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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎回楽しみに見ています。特に、今月(4月)中旬に、舞台となった「伊豆の国市周辺の史跡」を巡ってから、ドラマの中ではわからない史実のスキマを深堀するのが楽しみになりました。自分は「歴史家」や「歴史研究家」などの専門家ではありませんので、史実をネットや書籍で調べて整理する、編集するだけですので史実が正しいかどうかではなく、そういう「史実判断があるかも」とご理解いただければ幸いです。 今回は、3人の「女性」について調べてみました。1.「牧の方」 ご承知の通り「牧の方」は北条時政の後妻(継室)なられた方で、ドラマでもちょっとトラブルメーカーの癖があること、また強い権力志向も感じられる女性のようです。史実では、生没年は不明ですが、時政とはかなり歳のがあること、北条政子とは同世代(年齢差はなかった)か年下という説もあります。○牧の方の出自大河ドラマでは、時政が京の勤務のときに見初めたようです。その後伊豆に戻り、再婚しましたが、牧の方の出身は「駿河国大岡牧(沼津市出身)」(愚管抄)の豪族牧氏の娘であり、牧氏は朝廷の役人を務めており、父の牧宗親は平清盛の異母弟の平頼盛に仕えた。頼盛の母である「池禅尼」は宗親の姉、従って牧の方は姪にあたる。「池禅尼」は平治の乱後、清盛に頼み、頼朝の命を救った人物といわれています。○牧の方(まきのかた)の子鎌倉幕府の初代執権・北条時政の継室(後妻)。 北条政子・北条義時の継母。 子としては北条政範、4人の娘が把握されているが、7人の子女を生んだようです。2.「北条政子」○政子の年齢政子は父・北条時政と母・伊東祐親の娘(史実では伊東入道の娘 と記載)との間の長女として誕生しました。子女は北条宗時、北条政子、阿波局、 北条義時、時子等※「伊東入道の娘」と史実では述べられています「伊東入道」は一般的には静岡県伊東地方の豪族・伊東祐親のことだといわれています。もしくは伊東祐家(伊東祐親の父)であるともいわれています。 『鎌倉殿の13人』で、ドラマの中ではなかなか嫁がずとの会話もあり、失礼ながら、年増の女性かと思っていましたが、伊豆の国市の蛭ヶ小島の頼朝/政子像、石碑をみて二人の年の差が10歳もあることに気がつきました。今では、21歳では大変若い女性と思われますが、当時としては10代後半で結婚するのが通常だったのかもしれませんね。政子は若いころから実に存在感がありました。振り返ると平安時代は女流歌人や女性たちの歴史上の人物も多く、後の戦国時代や江戸時代と比較すると女性の恋愛観や自己主張などのびのび、おおらかな時代のだったような気がします。〇北条政子の子女頼家、実朝、大姫(長女)、三幡など(撮影筆者) 政子の年齢と主な出来事を調べてみました※(カッコ内は政子の年齢)1157年 誕生1177年(21歳) 「頼朝」と結ばれる1180年(24歳) 石橋山の戦い(宗時討死)1182年(26歳) 「頼家」出産(後の2代将軍)1183年(27歳) 「源義仲」と和睦1185年(29歳) 平家壇ノ浦の戦いで滅亡1189年(33歳) 「義経」自害1192年(36歳) 「頼朝」征夷大将軍に任じられる1199年(43歳) 「頼朝」急死1200年(44歳) 13人の合議制が定められる・・・1221年(65歳) 承久の変「政子の涙ながらの大演説」1224年(68歳) 「義時」急死1225年(69歳) 「政子死」去 3.八重姫八重姫(やえひめ、生没年未詳)は、平安時代末期の女性。伊豆国伊東庄(現・静岡県伊東市)の豪族であり、頼朝の監視役であった伊東祐親の三女。源頼朝の最初の妻とされる。頼朝の初子・千鶴御前(千鶴丸)の母。義時と「八重姫」とは幼馴染で、義時にとっては憧れの女性であったようです。頼朝との件もあったのですが、大河ドラマでは二人は結ばれ、3代執権の「泰時」が誕生したとの設定になっています。「幸せ感」を醸し出しています。