全31件 (31件中 1-31件目)
1

源氏物語〔34帖 若菜 123〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。夫人が、姫君もあなたを愛しているし、院も尼君を生かしておきたいと思っていると言うと、尼君は急に笑顔になり、自分たちの運命は常識では考えられない珍しいものだと喜ぶ。明石は手紙の入った沈の木箱を女房に持たせ、姫君の元へ届ける。東宮から早く参るようにとの催促がある。紫夫人も、若宮様がいらっしゃるのだから当然と言い、院は若宮を東宮へ上らせる準備を進める。桐壼の方は、退出の許しを得にくかった過去を思い、今しばらく実家にいるようにしたい気持ちでいる。女王を経て小さい身体で大難を乗り越えたため、少し顔が痩せ細り、艶やかな姿になっていた。明石夫人は、まだ少し養生したほうがよい」と姫君の健康を気遣い、院は「細られた姿を見せるのもよい結果につながる」と述べる。明石は紫の女王たちが帰った夕方、姫君のそばで手紙入りの沈の木箱を見せ、入道のことを語る。すべての事が成るまでは見せない方がよいかもしれない。
2026.01.31
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 122〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。その後も父との愛情ある生活に満足して年月を送った。しかし、入道の境遇が急に変わったことで、自分も父と同じく世を去ることになり、父と遠く隔たったまま別れることになった寂しさを深く感じる。若いころの入道は常識的な処世術をとらず風変わりな人物だった。二人の間には深い信頼関係があった。姫君は、どうして父がこの世にいながら逢えない場所へ行ってしまったのかと悲しむ。夫人も同じく泣きながら、私に将来の価値などないのだから、父に会えずにいる悲しみを代えられるものなどない。しかし、私たちは幸福な姫君を生かすために、悲しみを背負わされているのだと語る。さらに夫人は、入道が山に入ってしまうと、無常の世の中で知らぬ間に隠れてしまうことになり、姫君に影響を及ぼすのは悲しいとして、自分も自由に動けないことを述べる。そして、夜明けに南の町へ戻るのだ。姫君にとっては、父や周囲の人々の愛情や配慮が、自分の運命に大きな影響を及ぼしてきたことを実感する。
2026.01.30
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 121〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。他人にとっては些細なことでも、子としては忘れがたい思い出となる。常に恋しく思い続けた父が、こうして永遠に去ってしまったのかと感じると、深い悲しみに打ちひしがれるしかなかった。姫君と尼君が、入道として出家した父との関係や過去の思い出を深く振り返っていた。その感情を吐露している場面が描かれている。姫君は、かつて父の夢を頼りにして、自分に不相応な未来を期待され、普通の幸福を許されずに苦しめられたことを恨んだ自分の気持ちを、ようやく理解できるようになった。父は一つの夢をもとに自分を導こうとした存在であった。それゆえに当時の自分が感じた不満も、父への信頼に裏打ちされたものであったと気づいた。少し時間が経つと尼君は、父の存在によって自分は光栄な経験を得たが、同時に父のためにどれほど心を砕いたかを振り返り、涙ながらに語る。幼いころに京を捨て田舎に移ったときも不運だと思った。
2026.01.29
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 120〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。山の麓まで弟子たちがお見送りに行ったが、入道は一人の僧と少年一人だけを連れて向かい、他の者は帰された。出家されたとき悲しみは終わったと思ったが、それだけでは済まなかった。以前から仏勤めの合間に楽になさったときに使っていた琴や琵琶を送らせ、仏前で演奏したあとに御堂へ寄進された。そのほかの物も御堂へ寄付し、余りは弟子六十数人に分け与え、残りは京の財産へと清算された。そして深山の雲霞に紛れて姿を消された。弟子たちもどれほど悲しんだか想像に難くない」と語った。この僧でさえも主を失った悲しみから立ち直れなかったのだから、尼君の悲嘆は言うまでもなく深い。並大抵のものではなかく、明石夫人も通常は南の町へばかり行っていたが、尼君から入道の手紙が届いたことを聞き、そっと北の町へ戻った。夫人は自重して軽々しく行動せず、悲しい知らせを聞いたために忍びやかに出て来たのである。燈を近くに寄せ、手紙を読むと、夫人自身も止められない涙が流れた。
