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WBCの準決勝のメキシコ戦、決勝のアメリカ戦はWCサッカーでのJAPANの活躍と勝とも劣らないほどの大きな感動と感激をもらいました。しかも、自分だけでなく、周りの家族や日本全体、さらに世界各国の人々に野球の素晴らしさ、夢と感動を与えてくれました。(出典:baseball.yahoo.co.jp) <「攻め」の準決勝メキシコ戦、「守り」の決勝アメリカ戦>連日WBCをテレビyoutubeで見ていて、わたしはあることを感じました。それは準決勝のメキシコ戦は逆転を目指す攻撃的な「攻め」の戦い、一方決勝のアメリカ戦は先行したリードを守り切ろうとする「守り」の戦いで、どちらもハラハラ、ドキドキの連続でした。両試合とも、手に汗握る素晴らしい戦いでした。 <人生における「攻め」と「守り」>これは人生を振り返ったときにも同様で、「攻・守」という言葉がありますが、人生にも「攻める頑張り」と「守る頑張り」があるように感じます。もちろん、人生の選択の場面で、ここは「攻・守」どちらか、どこのタイミングで踏ん張るかなども重要ですが。(出典:www.chunichi.co.jp)<大きな存在と戦うためには>大谷選手が決勝前のメンバーとの円陣でのスピーチで「尊敬する相手」、「強大・強力な相手」と戦うときについて触れていました。「僕から一個だけ。憧れるのをやめましょう。一塁にゴールドシュミットがいて、センター見たらトラウトがいて、外野にはムーキー・べッツもいる。野球をやっていたら誰しもが聞いたことあるような選手がいると思うんですけど、きょう一日だけは、憧れてしまったら、超えられないので。僕らはきょう超えるために、トップになるためにきたので。きょう一日だけは、彼らへの憧れは捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。さあ、いこー!」と話をしていましたことが記憶に残っています。(出典:最終バッター「トラウト選手」との対決、topics.smt.docomo.ne.jp)素晴らしい「名言」だと思います。大きな目標や、強い相手を対するときには「相手を尊敬しながらも、萎縮したり、無理だと考えるのではなく、自分(たち)の積み重ねてきたことを信じて「勝つために一生懸命に戦う(努力)することが大切なことだというメッセージだと受けとめました。含蓄のある言葉です。素晴らしい感動をくれた「JAPAN」ありがとうございます。(感動の余韻のなかで)以上
2023.03.24
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たまたま、今日は時間ができたので以前からやりたかった「スマホ」内のアプリや保存ファイルについて点検してみたり、ネットで探した「書籍」の代金の振込手続きなどやっていました。「スマホ」を操作していて、気が付いたのは、これからの生活を考えた時に、自分として「マイHOME」(※家庭での生活)の内・外についてスマート化を進めることがこれから必要になってくるということに気づいた次第です(※スマート化とはデジタル技術を駆使した環境作り)。(出典:あなぶき介護 いまどき高齢者スマホ事情) <マイHOMEのスマート化>「HOME」の内のスマート化とは具体的にはいろいろとありますが、総括すれば便利で機能的で安全な家を目指すということですが、「外部とのスマート化」がこれからますます必要になってくるということです。私たち、シニアは年々足腰が弱ってきます、すたすた歩けた運動能力もだんだんと思うように動けなくなってきます。車の運転これからのも人にもよりますが、免許返上やできるだけ安全面を考えて運転を控えるようになってくるものです。また、夫婦の内どちらかが床に伏せるようになったり、ひとり身になったりするとがぜん生活面で不自由さが想定されます。<家にいて生活が成り立つ環境作り>そこで、これからは、もちろん体力や運動機能をキープすることはもちろん、友人知人との交友などは必要ですが、家にいて◇必要事務処理(各種契約、支払い、確定申告、銀行口座の管理・振込など)◇食事の手配(ディナーサービス、食材注文、出前配達、レストラン予約など)◇必要な物資の手配(通販での生活関連商品取り寄せ、宅配物の集荷など)◇かかりつけ医療機関への連絡(医師の往信依頼やネット診察環境など)◇外出時の交通手段手配(タクシーなど)◇必要な修繕修理(電気・ガス・水道、屋根、庭植木管理などの依頼など)◇緊急時の連絡(警察、救急車など)◇友人知人との交流(LINEやZOOM)◇肉親などへの安否カメラの設置など単に思いつくものを上げましたが、これらに対応していくことが求められているようです。勿論電話だけでもある程度は対応が可能ですが、やはり「スマホ」の機能を活かしたインターネットがらみのデジタルな環境を具体的に備えていくことが必要な気がします。<「スマホ」の活用は老後だからこそ必要性が増してくる>それには、どうも「スマホ」の活用がキーになり、「スマホ」にできるだけやるべきことを集約させる仕組みを考えていくことが必要になりそうです。(出典:みつばちブログ スマホの活用法)ただ単に「スマホ」は便利だからということでなく、老後を考えた環境構築が大切なようです。手前味噌ですが、「スマホ」利用を振り返ると、知らないうちにかなりの部分で「スマホ」1台あれば家にいながらできるようになってきました。わたしは、「スマホ」があるこの時代に生まれていて本当に幸せだと考える人種のせいかもしれませんが、こんなに便利なものはないですね。なんとなくイメージが出来上がってきたので、走りながらもう少し、自分なりに体系的にまとめてみたいと考えています。皆さんはどう思われますか?以上
