inti-solのブログ

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2009.09.23
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: 戦争と平和
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090922-00000005-flix-movi



1937年の日中戦における日本軍の南京攻略を描いた陸川監督『南京!南京!』が、日本公開されることがわかった。同作品はスペインで開催中の第57回サンセバスチャン国際映画祭のコンペティション部門に出品されており、現地時間21日に行われた公式会見の席上で陸監督が明かしたもの。
日本の配給会社側の正式発表を控えて、社名を出すことは控えたものの、陸監督は「これはまさに最新の情報なのですが、日本の配給会社が決まりました。公開は来年になると思う。念願だった日本公開が決まってうれしい」と笑顔を見せた。
同作品は日本でいまだタブー視されているいわゆる南京虐殺事件を、日本兵と中国兵の両方の視点から描いた2時間15分の大作だ。今年4月に公開された中国では、主人公の日本兵・角川(中泉英雄)が、繰り返される一般市民への虐殺、強.姦などの蛮行にいたたまれなくなって最後に自殺を遂げることから、「日本寄りだ」の批判が相次ぎ、陸監督には殺害予告の脅迫状まで届く騒動に発展している。
本作は、今年度のコンペ作の中でも一番の問題作と言われている。プレス上映では拍手喝采に包まれ、その直後に行われた会見は、通常30分程度で終わるところ、各国記者からの質問が相次ぎ1時間にも及んだ。
中でも多かった、「どこまでが真実で、どこまでがフィクションなのか?」の問いに、陸監督は「この映画は企画の立ち上げから完成まで4年かかってます。その間、私は何度も日中を往復し、ある元日本兵にもインタビューしたり、彼らが残した日記や膨大な数のプライベート写真など、徹底的にリサーチしました。なので、あくまで真実がベース。唯一、フィクションがあるとすれば映画の後半、南京を政略した日本兵たちが儀式をするシーンのみ。あれは(天皇を崇める)メタファーとして取り入れました」と説明した。
また、日中両方の視点から描いた理由については「あの戦争で何があったのか。両方の視点で描くことが真実を正確に伝えることが出来ると思ったのです。そのために私は、中国で裏切り者と言われていますが、私は多くの中国の戦争映画で見られるような、日本人を鬼畜として描きたくなかった。なぜなら、私は元日本兵の日記を読んだ時、人間の心を感じたからです。この映画は、決して日本人を批判するために作ったものではない。この映画をきっかけに、お互いの史実を見直す、日中の架け橋になることを願ってます」と語った。
コンペの結果は26日に発表される。今年のコンペ部門には、『クラス』で07年のカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞したローラン・カンテ監督を審査委員長に、韓国の鬼才ポン・ジュノ監督、イランのサミラ・マフマルバフ監督など蒼々たるメンバーが顔を揃えている。彼らがどんな評価を下すのか、注目したい。
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規模については議論はあるものの、南京で大規模な虐殺があったことは、歴史的に明白な事実であるにもかかわらず、そのことを映画にして上映しようとすると、反発する連中がいるからです。
1998年に、「南京1937」という映画が日本でも公開されたことがあるのですが、右翼による激しい上映妨害を受け、上映中のスクリーンを右翼が切り裂く、という事件すら起こっています。南京大虐殺をテーマとする多くの映画の中でも、「南京1937」はもっとも平和的で、日中友好に配慮した作品と言われているにも関わらず、です。(今回の「南京!南京!」も同様の傾向とのことですが)
おそらく、そのとき以来映画配給会社はこの種の映画の上映に及び腰になってしまったのでしょう。

しかし、南京大虐殺という歴史的事実を描いた映画に、そんなタブーがあってよいはずがありません。だから、今回この映画を日本で公開する配給会社が現れたことには、心から喝采したいと思います。配給会社名がいまだ伏せられているということは、やはり右翼の反発を恐れているのでしょうが、

映画の内容の善し悪しについては、人それぞれに意見もあり、批判も評価もあるでしょうが、そのことと、映画を上映するというのはそれ以前の問題です。映画が上映されなければ(日本で見ることが出来なければ)、善し悪しの判断も、批判も評価も不可能ですから。まずは、見てみるところから、すべてが始まります。

