた。私は手編みのマフラーと真っ赤な羽毛のジャケットを手に持ち、階段を降り、「やっ!」と運転手に手を上げてみせた。運転手もそれに応えるかのように手を上げていた。車に乗った私は先に中国ビザを預かってくれている所へ行くように指示した。中国での年末という事もあって車が込んでいた。パスポートを急いで頼んでくれた中国女性と別れた後、航空チケットを取りに旅行会社へ向かわせ、約束通り頂いた。その帰りに、急に上海テレビタワーの東方明珠へ行きたくなり、タクシーに頼んだ。15分ほどして東方明珠へ着いたが、車を停める所を探していたので、広い道路の片隅に停めれば良いよと促したが、罰金になるのが怖いようで、仕方なく10分後に迎えに来てくれるよう良い置き、私は車を降り、直ぐに撮影した。一番上の画像は何となくテレビ塔という感じがしない。何となくセメント工場のよう。真ん中の画像は、正面入口の左側から旗の揺らぐのを待って撮影した。下の画像は300mほど離れた所から撮ったが左からの日差しで画像が飛んだ。
2006.01.26
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北京故宮17中国と龍は、いにしえより深い関係が有るが、獅子も中国にとっては切り離せない動物である。でもこの獅子は何ともいえない形相です。髪は逆立ち、足の爪もリアルに出来いる。今にも飛び掛らんとするようですが、これも魔よけ!御花園へ行くまでにある庭園で、小さな池には鯉が泳いでおり、石で作られた橋の上には観光客が鯉を眺めていた。そして餌をやるからだろうか、それともゴミを落とすのだろうか?水面には白い紙くずのようなものが浮かんでおり汚いと感じた。私はゆっくりと当時を偲ぶ時間も無く、ここより急ぎ立ち去った。
2006.01.25
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北京故宮221655年再建された坤寧宮の北側の石段を降りようと前方を見ると綺麗な赤の坤寧門が目に入り、私は急いで石段を上に上がった。そして、直ぐ下の黄色の瓦と前方の坤寧門の窓枠の朱赤とのコントラストを気に入りシャッターを切ったものの、肉眼で見た感動は出す事が出来なかった。カメラのレンズを通す場合、やはり露出とシャッタースピードの関係をよく把握しないとと失敗する。坤寧宮の北側の石段を降りながらも、ふと私を呼ぶような声に振り返っても知っている人は居なかった。でも何となくカメラを向けシャッターを切った。左側の東暖殿では多くの皇帝・皇后の世話をした女官が無念で怒り苦しみ泣き、それでも人を愛する事も許されず、どれだけの女官が悲しみの中に散ったのか?そう思うだけで私の胸は切ない思いに駆られながら重い足取りで石段を降りていた。
2006.01.24
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北京故宮12坤寧宮は1420年に創建され1655年再建された。明代には皇后の寝殿として利用され暮らしたところ。明の崇禎17年に、李自成率いる農民軍の北京入城時に、崇禎皇帝(1628~1644)は皇太子を脱出させ、皇女を斬ったのちに故宮の北にある万歳山(紫禁城後方の景山)で自害した。皇后もここ坤寧宮で自害し、明の滅亡を引き起こした。清代には祭神の場所となった。清代に入ると改築され、皇帝の結婚儀式の場所となり、皇帝・皇后の活動の中心でもあった。
2006.01.23
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北京故宮11乾清門から一気に乾清宮へ向かった。多くの人が養心殿へ向かっていたが、この時、中国人女性ガイドさんから「今何処ですか?私たちは後20分ほどで出口ですよ」と電話が入った。「もう少し掛かりますから待ってて下さい」と言った所、「何処に居るんですか?」「乾清宮を超えた所」というと「早くして下さいね」と、しかし、私は乾清宮へも達してなかったので、急ぎ乾清宮へ。乾清宮の瓦の先にいろんな動物が飾られていた。そしてどんな動物なのだろうかと考え出したが、また悪い癖がでたと思い直し、その何の動物なのかそして避雷針のようなものも設置してある。魔よけなのだろうか?また分からないまま画像の更新をした。この乾清宮は皇帝・皇后の活動の中心でもあった。
2006.01.22
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北京故宮10中和殿の横を通り抜ける時、一瞬のチャンスがあり撮影した画像。この女性は中国の女性で画像に収めてより、「貴女の後側ウエストの刺青は本物ですか?」と、彼女は「本物ですよ」と答えてくれた。今中国の若者の間でこの刺青が流行っている。職業柄パンツのベルト通しの付け位置が左右で1センチ違う事に気付いた。Low-Waistの場合、特にこのベルト通しの付け位置が悪いと品質基準を満たさないのである。その後私は中和殿の裏へ回り中和殿の上から保和殿を撮影。
2006.01.21
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北京故宮9太和殿の石段の両脇に置いてある「焼香の鉄の器」これって何と呼ぶのでしょうか?禅宗の寺や儒教の寺の前に必ず置いてあります。ここ紫禁城にも置いてあります。これは香をこの中に入れて焚くと思います。いろんな形の物がありますが、いつもこの画像や寺の前の背の高い焼香の器の紹介の時、何と呼んでいいのか困ってしまいます。このような焼香の大きな器を何て呼ぶのでしょうか?
