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10/31 Wed和顔施は人のためならず 心がどれほど体に影響するか、案外知らずにいる人が多いのではないでしょうか。庭野平和賞を受賞されたノーマン・カズンズ博士は、膠原病にかかったときに、「どんな患者も自分の中に主治医を持っている。それをどう引きだすかだ」というシュバイツァー博士の言葉を思いだして、「笑う治療法」で病気を克服されたのだそうです。笑うと、血液の流れがよくなって、ウイルス感染から細胞を守るインターフェロンが働きだし、不快な顔になると、とたんにその流れが止まってしまうことが、最近の医学で分かってきたそうです。無理に笑うのでも、効果があるといいます。確かに、どんな苦しいときであっても笑顔をつくると、心が明るくなってくるのですね。いつも苦虫をかみつぶしたような顔をしている人がいますが、こっちが笑顔で接していくと、表情が和みます。布施の一つに笑顔で人に接する「和顔施(わげんせ)」があるのはご存じでしょう。和顔施は、何がなくても、だれもが、いつでもできる布施行です。その布施で相手が心も体も健康になり、自分も健康になれるのですから、まさに「和顔施は人のためならず」です。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.30
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10/30 Tue惚れ込んだ人のひと言 「この人こそ、と本当に惚れ込める人を持っていることが人生最高の幸せだ」と言う人がいますが、そのとおりですね。その人が話すひと言ひと言に、「そのとおりだ」とうなずかされる。その人の顔を見、声を聞くだけで、うれしくて、生きる力がわいてくる......。「私もあの人のようになりたい」と、知らず知らずのうちに、ものの言い方から考え方まで似てくるのです。信仰でもそうです。みなさんの多くは仏教の教義もさることながら、導きの親御さん、支部長さん、教会長さんの姿に引きつけられて、ご法に導かれたのではないでしょうか。その人が説いてくださる教えだからこそ素直に聞くことができて、だんだん仏教の深い教えに引きつけられてきたのだと思うのです。会社でも、部下に好かれることが上司の第一条件だといわれます。心から好きになると、その人に言葉をかけてもらうだけでもうれしい。失敗して注意されても、「ようし、この人の期待に応えなくては」と発奮する。いちいち指示される前に自分から動かずにいられなくなる。慕われる人になると、黙っていても人さまをお救いできるのですね。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.30
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10/29 Mon合わせ性 結婚について、ある詩人がこんなことを言っています。「結婚して三日間は夢中、三年間は優しく愛し合うが、あとの三十年間はがまんのし合い。だが、互いに鼻につきだしてからの三十年間に、夫婦の本当の愛情がわいてくる」と。私の祖父は仲人の名人でしたが、「こんな娘を」「こんな婿を」と条件をつけられると、「そりゃ、わしの手に負えない」と断わるのです。「いくら相手に注文をつけてみても、一生のことは分かるものじゃない。夫婦というものは、こっちの出ようで相手はどうにでも変わるものだ」というのが、祖父の口癖でした。最近は「三高」などといって、女性のほうからも結婚相手にさまざまな条件を出すようになりました。しかし長い結婚生活は、身長が高くて、高学歴で、高収入でなどという外側の条件だけでなく、さまざまな条件が合わなくてはやっていけません。それが最初からピッタリ合う相手などいるわけがありません。互いに、相手に合わせてそういう条件をつくりだしていくのが結婚生活でしょう。合わせる心こそがいちばんの条件。それさえあれば、すべてが整っていきます。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.28
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10/28 Sun慈悲の方便力 上に立つ長が号令をかけてみんなの尻をたたき「どうして目標を達成できないんだ」と叱咤しても、それだけで人は動くものではありません。関ケ原の合戦に敗れ、会津百万石から米沢三十万石に減封された上杉藩を救う改革をやってのけた直江兼続という人は、農業増産計画を立てさせると、それと一緒に、こんなお触れを出します。「これから娘たちは、姉さんかぶりに赤いけだし姿で田んぼに出ること」「亭主が野良から帰ったら、女房は泥足を洗ってやること」--それをみんなに実行してもらって、すばらしい増産実績を上げたのでした。ただ「増産、増産」とかけ声をかけるよりも、働き手が喜んで働かずにいられないようにしてあげることが大事なわけです。法座でも、家庭でも、会社でも、ただ「こうしなさい」ではなく、その人が喜んで打ち込めるように、いろいろ手だてを考えてあげるのが慈悲の方便です。みなさんに幸せになってもらいたい、仏道をあゆんでもらいたいと一心になると、あらゆる知恵を総動員せずにいられなくなります。そこに方便力が授かるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.28
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心の転換、発想の転換「転換」とは、現象が変わるというよりは、私たちの受け取り方が変わっていくことなのだと思います。私たちは、自己中心で、狭く、堅苦しい、固定的な気持ちでいるとき、本当に思い上がってしまいます。何事も「ああすればいい」「こうすればいい」と比較対照的に物事をとらえてしまいます。しかし私たちは、仏さまの教えによって、自己中心の心から離れていくことができます。〈私たちのいのちというのは神仏から授かったんだ〉〈自分は何も努力していないのに、いまこうしていのちを頂いているんだ〉。その自覚から、「有り難い」「させて頂く」という、真に謙虚で、柔軟な気持ちが生み出されていくのです。『佼成新聞』より
2012.10.27
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10/27 Sat聞き上手は嫌われない 「佼成会の会員さんの集まりでは、本当に話がしやすいですね」と言ってくださる方がいました。信者さんがみんな、話し手の目をまっすぐ見て、いちいち笑顔でうなずいて聞いてくださる。それが本当にうれしいというのです。佼成会の会員のみなさんは、いろいろすばらしいところを具えておられますが、その一つが、この聞き上手だといってもいいでしょう。話し手は、話すことで自分を表現しているわけですから、聞き手がその話に共感し、受け入れてくれるかどうかが、なによりも気になります。聞き手が無表情だったり、そっぽを向いたり、ざわついていたりすると、自分が無視されているような気がして、話に力が入らなくなってしまうのです。法座でも、そうです。法座主があれこれ気をとられて上の空で人の話を聞いていると、相手は自分が無視されたように感じてしまいます。真剣にうなずいて聞いてもらえると、それだけで救われた気持ちになるのです。法座では、まず聞き上手になる修行が大切です。話し上手はうっかりすると嫌われることもあるのですが、聞き上手が嫌われることは、まずありません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.26
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10/26 Fri妙法を呼び奉る こちらの心が浄まると、この世界がそのまま「天人常充満(てんにんじょうじゅうまん)」の世界になる、と「如来寿量品」に説かれています。けれども私たちにはなかなかそうは見えず、社会のさまざまな汚ればかりが見えてしまうのです。しかし、まわりの汚れを見る前に、自分の心の汚れを除く努力のほうが大切ではないでしょうか。「口に妙法を呼び奉れば、わが身の仏性も呼ばれて必ず顕われ給う」と日蓮聖人は教えられました。法華経には、仏さまの願い、諸菩薩の願い、そして数知れぬ人びとの願いが込められています。その経典を毎日、朝夕に読誦する行によって自分が次第に浄化されていくと、「困った人だ」と見ていた人が、その奥にけがれのない心を持っているのが見えてきて、それに気づかずにいる不愍さに胸が痛んできます。桑名教会の信者さんが、こんな説法をしてくださいました。大聖堂の当番団参で心の底まで洗われた気持ちになったときに、ご本仏さまが自分にほほえみかけてくださっているのが見えて、「ああ、いままで自分の目が濁っていて仏さまの本当のお姿が見えなかったのだ。みなさんのきれいな姿が見えなかったのだ」と初めて気づけた、とおっしゃるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.26