2023.03.19
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(訪問日は3月4日です)これから、岡崎城に向かって出発します。NHK大河ドラマの「どうする家康」の舞台も「岡崎時代」から「遠江国磐田・浜松時代」に移っていくので、混雑も想定して朝の8:00に自宅を出発しました。今回は「岡崎城」、「大河ドラマ館」、「大樹寺」、「八丁味噌蔵」などを見学予定です。実に、楽しみです。到着は9:00でした。東名の磐田ICからは「岡崎IC」までちょうど1時間程度の高速料金は1440円でした。朝早く出てきたことは正解でした。団体の人たちも多く、マイカーの方々も結構出足が早く駐車場もどんどん埋まっていく状況でした。(撮影筆者、力強い岡崎城) <整備されている「岡崎城」>磐田市、浜松市、袋井市、掛川市の「家康公めぐり」に続いて、今日は「岡崎城の家康公巡り」です。まずは、岡崎公園内の「大河ドラマ館」に向かいました。(撮影筆者)チケット売り場でお得な「大河ドラマ館+岡崎城天守」の共通券を購入し890円(大人)「大河ドラマ館」入館しました。(撮影筆者、楽しい公園内のアトラクション) 結論的には、岡崎城、「大河ドラマ館」は想像以上にかなりの充実で満足きるものでした。たっぷり1時間半を過ごしてきました。ただ、撮影禁止のところも多く残念でした。(撮影筆者)岡崎城の印象はいろいろな石垣、堀だけでもダイナミックで感動ものです。自分なりに「家康公」の活躍の歴史を区分してみると①尾張・駿府人質時代②岡崎(三河)時代・桶狭間の戦いの初陣から、岡崎城での西三河統一・東三河統一時代・一向一揆との戦い、三河国統一時代③ 浜松(遠江)時代④ 静岡(駿府)時代⑤ 東京(江戸)時代⑥ 静岡(駿府)時代~大御所時代から と場所的には、三河(岡崎)、浜松、駿河、江戸と拠点変えています。最後は大御所時代で「駿府(静岡市)」に戻られますが、人質時代から家康公にとって「静岡市」は特別な場所の様です。その意味では、家康公の基礎固めの三河時代は必見の価値がありますね。大河ドラマも岡崎での放映はあと数回となるので訪問されることをお勧めします。<厭離穢土欣求浄土の大樹寺>(撮影筆者、大樹寺) 家康公の旗印に「厭離穢土欣求浄土」があります。「穢れたこの世を厭い離れたいと願い、心から欣んで平和な極楽浄土をこい願う」という意味だそうです。「どうする家康」では、元康が自死を覚悟した時に見たという演出でしたが、多くの逸話では大樹寺の住職である登誉上人に諭された時に出た言葉とされています。 <岡崎の名物、八丁味噌>歴史の探索の間に愉しみを入れました。実は、八丁味噌に興味があって、八丁蔵通りの店「八丁味噌のカクキュー」のうどん店で「ゆば天煮込みうどん」をいただきましたが、大変美味でした。ついでに、八丁味噌蔵の見学会に参加してきましたが、これもいつもはなかなか見れるものではなく、ほんとに楽しい一日でした。 (撮影筆者、八丁味噌とゆば煮込みうどん)(撮影筆者、八丁味噌樽)以上
2023.03.13
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先日wifeと一緒に、浜松の「家康公ゆかりの場所の訪問」をしてきました。浜松市の「大河ドラマ館」は残念ながら、リニュ-アル中で見学できませんでしたので、まずは浜松城周辺の主な旧跡を訪問してきました。三方ヶ原古戦場跡と元城町東照宮(引間城=曳馬城本丸跡)は初めて行きました。<浜松城周辺の旧跡を訪ねて> ① 三方ヶ原古戦場跡 (撮影筆者) ②犀が崖古戦場跡、資料館 (撮影筆者、高い崖です)③元城町東照宮(引間城本丸跡)3カ所目は浜松城の前に使っていた城を訪ねてきました。 (撮影筆者) (撮影筆者、家康公像と秀吉公像)知れば知るほど、さらに知りたくなるのは不思議な体験ですね。今回の一押しは元城町東照宮の家康公像・秀吉公像のアップ写真です。 次回は岡崎城・岡崎を訪問してきます。以上
2023.03.09
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先日に、前々から行きたいところだった袋井市にある旧跡「木原畷・許禰(こね)神社」と「久野城」を訪問してきました。(撮影筆者)(撮影筆者)<「木原畷」古戦場>「木原畷」古戦場はまさに、信玄遠江侵攻の初戦の戦闘の場です。『元亀三年(1572)十月、遠江に侵攻した武田軍は怒涛の勢いで天方城、飯田城、各和城、久野城を襲い、東海道へ達し木原(現袋井市)付近に布陣した。武田軍の侵攻を抑えるべく徳川軍が出陣、偵察に出ていた本多忠勝と内藤信成は木原で武田軍と遭遇し戦闘となった。偵察隊は退却するが武田軍の追撃を受け三箇野川や一言坂で戦闘となった。その後の「三方ヶ原の戦い」につながる前哨戦でもあります。(出典:岡部英一氏著書「一言坂の戦い」から)袋井市のこの地域は広大で平らな場所(田園)にあるところで、信玄軍の2万人を超える軍勢がここに集結している風景はさぞかし緊迫感があったと思います。<「久野城」>久野城は平山城で岡部氏の著書「一言坂の戦い」によれば、久野城はもともと今川方で、家康遠江進出に際し、城主の久野宗能を徳川方につかせ、天竜川に舟橋をかけさせた城主という。(撮影筆者)…信玄が侵攻時は宗能に300人で任せたが信玄3000人で城を囲んだようである・・・、結果的に武田軍の軍配に下ったが、多勢に対した時の城の守備方はどんな気持ちだったのでしょうか、などいろいろと思いが浮かんできました。双方ともに平日であまりメジャーな旧跡でもなかったせいか?私一人で、ゆっくりと堪能することが出来ました。以上
2023.03.02
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