しかし、八重姫は歴史書「吾妻鏡」には登場しておらず(歴史的な事実としてはやや不明な点あり)、また今回の旅行で伊豆の国の眞珠院の説明等にある入水時期をはじめ入水時期は諸説ありますが、頼朝との子、「千寿丸の供養」の後に、「入水自殺」をしていると信じたいものですね。史実はともかくドラマとして楽しくみたいものです(撮影:筆者 眞珠院にて)~あとがき~ 歴史もそうですが、物事の見方に「たて(時系列推移)とよこ(その時、周辺)」の整理と、「深さと広がり」(どこまで)の追求の観点があるように感じます。歴史でみてみると、ある事件があったときに、どういう流れでそのようなことが起こったのか(理由、背景など)、またそれは当時どのようなこと(人間関係、要因など)が関係しているのかなどです。調べると調べるほど、「なぜか、どうして・・・」など先々がさらに気になってくるのですね。ほどほどでやめないとキリがないのも事実ですので、「いい加減を」心がけ歴史を楽しんでいます。以上 <追記>1221年 「政子の大演説の内容」『皆心を一にして奉るべし。これ最期の詞なり。故右大將軍朝敵を征罰し、關東を草創してより以降、官位と云ひ俸祿と云ひ、其の恩既に山嶽よりも高く、溟渤よりも深し。報謝の志これ淺からんや。而るに今逆臣の讒に依り非義の綸旨を下さる。名を惜しむの族は、早く秀康・胤義等を討取り三代將軍の遺蹟を全うすべし。但し院中に參らんと慾する者は、只今申し切るべし。』— 『吾妻鏡』承久三年辛巳五月十九日壬寅条(原文は変体漢文)
2022.04.27
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鎌倉幕府のはじまりは「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」と年号を暗記したものです。最近は平家滅亡し、守護地頭をおいた1185年が始まりともいわれています。正直あまり鎌倉幕府としての歴史は、戦国時代や江戸時代にくらべるとなじみが薄く、せいぜい頼朝が鎌倉に幕府を開いた以降のことしか記憶がありませんでした。ところが、今回のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(脚本三谷幸喜)をみていて、知らなかった鎌倉幕府成立以前の頼朝、伊豆(北条氏等)での歴史の部分が実に興味深く面白く拝見しています。今回の旅行でも、伊豆の国市(北条氏邸跡等)、伊東市(伊東祐親邸等)、石橋山古戦場、湯河原(ししどの窟)などを見てきましたが、頼朝が鎌倉に入るまでの歴史は波乱に実に富んでいます。 <当時の時代背景(引用です)ちょっと、わかりにくかったのは当時の時代背景でした。そこで、少し深堀してみました。治承三年(1179年)の政変により知行国主の多くが変更となり、それに伴い坂東は新知行国主の息のかかった平氏家人や平氏方目代により、上総氏、千葉氏、工藤氏などの旧知行国主に近い豪族たちが圧迫されていた。圧迫されていた豪族達は反撃の機会を窺っていた。(出典:wikipedia)治承4年8月17日(1180年9月8日)、伊豆国に流されていた義朝の三男・頼朝は以仁王の令旨を奉じて、舅の北条時政や土肥実平、佐々木盛綱らと挙兵し、伊豆目代山木兼隆の館を襲撃して殺害した。だが、続く8月23日(9月14日)の石橋山の戦いで頼朝は大庭景親、伊東祐親率いる平家方に惨敗してしまう。頼朝は山中に逃げ込んで平家方の追跡をかわし、土肥実平の手引きで船を仕立てて真鶴岬(神奈川県真鶴町)から安房国へ向かった。頼朝に味方していた三浦一族も平家方の畠山重忠らに本拠衣笠城を攻められ、城を捨て、海上へ逃れた。 ※治承三年の政変(じしょうさんねんのせいへん)は、治承3年(1179年)11月、平清盛が軍勢を率いて京都を制圧、後白河院政を停止した事件。 <今回の「伊豆の国市」及び周辺地域の史跡を訪ねて>今回の旅行の中で、印象深かったとこをはどこだったかを振り返ってみました。[ししどの窟(湯河原町鍛冶屋)] 何といっても、ベスト1は湯河原の「しとどの窟」です。源頼朝が1180年石橋山の戦いに敗れて、平氏から身を隠したと言われる洞くつです。