2026.01.28
コメント(20)

源氏物語〔34帖 若菜 119〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。さらに伝えておくと、私の命が尽きる日を知る必要はない。古い習慣で親のために喪服を着ることもあなたはしなくてよい。私のことは忘れ、人としての功徳を積むことに専念すればよい。この世の楽しみを味わうときも、後世のことを忘れずに生きなさい。私が往く世界におれば、必ずまたあなたと再会できる。娑婆のかなたの岸でも、再会の時は必ず訪れると心に思いながら生きるのだ。この話の結末では、入道は長年の思いを込めた手紙を尼君に残し、同時に住吉社に奉納した多くの願文を収めた沈の木の箱も添えていた。手紙の内容は簡潔で、細かいことは何も書かれておらず、ただこの月の十四日に今までの家を離れた。つまらぬ自分の身を熊狼に委ねる。あなたはなお生きて、花の美しい日に会いなさい。光明の世界でまた会おうとだけ記されていた。尼君がこの手紙を読んだ後、使いの僧に入道の動向を尋ねると、僧は「手紙を書かれてから三日後、入道は奥山に庵を結んで移った。
2026.01.27
コメント(20)

源氏物語〔34帖 若菜 118〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。さらに伝えておくと、私の命が尽きる日を知る必要はない。古い習慣で親のために喪服を着ることもあなたはしなくてよい。私のことは忘れ、人としての功徳を積むことに専念すればよい。この世の楽しみを味わうときも、後世のことを忘れずに生きなさい。私が往く世界におれば、必ずまたあなたと再会できる。娑婆のかなたの岸でも、再会の時は必ず訪れると心に思いながら生きるのだ。この話の結末では、入道は長年の思いを込めた手紙を尼君に残し、同時に住吉社に奉納した多くの願文を収めた沈の木の箱も添えていた。手紙の内容は簡潔で、細かいことは何も書かれておらず、ただこの月の十四日に今までの家を離れた。つまらぬ自分の身を熊狼に委ねる。あなたはなお生きて、花の美しい日に会いなさい。光明の世界でまた会おうとだけ記されていた。尼君がこの手紙を読んだ後、使いの僧に入道の動向を尋ねると、僧は「手紙を書かれてから三日後、入道は奥山に庵を結んで移った。
2026.01.26
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 117〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。さらに伝えておくと、私の命が尽きる日を知る必要はない。古い習慣で親のために喪服を着ることもあなたはしなくてよい。私のことは忘れ、人としての功徳を積むことに専念すればよい。この世の楽しみを味わうときも、後世のことを忘れずに生きなさい。私が往く世界におれば、必ずまたあなたと再会できる。娑婆のかなたの岸でも、再会の時は必ず訪れると心に思いながら生きるのだ。この話の結末では、入道は長年の思いを込めた手紙を尼君に残し、同時に住吉社に奉納した多くの願文を収めた沈の木の箱も添えていた。手紙の内容は簡潔で、細かいことは何も書かれておらず、ただこの月の十四日に今までの家を離れた。つまらぬ自分の身を熊狼に委ねる。あなたはなお生きて、花の美しい日に会いなさい。光明の世界でまた会おうとだけ記されていた。尼君がこの手紙を読んだ後、使いの僧に入道の動向を尋ねると、僧は「手紙を書かれてから三日後、入道は奥山に庵を結んで移った。
2026.01.25
コメント(19)

源氏物語〔34帖 若菜 116〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。この数年間、私はあなたと同じ世にいながら、まるですでに他の世界で生きているかのような心持ちで、何もせず、便りを受け取ろうともせずに過ごしていた。仮名書きの文を読むのには目が疲れ、念仏も疎かになるため無益だと考えたからである。こちらからも便りを送らなかった。その間にあなたは東宮の後宮に入り、男の子をお生みになったと聞き、私は心から喜んだ。それは、ただの名利や欲望からではなく、過去の私は恩愛の念から離れられず、勤行をしながらも仏に願うことはあなたのことばかりで、自身の浄土往生は後回しにしていたからである。振り返れば、あなたが生まれる年の二月のある夜、夢の中で私は須弥山を右手に掲げ、その左右から月と日の光が射して山を照らしている光景を見た。私は山を広い海の上に浮かべ、小さな船に乗って西に向かって進み、夢は終わった。この夢を見て以降、心にある自信が生まれた。
