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昨日は、中秋の名月。今日は、満月。昨夜は、すばらしい月が懸かった。まるで昼間のように明るかった。今日から始まった天秤座の水晶祭りの水晶たちを月光浴させた。それだけでなく、新月の水晶祭りのコロンビア水晶たちも。常設の水晶祭りのカテドラルやゴールドルチルたちも。水晶祭りに出ているものは、全員仲良く月光浴。最近の月は、本当に明るい。満月の時だけではない。三日月や半月でさえ、かなり明るい。夜が明るくなってきた。夜が明るくなるということは・・・時代が、光に満ちてきたからだろうか。現象世界は、まだまだ紛争が絶えない。しかし、その後の経過は・・・これまでよりも明るい感じになってきている。菅、小沢の対決も、金権腐敗一掃の方向に向かっている。厚生労働省の元局長の逮捕も、検察の腐敗を暴く結果になった。これからも、思わぬアクシデントが起きてくるだろう。これまでの膿が、まだまだ出てくる。しかし、出てくれば、すっきりする。出てきた分、淀みが消える。それは、肉体も精神も、家庭も社会も異ならない。淀んでいるものを出し切ることだろうか。新鮮な風を招き入れることだろうか。惰性のままに生きても、生きているとは言えない。躍動こそが、いのち。ダイナミックなうねりこそが、生命力。変化してやまないのが、いのち。日々新しいのが、いのち。川は常に流れていないと腐敗する。心も体も同じ。社会も自然も同じ。宇宙そのものが、常に変化している。宇宙に安住はない。変化こそが、常態。無常こそが、常。変化のないいのちは、いのちとは言えない。変化しないいのちは、既に死んでいる。無常の世界のなかで、いかに生きるか。無常を苦と捉えれば、人生は苦しみの場となる。無常ゆえに安住の地がないと嘆けば、心の休まる時はない。無常を認識し、いかに生きるかが問われる。変化のなかで変化を楽しむ。その楽しむ心こそが、変化を超えている心。無常を達観できる心だけが、無常を楽しめる。無常を達観するとは・・・色の世界を超えること。変化極まりない色の世界に囚われないこと。変化に振り回されないこと。変化と共に生きていくこと。変化を理解し、変化と共に生きていく。色の世界を超えて、色の世界と共に生きていく。空にあって、色を生きる。空にあるとは?変化するものを、押し留めようとしないこと。何かに執着して、それをいつまでも維持しようとしないこと。すべての変化を認めること。目先の変化に振り回されず、変化を眺めて暮らすこと。すべては、変わる。ただ、変わるには、方向性がある。その方向性を見極めること。そうすれば、不安も心配もなくなる。方向性を見極めるには、変化してやまない現象世界よりも深いところで生きる必要がある。現象世界の奥で生きねばならない。奥で生きれば生きるほど、方向性がよくわかる。それは、高い山に登れば全体が見えるのに似ている。現象界よりも深いところにベースを置けば、現象界に振り回されることもない。現象界の流れが見えれば、現象界と共に流れることができる。表面意識だけで生きれば、現象界に振り回される。深い意識で生きれば生きるほど、心身は安定する。目線を奥に引くことだろうか。できるだけ後頭部の方から見るようにする。全体を見渡すような感じで見る。目先だけに囚われない。日常の目先の出来事に振り回されないことだろうか。視野を引いて、広い視野を持つことだろうか。常に全体を見守りながら生きることだろうか。そうすれば、現象世界の変化に振り回されることもないだろう。『現象の 奥の次元に フォーカスし 変化の流れ 見極め生きる』これが日記を書き始めて2089日目の心境。
2010.09.23
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屋久島は、さわやかに晴れ上がっている。夜は、虫の音が鳴り響く。実は、朝の今も虫の音が聞こえている。鈴虫もいれば、コオロギもいる。自然は、いい。平和そのもの。しかし、人は争い合っている。昨今は、尖閣列島が騒がしい。中国では、各地で日本に対する抗議デモが起きている。台湾からも抗議の船が尖閣列島に向かった。中国政府の反応は、予想以上に高姿勢。それには国内向けの事情もあるだろうが・・・相変わらず人類は、所有権争いをしている。自分のものという観念こそが、自我。お互いに自我で争い合っている。自己所有を広げたいだけ。尖閣列島問題を解決する方法は、一つしかない。それは、お互いに一緒に活用すること。地球というのは、元々誰のものでもない。人間が、自分のものと言い張っているだけ。所有権を争って、力ずくで戦う。それが、人類史のようなもの。まさに自我の歴史そのもの。いつまでそんなことをしているのだろうか。一つの地球。一つの人類。みんなで一緒に有効利用すればいいだけのこと。そうでないと・・・サル山と変わらない。サルの世界では、メスをめぐって争いが絶えない。メスを自分のものにしたいというオスたちの争い。人間も同じようなことをしている。それは、すべて自己保存の本能。それも悪くはない。確かに、そういうふうにインプットされている部分もある。しかし、それだけでは、動物と変わらない。動物と人間の違いは何だろうか。それは、思考力だろうか。確かに、これまで多くの文明の利器を発明してきた。しかし、思考力では、動物次元を超えられない。思考力は、本能に振り回されてきた。本能を拡大させるために、思考力は使われた。より多くのものを所有するために、思考力は使われてきた。それが、自己の安全を保証するものだと思い込んで・・・しかし、いくら所有しても安全は保証されない。持てば持つほど、奪われる危険性が増す。金持ちになればなるほど、所有物を守るための気苦労が絶えない。そんな陣取りゲームをやっていても、安全が保証されることはない。安全が保証される唯一の道は、陣取りゲームをやめること。所有すること、奪うことをやめること。手放すこと、そして、与えることを学ぶこと。それ以外に安全が保証される道はない。そんなことは、わかっている?それは、理想論に過ぎない?机上の空論?確かに!そのようなことは、お釈迦様の時代から言われていること。イエス・キリストだって、さんざん愛を説いた。にもかかわらず、何千年経っても人類は、さほど変化したようには見えない。今も世界中で争いが絶えない。もう少し生活水準が上がる必要があるのだろうか。「衣食足りて礼節を知る」とも言う。しかし、アフリカの何倍も所得のあるアメリカでは、アフリカ以上に犯罪が多い。貧富の差が、犯罪の温床となっている。貧富の差は、所有欲の延長でしかない。自分のものとして囲い込む。欲望は、限りない。それを羨むのも、また欲望。欲望と欲望とが、ぶつかり合う。それは、地獄。天国とは、程遠い。それが、今の人類の現状。尖閣列島は、自分のものという思い込み。その自分のものを他に犯されたという思い込み。そこから怒りが生まれる。それは、自分自身が侵害されたのと同じ。自分の安全が危機にさらされれば、自分を守るために戦う。まさに自己保存の本能。極めて狭い了見。視野狭窄。集団視野狭窄が、起きている。誰もが、自己中心。虫眼鏡のような視野しかない。中国人、日本人という差別と思い込み。解決策は、はっきりしている。視野狭窄を外すこと。もっと視野を拡大し、人類全体に広げること。人類全体が生きていけるように考えること。自分を生かすことも必要。