さっそく、上映粉砕などと叫んでいるバカ右翼の連中もいるようですけれど、そういう連中には言わせておけばいい。もちろん、見たくない人は見なければいい、それだけのことです。映画なんてものは、見たい人だけが映画館に行けばいいのです。見たくないから上映粉砕、などと手の施しようがないことを言っている連中に取り合う必要はない。

何としてもこの映画を上映して欲しい。そして見たい。この映画だけではありません。他の南京映画も、近日中に見られるようになればいいなあと、いや、見られるようにしようと、そう思っています。





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最終更新日  2009.09.23 14:13:39
コメント(29) | コメントを書く


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私も  
Bill McCreary さん
この映画が日本公開されることを本日知りました。

たぶん右翼や産経新聞、稲田朋美らは騒ぎ立てるのでしょうね。配給会社がきっちり対応してくれるか、いろいろ不安も感じないではいられません。

それはそうと、inti-solさんは「南京の真実」はご覧になりましたか。私は見て拙ブログにレポートを書きました。正直、面白い映画ではありませんでした。 (2009.09.23 22:22:47)

Re:私も(09/23)  
inti-sol  さん
Bill McCrearyさん

>たぶん右翼や産経新聞、稲田朋美らは騒ぎ立てるのでしょうね。配給会社がきっちり対応してくれるか、いろいろ不安も感じないではいられません。

もう、さっそく西村修平らの「主権回復を目指す会」が、掲示板で上映粉砕などとぶっているようです。彼らの思うとおりになんか、絶対にさせてはいけない。

>それはそうと、inti-solさんは「南京の真実」はご覧になりましたか。

見ていません。話の種に、見ておいたほうがいいのかなという気もしますが、どうにも食指が動きません。映画としての完成度もかなり低いように聞いていますし、見たくもない映画を見に行くのも苦痛です。というか、それ以前にブログを見ると今年3月の上映会以降、更新されていませんね。 (2009.09.23 23:29:41)

私は見ました。  
日本軍マニア さん
私はYou-Tubeで見ました。旧日本陸海軍マニアである私にも軍服考証もしっかりしていて、歴史的な事実を描くことに充実していました。

また、ドイツ人監督のジョン・ラーべもいい映画です。今まで中国の抗日戦争映画は日本軍の残忍さを描くことに中心をおいていて、見るにたえない映画が多いでした。
例えば、1995年に製作された南京大虐殺映画を2007年にYou-Tubeで見ましたが、残忍すぎるでした。ジョン・ラーベのことも描かれますが、残忍さで作品性も低いです。
しかし、ジョン・ラーベはラーベの視線で南京大虐殺を描いています。残忍なシーンもありません。ジョン・ラーベも右翼によって公開不可になったそうです。
(2009.09.25 19:02:42)

また  
日本軍マニア さん
私は旧日本軍の軍服や装備を収集していますが、戦争賛美はしていません。靖国神社で8月15日に軍服を着て行進する連中とは違います。
旧軍のマニアはわが国の戦争犯罪も認識すべきであると思っています。しかし、自分も右翼や旧軍マニアの中にもいる右翼の連中が怖くて表には言っていません。彼らはジョセフ・マッカーシーみたいです。
敢えて、50年代のアメリカや韓国で生まれたら、共産主義の拡大を止めた業績で勲章でももらったかもしれないと思います。 (2009.09.25 19:12:22)

Re:また(09/23)  
inti-sol  さん
日本軍マニアさん
初めまして
わたしも元々子どもの頃は兵器マニアでしたし、今もその残滓がないとは言えませんので、兵器マニア=右翼とは思ってません。ただ、世間一般の平均よりは相関関係が高いとは思いますが。
実は、わたしも中国語版のDVDを持っているのですが、未見です。中国語分からないし(でも、日本人俳優の台詞は日本語なので、あらかた筋は分かるらしいですね)。仮にDVDを見てしまったとしても、映画館には行きます。

> 彼らはジョセフ・マッカーシーみたいです。

彼らのノリとしては、そうかもしれませんね。
今後ともよろしくお願いします。 (2009.09.26 13:39:00)

南京大虐殺に対する世界的な誤解  
核心 さん
南京大虐殺は世界的に誤解されています。

中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。
父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。
非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。
捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。

ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。
昭和12年7月の南京の人口は135万人です。
11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。