2026.01.24
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 115〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。紫夫人も、これまで僭越な競争者と見ていた明石夫人に好意を持ち、若宮を愛する気持ちを通じて友情を育むようになった。女王は子供好きで、天児の人形を縫うなどして若々しく見えた。日夜、若宮の世話に心を尽くす紫夫人に対し、老尼である明石夫人は十分に拝見できないでいた。そのことを残念に思ったが、かえって幸いでもあった。もし長くそばで愛でる時間があれば、尼は恋しさのあまり命を縮めたかもしれないからである。明石の入道も姫君の出産を知って喜び、人間離れした心で満足し、弟子たちに、「これで心を世の外に置くことができる」と語った。入道は明石の邸宅を寺に変え、近くの領地も寺領にし、深い山の奥に最後の隠れ場所を設けた。世にまだ不安な点が残る中、入道はそこへ移らず、今後の子孫の運命は仏神に委ねるとして京に留まり、使いが来た時だけ短い便りを尼君に送った。入道が明石を離れる際、娘の明石夫人に手紙を書いた。
2026.01.23
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 114〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。幼い宮を珍しくかわいがる様子が見えた。明石夫人は本当の祖母として、養祖母に任せて産湯の準備に専念していた。お湯を使う役は典侍が担当し、明石夫人がそれを行うのは気の毒であったが、東宮付きの女房たちはその高貴な姿に畏敬の念を抱き、未来の天子の外祖母として生まれた人に違いないと思った。出産から六日目に桐壼の方は南の町の御殿へ移り、七日夜には宮中からのお産養が届いた。朱雀院が世捨て人となったため、その代わりに宮中から派遣されたものだった。祝宴の管理や纏頭の品々も中宮の意志で用意され、親王たちや大臣家から華やかな祝い品が続々と届くお産屋となった。院は若宮を抱き、「大将が今まで見せなかった子の中で、こんなかわいい方が授かるとは」と愛情を注いだ。若宮は日ごとに大きくなり、乳母はこれまでの六条院の女房の中から身柄も性格もよい人を選び世話をさせた。明石夫人は聡明で気高く、必要以上に表に出ず、卑下することを忘れない態度で評判が良かった。
2026.01.22
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 113〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。風で外から見えますし、医者のような恰好でそばにいるのは恥ずかしいと軽く注意した。尼君自身は上品に行動しているつもりだが、耳も遠くなり、娘の言葉も「まあいいよと適当にしか聞けない状態だった。尼君は六十五、六歳で、しゃんとした尼姿で上品ではあったが、目は赤く泣きはらしていた。その様子を見て桐壺の方は、昔の源氏の君が明石の浜を去った頃のことを思い出し、はっとした。三月の十日あたり、桐壼の方は無事に男の子を出産した。それまでは安産を願って多くの祈祷が神仏に捧げられていたが、たいした苦しみもなく元気な男児が生まれ、院も安心して喜んだ。もともと出産の間は蔭のような場所で行われており、風流な座敷が並ぶ建物では産養の儀式には不便だったため、南の町に産屋を移す計画が立てられた。紫の女王も出てきて、白い服をまとい母として若宮を抱く姫君はかわいらしく映った。紫夫人は自身に経験がなく、他の女性の出産にも立ち会ったことがなかった。
2026.01.21
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 112〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。桐壺の方は自分の身の上が決して欠け目ないものではなかったことを思い返した。養母である夫人の愛に磨かれ、院の娘として尊敬を受ける立場にまでなった自分が、かつて東宮の後宮で他人を劣ったもののように見ていたのは過失だったと反省した。実母が少し低い家の出であることは知っていたが、遠い田舎の家で生まれたとは考えもしなかった。育ち過ぎたために知らなかったことも不思議に思えた。さらに、祖父である入道が仙人のような生活をしている現状も、若い心には悲しいことだった。姫君がいろいろな思いを胸に抱き、寂しげな顔をしているところに明石夫人がやってきた。昼の加持のため、あちらこちらから手伝いの者や僧侶が来て騒がしくしていたが、姫君のそばには尼君だけが得意げに座っていた。明石夫人は、体裁が悪いですよ。短い几帳で体を隠していればいいのにと語った。
