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昨日から「屋久島ナチュラルヒーリング」のHPでは、牡羊座の水晶祭りが始まっている。牡羊座は、いのちと自意識の星座。いのちは、すべての源。現象宇宙の原動力。それでは、自意識とは何だろうか。それは、この世を生きる主体。自分という意識。しかし・・・それは、単なる意識ではない。生まれて間もない赤ちゃんは、五感を通して、いろいろなものを知覚している。それらを知覚する意識はある。しかし、自分という意識があるだろうか。これは、自分のもの。自分は、このような人間。これは好き、これは嫌い・・・そのようなことを、赤ちゃんは思っているだろうか。赤ちゃんは、いろいろなものを覚えていく。最初から自分のものなどない。自分という意識もない。ただ知覚する意識があるだけ。父親、兄弟、祖父母、親戚・・・最初から知っていたわけではない。徐々に覚えたもの。言葉も、知識も、すべて後天的なもの。肉体の成長と共に、意識も発達する。その過程で、自分という意識が芽生える。それが、自意識。その意識が、この世を生きる主体となる。自分という意識は、後天的なもの。今の自分は、成長過程によって形作られたもの。牡羊座は、肉体生命の始まりであり、自分という意識の始まり。個として、この世を生きることのスタート。牡羊座は、火の星座。他にも火の星座が二つある。それは、獅子座と射手座。そこには、自意識の流れがある。牡羊座で芽生えた自意識は、獅子座で確立される。それが、自我。自己イメージの確立。この世を生きる主体の完成。しかし、それだけでは、自我の一生。自己中心的な人生。自分さえよければいいという生き方。肉体をベースにした物質的な生。獅子座の次は、乙女座。乙女座で、人はこの世の法則を学ぶ。宇宙の成り立ちを知る。宇宙は、自己中心的にはできていないことに気づく。次の天秤座では、調和とバランスに目覚める。宇宙も人間関係も、すべて調和とバランスで成り立っている。そういうものが壊れれば、病気や事故や悲苦が生じる。人は、調和の美しさに気づく。続く蠍座では、持続する愛を体験する。移ろいやすい自己中心的な愛ではなく、変わらぬ愛に目覚める。愛し続けることのすばらしさを実感する。愛が、シフトする。その後に出てくる射手座は・・・これまでの自意識とは、異なる。射手座では、自我を超えることを学ぶ。小さな肉体ベースの自我を超え、より大きな自意識となる。大いなる自己。大我。個であり全体。自意識は、限りなく広がっていく。自意識は、この世の乗り船。自分という主体に乗って、意識はこの世を体験する。その自意識を形成するのが、火の星座の役割。火とは、意識の炎。幼児期の自意識があり、青年期の自意識もある。年老いた自意識があり、痴呆に近い自意識さえある。意識は、いのちのように個別性はない。しかし、自意識は、限られた枠のなかの意識。個々の肉体は、いのちの乗り船。自分という自意識は、意識の乗り船。人は、いのちと意識の合体物。その個別化の始まりが、牡羊座。牡羊座で、意識は個別化のスタートを切る。獅子座で、個別化は自我として確立される。射手座で、自意識は自我を超え始める。それが、この世における意識の旅路。牡羊座は、肉体と自意識の始まり。その肉体と自意識をサポートする水晶たちが、今回はたくさん出ている。赤系の石たちが、肉体と自意識をパワーアップしてくれる。元気な肉体と明確な自意識の両方が、この世を生きるには必要だから・・・『肉体は いのちを乗せる 乗り船で 自己は意識を 乗せる乗り船』これが日記を書き始めて1915日目の心境。
2010.03.31
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今日は、満月。正確に言うと、日本標準時午前11時25分が満月。今夜は、既に満月から少し欠け始めている。昨夜は、満月直前だった。満月を過ぎた月と満月直前の月では、明らかに勢いが違う。満月直前が、最もエネルギーが強い。昨夜は、水晶を月光浴させた。今日から始まった牡羊座の水晶祭りに登場する水晶たちを。すばらしい月の光だった。月光が海に照り映え、昼間のように明るかった。月は、満月ごとに明るさを増している。月は、毎回バージョンアップしている。月光浴の前には、海と川で浄化した。海の水はぬるかったが、川の水はまだ冷たかった。暖かい陽射しがあって、寒くはなかった。水晶と共に自分も浄められて、満月を浴びた。牡羊座は、十二星座の最初の星座。その意味するところは・・・いのち!そして、自己。牡羊座は、人の誕生を象徴する。この世に生まれ、これから新しく人生を始めようとする時。この世のいのちの始まり。今生の自分のスタート。牡羊座は、燃えるいのち。いのちの爆発。それは、赤ちゃんの産声のようなもの。元気が、生きている。その生命力を象徴するのは、赤。血の色。いのちの色。火星の色でもある。牡羊座の守護星は、火星。その意味するところは、パワーでありバイタリティ。戦いの星、軍神マース。メラメラと燃えるいのちの炎。今回の水晶祭りは、赤い色のものがたくさん出ている。最も目を引くのは、インカローズ。情熱の赤。愛の結晶。インカローズの正式名は、ロードクロサイト。ロードクロサイトの語源は、『バラ色の石』。淡い愛ではなく、深い愛。まさにバラの花のような愛。タンジェリンクオーツも、たくさん出ている。こちらは、元気の出る水晶。そのオレンジ色は、見ているだけで心身が活性化する。芯から元気にしてくれる。このタンジェリンクオーツは、レムリアンシードでもある。レムリアンシードは、レムリアの叡智を宿している。オレンジ系のレムリアンシードは、珍しい。その上、どれも透明感があって美しい。そんなに簡単に見つかるものではないので、この機会に手元に置いておくといい。価格も、そんなに高いものではない。淡くて透明なものが多く、心を落ち着かせてくれる。そして、静かに元気にしてくれる。大きなクラスターも出ている。母岩からたくさんのポイントが林立している。それは、母体から生まれたいのちの炎。自然な生命力を象徴している。特にヒマラヤ水晶のクラスターは、長いポイントが何本も林立している。透明感も抜群で、トップも完璧。これだけ美しいヒマラヤ水晶は、なかなかお目にかかれない。まさに神聖な神殿のような美しさ。縁があれば、手元に届く。経済的に余裕がなければ、見ているだけでもいい。見るだけでもエネルギーは、伝わる。いのちのエネルギーを感じて、いのちを充電すればいい。いのちは、無私。いのちに、私はない。ただ、生きる生命力。すべてを動かす原動力。いのちとは、宇宙の根源的な動き。いのちがあるおかげで、この現象宇宙が存在する。宇宙を展開させる力。いのちは、元気の元。先ずは健康でなければ、何もできない。心身ともに元気がいい。そのサポートをしてくれる水晶たちが、今回はたくさん出ている。そういう水晶と一緒にいれば、自然に元気になる。牡羊座には、いのちと共に自己という大きなテーマもある。牡羊座から獅子座、射手座と続く火の星座の流れ。それこそが、まさに自己の確立と完成の流れ。それについては、明日書くことにする。『赤ちゃんの 赤がいのちの 赤であり 血の色であり 燃えあがる愛』これが日記を書き始めて1914日目の心境。
