全30件 (30件中 1-30件目)
1

源氏物語〔34帖 若菜 213〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。女御は自分のことを好意的に受け取ってくれているだろうと信じているとも言った。かつてはねたましく感じていた明石夫人のことさえ、このように寛大な心で受け止められるようになったのは、女御への愛情がそれほど深いからなのだろうと院は感じ、うれしく思った。最後に院は、あなたには恨む心もあるが、それ以上に思いやりがあるから自分を困らせることがない、多くの女性の中であなたに並ぶ人は一人もおらず、それほどまでに立派なのだと、微笑みながら語った。夕方になってから、宮があれほど見事に琴を弾いたことを祝ってやろうと、院は寝殿へ出かけていった。そのとき宮は、自分の存在のためにほかで苦しんでいる人がいるかもしれないなどということは少しも念頭になく、若々しい熱心さで琴の稽古に夢中になっていた。院はそれを見て、もう琴はそのくらいで休ませて、教えて下さった先生をもてなし、これまでの苦しい骨折りのかいがあって、今日は安心してよい出来だった。
2026.04.30
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 212〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。せめて中宮には心を尽くして仕えたいと願ったのも、前世からの因縁であったのだろうし、こうしてその子である姫宮の世話をしていることで、あの世からも自分を見直してくれているのではないかと思っている。昔から今に至るまで、軽率な心の動きで、ときには不幸な結果を生み出してしまうことの多い自分なのだ。さらに院は何人かの女性について語り続け、女御の後見役については、初めはたいした人物ではないだろうと軽く見ていたが、実際には心の奥底まで見通すことのできないほど深い内面を持った女性で、表面上は素直で柔順に見えながらも、いざという時には鋭い知性で自分を守り抜く強さを備えている人だと評した。それを聞いた夫人は、自分は他の女性をよく知らないので断言はできないが、その人には折に触れて会っており、あまりにも聡明で感情を少しも表に出さないのに対して、自分は誰にでも友情を示そうとする性質であるため、相手からどう見られているのかと思うと気恥ずかしいと打ち明けた。
2026.04.29
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 211〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。あまりにも整いすぎていて、どこか堅く近寄りがたい印象を与える人だった。少し賢すぎると言ってよいほどで、話として聞けば頼もしい存在なのだが、妻として向き合うには気疲れのする女性だったのだと思う。中宮の母である御息所は、高い見識と才能を備えた女性の代表として思い出される人だった。恋人としてはきわめて扱いにくい性格だった。人が一度は忘れてしまうような出来事でも、その人は決して忘れず、深く心に刻み込んで恨み続ける性質であったから、相手は耐えがたい思いをすることになった。常に自分を高く評価させずにはおかない強い自尊心が付きまとっているように感じられた。その前では、自分が卑小な男になってしまうのではないかという不安から、必要以上に見栄を張るようになり、やがて自然と心が離れ、縁も途切れてしまったのだ。無我夢中で踏み込み、あってはならない噂を立てる結果を招いたその人の真価を知っていながら、捨て去ったことは、今でも済まない思いである。
2026.04.28
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 210〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。涙ぐむ夫人の様子を院は哀れに思い、気を紛らわせるためにさまざまな話題を持ち出して話し続けようと努める。この場面は、紫夫人の内面の不安と死の予感、院の独占的で切実な愛情が真正面からぶつかり、人数は決して多くはないが、これまで自分が深く関わってきた比較的優れた女性たちについて考えてる。女というものは何よりもまず性質が善良で、物事を落ち着いて考えられる人がいちばん望ましいのだと感じる。しかし実際には、そのような人はなかなか思うように見つからない。大将の母とは少年時代に結婚し、尊敬すべき妻だとは思っていたものの、結局は心から打ち解け合うことができないままだ。隔たりを抱えた関係で終わってしまい、今になって思えば、それがどれほど気の毒で、悔やまれることであったかと胸が痛むし、申し訳なかったと後悔もしているが、同時にすべてが自分一人の責任だったとも言い切れない気もしている。あの人が立派な貴婦人であったことは疑いようもなく、欠点らしい欠点もなかった。