同時に、みんなを生かすことも必要。人類全体が幸せにならない限り、自分の安全は保証されない。みんなが安全でない限り、自分だけの安全ということはあり得ない。視野を広げること。明治維新の時、藩意識から日本という意識への転換があったように。藩や幕府に縛られた者は、消えていくしかなかった。日本という視野を持った者だけが、新しい時代を切り開くことができた。今の時代は、地球や人類という視野が必要。自分や民族や国家などは、もう古い。民族も国家も、自分の延長でしかない。自己所有の拡大版。それもこれも、みんな思い込み。思考と本能が織りなす阿鼻叫喚。自分を守ることにベースをおく人類史。自己中心の自我意識がつくり出してきた人類の歴史。その近視眼的な生き方を変える必要がある。意識が、目の方に行き過ぎている。そうなると、目先のことに振り回される。もっと意識を奥に引かないと・・・意識が顔の表面に行くと、表面意識となる。そうなると、この世のことばかりに関心が向く。この世のことばかりとは、物質にベースをおくこと。肉体ベースになること。肉体ベースになると、自己保存の本能に振り回される。自分の安全のために自己所有に走る。そうなると、争いが絶えない。それが、これまでの人類史。意識を後頭部の方に持っていく。後頭部の方から、すべてを見渡すようにする。そうすると、視野が広がる。自己中心ではなくなる。意識が顔の表面に行くと、近視眼的な視野狭窄となる。意識が後頭部の方に行くと、視野が広がって全体を見渡せる。そうすると、落ち着いて何事にも対処できる。意識が顔の表面にある限り、目先のことに振り回される。意識のポイントを後頭部の方に引くことだろうか。そうすれば、余裕を持って生きられる。この世的な意識だけでなく、もっと深い意識が現れてくる。物質を超えた霊的な意識も現れる。自分、自分、自分・・・ではなくなる。自己限定の視野狭窄が外れる。自分と共に全体を見ることができる。平和で穏やかな気分で生きられる。極めて簡単なことなのだが・・・多くの人が、そのことをわかれば、時代が変わる。地球の新しい時代がやってくる。しかし・・・これまでの習慣が、それを妨げる。過去ベースに縛られた意識は、新しいことがなかなかできない。未知のものには、恐怖を覚える。過去にベースをおくことが、安全と錯覚している。慌てず、焦らず、ゆっくりやるしかない。一歩一歩着実に進むしかない。一つ一つ理解を深めていくしかない。光は、既に灯(とも)っている。『何であれ 自分のものと 思う時 思い込みから 争い起きる』『手放して 何もなければ 目の前に 現れるもの 楽しむばかり』『目先から 意識を奥に 引くことで 余裕を持って 全体見れる』これが日記を書き始めて2087日目の心境。
2010.09.21
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屋久島も朝夕は、ずいぶん涼しくなってきた。秋がだんだん近づいている。ここのところ、ずっと水晶漬け。ほとんど水晶祭りの準備をしている。この世、物質次元は、形にして確かめるところ。全体から分離して個別化したものを、手に取って楽しむところ。肉体に自分を投影し、肉体を通して確認するところ。握手し、ハグし、キスし、交わる・・・死ねば、肉体はなくなる。やがて、幽体も脱ぎ捨てる。そのうちに、霊体さえ捨て去る。どんどん着ているものを脱いでいく。最後に残るものは、何だろうか。それは、意識。意識?どんな意識?もはや人間ではない意識。純粋な意識。人間というのは、いろんな意識の集合体。感覚や感情や思考や気づき・・・人間の意識は、形成されるもの。赤ちゃんから成長するにつれて、意識がはっきりしてくる。意識は、内在していたものと環境との出会いによってつくられる。発達するとも言えるし、環境の結果とも言える。死ねば、そういう後天的なものが一つ一つ外れていく。赤ちゃんのような意識に戻っていく。純粋な意識に回帰していく。身につけ、手放す・・・宇宙は、循環している。人の意識も循環している。すべてが循環している。その循環のなかで、どのような意識を身につけるか・・・今の意識は、今の時代に条件づけられた意識。極めて限定された意識。狼に育てられれば、狼人間になる。人の意識というものは、柔軟性に富んでいる。人の意識は、環境という食べものから形作られる。それは、肉体と同じ。どういうものを食べるかによって、形成されるものも違ってくる。食べたものから何を吸収するかによっても、結果は異なる。人は、生まれる前から今生の人生設計を持っている。しかし、生まれ育った環境に色濃く影響される。育った環境の影響によって、人生のプログラムを忘れる人もいる。多くは、その環境から取捨選択して自分という人格を形成していく。表層意識、潜在意識、深層意識・・・意識にも、いろいろある。表層の意識は、この世の影響を色濃く受けている。時代や環境の影響下にある。潜在意識のなかには、今生だけでなく過去世の意識も入っている。深層意識のなかには、人間以前の意識もある。意識の奥は、深い。表面的な条件づけられた意識だけで生きないことだろうか。一歩踏みとどまって、深く生きることだろうか。何かを言われて、条件反射的に反応する。それでは、周りに振り回されるだけ。表層意識の反応だけで生きる人生は、環境の奴隷。深く深く意識の井戸を掘る。意識の奥には、落ち着いたやすらぎの世界がある。安定したゆるぎない次元がある。そういうところをベースに生きる。表層意識は、移ろいやすい。絶えず揺れ動いている。常に自分を守ろうとしている。そういう変化を見守る意識を持つことだろうか。この肉体次元は、すべての意識が結集されるところ。あらゆる意識が、この肉体のなかで花開く可能性を持っている。トータル!それは、この肉体のなかでのみ可能。あらゆる意識が結集し、統合され、花開く。それが、この世というところ。すばらしい可能性を秘めたところ。宇宙の花が形となって結実するところ。深い意識の望みを、この世に実現する。あらゆる経験を動員して実現する。目に見える形で、手に触れる形で。確たるものを形成する。目の前には、たくさんの水晶がある。それぞれ個性がある。個々のエネルギーが、形となって結実している。それこそが、この世。この現象世界は、すべてが結実するところ。無限の可能性を宿したところ。意識のすべてを表現できるところ。この世というものは、なかなか奥が深い。『今生の 意識の枠を 超えていく 深く静かな 意識で生きる』『これまでの 人生経験 動員し 真の望みを 現実化する』 これが日記を書き始めて2083日目の心境。
2010.09.17