2026.01.20
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 111〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。明石夫人は桐壼の方が平穏に出産できるかを自身の運命とも信じ、熱心に看護を続けた。老尼である明石入道の尼夫人も、長年姫君に付き添える幸せを感じながら、出産にまつわる昔話を涙まじりに語り、姫君に過去の事情を伝えた。姫君は最初、尼君を無気味な老婆だと思っていた。ただ顔を見つめるだけで距離を置いていた。しかし、実母から「そういう母親もいた」という話を思い出してから、好意を持つようになった。尼君は明石での姫君の誕生や、院が海岸に移ってきた頃の様子を語り、涙を流しながらこのように言った。「京へ戻ったとき、一家の者は縁が切れてしまうと悲しんだが、お姫様が暗い運命から救ってくれたのでありがたい」と。姫君はその話を聞いて泣き、自分がもし尼君の話を聞かなければ、真実を知らずにただ疑いだけで終わっていたかもしれないと思った。
2026.01.19
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 110〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。幸運に恵まれていることは、母である夫人と伊勢の御息所双方の誇りと努力が実を結んだ証拠であり、院の大きな愛のもとで二人が立派に育ったことが思い起こされた。大将から院に奉った衣服類は花散里夫人が作り、纏頭の品は三条の若夫人の手によるもので、華やかな催しに参加する者たちに喜びと誇りが分け与えられた。新年になると、六条院では淑景舎の方の出産が近づいたため元日から不断の読経が始められ、諸社寺でも数えきれない祈祷が行われた。院は、かつて葵の上が出産後に亡くなったことから出産の恐ろしさを理解し、少女の身体である桐壼の方が無事に生むことを心配していた。二月になると寝つくほどに苦しむ様子もあり、院も女王も不安を隠せなかった。陰陽師たちの進言により、病室は院外の明石夫人の北の町の対の屋に移され、そこには大きな対の屋二つと廊座敷が幾つもあり、祈祷壇も多数設けられた。評判の良い僧侶たちも集められて祈祷が行われた。
2026.01.18
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 109〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。琵琶は兵部卿の宮、院は琴、太政大臣は和琴を奏で、各々の名手が音を響かせた。 六条院では和琴の妙音を久しく聞いていなかった院が、席上で奏でられる和琴の音色に深く感動していた。自らも琴を熱心に弾いていた院は、普段は聞けないような絶妙の音を耳にしてた。昔の話や子息の縁組などで親族関係がさらに深まった二人と酒を重ね、楽しさの頂点に達して酔い泣きするほどだった。贈り物としては、名器の和琴一面と大臣の好む高麗笛、さらに紫檀の箱に唐本や草書の書を入れて、大臣の車に積ませ、馬が受け取ると右馬寮の者が高麗楽を奏した。六衛府の官人には纏頭の品が大将から渡され、質素ながらも自然な華やかさが漂い、宮中や東宮、朱雀院、后宮との関係の深さから六条院はこの際に最も光る家として際立っていた。院は男子が大将ひとりであることに寂しさを覚えたが、その大将が器量よく君主の寵愛を受けた。
2026.01.17
コメント(19)

源氏物語〔34帖 若菜 108〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。聖旨を受けて最高の技術者に製作させ、太政大臣自身も式の場に臨んだ。院はその心遣いに驚きと恐縮を覚えつつ座に着いた。院の席に向かい合う形で太政大臣の座があり、その姿はきれいで堂々と肥え、位人臣の貫禄が感じられる男盛りであった。院はまだ若い源氏の君とともに出席していた。室内の四つの屏風には帝の御筆が貼られており、薄地の支那綾に高雅な下絵が描かれていて、四季の彩色絵よりも立派に見えた。帝の字は光輝くほど美しく、院はその美しさに目を奪われた。室内の置き物や弾き物、吹き物の楽器は蔵人所から供えられた。右大将の勢力も強大であったため、今日の式の華やかさは際立って見えた。左馬寮、右馬寮、六衛府の官人たちにより四十匹の馬が引かれて出され、贈り物の豪華さも目を見張るものであった。夜になり、万歳楽や賀皇恩など形式的な舞が行われたあと、宴の音楽の場が開かれた。太政大臣という音楽の達者も臨場し、誰もがその場の興奮を感じていた。