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お天気は「回復」するのか今朝、天気予報で「お天気が回復する」と言っておりました。「回復する」って、いったい何を回復するんだろう、と思ったのです。雨が降っても、曇っても、晴れても、風が吹いても、これは、みんなお天気の表れではないか、と。回復とは、どういうことを言うんだろう、と疑問を持ったわけであります。普通、良い天気と言うと晴れ、晴天だと思っていますが、どうもこれはおかしいのであります。人間の都合、人間を中心にした考え方です。雨は雨で必要ですし、お天気というのは雨でも、曇りでも、晴れでも、みんな必要なわけです。人間は、どうしても好き嫌いというような偏見をもって物事を見てしまいます。私たち人間のいのちを見るときも、やれ背が高いとか低いとか、足が長いとか短いとか、いろいろととらわれてしまいます。しかし私たちのいのちは、その人独特のいのちです。すべてが特徴です。みなが独特の有り難いいのちを頂いていることに目覚めれば、そうした比較対照の世界は、問題にはならないのです。仏さまは、この世に生まれてくること自体が、大変有り難いことなのだ、とおっしゃられています。そして、不思議ないのちを頂いたことに感謝し、自らの独特のいのちを発揮して、生きがいをもって生きていく。仏さまの教えは、そのことを教えてくださっているのだと思います。ですから、人と比べて落ち込んだり、増上慢になったりせずに、本当に有り難いと思って人生を過ごしていく人間になることが、もっとも大事なことではないかと受け取らせて頂いているのです。『佼成新聞』より
2012.10.25
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10/25 Thuリーダーの資格 指導的な立場の人が具えなければならないものとして、先見性とか決断力とか、いろいろ挙げられます。なかでも、これを具えなくては長の資格はないという、いちばん大事なものはなんでしょうか。それは、人びとの信頼だと私は思うのです。みんなの信頼が得られなくては、どんなに立派な言葉を並べて説得しようとしても、人の心に届きません。心から信頼されているリーダーならば、たったひと言で相手を変えてしまうこともできるのです。では、その信頼はどこから生まれるのかというと、まず第一に、正直であることです。表から見ても裏から見ても少しの違いもない。それからもう一つ、なによりも人を大切にする心を持っていることです。上の人には揉み手をしてすり寄るけれども、部下に向かうとガラリと態度が変わって怒鳴りちらすというような人は、論外です。それは、自分の立場ばかりを大事にする人です。リーダーは、自分を捨ててみんなの幸せを考える人でなくてはなりません。幸せも成功も人間関係がもと。人間関係を大事にできない人は何をやってもだめだ、と言いきってもいいでしょう。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.24
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Amazon.co.jp Kindle発売開始
2012.10.24
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10/24 Wed法を聞く者 相撲は立ち合いで勝負が半分ついてしまうといいます。自分の立ち合いができれば、こっちの得意な組み手、攻めと先手がとれて、相手は相撲をとらせてもらえません。しかし、その立ち合いを本当に会得するのには、泥まみれ、砂まみれの稽古に明け暮れ、何場所も土俵を踏んで、あるとき「これだ」とつかめるのだといいます。それをつかんでしまえば、もう滅多に負けるものじゃない。信仰も、たくさんの教えを覚えるのもけっこうなのですが、一つの教えを繰り返し繰り返し実行して、「これだ!」と本当に自分のものにしてしまうことが大切です。一つでもつかめると、仏さまの世界にスッと入ってしまって、なにごとにも動じない自信ができてくるのです。「若し法を聞くことあらん者は一りとして成仏せずということなけん」と、仏さまが私たちのすべてが仏になれることを保証してくださっている、その条件である「法を聞く者」とは、教えの一句でも実行し続ける人という意味です。法華経では八歳の竜女が瞬時に仏になるさまが語られていますが、舎利弗(しゃりほつ)尊者を瞠目させたその成仏のカギはそこにあると思うのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.23
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10/23 Tueわがままが通る怖さ わがままがまかり通っている人を見ると、うらやましくなることがあります。しかし、そういう人は、じつは気の毒な人かもしれないのですね。私たちの体の中には、いろいろな臓器があります。たとえば肝臓は養分の貯蔵と解毒作業をしてくれていますが、その肝臓の一晩の解毒能力は、日本酒の場合で三合だそうです。ところが忠実な働き者の肝臓は、主人が毎晩ガブ飲みしても「私はもうこれ以上は働けません」などと文句を言いません。われとわが身を犠牲にしてでも、自分に与えられた仕事を一生懸命にこなしていきます。それをいいことに、ご主人さまがいい気持ちで飲み続けていると、さすがの肝臓も力尽きて、倒れてしまいます。毎晩五合の酒ならば、間違いなく十年で肝硬変になってしまうそうです。人の集まりでも同じで、わがままがまかり通っているのは、まわりのだれかが犠牲になってくれているからなのです。そのありがたさに早く気づいて自分の生き方を変え、まわりの人をいたわってあげないと、やがては命取りになりかねません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.23
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10/22 Mon鏡の中の自分 「うちの子は親の言うことをちっとも聞かず、口ごたえばかりするんだから」と、いつもイライラしているお母さんがおられます。そういうお母さんをよく見ていると、ご主人に何か言われても、まず「はい」と返事をしたことがないという人がおられるのです。「はい」という返事より、「でも......」「だって......」と、自分の言い分を主張する言葉のほうが、先に口から出てしまうのです。ご主人のひと言ふた言に対して、ダッ、ダッ、ダッ、と機関銃のようにまくしたてて、相手を黙らせてしまうといったお母さんもおられます。それで「うちの子は口ごたえばかりして」と子どもを叱りつけても、効き目のないのは当然です。子どもは、お母さんのお手本どおりにやっているのですから。わが子は、親のゆがみまでそっくりそのまま映して見せてくれる鏡なのです。やはり、お手本のほうを直すのが先です。わが子は、親の自分の欠点を教えてくれるお師匠さんだと拝む心になると、そんなに口うるさく言わなくても、子どもは自然に変わってきます。 庭野日敬著『開祖随感』より紅葉の大雄山最乗寺 http://www.geocities.jp/yaji_kita843/niko-niko/sub1-08-daiyuzan.html
2012.10.22
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大雄山線って?大雄山線(伊豆箱根鉄道株式会社)は、大正14年10月、道了尊最乗寺の参詣客の利便を図るために開通しました。小田原駅(神奈川県小田原市)から大雄山駅(同県南足柄市)まで、9.6キロの短い路線です。 ・単線運転で、五百羅漢・相模沼田・和田河原の各駅で交換が可能。 ・朝・夜を除き日中は12分間隔で運転。全線所要時間21分、全線運賃270円です。沿線はかなり宅地化が進み、主に通勤・通学、また、道了尊へ参拝される方々の大切な足になっていますパスモスイカが使用可能であった歴史大雄山線は、大雄山鉄道によって開業した路線である。道了尊で有名な最乗寺への参詣鉄道として計画された。延伸路線として、御殿場線山北駅までが計画されていた。
2012.10.21
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10/21 Sun天の声 「この紋所が目に入らぬか。恐れ多くも先の副将軍......」という名台詞は、ご存じテレビドラマ『水戸黄門』のクライマックスですが、この時代劇は、スタートして二十三年目を迎えたそうです。スポンサーの松下電器の松下幸之助さんは、「国の為政者、人の上に立つ者は、それにふさわしい責任ある行動をとらなければならない。その立場を忘れて不正な輩と結託するようなことがあっては、庶民が許さないんですよ」と言って、このドラマをいつも楽しみに見ておられたそうです。六波羅蜜の一つに忍辱行が挙げられていますが、忍辱行でいちばん難しいのは、まわりの批判にじっと耐える忍耐よりも、どんなお上手を言われても、そのお世辞に乗らないことで、これも大事な忍辱行です。自分に反対する人がだれもおらず、いつもみんなに合掌されていると、自分が偉くなったように錯覚しがちで、そこに我が出てしまいます。自分のわがままを押し通して、それに気づけなくなってしまうのです。黄門さまではありませんが、「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい」という"天の声"に、いつも耳を澄ましてわが身を整えるのが精進です。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.21