2006.01.20
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北京故宮4午門を背に太和門を撮った画像であるが、前方に固まっているツアー客がいる。ブルーの目印旗が見えるが、今回のツアー客の人達である。私は昨日のガイドさんと同じだが、ツアー客は昨日と一人として同じではない。昨日ガイドさんは一日中英語を話していたが、今日は殆ど中国人であるため、中国語で説明していた。しかし、私は相変わらず自由行動をしている為、ガイドより「何処に行っても良いですが必ず連絡して下さい」でも「私は夢中になると何処にいるか分からなくなり、ガイドさんより電話を下さい」とまたまた無理を言ったらため息。下の画像は「太和門」に立ち、「午門」方面を撮影したものである。
2006.01.19
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明の十三陵20「定陵」入口からそんなに遠くない所にある亀の所へ再度来た。始めは亀の頭と亀の横から撮っていたので、亀が背負っている石碑に何が書いてあるのか分からなかったが、今正面から見ると何も書かれてない事に気付いた。
2006.01.18
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明の十三陵15博物館には、冠服や金銀の器、玉器、生活用品など多くの副葬品が陳列されていた。この木で造られた像が誰で何の為に用いられたのか分からないが、魔除けに使われたのだろうか?そして当時の馬が鞍を付けた置物を画像に収めた。発掘した3000点の金銀玉の宝飾品や美術品が「定陵博物館」に順次展示してあった。二度のガイドからの「余り時間が有りませんよ」との電話に慌てていた。そして十分確認しないまま、当時のお金や着物を撮影したが、また人の頭の上から撮ったためピントが合わないもの、画像が斜めになったもの、またフラッシュが使えず手振れをしてしまい多くは更新出来ない。これは鉄瓶?
2006.01.17
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明の十三陵11明の十三陵にある14代皇帝「万歴帝」の陵墓「定陵」の出口を出て少し歩くと「昭稜」に着く。ここでは大きな石碑があった。そして石碑の礎石の縁に綺麗な龍の彫り物があったので画像に収めた。龍の頭が右を向いたものと左を向いたものの左右対称を撮ったつもりだったが、大きさはや位置は左右対称ではない。
2006.01.16
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明の十三陵6万暦帝も22歳のときから定陵の造営を始め、その造営は6年の歳月と白銀800万両を使って定陵を完成させた。当時の白銀800万両は、当時の一千万人の民衆の一年分の食糧に匹敵したという事で、それを現在に換算すると1200億元(1兆8千億元)凄いとしか言いようのない資金を投じて造らせたのである。ここで14代皇帝「万歴帝」を非難するつもりは毛頭無いのである。このような歴史的文化遺産を残せた事は評価され、1999年世界遺産としても登録されている。私も日本で36歳で自分の墓を建てた。しかし、当然の如く父が先に入った。その後、母の33回忌の時に九州へ出向き分骨してもらった。この時に初めて母の顔を知った。そして今悩んでいる事は、育ての母が既に75歳になっている。同じ墓に入れていいものか?いずれ私もその中に入る。何となく大騒ぎになるのではと悩みの種。行動してから考える私の性格を直さなければと思うが、既に墓を建立し、その中に父と生みの母が入っている今、複雑な関係に万暦帝の事をとやかく言えないが、明朝の滅亡の引き金となったのが万暦帝である。/center>
2006.01.15
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明の十三陵1「定陵」参道左側に大きな亀の背中に石碑が設置してあった。何を意味しているのかは、そのとき撮影に必死でガイドの説明を聞いてなかった。またガイドの説明は英語でもあり、中国語で説明をしてくれればと思ったりもした。亀の頭を撮影した。亀の頭ってまじまじと見ると、鬼瓦のようにも見えた。そしてこの亀の鼻を手で撫でるとご利益があるとの事。手で触るところを画像に収めたが、私は迷信は信じないので、写真に収めることだけに専念した。
2006.01.14