2010.03.30
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宇宙には、数えきれないほどの銀河がある。アンドロメダ銀河、マゼラン銀河、そして我々が住む天の川銀河・・・それらの銀河は、なんとなく台風に似ている。台風も銀河と同じように渦巻いている。その渦巻きの中心には、目がある。その目の中は、無風状態。静かな空間。静けさそのもの。それは、色と空の関係に似ている。台風の目は、空。周りの渦は、色。空の周りを色が渦巻いている。色の世界は、激しい変化変滅の世界。しかし、その中心には、常に静寂の空間がある。色は、色だけに非ず。空があることによって、色が成り立つ。無風の空から、色の激動が始まる。森羅万象の源は、空。何もない空間。それが動くことによって、森羅万象が生まれる。その動きこそが、いのち。いのちがなければ、森羅万象もない。ただの静寂があるだけ。色も空もない。色と空は、同時存在。色だけとか、空だけということは、あり得ない。色即是空、空即是色。色と空は、同時に存在する。何の動きもない世界。いのちのない世界では、色も空もない。ただ静寂があるのみ。「ひとつ」が存在するのみ。そのひとつから、動きが始まる時、いのちが生まれ、色と空に分かれる。ある意味、空が元、色が後とも言える。空は、元々のひとつの性質を引き継いでいる。静寂から動が始まる。それは、女性性と男性性の関係に似ている。元々の女性性は、両性具有。そこから、男女に分かれる。最終的には、女性性が男性性を吸収して元の状態に戻る。台風も、やがて勢力が衰え、渦巻きの姿が消える。何もない元の状態になる。宇宙も同じ。動である色は、静である空に収斂していく。宇宙は、呼吸のようなもの。満ち潮があり、引き潮がある。色が展開する時があり、やがて動きが消えて空に戻る時もある。人類の文明も同じ。台風の渦にだけ意識が向くと、自分を見失う。激動に翻弄され、木の葉のように弄ばれる。渦と同時に、台風の目も自覚することだろうか。片足を渦に、片足を目に置くことだろうか。色と空でワンセット。動と静で一対。渦と目で、台風はできている。色と空で、宇宙は成り立っている。片方だけで生きれば、片手落ち。色の渦だけに意識が向くと、心のやすらぎは得られない。空の静寂だけに意識が向くと、現実生活は送れない。色と空に片足ずつ置くのが、バランスの取れた生き方。台風は、渦と目でできている。現実宇宙は、色と空でできている。その両方を意識して、今を生きることだろうか。渦を巻く現象だけに振り回されないで、自分の中の静寂も感じながら生きることだろうか。動と静。色と空。それで一対。ワンセット。片足を色に置き、もう片足を空に置く。静寂と共に激動を生きる。静かに激しく生きる。深く広く生きる。『獲物捕る 猫は静かに 近づいて 瞬時に動き 獲物捕える』『中心に 静けさ持って 激動の 現実生きる それがバランス』『台風も 銀河も同じ 動と静 渦に片足 目にも片足』これが日記を書き始めて1912日目の心境。
2010.03.28
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今日の屋久島は、寒い。一度暖かくなったので、なおさら寒さが身に沁みる。でも、この寒さも明日まで。明後日からは、また暖かくなりそう。三寒四温の時期も過ぎ、もう新緑が勢いを増している。山桜も、かなり咲いている。先日行ったヤクスギランドでは、7~8分咲きだった。もう満開も近い。光は、強くなる一方。地球の響きも、繊細になるばかり。空気の透明感が、日ごと増している。すべてが、クリアーになりつつある。光が強くなれば、隅々まで照らし出される。潜在意識の奥まで光が届き、潜在意識が動き出す。これまで凝り固まっていたシコリが、ほぐれ出す。闇が、光に変わる。これまでは、隠すことができた。誰にもわからないように自分だけの秘密を持つことができた。ところが・・・それが、できなくなりつつある。すべてが、白日の下に曝(さら)されようとしている。社会の闇も潜在意識の闇も、すべて覆いが取り去られようとしている。これまでは隠せたものが、もう限界に達している。自分は隠しているつもりでも、周りから見れば一目瞭然となりつつある。これまでは、自分をごまかして生きることができた。しかし、これからは、それも難しくなる。自分をごまかせば誤魔化すほど、苦しくなる。それでも、これまでは耐えられた。しかし、これからは、耐えられなくなる。自分に嘘をついて生きていると、耐えがたいほど苦しくなる。生きるのが辛くて、死にたくなってしまう。正直に生きるか、死ぬしかなくなる。正直に生きればいい。何も難しくはない。自分に素直に生きればいいだけ。それが、一番楽な生き方。にもかかわらず、人は自分をごまかす。自分に嘘をついて生きる。自分を守るために、自分に嘘をつく。そういう自分を自己正当化する。人類は、これまでそのような欺瞞的な生き方をしてきた。しかし、それももう限界。これ以上は、無理。そんな生き方をしていたら、アセンションなどあり得ない。シンプルに。素直に。正直に。ありのままに。それは、まるで幼児に諭しているようなもの。当たり前のこと。何も難しいことではない。小学生でもわかる。極めて単純。そんなシンプルな生き方をすればいいだけ。そうすれば、肩の荷が下りる。子供時代に帰ったように楽に生きられる。子供は、生活の心配がないので、大人よりも楽に生きている。大人になると、生活の心配で取り越し苦労が絶えない。そのために、心身共に老け込んでしまう。心の若さが、消える。子供のようにシンプルに生きれば、心身共に若々しくあることができる。これからは、シンプルになった人が、若々しくて元気になる。屈折して生きる人は、一段と老け込む。心の状態が、そのまま外に表れる。これまでは、化粧で隠せたかもしれない。お金をかけたファッションでカバーできたかもしれない。しかし、これからは、そうはいかない。自分の心のありようをごまかせなくなる。外面だけ着飾ることが、難しくなる。「ええかっこしー」が、できなくなる。内と外の区別が、薄れていく。心身一如が、名実共に実現する。楽に生きればいい。できるだけ隠し事をしないようにすればいい。ありのままに。素直に正直に生きればいい。極めて単純。何も難しいことはない。何事も複雑にしないで生きる。シンプルに生きる。『シンプルに 生きる心が 美しい 何もないほど より美しい』これが日記を書き始めて1910日目の心境。
2010.03.26