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10/20 Sat良寛さんの涙 良寛さんが放蕩者の甥に意見してほしいと頼まれて出かけ、その家に何日も逗留しながら、なんの話もしようとしない。とうとう帰る日になってしまい、良寛さんは玄関先で、その甥に自分のわらじの紐を結んでほしいと頼みます。その甥の手の甲に良寛さんの涙がポタポタ落ちてきて、放蕩息子がいっぺんに目を覚ましたという話があります。人を本当に目覚めさせるのは、言葉だけにかぎりません。自分がどれだけ相手のことを思っているか、心配しているか、その思いが伝われば、相手は心を揺さぶられます。天台座主の山田恵諦猊下が、「人一人救うのは大変なことだが、佼成会の信者さんはそれをやすやすとやっておられる。相手の心を開いてあげられるからですね」と、おっしゃってくださったことがありました。いきなり「あんたの、ここを直さなくてはいけません」とズバリと指摘したのでは、相手は自分の傷口をかばって、苦の大もとをかたくなに抱き締めてしまいます。心の鎧かぶとをはずしてあげさえすれば、自分のことを思ってくれる言葉が身にしみて、自分で歩きだしてくれるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.20
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コースは、09:00 御殿場駅乙女口集合09:05 バス乗車¥69009:30 バス下車(金時神社前)▲金時神社(トイレ)△金時山(トイレ)△明神ヶ岳▼最乗寺(トイレ)~(徒歩)~おんりーゆーで入浴♨¥1,800 http://www.ashigara-only-you.com/帰りは17:30か18:30に小田急線開成駅まで無料送迎がありますので、利用したいと思います。持ち物:昼食・飲み物・防寒具・雨具・懐中電灯コースの概要:金時山はOxfamのコースではありませんが、お楽しみとして。コースは大体こんな↓感じです。最乗寺への下りはちょっと長いです。明神ヶ岳は標高が低いのですが、頂上は寒いので防寒具を持参することをおすすめします。http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-230588.html
2012.10.20
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人生二度なし皆が分かっているつもりになっていることでも、実は分かっていないことが、人間にはあるのだそうです。それは「人生二度なし」ということです。表面的には分かっているのでしょうが、本当のところはなかなか分かっていないと言えるのです。「人生二度なし」ということが本当の意味で分かっていませんと、私たちはいろいろなことに不平不満をもって生きてしまいます。せっかく生きているのに、不平不満の心で毎日を過ごすということでは、生きがいを持てないわけです。それは、大事なことを忘れているからであります。仏さまの教えは、私たちに人間が死ぬということ、いわば死の智慧を教えてくださっているのだと思います。死ほど人間にとって確実なことはありません。その確実なものに基礎を置くことによって、私たちは生きていることの喜びを味わうことができるのだ、と仏さまは教えてくださっているわけであります。死を見つめることによって、いま生きていることがいかに有り難いかを分からせて頂ける。「人生二度なし」ということを、いつも心の基礎に置いていきたいものであります。『佼成新聞』より
2012.10.19
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10/19 Fri接し方が変われば 家族に嫌われるお父さんの筆頭に挙げられるのは、夕食のあと、いつまでもお酒を飲んでいるお父さんだそうです。家族に小言をいつまでも繰り返し言い続ける。家族が何を言っても、こっちの言うことなど聞いてもくれない。いつも自分中心で、ぜったいに自分を変えることがない......。確かに、そういうお父さんもいます。しかし、あきらめてしまってはなりません。「諸行無常」とは、どんなものも、どんなことも同じ姿でいるものはなく、刻々と変化し続けるという真理です。それなのに、どうして絶対にもう変わりっこない人がいるように見えるのかというと、こちらの対し方が変わらないからなのです。がんこなお父さんも、いま、たまたまそういう態度をとっているだけで、必ず変わります。なんで変わるのかというと、家族の接し方なのです。これが「諸法無我」の真理です。「このお父さんには、何を言ってもむだなんだ」と決めつけずに、思いきって、こちらの接し方を変えてみる。話しかけてみる。すると、必ず変化が現われて、お父さんの本当の心が顔をのぞかせてきます。そこに働きかければいいのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.19
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ラガルド専務理事 IMF サーベイIMF・世界銀行年次総会ラガルド専務理事、危機後の世界を 方向づけるロードマップを提示IMFサーベイ2012 年 10 月 12 日 世界経済は大きな変化のなかに 危機を乗り越え、金融システム改革を実現し、包摂的成長を推進 IMF、相互連関した世界を進む加盟国支援に対応国際通貨基金(IMF)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事は、世界を回復への力強い軌道にのせ、世界経済に変化を起こしている人口構成と技術の変化を足場に前進するためには、より一層の国際協力が必要だと呼び掛けた。東京で開催中の 2012 年IMF・世界銀行年次総会本会議で行われた基調講演でラガルド専務理事は、世界の最優先課題は現下の危機を克服し、何百万もの失業者に雇用を創出するために十分な成長を回復することだと強調した。より力強い成長を実現することは、第二次世界大戦以来最高の水準にある先進国・地域の巨額の過剰債務の対処に役立つと期待される。188 カ国の代表を前に東京国際フォーラムで行った講演でラガルド氏は、多くの面でアジアのダイナミズムは世界の未来を象徴していると語った。また、中東からアフリカまで世界は急激な変革のなかにあるが、一方で重大な課題にも直面していると述べた。政策のマイルストーン市民団体や民間セクターからの参加者を含め1万人超が一堂に介する年次総会に先立ち、IMFは世界経済は 先行き不透明な状況にあると発表した。IMFは、世界経済の今年の成長率を3.3%に下方修正するとともに、2013 年は3.6%と引き続き低迷すると予測した。ラガルド氏は、今後の道のりにおける三つのマイルストーンについて説明した。 危機を克服し、成長を回復する 金融部門の改革を完了する 不平等に対処し包摂的な成長を築く危機を終わらせるにあたっての最優先事項は、成長を取り戻すことであろう。専務理事は、「成長なしでは、世界経済の未来は危うい」と強調した。現在先進国・地域で平均して対ラガルド専務理事: 世界の最優先課題は、現下の危機を乗り越え、雇用の創出に十分な成長を回復することである(写真: Stephen Jaffe/IMF)2GDP比でほぼ 110%に膨れ上がった公的債務という大きな遺産に対処するには、成長の回復が不可欠となろう。専務理事は、「危機を招いたシステムを越えるために」金融部門の改革アジェンダを喫緊の課題として完了させる必要があると述べた。同時に、改革のモメンタムを失っている懸念を表明し、規制の改善、監督機能の向上、国境を越える機関のより適切な破たん処理制度、金融機関内のより良いインセンティブの実現に向けた措置を採るよう呼び掛けた。専務理事は不平等の減少がマクロ経済の安定性の向上とより持続可能な成長に関連していることを示すIMFのリサーチに言及、「無制限なグローバリゼーション」を退けるとともに、包摂的かつすべての人々に利益をもたらす成長が不可欠であり、これは政策に対する重要な意味を含んでいると述べた。「財政政策を策定する際、その効果に重点を置くものの、平等の問題に留意することを意味する。調整の負担を公平かつ公正に分かち合い、弱く脆弱な人々を守る事を意味する。全ての人々が信用と金融市場へアクセスできる、より包摂的な金融を意味する。全ての人々に機会の窓が開かれ、閉じられた場合はその理由が明らかにされる透明性とガバナンスの向上を意味する」と述べた。IMFの役割IMFの役割について、ラガルド専務理事は、188カ国が加盟する国際機関は世界的な経済協調のための第一級のフォーラムであり、「多国籍機関はこれまでも重要だったが、将来においてこれまでにも増して重要となる」と明言した。また、IMFはこれまで危機に対処し変化してきたと強調するとともに、その将来像の概要を示した。ラガルド専務理事は、IMFは以下のようでなければならないと述べた。 経済サーベイランスと分析を強化し、経済政策に関して常に信頼されるアドバイザーでなくてはならない。 相互連関した世界で、加盟国支援に必要なリソースを備えていなければならない-IMFは現危機のなか5,400 億ドルをコミットし、126の融資プログラムで1,570 億ドルを支出した。 ダイナミックな新興市場国に向け代表権を調整することにより、グローバル・オーナーシップ を真に反映しなければならない。昨年の大地震と津波により甚大な被害がもたらされた仙台を訪問したラガルド専務理事は、その印象を語った。仙台では、現在大規模な復興が進展している。専務理事は、「全世界が感銘を受けている。日本人は、我々が皆理解しなければならないこと、共に立ち上がり一つになることで初めて、今日の混乱を克服し我々の共有する未来を発展させることができるということを理解している」と讃えた。3協力の精神ラガルド氏は「我々の楽観的観測が現実のものとなるまでには、大変な道のりが待ち受けている」と述べた。同氏は、「今重要なのは、熟慮ではなく必要とわかっている政策を実行へ移すこと、そしてあらゆる面で連携することである」と、行動と協力の必要性を強調した。また、世界経済が今後どのようになり得るのかについて、「困難な時に互いに協力すること、協力の精神こそが、前進する唯一の道である」と述べた。