否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。
小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。

(65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

(2009.11.02 06:45:09)

Re:南京大虐殺に対する世界的な誤解(09/23)  
inti-sol  さん
核心さん
初めまして

>中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。
>父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。
>非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。
>捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。

もし、中国側の主張するとおり、犠牲者が30万人だとすると、7万人の捕虜殺害は「中核的」ではない可能性があります。
実際のところ、捕虜・投降兵の虐殺はある程度人数について見当が付きますが、民間人の殺害は推定が非常に難しい、ということは言えると思います。
私は、研究者ではないのにこんなことを書くのは僭越ですが、いろいろな書籍を読んだ上での感想として、南京大虐殺の犠牲者(不法な殺害の犠牲者に限定)は、10万人±5万人と思っています。

南京攻略戦の全期間を通して、純然たる戦闘による戦死者を含めてなら、犠牲者30万人はあり得なくはないけれど、現実にはどうかな・・・・・・?というのが正直な感想です。 (2009.11.02 22:30:43)

これはとても難しい問題です  
核心 さん
南京が虐殺(=処分)か、自衛発砲かは父(栗原利一)のスケッチブック(ネットで公開中)と「両角大佐手記」の違いからです。
貴兄が「両角大佐手記」をお持ちでないと、正確な判断はできないと思います。
大虐殺肯定派の人はこの両者の比較から、戦後の旧陸軍将校による南京の捏造を指摘しているのですから。

一般の書店で売られている本からでは判断は難しいと思います。

中国側の言う30万人は南京から逃げ出す一般人が大量に日本軍に殺戮されたこと含んでいます。
(2009.11.03 18:19:56)

故洞富雄氏と本多勝一氏  
核心 さん
南京大屠殺記念館から表彰された日本人がタイトルの2名の方です。
洞氏は南京陥落時の捕虜が全員、殺害されたことを最初に指摘した人物です。
本多氏は旧陸軍将校、防衛研究所戦史部などが唱える自衛発砲が歴史の捏造であることを指摘した人物です。
陥落時の捕虜は全員、殺害した、この事実を書き留めているのが父(栗原利一)のスケッチブックです。

「森松俊夫 南京」でググッて頂くと、私と森松氏の関係が表示されます。 (2009.11.03 18:46:06)

「南京!南京!」について  
核心 さん
「南京!南京!」は所詮、一党独裁国家のプロパガンダ映画です。
私は見に行くつもりは全くありません。
これは行過ぎた反日をクールダウンするための映画です。

当時の日本軍は蒋介石軍と戦っていたのですから。
南京大虐殺で漁夫の利を得たのが毛沢東の共産党軍なのです。 (2009.11.03 18:54:43)

戦史叢書と大屠殺記念館の差  
核心 さん
結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ていました。

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。

 史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...各大佐、...各中佐、...少佐等で、 わが国においても政府による正統の大東亜戦争史を編さんすべきであるとの願望を抱き、 史料の収集整理に努めるとともに、昭和二十八年には大東亜戦争全史四巻を世に発表した。

...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、稲葉正夫(四二期、終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
(2009.11.03 20:50:18)

旧日本陸軍の大規模な捕虜殺害  
核心 さん
日本政府が旧日本陸軍の大規模な捕虜殺害を公式に認める可能性はまったくありません。
いまの自衛隊、防衛省はその捕虜殺害を計画し、指示し、実行した旧日本軍の生き残りが創った組織です。
そんなことをしたら自衛隊の存在の基盤が失われてしまうでしょう。 (2009.11.03 20:54:31)

Re:「南京!南京!」について(09/23)  
inti-sol  さん
核心さん

>「南京!南京!」は所詮、一党独裁国家のプロパガンダ映画です。

必ずしもそうとは言えないでしょう。

>当時の日本軍は蒋介石軍と戦っていたのですから。
>南京大虐殺で漁夫の利を得たのが毛沢東の共産党軍なのです。

国民党であれ共産党であれ、中国の軍隊であることに違いはありません。当時の中国を代表する唯一正統な政府は国民党の政府であり、現在のそれは共産党である、ということに尽きます。また、共産党が南京大虐殺で「漁夫の利を得た」とは言えないでしょう。
いずれにしても、映画を見る見ないはそれぞれの好みですから、核心さんは見たくない、私はみたい、それぞれの好みですからとかくいう問題ではありませんが・・・・・・・・。 (2009.11.03 21:24:16)

「キリング・フィールド」と同じ類  
核心 さん
中立的な立場で関心をお持ちになっていることに敬意を表します。
実際のところは、こんなものです。

「侵掠」(1982年、現代史出版会、徳間書店)のから。

南京大虐殺

”上海支局に着いたその夜、二人の連絡員が南京から帰って来た。現地採用の武田と畦崎だった。側車をつけたオートバイを飛ばせてきたので...