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水晶に関するメールが届きました。水晶の役割について書かれていましたので、以下に紹介します。「お部屋の掃除をして、お香も焚いてソファに座ったら、部屋のエネルギーが静かに落ち着いて気持ちよかったので、瞑想してみました。今日は、私の周りを囲むように水晶さんをぐるっと円に並べてみました。なんとなく、そうしたかったので。手にはアトランティスさんを持ち、今私に一番必要な体験ができるよう、水晶さんにお願いしました。深い呼吸をしているうちに、光のラインが降りてきて、光が私の頭頂から私を貫き地底へと降りていきました。しばらくすると、周りの水晶たちが結界を張ったようになり、光のトンネルのなかに包まれているのが感じられてきました。私は、少し重力がなくなったような感覚になり、ふわふわゆらゆらしはじめました。結界のなかは、ものすごく心地いい細やかな細やかなエネルギーでした。そのエネルギーに大切に包まれている感覚でした。気持ちよさを感じていると、私の光のボディが見えてきました。私と同じ姿勢で座っていて、全身金色に輝いていました。きれいでした。そのボディを感じていると、そのボディのハートチャクラのあたりに水晶が見えてきました。金色のボディのなかで、透明な水晶がボディに透けて、存在を知らせるように浮かび上がって見えます。水晶は、かなり大きなポイントで、上から下まで透き通るように透明です。金色のボディに浮かび上がる(といっても、内部にある)その水晶を見ていると、ボディの頭上に少し暗みがかった紫色の雲のようなものが見えてきました。その雲は、ネガティブな系統のもののようで、ボディの上からボディの光をなでるように動きました。頭頂のあたりをなでられ、少しボディの頭の形がゆらめきました。すると、胸の水晶がきらめき、水晶のエネルギーでボディのゆらめきを元の形に戻しました。そんなことをニ、三度繰り返すのを見ていると、『水晶は、あるべきものをあるべき完璧な状態に保つ力があるのかしら、きっとそうかもしれない』と、思いました。胸の水晶は、元々内在している何かを象徴しているのか、あるいは、今私が水晶と交流しているので、水晶のエネルギーと共鳴しあってこのようなビジョンが見えているのか・・・それはわからなかったのですが、私の深い部分は、水晶の役割やサポート力を、ビジョンを伴ったエネルギーで感じていました。そして、光の振動を完璧に保つ水晶のバイブレーション、また、振動の乱れをキャッチし、その完璧なバイブレーションで調整、ヒーリングする水晶のエネルギーに、いつも共振していることの大切さを深く感じました。また、自分の内にそのバイブレーションが内在していることも感じました。内在しているからこそ、感じられ、共鳴できるのですよね。この次元、表面の意識を、そのようなバイブレーションと共に生きられたら、どんなにすばらしいだろうと思いました。そんなことを思っていると、クリスタルの神殿が見えてきました。私は、なかに入りました。何度も来ている神殿です。広間に入ると、中央に魔法陣が・・・(また?)床もクリスタル、魔法陣もクリスタル、床の模様といった感じです。私は、円の中央に座りました。目の前に、とてつもなく大きな水晶が現れました。この世界のマスタークリスタルです。この世界では、そのマスタークリスタルと交信共鳴し、心身の調整や、指針となるメッセージを受け取ったり、クリスタルのエネルギーとひとつになり心身を高い次元に保つことが常のようでした。私も、やってみようと思いました。目の前のマスタークリスタルを感じていると、マスタークリスタルのエネルギーが、クリスタルの形、大きさそのままに、座っている私を包みました。私とクリスタルは距離的には数メートル離れているけれども、私は床の上に座っていながら、マスタークリスタルのなかにいます。この感覚は、この三次元ではわからないと思います。でも、その次元では、あらゆることでそのようなことはあたりまえにできます。・・・というのが、なぜかわかります。私は、その世界の生活のすべてを、内に感じて自然にわかりました。静かに感じていると、一筋の光が乱れ舞うように上から降りてきました。光がラインを描きながら、私の周りを蝶が舞うように舞いました。しばらくすると、舞っていた光のラインが、突然頭頂から、ぐるぐるとコイル状に廻りながら、私の身体の中心を貫くように下へ降りはじめました。強烈な回転スピードで、ものすごいエネルギーの光が、ゆっくりと私の身体のなかを降りていきます。体験したことのないエネルギーと回転する光のすごさは、私の内部を強力なクリーナーで浄化してくれているように感じられました。下まで到達した光の回転は、今度はゆっくりとそのまま私の上へ上がっていきます。下まで光が降りている時は、自分のなかに、しっかりと天が地に降りてくる感覚がありました。逆に、光が上に上がりはじめると、しっかりと地に降りている私が、大地に降りていながら、再び天に繋がっていくのを感じました。そしてその感覚を感じている間、どのような闇も一気に光に転換されるほどの大きなエネルギーのヒーリングを受けている感覚を味わっていました。言い様のない、言葉にできない感覚です。光が私の頭頂まで上がりきった時、急にものすごい眠気に襲われました。意識が朦朧としてきて、ビジョンが混濁してきたので、私はそのまま目を開け、水晶を戻して、眠りにつきました。夢のなかで、私はしばらくその次元に留まり、何かをしていたようです。目覚めると、その夢はすーっと向こうに消えてしまいました。でも、光が身体を調整してくれた感覚は、思い出してこれからも使えそうです。とても素敵な体験でした。」自分自身の光のボディが見えるとは、すばらしいですね。その金色の体のハートチャクラには、水晶があるようですね。その水晶は、ネガティブなエネルギーの影響を受けた時に、本来の状態に戻してくれます。完璧な状態に保つというのが、その水晶の役割のようです。実際は、体のなかに水晶があるということはないでしょう。ただ、同じ役割をする部分があるのですね。恒常性を維持するところですね。いつも安定した波動を出している部分です。それは、ハートの奥にあります。それが水晶の役割に似ているので、水晶という象徴が現れたのではないでしょうか。そこにいつもフォーカスできれば、多少の波風ではびくともしなくなるでしょう。魂や更に奥の部分ですね。クリスタルの神殿には、大きなマスタークリスタルがあるようですね。それは、水晶であり、大いなる光の存在でもあります。高い次元とつながっている光の存在ですね。高い次元とクリスタルの神殿をつないでいる存在でもあります。そこでも浄化を体験したようですね。頭頂から入ってくるエネルギー。逆に下から上に昇っていくエネルギー。それは・・・まるでレコードキーパー(△)と、トライゴーニック(▽)のようです。トライゴーニック(▽)は、上から降りてくるエネルギー。レコードキーパー(△)は、下から上がってくるエネルギーです。それぞれ役割があります。その上下に動くエネルギーによって、心身は本来の状態に浄化されます。光の渦巻きによるクリーニングですね。ピカピカに磨き上げられるのです。そういう状態であれば、天と地のエネルギーが自分のなかをスーッと通り、融合します。水晶というのは、恒常性があります。一定の波動で振動するので、時計や精密機器に使用されます。それは、心身の恒常性を保つのにも役に立ちます。心身をピュアーな状態にキープするのに、大いに役に立つのです。世間のなかで生きていると、常に心身をピュアーにキープするのは、なかなか大変です。水晶は、それを手助けしてくれます。心身を浄化し、本来の状態に保とうとします。光の波動をキープするのをサポートしてくれます。水晶の形は、数千万年から数億年かかって形成されます。人と、生きるスパンがまったく異なります。そのため、人にとって水晶は極めて安定した存在となります。人から見れば、変化がないように見えるのです。人にも、水晶と同じように恒常性を保つ部分がハートの奥にあります。しかし、表面意識では、なかなか認識できません。そのため、物質に呑まれ、肉体に翻弄されます。そういう人間に光の手を差し伸べているのが水晶です。水晶と共振する部分が、人のなかにもあります。それが、人のなかの光の部分です。光の部分は、水晶と同じような恒常性があるのです。それは、恒星のようなものです。太陽系で言えば、太陽のようなものです。エネルギーの中心であり、存在の源です。そういう人の中心部分と、水晶はリンクしているということです。太陽のように、いつも変わらず光を放っている部分ですね。水晶によって、人はその光の部分に目覚めます。光を忘れないように、思い出させてくれます。常に水晶を見つめていることは、自分の光の部分を見つめているようなものです。水晶の真実は、光とリンクしているのです。このメールによって、水晶の秘密がまた一つ明らかになりましたね。これからも更に深まっていくことでしょう。水晶と共にクリスタルな時代を生きることです。水晶の真実は、人を光に結びつけるのです。『水晶の なかに隠れた 真実は ハートの奥と リンクすること』『変わらない 形のなかに 隠された その真実は 光そのもの』これが日記を書き始めて2077日目の心境。