ここは、「石橋山の古戦場」から車で向かいましたが、とにかく、湯河原温泉を抜けて山をかなり上り、所定の駐車場にやっと着いたというのが感想です。(「ししどの窟」撮影筆者)こんなところまでよくも逃げてきたのかと思うと、本当に大変だったろうという気がしました。車を置いて、少し舗装された道を歩いたあと、九折の道を数百m下り、やっとのことで洞くつに到達するという感じです。つらかったのは帰りでかなりの急坂をひたすら上ります。太ももにかなり負担がかかりました。この洞くつはその荘厳さや20体を超える石仏(土肥椙山観音像群)、滝など非日常を味逢うことができました。かなり体力が求められますが、是非とも訪問して欲しい史跡です。実は、真鶴にも同名の史跡がありますが、ここも源頼朝が隠れ、真鶴から房総へ逃げたところでもありますが、湯河原の「しとどの窟」とは別のところです。要するに同じ名前の洞くつが2つあるという事でした。[石橋山古戦場]ベスト2は「石橋山の古戦場」です。ここも、「しとどの窟」と同様、どちらかというとかなりマニアックな場所で、ほとんど訪問者がいないようです。伊東方面から小田原に向かってくると、かなり入口が分かりにくく、目的地までの道も狭いので注意が必要です。ここは源頼朝が1180年の兵をあげ、平氏政権の大庭景親らと間で行われた戦いで頼朝軍300人に対し、平氏軍3000人と兵力差がある中で大敗し、箱根山中に敗走したという歴史があるところです。すぐ近くにJR東海道線も通っているところです。(「石橋山古戦場」石碑、撮影筆者)最初の戦いという位置づけの場所ですが、ここに、「佐奈田与一義忠討地の地(ねじり畑)」という碑がありました。訪問時にはよくわからなかったのですが、自宅に戻り調べてみたところ、この侍は頼朝軍で25歳での戦いでなくなった一武将でした。(「佐奈田与一」の碑、撮影筆者)※ 佐奈田与一と郎党文三の死は、治承4年(1180)年8月の石橋山合戦の時のことである。 同月23日、石橋山の谷を隔てて平家方と対峙した頼朝は、決戦の時が迫るのを知ると、諸将に向かって、平家方の先陣となって来ると思われる大庭景親(かげちか)、俣野(またの)五郎に誰を立ち向かわせたらよいか、と問うた。すると岡崎義実(よしざね)がすかさず我が子佐奈田与一義忠を推挙した。頼朝は与一に先陣を命じた。命を受けた与一は、郎党文三に後事を託し、出陣しようとしたが、文三は幼いころから苦楽を共にした殿を見捨てることはできない、と言い張った。与一と文三は敵の先陣めがけて突進した。与一の姿を見て平家方の武士は組み討ちしようと我れ先にと進んだが、与一の奮戦になす術を知らなかった。与一の前に平家方の剛者俣野五郎があらわれた。大力の俣野は海の中へ落ちる断崖の上で、与一に組み付き、二人は上になり下になりの格斗を続けた。 戦いは一瞬与一の有利に働いたが、俣野の加勢にかけつけた長尾新五と弟の新六の手により、遂に与一は二十五歳の若さで討ち死にした。郎党文三も稲毛重成(しげなり)の兵に囲まれ、奮戦の末、主人と死をともにした。(小田原市資料よりの引用です)(歌川国芳、真田与一能久と俣野五郎景久) [北條氏邸跡(円城寺跡)]ベスト3は「北条氏邸」跡です。鮎釣りで有名な1級河川の狩野川沿いにあり、現在は碑と案内看板がある程度で、雑草のはえる平坦な場所でした。ここに父時政、姉政子、義時など北条氏一族が住んでいたと思うと、なにか「夏草や兵のどもが夢の跡」の松尾芭蕉の一句を思い出しました。今はただ草の生える平な土地でしたが、館、見張り台なのがあったと思うと、「TVドラマ」のシーンと被って印象の残る場所でした。歩いて行ける範囲のすぐ近くに「政子の産湯の井戸」もありました。活気のある「北条邸の生活の場面」が目に浮かんできました。(北条邸跡、撮影筆者)~あとがき~ 旅を振り返り印象をまとめるのも時間と手間はかかりますが、ある意味で整理ができて楽しいひと時でもありますね。今回の旅行は、頼朝、北条氏が現在の伊豆の国市での生活から平家打倒の兵をあげるまでの史跡を訪ねてきました。史跡というと資料館や寺社や碑、銅像、などになりますが、ある程度その史跡の背景を知らないと、ただその場所に行ったという事だけになってしまうのでちょっともったいない気がします。事前に調べ、スケジュールを組み立てるのも、手間はかかりますが、ネットにて史跡を調べたり、TVで放映した関連の録画番組をみたりする”過程”も、ある意味で尋ねる史跡、歴史が徐々にリアルになっていく楽しみがあります。所詮、自己満足の類ではありますが折角の旅の機会、時間をより大切にして「感動を創造」していきたいものですね。以上