「寒いの、なんのって-」。
頬がこわばって口がきけないほどだった。二人とも南京陥落(昭和12年12月13日)後はじめての帰還だった。ちょうど一ヶ月目である。...

捕虜も全部で10万人くらいいるらしい。最初に入城した部隊が、「この捕虜をどうするか」と軍司令部に聞いたら、「適当に処分しろ」という話だった。...

そこで、揚子江岸の下関へ、捕虜を連れていって首を切った。最初の列の処刑が終わると、次の列を前進させて、死体を前に投げ込ませて、それから前と同じように一列にならべて処刑した。こうして朝から晩まで、つぎつぎに首をはねたが、一日に二千人しか斬れなかったという。...

二日目には手が疲れてきたので、機関銃をかつぎ出した。河岸に向って一列に並ばせて、ドドドドッと、重機関銃の引き金を引いた。捕虜たちはいっせいに河に向って逃げ出したが、岸までたどりついたものは一人もいなかったという。...

揚子江には中国兵の死体がいっぱい浮き、河の水は真っ赤で正視できぬ惨状だった、という。...”

私が小学三年生の時に、父が話した身振りは以下のようなものでした。
父は坐ったままで刀を(実際の刀は持たずに)思いっきり上から振り下ろす動作を数回繰返した後で「さすがの揚子江も真っ赤になった。」といって高笑いしていました。

父は首を斬ることをもっぱら担当していたのだと思います。
父は当時26歳で剣道三段でした。
(2009.11.03 23:45:19)

Re:「キリング・フィールド」と同じ類(09/23)  
inti-sol  さん
核心さん

>二日目には手が疲れてきたので、機関銃をかつぎ出した。河岸に向って一列に並ばせて、ドドドドッと、重機関銃の引き金を引いた。捕虜たちはいっせいに河に向って逃げ出したが、岸までたどりついたものは一人もいなかったという。...

>揚子江には中国兵の死体がいっぱい浮き、河の水は真っ赤で正視できぬ惨状だった、という。...”

この揚子江の死体の海については、少なからぬ目撃者がいますね。松井大将の副官だった角大尉が目撃した揚子江の死体も、おそらくこのときのものですね。
ただ、捕虜の人数については、どの程度正確に数えたのかが問題にはなると思います。 (2009.11.05 21:58:30)

捕虜の数は公表されています  
核心 さん
捕虜の数は当時の公刊物に正確な数で公表されています。
65連隊は合計で2万人です。
(この数字が確定的なのは小野賢二氏の労苦の賜物です。)
幕府山の捕虜が1万3千5百、魚雷営が7千でその内、下関が2千です。
2千人なら「さすがの揚子江も真っ赤(親父の証言)」になるでしょう。
(2009.11.07 06:35:55)

保守系のアホ政治家たち  
核心 さん
貴兄の話はとても参考になります。

西村慎吾、松原仁、中山成彬などのアホ政治家に教えてあげたいですね。
いまさら否定しようにも否定できないでしょうに。

自衛隊や防衛省がこれほど「南京の事実」に弱いとは知りませんでしたよ。
日本の迷走を米国も「温かい目で」見守るしか方法が無いんでしょうね。 (2009.11.07 06:43:14)

Re:捕虜の数は公表されています(09/23)  
inti-sol  さん
核心さん
>捕虜の数は当時の公刊物に正確な数で公表されています。
>65連隊は合計で2万人です。
>(この数字が確定的なのは小野賢二氏の労苦の賜物です。)
>幕府山の捕虜が1万3千5百、魚雷営が7千でその内、下関が2千です。
>2千人なら「さすがの揚子江も真っ赤(親父の証言)」になるでしょう。