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時代は、急速に変化している。意識も肉体も地球も変化が激しい。アセンションマラソンは、サバイバルゲームの様相を呈してきた。その状況を見てみると・・・先頭集団は、既に浄化を終え、心身の光化に努めている。中間の最大グループは、浄化の佳境を迎えようとしている。最後のグループは、気づくためのアクシデントの連続に見舞われている。それぞれのグループごとに進行状況が異なる。人類を引っ張る役目の最先頭グループは、もう物質次元に翻弄されることはない。今は、急速に心身を光化している段階。アセンションは、秒読みとも言える。物質次元の執着からは、ほぼ自由になりつつある。中段にいる最大グループは、激しい浄化の嵐に遭遇している。今生だけではなく過去世から積もり積もっていたものが、一気に噴き出している。潜在意識の隅の隅まで大掃除されようとしている。理由のない不安や恐れが、噴出している。精神的には、荒波に弄(もてあそ)ばれる小舟のような状態。肉体的にも、痛みやダルさが後を絶たない。次々と訳のわからない心身の異常が続く。これまでに溜まっていたものが、一気に噴き出している状態。最後尾のグループは、まだまだ後ろを振り返ることが多い。過去のトラウマに囚われている。真っ直ぐに前を見て進むことができない。すぐに過去の傷が脳裏をかすめる。それでも、なんとか集団に付いて行こうと頑張っている。立ち止まっては、また走り出す。走り出すようにエネルギーのサポートがきている。少しずつ前向きになっている。真剣に自分自身を見つめ、自分の真実を生きる人だけが生き残っていく。物質に翻弄される人は、生き残れない。真実だけが残る。真実の世界になる。光の時代が、始まる。それは、もう秒読み段階。しかし、そのためには、心身を調整する必要がある。光バージョンにする必要がある。重たいものを手放し、軽やかになる必要がある。光は、速い。光は、軽い。光は、前へ進む。過去の重荷を背負っていては、高速で前には進めない。高速は、やがて光速となる。過去に拘束されていては、光速とは縁遠い。潜在意識の重荷を手放す必要がある。それは、澱(おり)のようなもの。意識下の沈殿物。澱は、意識を閉じ込める檻となる。意識の自由を奪う。人は、自分の澱に気づいていない。意識下に沈殿している膨大な澱に気づいていない。それらが、今、一斉に動き出そうとしている。今生だけでなく過去世まで含めた澱が・・・原因不明の頭痛や体の不調となって現れたりもする。不安や恐怖が襲ってくる場合もある。突然、人間関係が壊れかけることもある。いずれにしても心身が揺さぶられる。長い永い間、固まっていたものを動かすのは容易ではない。堆積岩のように固くなったものを一枚一枚剥いでいく。黒くなり悪臭を放つ沈殿物を、最後まで取り除く必要がある。人類が溜め込んでしまったネガティブな想念の堆積物。怒り、憎しみ、恨み、妬み・・・無念さと共にしまい込まれた多くの感情や想い。ふつふつと煮えたぎるものもあれば、既に忘れ去られているものもある。石のように固くなり、心を固く閉ざす原因となっているものもある。そういう岩盤のように固くなったものを、溶かす必要がある。心のシコリを解(ほぐ)さない限り、心の自由はない。瞬間的に自由であることはできても、シコリが出てくると、途端に心は固くなる。いつまでも、それを繰り返していてもしかたがない。心は、瞬時に自由になることができる。色から抜けて空となれば、即座に心は自由になる。しかし、色の世界で生きるのに、いつも空ではいられない。色々考えたり、行うことも必要。そういう時に、潜在意識の澱は暗い影を投げかける。無意識のうちに影響される。そういうものは、一掃する必要がある。一掃して軽やかになる必要がある。そういうことを今、人類はやろうとしている。人類の潜在意識に溜まっていたものを解放しようとしている。暗く重たかったものを手放そうとしている。過去に囚われず、前を向いて生きようとしている。過去は、過去。すべては、今ここにある。今ここは、常にゼロポイント。空の世界。今ここには、常に無限の可能性が宿っている。どこに向かうも、何をするも自由。しかし、色の世界で何かをするには、色の道具が必要になる。過去の知識や経験がものを言う。そういうものも必要。科学知識は、役に立つ。しかし、過去に囚われると、未来を見誤る。過去のデーターと共に、ゼロの意識が必要。先頭集団、中間集団、最後尾集団・・・と言っても、たとえに過ぎない。各集団のなかにも、先頭グループがあり、中間グループがあり、最終グループもある。どこに所属していても、自分のペースで生きているだけ。自分が一番居心地のいいところにいるだけ。優劣も善悪もない。ただ意識状態が違っているだけ。既にやすらぎの境地に近い人もあれば、まだ七転八倒している人もいる。どこにいても、やることは一つ。自分自身を理解し、自分から自由になること。自分という自我から自由になること。自分を不自由にしているものは、自分自身以外にはない。出てくるものに囚われないことだろうか。すべて手放すことだろうか。持っていなければならないものなどない。必要なものは、既に内在している。すべて手放せば、自分がなくなってしまう?確かに!自我は、消えるかもしれない。しかし、それは自分を苦しめるものに他ならない。自分を縛るものをしっかりと握って放さないのが、ありのままの自分の姿。そのことに気づくことだろうか。自分が自分を苦しめているだけ。他人(ひと)が自分を苦しめているのではない。自己責任の深い意味を理解しないと、幸せになることはできない。他人(ひと)のせいにしている限り、幸せに縁はない。自分に降りかかる出来事のすべての責任を取ることだろうか。逃げないで、しっかりと受け止めることだろうか。逃げないですべてを受け止め、それを自分に気づく糧とする。そうすれば、気づきは加速される。心身は、変容していく。光に一段と近づく。光へ、光へ。すべては、光へ向かっている。それが、時代の流れ。人類の流れであり、地球の流れ。そのために闇が解放されている。その解放される過程の闇に、再び呑み込まれないことだろうか。ただ手放すだけに留めておくことだろうか。ドロドロした人間ドラマに翻弄されないことだろうか。光は、ますます強くなっている。潜在意識の奥の奥まで光が当たり始めている。潜在意識の闇が、光に照らされて浮かび上がっている。ただ見守るだけに留めることだろうか。ただ見守るだけで、何もしないことだろうか。そうすれば、すべての闇は、浮かんでは消えていく。何もしなくてもいい。ただ見守っていればいい。何もしない方がいい。何かをすれば、また闇を取り込んでしまう。ただ見守って、手放せばいいだけ。ただ光と共に生きればいいだけ。『光り増す 時代であれば 闇もまた 強まるなれど 囚われぬこと』『出るものを 掴めば闇は もう一度 意識の奥へ 深く潜入』『心配も 不安・恐れも すべて見て 手放すだけで 何もせぬこと』これが日記を書き始めて1908日目の心境。