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万里の長城14毎回旅行をして思うことは、必ずと言って良いほど工芸展や翡翠などのみやげ物屋へ連れて行かれることである。今回もホテルを出て高速道路に入って間もなく工芸品の店へ連れて行かれたが、今回は鍼灸や脈を診る所へ連れて行かれた。ツアーの皆さんはイギリスやアメリカ人だったので、医師に英語の通訳が付いていた。レディーファーストで女性が先に行った。脈を取ったかと思うと直ぐに何処が悪いかを伝えていた。そして漢方の高い薬を買わされるのである。私も見てもらったが脈を見るだけで、私にも色んな事を言っていた。始め英語だったので分かり難かったが、中国語を話されて90%理解できた。最後には高い薬の処方箋を書いてくれたが、それは買わなかった。
2006.01.13
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居庸関雲台跡で元代1345年に建てられラマ教(チベット仏教)の白石塔が建っていたとの事であるが、元末明初に破壊されてその台のみ残っていた。その記念碑を見て、今登ってきた男坂の方を向いてその全景を画像に収めた。居庸関の関所の跡を画像に収め、右側は畳翠閣で中は翡翠などの工芸品のみやげ物屋さんになっていた。そして待ち合わせ場所に行ったら同じツアー客のイギリスやアメリカ人が先に待っていてお互いに写真撮影をしていた。私に気付くと「ハーイ!ジャパニーズ」と声を掛けて下さった。彼らはとにかく元気だ!
2006.01.12
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万里の長城8石の階段を一歩一歩登りつめながら、耐えられなくなると他の人がそうするように、息を切らせ休憩をする。私の場合はその休憩の間に写真撮影がある。あまり息を切らせ辛いときはカメラを出すのも嫌になるが、自然と手がカメラに言ってしまう。父が日本では有名な会社の社内報の編集者で、俳句やコラムを書いたり、校正や写真の撮影の仕事をしていて晩年はフリーのカメラマンとして活動し、私は小学校から父の暗室へ出入りし、現像液につけたあと画像が浮き出てくる感動をまだ新鮮な思い出として時々思い出す。やはり好きなのだろう。
2006.01.11
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万里の長城311年前香港で航空チケットを購入し北京まで来て、西直門のバスターミナルまで行き、そこから八達嶺長城まで行ったが、万里の長城でも今回は居庸関長城へ来た。ここは居庸関長城の関所跡で切り立った峰をぬって造営された難攻不落の九塞のひとつ(紀元前5世紀)画像はその頃の兵士の像と武器のモニュメント。
2006.01.10
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北京の漆工芸14石を削って作る印鑑のことを篆刻(zhuang4ke4)という。中国では銀行の通帳でさえ日本のような印鑑は必要ない。その他殆どの文書はサインで済む。しかし、警察(中国公安)ではサインだけでは駄目で、拇印が必要になる。この画像のような篆刻(てんこく)は中国何処でも観光地に行けばお目にかかれる。そして早ければ30分ほどで彫って下さる。いつも書道の最後の印のためにほしいなとは思うけれども、実際にその場に遭遇すると時間がないのが現実である。
2006.01.09
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北京の漆工芸9作品群を描いている横の台には、油絵を描くのに必要な道具が所狭しと置いてあった。画像には写ってないが絵の具も15cm×3cmの大きなチューブが置いてあり、その横にパレットナイフ、パレット、ペインティングオイル、油つぼなど、また必要な色をオイルに溶かし茶碗に入れてあった。そして手にはペインティングナイフを持ったその目は真剣である。ふとそこに学生時代の私を思い出した。絵が好きで油絵も良くやった。そして下は万里長城の力強いタッチ。
2006.01.08