2026.04.27
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 209〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。それを少しでも減らしてほしいと神仏に祈ることしかできないのだと答え、本当はもっと言いたいことを胸に押さえながら、それだけを口にした。その控えめな言葉の中に、いかにもこの人らしい美しさがあった。さらに夫人は、自分はもう長くは生きられないような気がしており、この厄年を迎えてなお。何事もなかったかのように過ごしているのはよくないと分かっている、以前から願ってきたことでもあるので、許されるなら尼になりたいとも言う。すると院は、それはとんでもないことだと強く否定し、あなたが尼になってしまった後の自分の人生がどれほど味気ないものになるかを思うと耐えられない。平凡な日々を送っているように見えても、あなたと心を通わせて生きていること以上に価値のあることはないと信じているのだと言い、これから先の長い時間の中で、自分がどれほどあなた一人を愛しているかを見てほしいと語り、その言葉を、慰めとして、自分が信仰の道へ進むことを引き止めるものだ。
2026.04.26
コメント(26)

源氏物語〔34帖 若菜 208〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。あなたは、私と別れて暮らしていたあの苦い時代を経験してからは、もうそれほど思い悩むことも、心を乱すこともなかったのではないかと思う。后と呼ばれる立場にある人はもちろん、それ以下の宮廷の女性であっても、人と競わずにいられる者など一人もおらず、皆が皆、比べ合い自らを苦しめている。その点、あなたは親の家にいるような安らぎのまま今日まで生きてきた人で、その気楽さは誰にも及ばない。この一点において、あなたは誰よりも幸福だったのだということが分かるだろう。思いがけず姫宮をこちらへ迎え入れてからは、多少の不快は感じるだろうが、それによって私の愛情はいっそう深まっている。あなた自身のことだから気づいていないのかもしれない。ただ、あなたは物事の道理がよく分かる人だから、そのことを理解してくれているだろうと私は信じ、頼りにしている。そう言われて、夫人は、外から見れば自分は分に過ぎた幸福な身の上にあるのだろうが、心の内には悲しみばかりが積もっていく。
2026.04.25
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 207〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。紫の女王の彼女はその年三十七であった。院は長年ともに暮らしてきた日々を思い返しながら、祈祷のようなことは半生の年数以上にしてきたのだから、今年は無理をせず慎むようにしなさいと言い、自分も常に気をつけるつもりではいるが、ほかのことに紛れてうっかりすることもあるかもしれない。もし自分で考えて行いたい少し大きな仏事などがあれば遠慮なく言えばよい、いくらでも準備させると続ける。そして北山の僧都が亡くなったのは惜しいことで、血縁でなくとも立派な宗教者だったのだと語る。私は生まれた時からすでに特別に扱われる運命を背負っていて、これほど幸運な人間も珍しい。今に至るまでに得た名誉や物質的な恵まれ方を見れば、幸運と言えるだろうが、その一方で、誰よりも多くの悲しみを見てきた人間でもあるのだと思っている。母とも祖母とも早くに別れたことをはじめとして、身のまわりには常に哀しい出来事がつきまとい、それらの苦しみがあったからこそ、罪業が軽くなった。
2026.04.24