2010.09.11
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今日の屋久島は、さわやかに晴れ上がっている。朝9時の時点で、既に気温は30度を超えている。今日も暑くなりそう。まだまだ海や川で遊べる。「屋久島ナチュラルヒーリング」のHPでは、新月の水晶祭りがおこなわれている。今回は、コロンビア水晶の特集。しかし・・・リクエストは、少ない。新月の水晶祭りは、いつもリクエストが少ない。なぜ?無理もない。新月は、静かにしている時。月が満ちるにつれて、活動的になる。満月でピークを迎える。そして、また静かに落ちていく。新月で、ゼロとなる。そういう月のリズムがあるので、これから徐々にリクエストも増えてくるだろう。今回のコロンビア水晶たちは、特別。他の水晶とは、異なる。透明感とクリアーさが、並外れている。ぴあのさんにHPにアップするためのコロンビア水晶写真を送ったところ・・・ぴあのさんは、倒れてしまった。次のようなメールが届いた。「写真、すべて届いています。大きな写真を開いて一枚一枚見ていたら、くらくらして揺れてきて、耐えられないくらい眠くなり、数十分意識を失ったように倒れていました。息子が部活から帰ってきて目が覚めて、お昼ごはんしようと起き上がったのですが、足がもつれて歩けず・・・なんとか姿勢を保ちながら台所の流しに辿り着きました。水晶が原因でしょうか?すごすぎ~~~~画像が大きいから?すごい迫力で、エネルギーが入ってくる感じです。」写真だけで倒れてしまう人も敏感だが、写真だけで人を倒れさせる水晶もすごい!今回のコロンビア水晶は、スペシャル。普通の水晶とは、異質。では、何が違うのだろうか。それは、人の意識をクリアーにするということ。透明な水晶であれば、多かれ少なかれ意識をクリアーにしてくれる。しかし、コロンビア水晶は、特別。何かが違う。それは、長い年月、氷河の下に埋(うず)もれていたからだろうか。地球温暖化によって、やっと陽の目を見た水晶。従来なら人の目にふれることのなかった水晶。時代の要請によって現れた水晶。今の時代に必要な水晶だから、今という時を選んで出てきた。しかも、数が限られている。水晶全体からしたら、0.001%にも満たないだろう。非常に貴重なコロンビア水晶。見ているだけで、意識が浄化される。意識をクリアーにしてくれるスーパークリスタル。超水晶と言ってもいいほど透明性に優れている。上から下までクリアーそのもの。このような水晶を毎日見ていると、意識がクリアーになるだろう。ただ見ているだけで、水晶と意識が共振する。気がつかないうちに心身は浄化されている。それは、無意識レベルにまで及ぶ。そういう力を秘めたコロンビア水晶。希少なだけに価格は高い。それでも、他のサイトに比べれば、割安。そもそも、こんな大きなコロンビア水晶をアップしているサイトは、ほとんどない。コロンビア水晶というのは、そんなに数がないような気がする。絶対量が限られているのではないだろうか。これから出てくるかどうかも不明。気になる方は、手にされることをお薦めする。『人類の 意識を浄化 するために 氷河が融けて 出てきた水晶』これが日記を書き始めて2076日目の心境。
2010.09.10
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(昨日の続き)直感と直観の違いは?直感は、自我ベース。思考ベースと言ってもいい。自分の思いが混じる。一方、直観は、自我を超えている。自我を超えた次元からやってくる。そのため、直感と直観では、精度に違いがある。直感は、どうしても自分の願望が入ってしまう。別の言い方をすると・・・直感は小さな自分に属し、直観は大きな自分に属している。直感は、表面意識と潜在意識の領域。直観は、それを見守る魂やそれ以上の領域。巷にあふれる霊能者は、明らかに直感の次元。低次元のヒーラーも、同じ。直観が使えるようになるには、頭のなかが整理され、クリアーである必要がある。自我が理解され、自我から距離をおいている時に直観は起きる。新しい時代の感性を手にするには、頭が整理整頓される必要がある。ごちゃごちゃした頭では、直感以上になることは難しい。常に頭が騒々しい状態では、気づきや洞察は起きない。新しい時代の感性は、遥か遠い。頭が整理整頓され、自我が静まる時、直観はやってくる。気づきが生まれ、洞察が起きる。思考ではない理解が生まれる。理屈抜きで、ストレートにわかってしまう。それには、感性を研ぎ澄ますこと。感性を研ぎ澄ますには、頭を整理整頓すること。頭が静かになるためには、自我の構造を身をもって理解すること。ただ座禅を組んでいるだけでは、理解には至らない。自分自身を見つめ、見守る。自分を見つめることは、深く自分を探っていくこと。自分を見守ることは、何もしないで包み込むこと。ただ黙って、見守り続けること。その見守りのなかで、直観は生まれる。心が静まった時に、直観はやってくる。直観、直観と騒いでも、やってくるのは直感のみ。その騒ぐことが収まらない限り、直観はやってこない。リラックスして、自我の緊張を解く。自我の緊張とは、何でも自分でやろうとすること。自分、自分、自分・・・何でも自分中心。そういう自分も見守る。批判も非難もしないで、ありのままの自分を見守る。良いも悪いもない。それが、ありのままの事実。事実と共に生きる時、直観が起きる。思い込みと一緒に生きる時には、直感のみ。それは、すべて自分の世界。思い込みという幻想ワールド。頭を整理整頓し、心を静める。そういう状態にならないと、感性で機械を操作できるようにはならない。もっとも、一気にそこまでいくのは難しい。徐々に人も社会も変化していく。これからの時代は、思考を超えたエネルギーを使うようになる。その前提条件は、思考が理解され、整理整頓されること。それによって頭が静まること。クリアーな意識状態が生まれること。直感以上、直観未満。まずは、気づきや閃(ひらめ)きや洞察。それが、思考を超えた次の意識。新しい時代のメインの意識。『思考超え 気づき閃き 起きるには 頭のなかを 整理整頓』『直感を 超えて直観 開くには 自我を理解し 心静める』これが日記を書き始めて2074日目の心境。
2010.09.08