2012.10.18
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10/18 Thu拝み続ける人 信仰も慣れが出てくると、形だけ立派でも心が伴わなくなりがちです。手を合わせて形は相手を拝んでいても、心の中で、「この人は、人の言うことにいちいち反発する困った人だ」などと思っていたのでは、相手は心を開いてくれません。法華経には、常不軽菩薩の礼拝行が説かれています。常不軽菩薩は、どんな人であろうが「この人は仏性を具えていて、必ず仏になる人だ」と、もう、ぜったいに信じきって拝み続けるのです。ですから、石を投げつけられても、杖で打ちかかられても、「あなたがどんなことをしようと、私は、あなたを信じて疑いません。あなたは仏になる人だからです」と拝み続ける。相手がどんなむちゃを言おうが、まったくおかまいなしです。文字どおり、拝み倒すのです。そういう人に出会うと、人は降参するしかないのですね。心の奥の奥に眠っている、けがれのないきれいな心がほとばしってくるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.18
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自彊術 第25動 10/17 Wed実行できるように説く 仏教の教えは、難しい理論として説くのでなく、だれにも分かるように説くことがいちばん大事です。分かりやすくというのは、毎日の生活の中でだれもが実際に実行できるように説いてあげることです。それを聞いて、教えられたとおりに実行してこそ、教えのすばらしさが体験としてつかめます。自分が実際に体験したことは、信じないでいられません。そして、心の底から信じてしまうと、必ず結果が出ます。それを人さまに教えてあげずにいられなくなります。すると、聞いた人が次から次へ結果をいただくようになるのです。みなさんが求めていること、本当に聞きたいことを話してあげれば、だれもが身を乗りだし、全身を耳にして聞いてくださいます。仏教の教えによるご利益、功徳をみなさんが頂戴できるように、という一心で話させてもらうと、人がどんどん集まってきてくれるのですね。こっちの言いたいことだけで、人が聞きたくもないことを滔々としゃべって、相手の欲しいものは何も与えないという説法では、どんなにこっちが力んでも、人は動くものではありません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.17
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自彊術第24動 10/16 Tue困難が発奮材料 幸福の女神を「ぜひともわが家においでいただきたい」と招いたら、妹の不幸の女神も一緒についてきてしまった、という話があります。幸福もその裏側に落とし穴があるわけです。同じように、不幸も裏返すとそこに幸福の芽が隠されています。自分では一生懸命に努力しているつもりなのに、人に誤解されたり嫌われてしまうことがあります。精いっぱいがんばっているのに、逆の結果ばかり出ることもあります。それが続くと、だれもが腐ってしまうのですが、私は、みなさんが頭を抱え込むような、真っ青になるようなことが起こると、「いよいよおもしろくなってきたぞ」と、自分に言い聞かせるのです。自分に不利なことも功徳と受け取る。逆縁も善縁と考えて、努力して解決をめざす。それが仏道修行だと思うのです。私は若いころ、「あんたは毎日が平穏無事で刺激がないと、のんびりしてしまう。なにか事が起こると発奮する人だ」と言われたことがありました。難題が私には発奮材料なのです。精いっぱい努力をしていれば、必ず見ていてくださる人がいます。かりにだれが見ていなくても、仏さまはすべてご照覧です。それを信じられなくては本物の信仰者といえないと思うのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.16
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40年前のアルプスクイックエース再生オーバーホール完了鵜飼さんアドバイス有難うございました。最後にフォークを修正していただきました。薛さんありがとうございました。フレームを再塗装してくれた関さんありがとうございます。 富士山を背景に記念写真 富士山麓を走り回るぞ\(^o^)/ 自彊術 自彊術第23動 10/15 Mon油を圧す殃 立正佼成会を始めたときに恩師の新井助信先生が、「いっぺんに油をたくさん採ろうとして、万力で一挙に菜種を押しつぶすようなことをしてはいけませんよ」と、アドバイスしてくださいました。これは「陀羅尼品」に出てくる「油を圧(お)す殃(つみ)」の教えです。ゆっくり時間をかけて搾らないと、よい油はできないのですね。人も同じで、自分の理論はぜったいに間違いがないのだから、みんなを同調させなくては、とあせりすぎると、こちらの本意が伝わりません。自分だけ孤立することになってしまいます。人が十人いれば、考え方も十色です。自分の考えを分かってくれないと腹を立てるほうがおかしいのですが、「自分は正しいことをしているのだ、善いことをしているのだ」と思い込むと、同調しない人が許せなくなってしまうのです。本当に納得していない人を無理やり引っ張っていこうとしても、カラ回りするだけです。回り道にみえても、一人ひとりに心から納得してもらったほうが、結局は早道です。そうした地道な努力を積み重ねてきたことで佼成会の今日があることを忘れてはなりません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.14
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10/14 Sun協力者を得る法 商売でも、どうしたら売れるようになるかではなく、買ってくださる人の気持ちをいつも考えられるようになれば成功間違いなしだ、といわれます。人と人の関係の極意も、そこにあるのですね。それが、初めはみんな逆なのです。自分の考えだけが正しいと相手に押しつけてしまう。自分の意のごとくならないと気が済まない。これを自分勝手というのです。それでいくら力んでも、まわりは自分の思いどおりにはなりません。ですから私は、まず相手の意見を受け入れてしまうことにしているのです。そして、それに自分の考えをどう合わせられるか、調和させていけるか、考えるようにしてきました。そうすると、どんな人も安心して自分の力を出しきってくれるのです。いくら自分の意見を通してみたところで、一人の力でできることには限りがあります。自分と一つ心になって協力してくださる人材を、どれだけ得られるか。大事なのは、そこです。「みなさんが菩薩の行をなさる方だ」と拝む心になると、こっちの我など張る必要は、まったくなくなるのです。相手に合わせる気持ちになれば、相手も必ずあゆみ寄ってくれます。心と心は必ず通じ合うものなのです。 庭野日敬著『開祖随感』より自転車ホークの修理http://picasaweb.google.com/holoholozen
2012.10.14
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10/13 Sat誓願の大切さ 人間は弱いもので、善いことをしなくてはならないと思っても、すぐに怠け心のほうに引きずられてしまいます。いつも樹上で坐禅を組んでいる鳥カ[カはあなかんむりに「果」]禅師が、その地方の長官として赴任した白楽天に、「仏教とはどんな教えなのか」と尋ねられて、「悪をなさず善を行なって、自分を浄めるのが仏の教えである」と答えたのも、そこのところなのです。白楽天が「それくらいのことは、三歳の童子も知っていよう」と問い返すと鳥カ禅師は、「三歳の子どもが知っていることを、八十の翁もできない」と答えます。この人間の弱さを、どうしたら克服できるのか。そこに仲間(サンガ)の大切さがあるといえましょう。ただ心の中で願うだけではなく、大勢の仲間の前で言葉にしてお誓いをする。これが誓願です。信仰は個人の回心こそ大事といいますが、自分一人でそれができる人は、そう多くないのではないでしょうか。その人の仏性をみんなが信じきって、少しくらいの失敗はあっても温かい目で見守り続けてあげる。その励まし、期待に応えなくてはならないという意欲が、人を生まれ変わらせるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.13
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今年5月より 40年前のアルプスクイックエース復元にとりかかり、自力で街の自転車屋さん鵜飼さん教えをいただきなんとか組みあがりましたが、問題がフォークに曲がりがあり直進性に問題がありました。ネットで検索の結果下記の薛さんのHPに辿り着き修理をしていただきました。ZENさん こと 薛 雅春 さん(せつさんとお読みします 著書自転車パスハンティング-峠越え [単行本] )修理の様子写真完璧な修理の様子は下記から御覧ください。http://picasaweb.google.com/holoholozen アウトドアショップZEN296-0001千葉県鴨川市横渚1114 ZENビルTEL 04-7092-0478info@zenjp.comhttp://zenjp.com/ 代表:薛 雅春(せつ まさはる)
2012.10.12