2022.04.21
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私の趣味の一つにwifeと車で旅行することがあります。前回は20年10月になりますが「戦国めぐり」と称して、安土城、彦根城、佐和山城、小谷城、関ヶ原、岐阜城を旅してきました。その後のコロナの感染状況も一進一退の中のため、移動を伴う旅行等は自粛してきました。今回は久しぶりにコロナに注意しながらも、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の伊豆の国市と周辺巡りを1年半ぶりにやってみました。「旅」にその訪問地の「歴史」を調べて、ちょっと予備知識をもっていくと、楽しみが増える気がします。 <NHK大河 「鎌倉殿の13人」の北条氏がらみの歴史を訪ねて>概要[今回の旅行スケジュール]今回は、静岡県内ということもあり片道2時間程度で目的の伊豆の国市に行けるので、1泊2日の旅として考えました。現在、NHK大河ドラマでやっている最中ですので、かなり「ワクワク」感がありました。[伊豆の国市]北条義時が生まれた地であり、北条家ゆかりの国である「伊豆の国市」では、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送にあたり、大河ドラマ館が開館しています。※「伊豆の国市」は静岡県の伊豆半島北部に位置する市。2005年(平成17年)4月1日 - 田方郡伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して伊豆の国市成立。人口が46,216人。市としての産業はホテル、伊豆長男岡温泉、大仁温泉などの旅館、農業としてはイチゴ、トマト、酪農が中心の都市です。 [主な史跡]やはり、有名なのは世界遺産に認定された「韮山反射炉」です。「鎌倉殿の13人」の大河ドラマが始まって、それ以外にも史跡があることに気がつきました。(〇は主な史跡、●印は史跡・訪問先)●韮山反射炉(世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産)●江川邸(韮山代官所)・韮山郷土史料館→工事中で閉館●蛭ヶ小島・蛭ヶ島公園(流人・源頼朝が過ごした場所)●北条氏邸跡(円城寺跡)●北条政子産湯の井戸●北條寺(北条義時夫婦の墓)●成福寺(北条一族が供養塔がある蓮の名所)●願成就院(初代執権・時政が眠る)〇韮山城(北条早雲の居城)〇豆塚神社(義時が崇敬した神社) [伊豆の国市以外の史跡]●伊東祐親館跡、銅像(伊東市)伊豆に流された頼朝を預かったが、平氏への忠義を尽くし自刃した。 ●石橋山古戦場(小田原市石橋)頼朝軍はこの戦いで、平氏軍に大敗を喫す●しとどの窟(湯河原町)頼朝、石橋山の戦いで負けて身を隠した●しとどの窟(真鶴町)頼朝、ここから船で房総へ逃げる[訪問地の概略]毎回の旅行で事前に、史跡の関連を一覧にまとめていますが、これが事前の勉強にもなりますし、知識を膨らませることで興味が増してきますね。旅行は、「旅と歴史」の観点で、事前に調べて楽しみ、事後でまた旅行記を整理する楽しみがありますね。それと、気心の知れた「wife」と一緒に、「温泉宿」に泊まって、温泉とおいしい「一杯」とその土地ならではの「郷土料理」を頂いてくつろげる癒しの時間は最高です。~あとがき~私とwifeとの「車での旅行」は二人のちょっとした「楽しみ」になっています。