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今日も屋久島は、まだ強風が吹いている。今日で四日目ぐらいだろうか。なかなか続く。でも・・・今朝は、起きたら虹が出ていた。大きな虹だった。しかも、極めて鮮やか。たくさん写真を撮った。ここ数日、新しいパソコンのセッティングをしている。昨日で、ほぼ目処がついた。そのため、古いパソコンをしまった。古いのは、ウイルスにやられて使いものにならなくなっていた。実は、新しいパソコンは6月に上京した時に買っていた。帰宅したら梅雨だったので、そのままになっていた。その後も雨が多く、なかなか箱から出す気にならなかった。ところが、古いパソコンがいよいよおかしくなり、やむなく出すことにした。でも、意外なことに、セッティングは30分ぐらいで済んだ。後は、古いパソコンからデーターを移すのに時間がかかった。それも一段落して、新しいパソコンが本格的に機能し始めている。このパソコンは、デスクトップ。OSは、もちろんWindows7。CPUは、Intel Core 3.2。HDDは、750GB。ディスプレイは、21.5型ワイド液晶(LED Backlight)。なかなか高性能で、使いやすい。にもかかわらず、ものすごく安かった。最新式のものが、なんと65000円ぐらいだった。というのは・・・ブランドものではないから。つまり、メジャーなメーカーではない。誰も知らないメーカー。しかし、長くパソコンを製造している信頼できる国産メーカー。激安にもかかわらず、性能はいい。時代は、変わろうとしている。ブランドものやメジャーなものから、マイナーなものへ。自動車さえ・・・最先端の無公害車を造っているのは、小さな名もない会社が多い。そういうものをトヨタやGMなどのメジャーが、盛んに買収している。時代は、大きな組織は機能しなくなりつつある。それは、JALを見れば一目瞭然。小さくてユニークなところが、これからは発展していく。一芸に秀でたところが、これからは伸びる。組織の時代ではない。個々の個性を伸ばす時代。一人一人の個性を活かせるところが、これからは伸びる。組織力で力任せに進もうとするころは、伸び悩む。創意工夫。創造力。実は、新しいパソコンがらみで、もう一つ気づくことがあった。それは、思考と感性について。もう思考の時代が、終わろうとしているということ。感性の時代が、始まろうとしているということ。若い人は、携帯やデジカメを説明書を読まずに使う傾向がある。年を取った人は、しっかり説明書を読む。そして、説明書通りに操作する。それは、何を意味するのだろうか。年を取った人は、思考で理解してから使おうとする。ところが、若い人は、感性で使いこなそうとする。どちらが早く使えるようになるだろうか。それは、言うまでもない。それだけではない。感性で使えば、応用が利く。しかし、説明書頼りでは、自由な応用は難しい。最近の機器は・・・感性で使うようになりつつある。その証拠に、説明書はどんどん省略されている。以前は分厚い冊子が付いていたパソコンも、最近ではほとんど説明書らしきものはない。必要ならネットから調べるようになっている。不思議なことに、これまでは説明書頼りだった。にもかかわらず、思うように操作できなかった。ところが、今回のWindows7は違う。なんとなく感性で操作している。わからないことがあった。電話サポートに連絡した。メーカーにも問い合わせた。しかし、両方とも無理と言われた。ところが、自分でいろいろいじっている間に、その解決法を発見した。プロの相談員もメーカーの専門家さえわからなかったものが、素人(しろうと)の自分に解決できた。彼らは、まだWindows7をよく理解していなかった。Windows7は、意外と高機能。これまで、Windows98、XP、Vistaと使ってきた。でも、Windows7が最も優れているのではないだろうか。XPは、好評だった。しかし、Vistaは悪評だらけ。これからの最新機器は、人の意思で動かせるようになっていく。そうならないと、UFOはできない。UFOは、機械と人の意思が一体となって動いている。地球も、これからはそういう方向にある。そこで大切なのが、思考を超えること。思考の次のエネルギーを使えないと、UFOには乗れない。これからの時代の最新機器は、操作できなくなる。思考の先にあるのは・・・感性であり、気づきであり、閃きであり、洞察。直観とまではいかないまでも、その手前にあるもの。直感以上、直観未満。直感と直観の違いは?長くなりそうなので、この続きは明日書くことにする。(明日に続く)
2010.09.07
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(昨日の続き)[最終日]今日は、屋久島最後の日。宿で朝ご飯を食べていると、大きな虹が見えた。ラッキー!七色はっきり見える。贅沢な一時。今日は、11時30分に帰る。それまで、心身の浄化が続く。川に行くと、誰もいない。川の水も、とてもキレイ。しかし、冷た~い!太陽の光が、川底に反射して美しい。川で泳ぐのは、初めて。海とまた違う。スッキリした感じ。しばし、シュノーケリング。体が冷えてきたので、海に行く。熱帯魚、いるいる!この前よりも、沢山いる。kimiさん、「体の力を抜いて、ポッカリ浮いてみてください。」ポッカリ~宇宙遊泳。うーん、気持ちいいー。また、深~く深~くはまっていく。しばらくして目を開けると、ムツゴロウのような風貌の魚が穴から出たり入ったり。私と目が合う。可愛~い!その魚、じっと私を見ている。二人見つめ合う。恥ずかしくなると、穴に入る。でも、すぐに出て、私を見る。完全に二人の世界。そろそろ時間なので、体を洗うのに川へ。子供用のブランコがある。「乗ってみれば?」と、kimiさん。恥ずかしいが、乗る。しかし、お尻が大きくて収まらない。が、無理やり乗る。kimiさんが、ブランコの紐をひっばる。キャー、楽しいー!着替えて、車に乗る。お茶屋さんのソフトクリームを食べる。う、うまい!最後に食べるとは・・・これだったら毎日来たのにね~。そして、空港へ。あと一週間ぐらい居たいなぁ。屋久島の旅は楽しくて楽しくて、言葉にならないくらい楽しかった。全身が緩んだ。癒やしとは、こういうことかもしれない。本来の自分に帰ること。今、私は真なる美と癒やしの美容室にしたいと思っている。屋久島のように、優しく、美しく、感動を与える美容室。今までは、偽物の美と癒やしの美容室。今回の旅は、本当の癒やしを考えるきっかけになった。これからは、一人で頑張らず、皆と力を合わせ、一人一人が適材適所で力を出せるようサポートしていきます。そして、お客様が美しく、癒されて、幸せになって帰っていかれるような環境を作りたいと思います。kimiさんには、いろんなことを教わった。見守ることの大切さ。淡々と過ごし、自分と向き合うこと。黙って見ててくれて、ありがとう!本当に感謝です。いやしの宿とんとん。お料理、美味しかったです。民宿、屋久の子の家のご主人、サバの刺身、美味しかったです。ご主人、いい味出てましたよ 。車の修理屋さん、営業してくれていて、ありがとう!おかげで益救神社に参拝できました。高岡に戻ってしばらくすると、視力が上がっていて、びっくりでした。尾てい骨効果かな?屋久島、大好き!!また来ます!ありがとう![注]最後の最後まで川と海で浄化しました。ここは、いつも水晶を浄化するところ。川と海が合流するところです。