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10/12 Fri万灯をともす人 日蓮聖人のお逮夜には、勇ましい万灯行進が繰り広げられます。日蓮聖人は、「いまの日本国で最高の富者は、日蓮でありましょう。法華経に命を奉って、後の世まで名をとどめることができるのだから」とおっしゃられました。法華経に命を奉るとは、生死を自分が置かれたその場所に賭けることです。法華経は「たとえ花園であれ、林中、僧房、在家信者の家、宮殿であれ、その場に塔を建てて供養しなさい。そこが道場なのです」と教えています。自分に与えられた仕事、自分に与えられたお役に、はじけるような喜びを持って打ち込んでいくと、その姿が周囲の人びとの心に灯をともしていくのです。これが、その場その場に塔を建てることだといえましょう。自分がいま働いている職場、家庭、地域を修行の場として、人びとの心に灯をともしていくその喜びを、笛、カネ、太鼓を打ち鳴らし、マトイを打ち振って人びとに示していくのが、万灯行進です。二陣三陣となって、日蓮聖人に続く意気込みを示そうではありませんか。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.12
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天上天下唯我独尊「天上天下唯我独尊」という言葉は、一般的に「天にも地にも我一人尊し」ということで、自分だけが尊いんだ、という受け取り方をしてしまいがちです。これでは、自分だけが尊い、偉いのだと、思い上がっている人物だというふうに誤解されてしまいます。しかし本当は、「仏の教えに遇うことによって、初めて自らの尊さに気づくことができ、自らの尊さに気づいてこそ、他のすべてのものの尊さに気づかされる」という意味だと教えられております。自らのいのちの尊さに目覚める者は、他のいのちの尊さにも目覚め、お互いに合掌礼拝できる。そこに平和な世界が訪れる。私たちがこの世に生まれてきて、もっとも大事なことが、ここに教えられているのです。お互いさまに、この「天上天下唯我独尊」という言葉に込められた意味合いを、しっかりと心に銘記して、精進させて頂きたいものであります。『佼成新聞』より
2012.10.11
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10/11 Thu子どもの安心 子どもにとっていちばん大事なのは、外から帰ってホッとできるぬくもりのある家庭です。その家庭のぬくもりは、お父さんとお母さんの夫婦仲のむつまじさがあってこそ生まれてくるのですね。一家の和合は、かりに奥さんがいたらなかったら、ご主人がかばってあげる。ご主人の足りないところは、奥さんが一生懸命につくろってあげる。そうした支え合いがあって初めて、「互いに足りない者同士だから、二人三脚で人生を乗りきっていこう」という励まし合いが生まれてきます。そうして両親が心を一つにしている姿が、子どもになによりもの安心を与えるのです。逆に、夫婦同士で、どちらが正しくてどちらが悪いんだと言い合い、「お前だけが頼りなんだから」と、子どもの頭をなでてあげても、子どもはうれしいはずがありません。奥さんがご主人を立てる努力をしなければ、ご主人も奥さんをいたわることもせずに、いくら子どもに期待しても、子どもには重荷になるだけです。夫婦仲が壊れてしまった家には、子どものいる場所がなくなってしまうのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.10
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10/10 Wed総願と別願 物や自由はふんだんにあるけれども、社会も世界も先行きどうなるのか分からないという時代ほど、青年の生き方が難しい時代はないでしょう。先ごろ『青少年白書』が出されましたが、街頭でのインタビューを聞いてみると、高校生は、ただ大学へ行くことだけで何を勉強するのかは考えていない。大学生は、卒業して将来安心な企業に就職することだけで、どんな仕事で自分の役割を果たすのかは考えていない。そういう人が大半だったといいます。仏教では、総願と別願の大切さを教えています。総願とは、なんのために人は生きるのかという大目的です。別願とは、その人、その時の願いともいえましょう。松下幸之助さんは、傘下の企業を合わせると数十万人という社員を抱える会社を築かれた方ですが、「人間として生まれたら、人間としての成功が大事。自分はまだまだだ」と言っておられたそうです。自分の人生の目標をしっかりつかむと、人は行動が変わってきます。それによって性格も変わってきて、偉大なエネルギーが噴出してくるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.10
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10/9 Tue人の話を聞く名人 どなたの言葉でも、いいことだと思ったら、すぐに今日から実行というのが、私の主義です。松下幸之助さんは、私と同じで小学校しか出ておられませんでしたが、だからこそでしょう、人の話を聞く名人だったと周囲の人が語っています。「大器晩成の人とは、終生勉強だという考え方を持っている人。見るもの聞くこと一切の体験を心して見れば、万事ことごとくわが師となる」と、松下さんは言われています。人の言うことには、ついケチをつけたくなったり、気に入らないことだとそっぽを向きたくなってしまうものなのですが、そこで感情に流されてしまうか、そこから何かを学び取ろうと努力するか、その違いで、その人の人生がまるで違ったものになってしまいます。『法華経』では、香りをかぐことも「香を聞(か)ぐ」と書かれているように、そのことの意味を本当に知ることが聞くことです。それができると、「見聞触知(けんもんそくち)、皆菩提に近づく」糧となっていくわけです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.09
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10/8 Mon異体だから協力できる "ロボット博士"として知られる東京工業大学名誉教授の森政弘先生から、こんな話をうかがいました。私たちの手のひらは五本の指に分かれていて、そのバラバラの指が、必要に応じて一致協力することで器用に作業ができる。これが、キャッチャー・ミットをはめたように五本の指がくっついていたとしたら、不便極まりないというのです。それと同じで、人も一人ひとりがバラバラで、性格も能力も違っているからこそ、一致協力すると、すばらしい力が発揮されるのだと森先生は言われるのです。ちょっと話が飛びますが、生物の中には性別なしに繁殖していくものがあるそうです。そのほうが、夫婦げんかもなければ浮気の心配もないわけで、よほどいいように思えますが、そういう生物は進歩がないというのです。男性と女性がまるで違っているのも、協力し合って何倍もの力を生みだすためなのですね。それによって、この世にかけがえのない生命を誕生させ、育てあげるという奇跡のようなことが可能になるわけです。同体同心ではなく、異体が同心になる努力こそ、力の源泉といえましょう。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.07
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お会式・一乗まつり2011年10月2日(日)意義と由来 催しもの おまつりマップ 一乗行進 アクセス よくあるご質問 LIVE配信をご視聴いただき、ありがとうございました。本年の一乗行進は終了いたしました。動画ダイジェストは10月8日(月)に、ニュース・写真は10月12日(金)にアップいたします。なお、平成25年次は10月20日(日)に開催する予定です。 © 2012 Rissho Kosei-Kai
2012.10.07
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2012年10月7日優しいという字は、人偏に憂えると書きますが、自分のことで憂えるのではなく、人の悲しさ切なさを本当に憂えてあげられる人、それが優しい人です。そういう人こそ、人に生きる道を与えてあげられる人、人間としていちばん優れた人です。
2012.10.07
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10/7 Sun懺悔は精進の決意 「これだけはやりぬこう」と誓ったのに、またできなかったとガッカリしている人がおられるかもしれません。しかし、思い立っても実行がいかに難しいかを思い知っただけでも、一つの前進だと思うのです。「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」と親鸞上人はおっしゃられます。ちょっと逆のように聞こえます。どんな悪人も広大なお慈悲でお救いくださる仏さまなのだから、まして善人をお救いくださらないはずがない、というほうが分かる気がします。しかし、「私は、これっぽっちも間違ったことはしていない」と思い上がると、仏さまのお救いも、教えも求めなくなってしまうのです。自分の弱さ足りなさを本当に思い知った人は、真剣に教えを求めずにいられません。その自覚を持った人こそ、仏さまのいちばん近くにいる人なのです。自分が弱くて間違いやすい人間であることを思い知ったら、新たな決定(けつじょう)をし直せばいいのです。今年だめだったら、来年は必ずと決心すればいいのです。それができれば願いは必ずかないます。懺悔とは、新たな決意で一歩を踏みだすことです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.07