2026.01.16
コメント(27)

源氏物語〔34帖 若菜 107〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。帝は六条院への好意を表すために予定されていた賀宴を、やむなく中止せざるを得なかった代わりに、そのころ病気で右大将を辞した者の後任として中納言を急に抜擢した。院はその恩に対して礼を述べたが、「突然の御恩命はあまりに過分で、若い彼が職務に耐えられるかどうか疑問です」という謙遜の言葉だった。帝は、右大将を表面的な主催者として、六条院の四十歳の賀の最後の宴を北東の町にある花散里夫人の住居で行わせた。院は派手になることを避けようとしたが、宮中からの内命により行われるこの賀宴は、すべて正式に整えられ、略したところのない立派なものとなった。宴の料理の準備などはいくつか内廷からの手配で行われ、屯食の用意は頭中将の指図で進められた。参列者は親王五人、左右大臣、大納言二人、中納言三人、参議五人、さらに御所の殿上役人、東宮、院の殿上人もほとんどが集まった。院の席やその室に備えられた道具類は、太政大臣が製作させた。
2026.01.15
コメント(19)

源氏物語〔34帖 若菜 106〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。養父の院から深い愛を受けながら、恩返しができなかった自分の思いとともに、前皇太子や母御息所が感謝する志を表そうとしたが、宮中から賀の沙汰を院が辞退された後であったため、大仰なことは避けられた。六条院は、四十の賀は先例から考えると、賀の後長く生きられる人は少ないと語った。今回は内輪のことにして、次回の賀でお志を受けよう」と考え、半公式ながらも派手な賀宴となった。賀宴は六条院の中宮の寝殿で行われ、過去の賀と変わらぬ行き届いた準備がなされていた。高官への纏頭や親王たちへの女装束、非参議の四位・殿上役人への白い細長衣、その他下位の者には巻き絹が下された。院のために整えられた御衣服は華美で見事であり、それに加えて国宝級の石帯や御剣も奉られた。この二品は院の父である前皇太子の遺品であり、院は大いに喜んだ。こうして古い時代の名器や美術品が集まったような賀宴となり、昔の物語で描かれる贈り物の華やかさや善事を思わせる場となった。
2026.01.14
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 105〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。席上では音楽が始まり、夜の宴は非常に趣深く面白いものになった。楽器は東宮から差し出され、朱雀院から譲られた琵琶や帝から賜った十三弦の琴などが演奏され、六条院にとって馴染み深い音色が響いた。その音は院に昔の宮廷や懐かしい夢の記憶を呼び起こさせた。もし入道の宮がこの場においでになれば、自分が四十歳の賀を主催して行ったであろうと院は思い返した。しかし今となっては、かつてのように何かを志して見せることは不可能であり、院は深く歎息した。女院を失ったことは、院にとって特別な光を失ったことに等しく、帝もまた寂しく感じていた。帝はせめて六条院だけを最高の地位に置きたいと思われたが、六条院から冗費は国家のため慎むべきとの進言があり、その望みも叶わず、心残りに思われた。十二月二十日過ぎ、中宮が宮中から退出し、六条院の四十歳の残り日を祝う祈祷のため、奈良の七大寺に布四千反を供え、京の四十寺にも絹四百疋を布施した。
2026.01.13