川も海も、すばらしくきれいです。川には、川魚や沢ガニがいます。海には、色とりどりの熱帯魚がいます。シュノーケルを付けると、それらを楽しめます。川の水は冷たいですが、海水は温泉みたいです。二日前に尾てい骨を強打されたので、海で浮かんでもらいました。全身の力を抜いて、超リラックス。すべてをゆだねるのです。そうすると、まるで子宮の中にいるような感じになります。これまで無理をして頑張ってきた緊張を全開します。何でも自分でやろうとしてきたのですね。それらをぜんぶ手放してみるのです。全身の力が抜け、ただ海に漂います。それは、まるで宇宙遊泳です。波のない安全な潮溜まりだからできることです。干潮の前後に現れる貴重な場所です。ナチュラルヒーリングのスペシャルスペースですね。長年の緊張を外して、ただただ全開。森でお昼寝し、滝でミストを浴び、海水に浮かぶ。そのすべてができる屋久島は、本当にすばらしいところです。これ以上のところがあるのだろうかとさえ思います。真なる美と癒やしの美容室。優しく、美しく、感動を与える美容室。ぜひそのような美容室にしてください。心から応援します。外側だけの美しさではなく、真に内側から輝くような美容室になるといいですね。それには、日頃の緊張がほぐれ、心身ともに癒される必要があります。カサカサに荒れた心ではなく、潤いのある心を取り戻すことですね。そういう美容室にするのを楽しんでください。もう無理に頑張る必要はありませんので、楽しくチャレンジしてみてください。いろいろ創意工夫し、いろいろ試してみることですよ。試行錯誤を楽しむことですね。そうすれば、人生が楽しくなるでしょう。今回の屋久島の旅で、この方は大きく変わられました。何かが抜け落ちたようです。ターニングポイントというか・・・そういうタイミングだったようですね。天の時、地の利、人の和。何事にも時があり、場所があり、出会いがあります。人生の転換期に、屋久島は大きなサポートをしてくれます。本来の自分自身に還るきっかけを与えてくれます。またぜひ屋久島にお越しください。屋久島の自然は、いつでも両手を広げて待っていてくれるでしょう。屋久島は、大きいですよ。いつもやさしく見守ってくれています。
2010.09.06
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(昨日の続き)[三日目 - 後半]山を下りて海に行くつもりだったが、天候があやしい。変更して、kimi水晶館へ向かう。kimiさんの玄関先に、ニャンコがいる。シャムなのに、のらちゃん。鼻の黒い模様がかわいいニャーちゃんも。お二人とも面構えが良い!お部屋に入ると、すご~い水晶の数!何、何、水晶の館だぁ~これは何?あれは何?質問攻め。kimiさんには、舌を巻く。詳しい!沢山の水晶、全部知っている。沢山の中から、店用の水晶を選ぶ。これも、あれも、いいなぁー。kimiさん、苦笑い。アーカンソーの水晶、三個ゲット!聞くと、近々、アーカンソーの水晶祭りを開こうと思っていたとか。だけど、3つ持っていかれたら・・・ごめんなさい!一人占めしてしまいました。「このオレンジ色は?」「タンジェリンクォーツ。これは、非売品です。」「その透明な黄色のは何?」「レモンクォーツ。これも非売品です!」kimiさんは、むきになって水晶を守る。私の目は、キラリと光りっぱなし。奥の棚にある大きなクラスターに目がキラリ。それは、すご~い!こんなクラスター見たことない!大きなポイントが、数え切れないくらい立っている。ほ、欲しい~(お金があればね)kimiさん、「これは、絶対!非売品で~す!」本当に、楽しい、楽しい時間でした。ここでも、私は水晶エネルギーで癒やされ、体中パンパンになっていました。kimiさんの水晶は、とてもキレイです。他のお店のものとは、比べものにならない。ずっとずっとクリアー。それもそのはず。何回も海に川に太陽に月に浄化する。梱包も空気のキレイな朝にする。前の日にはしない。発送も午前中。写真も美しさを感じてもらうために何百枚も撮るそうだ。勿論、もともと水晶のクォリティーは高い。そして、水晶祭りは、先着順にしない。しっかり自分に合ったものを見つけて欲しいので、抽選にしているそうだ。先着順だと焦って買うから。kimiさんの思い・・・だから、水晶祭りの水晶は、ダントツに美しいのだ。そして、値段もかなり安い。なぜ安いのかと聞くと、趣味だから、あまり儲けなくてもいいのだそうだ。たぶん、多くの人に手にしてほしいからなのだろう。そのこと、もっとアピールしたほうがいいですよ。自分のことだから言えないとか・・・ウ~ン、心憎いね~人間、こうありたいものだ。[注]この方は、お店用にクラスターを買っていかれました。富山県で美容院を経営しておられます。お店のエネルギーが、きっと変化することでしょう。なにしろすばらしいアーカンソーのクラスターでしたから。本当は、天秤座の水晶祭りの次にアーカンソー特集を組む予定でした。しかし、目玉の三個を持っていかれては・・・今の状態では、厳しいですね。今度上京した時に、良いものがあったら補充しようと思っています。kimi水晶館は、基本的に趣味です。そのため、非売品がほとんどです。でも、それらもやがて水晶祭りに登場します。原則は、水晶祭りで買ってほしいのですが・・・でも、わざわざ遠くから来ていただくと、そうも言えず・・・特にお店をバージョンアップしたいとのことで、お役に立ちたいという気持になりました。お店を経営しておられる方は、水晶を置かれるといいでしょう。お店のエネルギーが、浄化されて変化するでしょう。お客さんにも働く人にも、共に好影響を与えるでしょう。必要経費で落とせますから、お薦めです。今回の三個のクラスターは、すばらしくきれいでした。キラキラ輝いている特級品でした。価格についても、近くのお店よりもかなり安かったようです。店舗を構えると、どうしても必要経費がかさみます。賃貸料に人件費、光熱費もばかになりません。そういうものを上乗せする必要があるので、高くなりがちです。ネット販売でも、いつ売れるかわからないし、売れ残るリスクもあるので、それなりのマージンを上乗せしてあります。6月に東京のミネラルフェアーや卸の店に行って、卸値を知ってから価格を見る目が違ってきました。だいたいネットでも卸値の3~5倍ぐらいで売られています。店舗であれば、それ以上になりそうです。そのくらい上乗せしないと、経営としては成り立ちません。実際、良心的なサイトは、次々と閉じられています。やはり経営主義的なところが、大きくやっている感じです。なかなかですね。発送の準備は、いつも朝方です。海や川での浄化も午前中です。すべてエネルギーの良い時にするようにしています。光を入れるにしても、意識がクリアーな朝方でないと・・・写真は半分趣味なので、数え切れないくらい撮ります。バックの色を変え、できるだけ正確に水晶の雰囲気を出したいと思っています。バックの色によって、水晶の感じも変わってしまうのですよ。かなり手間隙かかっていますね。最初の二日を先着順ではなくて全員受付にしているのは、ゆっくり検討してほしいからです。先着順となると、どうしても焦って買ってしまいます。後で後悔することにもなりかねません。本当に自分に必要かどうか、じっくり吟味してほしいのです。売れればいいというものではありません。本当に必要なものを手にしていただきたいのです。今の自分に合ったものを。今の自分を大きくサポートしてくれるものを。そういう出会いは、手にする人にとっても水晶にとっても幸せです。そういうお役に立てると、こちらもうれしいですね。水晶は、本人だけでなく、周りの人にも環境にも影響を与えます。そのような水晶を、できるだけベストの状態で送り出したいと思っています。もうしばらくは、水晶祭りが続くでしょう。今のところ水晶にはまっていますので。見た目が美しいだけでなく、エネルギーもすばらしいですね。見ているだけで、心身ともにクリアーになります。今日は、注釈が長くなりました。水晶のこととなると、話は尽きません。今回のお客さんとも、いーっぱい水晶の話をしました。お互いに水晶が好きだと、どんどん発展していきます。明日は、屋久島体験記の最終日です。さて、どんな展開になるでしょうか。お楽しみに!(明日に続く)