これについては存じ上げています。ただ、公式発表と言えども戦果の過大見積もりは避けられない問題ではありますし、逆に公式記録には出てこない捕虜殺害も当然あったはずです。
いずれにしても膨大な人数であることは否定のしようもありません。

> 西村慎吾、松原仁、中山成彬などのアホ政治家に教えてあげたいですね。

かれらは確信犯ですから、何を教えたところで聞く耳は持たないでしょう。人間は、聞きたいと思うことしか耳に入らないですから。 (2009.11.07 08:54:11)

戦果の過大見積もりは誤りです  
核心 さん
「戦果の過大見積もり」は否定派の戦後言い始めた言い訳です。
戦果は「郷土部隊戦記」などにも正確に書かれています。
故意に戦果を過大見積もりする馬鹿な軍隊は世界史上、ありません。
それでは戦争になりません。
(相手の戦力が分からなくなりますから。)

親父も人数について聞いたときは、かんかんに怒って「数えた。」と怒鳴り返されました。
(2009.11.07 09:21:03)

公刊物 → 刊行物  
核心 さん
「公刊物」ではなくて「刊行物」の誤りです。
65連隊では昭和13年発行の「郷土部隊写真史」が手元にあります。

少し情報を追加しますと、昭和36年に終戦時少佐の平林貞治氏と福島民友新聞社の論説主幹を後に務める阿部輝郎氏が両角氏のほんの少しのメモを含めた「両角大佐手記」という歴史捏造資料を作成します。
昭和59年に父(栗原利一)がスケッチブックの一部を公表しました。
この両者の比較により、戦史部側の歴史捏造が歴然となりました。
私も肯定派の諸氏もこの両方の資料は持っています。

日本人に表現の自由、言論の自由を教えたら、最初に行なったのが歴史の捏造だった、というお粗末な話です。 (2009.11.07 09:31:39)

笠原十九司氏も中国では捏造派  
核心 さん
肯定派の連中の話では、笠原氏でさえ中国では捏造派に入るそうです。
氏は「戦闘詳報」(将校しか書かない。)の数字は3割増、と将校側の話を鵜呑みにして書いてます。

日本陸軍将校は、南京陥落時の捕虜殺害を計画し、指示し、実行した人たちです。
そのような人たちの書いた歴史、「戦史叢書」に振り回されているのが現在の日本です。
自衛隊は形式的戦力ではあっても実質的戦力ではありません。
国民から全く信頼されない軍隊というのは、最も安全な軍隊でもあります。
表現の自由、言論の自由は真実を伝えるためのものであって、捏造を勧めるためのものではない、程度のことは米国も教育しておくべきだったでしょう。

(2009.11.07 11:20:15)

森松俊夫氏の二度の犯罪  
核心 さん
森松氏は東史郎裁判を計画された方です。
終戦時少佐で戦史部、偕行社などにおられた方です。
この方が東氏の裁判を勝ったやり方が以下のような方法です。

まず、東史郎日記の原本を「平和のための京都の戦争展」に貸し出させ、後の裁判での証拠となる部分を抜き取らせ、それから裁判を起こしたのです。
東氏はそういったことは全く知らず、展に貸したところ、証拠となる部分が抜き取られたのだと主張したのですが最高裁まで行って敗訴しています。

このことが分かったのは2006年に森松氏が親父のスケッチブックに手を出して失敗したからです。
その証拠は山ほどあります。

さすが、旧日本陸軍の生き残りだけあってやることが薄汚い。
こんな人物の書いた「戦史叢書」を防衛省や自衛隊は後生大事に公式文書扱いしているんですよ。 (2009.11.07 13:43:56)

Re:戦果の過大見積もりは誤りです(09/23)  
inti-sol  さん
核心さん

>故意に戦果を過大見積もりする馬鹿な軍隊は世界史上、ありません。

必ずしも故意ではなくとも、戦果の水増しは起こりがちです。旧日本軍の場合、ミッドウェーやガダルカナルでは故意に敗戦を誤魔化しましたが、例えば台湾沖航空戦などはその時点では本当に大戦果を挙げたと信じていました。