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 206〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。すると院は、手を取って直接教えるのだからこれ以上確かな教え方はなく、本当は夫人にも教えるつもりだったが、琴の稽古は手間も時間もかかるため、つい実行できなかったのだと言い、しかし院の帝も琴だけは習わせているだろうと聞いて気の毒に思い、保護者に選ばれた者の務めとして 教え始めたのだと語る。さらに、幼いころの夫人をそばに置いて理想的に育てたいとは思っていたものの、その当時は忙しく、特別な師として十分に世話をしてやれなかったし、近年も次々と用事に追われて行き届かなかったが、それでも琴がこれほど上手に育ったことを誇らしく思い、大将が深く感心していた様子をほめる。院は、芸事の才能にも恵まれながら、今は祖母として孫たちの世話を誠実に果たし、家庭の実務においても少しの不足も見せない夫人の姿を思い、これほど何もかも整った人はかえって短命なのではないかという不安さえ抱く。多くの女性を見てきた院にとって、ここまで非の打ちどころのない人はいない。
2026.04.23
コメント(20)

源氏物語〔34帖 若菜 205〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。日々の暮らしでは身なりにも構わず、次々に生まれる子どもの世話に追われているので、大将は若い妻が本来持っている感受性や魅力を受け取ることができない夫である。しかしその一方で、嫉妬して腹を立てることもありながら、どこか無邪気で天真らんまんなところを残した女性でもあった。この場面は、源氏物語 の中でも、音楽を通して人の資質、教えの継承、夫婦のすれ違いまでを静かに描いた、非常に味わいの深い部分で、院は対の方へ戻り、紫夫人はその場に残って女三の宮と話を交わし、夜明け近くになってから自分の部屋へ帰ったが、翌日は昼近くになるまで寝所から出てこなかった。その後、院は夫人に向かって、宮はずいぶん上達したようだが、あの琴をどう聞いたかと話しかける。夫人は、最初のころに別の場所で演奏しているのを聞いていた時には、そこまでの腕前とは思わなかったが、驚くほど上達しており、それももっともで、先生があれほど熱心に教えていたのだから当然だ。
2026.04.22
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 204〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。宮の装束一式が包み物として与えられると院は冗談めかして、まず師である自分に褒美が出ないのはおかしい、期待していたのに残念だと言うが、その言葉に応じるように、几帳の下から笛が差し出される。院は笑いながらそれを受け取るが、それは質の高い高麗笛であり、少し吹いてみた。すでに退出し始めていた人々の中で大将が立ち止まり、子どもの持っていた横笛を取って見事に音を合わせて吹く。その技はまさに至芸と感じられるもので、院はその音を喜んで聞き、これもまた自分が育てた弟子の成果だと満足する。大将は子どもを連れて車に乗り、月明かりの道を帰っていく。二度目の合奏で響いた箏の音がいつまでも耳に残り、どうしようもなく恋しく感じられてならなかった。自分の妻は、祖母である宮から琴の手ほどきを受けたとはいえ、十分に身につく前に父の家へ引き取られてしまい、十三絃の琴も中途半端な稽古に終わっているため、夫の前では恥ずかしがり全く弾こうとしない。
2026.04.21
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 203〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。合奏が終盤に入り、呂の調子が律へと移る掻き合わせの部分では、音が一斉に華やぎ、宮は五つの調べのうち五六の絃を巧みに弾き分け、その手つきには少しの未熟さも感じられず、澄みきった音が夜気の中に美しく響き渡った。春や秋、その他あらゆる場面ごとに変化させる琴の弾き方を教えた。院がかつて教えたとおりに少しの誤りもなく身につけて演奏しているのを見て、院は自分の教えが正しく伝わっていることを誇らしく感じた。また、幼い孫たちが一生懸命に笛の役を務めている様子をいじらしく思い、今夜は短時間で終えるつもりだった合奏が、興に任せて長引き、音楽に夢中になる。夢中になるあまり、結果として遅くなってしまったのは配慮が足りなかった、と言って気遣いを見せた。そして笙を吹いた子には酒杯を与え、自らの衣を脱いで褒美として授け、横笛の子には紫の上の方から厚い織物の衣や袴を添えて贈り物が渡された。大将には姫宮の御簾の内から酒器が差し出された。
2026.04.20
