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(昨日の続き)はじめのビジョンのメールを打ちかけたとき、今なら、あの瞑想している人たちに繋がれるような、そんな気がして、メールを打つのをやめて、ファーデンクオーツ(マスターキー)を手に取りました。ファーデンクオーツを手に包み、胸に当てました。『マスターキーさん、どうか、今私に一番必要な情報の鍵を開けることができますように、サポートしてください』とお願いしました。そして、しばらくファーデンクオーツに静かに意識を合わせていました。それから、カテドラルを手に取り、瞑想しました。私は、図書館の入り口の前に立っていました。入り口の前に立ったのは、はじめてです。入り口のドアが開くと、また、ドアがありました。そのドアは、とても大きく、中世のヨーロッパ風の荘厳な雰囲気を持ったドアです。上方はまるくカーブしていて、背が高く、ドアには模様が彫刻されていました。入り口のドアが開くと、その荘厳なドアがバン!とすごい勢いで開きました。すると、その向こうにまた同じドアがあり、その向こうにまた同じドアがあり、また同じドアがあり・・・バン!バン!バン!と、次々にドアが開いていきました。私は、びっくりして入り口の前でその光景を見ていました。ドアはいったいいくつあるのでしょう。わかりません。そのドアが次々に開いていくことにより、そこが図書館の内部へ通じる通路のようになりました。私に、『さあ!』と、ドアたちが呼びかけているような、強く誘(いざな)われるエネルギーを感じました。ドアとドアの間の間隔は4、5メートルでしょうか。もう少し狭いかも・・・すべてのドアとドアの間には、左右に通じる通路が伸びています。その一本一本の通路から、また通路が分岐していて、数え切れないほどの次元の部屋(図書室)に通じているようでした。それはまるで、パラレルワールドへの通路のようにも思えました。私は、いつの間にか図書館の内部に入っていました。そして今度は、すぐに、瞑想している人たちの部屋に入りました。バリアはあいかわらず強烈です。入り口から一番遠いところに座っている人が、顔を上げて私を見ました。今までは、同じ場所にいながら、向こうの人たちは、入り口に立って見ている私の存在を、感知しているのかいないのか、それすらわかりませんでした。というか、今までは、同じ場にいながら、その人たちのいる部屋、そしてバリアのなかは、私とは相容れない次元の壁で遮られているような感じだったのです。やっと、その次元の壁がなくなった?私が、そこに行けるエネルギー状態になった?向こうの、私に視線を向けた人と目が合い、私は、『やっとこのエネルギーのなかに入れた。繋がった』と、思いました。今までは、瞑想している人たち一人一人がどのような人(容姿など)なのかは、はっきりわかりませんでした。私は、一人一人をゆっくり見回しました。きれいな女の人がいたり、男の人もいたり、年齢も様々でした。私に視線を向けた人が、このなかのリーダーであることをインスピレーションで感じました。私は、リーダーにテレパシーで、『この環のなかに入れてもらえませんか?』と聞きました。リーダーから、許可のエネルギーがきました。その瞬間、私は、瞑想している人たちと同じ白い衣をまとっていました。そして、私は、同時に天使の姿になっていました。以前、アトランティスの神殿に行く時、天使と一体となることが必要といわれ、その時、天使とひとつになることができました。このなかに入るにも、天使の波動になることが必要だと、どこかからメッセージが来て、その瞬間私は天使の姿になっていました。私が環の中に入ると、リーダーが、『待っていた』と言いました。(テレパシーで聞こえてきます)その時、今、私の目に見えているその光景にスライドするように、シンクロするように、あるビジョンが現れ、見えました!それは、洞窟の内部につくられた部屋で秘儀を行う人たちのビジョンでした。ここの人たちと同じように、環になり、座っていました。その人たちは、フードのついた黒い衣をまとい、真ん中に火を焚き、呪文を唱え、皆のエネルギーをひとつにまとめ、魔術を行っていました。その魔術は、ダークな類のものでした。と言っても、その人たちは、世の中をよくするため、正義(と、その人たちが思うこと)のために、魔術を行っていたのでした。その洞窟と魔術のビジョンは、kimiさんのセミナーを受けていた時に、はじめて見えたものでした。見えたビジョンをkimiさんに伝えると、kimiさんは、『その洞窟は、実際にどこかにあるかもしれないね』とおっしゃいました。違う日のセミナー中にも、呪文を唱えながら秘儀を行っているビジョンを見たことがあります。そのセミナー中では、呪文ははっきりと長い間私の耳に聞こえていました。全く聞いたことのない言葉でした。そして、マントラのような心地よい響きの、きれいな呪文でした。私は、その秘儀を行う人たちのメンバーだったようです。私の過去世です。私は、この過去世は、自分のなかの、解放して光にしたいカルマであることをセミナーの時から感じていました。日々日常の折も、なにか、ふと、夢を見るように、白昼にもこのビジョンを見ることがありました。この図書館で瞑想している人たちのビジョンと、洞窟で秘儀を行っている人たちのビジョンが重なり、透過するように同時に見えますが、私の頭のなかは同時に、そして同時でありながら別々に処理されています。ビジョン中は、見える光景が何重にもなったり、音声がいくつもの多重放送のようになったりすることがよくありますが、不思議と、それらがすべて個々にクリアーに感知されます。その時、ここ(図書館の一室)にいる人たちは、その時のメンバーであることに気づきました。過去世で一緒に秘儀を行っていた人たちです!私は、なぜ!?と、驚きました。ここから先が、一番、なかなか言葉ではお伝えしにくいビジョンとメッセージです。図書室で瞑想の環のなかに座った私の目に見えていた洞窟のビジョンは消えました。そして、私のエネルギーは、この環から発せられているエネルギーに同化し、ひとつになりました。ものすごく精妙なバイブレーションを感じます。肉体はありますが、その肉体の感覚は全くありません。ほとんどすべてエネルギー、何もかもがエネルギーで伝達、共振しあっていて、言葉も、すべてテレパシーで伝わります。そして、実は、その『言葉』もありません。意識が、テレパシーで、エネルギーとして伝わってくるのですが、その時言葉に変換されるのではありません。すべてがエネルギーで伝達され、耳を通してではなく、伝わってきます。それは、見えるもの感じるもの、それらすべてについてもそうで、すべてがエネルギーで、五感を超えたところで感知されている、そのような感じです。これから書くことは、リーダーが言ったことではありますが、言葉で伝わってきたことではありません。また、この場の個々のメンバー、この場、それら一つ一つのエネルギーが、リーダーからのメッセージに調和し、グループからのメッセージとして、伝わってきました。伝わってきたことを、言葉にしてみます。うまく言葉にできないかもしれませんが・・・『私たちは、過去の闇を、光に転換している。それぞれが、長い長い間、別々の人生を歩んできたが、たどり着く先はまた同じ場所であることを、それぞれの魂の内に知っていた。それは、ひとつの結束であった。それは、過去世のあの時の結束のように固い(あの時の結束はほんとうに固かった)ものだが、我々の魂の内に秘めていた結束は、光の結束であった。根底には、絶えず光の結束が流れていた。その光の結束は、いつ始まったものでもなく、はじめからあったものだ。たどり着く先へ向かうまでに、光から離れてしまうことがあったが、それもまた、光の内であった。ただ、物質世界の意識では、罪や後悔、念、といったものが作り出されてしまい、いったんそういったものが作り出されてしまうと、そこに囚われてしまう、物質界のある種の掟のようなものがある。だが、そこからまた光へ向かう過程を各々が作り出すのも、また光の内にある見守られた道である。そして、我々は、各々、見守られた道を、光の結束を思い出そうと長い長い道を歩んできた。先に思い出した者から、ここでずっと待っていた。そして、仲間がここへ来る過程を、見守っていた。