2010.09.05
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(昨日の続き)[三日目 - 前半]朝起きて、布団をあげる。尾てい骨は、まだ痛い。今日は、木霊の森に行く。何が何でも歩くぞー。木霊の森の大きな岩に寝転んだ。オオー、映画のアバターの世界!川のせせらぎが頭上で聞こえ、風も涼しくて気持ちいい。とたん、大きなアゲハチョウが、私の回りを舞い始める。さぁ、ナチュラルヒーリングの始まりだよ!と、蝶々がくるぐる回って、それから、いなくなった。kimiさんもいなくなった。森の中は、私一人。聞こえるのは、川の水の音と風の音。遠くで猿の鳴き声。本当にシーンと静まり返っている。でも、不思議!寂しくないし、怖くない。一人だが、一人ではない。大自然に抱かれている感じ。何だろう?この安心感は・・・kimiさんは、ちょくちょく様子を見に来てたらしい。だからなのか?kimiさんは、静かに私をサポートしてくれている。いないけど、いる。聞いてなさそうで、しっかり観ている。絶妙なサポート。それから、私は体がクネクネ動き出した。自立運動始まる。腰のあたりが、よく動く。すごく詰まっている感じ。一時間ぐらい動いた後、頭の中からか、心の中からなのか、さっきの蝶々なのか、声が聞こえてくる。「もう君は、頑張らなくってもいいんだよ。」そうか、頑張らなくていいのか~なぜか涙が流れる。胸がいっぱいになり、溢れ出す。ほっとしたような涙。大きな岩の上でオイオイ泣ける。私は、小さい頃から困った子供だった。いつもボンヤリしていて、何も考えてない。勉強も運動もできない。それだから、親はなげく、友達からはいじめられる。本当に駄目な子供だった。大人になっても、ずっとダメな人。社会人になっても、怒鳴られる。いつもすいません。謝ってばかり。それから、とうとう切れた。こんな私では、ダメだ。絶対頑張ってやる。絶対負けない。恨みながら頑張る。悔しさをバネにしてきた。がむしゃらにやってきたが、だんだん体が、がたついてくる。でも、奮い立たせて、鞭打って頑張る、頑張る。私は、何の取り得もなければ、才能もない。頑張るしかない。頑張るを取りあげると、私には何もない。誰も認めてくれない。イヤだ!手放さなければと思えば思うほど、手放せない。楽になるのに・・・そして私は、屋久島に来た。何か、これからの先を決めること。自分のビジョン。魂が喜ぶこと。魂どおりに生きること。kimiさんが、様子を見に来る。私、「もう頑張るのやめました。」「若い人たちに頑張ってもらいます。」kimiさん、「そう、みんなを見守るだけでいい。」「働きやすい環境をつくってあげればいいんだよ。」やっとわかった。これまで随分体を痛めつけてきた。体が悲鳴をあげているのに、気づかない。悪かった、ごめんなさい。もう悔しさをバネに頑張ることはしません。体を大事にさせて頂きます。これから、違う生き方になるだろう。もっと、自分に向き合う。流さない。噛みしめながら生きる。もう、手放すよ・・・それから沢に入って、水のいろいろな音を聴く。なるほど、聞けば、たくさんの水の音が聞こえる。サラサラサラ・・・体の血液が、流れだすのがわかる。持ってきた水晶も川で浄化する。う~ん、また、はまって動けない!サラサラサラ・・・その後、大きな丸い岩で腹ばいになる。手は、川に少し浸す。気持ちいいー。う~ん、また、はまって動けない~自然と一体化している。頭の中が、からっぽ。何も考えられない!お腹いっぱい!至福の時!kimiさん、「まだまだ先があるけど、ここまでで時間がかかり過ぎたので、また次回来た時に案内します。」だけど、私は大満足!頭がヘロヘロになりながら、駐車場へ。[注]ずいぶん頑張ってこられたようですね。頑張り過ぎると、心身に無理が生じます。それが蓄積されると、心身ともに重たくなります。やがて、だんだん健全に機能しなくなっていきます。よいタイミングで屋久島に来られたのではないでしょうか。これ以上頑張ると、壊れてしまうのかもしれません。リニューアル!そう、生き直すために屋久島に来られたのですね。もう一度、自分の生き方を見つめ直し、本来の自分を取り戻す。そのための屋久島ですね。単なる観光ではありません。単なる観光であれば、こちらとは縁がなかったでしょう。自然のなかで、もう一度自分を見つめ直す。自分の生き方をふりかえる。魂の願いに思いを馳せ、本来の生き方に立ち帰る。それには、静かに自然と共にあることです。そうすると、自然に何かが動き出します。自然のエネルギーによって、自然に変化が起きるのです。本来の自然な状態に、自然に戻ろうとするのです。それこそが、まさにナチュラルヒーリングです。人工的な作為のない自然なヒーリングです。恣意の働かない最高のヒーリングですね。自我のまったく入る余地のないピュアーなヒーリングです。こちらは、ただ見守っているだけです。大きな自然に包まれて、自然に自然な変化が起きます。必要なことが、必要なだけ起きます。それ以上でも、それ以下でもありません。最適なヒーリングなのですね。ボンヤリのままでいいとは思いません。しかし、頑張り過ぎるのも問題です。ボンヤリも頑張りも両方体験して、さて、これからですね。これまでの経験を活かして、いかに生きるか。いかに調和点を見い出すか。心身のバランスをとり、周囲とも調和していく。自分を含めて、みんなを活かす。みんなと共に生きる。これからの課題ですね。そのきっかけとしての屋久島ですね。癒しの旅・屋久島は、まだ続きます。明日もお楽しみに!(明日に続く)
2010.09.04