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 202〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。その時が来たなら、自分が身につけたかぎりの琴の芸を授けたいと願っていると語った。そして二の宮には、すでにそのような天分が備わっているように思われるとも付け加えた。この言葉を、明石夫人はまるで自分自身の名誉であるかのように受け取り、涙ぐみながら側で聞いていたのである。やがて女御は箏を紫の夫人に譲り、病み疲れた身を横たえたため、今度は院自らが和琴を弾くことになった。第二の合奏は、先ほどとは趣を変え、柔らかさの中に華やかさを備えたもので、催馬楽の「葛城」が歌われた。院が折々に声を添えることで、全体はいっそう美しく調和した。月が高く昇るにつれて梅の花の色も冴えわたり、十三絃の箏の音はそれぞれに個性を響かせた。女御の音は可憐で女らしく、母である明石夫人に似た揺れを帯びた深く澄んだ響きであり、女王の音はそれとは異なり、ゆるやかな気分と愛嬌に満ち、聴く者の心を酔わせるような才気が感じられた。
2026.04.19
コメント(29)

源氏物語〔34帖 若菜 201〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。そのような世の中で、ただ一人が芸に取りつかれ、高麗や支那を渡り歩き、家族や身の回りのことを一切顧みないほどになるのは、むしろ狂気じみているとも言った。だからこそ自分は、そこまで極端な生き方をするのではなく、この芸が本来どのようなものなのかを理解できるところまで到達したいと願った。一曲を十分に習得することさえ困難な芸ではあるが、琴には無数の難曲が存在するため、若く音楽への情熱が最も盛んな頃の自分は、世の中にあるかぎりの琴譜を調べ、舶来のものもすべて手元に集めて研究に没頭した。やがて自分以上の力量を持つ師もいなくなり、不自由な思いをしながら独学を続けた。それでも古人の境地には少しも及ばなかったと院は率直に語り、これから先はさらに心細くなるだろうと、この芸の行く末を思って悲しんでいるのだと結んだ。その言葉を聞きながら、大将は自分の至らなさを深く恥じる思いだ。院はさらに、今上の親王が成人の頃まで自分が生きていられるかは心もとなく思った。
2026.04.18
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 200〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。それほどの苦労をしても成就した者はごくわずかであった。実際、すぐれた琴の音が月や星の位置を変えさせたり、季節外れの霜や雪を降らせ、黒雲を呼び、雷鳴を起こしたというような伝説も昔にはあったのだと院は語る。誰もが音楽の中で最高の芸であると知りながら、完全に身につけた者は少ない。末の世となった今では、残っている者も、かつての真の芸の断片に過ぎないのではないかとも述べた。それでもなお、鬼神さえ耳をとどめるほどの力を持つ琴の稽古を中途半端に行い、上達できないまま、かえって不幸な最期を迎える者が出たため、琴を学ぶと不吉を招くといった迷信まで生まれた。近ごろではこの厄介な芸を志す人が少なくなったのだと院は嘆いた。しかし、琴がなければ世の中の音楽は根本の音を失ってしまうのだから、それはまことに遺憾なことだと、深い思いを込めて語り終えた。院は、あらゆる物事というものは衰え始めると、あとは驚くほどの速さで退化していくものだと語る。
2026.04.17
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 199〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。今夜の演奏を聞くかぎり、当時よりさらに進歩しているとも付け加えた。こうして何事も自分の手柄として語る院の様子を聞きながら、女房たちは互いに肘を突き合って、思わず笑いを交わしていた。やがて院は、芸というものの本質について語り始め、どのような芸であっても、始めが肝心。習い始めるとその奥深さが次第に見えてきて、自分で満足できるところまで習得することなど到底できないものだが、それほどの熱を芸に注ぐ人が今の世には少ないため、少し稽古を積んだだけで自分なりに納得し、それでよしとしてしまうのだと言うが、琴だけは別で、安易に手を出せる芸ではない。もしこれを極めることができれば、天地を動かし、鬼神の心をも和らげ、苦境にある者には慰めを与え、貧しい者を出世させ、ついには富貴と尊敬を得るに至った例さえあると語った。この芸が伝わり始めたころには、学ぶ者は皆、長く外国へ渡り、あらゆる困難を乗り越えて上達を目指したものだ。