2010.03.24
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山の方では、山桜が咲こうとしています。気の早いサクラツツジは、既に咲いているものもあります。新緑が、どんどん芽吹いています。春の気配が、日毎に高まっている屋久島です。長いこと日記を読んでおられる方から、次のようなメールをいただきました。「ところで、いつもkimiさんの日記を字面を追って読んでいるだけだったのですが、声に出して音読してみましたら、なんともスッキリなことに驚きました。これは、是非とも皆さんにおすすめしたいところです。文字のエネルギーもあるのでしょうけれど、声に出すことにより言葉が文字を超えて立体的になり、浸透する力が違うように感じました。屋久島で生活されているkimiさんの感覚が、文字そしてその音を通して、実体験までいかないまでも、そこに漂う気配が自分の身体に取り込まれていく~そんな素敵な体験です。水晶祭りで旅立った水晶たちが、この日本の上空でネットワークを張り巡らせているのも素晴らしいですが、音読により、そこに息づいてくる何かを感じました。今日も一日、元気で過ごせそうです。ありがとうございました♪」 この日記を声に出して読んでいただいているようです。言葉にすれば、言霊が活性化します。波動が、心身や部屋に浸透していくでしょう。パソコン上で読んでいるのとは、少し違ってくるかもしれません。パソコンで読むのとプリントアウトして読むのでさえ、大きな違いがあります。言葉に出して音読すれば、更に何かが違ってくるでしょう。パソコンの前に座ると、どうしても電磁波の影響を受けます。体にとっても頭にとっても良いものではありません。パソコンから離れて読むと、スムーズに入ってきます。まして印刷したものを音読すれば、全身の細胞に浸透していくでしょう。時間がある時にしかできませんが、それをやれば、それなりの効果はあるでしょう。すべては、エネルギー=波動ですから。地球の波動は、どんどん精妙になってきています。最近は、空気感が違ってきています。より繊細になっている感じです。繊細になれば、より早く反応が起きます。すべてが、スピードアップしています。バンクーバーオリンピックも、終了した翌日には、もう完了という感じがしました。どんどん過ぎ去っていきます。今、今にフォーカスが当たるようになっています。今にエネルギーが集中しています。過去・現在・未来のエネルギーが、すべて今に集中するようになってきています。意識が、今ここにフォーカスされようとしているのです。これまでより、今ここが鮮明になってきています。集中された今ここの波動が、広く影響を与えていきます。魚座の時代のエネルギーは、分散しています。水瓶座の時代のエネルギーは、集中しています。パワーが、まるで違います。集中した水瓶座のエネルギーが分散した魚座のエネルギーのなかに浸透し、駆逐していきます。徐々に水瓶座の時代のエネルギーが、地上に広がっていきます。魚座の残滓は、消えていくのみです。今噴出している魚座の残滓に囚われないことです。個人のなかからも過去のドロドロが出ています。民族間でも出てきます。天変地異も、その一環です。人類の魚座の残滓が、すべて噴き出すでしょう。そういうものに囚われないことです。出て来た時は、消える時。すべて手放すことです。そして、軽くなることですね。古い魚座のエネルギーを手放すのに、日記の音読は役に立つでしょう。新しい水瓶座のエネルギーを心身に浸透させるのです。細胞レベルから波動を精妙にするのです。新しい時代にふさわしい心身に転換するのです。『新しい 時代の響き 心身に 浸透させる 音読効果』『言霊に なって響けば 心身も 部屋も空気も 一新される』これが日記を書き始めて1899日目の心境。* メールを日記に引用したいと伝えたら、次のようなメールが届きました。「是非、日記で音読のご紹介をお願い致します♪声に出す音を大切にしなくちゃ・・・と感じる毎日です。日々、どういう事を想い巡らせ考えているか....それがその人から溢れる言葉なんですよね。だからこそ、広い意味で自分自身を大切にしなくては~と想う今日このごろです。」自分のなかからどのような波動を出すか・・・言葉は、自分自身とも言えます。新しい時代の光の言葉を発すれば、自分の周囲も明るくなるでしょう。自分自身も新しい時代に向けて変容していくことでしょう。
2010.03.15
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3月11日から屋久島での新しい7年の周期に入っている。これまでとは、明らかに違う。光をめいっぱい入れている感じ。これまでの制限を外して、全開という感じ。光を入れ過ぎると、翌日頭が痛くなったりする。波動が高くなり過ぎ、体が付いて行けなくなる。そのため、これまでは全開という感じではなかった。しかし、もうそろそろ全開してもよさそうな感じになっている。やはり、時代が変わったのだろうか。光の時代!目に見える世界は、まだまだ魚座の時代の名残がいっぱい。残務整理という感じ。しかし、新しい時代のエネルギーは、目に見えないところで着実に勢いを増している。新しい息吹が感じられる。その一番わかりやすい例は、月だろうか。月の輝きが、これまでとは違っている。夜が明るい。月の輝きが、隅々まで照らしている。これまでは、満月の時だけそうだった。しかし、最近は満月でなくてもすばらしい光が降り注いでいる。これから、光は更に強さを増す。地球は、格段に輝いていく。今起きている天変地異は、浄化の嵐。美しい本来の地球にするための地ならし。何も心配しないで、光と共に生きることだろうか。自分のなかの光の部分を信頼することだろうか。人は、光によってできている。本来は、光そのもの。今は、物質ナイズされてるだけ。本来の可能性を忘却しているだけ。人は、本来自由なもの。まったく制限のないもの。この世に生まれて成長するなかで、制限を身に付けてしまった。本来は、無限定。完全に自由な存在。ありとあらゆるものを創造可能。この世的な自己限定を外すことだろうか。成長過程での条件づけに気づくことだろうか。いかに制限された情報のなかで生きてきたか。なんと時代背景に色濃く影響されているか。自分をつくりあげているものは、自分が生まれ育った環境。父母、家族、友人・知人、上司や同僚・・・土地であり、地域であり、自然・・・時代であり、風習であり、流行・・・そういうものが、自分をつくりあげている。映画、テレビ、新聞の影響は大きい。学校教育、漫画、広告宣伝もバカにできない。自分を取り囲むすべてのものが影響を与えている。そういう影響を吸収して自分ができあがっている。赤い土地では、水晶さえ赤く色づくように。場所により言葉も違う。地域により風俗習慣も異なる。多くのものを吸収して今の自分がある。そういうものから自分というものは、できあがっている。大切なことは、そういう要素に振り回されないこと。そういう構成要素を理解し、活用すること。つまり、自分という個性を理解し、活かす。素材としての自分の可能性をわかり、花開かせる。自分というものを客観的に見る。そして、この世のために役に立てる。自分、自分、自分というのが、これまでの生き方。主体だけに偏った生き方。それを転換する。客体として自分を見る。先ずは、自分として生きる。同時に、自分を見守りながら生きる。主体だけに偏らない。客体としても自分を見守る。そのように生きることが、霊静に生きること。主体であり、客体。個であり、全体。個を活かし、全体と共に生きる。『主体だけ 狭い了見 争いの 元になるだけ 古い生き方』『これからは 主体と共に 客体の 自分見守り 自分を活かす』これが日記を書き始めて1897日目の心境。