今も、このエネルギー場から、光とエネルギーを届け、見守っている。愛しい仲間たち。仲間が増えるたびに、光は大きくなり、エネルギーは強くなる。あなたの目覚めが重要だ。あなたの目覚めがいかに重要か。まだ道の途中の仲間に光を送ろう。(*この場合の"あなた"というのは、私でもあり、すべての人への"あなた"という意味が含まれています)ここにいる者たちは、三次元にもいる。どこの次元にもいる。あなたがそうであるように。様々な次元のあなたがいる。あなたが今ここで光の結束を思い出したことを、あなたの次元に降ろしてほしい。あなたに繋がる人たちに、そのエネルギーは確実に伝わっていくだろう。ここにいる者たちは、あなたの次元のあなたに繋がる人たちをサポートする。それは、あなたもそうだ。あなたは、ここにいる者たちの別次元に繋がる人たちをサポートする。光の意識にここまでという枠はなく、縦横を超え、縦横無尽だ。思い出したら、もう、枠は取り払われたと同じこと。どこまでも、光が浸透し合う。そして、あなたが見ているこのエネルギー場は、あなたの意識の一端である。あなたはここを見て、すべてを見ている』・・・と、そのようなメッセージを受けました。それから、光の環が発するエネルギーにより、この図書館の記録が随時書き換えられているといったようなことも言っていましたが、そこのところはよくわかりませんでした。そして、『あなたはここを見て、すべてを見ている』と言われたときに、即座に伝わってきた、とてつもなく大きなエネルギーがありました。私が見た光の環のビジョン、受けたメッセージは、ある特定の私の過去世に起因しているように見えるけれども、実はそうではないということ。ほんとうは、もっともっと大きなところから来ているということ。小さなグループから、幾多を統合した大きなグループまで、様々にエネルギーは完璧な調和のうちに作用しながら、様々な光の結束を、極微から極大まで、統合しているということ。そして、エネルギーも極大へ近づいていくにつれて、光の結束が、ただ、光へと戻されていくだけということ。そのようなことが、あるビジョンを伴いながら瞬時に伝わってきました。そのことを感じたとき、とてつもなく大きな愛のうちにすべてが営まれていることをあらためて感じ、感動しました。そして図書館のなかは、それらすべてのエネルギーが内包されていました。それは、図書館のあるこの世界すべてに内包されていました。そのようなことを感じながら、瞑想から意識が戻ってきました。私が入った図書館のほかに、この世界には、同じような建物がいくつもあります。いったい、どのような未知の世界が広がっているのでしょうか・・・想像もつきません。いつか、繋がってみたいです。もっとほんとうは的確に書きたいのですが、言葉が見つからずもどかしいです。私が見たもの感じたもの、エネルギーは、書いた言葉などはるかに超えています。わかりづらいかと思いますが、読んでいただき、ありがとうございました。」(続く)
2010.07.31
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新月の水晶祭りのカテドラル特集で水晶が届いた人から、メールが来ました。極美スモーキーシトリンカテドラルと一緒に瞑想した時の感想でした。宇宙の図書館へ行ったようです。長い文章ですので、2回に分けて転載します。「昨日、水晶さんを感じることができました。朝起きて、息子がまだ寝ている間に、水晶さんを両手で包んで額に当てて感じていました。すぐに、スモーキーシトリンの色がビジョンのなかに広がりはじめました。ビジョンは立体的にはとても説明しにくいですが、ビジョンの下方いっぱいにその色は透明感を伴ってやさしく広がっていました。何かなあと思って、しばらくそのビジョンを見ていると、今度はスモーキーシトリンの色の世界から上方、私の前方に大きな街が見えてきました。街という言葉も不適切なような気がするのですが・・・遠くの方に、大きな建物がいくつも建っている街が見えます。一つ一つの建物は、高くなく、横にかなり広いです。そしてその一つ一つの建物が、とても巨大です。そのような建物が街のなかにいくつも建っていますが、街は広々としていて、とてもゆったりとしています。制限感のない、広大という言葉がぴったりの光景です。その広大というのは、エネルギー的にも広大です。はるか向こうの方には、山があります。この山も、高くなく、そして私のビジョンの左右に広がりそびえています。その街の景色は、全体が淡いシトリン色でした。ほんのり黄色味がかっていますが、その色が例えようのない美しさで、まるで、やわらかな光のなかに街があるようでした。異次元、という言葉がぴったりの世界でした。ものすごく神秘的で、そのうえ、静かで、何もかもが、エネルギーさえもが、しんと静まりかえり神聖な波動に満ち満ちていました。中世のヨーロッパのようでもあり、中東の風景のようでもあり、世界遺産に認定されそうな趣のある遺跡のような風景でもあり、そしてまた未来のようでもあり、どこか違う星のようでもありました。その世界の空気感、エネルギー、なんともいえない美しい芸術のような街並みに感動していました。神秘的な霊気を伴う異国の風景を見たときに、一瞬にして胸いっぱいに広がる、深く静かで魂が揺さぶられるような感動、そのような感動に包まれていました。一番手前の巨大な建物が、図書館であるとインスピレーションでわかりました。カテドラルは、宇宙の図書館と言われますね。カテドラルを手にして、宇宙の図書館、宇宙の膨大な記録に繋がりたいと思っていましたので、すぐに図書館だと思いました。意識をその図書館に合わせたとたん、私は建物のなかの一室に入っていました。すごい!広い部屋のぐるり壁側の棚に、天井の高さまで(天井はすごく高い)本がびっしり!私は、圧倒されて部屋のなかを見回し、口をあんぐり開けて本を目で追いながら天井を見上げました。そのなかは、中世ヨーロッパの古代の図書館のような荘厳な趣でした。本も、革張りできれいな装丁の分厚いものが、びっしり。なぜこのように図書館=本(まさに図書館)のビジョンがきたのか。それは、今の私に理解しやすいように、”宇宙の記録、アカシックレコードに繋がる”ということが、『図書館』というキーワードから本にエネルギー変換されて映像になったのかなと思います。この巨大な図書館には、いくつものいくつもの部屋があります。どれだけあるのか、私にはわかりません。図書館の全容は、きっと今の私にはわからないかも。先に入った部屋を出ると、どこまで続くのか長い長いまっすぐな廊下があり、あちらこちらの部屋に通じています。それぞれの部屋には、それぞれのテーマ別に本が保管されています。先ほどの部屋は、厳かな中世の修道院のような雰囲気でしたが、近代的な部屋もあったり、部屋の様子や構造はさまざまです。廊下の右側は、ガラスばりの窓が続いていて、光がさんさんと射し込み、まるで光の廊下でした。ある一室で、20人くらいの人たちが環(円)になり、瞑想していました。その円の中央には、何か、輝く光の玉のようなものが置かれていました。その人たちは、白い衣装を着ていました。その衣は、光を発光していました。といっても、眩いものではなく、やわらかな光のオーラをまとっているような、そんな感じです。部屋の広さは、学校の教室を少し広くしたくらい。白っぽい部屋で、なにか、その部屋も、ぼんやり白い光で発光していました。光の玉も、白い光でした。瞑想している人たちの円を包むように、その中央の白い光が巨大化したような大きな白い光が、ドームのような形で、その人たちをバリアーのように包み込んでいました。こちらから見ていると、大きな光のドームのなかで、瞑想している人たちが円になっている。何をしているのだろう?どうしても、その人たちとその部屋のエネルギーが読み取れなくて、私はもどかしい思いをしていました。それに、そのドームが圧倒的なエネルギーで、とても入っていけないのです。入り口で見ているのが精一杯。私は、勝手に想像しました。宇宙の出来事を記録している記録係の人たちかしら?それとも記録された出来事をエネルギーでどこかへ送る人たち?この図書館を守る人たち?う~ん、私のエネルギーがすり抜けるなあ・・・反応がないというか・・・入れてくれないかしら、何をしているのか知りたいわ・・・そんなビジョンを見ていたら、夫の足音が聞こえてきて、ビジョン中断となりました。