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北京の漆工芸4仏像の見分け方になると、これまたさっぱり分からない。画像の仏像は菩薩なのだろうか?今まで菩薩は女性だとばかり思っていたが、元々男性という事。仏教発祥の地インドでは菩薩には立派な髭がある。仏教伝来の途中に慈悲ある菩薩の顔は段々優しくなり、日本へ伝来し変化して行ったのだろうか?この菩薩像も高額な値段が付いていたが、何となく分かるような気もする。しかし、私には全く必要ない。なぜならば信仰とは心内面の問題だからであると信じているからである。そしてこの菩薩は観音菩薩なのかとも思ったりもしたが分からない。
2006.01.07
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北京の特産品は堆朱、玉器、七宝焼(景泰藍)、象牙彫りが北京で最も有名な四大工芸品で、堆朱とは、伝統的な漆工芸の一つで、黒、黄、緑など色の異なる漆を幾重にも塗り重ねることによって、その積層断面の美しさを表現するもので起源は唐代。日本には、14世紀の中頃に伝えられたとのこと。画像のオスとメスの獅子は中国では有名で、上海豫園などでも各文化財の入口門に大きいものから小さいものまで色々と置かれている。そしてこの北京の店の全景を画像に収めた。一番前の長刀を持った武将は三国志の関羽である。
2006.01.06
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「中国語の勉強」の「新年好」より抜粋私は12月22日から29日の1週間ずっと風邪で熱を出していました。しかも、30日から熱はますますひどくなっていった。終には風邪がよくならないために、ゆえ12月31日から1月1日まで入院した。去年からインターネットのブログ作成に度が過ぎ、身体を酷使しすぎた。その結果、身体が耐えられなくなり病院で点滴を打った。今年の私の目標は「身体の健康」皆さん、どうぞよろしくお願い致します。上記の内容の如く、今年は更に希望を持ち健康に留意したい。そして希望と健康を書くため筆を取った。今回中国人の管理者にお世話になりましたと縦150cm横60cmの宣紙(安徽省宣城で産する紙)に希望と大きく書き、表装したものをプレゼントした。この画像の額はベット両脇のスタンド台に置いてある。
2006.01.05
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上海北京直行便3今回上海北京夜行寝台特急にしたのは、列車を降りてより地下鉄に乗り、市内の自分で予約したホテルに着くのが便利であるからであった。そして、地下鉄の階段の上り下り以外は快適であった。しかし、10年前に乗った地下鉄の感じと今では、何となく10年の歴史を感じさせるが如く、古めかしく感じた。それは上海の地下鉄に慣れてしまっているからかもと思いながらチケットを購入した。
2006.01.05
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上海北京直行便1上海北京直行便。夜7時発車し翌朝7時に北京火車站に着く。寝ている間に北京に着くと言う事ではあるが、乗り合わせたお客が静かであれば、旅行への思いを馳せながらという情緒旅情も味わえるが、夜中遅くまでがやがやとか新聞を読んで新聞紙を何度も翻す音が耳につくと悲惨な列車の旅行になってしまう。夜行寝台列車軟座の方は、食事が付いている。付いていると言っても画像のような何とも味気ない食事。良くこの列車を利用する中国の人は事前に手作りの弁当を作ってきている人も有ればフライドチキンを購入して来ている人様々。私は仕方なく画像の弁当を食べた。上海発北京行き特急列車は間もなく発車する。
2006.01.04
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中国の列車では各車両の車掌さんがお客様を出迎えてくれます。外で出迎えるのはチケットの確認のためだが重要な仕事である。そして夕食の各部屋への配達と、朝食の注文を各部屋毎にお聞きして回ったりと至れり尽くせりでした。日本のその昔はこのような光景はあったのだろうか?また中国の列車で軟座(特急)の場合も同じように車掌(女性)が出迎え、お客様へお絞りから飲み物まで全てを遣りこなし次の駅(站)が近づく頃に、制服に着替えてお客様を出迎える。今の日本ではとても考えられない事だが、ここ中国では行われている。でも人件費が高騰すればとも思うが人口13億の中国、今世界から注目されている。
2006.01.03
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