2026.04.16
コメント(20)

源氏物語〔34帖 若菜 198〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。大将は、女たちの演奏はせいぜい気晴らし程度の遊びであろうと軽く見ていたため、その予想との落差がいっそう感激を大きくした。歌の役を務めることは、気が引けて勤めにくい思いがしたと打ち明けた。和琴という楽器は、太政大臣ただ一人がすべての楽音を率いるかのように自在に操ることができる。他の者が容易に近づけない至高の芸であると考えていたが、今夜耳にした音は、それとはまた別の境地に達した特別なものであり、実に見事であったと大将は心から称賛した。それを聞いた院は、そこまで最大級の言葉でほめられるほどのものではないと口では謙遜しながらも、顔には得意げな微笑を浮かべた。そして、自分には出来そこないの弟子は一人もいないようだと半ば冗談めかして言い、琵琶だけは自分が苦心して教えた弟子の芸ではないが、もともとすぐれたものであるはずだと語った。それは思いがけないところで自分が見出した天性の弾き手であり、以前から感心していた。
2026.04.15
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 197〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院は、それでも感激を覚える音楽者が見当たらない現状は残念でならないと語る。芸事というものは、演じられる場所によって普段とは違った出来を見せることがあるが、最も晴れがましい宮中という場で、最近選ばれている演奏者たちと、今日の女性たちの演奏とを比べてみて、劣っていると感じる点があるだろうか。院は大将にそう問いかけた。それを受けて大将は、まさにその点について意見を述べたいと思っていたのだが、自分は頭がよいわけではないので、的外れなことを言ってしまうかもしれないとためらいながら口を開き、今の世の人々は、音楽が最も盛んであった昔の時代を知らない。だからこそ、衛門督の和琴や兵部卿の宮の琵琶などを、ことさらに賞賛するのではないかという考えを示す。そこには、過去への敬仰と同時に、現在の評価が必ずしも実体験に裏打ちされたものではない。大将は、名人の技として音楽を見聞きしてきたつもりではあったが、女たちの演奏には心底驚かされた。
2026.04.14
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 196〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。大将の言葉に対し院は、それほど簡単に断定できることではないと応じ、古人でさえ決めかねてきた問題なのだから、末の世に生きる自分たちの力で、正しい批判などできるはずもないのだと前置きした上で、秋の律の曲が春の呂の曲の下に置かれているのは、今大将が述べたような理由が背景にあるのだろうと述べた。つまり、自然のあり方と人の感受性との関係は、単純な優劣ではなく、長い思索と経験の積み重ねによって位置づけられてきた認識が、院の言葉の奥にはあった。さらに院は話題を現代の音楽家へと移し、宮中の催しなどで演奏を命じられる人々の音楽を聞いても、真に名人だと感じさせる者は少なくなった。それは先人の業績を深く研究しようとする熱意が足りないからではないかと疑問を投げかける。今日のような女ばかりの音楽の会に交じってみても、とりわけ際立って心を打つ者がいるようにも思われないと率直に述べながらも、引きこもり鑑識眼が鈍り、偏ってしまったせいかもしれないとも自省する。
2026.04.13
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 195〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院は大将に向かい、頼りなげな春の朧月夜であるが、秋のよさというものもまた、このような夜に音楽と虫の声が重なり合って立ち上ってくる時にこそ感じられるものなのだと語りかけた。その言葉には、季節を超えて響き合う美への深い理解と、余情を味わい尽くそうとする心が静かに込められていた。秋の明るい月夜には、音楽であれ、どのような音の響きであれ、澄み切って明瞭に聞こえてくるが、その一方で、空の景色や草花に宿る露の色までもがあまりに整いすぎているため、かえって心がそちらへ引き取られ、音楽そのものに深く没入しにくくなるところがあると大将は考えを述べる。春の頼りない雲の切れ間から、ぼんやりと月が姿を現すような夜に、静かな笛の音がほのかに立ち上ってくるのを聞くほうが、音楽そのものを味わうにはふさわしいのではないかと思われるという。女は春をあわれむという言葉があるが、万事の調子が自然に溶け合うのは、春の夕暮れにこそ限られるように思われる。