その後、昨日の午前、再度瞑想し繋がってみましたが、その人たちが何をしているのかわかりませんでした。今日、このメールを打っていて、途中、瞑想してみました。その時、その人たちのなかに入れてもらえました!その人たちは、思ってもみない人たちでした。もう一度、あの図書館に行きました。私は、はじめに入った古代の図書館風の部屋にいました。そこには、誰もいません(目には映りません)が、誰かがいるのが感じられました。とても大きな存在を、エネルギーとして感じます。この部屋の本を読むにはどうしたらいいのだろう、と思っていたら、部屋の中央の床の上に、六芒星を真ん中に描いた、大きな、魔方陣に似た絵が現れました。(最初からあったのかも・・・?)その時はじめて床を意識したのですが、光沢のある茶色い、きれいな床でした。床の素材が、何かよくわかりませんでした。木でもない、石でもない、不思議な光沢と質感でした。そのきれいな床の中央に、大きな魔方陣(みたいなの)。私は、その中央、六芒星の真ん中に座るよう、誰かに指示されました。(この部屋の存在でしょうか?)私は、そこに座り、瞑想の姿勢をとりました。しばらくすると、私の身体が、白い光のオーラで包まれました。私は、そのオーラで守られているように感じました。その白い光を感じていると、すっと、私の膝の上に大きな本が現れました。すごく大きな本で、瞑想の姿勢で座っている私の足が、その本ですっぽり隠れるほどでした。その上、分厚い!ものすごく分厚い本なのですが、全く重さがなく、膝の上に本が載っているのに、物質感が全然感じられませんでした。しかも、その本は、白紙でした。何も書かれていません。すべてのページが、そうでした。それは、めくってみたわけではないのですが、白紙だということがわかります。なぜ白紙なのだろう?と思っていると、伝えられたことがあります。でも、今この意識ではよくわからないので、言葉にできないです。瞑想中も、なんとなくしかわかりませんでした。しかもエネルギーで来ますので、瞑想中もいまひとつ理解不足だったことを言葉にするのはなかなかで・・・ただ、『このような状態で繋がることができる』ということを伝えられたのは、覚えています。繋がるというのは、図書館の記録に繋がることでしょうか。そして、その状態というのは、六芒星のなかに座り瞑想するとか、本を広げるとか、そういう行動的なことではなく、その時私が感知しているエネルギー状態のことです。そのエネルギー状態を習得して、エネルギーをシフトアップしていけば、すぐに繋がることができるようです。本や六芒星は、エネルギーがわかりやすいように形に変換されているだけのようにも思えます。私は、しばらくその本を感じていました。何か感じられますが、まだ本のエネルギーを読み取ることはできません。それから、廊下に出ました。『私が今一番必要としている情報を得られる部屋に連れて行ってください』と誰にともなくお願いすると、その瞬間とてもシンプルな部屋に入りました。そこは、先ほどの部屋の雰囲気とは全く正反対でした。床も壁も白っぽく、部屋は四角い箱のよう。本は、その壁にそった棚にびっしりと収められています。でも、この部屋は、光がまぶしくてはっきりと部屋の内部が見えません。部屋全体、それと、本から光が放射されていました。『う~ん、まぶしくてよくわからないなあ・・・』と思っていると、また廊下に出ていました。『そうそう、あの瞑想している人たちのところはどこかしら』と思うと、また瞬時に瞑想している人たちの部屋に入りました。はじめに来た時より、まんなかの白い光の玉が格段に大きくなっていました。瞑想している人たちは、そのままです。強いエネルギーのバリアのドームもそのままです。今度こそなかに入れないかしら、と思いましたが、入れません。私は、意識をこの図書館の外の街に向けてみました。とにかく、静かです。街のなかに人の気配はありません。人のエネルギーというものは、ここには全く感じられません。静けさに満ちている街でした。エネルギーも、とても静か。静けさがエネルギーとなって見せている光景のようにさえ感じられました。静謐という言葉がぴったりでした。ここには、私とあの瞑想している人たちしかいないのかしら・・・そんなことを思っていると、『ここは、一人一人の、その意識の深奥にある場所。一人一人にある場所』というメッセージがありました。ここは私の意識の奥?どこか、他のエネルギー場に来ているわけではないということ?だから、こんなに静かで私しかいない?このような場が一人一人にあって、一人一人がここに繋がるのかな。もちろん、『ここ』のビジョンは、私の意識を通して見えているものなので、『ここ』と言っても人様々どのように『ここ』を感知するのかは、それぞれのエネルギーにより違うものなのでしょう。ただ、その個々のエネルギーが感知する『ここ』は、大いなるものの源に繋がって、その内に包まれ、ひとつなのでしょう。そのように感じました。そのようなことを感じていると、自然に瞑想から意識がこちらへ戻ってきました。一旦、ここで切ります。次は、瞑想している人たちのなかへ入れてもらったときのビジョンを書きます。(明日に続く)
2010.07.29
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屋久島では、既に稲刈りが始まっている。台風が来る前に刈り取る必要がある。里では、夾竹桃が満開。至るところに桃色の花が咲いている。「屋久島ナチュラルヒーリング」のHPでは、26日の満月から獅子座の水晶祭りが始まっている。獅子座的な水晶が、24組登場している。獅子座は、自己の確立の星座。今生の中心の意識が確立する時。人が死んでも、しばらくは髪や髭は伸び続ける。肉体は、精神とは違う生命系に属している。感覚や感情も、異なる生命系に属している。痛みや怒りなど、自分ではどうにもできないものも多い。人は、いろんなものの総合体。その証拠に、自分の体であっても自分の思うようにはならない。感情を自分の思うようにコントロールするのは難しい。思考力が鈍ったり、やる気が起きなかったりすることもある。人は、いろんなものでできている。生まれてから、それらのものが順に発達していく。思考力が発達した赤ちゃんはいない。身体機能抜群の幼児でも、高校生にはかなわない。すべて徐々に発達していく。肉体、感覚、感情、思考・・・それらがある程度発達して、それらを束ねる中心の意識が確立する。もちろん、個人差はある。肉体の発達に個人差があるように、精神の発達にも個人差がある。しかし、基本パターンは、類似している。人類の基本パターンがある。発達のプロセスがある。獅子座で中心の意識が確立しても、まだその先がある。魚座の完成に至るまでには、まだまだ遠い道のり。それを歩むのが、人生。愛の完成に向かって生きるのが、人の一生。個でありながら、無償の愛と一体になる。個の肉体にいながら、全体の愛と共に生きる。肉体は、個。しかし、精神は、全体となり得る。そのような方向に向かって、人は生きている。紆余曲折はあっても、目的地は同じ。それには、多くの経験を必要とする。それが、人生の醍醐味。喜怒哀楽を体験し、それらを超えていく。酸いも甘いも噛みしめて、叡智を蓄えていく。人生の波風にさらされながら、強靭な精神を培っていく。多くの人生経験によって、包容力(キャパシティ)を大きくする。いのちは、ひとつ。愛も、ひとつ。意識も、ひとつ。元の元は、すべてひとつ。それが、幾筋にも分かれていく。分かれることによって多様性が生まれる。複雑になり、個性的になる。この世の豊かさが実現する。動物も人間も、同じいのちが流れている。人のなかのいのちは、みな同じ。それが、別々の体のなかを流れているだけ。いのちに違いはない。愛も、元々はひとつ。それが個人を通る時に、恋愛となり、家族愛となり、夫婦愛となる。自我を通って表現されれば、愛憎の愛に変わる。所有欲となり、独占欲となる。意識の元は、ひとつ。それが固体を流れる時、個性を持った意識となる。肉体に執着すれば、自我ともなる。多様な意識の元の元は、ひとつの。ひとつのものから分かれ分かれてバリエーション。個性あふれる豊かな宇宙。お互いに争い合うのではなく、自分の個性を豊かにすることだろうか。それが、宇宙の豊かさにつながる。一人一人が、自分の可能性を花開かせればいいこと。争い合う必要はない。お互いが豊かになれば、宇宙は更に豊かになる。お互いに豊かに生きればいい。『お互いに 自分の個性 花咲かせ 豊かに生きる それが人生』『争わず 自分の個性 磨く時 豊かな宇宙 目の前にある』これが日記を書き始めて2033日目の心境。