マイカーでの旅行はなんといっても、目的地の近くまで行けること、荷物を携行しなくても良いこと、近くまで行き徒歩での訪問先を巡る楽しみなどがあります。ただ、加齢のせいか車の運転がやや負担になってきたのはさみしい限りです。今回の旅は、ちょっと欲張った計画になりましたが、ほぼ計画通りに訪問できたのは相応の満足感がありました。伊豆の国市の「北条氏がらみの史跡」は比較的狭い範囲に史跡がありますので、時間的な余裕があれば歩いて回ることをお勧めします。気が付いたのは、平日という事もありますが、私たち夫婦と同じような世代のご夫婦4、5組と同じような行動をしていることに気が付きました。今回は、スマホのマップ機能を使ってみようと思っていましたが、多少慣れるまで時間がかかりましたが有効性を確かめることができました。ただ、光のせいで①画面が見にくいこと、②バッテリーの電池容量が気になることなどはあるので工夫が求められましたが、スマホの機能にはつくづく便利で感激します。今回は、資料編としてまとめましたが、次回は今回の「旅行のベスト3」などについて触れてみたいと考えています。以上
2022.04.16
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いわゆる「交通系」と言われるICカードには、JR東日本の「Suica」、JR東海の「TOICA」などがあります。また全国各地の各エリア交通各社における鉄道・バス等のICカードもあり、その地域の相互の利用が可能になっているようです。でもちょっと、数も多く複雑でなかなか理解が難しいですね。 実は、今回交通系ICカードを調べていたら、鉄道料金で「IC運賃」というものがあることが分かりました。鉄道料金は「10円単位」とばかり思っていましたが、IC運賃は1円単位で運賃が計算されます。住んでいる地域が東海地方で首都圏にいないこともありますが、恥ずかしながら全く知りませんでしたね。そこで、まず「Suica」(鉄道系ICカード)について調べてみました。(Suica)<利用範囲>・鉄道の利用(「ピッ」とワンタッチで改札機を通過)・乗り越しても、改札機で自動精算・日本の、一枚。Suicaは北海道から沖縄までPASMO、TOICAなど各エリアにおける鉄道・バス等のご利用が可能になります。・お買い物でも、「ピピッ」とワンタッチ(利用マークのある店での利用可能)・くりかえし使える入金(チャージ)機能・再発行できるから安心 <SUICAの種類> ① Suicaには、「Suica定期券」「My Suica(記名式)」「Suicaカード」の3種類があります。② Suicaと携帯情報端末がひとつになった「モバイルSuica」もあります。 <SUICAの利用とJREポイント付与、利用> このマークのお店で登録したSuicaでお買いものすると、100円or200円(税込)ごとに1ポイント貯まります。賃を適用します。 エキナカにある自動販売機<acure>(アキュア)やコンビニ(NewDays)、次のマークのあるお店でのお買いものやご飲食などで、登録したSuicaをご利用いただくと、ポイントが貯まります。 わたしも、TOICAやモバイルSuicaを保有していますが、コロナの感染のこともあって鉄道を利用した「旅行」や、「日帰り移動」をあまりしなくなったことやマイカーを利用するのでほとんど利用していません。また、コンビニや自販機等なども利用できるのですが、他のカードとの利便性やお得度を考えると、その利用範囲は少なくなりましたね。ざっと概略は以上のような内容ですが、実は「Suicaの鉄道料金」を調べていて気が付いたことがありました。というのは、2019年10月1日、消費税率引上げに伴う運賃・料金改定があったようです。それは、二つの運賃、「IC運賃」と「きっぷ・定期券の運賃」がありという事です。 <二つの鉄道運賃>① 【1円単位】IC運賃(交通系ICカードの普通運賃)消費税率引上げ分を、より正確に運賃に反映させられる。「1円単位運賃」を適用します。※入金(チャージ)残額を利用して在来線の自動改札機より入出場する場合。※Suicaと相互利用しているその他の交通系ICカードを含みます。 ① 【10円単位】きっぷ・定期券の運賃*1 端数については、電車特定区間では「切り上げ」、その他の区間では「四捨五入」します。*2 Suica定期券の券面区間外をご利用いただく場合は、IC運賃が適用となります。 [幹線・地方交通線(首都圏・仙台・新潟Suicaエリア)]:IC運賃は、きっぷの運賃と比較して、高い場合も安い場合(一部同額)もあります。[電車特定区間・山手線内]IC運賃は、きっぷの運賃より安く(一部同額)なります。そこでわかってきたのは、金額は微々たるものですが、料金の差があるということです。ある区間で頻繁に利用する方で料金差額がある人は、IC運賃がオトクかもしれません。<Q&A>[IC運賃とは何ですか?]IC運賃とは、Suica。エリア内の駅において交通系ICカードで在来線の自動改札機から入場し、同じSuicaエリア内の駅で自動改札機から出場したときに適用する1円単位の運賃です。[なぜきっぷは10円単位のままなのですか?]自動券売機で1円や5円硬貨を扱うと、硬貨の投入枚数の増加やおつりの種類・枚数の増加によって、発売1回あたりの処理時間が長くなり、サービス低下につながる可能性があるためです。・・・<あとがき>知らなくても、あまり生活に支障はないのですが、「知らないこと」を知るというのはちょっとした喜びがあります。今回のJRの「IC運賃」などは初めて聞いた言葉ですし、1円単位で料金が設定されているというのも正直驚きでした。以上
2022.04.08
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昨日(3/31)、今年の初戦となるクラブ例会が掛川市の「掛川グリーンヒルカントリークラブ」で開催されました。参加者は26名でOUT4組・INコース3組、合7組で争われました。天気が心配でしたが、あたたかな「サクラ満開」の中でのプレーとなり、楽しくゴルフプレーが出来た一日でした。会場の掛川グリーンヒルはコース幅もやや狭く、またグリーンも小さく、ONさせるのが難しいうえに、グリーン周りも少し高くなっているので寄せがむずかしい。中にはグリーンがお皿をひっくり返したようなものも多く、ONしても転がってグリーン外へ落ちてしま素など、皆さん苦労したようです。 表彰式は広いレストランで開催し、窓も開け換気も良く、さらに蜜を避けて間隔を空けておかれており、新型コロナの対策が感じられました。クラブとしてもできるだけ短い時間で表彰式を終るよう実施いたしました。(サクラ満開のショートコース:撮影筆者) <掛川グリーンヒルCC>〒436-0106 静岡県 掛川市寺島1000TEL:0537-26-1151FAX:0537-26-2740東名高速道路・掛川 15km以内新東名高速道路・森掛川 5km以内[コース概要]<325回例会結果表><優勝者山本さんの“優勝”コメントです>今日は体調が悪く、欠席しようと思い友人に電話したところ出てくるように言われて参加しましのたので優勝などできるとは思っていませんでした。暖かい風のない天候とメンバーにも恵まれた結果です。有難うございました。次回も頑張りたいと思います。 <総会の開催>本年初戦でしたので、恒例の「クラブ総会」を表彰式に引き続き開催しました。①21年事業報告・22年事業計画(会長)、②会計報告(田之上会計)、③22年HC一覧・④22年役員体制(事務局)について報告し、承認されました。 ~あとがき~ 今年も磐田ゴルフクラブのクラブ例会は、全部で4戦を予定しており、今回は「本年の初戦」でした。平均年齢が70歳を超えた「ゴルフクラブ」ではありますが、元気な姿をお互い確認できる機会でもあり、懸念された天気にも恵まれ、和気あいあいの中で開催が出来、役員スタッフ一同がうれしく思っております。次回は、6月21日(火)にザ・フォレストCCで開催する予定です。たくさんのクラブメンバーに参加してもらいたいと念願しています(事務局)。以上
2022.04.01
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