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お会式・一乗まつり2011年10月2日(日)意義と由来 催しもの おまつりマップ 一乗行進 アクセス よくあるご質問 お会式の意義と由来 お会式とは、日蓮聖人ご入滅のときに、池上の小山の桜が花咲いたという奇瑞から、以後、信者たちが万灯に桜の花を飾って池上に集い、お堂にこもって翌13 日の御入滅の時刻まで、読経唱題をし、さらに夜通しお徳を称える説教を聞いて、お慕いしたのが起源と伝えられております。立正佼成会では、昭和24年に、日蓮宗日円山妙法寺(東京・杉並区堀ノ内)のお会式にはじめて参加し、さまざまな経緯を経て現在の「お会式・一乗まつり」となりました。お会式のルーツ 弘安5(1282)年10月13日辰の刻(午前8時ごろ)、日蓮聖人は入滅されました。その一周忌のお逮夜(前夜)にあたる12日に弟子たちの手で法会の儀式が営まれました。お逮夜法要に参加するため、信者たちが手にちょうちんを持って参集し、寺院にも桜を飾って師の徳を慕い、偲んだのが起源と伝えられています。今日のようなお会式万灯行進が成立するのは、江戸時代のことになります。万灯は、日蓮聖人入滅の際、時ならぬ桜が一斉に咲いたとの言い伝えからうまれました。高張りちょうちんに花を付けた簡素なものから行灯形、五重の塔を模したものも登場し、その後、聖人の一代記や花の絵が描かれた豪華な万灯も作られました。現在では、全国100箇所以上の寺院でも行われており、各地で盛り上がりを見せています。 日蓮聖人の足跡 では日蓮聖人とはどのような方だったのでしょうか。鎌倉仏教の祖師の一人、日蓮聖人は貞応元(1222)年安房国(千葉県)小湊で生まれました。12歳で清澄寺に上り、16歳の時、得度しました。日蓮聖人は、比叡山や高野山などで研さんを積みました。建長5(1253)年、清澄寺で、「教主釈尊の教えを受け継ぎ、末法濁世の人々を救済せん」とする『立教開宗』を宣言。その後、『立正安国論』を幕府に献上しましたが、幕府や諸宗を批判したとされ、流罪やいのちを奪われそうになるなどの法難を受けました。しかし、日蓮聖人は決して権力者に媚びず、広宣流布にいのちを捧げました。弘安5(1282)年10月13日、武蔵池上郷(東京・大田区)で61年の生涯を閉じました。立正佼成会とお会式 立正佼成会が初めてお会式万灯行進を行ったのは、昭和24年。日蓮宗日円山妙法寺(東京・杉並区堀ノ内)のお会式に参加しことがきっかけでした。初の万灯行進は、万灯10基、纏3基に笛、鉦、太鼓という構成でした。翌年には、鎌倉の龍口寺お会式にも参加。昭和26年からは、纏の振り方や太鼓、鉦の打ち方、お囃子など本会独自の様式によるお会式が行われるようになりました。「『教主釈尊の本懐に帰れ』をモットーとされ、身命を賭して法華経を流布し、国を救おうとされた日蓮聖人のご遺志を受け継がせて頂こうと心に誓ったことが、お会式を行うようになったそもそもの理由です」と庭野開祖は法話で述べています。本会の単独行事となって最初の万灯行進には、新宿、渋谷、中野など8ヵ所から本部に向かって行進が展開されました。その後、交通事情などにより行進の中止や変更を繰り返し、今日のような形態になっていきました。本会のお会式行事は、日蓮聖人を慕い、法要を通して、報恩感謝の真心を捧げ、行動を表すことによって信仰心、そして強固な団結心の高揚を図ってきました。平成14年からは、平成11年10月に入寂した庭野開祖の一乗の精神を万灯行進に込めることとなり、名称も「お会式・一乗(いちじょう)祭(さい)」に改められました。平成20年には「お会式・一乗まつり」となり、10月第1日曜日に開催されることになりました。お会式一乗行進に登場する万灯、纏、笛、鉦、うちわ太鼓には、使われるようになった理由や現在の形に至った経緯があります。そして、行進する人々の願いや祈りが込められています。万灯(まんどう)纏(まとい)笛(ふえ)鐘(かね)うちわ太鼓(だいこ) © 2012 Rissho Kosei-Kai
2012.10.06
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Rissho Kosei-kai's Statement on Nuclear Power GenerationToward a Truly Prosperous Society - Beyond Nuclear PowerBecause of the great earthquake and tsunami that struck northeastern Japan on March 11, 2011, many local people lost loved ones, had to evacuate their hometowns, and have been forced into lives of hardship. Rissho Kosei-kai has prayed for those who lost their lives, and it has stood by the people in the disaster area and their families. It has been providing hands-on spiritual and material assistance to them. These people are struggling hard as they move along the path to rebuilding their lives, and no words can fully express the extent of their grief and suffering.The lives of many individuals and families in Fukushima Prefecture have been particularly uprooted as a result of the accident at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station of the Tokyo Electric Power Company. The confusion and insecurity that immediately followed the accident severed close ties among people who had grown up together in local communities. Countless families now worry about the effects of radiation on their children and those still unborn. Many mothers and mothers-to-be are very concerned. This accident has also caused considerable fear among people throughout the world, especially in neighboring countries, creating an incalculable burden for future generations.Nuclear power was once called "the energy of the future," and the Japanese are among those who have benefited from it. But we have now directly learned the lesson that it only takes one accident to cause widespread alarm and potential physical harm. We are to blame, one and all, for believing that economic prosperity is the source of happiness, and for ignoring the negative aspects of nuclear power as we increasingly relied on it. What this lesson asks of us is to build a truly prosperous society, one that does not rely on nuclear power to generate its electricity, as rapidly as possible. To do that, we must concentrate our knowledge and wisdom on developing and using renewable energy that is safer than nuclear power. But the most important thing for us is to reconsider the values and lifestyles that have endlessly escalated our energy consumption at the cost of the sacrifices of so many. Now is the time to nurture the mindset of "knowing what is enough." We believe we now have