2010.07.28
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屋久島は、里の方は暑い日が続いている。しかし、山の方は、厚い雲に覆われている。山は、雨が降っているに違いない。そのおこぼれが、時々、里までやってくる。新月の水晶祭りのカテドラルクオーツたちが、無事に届いたようだ。今回は常連が多いためか、全員から到着メールが来た。そのなかに次のようなものがあった。「シャンパン色でグラデーションがきれいです。太陽にかざすと、レインボーがキラキラ輝いてます。本当にどっしりしていて安定感がありますね。いろんな方向から見ていると、いろんな美しい姿があります。一つであって、沢山ある感じです。さも私もそのようにあれと語りかけてくれます。」カテドラルクオーツは、多面性がある。いろんな顔を持っている。単純ではない。複雑で多様的。それは、この水晶が個を超えているからだろうか。グループソウルとしての多様性に満ちているからだろうか。一個の水晶という意味では、個。しかし、その一個のなかに多くの水晶を抱えている。それは、魂のようにも見える。一個の魂のなかには、多くの個性がある。地上経験のある個性たち。星々で生きたことのある個性たち。何生も何生も、数え切れないほどの人生経験が詰まっている。その魂の集合体であるグループソウルは、更に大きな多様性を持つ。キャパシティが大きい。個の次元を遥かに超えている。人類は、これまで個として生きてきた。自我として生きてきた。それは、とても小さなスケール。極めて短いスパン。わずか百年ほどの人生。それがすべてと思い込んでいる。小さな小さな人生。悠久の宇宙に比べれば、アッという間の出来事。本格的なカテドラルクオーツを眺めていると、そのような小さな意識から解放される。カテドラルクオーツは、大きい。多くの意識を同時に持っている。それでいて、個でもある。個であり、多。大きな大きな個。多様性に満ちた個。多くの個を持った個。人の意識が変容しようとする時期に出てくる。意識を変える水晶。単純なポイントとは比較にならないキャパシティがある。個からのシフトをサポートする水晶。手元にカテドラルクオーツがあったら、いつも見ることだろうか。いろんな角度から見ることだろうか。その多面性や多様性を感じることだろうか。それは、自分のなかにもあるもの。まだまだ自分では気づいていないもの。潜在しているもの。内在しているもの。大きな大きな叡智。カテドラルクオーツは、大きな意識に気づくきっかけ。小さな個を超えていくきっかけ。ささやかな自我を凌駕していくきっかけ。遥かな無限の意識につながるきっかけ。自分のなかにある多様な意識に気づくことは、それらすべてを包含すること。それは、周りの人を理解することにもつながる。周りの人の多様性を認めることにもつながる。大きな大きな自分になること。自分のなかにある過去世の意識も、すべて包み込む。包み込んで理解する。大きな自分の究極は、見守る意識。すべてを包み、すべてを見守る。『個であって 個を超えている カテドラル 深い叡智と 多様な意識』『個を超える サポートをする カテドラル 小さな自我を 超えていく時』『様々な 意識理解し 個を超える 多様な意識 見守る意識』これが日記を書き始めて2025日目の心境。
2010.07.20
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一昨日、メールが届きました。それは、今回の水晶祭りに関するものでした。水晶が導く光の道について書かれていました。その抜粋を掲載します。「今回の水晶祭りは、全部見れないくらい眩しかったです。水晶を見た夜、ふと気づいたら、水晶が囲んでくれて、沢山のいろんな存在がいました。私一人を支えている沢山の形をもたない存在は、わりと人間に近い気持ちを汲み取る感じの存在や賢い存在がいました。柔らかい感じの存在が、『苦労してここまできましたが、もう無理ですよ。光にかえしてあげましょう』と言いました。『いや、まだあとこれくらいパワーが残ってる。まだやれるだろう(パワーの残り具合まで見えたんです)』と、わりと賢い感じの存在が答えてました。他にも沢山いて、それは心地良かったです。みんなエネルギーだったけど、私の周りで会議というかエネルギーの交流をしてくれてて、その様子が鮮明に映し出されていた気がしたのです。闇の幻覚も見えてるから幻覚かもしれないけど、それと少し違う種類で素直に伝わってきた気がしました。とにかく優しかったので、涙が出てしまう。優しさと光で慈しみに満ちていたんです。ホントに真剣に見てくれてるのが伝わりました。私、あんなに真剣に人を思ってあげたいです。グループソウルさんたちなのかな?今はそういうのにうとくてわからないです。でも、ありがたかったです。沢山いるんだなあ、すごいなあ、いろんな存在たちの優しい沢山の層。ありがたいなあ、優しいんだなあ、全て優しさで囲まれてるんだなあ、と感じました。辛抱強いなあ、あんなに辛抱強く見てくれていて・・・そしてその層を抜けると、美しい宇宙に繋がっていました。そこから場面が変わってしまい、水晶の太い光にラインが見え、その道は大きなまばゆい美しいひとつの光に通じていました。それは以前に見たラインとは違い、人との関わりを助けているのをもっと表した感じでした。水晶のラインは、すごく太かった。光に向かうしかない光の道を出していた。水晶のラインは、大きなひとつの光まで繋ぎ合わせる目印のよう。そして気づいたら、あちらこちらの水晶からその道が出てました。みんな同じひとつの光にに向かっている。光の道が様々な方向から出てる。その道の進んでる程度もいろいろだけど・・・みんなそこに向かってるようでした。その全てが壮大な絵のようでした。そして水晶の道も強い光だったけど、周りも明るくなってきてました。それは道ではなく、ぼんやりと・・・でもかなり明るい感じ。水晶の道がなくても、十分歩ける基盤があるような感覚でした。水晶から出てる道よりは、ぼやけていたけれど・・・まるで小さな獣道が二車線になり三車線になり、どんどん広がり、道は必要ないくらい全て自由に好きな所を通っても大丈夫。光の道すら必要なく、どこも明るくて光だったのか、と感じるような予感がしました。もちろん水晶の道の方が光の濃さは強く、はっきりしてましたけど。既に光が集まり始めているだいぶ明るいとこには、いろんな人がいました。なんかみんなわいわいしてて、種明かしみたいな気分でした。私は、まだ恐怖のしこりがあって、恐怖を感じる人たちに会う勇気がないことがわかりました。私はその水晶の道を歩いているし、前よりその道は太く歩きやすいのに、時々その道が目の前からなくなり、真っ黒に落ちてる様子も見えました。でも普通にしてても、その光の道は、光という大きな同じ場所に行けるようになってるんです。具合悪い人も沢山いたよ。死にそうな人も寝たきりの人もいました。負傷した人とか血を流した人とか、みんな精神的に辛さをもってあきらめてる人たちみたいでした。受け入れているような明るさはなかったし、死ぬか生きるかそれはわからないけど、光のその道にいました。そして、私の周りを囲んでた形のない存在たちが、どんな人の周りにもいて、同じ光の場所に行くのを一生懸命に応援していました。この水晶の光の道と進む先が同じ場面をシュチュエーションを変えて二回見て、不思議な感じでした。水晶ランキングとかないのかな。水晶好きな人が検索して、どんどん来れたらよいですね。新しい水晶コーナーも、とても素敵でした。記念すべきカテドラルでしたねあんなにすごい水晶が集まって、手にする人が増えるといいな・・・」大きなひとつの光に繋がる光の道があるようですね。その光の道の源には、水晶があります。水晶の光のネットワークです。水晶を縁とした新しい時代へ向かう光の道ですね。時代状況は、急速に進んでいます。周りは、かなり明るくなってきています。