2010.03.13
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今日は、朝から青空が広がっている。愛子岳の山頂は、真っ白。青空に映えて美しい。ここ二日の寒波で、前岳にも雪が見える。7年前に屋久島に上陸した時も、山々には雪が残っていた。2003年3月11日に屋久島に引っ越してきた。それから、まる7年が経過した。今、8年目の春を迎えようとしている。この7年間で、基盤が固まった。しっかり屋久島に根を下ろすことができた。ガイドとしての仕事も確立された。住む場所も安定した。このブログ日記も始まった。その結果、精神的な深化は計り知れない。東京にいた頃とは、まったく違う。しっかりグランディングできている。森に入り瞑想することも定着した。山の水を飲むことも当たり前になった。夏場は、いやと言うほど汗をかく。その汗を温泉で流す。海で泳ぎ、滝でミストを浴びる。時には山に登り、新鮮な空気を吸う。夜になれば、満天の星を眺める。屋久島の自然と暮らすのは、飽きることがない。途中から、水晶が手元にやって来るようになった。その数・・・数千?正確な数は、わからない。水晶祭りがスタートし、水晶循環が軌道に乗った。今では、水晶のない暮らしは考えられない。すっかり水晶との共同生活が定着した。ただ見ているだけで、幸せ。一ヶ月ほど前に、隣に住んでいたY翁が引っ越した。この土地と家は、新しいオーナーのものとなった。その人は、よく知っている人。深い縁がある人。この土地と家は、以前から売りに出されていた。そのため、買い手によっては、ここから出る必要が生じかねなかった。しかし、その心配はなくなった。たぶん住みたいだけ住めるだろう。いろんな意味で、すべての基盤が整った。これからは、安心して屋久島に住める。7年の経過によって盤石の基盤ができた。基礎作りの7年間だった。これからは、完璧な基盤の上で新たな展開が始まる。どのような展開になるのか、それはわからない。どうなるにしろ、未来は明るい。今日の青空のように。雨の続いた日々。雪が降るほどの寒波。海も大荒れ。しかし、その後に迎える青空は、格別。まさに今の時代を象徴しているような天気。最近は、地震が多い。異常気象は、当たり前。経済状態も不安定。まだまだ困難な状況は、続くだろう。地球は、混迷の度を深めていく。しかし、混迷すればするほど、新しい芽も育つ。これまでとは、まったく異なる芽が・・・新しい時代は、すべてが逆転する。トップがビリになり、ビリがトップになる。これまで我が世の春を謳歌していた人々が、路頭に迷う。これまで何もなかった人たちが、真に豊かになる。豊かさの基準が変わる。価値観が、転換する。多から少へ。量から質へ。これまでは、多くを持つ人が尊敬された。しかし、これからは、持ちものが少ない人が尊敬される。物質的にも精神的にも、少なければ少ないほどすばらしいということがわかる。何もないのが、最高。何も所有しないのが、最高の生き方。いつも空っぽでいるのが、この上ない生き方。軽やかにさわやかに生きるのが、何にも優る生き方。重たいものをたくさん背負って生きるのが、これまでの古い生き方。何もなくても生きていける。軽ければ軽いほど、楽に生きられる。時代の流れと共に、自然に生きる。風に吹かれ、風に乗り、雲のように生きる。『七年が 過ぎて気づけば 完璧な 基盤ができて 次のスタート』これが日記を書き始めて1895日目の心境。
2010.03.11
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快も不快も、好きも嫌いも、すべて相対的。多い少ない、高い低い、太っている痩せている・・・すべて相対的。比較する対象によって、結果は違ってくる。太った人の隣にいれば、痩せて見える。痩せた人の隣にいたら、太って見える。好物のケーキも、食べ過ぎれば見たくもなくなる。好きだった人も、可愛さあまって憎さ百倍となりがち。すべては相対的であり、可変的。すべては、比較によって成り立つ。比較する対象しだいで、どうにでも変化する。一定不変というものはない。昨日まで大好きだった人も、もっと魅力的な人が現れれば色褪せてしまう。権勢をほしいままにした政治家も、落選すればただの人。驕れるものは、久しからず。色は匂えど散りぬるを、我が世誰そ常ならむ。人はみな、そのような相対的、可変的な世界で生きている。絶対不変はない。常に変化している。宇宙全体が、そのような構造になっている。常に変化しながら、宇宙は存在している。常にバランスを保ちながら、宇宙は変化し続けている。そういうなかで、いかに生きるか。変化の波に翻弄されて生きるか、それとも変化を楽しみながら生きるか。人生は、波乗りゲームのようなもの。常に変化している波の上で、絶えずバランスを取る必要がある。何かに安住すれば、やがてどんでん返しを食う。愛する人が、突然、目の前から消えることすらある。いつまでもあると思うな親と金。地位も名誉も財産も、いつまでも続く保証はない。金持ち、三代続かず。強い横綱も、やがて引退する時を迎える。経済もバブル期を迎えれば、次はデフレが待っている。頂点を極めたトヨタは、バッシングの嵐に遭っている。長く低迷していた映画産業は、3Dによって復活しようとしている。白黒からカラーへ、そして3Dへとテレビも進化を続けている。これからも変化は続く。科学技術の進歩は、日進月歩。コンピューターは、日常生活の隅々にまで浸透している。地球は、更に狭くなっていく。変化するものと共に生きていくしかない。自分自身も変化しながら生きていくしかない。変化に翻弄されないで、変化を楽しみながら生きていくしかない。変化を楽しむには・・・変化と共に生きている自分自身を見守ることだろうか。ある時は変化に翻弄され、別の時は変化に呑み込まれるかもしれない。いつも変化に対応できるとは限らない。相手の感情の激変に、対応に困ることもあるかもしれない。予想だにしないアクシデントに困惑するかもしれない。