the best opportunity to curb our excessive consumption, and to discover the value of the happiness we can experience when we lead simpler lives.The world today needs a transformation of contemporary civilization. If we continue with our current way of living, which seeks economic and material prosperity above all else, we will surely not be able to protect our finite global environment or leave a more livable society for future generations. Furthermore, the economy and society widespread today, which have seen a widening disparity between the rich and the poor worldwide, in no way ensure happiness for humanity at large. We must change the measure of how we live so as to bring about living together in harmony with nature and the creation of a fair "shared economy" that provides basic security for all people.Rissho Kosei-kai esteems and cherishes all life, and we will work tirelessly to bring about a spiritually rich and peaceful society based on the harmonious coexistence of humankind and nature. We believe that doing this is a bodhisattva practice that we, as Buddhists, must undertake.June 18, 2012声明 『真に豊かな社会をめざして--原発を超えて』声明 『真に豊かな社会をめざして--原発を超えて』東日本大震災によって多くの方々が最愛の人を奪われ、住み慣れた故郷を離れ、苦難の生活を余儀なくされています。立正佼成会は、犠牲となられた方々の御霊(みたま)の安らかなることを祈るとともに、被災地の方々をはじめ、その家族や親類の方々に寄り添い、精神的・物質的支援に努めてきました。被災地の方々は懸命に復興への道を歩まれていますが、その悲嘆と苦悩は、言葉では言い尽くせないほど大きなものがあると思います。とりわけ、東京電力福島第一原子力発電所事故により、福島では多くの方々が生活や家庭の基盤を失いました。事故発生直後の混乱と不安の中で、それまで地域社会で育まれてきた人と人とのつながりは引き裂かれていきました。胎児や子どもへの放射線の影響を心配しているご家族は数えきれません。多くの母親が今も胸を痛めています。また、今回の事故は近隣諸国をはじめ世界の人々に大きな不安をもたらし、未来世代に計り知れない多大な負担を残しました。原子力は「未来のエネルギー」と言われ、私たち国民もその恩恵を受けてきました。しかし、ひとたび事故が起きれば、甚大な被害をもたらすことを思い知らされました。経済的な豊かさが人間の幸せの源泉であると信じ、原発の負の部分から目を背けて、その依存度を高めてきた責任は私たち一人ひとりにあります。私たちに問われていることは、原子力発電によらない、真に豊かな社会を可能な限り速やかに築きあげていくことです。そのためには、より安全性の高い再生可能エネルギーの開発と活用に叡智を結集しなければなりません。しかし、一番大切なことは、多くの犠牲の上に際限なくエネルギー消費を拡大してきた価値観や生活スタイルを見直すことです。今こそ、過剰な消費を抑えた「少欲知足(足るを知る)」の心を養い、簡素な生活の中に幸せの価値を見いだす最大の機会であると考えます。世界は今、文明の転換を迫られています。これまでの経済的・物質的な豊かさを求める生き方を続けていては、限られた地球環境を守り、未来世代によりよい社会を残していくことはできないでしょう。また、貧富の格差が広がる今日の経済や社会のあり方は、人類全体にとって決して幸せなものではありません。私たちの生き方のものさしを「共生」や「自然との調和」、すべての人が安心して暮らせる公正な「分かち合いの経済」などの実現に変えていかなければなりません。立正佼成会は、すべてのいのちを尊び、慈しみ、自然と人間との共生に基づく心豊かな平和な社会の実現に向け努力してまいります。これこそが今、仏教徒として私たちの果たすべき菩薩行と信じるものであります。(平成24年6月18日 立正佼成会)
2012.10.06
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10/6 Sat話より態度 料理のおいしさを舌が感じるのはじつは二割足らずで、八割方は匂いや色、温度などの全体で感じているのだといいます。また講演などでも、聴衆は話の内容は七パーセント程度しか聞いておらず、むしろ講演者の人柄や態度、話し方の印象などのほうが、はるかに強く残るという調査結果もあります。「この人の話は信用できる」と信頼感を抱くと、聴衆は身を乗りだして、うなずきながら聞いてくれますが、なんとなく信用できない人だ、という感じを持ってしまうと、話の内容がどんなに立派でも、心が受けつけないのです。私も説法するときは、みなさんの顔を見て、自分の言葉がみなさんの心に届いているかどうか、顔色を見ながら話すのですが、決め手は正直さだと思うのです。自分の言葉で、飾らずにありのままに話すと、みなさんが必ず納得した顔になります。自分がやりもしない、やれもしないことを建て前論だけで力説しても、その言葉には心がこもりません。自信が伴わないわけです。そこのところを、聞き手は耳ざとく聞き分けてしまうのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.06
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宗教の智慧世界の人類が直面している課題を解決するには、政治的・経済的・社会的なアプローチが必要であることは言うまでもありません。しかし、その一方で、問題の根本的な解決のためには、一般世間の価値観と申しましょうか、それを超えた宗教的価値観、言葉を換えれば「宗教の智慧」が必要であり、それに基づいたアプローチが大きな役割を果たすものと思います。すべてのいのちは、等しく尊いのです。人間のみならず、生きとし生けるものは、すべて尊いいのちを生きています。しかし現実社会の出来事を見ると、いのちの尊さが十分には認識されていないと言わざるを得ません。さまざまな違いはあっても、「人間の価値」は平等であり、みな等しく尊いいのちを生きています。この「いのちの尊厳」に根差すものこそ「宗教の智慧」であり、それを見失うことなく歩んでいくとき、人類の課題は、真に解決に至るに違いありません。『佼成新聞』より
2012.10.05
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10/5 Fri平和のためのコスト カッとなってけんかするのと、がまんの子で耐えぬくのと、どちらが大変でしょうか。それぞれ事情が違い、立場が違っていれば相手の言葉や態度が理不尽に思えることもしばしばあります。国と国の関係になれば、なおさらです。いまや日米関係は真珠湾前夜だといった声があります。しかし、そういうときこそ冷静に考えてみなくてはなりません。過去の日本が不幸な戦争へ突入したのは、そうして感情的になってしまった結果であることを、歴史は物語っています。ここで私たちが忘れてならないのは、この日本は、世界が平和であるほかに生きる道がない国であることです。「人と人との間の平和の状態は決して自然のものではなく、絶えず敵対行為に脅かされているのであって、平和の状態というのは、つくりださなければ存在しない」と、有名なドイツの哲学者カントが言っています。平和を守るのには、戦争以上にお金も、手間もかかります。それに、さらに賢明さが要求されることを肝に銘じなくてはなりません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.05
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10/4 Thu夫婦の相性 毎晩一、二本の楽しい晩酌ならいいのですが、だいぶでき上がって帰宅した上に、さらに奥さんにお酒を出させる。しかも、いつまでも愚痴を並べたて、当たりちらすという毎晩に、もう愛想が尽き果ててしまった、という奥さんがおられました。どれほどの思いでこれまで耐えてこられたか、頭が下がりますが、耐えるだけでは、どこかで切れてしまうのですね。どうしてご主人がそういう行動をとるのか、一度考えてあげられないでしょうか。ご主人が奥さんにくどくどと愚痴を並べるのは、自分の思いを分かってくれる者はほかにいないと思い込んでいるからです。「お前だけは、おれの思いを分かってほしい」という訴えなのです。そこが分かると、毎晩お酒を飲んでくどくど言わずにいられないご主人が不思議でなくなってきます。家族が互いに相手の思いを分かってあげようと努力するのが家庭です。相性というのも、ただ性格が合う合わないではなく、お互いに、そばにいるだけで十の力が十二にも十五にもなるという関係のことです。相手を本当に分かってあげようと努力すると、互いにそういう相棒になれるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.03