光へ、光へ・・・もう後戻りはあり得ません。現実世界は、災害が頻発しています。大雨が続きました。それもまた浄化の流れです。地球再生プログラムの一環です。何が起きても光へ向かうプロセスです。時代は、怒涛のように光へ向かっています。もう逆流することはありません。ただ、まだまだ抵抗があるだけです。抵抗や障害を乗り越えるために、更なる浄化が続くでしょう。地球も人類も一新されます。だいぶきれいになってきました。意識の大掃除が続いています。そういう時代状況のなかで、水晶の果たす役割があります。それは、光へ向かうのをサポートすることです。もちろん、すべての水晶が目覚めているわけではありません。しかし、方向性は光へ向かっています。人が水晶と共に光へ向かおうとする時、水晶は大いなるサポートをしてくれます。人にそのような気持ちがあれば、水晶のサポートは何倍にもなります。人にその気がなくても、水晶はサポートします。しかし、その場合は共同行為とはなりません。人も意識して水晶と共に生きることが大切です。そうすれば、水晶のサポートは計り知れません。共に生きる時代です。それは、人と人に限りません。人と水晶も共に生きるのです。人と動物も。人と植物も。人と地球が共に生きる時代です。いや、地球だけでなく、宇宙とも共に生きる時代です。宇宙の星々とも。宇宙に住む存在たちとも。共に生きていくのです。光の道を共に生きるのです。新しい時代に向かって共に歩むのです。そこに、新しい意識が芽生えます。それは、個を超えた意識です。個でありながら、個を超えるのです。個であり全体である意識。今よりも遥かに大きな意識です。新しい時代の意識です。『水晶の 光の道の その先は 光花咲く 光の時代』これが日記を書き始めて2023日目の心境。
2010.07.18
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時々、激しい雨が降る屋久島。それ以外の時間は、熱い太陽が照りつけている。もう真夏という感じ。でも、まだ不安定。昼前に隣のベランダで横になったら、居眠りしてしまった。風が心地よく、ほとんどリゾート気分。隣のベランダは、10畳ぐらいある。屋根が付いているので、陽が当たることもない。隣の大家さんは、お仕事。留守が多いので、こちらが管理人のような感じ。窓を開け閉めするために自由に出入りできる。ほとんど我が家?家も土地もないけれども、別に困りはしない。お金もないけれども、なんとか生きている。極めてのんびりと過ごしている。ネコと遊びながら楽しく暮らしている。人の意識のなかには、いろんな部分がある。子供の頃の意識が、今も生き続けていたりする。ビクビク怖がる心。何かに必要以上に反応する心。些細なことで怒ったり、泣いたりもする。どうでもいいようなことに、こだわる。ちょっとしたことで、すぐに落ち込む。先のことを考え過ぎて、不安になる。周りに振り回される自分もいる。気をもんで疲れてしまう自分もいる。一喜一憂、喜怒哀楽だらけの自分もいる。小さな心の自分もいる。確かにそういう自分がいる。そういう小さな意識の自分がいる。しかし、それはそれでいい。そのまま認めてあげればいい。そして、もうそんなに心配しなくてもいいと、やさしく言い聞かせてあげる。そんなに過剰に反応しなくても、危険はないと教えてあげる。落ち着いて対処すれば大丈夫と、諭してあげる。そんなにイライラしなくても、ゆったりと構えていれば問題はないと話してあげる。ビクビクしている小さな自分も否定はしない。それはそれとして認める。しかし、それに振り回されることもない。大きな自分でいる。意識のポイントを大きな自分に合わせる。小さな自分に気づいたら、意識のポイントをチェンジする。大きな自分とは、小さな自分を見守る意識。小さな自分をやさしく包みこんでいる意識。そういう意識が、誰にでもある。ハイアーセルフと呼んでもいいし、魂意識と呼んでもいい。何と呼ぼうと、そのような大きな意識が誰にでもある。そういう意識と共に生きることだろうか。常にチャンネルを大きな意識に合わせる。意識のフォーカスを大きな意識の方に向ける。見守るやさしい意識にコミットする。小さな意識に軸足を置かない。気がつけば、小さな意識になっていることも多い。そういう時は、気づいたら、すぐに見守る意識に切り替える。切り替え方は、簡単。小さな意識を見守ればいいだけ。大きな意識にポイントを置いて、おおらかに生きる。ゆったりと、やさしく生きる。せせこましく生きない。何かに追いかけられるように生きない。小さな意識は、自分のことでいっぱい。周りを思いやる余裕はない。しかし、大きな意識は、常に周りを見守っている。周りと共に生きようとしている。小さな意識は、自分本位。自己中心的に生きている。それは、小さな時からの癖。だから、いつも戦々恐々としている。自分の利害得失を考えれば、心の休まる時はない。自分も含めて全体を見守る。全体が潤うように心する。みんなが幸せになれるように意図する。そのように生きれば、自分自身も幸せになれる。自己中心的に生きれば、自分が一番苦しくなる。自分も大事。周りも大事。自分と周りが共に幸せになれるように!自分と周りを見守りながら生きる。大きな意識で生きる。小さな意識を見守りながら生きる。『外側に 振り回されて 反応し 一喜一憂 小さな自分』『気づいたら すぐに切り替え 自己中の 小さな自分 見守り生きる』これが日記を書き始めて2022日目の心境。
2010.07.17
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今日は、新月。新しいスタート。日本では、昨日の参議院選の結果、新しい政治スタイルが始まろうとしている。数の力に頼るのではない、話し合いの政治。大政党が数の力で強引に押し切る時代は終わった。パワーポリティックスの時代は、過去のものになろうとしている。少数政党の意見も尊重する話し合いの時代になる。多様化する意見を大きな心で受けとめる必要がある。ここ5日間ほど、カテドラルクオーツの撮影に没頭していた。その結果感じたことは、これからの時代のトレンド。大量生産よりも、質感が重視されるようになる実感。それは・・・これからも、家電製品や自動車などの大量生産は続く。しかし、これからは、それらがスターではなくなる。これまでは、生活を便利にする物が主役だった。これからは、それらが持っているエネルギーが重視される。これからの時代は、ますます波動が速くなる。そうなると、物質が物質だけではなくなる。半物質状態に近づく。それは、何を意味するのだろうか。それは、物質にエネルギーが伴うということ。物質を物質だけで見なくなるということ。エネルギーを伴った物質として見るようになる。そのエネルギー状態を、みんなが重要視するようになる。大量生産されたものに、高エネルギーは期待できない。高エネルギーが期待できるのは、手作りのもの。どれだけのエネルギーを込めて作られたかが、誰にでもわかるようになる。その貴重さが、みんなに認識されるようになる。これまでは、安ければよかった。高品質であればよかった。作るプロセスは、重要視されなかった。結果が、すべてだった。それは、エネルギーを見ていなかったから。形だけを見ていたから。これからは、その物が持っているエネルギーが重要となる。どのようなエネルギーで作られたかが、ポイントとなる。これまでは、見かけだけで誤魔化せた。見てくれがよければ、高く売れた。その最たるものが、農薬や化学肥料漬けの農産物。食品添加物によって見かけだけをよくした食料品。見えるところが、かっこよければよかった。中身よりも外面。実力よりも肩書き。それは、症状だけを治そうとする現代医療にも通じる。家の中はゴチャゴチャでも、外観が豪華なら評価された。イケメンやセレブが、時代の憧れだった。プロセスではなく、結果がすべて。これまでは、プロセスは見えなかった。ところが、これからは違ってくる。物にエネルギーが伴うようになる。物と共にエネルギーも肌で感じるようになる。体温のように温もりが伝わるようになる。誠実に真心を込めて作られたものが、評価されるようになる。丁寧に一つ一つ手作りされたものが、貴重になる。どれだけの情熱を注いだかが、誰にでもわかるようになる。もう見かけだけで誤魔化せなくなる。