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 104〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。日暮れには高麗楽の乱声があり、さらに落蹲の舞も行われた。終盤、権中納言と右衛門督が短い舞を披露したあと、紅葉の中に姿を消すと、観客たちは興味深く見守った。昔の朱雀院の行幸で青海波の舞が絶妙だったことを覚えている人々は、源氏の君や当時の頭中将のように、若い二人の高官が優れた後継者だった。優れた後継者が現れたことに感嘆した。世間からの尊敬も厚く、見た目の美しさや官位の高さも、父たちの世代に勝るとも劣らず、前世からの善果がある家の子息であると祝福された。六条院自身も、そうした光景を見て涙ぐみ、深い追憶に心を動かされた。夜になり、楽人たちが退場すると、紫の上に仕える家職の長が下役たちを率いて現れ、纏頭品の箱から一つずつ取り出して皆に分けた。白い纏頭の服を肩にかけて山ぎわから池の岸へ進む人々の列は、遠目にはまるで鶴の列のように見えた。
2026.01.12
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 103〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。宴のために整理され、殿上の役人や五位以上の官人、院に仕える人々の接待所として使われた。寝殿の離れ座敷が式場となり、院用の螺鈿の椅子も設置されていた。西の座敷には衣装の卓が十二卓並べられ、夏冬の服や夜着が積まれており、その上に紫の綾で覆いがされていた。中身が見えないのも趣深かった。椅子の前には置き物の卓が二つあり、支那の羅布の覆いがかけられ、挿頭の台は沈の木に蒔絵で金の鳥が銀の枝に止まる華やかなものだった。これは桐壺の方が手配し、明石の手で仕上げられたため、非常に高雅であった。御座の後ろの四つの屏風は式部卿の宮が担当し、四季の風景が描かれていて、泉や滝の表現に新鮮な趣があった。北側の壁沿いには棚が二つ置かれ、小物が整然と並んでいた。南側の座敷には高官や大臣、式部卿の宮、親王たちが座った。舞台の左右には奏楽者の天幕が設置され、庭の西東には料理の箱詰め八十、纏頭用の唐櫃四十が並んだ。午後二時、楽人たちが登場し、万歳楽や皇じょうの舞が披露された。
2026.01.11
コメント(28)

源氏物語〔34帖 若菜 102〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。十月になると、紫の上は院の四十歳の賀として嵯峨の御堂で薬師仏の供養を行った。本来なら盛大になりすぎるのを院が嫌ったので、派手な準備は控えたが、それでも仏像や経巻、経箱の立派さは極楽を思わせるほどであった。最勝王経、金剛般若経、寿命経といった経典が読まれ、祝福の雰囲気に満ちていた。多くの高官たちが参列し、嵯峨野の秋の景色を眺めるために集まった者も少なくなかった。その日、霜に枯れた原野を行き交う馬や牛車の列は尽きることなく続いた。夫人たちからも誦経の申し込みが多くあり、供養は二十三日まで続いた。そして最終日には、六条院があまりに多くの夫人や子女で溢れて窮屈になっていた。そのため、紫の上が自分の家のように感じている二条院で賀の饗宴を開くことになった。賀の席では、院が着る服や当日の準備に関することはすべて紫の上が取り仕切っていた。しかし花散里や明石の夫人たちも手伝いたいと言い、分担して動いた。二条の院の対の屋は、女房たちの部屋としても使わせていた。
2026.01.10
コメント(16)

源氏物語〔34帖 若菜 101〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。自分は賢くないのでなかなか十分なことはできない、と控えめに答えながら、実の姉が幼い妹に接するような態度で、宮の興味をひきそうな絵の話や、雛遊びは大人になってもやめられないものだというような軽い冗談まで語った。その若々しく柔らかな雰囲気を女三の宮は好ましく感じていた。院が言っていた通り優しい人だと素直に思い、心を開いていった。それ以来、二人の間には手紙のやりとりが始まり、やがて自然に友情が育っていった。書簡の中で遊び心のあるやりとりも交わされるようになった。世間の人々はそうした六条院の内情を面白がって噂した。対の御方(紫の上)は、もう昔ほど院に愛されなくなるに違いない。新しい妻に心を奪われているだろうと言う者もいたが、実際には紫の上への愛情はいっそう深まり、それに加えて宮にも同情を寄せる院の姿が見えたので、結局は紫の上と女三の宮の間も仲睦まじくなり、噂する隙もなくなっていった。
2026.01.09
コメント(27)