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お会式の意義と由来 お会式とは、日蓮聖人ご入滅のときに、池上の小山の桜が花咲いたという奇瑞から、以後、信者たちが万灯に桜の花を飾って池上に集い、お堂にこもって翌13 日の御入滅の時刻まで、読経唱題をし、さらに夜通しお徳を称える説教を聞いて、お慕いしたのが起源と伝えられております。立正佼成会では、昭和24年に、日蓮宗日円山妙法寺(東京・杉並区堀ノ内)のお会式にはじめて参加し、さまざまな経緯を経て現在の「お会式・一乗まつり」となりました。お会式のルーツ 弘安5(1282)年10月13日辰の刻(午前8時ごろ)、日蓮聖人は入滅されました。その一周忌のお逮夜(前夜)にあたる12日に弟子たちの手で法会の儀式が営まれました。お逮夜法要に参加するため、信者たちが手にちょうちんを持って参集し、寺院にも桜を飾って師の徳を慕い、偲んだのが起源と伝えられています。今日のようなお会式万灯行進が成立するのは、江戸時代のことになります。万灯は、日蓮聖人入滅の際、時ならぬ桜が一斉に咲いたとの言い伝えからうまれました。高張りちょうちんに花を付けた簡素なものから行灯形、五重の塔を模したものも登場し、その後、聖人の一代記や花の絵が描かれた豪華な万灯も作られました。現在では、全国100箇所以上の寺院でも行われており、各地で盛り上がりを見せています。 日蓮聖人の足跡 では日蓮聖人とはどのような方だったのでしょうか。鎌倉仏教の祖師の一人、日蓮聖人は貞応元(1222)年安房国(千葉県)小湊で生まれました。12歳で清澄寺に上り、16歳の時、得度しました。日蓮聖人は、比叡山や高野山などで研さんを積みました。建長5(1253)年、清澄寺で、「教主釈尊の教えを受け継ぎ、末法濁世の人々を救済せん」とする『立教開宗』を宣言。その後、『立正安国論』を幕府に献上しましたが、幕府や諸宗を批判したとされ、流罪やいのちを奪われそうになるなどの法難を受けました。しかし、日蓮聖人は決して権力者に媚びず、広宣流布にいのちを捧げました。弘安5(1282)年10月13日、武蔵池上郷(東京・大田区)で61年の生涯を閉じました。立正佼成会とお会式 立正佼成会が初めてお会式万灯行進を行ったのは、昭和24年。日蓮宗日円山妙法寺(東京・杉並区堀ノ内)のお会式に参加しことがきっかけでした。初の万灯行進は、万灯10基、纏3基に笛、鉦、太鼓という構成でした。翌年には、鎌倉の龍口寺お会式にも参加。昭和26年からは、纏の振り方や太鼓、鉦の打ち方、お囃子など本会独自の様式によるお会式が行われるようになりました。「『教主釈尊の本懐に帰れ』をモットーとされ、身命を賭して法華経を流布し、国を救おうとされた日蓮聖人のご遺志を受け継がせて頂こうと心に誓ったことが、お会式を行うようになったそもそもの理由です」と庭野開祖は法話で述べています。本会の単独行事となって最初の万灯行進には、新宿、渋谷、中野など8ヵ所から本部に向かって行進が展開されました。その後、交通事情などにより行進の中止や変更を繰り返し、今日のような形態になっていきました。本会のお会式行事は、日蓮聖人を慕い、法要を通して、報恩感謝の真心を捧げ、行動を表すことによって信仰心、そして強固な団結心の高揚を図ってきました。平成14年からは、平成11年10月に入寂した庭野開祖の一乗の精神を万灯行進に込めることとなり、名称も「お会式・一乗(いちじょう)祭(さい)」に改められました。平成20年には「お会式・一乗まつり」となり、10月第1日曜日に開催されることになりました。お会式一乗行進に登場する万灯、纏、笛、鉦、うちわ太鼓には、使われるようになった理由や現在の形に至った経緯があります。そして、行進する人々の願いや祈りが込められています。万灯(まんどう)纏(まとい)笛(ふえ)鐘(かね)うちわ太鼓(だいこ) © 2012 Rissho Kosei-Kai
2012.10.03
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10/3 Wed三世を生きる 私たちのいのちは、いまのこの世だけのものではなく、過去・現在・未来の三世に連なるものであることを、仏教は教えています。だからこそ、現在を精いっぱい生きることが大事なのです。それによって、過去も生かされ、また、その現在の生き方によって、未来の安泰も約束されるのです。この三世にわたるいのちを見失うと、自分はなんのために、どう生きなければならないのか、羅針盤を失ってしまうのですね。それで刹那的、感覚的な快楽ばかりを求め、物の豊かさだけを追いかけて、平気で資源を浪費し、環境を破壊する生き方になってしまうのです。自分で自分の未来を閉ざす生き方に陥ってしまうわけです。生物は、自分の持つ特徴を極限まで進化させようとする習性を持っているといわれます。それが命取りになってしまうことがあるのです。恐竜があまりにも巨大化して滅びてしまったのもそのせいではないか、という説があります。組織や社会も同じです。そこにいたる前に立ち止まらなくてはと、だれもが考えるのですが、それが止められなくなってしまうのです。三世の生命観を胸に刻みつけることが急務です。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.03
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10/2 Tue仏になる道 法華経は、仏になるための教えといってもいいでしょう。では、どうしたら仏になれるのか。いつも申し上げるように「若し法を聞くことあらん者は一りとして成仏せずということなけん」と仏さまは断言しておられるのですが、そう聞いて、「ただ聞くだけで、仏になれるのですか」と尋ねる人がいました。「聞く」とは、心の底から「そのとおりだ」と納得することなのです。それには、耳で聞くだけ、知識を蓄えるだけではだめなのですね。一つでもいいから真剣に聞いて、聞いたらそのとおりに実行する。すると、自分の一念で三千世界が変わる真理のはたらきがありありと実感できるのです。人さまをお救いしたいという慈悲心で活動したことのない人は、仏教の本当の教えの尊さがなかなか分かりません。教えのとおりに一つでも実行してみると、だれもが本当の喜びを味わえます。立正佼成会の歴史が、それをはっきりと証明しています。その菩薩行を一つ一つ積み重ねていけばいいのです。真剣に人さまのために打ち込むと、自分をしばっていた固定観念や身構えがほどけて、仏性が輝き出てきます。人さまを仏の道へお導きすること、それが自身仏になる道です。 庭野日敬著『開祖随感』より 第1週「まほうのくに」狩野純(夏菜)には夢があった。父が営む宮古島の実家のホテルを継いで、亡くなったおじいが経営していた頃のような、お客さんが皆笑顔になる「魔法の国」に再生したかったのだ。だが父・善行(武田鉄矢)と大げんかして挫折。それなら大ホテルの社長になってやるとたんかをきって大阪に飛び出す。しかし大阪でも、就職面接は大失敗、挙動不審な青年(風間俊介)にはつきまとわれるし、老女性スリにはだまされるしで良いことがなかった。奇跡的に老舗のオオサキプラザホテルに就職できた純だが、お客さんを喜ばせたい一心でホテル内の決まりごとをたびたび破り、とうとう厳しくしっせきされてしまう。お客さんの都合が一番大事だと考える純は納得いかず、思わず「辞めてやる」と言いかけた時、すぐ近くで皿が割れる音で我に返る。わざと皿を割って純を助けてくれたのはあの謎の青年だった。お礼を言うために青年を訪ねると、彼は、「愛と書いて、いとし」だと名乗り、自分は人の顔を見るとその人の本性が見えてしまうのだという。そして純だけはそういう裏の顔が見えないから気になっていたのだという。そんな話にとてもついていけない純は逃げ出すのだった。
2012.10.01
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10/1 Monサンガのありがたさ 「険径(けんきょう)を行くに留難(るなん)多きが故に」という言葉が、『無量義経』にあります。大道を行けば、なんのさわりもなくスイスイと行けるのに、自分で険しい道を選んで、それで悪戦苦闘している人が多いのです。素直に教えを信じ、人を信じていけばいいのに、いちいち人を疑ったり、腹を立てたり、反発したりしているのがそれで、素直に大道を行く倍も骨を折って、それで苦しみをさらに大きくしているわけです。「我」という字は、手に戈(ほこ)を取って自分を守る、という意味を表わしています。自分を守ろうとして戈を取ると、とたんに不安が生まれ、疑惑にとらわれて自ら険径にはまり込んでしまうのです。平坦で、苦労なしにスイスイと極楽へ運ばれていく大道へのいちばんの近道は、自分のことよりも、まず人さまの幸せをと願って行動している人たちの仲間に入ってしまうことです。そうすると、知らぬまに自分も大道をあゆんでいるのです。これがサンガのありがたさです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2012.10.01
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