詐欺師がいなくなる時代が、近づいている。誰も騙せなくなる。巧言令色が、通じなくなる。外と内が違っていたら、それがバレてしまう時代となる。物の時代は、終わろうとしている。時代のトレンドは、物からエネルギーに変わろうとしている。それを肌で感じる時代になる。エネルギーを感じながら、物や人と付き合うようになる。誠実に生きるしかない。自分を誤魔化さないで、自分のエネルギーを注ぐしかない。エネルギーを注いだ結果が、みんなにわかるようになる。結果ではなく、プロセスが理解される時代になる。物に込められたエネルギーが、物の真の価値を決めていく。物としてだけでなく、エネルギーとして働くようになる。その物が持つエネルギーが、それを持つ人に影響を与える。それがみんなにわかるようになる。物と人との関係が変わる。物ではなく、エネルギーが直に伝わるようになる。物が持つエネルギーや波動を感じられる時代となる。その物に込められたエネルギーが、価値の尺度となる。水晶が持っているエネルギーを感じられる人は、幸せ。これからは、そういう人が増えていく。水晶に限らず、すべての物からエネルギーを感じられるようになる。物が半物質化していく。『物が持つ エネルギーこそ これからの 時代の主役 影響遥か』これが日記を書き始めて2017日目の心境。
2010.07.12
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新しいハマユウが開いた。真っ白な花が、甘い香りを放っている。屋久島は、まだ梅雨空が続いている。湿度が、ものすごい。ここのところ5日間、日記を書かなかった。正確に言うと、書けなかった。この間、水晶の写真撮影に没頭していた。夜には疲れ果てて、とても日記が書ける状態ではなかった。明日は、新月。明日から新月の水晶祭りがスタートする。これまでは、満月だけだった。月に一回では、あまりにも間延びしてしまうので、新月もやることにした。満月の水晶祭りは、12星座で回っている。新月の水晶祭りは、テーマ別。第一回目の今回は、カテドラルクオーツ特集。カテドラルクオーツが、24組登場する。そのカテドラルクオーツの写真撮影を、この5日間続けていた。撮った枚数は、2200枚以上。そのなかの1割を水晶祭りでアップする。どうしてこんなにもたくさん撮ったかというと・・・新しく撮影キットを購入した。デーライト用の蛍光灯スタンド二本と、撮影用のドーム。バックシートがいろいろあり、それを試していた。今回は、四種類のバックシートを使った。一番汎用性が高かったのは、グリーン。これは、以前に使っていたもの。どんな水晶でも撮れる。但し、欠点もある。それは、やわらかく撮れ過ぎること。やさしいけれども、シャープさがない。シャープさを求めるなら、ブルー。ブルーのバックシートには、透明な水晶が映える。しかし、こちらにも欠点がある。それは、赤や黄色などの色ものが正確に出ないこと。どうしても青っぽくなったり、薄くなったりする。カラーを明確に出すには・・・意外なことに、黒が最も適していた。黒のバックシートにすると、シトリンの黄色が鮮やかに現れる。ブルーのバックシートでは、ほとんど色が出てこない。黒にすると、濃過ぎるくらいの色になる。使いものにならなかったのは、灰色。よく結婚や入学などの記念撮影に使われるもの。しかし、水晶にはまったく合わなかった。水晶が、くすんでしまう。各水晶ごとに、四種類のバックシートを使って撮影した。そのなかから、美しいものをチョイスした。そのために、ものすごく時間がかかってしまった。それと、もう一つ理由がある。カテドラルクオーツは、複雑な形をしている。見る角度によって、まったく違った表情となる。その結晶構造は、すばらしい。ほとんど芸術の域に近い。いろんな角度から、いろんな姿を撮影した。そのため、どうしても撮影枚数が多くなった。それでも、まだ100パーセント満足はしていない。8~9割といったところだろうか。撮れば撮るほど、美しいものが撮れる。しかし、それではいつまで経っても水晶祭りは開催できない。締め切りが、けじめをつけさせてくれる。それもまたいいのかもしれない。そのようにして撮った2200枚のなかから、ベストショットを選ぶのも骨が折れた。特にレインボーが出るカテドラルクオーツは、一個の水晶だけを360枚も撮影した。レインボーを撮るのは、なかなか難しい。ちょうど光が反射しているので、レインボーだけを取り出すのは至難の業。しかし、そうやって苦労した結果は、十分に報われているのではないだろうか。たぶん、これまでで最も迫力のある水晶祭りになっているだろう。レインボーも、みごとに撮れた。水晶たちは、キラキラ輝いている。既に三次元のものではないような水晶もある。写真からも別の次元とわかる。物質感が希薄。光は、いろんなものを見せてくれる。これまでで最も時間と情熱を傾けた水晶祭り。その水晶たちは、明日お披露目となる。宇宙のエネルギーを地球にもたらすカテドラルクオーツ。実は・・・これだけのエネルギーを注いだ結果、気がつけばシフトが起きていた。今朝、明らかに何かが変わっていた。新しい時代のエネルギーを肌で感じた。そのことについては、明日の新月の日記に書くことにする。『宇宙から 光もたらす カテドラル 時代を変える 雄姿を写す』これが日記を書き始めて2016日目の心境。
2010.07.11
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今日も屋久島は、雨になっている。降ったり止んだり。そんなに激しくはない。洗濯をしたけれども、外には干せない。実は・・・一週間ほど前にネコの赤ちゃんが生まれた。まだ、目がはっきり開いていない。母ネコの周りをハイハイしている。子ネコの数は、四匹。さて、誰の子?モーモー?それとも、おにいちゃん?その母ネコとモーモーは、とても仲が良い。相思相愛。いつも一緒にじゃれあっている。だから、たぶんモーモーの子がいるのは間違いなさそう。母ネコは、モーモーよりも若い。初めての出産。にもかかわらず、しっかり子育てをしている。誰にも教わらないのに、すごい!今育てている場所は、自宅と大家さんの家の間。ものすごく狭いところ。その上、1.5mぐらいの高さ。見に行くのが、たいへん。子ネコが活発に動き始めたら、1.5mの高さから落ちてしまう。ケガしたら困るので、落ちてもいいように途中にネットを張った。完璧に張ると親ネコが入れなくなるので、なかなか難しい。床下から這って入るところなので、苦労した。暗いので、懐中電灯がないと子ネコを見ることはできない。どんなネコか、まだはっきりしない。しかし、それほど美人そうでもない。なんとなくブサイク?でも、子ネコは、それでも可愛い。子ネコの間は、何であれ可愛い。しばらくは、子ネコを楽しめるだろう。もうしばらくしたら、ネコの新居を作ってあげないと・・・この母ネコは、数ヶ月前から自宅に来るようになった。今では、ほとんど居ついている。しかし、まだ野性的。なかなかなつかない。撫でさせるのは、餌を食べている時だけ。すぐに逃げる。モーモーがいれば、自宅のなかにも入って来る。モーモーは、信頼のブランド!この子供たちは、どこで生まれたのか不明。時々、姿が見えなくなる。そうかと思うと、鳴き声が聞こえる。母ネコが、時折、場所を移動している様子。今、四匹のネコが餌を食べている。それに四匹加わると・・・ちょっとヤバいかも?母ネコはまだ若いので、すぐに妊娠しそう。それに、もし子ネコのなかにメスがいたら・・・このままいくと、ネコ屋敷?近所は離れているので、近所迷惑ということはないが・・・でも、ネコの餌代もバカにならない。子ネコは可愛いが、可愛いとばかりも言っていられない。さて、これからどうなるか。しばらくは、ネコ可愛がりすることになりそう。当分は、にぎやかかも・・・『にぎやかに 子ネコ鳴くのは 母ネコが 戻って授乳 始まる合図』これが日記を書き始めて2010日目の心境。
2010.07.05
