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2011.12.08
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テーマ: 戦争反対(1248)
カテゴリ: 戦争と平和
今日は12月85日、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まってからちょうど70年です。70年・・・・・・・・私が子どもの頃は、太平洋戦争を直接体験した大人が周囲にいくらでもいたけれど、今や学童疎開世代ですらも70歳を遙かに超えています。(一昨年他界した父は、学童疎開の一番下の世代で、生きていれば76歳)母は敗戦時に小学校1年ですから、戦争を直接「体験した」と言えるもっとも若い世代(実際、空襲で逃げ回っている)ですが、73歳。戦争体験が縁遠くもなるわけです。

太平洋戦争開戦に至る経緯を追った「御前会議」(文春文庫)の著者五味川純平は、同書の後書きに、こんなことを書いています。


私自身に関していえば、調査関係の職務上、私の机にはほぼ1年遅れで列国の戦略重要物資の生産高に関する数字が集っていた。それによると、本文にも記したように、石油、銑鉄、綱塊、銅、アルミニウム、その他十数品目の日米生産高の比較は、算術平均値をとると、米国の74に対して日本の1であった。比較にならない数字である。戦争など出来る数字ではなかった。だから、私は、一青年社員に過ぎない私にさえ基礎的判断材料があるくらいだから、企画院、陸海両省、商工省などには精密な資料があって、それらは戦争など出来ないことを示しているはずである、したがって、日米交渉で日本がどのように強硬な態度を見せるにしても、最後的には妥協して戦争は回避されるはずである、と考えていた。
事実は一青年の予想を完全に覆した。私がファシズムの論理に暗かったのだといえばそれまでのことである。私は、如何に軍国主義と雖も、少なくとも危機に際して下す政治的判断は、もっと客観的であり、冷静であると思っていたから、12月8日朝の開戦のラジオ放送は、私にとって全く驚天動地の衝撃であった。
しょせんの華々しい戦火は、軍艦マーチ入りで会社内に報道され、社内は戦勝気分で沸き返っていた。そういう空気のなかで、私は、机を並べる同僚たちに、先の数字を挙げて、戦争の前途の悲観的見透しを話した。戦勝気分に反撥したのである。戦局が非勢に陥れば、私たち青年の運命も谷まることになるからであったかもしれない。
私は早速上司に呼ばれて、説諭をくらった。今でもはっきり憶えている。こう言われたのだ。
「君は学校出の知識人だろう。戦時下の知識人の任務は徒に悲観的流言を撒いて国民の戦意を喪失させることにあるのではなくて、むしろ楽観的流言を撒いて戦意を高揚させることにあるのではないか。」
奇妙な論理ではあったが、それが国民感情に適合する時代であった。私は、いまでも思うのだが、そのとき、もしその上司と私と一対一であったら、私は資料的論拠を持っていたから反駁するのは容易であったろう。数字が示す事理は明白であったのだ。それにもかかわらず私は沈黙した。その部屋には五十人ほど執務していたが、私はそれらの人びとからのとげとげしい白い視線に包囲されて、憎悪と敵意が突き刺さってくるのを意識した。真相を知らない、真相に近づこうともしない「愛国者」たちの無責任な白眼視に、私は意気地なく屈服したのである。
後になって回想、たとえば海軍が陸軍に対して開戦反対を貫けなかったのも、心理的には私の経験のような次元の低いことであったのかもしれないとも思う。(以下略)

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非常に示唆に富むエピソードです。多分、私が五味川と同じ立場にいたら、やっぱり黙ってしまったのだろうと思います。集団心理の怖さ、その場でそれに異を唱えることの難しさです。そして、その結果として、五味川はその3年半後、1945年8月に、「満洲」の最前線で地獄を見ることになります。彼の属する中隊は、ソ連軍の戦車群に蹂躙され、150人の中隊で生存者がたった4人。五味川は、幸い生き残った4人の中に入ることが出来ましたが。
旧海軍は、対米戦に消極的でした。もちろん、だから海軍が「反戦的」だったわけではありません。中国への侵略戦争には、海軍も何のためらいもなかったのですから。しかし、少なくとも陸軍に比べれば、「対米戦に勝ち目なんかない」という客観的事実に留意できる程度の、ほんのわずかな冷静さは持ち合わせていました。しかし、その、ほんのわずかな冷静さは、陸軍の「積極性」の前に、あっさり消え去ってしてしまったのです。よく言われるように、「莫大な建艦予算をもらいながら、対米戦に勝ち目がないなどとはとても言えない」という、くだらないメンツの故です。その挙げ句に、南部仏印占領によって米国から石油や屑鉄の禁輸措置という制裁を受けると、今度は一転して、「このままではじり貧」と戦争に向けて突き進みました。結局、「イケイケどんどん」の積極論の大風呂敷を派手に広げる方が、冷静な意見、「消極的」な意見と比べると、魅力的に見えてしまうために、その場その場で「イケイケどんどん」が主導権を握り、気がつけば日本という国をとんでもないところに導いてしまったわけです。

実に絵に描いたような政策の破綻ですが、案外人間社会の本質なんて、そんなものかもしれません。現在の日本人が、太平洋戦争開戦当時と比べて、どれだけ進歩し、どれだけ冷静になったかというと、たいして変わらないのかも知れません。それでも、同じ場面に遭遇して同じ失敗を繰り返さないためには、過去の失敗を分析・総括すること、そして、間違っていることは「間違っている」と声を上げる勇気を持つこと(それがそう簡単なことではないのですが)に尽きるのでしょう。





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最終更新日  2011.12.09 00:30:46
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