ケガをしたり、財産をなくしたり、事故に遭ったり・・・人生は、思わぬことが起きるもの。そういう変化に付いて行けなくて、苦悩する時があるかもしれない。常にうまく波乗りできるとは限らない。むしろ失敗する時の方が多いかもしれない。失敗して、怖くなり、殻に閉じこもる時もあるかもしれない。いつもオープンでいるのは、難しい。困難は、断続的に襲ってくる。そういう波風をうまく乗り切ることができるだろうか。うまく乗り越えられて、歓喜する時もあるだろう。波に呑まれて、苦しむ時もあるかもしれない。そういう自分を見守ることだろうか。変化のなかで生きる自分は、不安定。安定することは、あり得ない。安定すれば、変化に付いていけなくなる。波乗りゲームは、止まったら海に沈んでしまう。常に動き、常に変化するしかない。それが、生きるということ。しかし、それでは心からやすらぐ時がない。それでは、安心立命はほど遠い。安心立命に至る道は、ただ一つ。それは、変化している自分自身を見守ること。見守る視点を持つこと。この視点こそが、不変のもの。変化するものを見守る視点こそが、変化することのないもの。絶えず変化するものを見守る変化することのない意識。安定した不変の意識。自分という視点だけでは、不安定。自分を超えた見守る視点がないと、安定は得られない。見守る視点に、自分はない。ただ見守るだけの視点は、個を超えている。個だけでは、宇宙の孤児。安心立命は、どこにもない。個を超えた見守る視点がある時に、初めて宇宙と融け合うことができる。その時に、安心立命が存在する。人は、個として生きるもの。個として、この無常の世界を生きる。常に変化しながら必死に波乗りゲームをおこなう。それは、夜空に輝く星のようなもの。その夜空に輝く星々を見守っているのが、別の意識。個を超えた意識。それが、人に安心立命をもたらす。それなくして、安心立命はあり得ない。静かに深く、ただ見守る。すべてを包み込み、ただ見守る。良いも悪いもない。好きも嫌いもない。自分自身を見守る。周りの人を見守る。すべての状況を見守る。すべての環境を見守る。そういう視点がある時に、人は波に翻弄されなくなる。翻弄される自分を、翻弄されない意識が見守っている。それが、宇宙の構造。人と神との関係。個は、個々に動く。全体は、それを見守る。個は動であり、全体は静。人は動であり、神は静。色は動であり、空は静。空に包まれて、色の花が咲く。個として生き、その個を静かに見守る。個として宇宙を創造し、全体としてそれを見守る。『見守りの 視点があれば 人生の 波に翻弄 されることなし』『人生は 波乗りゲーム 変化する 自分見守る 静かな意識』『色と空 個と全体の 関係は きらめく星と 見守る夜空』これが日記を書き始めて1893日目の心境。
2010.03.09
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雨の屋久島が、続いています。毎日毎日、雨です。今年は、特に雨が多いようです。これも浄化の一環でしょうか。魚座の水晶祭りは、順調に水晶たちが旅立っています。水晶のリクエストメールのなかに、すてきなものがありました。「昨年は、屋久島でお世話になりました。あれからほとんど毎晩寝る前に、ホームページを見させていただいています。帰京後、2~3日後から主人が鬱になったり、自己の内部への観察を始めたり、インナーチャイルドさんを見つけたり、癒したり、そのほか色々・・・。とうとう先日は、『僕は55にして生まれ変わっていると感じる』と言うところまできました。これもひとえに屋久島屋久杉さんの助けと教えがあったからこそです。『何もしない、何も求めない、そばに居て、ただただ存在をいとおしむ。変わってもいいよ、変わらなくてもいいよ、私はあなたがどんなでもずっとそばに居るよ』愛し方の下手な私も、こんな風に主人の傍らにいられるようになりました。感謝感謝です。」何もしないで、ただご主人と一緒にいる。ただご主人をあたたかく包んで見守る。何も言わずに、ただ一緒にいるだけ。そうすれば、お母さんに見守られている赤ちゃんのように、ご主人は安心して変化されていくでしょう。変わってほしいとも、このままでいてほしいとも言わない。自分の望むようになってほしいと願うのは、自我。人を自分の思うようにしたいという欲望。相手のためという大義名分に隠れた支配やコントロール。何も望まない。ただ一緒にいる。相手が変わりたいように変わればいい。変わりたくなければ、そのままでもいい。どんな状態でも、いつも相手と一緒にいる。自分の望むようになっても、ならなくても、どちらでもいい。ただひたすら相手と一緒に居続ける。それが、何にも優る愛情というものでしょう。ややもすると、自分の思うように相手を誘導しようとしがちです。自分の理想の相手になってほしいのです。しかし、そのように望まれると、相手は困ってしまいます。自分の望むように生きられません。真の愛情とは、無条件で相手を認めることです。それは、相手が誰であれ当てはまります。夫であれ妻であれ、子供であれ父母であれ・・・友であれ職場の同僚であれ・・・ただひたすら一緒にいることですね。一緒にいて、あたたかく接することです。そうすれば、自然に人間関係は良くなります。何もしなくても、良くなるしかないのです。何かを相手に望むことは、相手に自分の好みを押しつけることです。押しつける方はいいのですが・・・押しつけられる方は、たまりません。自分の人生を生きられなくなります。何も望まない。ただ愛情を注ぐだけ。見返りを期待しないで、ただ一緒にいるだけ。そういう信頼関係のなかで、相手はのびのびと本来の自分自身になっていきます。これが、人間関係の基本です。ただ一緒にいる。何も望まない。いつも傍にいてあたたかく見守る。『傍(そば)にいて 何も望まず あたたかく 見守ることが 接する基本』『信頼し 見守る時に その人は 自分自身の 花を咲かせる』『あたたかく 見守ることが 何よりも 尊い姿 菩薩の慈愛』これが日記を書き始めて1891日目の心境。
2010.03.07