2026.04.12
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 194〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。実際にはそうとは感じられないだけの美しさを備えており、その顔立ちや身のこなしには、いかにも聡明そうな品のよさがにじみ出ていた。柳色の厚織の細長の下に、萌葱とも見える小袿を着て、さらに薄物の簡素な裳を添えた、あえて控えめにした姿であるが、その慎ましさがかえって好ましく思えた。紫の夫人は少しも卑下した印象を与えなかった。青地の高麗錦の縁を取った敷物の中央に座ることもせず、琵琶を抱き、撥の尖をきちんと絃の上に置いている姿は、実際に音を聞く以上に美しいと感じられ、五月の橘が花も実も同時につけた折枝の姿が自然と思い浮かぶほどであった。いずれの女たちも、表立って華やぐのではなく、内に慎みをたたえた様子を見せており、その気配そのものに大将の心は強く引き寄せられていった。紫の女王の美しさは、昔の野分の夕べのころよりもさらに増しているに違いないと思うだけで、大将の胸は高鳴り、どうにも静まらなかった。
2026.04.11
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 193〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。女三の宮に対しては、もし運命がもう少し自分に親切であったならば、この方を自身のものとして眺めることができたのではないかと思い返し、そのたびに自分の臆病さが悔やまれてならなかった。朱雀院からは折に触れて気持ちを示され、ほのめかされることもあったのだと思っていた。女三の宮については将来に不安の残る事情をよく知っていたため、紫の女王に惹かれたほど心が動くことはなかった。紫の女王という存在は、誰も想像できないほど遠い隔たりのある場所に置かれており、大将はその忘れがたい感情を胸に秘めながら、自分の抱く好意だけでもこの人に認めてもらえたらと願う。だが、それすら叶わない現実を思っては苦しんでいた。しかし、大将は道を外れた思いを抱くような人ではなく、その心を自ら抑え込むだけの理性を持ち合わせてもいた。夜が更けていくにつれ、風にはひんやりとした冷たさが混じり、臥待月が空に姿を現し始めた。
2026.04.10
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 192〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。演奏が一段落すると、琴を前に押しやり、苦しそうに脇息へ寄りかかっていたが、背の高くない身体を少し伸ばすようにして、普通の高さの脇息にもたれている様子がいかにも気の毒に思われ、もっと低いものを作って与えたいと、院は自然に憐れみの心を抱いた。紅梅の上着の上に、灯の光を受けてはらはらと髪がかかる姿の美しい女のそばに、紫の夫人の姿があった。紅紫とも見えるほど濃い色の小袿に、薄い臙脂の細長を重ね、その裾に余ってゆるやかにたまる髪の美しさは目を見張るほどで、体つきも過不足のないほどよい大きさである。その場一帯がこの人の美しさから放たれる光で満たされているかのように思われた。花にたとえるなら桜と呼ぶのもまだ足りないほどの容色で、見る者の心を自然と奪わずにはおかない女王で、このような人々の中に交じれば、明石夫人はどうしても見劣りしてしまいそうなものであると感じられた。
2026.04.09