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今日も屋久島は、断続的に激しい雨が降っている。梅雨が、なかなか終わらない。この梅雨の最中(さなか)にも、ハマユウは甘い香りを放っている。白い花は、清楚。今朝、「古沢仁宏」という存在を見てみた。それは、人間的な枠。とても小さな枠。宇宙空間に浮かぶ泥でできた存在。しかし、それがすべてではない。その周りには、別のエネルギーフィールドがある。人間を包む魂のエネルギー場。そこには、多くの個性が存在している。魂のなかにあるのは、過去世の個性。地球で生きた経験を持つ個性たち。そして、今も魂から地球にいくつかの分身を派遣している。それらが、地球での体験を魂に送り続けている。魂を包むように、グループソウルがある。それは、まるで星雲。宇宙空間に浮かぶ魂の集団。大きく茫洋とした魂の雲。そのなかには、無数の魂たちが存在している。それぞれの魂に個性がある。それぞれが、多くの経験を蓄積している。それは、地球の経験に限らない。グループソウルは、霊団。宇宙を旅する霊団。宇宙をクリエイトする魂たち。宇宙を花開かせる魂の集まり。それは、まさに星雲にそっくり。星雲は、星々の集合体。銀河系やアンドロメダ星雲・・・星々は、霊の世界の象徴みたいなもの。星雲を包んでいるのは、精妙な光のベール。透き通る光の霧。細やかな光の雲。限りない光の世界。その光の世界のなかには、愛が満ち満ちている。いのちが満ち満ちている。光と愛といのちの世界。限りない広がりの世界。しかし、そこが終わりではない。その先には・・・もう言葉では表現しようがない。世界でもないし、空間でもない。何もない。光も愛もいのちもない。在るものが、何もない。ただ何もない領域。領域という言葉さえない世界。ただ何もない。すべての基盤。色と空が分かれる以前。色の世界は、有の世界。森羅万象、悲喜交々(こもごも)。星々のように変化変滅する世界。有為転変の世界。空の世界は、そういうものが一切ない世界。何もない。変化するものは何もない。四季の世界の美しさのない世界。そういうベースから、この世のすべてが生まれてくる。色の世界は、豊かな世界。現れては消える無常の世界。そのことを理解して、楽しむことだろうか。無限は、有限の頭では理解できない。それは、理屈を超えている。頭の世界は、比較の世界。比較によって色を楽しむようにできている。無限を理解できるのは、霊覚。直観するしかない。理屈はいらない。ただストレートにわかるだけ。何もない空間は、ストレート。色があることによって、揺れ動く。それは、宇宙空間を進む時に星々の重力によって影響されるようなもの。どの次元で生きるかによって、意識のクリアーさが違ってくる。透き通るようなクリアーさは、色の世界から遠ざかるに連れて増していく。波動が速くなるにつれて、クリアーになる。この世のように波動の遅い世界は、心身共に鈍重。まるで水中を歩いているようなもの。宇宙を理解すれば、余裕を持って生きられる。理解は、落ち着きをもたらす。理解は、安定をもたらす。理解は、安心立命をもたらす。『何もない 基盤に立てば 悲苦でさえ 豊かに見える 波立つ世界』『人の世は 湖面に浮かぶ 波のよう 大波小波 浮かんで消える』『人の世は 湖面に浮かぶ 波遊び 波を創って 波を楽しむ』『誠実な 波を創れば 誠実な 波が広がる 創造世界』『創り出す 波が自分の 住む世界 望みの波を 創り楽しむ』『美しい 波を創れば 美しい 世界広がる 現実創造』『どのような 波も感謝で 受けとめて 四季折々の 波を楽しむ』これが日記を書き始めて2009日目の心境。
2010.07.04
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今日の屋久島は、大荒れ。朝から雷鳴が轟き、スコールのような雨が断続的に降り続きました。梅雨の終わりの最後の大サービス?今年は落(おとす)の滝が、連日、大きく見えます。蟹座の水晶祭りの水晶たちが、続々と到着しています。到着メールのなかに、すてきなものがありました。送ったのは、No.12のファーデン&アトランティス。アトランティスの情報を持った水晶です。まず、昨日の日記の感想が書かれていました。それから、水晶が誘(いざな)ってくれた世界・・・さて、どんな展開があったのでしょうか。本人の了解を得て、全文を掲載します。「今朝の日記、感じるものがありました。読みながら、大家さんが見たビジョンが見えてきました。そして、十字架の光が突然広がり、すべてを統合したひとつの光となるのが見えました。六角形も十字架も円(丸)も、光となり、光は太陽のように輝いていました。とてもきれいです。それと同時に、私の内側がその光とエネルギーに共鳴し、奥の方で一緒に統合されていくのを感じました。素敵な日記をありがとうございました。水晶、昨夜寝る前に開封しました。その時に感じたこと、見たこと、また、今朝見たビジョン、メッセージ、私の内側がそれらのエネルギーとどのように共鳴したかというのは、言葉を超えています。私の内奥は無限に深く広く(それも、言葉で書くと言葉の制限を感じます)、宇宙の広がりのようであって、意識をそこにおけば、あらゆるエネルギーに繋がることができるのを知りました。今朝は、ほんの少しアトランティスの神殿のマスターにお会いでき、メッセージをいただきました。マスターは、『今後、いつでも繋がることができる』と言ってくださいました。そのマスターは銀色の長い髪をしたそれは美しい男の人で(性別は超越しているのでしょうけど)、その圧倒的な存在感に、私はただただ感動してひざまづきました。圧倒的な存在感と共に、その愛の波動が言葉を超えて大きく深く、すべてをこの人の愛の内に任せていいのだと思える、無条件の安心、安らぎに満たされる優しい波動、それと共に感じる深い叡智・・・叡智を伴い溢れ出る波動が、今までに感じたことのない愛の波動でした。如来でも、観音でも、キリストでも、その他たくさんの今まで私が感じてきた大いなる存在の愛とは違う、愛の波動でした。私は、目の前に突然広がった、全く知らない聖地に足を踏み入れたかのような感動と喜びに満たされました。そこに至るまでに(今回の水晶とご縁があり、神殿のマスターに会うまで)、少しずつ私のなかで準備が整っていっていました。私の準備が整ったので、アトランティスの神殿に行くことができたのだと、そしてマスターに会うことができたのだと思います。ここのところの私は、自分がほんとうに奥深くの芯から変わったのを感じていました。静けさと穏やかさと安らぎと、すべてのことを光と愛で感じること、これらのことが、まだゆらぎはあるものの、自分の内で確固たるものとなっていっているのを感じていました。いつも、私の内に私自身のスピリットとして、そして私を見守るように外に女神さまと(インカローズの冠の)、そしてあの天使の存在を感じます。女神さまと天使のエネルギーといつも共にあるということは、やはりいつもそのようなエネルギーでいられるということ。そのことを、静かな穏やかな愛と共に感じているここ最近です。誕生日の前に大浄化がありました。私は、この浄化を、誕生日でもう一度生まれ変わるためだと思っていました。実は、浄化が始まる前に、アトランティスのエネルギーに繋がる流れがシンクロでありました。これは、偶然とは思えず、すべては流れだと思います。そして、浄化、その後の今回の石との出会いには、神秘的なものを感じます。今朝、アトランティスの神殿に行くにあたって、たくさんの聖なる存在たちのサポートがありました。(ほんとうに、連れて行ってもらったという感じでした)今まで私をサポートしてくれていた存在たちが現れて、さあ、と私を導いてくださいました。女神さまに、ビジョンのなかで、ここから先に行くには天使と一体となることが必要だと言われ、私は天使とひとつになることができました。(手をとるのもおそれ多く躊躇していた数ヶ月前がうそのようです)そして、アトランティスの神殿のマスターに会うことができました。今朝は、特に瞑想しているわけでもなく、ただ水晶を見てなでていただけなんです。なので、あまり用意ができていず、ビジョンは少し見ただけなのですが、重要なこと(まずはそこへの繋がり方)を教えていただいたと思っています。昨夜から、いろいろビジョンが見えていたので、また改めて書いてみます。それから、ファーデン水晶の方は、鍵だったのですね。その鍵(ファーデンクリスタル)で、いろんな扉を開けていけるということを教わりました。それは、アトランティスの情報を読み取るということもそうだし、多次元のあらゆる情報を読み取る鍵としても使える、マスターキーだということでした。