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前回の水瓶座の水晶祭りで水晶をリクエストされた方から、次のようなメールが届きました。届いたものは、モルガナイトと超クリアー水晶でした。「水晶が届く二時間ほど前、何もかも用事を終わらせ、ようやく座った私は、今まで感じたことのない愛を内に感じはじめ、その感覚が私のすべてを包み込み、私の内部を隅々まで満たしてくるのを感じました。その感覚を受けた私は、静かに心震え、涙が出てきました。これは、モルガナイトのエネルギーだろうか・・・きっとそうだと思いました。もう、すぐそばまで来ているのだろう。それでエネルギーを感じ始めたのだと思いました。今まで感じたことのない愛というのは、何と言うのでしょうか、『遍満する愛、遍くすべてを包み込む無条件の愛』、その大いなる愛に包まれ見守られ、そのなかで『脈々と流れる愛、豊かな河の流れのように絶えることなく流れ続ける一本のラインとしての愛』、といった感じでしょうか・・・悠久の時を越え、また次元をも越え、大きな河は、今ここのこの私に流れています。そして、今ここの私から、またさらに向こうへ流れ続けています。どこから流れてきて、どこまで流れていくのか、という河ではありません。永遠に流れ続ける河です。始まりもなく、終わりもない河。河は、宇宙空間のようなところを美しい愛(慈愛)をその河いっぱいに満たし、眩く光りながら流れています。大きく優雅に蛇行しながら、私のすべての時と私のすべての次元を流れています。私の、すべてのすべての流れです。(大きな河は、今これを打ちながら見えているビジョンです。あの時感じた感覚を言葉にしようと思ったら、河のビジョンが見えてきました。光る河が超クリアー、流れる愛がモルガナイト、それぞれがひとつのエネルギーになったような、そんな感覚がします)今ここの私は、この大いなる愛の流れのなかにいます。気の遠くなるような過去世から、別の星にいたときも、そして他の次元の私にも、どの流れにも、どの瞬間にも、完璧な愛が途切れることなく脈々と流れ続けていることを知りました。瞬々、すべてが完璧な愛のなかにあって、愛が運ばれていて今この私があることを感じ、私は静かに興奮していました。と同時に、言葉にしつくせない感謝の想いでいっぱいになり、心震えて涙が溢れてくるのでした。私は、愛の流れのなかの存在でした。それは、すべての人がそうでした。すべての人に、愛のラインがあります。そしてそれぞれのラインは、完璧な調和の愛(遍くすべてを包み込むひとつの愛)のなかにあり、無条件の愛で包まれていて、すべてのすべてが信頼のなかで許されて愛されている・・・そのように、感じました。そのことを感じるとき、私のすべて(肉体以外の私も)が愛でいっぱいになります。感謝という言葉も通り越し、ただ静かに瞑想して究極の愛に溶けていくようです。」その後、このメールを日記に掲載してもいいか問い合わせた際、次のような返事が届きました。「自分自身が感じたものは、それははかり知れなく深く大きなものでした。今ここにいて、すべての時の私、私の流れが、見えてきたのでした。見えたといっても、これも別次元感覚なので、どのように見えるのかというのは、言葉では表現できません。少しでも、エネルギーで伝わればと思います。あの感覚が読まれる方に少しでも伝わればうれしいです。そして、すべての人が、悠久の時を越えて今ここに流れているあの愛を感じることができれば、どんなにすばらしいかと思います。きっと、すべてのことが愛しく、感謝せずにはいられなくなると思います。実は、あの愛を感じている時、同時にNさんのことも意識に浮かんできました。Nさんは、スピリチュアルのスの字も知らなかった私を精神世界に導いてくださいました。ほんとうに、たくさんのご好意とご親切をいただいたんです。Nさんとは一面識もないのですよ。このご縁は何でしょうか・・・そして、kimiさんに導いてくださり、十数年の時を経てこうして秘書をさせていただき、そのおかげで私はこの世で新たに生まれ変わることができました。魂の計画であるのでしょうけれど、Nさんを通して私に流れていた愛はなんでしょうか・・・そのことを想うと、深遠な気持ちにならずにはいられませんでした。すべての人に多くの愛の計らいがあり、それは循環しているのだと思いました。私はNさんにご恩返しはできないかもしれないけれど、それは三次元的なことで、この流れる愛は、すべてに循環しているのだと思いました。時空を越えて、次元を越えて、愛は、すべての時を今に集約しているのだと思いました。今は永遠であり、永遠は今なのだと思いました。そんなことも同時に感じ、すべての愛の流れに、またさらに感動していたのでした。」宇宙を貫く愛の大河。すべてを包み、すべてに浸透し、すべてに流れているもの。愛こそが、すべてを生かしています。愛こそが、すべてをひとつに結びつけています。過去世、多次元。多くの時空に同時に存在する自分。そういうものを貫いて流れている愛の大河。それらは、別々であり、ひとつでもあります。すべての行為が、許されています。すべての存在が、その存在を認められています。大いなる愛ですね。無限の愛です。実は、その愛こそが人の本質です。自分と別に存在するものではありません。自分のなかにあるものです。自分そのものです。このメールが、そういうことを実感するきっかけになればいいですね。すべては、きっかけです。後は、自分で実体験するだけです。愛のなかで、すべては流れています。Nさんは、以前の日記にも出てきました。最近、精神状態が不安定な方です。彼に直接恩返しができなくても、愛は循環して彼にも届くでしょう。彼もまた愛の大河のなかで生きているのですから。一人として、この愛の大河の外にある人はいません。どのような人も、この愛の大河のなかで生きています。ただそれに気づいているかどうかということです。気づいても気づかなくても、人は愛に守られて存在しています。モルガナイトは、愛の石。モルガナイトを縁として、宇宙の愛の大河に気づけたようですね。すばらしい体験ですね。そういう体験を積み重ねて、人は真実に近づいて行くのでしょう。『人はみな 愛の大河に 包まれて 愛の大河の 星と輝く』これが日記を書き始めて1889日目の心境。
2010.03.05
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魚座の水晶祭りは、18組の行き先が決まった。残りは、10組。さて、どうなることだろうか。今回は、面白いことが起こった。No.22のシェブロンアメジストとクリアーポイントのセットが、一番人気となった。このシェブロンアメジストは、昨年の蠍座の水晶祭りにも出た。その時は、引き取り手が見つからなかった。ところが、今回は一番人気・・・2~3回水晶祭りに出して、やっと行き先が決まるものもある。出すタイミングが悪いのか、それともセットの相手が合わないのか・・・いずれにしても、その時の波動に合っていないということ。しかし、波動が合いさえすれば、引き取り手は見つかる。どんな水晶でも、必ず引き取り手はある。この世に存在する限り、たぶんあるだろう。もちろん、価格や組み合わせにもよる。しかし、最も重要なファクターは、タイミング。天の時。時代の流れ。その時の雰囲気に合っていれば、誰もが欲しがる。しかし、そうでなければ、見向きもされない。それは、水晶に限ったことではない。何でも同じ。天の時、地の利、人の和。そういうものが、揃う必要がある。特にタイミングを間違えると、どうしようもなくなる。相手が望んでいないものを出しても、喜ばれることはない。安いものでも相手がその時に本当に欲しているものであれば、とても喜ばれる。だから・・・失敗しても、めげないことだろうか。