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 191〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院が宮の座をのぞくと、その姿は人よりも小柄で、衣だけがひときわ美しく重なり合っているように見えた。派手に目立つ顔立ちではなく、ただ貴族らしい端正な美しさが備わっており、その様子は、二月二十日ごろの柳の枝が、ようやく芽吹いたばかりの淡い緑を見せているようだった。鶯の羽風にさえ乱れてしまいそうな、はかなさを思わせた。桜色の細長を身につけ、髪は右からも左からもこぼれ落ち、そのさまはまるで柳の糸のようだった。これこそが最上の女の姿であろうと院は眺めていたが、その一方で女御には、同じような艶やかさの中に、さらに一段と光を添える美があるように見えた。身のこなしに気品があり、その印象は、春から夏へと移ろう頃に咲きこぼれる藤の花が、ほかに並ぶもののない優美さをもって朝ぼらけに映える趣にたとえられるものであったと院は感じた。しかしこの女御は身ごもっており、それもかなり月が重なって、身体のつらさが表に出てくるころであった。
2026.04.08
コメント(24)

源氏物語〔34帖 若菜 190〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。十三絃の箏は、ほかの楽器の音と音の合間に、細やかで繊細な響きを差し挟むところに特色があり、女御の爪音はその中でもひときわ美しく、艶やかに耳に届いた。箏という楽器は、ほかの楽器に比べると洗練に欠ける芸と思われがちではあるが、女御はまだ若く、稽古に励む盛りの年ごろだった。そのため、弾き方には確かさがあり、ほかの楽器と交わる音の調和もよく、着実に上達していることが大将にもはっきりと感じ取れた。この女御が拍子を取り、歌を歌い始めると、院もまた折に触れて扇を打ち鳴らしながら声を添え、その声は若いころとは違った味わいを帯び、かえって以前よりもおもしろく聞こえた。技巧の角が少し取れ、自然さが増したようにも感じられた。大将自身もまた美しい声の持ち主であり、夜が更けていくにつれて、場は次第に音楽三昧の境地へと導かれていった。月の出がやや遅い時分であったため、庭のあちこちには燈籠が灯され、柔らかな光が闇を照らしていた。
2026.04.07
コメント(22)

源氏物語〔34帖 若菜 189〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院の孫にあたる幼い子どもたちのその笛の響きには将来を期待させるものがあり、聞く者の心を和ませた。調子合わせが終わり、いよいよ合奏に入ると、どの音も興味深く感じられたが、その中でも特に琵琶の音は際立っており、弾き手がまぎれもない名手であることを思わせた。神さびた趣のある撥さばきによって、濁りのない澄み切った音が響き渡り、この音楽の座全体に重みと格調を与えていたのだ。大将は和琴の音にとりわけ心を惹かれていた。それは、どこかなつかしさを帯びた柔らかな響きを持ち、指先から生まれる爪音には愛嬌がありながら、逆にかき鳴らすときの音は華やかだ。名人が格式ばって弾く場合にも少しも劣らないほどの派手さを備えていた。和琴とは本来このような弾き方もできる楽器なのかと、大将は新鮮な驚きを覚えた。その音には、長年にわたって積み重ねられてきた精進の跡がはっきりと表れており、それを聞き取った院もまた安堵し、夫人のことを心からうれしく思った。
2026.04.06
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 188〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。御簾の下から箏の琴の先端が少し差し出され、院は、失礼ではあるがこの絃の締まり具合をよく見て調音してほしい、他人を呼ぶことのできない場なので頼みたいのだと言った。それを受けて左大将は、きわめて慎み深く琴を受け取り、一越調に合わせて発の絃の柱を定め、全体を弾き試すことはせず、そのまま返そうとした。しかし院はその様子を見て、調子を整えるための一弾きくらいは気取らずにするものだと軽くたしなめたが、大将は、今日の会に自分が少しでも音を混ぜるような自信は持っていないのだと、あくまで遠慮を崩さなかった。院は、それも尤もだが、女ばかりの音楽に男がいては引き下がったのだろうという。また院は、あるいは逃げたなどと人に言われるのは不名誉だろうと笑いを含んで言ったため、大将はついに調子を合わせ、その役目だけを果たして御簾の中へ琴を戻した。院の孫にあたる幼い子どもたちが、美しい直衣姿で吹き合わせる笛の音は、まだ技量の面では幼さを感じさせるものがあった。
2026.04.05
コメント(25)