kimiさんは、あのファーデン水晶は鍵だと思われていたのですか?私、アトランティスの石の方にばかり意識がとられていて、ファーデン水晶が何なのかわからず、来てみてから感じようと思っていたのです。なぜこの二つがセットなのかなあと素朴な疑問でした。kimiさんが鍵だと思われていたのなら、なるほどなあと思ったのですが。長くなってすみません。とりあえず、今日はここで。」ファーデンクオーツは、鍵?確かに!そう言われると、その通りだということがわかります。でも、事前に気づいていたわけではありません。でも、この二本がセットになっているということは、無意識レベルでは気づいていたのかもしれませんね。偶然はないでしょうから。でも、本当に鍵の形ですね。しかも、マスターキーとは・・・水晶は、すばらしいですね。アトランティスのマスターに会わせてくれます。マスターキーまで付いていれば、アトランティスのことは何でも知ることができるでしょう。まあ、過去世でいたところですからね。これからアトランティスで学んだことを思い出すのでしょう。アトランティスのすばらしさも、その失敗も。アトランティスは、失敗モデルです。たくさん学ぶことがあるでしょう。水晶は小さな存在ですが、ものすごいエネルギーが凝縮されています。地球と共に共振し、宇宙のエネルギーとも繋がっています。水晶自体が、いろんな世界と繋がるキーのようなものですね。たとえ意識できなくても、無意識レベルでは影響があるでしょう。蟹座の水晶祭りの次は、カテドラルクオーツの特集をします。カテドラルクオーツこそは、まさに宇宙的な水晶。多次元と人を結びつける役割を持っています。個を超えたグループソウル次元に導いてくれます。水晶は、地球の安定した振動システムです。水晶と一緒にいることは、地球の振動と一緒にいることです。つまり、水晶は地球との共振装置です。過去、現在、未来の地球とアクセス可能です。水晶が持つ可能性は、ものすごいものがあります。これから更に水晶は活性化していくでしょう。人は、水晶のパワーに目覚めます。水晶が持つ可能性に驚嘆することでしょう。屋久島の海と川で浄化された水晶は、その本来のパワーを発揮することができます。宇宙的な光のエネルギーを注ぐことで、水晶は更に活性化します。それは、地球を覆う光のネットワークと化していきます。新しい時代を開くクリスタルネットワークです。水晶は、人を目覚めさせ、地球を目覚めさせ、時代を目覚めさせます。地球のエネルギーを発信し、宇宙のエネルギーを受信します。人の持つ無限の可能性を解放します。水晶は、未来を開くのです。『水晶は 地球と共に 共振し 人の内なる 光を解放(はな)つ』これが日記を書き始めて2008日目の心境。
2010.07.03
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昨夜、隣の大家さんをヒーリングした。すると、面白いことを言い出した。光が見える。その光とは・・・丸がある。その丸の中に六角形が見える。その六角形の中に十字架がある。その十字架の中心から光が出ている。十字架は、キリスト教だろうか。六角形は、ダビデの星。つまり、ユダヤ教だろうか。それでは、丸は?それは、仏教だろうか。最近は、大日如来のエネルギーが来ている。その象徴が丸ではないだろうか。それらが意味することは・・・いずれも過去世で自分がやっていたもの。キリスト教もユダヤ教も仏教も、深い縁がある。今生は、それらが融合し、統合された状態になっているということではないだろうか。それに、もう信仰の時代ではない。信仰は、目をつぶって生きているようなもの。はっきりわからないから、信じる、信じないということになる。今の時代は、はっきりと目を開けて見極める時代。明確にわかれば、信じる必要などまったくない。信じる者は、救われる。確かに!しかし、同時に、信じる者は騙されもする。それは、表裏一体。信じると疑うが、表裏一体であるのと同じ。信じると騙されるも、表と裏の関係。すべては、不確かなものに起因している。理解なき信仰の結果。信じることは、既に魚座で終了している。今の宗教は、その残滓に過ぎない。これからの時代は、見極める時代。明確に理解する時代。単一宗教のエネルギーの時代は、終わった。これからは、それらを融合し、統合する時代。トータルなエネルギーとして活用する時代。一宗一派に囚われるのは、時代遅れ。自分を守るために徒党を組まない。外のものに依存しない。独りで自立する。内なる光を確立する。それが、新しい時代の生き方。自分自身の光を解放する時。過去世の光を統合し、魂としての光を輝かせる時。内なる光に目覚める時。『不確かな ものを信じて 救われる 不確か故に 騙されもする』『不確かな ものを信じる ことはない 見極める時 光輝く』『これまでの 宗教すべて 統合し 内なる光 ベースに生きる』これが日記を書き始めて2007日目の心境。
2010.07.02
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今日の屋久島は、曇。時々は、太陽も顔をのぞかせる。また、思い出したかのように雨も降っている。梅雨の終わりが近づいている。今日から7月。2010年も既に半年が過ぎてしまった。アッという間に一年が終わる。夢のような人生が続いている。今日は、12日の新月にアップするカテドラルクオーツの解説文を書いた。浄化は、既に一昨日終わっている。昨日は、台座に取り付けた。後は、美しく写真を撮るだけ。解説文を書く前に、インターネットで検索してみた。予想通り、たくさんはなかった。しかし、思ったよりも見つけることができた。しかし・・・1万円以下のものは、興味が湧くようなものは皆無だった。3万円ぐらい出すと、まあまあのものがあった。高いものは、何十万円もした。百万円を超えるものさえあった。一般的に、カテドラルクオーツは高い。なぜなら、産出量が限られているから。カテドラルクオーツは研磨では無理なので、すべて天然もの。部分的に研磨されているものもあるが・・・カテドラルクオーツは、2000年毎に出てくると言われている。それは、時代の変わり目。変革期。それが、今に当たる。カテドラルクオーツは、宇宙的な水晶。この世的なものではない。宇宙的なエネルギーを、この世にもたらすもの。この世を宇宙的に変革するもの。カテドラルクオーツは、グループソウルに対応している。個々の魂ではない。個別意識を超えている。それは・・・個である自我意識を超える際に役に立つ。個として自我で生きているのが、今の人類。それを超えるのが、今の課題。そのサポートをするのが、カテドラルクオーツ。日本では、観音水晶と呼ばれるらしい。世を救い、人を救う役割があるからだろうか。時代を変える水晶。個人レベルを超えた水晶。カテドラルクオーツは、水晶を買い出した初期の頃から集めている。ゴールドルチルと共に、たくさん買ってきた。しかし、なかなか良いものはない。6月の国際ミネラルフェアーでも期待外れだった。カテドラルクオーツも、ゴールドルチルと同様に産出が減っている。シトリンも同様。クオリティの高いものは、滅多にお目にかかれない。それでも、時々、目の覚めるようなものに出会う。今回の新月の水晶祭りでは、24個のカテドラルクオーツを出すつもりでいる。大小様々。価格も、かなりの差がある。どうしてもカテドラルクオーツは、高くなってしまう。普通のポイントやクラスターのように、たくさん産出されるものではない。数が限られているので、安くはない。でも、一つは持っていても損のない水晶。宇宙のアンテナとして役に立つ。個=自我からの脱却をサポートする水晶。そんな水晶が、他にあるだろうか。グループソウルとリンクする水晶を、他に知らない。水晶は、それぞれ役割がある。それらを理解して活用することだろうか。魂のつながりを思い出させるカテドラルクオーツ。グループソウルとして生きることに目覚めさせるカテドラルクオーツ。個を超えていくこれからの時代の水晶。『新しい 時代を開く カテドラル 個別意識を 超えていく時』これが日記を書き始めて2006日目の心境。
2010.07.01
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