タイミングが合えば、成功する。失敗から学ぶことだろうか。そうすれば、引き取り手の見つからなかったものが一番人気になる時もくる。今回のシェブロンアメジストは、蠍座よりも魚座が合っていたということだろう。また、組み合わせも、今回のように明るい水晶の方がよかったのかもしれない。価格も、今回の方が安かった。こういう結果になるには、いろんな要素がある。一度や二度うまくいかなくても、三度目の正直ということもある。タイミングを見計らい、組み合わせを工夫し、いろいろトライしてみることだろうか。最初はうまくいかなくても、だんだんタイミングが合ってくるということもある。野球でも、ファウルを重ねているうちにタイミングが合ってヒットになったりする。タイミング、そのものの性質、組み合わせ・・・いろんな要素を慎重に検討する必要がある。そして、いろいろトライしてみる。そうすれば、やがてうまくいく時がくる。しかし、そのためには、先入観を捨てる必要がある。何もない状態で見つめる必要がある。ゼロから見つめてみると、今まで見えなかったものが見えてくる。先入観があると、本当の姿が見えない。何もない状態。ゼロの状態。そういう時に、新しい発見がある。今ここというタイミングがわかる。頭の中は、いつも空っぽの方がいい。そうすれば、必要な閃きが起きる。いつも頭が何かでいっぱいでは、斬新な閃きはやって来ない。いつも何もない状態でいることだろうか。白紙の状態でないと、その場の雰囲気は読めない。いつものつもりでいると、とんでもないことになることもある。常に冷静にその場その場の状況を把握する必要がある。ほとんどの人は、無意識にそうしているのだが・・・気が緩むこともある。鈍感な時もある。自分のことしか考えられない時もある。視野狭窄に陥ることもある。そういう状態が長く続くと、コチコチの石頭になってしまう。できるだけリラックスすることだろうか。軽く、空っぽで生きることだろうか。さわやかな春の風のように生きることだろうか。そうすれば、きっとジャストタイミングがわかるだろう。最上の組み合わせにも気づくだろう。何もない空っぽの頭だけが、今を生きることができる。何もないところに、すべてがある。『思い込み 過去で生きれば タイミング ずれるばかりで 今に合わない』『天の時 合わない時は もう一度 タイミングみて やり直すこと』『何もない 白紙の時に 必要な 閃き起きて きれいに決まる』これが日記を書き始めて1887日目の心境。
2010.03.03
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「屋久島ナチュラルヒーリング」のHPでは、魚座の水晶祭りが始まっている。魚座は、12星座のなかの最後の星座。牡羊座で誕生した人は、魚座で完成を迎える。それは・・・牡羊座から始まった、生き残れるかどうかというサバイバルゲーム。牡牛座で安定し、芽吹く時期を迎える。双子座では、好奇心が芽生える。蟹座は、感情が発達する時期。獅子座は、自分を確立する時。乙女座では、恋に目覚め、冷静な思考力が発達する。天秤座では、個から全体の調和へ意識が向き始める。蠍座は、生と死に直面し、人生とは何かを真剣に考える時。射手座は、自由に現実創造を楽しむ時。山羊座は、これまでに積み重ねてきたカルマを清算する時。水瓶座は、変革を通して自由になる時。そして、魚座で愛の人となる。魚座は、キリストの愛を象徴する。キリストの愛とは、無償の愛であり、人類愛。それが、人としての完成された姿。幾多の試練を経た究極の姿。人は、天と地を結ぶ者。天のビジョンを地に実現する者。天のエネルギーを基に、地の材料で地上天国を建設する。それが、人としての宇宙的役割。「天にあるごとく、地にもあるべし」それを実現するのが、人の役割。ビジョンは、天にある。材料は、地にある。それを結び合わせ、天のような地を創る。それが、この世の現実創造。既にビジョンは、天にある。自分の意識の奥に内在している。そのビジョンを現実化するのが、人の役割。愛の人となり、愛の世界を創るのが人の役目。そのために、この地球にやって来た。ところが・・・地上に来てみると、これまで経験したことのない世界。地球の探検をしているうちに、物質の虜になってしまった。特に肉体に入ってからは、肉体に翻弄されるばかり。肉体に入り、肉体をこの世の道具として使うつもりが・・・逆に、肉体に使われるしまつ。食うために働き、生き残るために生きる。生きることそのものが、自己目的化してしまった。しかし、人は生きるために地球に来たのではない。天の意志を地上に実現するためにやって来た。天の意志とは、愛の世界。愛に満ちあふれた豊かな世界。それを実現しようと決意して、それぞれ生まれてきている。ところが、何回も生まれ変わっている間に、自分の目的がわからなくなってしまった。ただ生きるために生きるようになった。人生の真の目的を見失ってしまった。宇宙の孤児となり、輪廻を繰り返すようになった。それもこれも、地球での体験の一部。多くの体験をして、地球を理解するプロセス。物質を理解し、肉体を理解する。天候を理解し、自然を理解する。そうやって初めて、地球の材料を使って天の御国を建設することができる。これまでは、地球についての学習期間。試行錯誤しながら、物質地球を理解してきた。何度も何度も失敗を繰り返しながら・・・肉体を持ったために、自己保存の本能と思考の合体によって自我が生まれた。これまでは、その自己保存の本能に振り回されてきた。私利私欲。自分の身を守るのが、最重要課題だった。肉体の安全を守ることも大切。しかし、その意識が強まり過ぎると、逆に安全を守れなくなる。過ぎたるは、及ばざるが如し。疑心暗鬼による過剰防衛が、核拡散をもたらす。お互いに自分を守ろうとするあまり、恐怖の連鎖が起きる。やられる前に、やる。それは、人類を自滅へと追いやる。人類は、そういう歴史を繰り返してきた。今は、そのことを理解する時。これまでの人類史を理解し、地球史を理解する時。そして、過去の歴史を超える時。自我による自縄自縛を解き放つ時。自我の成り立ちを理解し、自我を超えていく。肉体に呑み込まれた過去を理解し、肉体を超えていく。物質に翻弄された過去を理解し、物質を超えていく。これまでの人類史を理解し、新たな歴史を開く。個人的な愛から、普遍的な愛へ。人は、シフトする時を迎えている。小さな自我から、遥かな大我へ。人は、飛躍する時を迎えている。12星座は、人としての生き方を表している。人生そのものを象徴している。内側から湧き上がる愛と共に、人は生きるようになる。それが、人類の究極の姿。『天の意を 地に現実化 するが人 天地理解し 天地を繋ぐ』『人は愛 愛は結び目 天と地を ひとつに結ぶ それが役割』これが日記を書き始めて1885日目の心境。
2010.03.01
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