>親父も人数について聞いたときは、かんかんに怒って「数えた。」と怒鳴り返されました。

もちろん、それはそうに違いありませんが、全ての場面で捕虜の数を正確に数えていたわけでもなかろうと思います。

森松俊夫氏の件は、以前に試行錯誤板にも書かれていますね、興味深く拝見しました。 (2009.11.07 22:58:31)

昭和12年と昭和17年の違い  
核心 さん
個人的に知り合っているいるわけではないので貴兄の詳しいことは分かりませんが、太平洋戦争の大本営発表がいろいろあったことはNHKなどでも放映されています。
こまかい情報の行き違いの事情も説明されています。

まだ、昭和12年の日中戦争の段階ではそれほど情報が不正確であったことを示す証拠は知りません。

私の年代では「大本営発表」は嘘の代名詞のように使われていましたが、それは戦後の一時代の情報に過ぎないと考えています。

(2009.11.07 23:14:16)

「捕虜取扱い報告書」  
核心 さん
本来は捕虜の「処分」ですから、「捕虜取扱い報告書」という正式な軍の書類がありました。
日本軍は太平洋戦争の敗戦時にこれらの書類を焼却してしまったのです。
捕虜の内訳については肯定派の方々が詳細に調べてはいます。
「郷土部隊戦史」にも正確な人数が書かれています。
どの戦場でも遺棄死体数や捕虜の数は正確に一人単位で書かれています。
その作業についても肯定派の方は熟知していましたけど。 (2009.11.07 23:20:53)

私の立場  
核心 さん
私が南京大虐殺を肯定するのは、戦前の天皇主権国家を否定的に捉える範囲でです。
私は全くの中間派、個人的な史実派です。

戦前の天皇主権国家、明治憲法下で「処分」として大規模な捕虜の殺害を行なったところ、東京裁判以降「虐殺」と呼ばれるようになったのだ、という立場です。

ここいらは「郷土部隊写真史」などを読むと分かるのですが。 (2009.11.07 23:34:16)

Re:私の立場(09/23)  
inti-sol  さん
核心さん
>私が南京大虐殺を肯定するのは、戦前の天皇主権国家を否定的に捉える範囲でです。
>私は全くの中間派、個人的な史実派です。

>戦前の天皇主権国家、明治憲法下で「処分」として大規模な捕虜の殺害を行なったところ、東京裁判以降「虐殺」と呼ばれるようになったのだ、という立場です。

>ここいらは「郷土部隊写真史」などを読むと分かるのですが。

概ね、わたしも同様の立場です。虐殺否定派が話にならない、という点に関しては間違いないと私も思っています。 (2009.11.08 22:21:35)

スケッチブックの破壊工作  
核心 さん
父親(栗原利一)のスケッチブックは3度は破壊工作にあっています。

このスケッチブックの存在は最初から中国側、戦史部側に知られています。

最初は追記による破壊です。
否定派は父親を脅して干渉して来た際に、余白に追記をさせています。
否定派のマーキングのような類です。
田山氏がクリスチャンであるという一文です。
(このマーキングは肯定派も行なっていて、父親も話していないことが追加されるので不思議に思っていたと思います。紫金山の虐殺の件です。)

次は2006年の某社での出来事です。
森松俊夫氏が主導的役割を果たした破壊工作です。

最後の一つは2007年の小野賢二氏放映の取材です。
このときはスケッチブックの貸し出しを求められたのですがお断りしました。
彼らもよく研究していて、放映のときはわざわざ追記の部分を外して映像にしていました。

スケッチを見れば分かるように、「わが部隊は1万3千5百であったが、他部隊と合わせて7万余人と言っておられた。」が父の書いた内容です。

南京は中国側の言ったようにあったことです。
でもそれは日本政府は決して認めることは出来ないでしょう。
平成のこそ泥、森松氏の書いた「戦史叢書」は公式文書扱いなのですから。 (2009.11.10 08:05:29)

Re:スケッチブックの破壊工作(09/23)  
inti-sol  さん
核心さん
>父親(栗原利一)のスケッチブックは3度は破壊工作にあっています。

なるほど、ずいぶん酷いことがあったんですね。
南京で虐殺があったことは、一応日本政府(外務省)も公式には認めています。ただ、人数については諸説ある、として規模については言葉を濁していますが。 (2009.11.11 22:03:24)

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