源氏物語〔34帖 若菜 100〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。宮の母と自分との血の縁を語ろうとし、中納言の乳母を呼び寄せて話を始めた。紫の上は女三の宮に向かって、自分の父と宮の母は兄妹にあたるので、実は血縁があるのだと語った。だからこそ親しくしてほしいと思っていたのに、これまで機会がなく言い出せなかった。これからは遠慮せずに自分たちの居る方へ遊びに来てくれればうれしいし、もし至らない点があれば注意してほしい、と姉のような優しい気持ちを込めて話した。すると中納言の乳母が口を添えて、女三の宮は母を早くに亡くし、父である帝も出家してしまったから、今は一人きりで心細く暮らしている。だから紫の上のような人に親しく声をかけてもらえることは何よりの喜びだろうし、法皇も宮が紫の上を信頼して頼っていけるよう願っているのだと聞いている、と語った。紫の上は、それを受けて、以前に宮から丁寧な手紙をもらった時からどうにか力になりたいと思っていた。
2026.01.08
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 99〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。「水鳥の青羽は色も変わらぬを萩の下こそけしきことなれ」と添え書きをした。紫の上の心にある寂しさや嫉妬は、歌の端々に表れるが、それを表立って訴えることなく抑えている。その健気さに院は感謝の気持ちを抱いた。ちょうどその夜は、どちらの妻のもとにも泊まらなかった。ゆえに、気楽な時であったので、院はふと思い立ち、朧月夜の君がいる二条邸へ密かに出かけていった。いけないことだとわかっていても、抑えきれない衝動があった。一方で、東宮の淑景舎にいる女御(桐壺の女御)は、実の母よりも紫の上を慕っていた。紫の上も、美しく成長した継娘を心から愛し、実の娘と変わらぬ情を注いでいた。久しぶりに語り合ったあと、中の戸を開けて女三の宮の居所に入り、初めて顔を合わせた。まだあどけなく、ただ少女らしく見える女三の宮に紫の上は好感を持ち、年長者らしく保護者めいた言葉をかけた。
2026.01.07
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 98〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院は自室に戻り、女三の宮や桐壺の女御を見た後、それぞれに異なる美しさに目を楽しませていたが、長年見慣れた紫の上には刺激が薄いかもしれない、と一瞬は思われた。しかし改めて向き合った時、やはり第一の美人は紫の上であると強く感じた。気高さと品格に満ち、明るく愛嬌があり、艶やかさの盛りを迎えていた。年を経るごとに、昨日より今日が新鮮に美しく見え、飽くことのない存在であった。どうしてこのように欠点なく生まれた人がいるのだろうと、院は感嘆した。紫の上が書いた手習いの紙を硯の下に隠していたのを、院が見つけ出して読んだ。専門家のように巧みな筆跡ではなかったが、女性らしい美がにじみ出ていた。そこには、「身に近く秋や来ぬらん見るままに青葉の山もうつろひにけり」と記されており、院は目を留めた。
2026.01.06
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 97〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。紫の上は、女三の宮があまりにも幼く無邪気で子どもっぽいところを見てしまい、もし自分がそういう姿を知ってしまったことを彼女が気づいたら、さぞ恥ずかしいだろうと感じていた。しかし同時に、夫である院が望むことを止めるのもよくないと思い、受け入れる気持ちになった。紫の上自身は、内親王である夫の新しい妻のところへ伺候する身になった自分を哀れに感じていた。二十年もの間、共に暮らし支えてきたのに、六条院に自分よりも上位に立つ夫人が存在するはずはなかった。しかし、少女の頃から養われてきた自分は軽んじられてよい存在とみなされていた。院は高貴な身分の姫を新妻として迎えたのだろうと思うと、胸が痛んだ。手習いで歌を書くと、自然と棄てられた妻の歌や、夫に冷遇される女の嘆きの歌ばかりが筆にのぼり、自分でも驚くほどそのような思いを抱いていることに気づくのだった。
2026.01.05