源氏物語〔34帖 若菜 187〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。女性の弾き手には扱いあぐねることも多い。春の弦楽というものは、本来すべての音が自然に溶け合い、他の楽器と違和感なく調和していかなければならないが、もし和琴だけがうまく合わなかったらどうなるだろうかと、院は腕に不安のある弾き手の立場を思いやり、ひそかに同情の念さえ抱いていた。左大将は、この日の席をきわめて晴れがましいものと感じており、どのような音楽会に列席する時よりもいっそう気を遣っている様子であった。香をたっぷりと焚きしめた衣の上に、さらに整えられた直衣を重ね、袖の乱れにも細心の注意を払った、非の打ちどころのない身なりで姿を現した。すでに日も暮れか、早春の黄昏どきのやわらかな空気の中で、六条院の庭の梅は、前年に見た雪を思わせるほど枝もたわむほどに咲き誇っていた。ゆるやかな風が吹き抜けるたびに、御簾の内から漂ってくる薫香の香りが梅の匂いに溶け合い、その香気に誘われて鶯が姿を現すのではと思われる。
2026.04.04
コメント(23)

源氏物語〔34帖 若菜 186〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。絃そのものが緩むわけではないが、琴柱の位置が動きやすく、最初からその点を心得ていなければならない。しかし女の力では十分に締めるのが難しいため、結局は大将の助けを借りるほかあるまいということ、さらに拍子を受け持つ少年たちもまだ幼く、心許ないと冗談めかして語りながら笑った。大将はこちらへと呼び寄せる声が几帳の向こうまで聞こえたため、居並ぶ夫人たちは思わず恥ずかしさを覚えた。明石夫人を除く女たちは皆、院から音楽を学んだ弟子にあたり、その出来不出来が大将の耳に入ってしまうことを、院自身も気にかけ、どうか無難に収まるようにと内心で祈っていた。女御については、日頃から帝の前で他の者と合奏することに慣れており、落ち着いた演奏をするだろうと院も安心していたが、和琴という楽器については少し事情が異なっていた。和琴は、決まった型が少なく、技巧よりもその場の感覚や創作的な才を要する楽器であった。
2026.04.03
コメント(21)

源氏物語〔34帖 若菜 185〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。童女の装いは、青丹色の衣に柳色の汗袗、赤紫の袙という取り合わせは、一般的な好みではあったが、どこか気高い印象を与えた。縁側に近い座敷では襖子が外され、女たちの席は几帳を隔てて設けられていた。その奥、中央の間には院の御座が整えられ、特別な場がしつらえられていることが一目で分かる。院は、拍子合わせの笛役には子どもを呼ぼうと考え、右大臣家の三男で玉鬘夫人が産んだ年長の子に笙を、左大将の長男には横笛を命じ、縁側のほうに控えさせた。演奏者のための茵はすでに敷き並べられ、その席に向かって、院が秘蔵している名楽器が紺錦の袋から取り出され、配られていった。明石夫人には琵琶が渡され、紫の女王には和琴が、女御には箏の十三絃が与えられた。宮には、まだ名高い楽器は早いだろうという配慮から、ふだんから弾き慣れている楽器が選ばれ、その調子を院自らが試し、箏という楽器ほかの楽器と合奏する際には試し弾きしてから渡された。
2026.04.02
コメント(27)

源氏物語〔34帖 若菜 184〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。賀宴の予行演習のように思われるのも気に入らない。あちらで会を開きなさいと院はおっしゃり、女王を寝殿の方へ連れ、お供をしたいという者は多かったが、寝殿の人々と顔なじみでない者は残された。年配ではあるが、品格のある女房たちだけが夫人に付き従い、童女は顔立ちのよい子が四人選ばれた。朱色に桜色を重ねた汗袗(かざみ)、淡い色の厚織の肌着と表着の間に着る袙(あこめ)、浮き模様のある表袴を着せ、肌着には打ち目の美しいものをつけさせるなど、姿かたちの優美な者が選ばれていた。女御の座敷も春の新しいしつらえが施され、華やかさを極めた女房たちの姿は目を見張る。童女たちは臙脂色の汗袗に支那綾の表袴、袙は山吹色の支那錦で揃えられていた。明石の夫人の童女は、目立たぬよう配慮された装いで、紅梅色が二人、桜色が二人、下は青の濃淡の袙で、いずれも打ち目の整った美しいものを身につけ、姫宮の御方でも、女御や夫人が集まり、童女の装いには特に心を配っていた。
2026.04.01
コメント(22)
全30件 (30件中 1-30件目)
1