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 96〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。今回なら自然に見えるでしょうと言うと、院は笑みを浮かべて、よいことです。まだ幼いのですから、いろいろと教えてあげるといいですよと答えた。宮と直接会うより、聡明で世慣れた明石の君に会うことを紫の上は喜びとし、髪を洗い念入りに装いを整えた女王の美しさは、この時にふさわしく際立った。院はさらに宮のもとへ行き、「今日の夕方、対の方にいる人が淑景舎へ伺うついでに、こちらにも立ち寄りたいと言っています。あなたとも親しくなりたいようですから、話をしてごらんなさい。気立てもよく、若々しくて、遊び相手にもなるでしょう」と語った。宮は「恥ずかしいことです。どうお話をすればよいのでしょうとおっとり答える。院は、返事は相手の話に応じて出てくるものです。ただ、好意を持って会うことが大切ですよ」と細やかに教え諭した。院は、自分の妻たちの間が穏やかであるようにと願いながら、二人の縁が自然に開かれていくことを祈っていたのである。
2026.01.04
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 95〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。桐壺の女御は東宮に入内してから、退出をなかなか許してもらえなかった。そのため、まだ若く姫君の頃の自由に慣れていた心には、思うように動けない生活が苦しく感じられていた。やがて夏になると体調もすぐれず、ますます帰りたい気持ちが募ったが、それでも東宮は許さない。実は桐壺の女御は妊娠していて、まだ十四、五歳という幼さでの兆候だったから、周囲の人々は危ぶみ、不安を募らせた。ようやく帰ることが認められ、六条院へ戻ることになった。住まいは女三の宮がいる寝殿の東側にある座敷で、一時の仮の住居が整えられた。母である明石の君も共に帰邸した。光る未来のある桐壺の女御に寄り添い、進退をともにできる母は、幸運に恵まれた人と見られた。紫の上は桐壺の女御のもとへ行こうとしながら、院に向かってこう言った。この機会に中の戸を通って女三の宮にも挨拶をしましょう。以前からそう思っていましたけれど、わざわざ伺うのは気がひけていました。
2026.01.03
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 94〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。尚侍との情事は決して明かせるものではなかったが、事情をよく知る紫の上には隠し通せず、物越しに逢っただけでは心残りだ、人目をうまくごまかしてもう一度だけ会いたいとほのめかした。紫の上は笑いながら「若返りばかりなさるのね、昔の恋を今に重ねれば私の影は薄くなるばかり」と言った。が、言いつつも涙をにじませ、その姿がいっそう源氏の胸を打った。彼は、あなたがそんなふうに寂しそうだから私の心は苦しくなる、もっときつく当たって懲らしめてくれてもよいのに、どうしてそんな水くさい態度をとるようになったのかと言い、機嫌を取るうちに前夜の真相も打ち明けてしまった。その日は姫宮のもとへ行かずに紫の上をなだめることに終日を費やした。姫宮本人は気にする様子もなかったが、乳母たちは面白くなく思って不満を口にしていた。もし姫宮に嫉妬心があれば源氏はさらに苦しい立場に追い込まれたであろうが、おっとりした少女のような宮であったため、源氏は人形を扱うように気楽に接することができた。
2026.01.02
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 93〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。源氏自身も人目を恐れ、昇る朝日に急かされる思いを抱きながら、供の者がひそかに促す声を聞いて庭の藤の花を一枝折らせ、「沈んでも忘れられないのだから、また身を投げてでもこの藤の波に寄り添ってしまいそうだ」と歌い、悩ましげに戸口に寄りかかる源氏の姿を見て中納言は心苦しく思った。尚侍は、再び結ばれた関係を恥じて乱れた心を抱えながらも、やはり抑えきれない恋しさを自覚し、「身を投げる淵が真実の淵でなければ、もう懲りずに波に身を任せることはしません」と応じ、源氏は青年のような振る舞いを自ら恥じながらも、なお女の情熱が冷めていないことに喜びを覚え、次の再会を強く約してその場を去った。自邸に戻った源氏は、女のもとから忍んで帰る自分の姿を妻が気づかぬはずもないと察しつつ、あえて平静を装う夫人の態度にかえって胸を痛め、なぜこうまで冷淡にさせてしまったのかと歎息し、これまで以上の熱情を込めて、変わらぬ愛を尽くして語った。
2026.01.01
コメント(22)
全31件 (31件中 1-31件目)
1