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(昨日の続き)[二日目]今日は、巨木の森に出かける。車で標高1300メートルまで上がる。だんだん空気が冷たくなる。塵がなく、とても景色がクリアー!巨木の森に入っていく。最初の屋久杉とご対面。エネルギーが伝わる。体がゾワゾワしている。二本目、三本目・・・ゆっくりと対面する一本一本、姿、形が違うように、エネルギーも違うように感じる。三本目、触ると、なぜか落ち着く。前に座り込む。どこからか、下手くそな笛の音。フェ~~びぇ~ぴ~~あれれー下手だねぇ。曲にはなってないが、いい感じ。今の状況にとてもマッチしていますね、と笑う。下手くそな笛を聴きながら、木と対話。また自然と一体感。時間が止まった感じ。また、涙が溢れる。今度は、安心した涙。体中、エネルギーがいっぱい入っていく感じ。お腹が、いっぱいになる。ご飯は、いらない。また歩き出す。巨木の森は、自然の博物館。持って帰って、町に飾りたい。いよいよ屋久杉の四番バッター。でかい!高い!バランスが良い!元気いっぱい!kimiさんは、この屋久杉が屋久島をしょって立つ重要な杉になると言っていた。この杉が、とてもお気に入りみたい。見ていると、元気になる。素晴らしい。最後に出会ったのは、老木。いっぱいコブが出ていて、味わい深い。どっしりと落ち着いた、余裕のある、ゆったりとしたエネルギー。私は、その木に寄りかかる。気持ちが良い。自然と体が動き、痛めた右腕が木にぴったりとくっついた。20分ぐらいして・・・あれれ!腕が上がる!後ろも回る!五十肩が治った!恐るべし、屋久杉パワー!伊達に年は重ねてないですね。自然は凄い。本当に癒やす効果があるのだと実感した。帰る途中、kimiさんは屋久杉の性質などを説明してくれた。屋久杉は、とても硬く、耐久性にすぐれ、油分も多いと言われた。そこで、私が無邪気な質問。「燃やすと、よく燃えますかね。」kimiさんは困惑顔で、「そんなこと言うと、屋久杉に怒られますよ。」しまった!思っていることが、口に出てしまった。あんなに良くしてもらったのに。無邪気は、悪である。森を充分堪能した後、海に行く。今は、引き潮。岩がゴツゴツと、見渡す限り絶景。泳ぐ場所まで、岩を渡り歩く。kimiさんは、ヒョイヒョイと猿みたいに岩場を歩く。私は、へっぴり腰で岩場と悪戦苦闘。kimiさんを必死に追いかける。景色鑑賞も、しばし中断。小さい川が流れている所で、私は慎重に渡る。(ここで怪我しちゃ洒落にならんもんねー)ズルリー!尾てい骨が、岩に直撃!痛い~!あんなに慎重にしていたのに・・・トホホ・・・なぜ滑ったのか?すぐ頭をよぎる。さっき屋久杉の前で、火をつけるとよく燃えますかね~と言って、そんなこと言うもんじゃありませんとkimiさんにたしなめられたっけ・・・それだ!ごめんなさい。許して下さい。御神木に対して、なんという罰当たりなことを言ってしまったのか!謝っても後の祭り・・・着替えて、海に入る。熱帯魚がいるいる!尾てい骨は痛いが、そんなことより熱帯魚!シュノーケリングしながら、いろんな魚を見る。可愛い~美しい~岩に上がり着替える。尾てい骨が痛むので、岩を四つん這いになりながら這って行く。kimiさんは、「尾てい骨と頭が詰まっているので、動かすために強く打ったのかも?」 「荒療治だね。」なるほど それもそうか!人間、考え方にもいろいろある。そんなことなら頭も打っとけばよかった。(笑)それなら、ありがたい!喜んで痛みに耐えよう!と、嬉々として宿に帰る。kimiさんは、「ジェルを塗って、ゆっくり休んで下さい。」夜、寝る前にジェルたっぷり塗るが、痛みは消えない。いつもは、痛みが良くなるのになぁ。そうか、ジェルは自分の問題だと効かないんだ。しかたがないので寝るか・・・[注]巨木の森では、超ゆっくりペースでした。こんなに一本一本を深く丁寧に味わった人はいないでしょう。この効果か、五十肩が良くなってしまいました。恐るべし、屋久杉パワー!海では、尾てい骨を直撃。頭から尾てい骨にかけてのショック療法でしょうか。なかなか激しいですね。真面目にナチュラルヒーリングしてますね。山では、深く静かに。海では、強く激しく。なかなかバラエティに富んでいますね。なに?富山県から来たから?ハイ、オヤジギャクでした。初日は、砂浜と滝で癒されました。二日目は、屋久杉の巨木と海でした。さて、三日目は?屋久島の自然が総動員でヒーリングしている感じですね。(明日に続く)
2010.09.03
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先月連載した「癒しの旅・屋久島」のお客さんから、屋久島体験記が送られてきました。ガイドサイドではない、当事者サイドの感想です。さて、ご本人にとっては、どんな屋久島だったでしょうか。その体験記を連載します。[初日]屋久島に着いたのは、お昼の12時40分。富山県高岡市を出たのが、朝の6時30分。意外に早く着くものだ。盆前なので仕事が忙しく、屋久島のガイドブックを買っていたが読んでいない。全く知識なく来た。憧れて来たわけではなく、漠然と来た。先入観がない。ちょっと勉強しとけばよかったかな・・・空港に着くと、kimiさんが迎えに来ていた。車に乗せてもらう。うーん、屋久島に来た~。南国のイメージとは違う。南国だが、日本的。木々の緑が濃く、日差しを浴びでキラキラ輝く。すぐに宿に行くのかと思ったら、海に直行。海亀が産卵するという海岸に行く。見渡すと、長く続く白浜。エメラルドグリーンの海。美しい!しかし、日差しが強い。kimiさんが、「裸足になって歩きましょう!」歩く 。てくてく・・・実は、私はいつも冷房の効いた所にいるので、炎天下で歩くことはない。倒れないかなぁー、と不安。でも、不思議。美しい海を見ているのと 風が適度に吹いてくれているので、爽快!波が不規則に大きいのから小さいのから来る。油断していると、ズボンにかかる。キャーキャー言いながら歩く。ずっと行くと、岩場。川の水が流れて海に合流している。キャー、冷たい!生き返る感じ。私の住んでいる所は、日本海。海の色は、群青色。波も荒波。暗いね~重いね~(笑)だけど、ここはライトライトな感覚。明るい!気分晴れ晴れ。ちょっと休んで、車の所に引き返す。すると、足が軽い!え~どうして?砂浜が、足から出る邪気を吸い取ってくれるとのこと。知らなかったなるほど、もうナチュラルヒーリングが始まっていたのだ・・・それから、大川の滝へ向かう。観光客で混んでいる。その滝は、ダイナミック!豪快そのもの。滝壺のすぐ近くまで行く。そばに大きな岩がある。kimiさんが、「岩に上がればいいよ。」私は、へっぴり腰で大きな岩によじ登る。座って滝を眺める。滝の飛沫が、全身に降り注ぐ。滝の勢いで、風も冷たくて強い。滝のミストを浴びながらボーッとする。すると、たくさんの観光客の声や姿が、聞こえない、見えない。滝と一体感。思考力、ゼロ。ただただ向き合う。そのうち、涙が溢れる。なんで泣くのかな~悲しいわけではない。嬉しい涙か。なんかちがう。風とミストで全身を叩きつけられている。自分の持っている長年の重い塊を崩しているような感覚。kimiさんは、この滝は男性性であると言われた。私は、確かに親父になんか怒られている感じがした。今から考えると、あの涙は懺悔の涙だった気がする。なんで怒られたのかなぁ?これから、答が出てくるだろう。kimiIさんが、滝に虹が架かっているので、写真撮ろうと言われた。本当にキレイ!私は、またへっぴり腰でkimiさんの後を追って、岩場を歩いた。(明日へ続く)[注] お客さんは、大阪からの直行便でお越しになりました。乗り継ぎがよく、富山県から半日で屋久島に着くことができました。その気になれば、意外と近い屋久島です。屋久島に着けば、別世界が目の前に展開します。この方は、滝の前で一時間ほどミストを浴びていらっしゃいました。その間、涙があふれていたのですね。こちらは別の場所にいたので、ぜんぜん気がつきませんでした。でも、涙を流すのは、よいことです。その涙と共に過去が浄化されます。これまで潜在意識のなかで固まっていたものが、滝のパワーによって揺り動かされます。自然は、偉大です。滝の振動は、心身の緊張を根底から解(ほぐ)していきます。滝の前にいると、全身が微妙に振動します。それが、細胞を刺激し、潜在意識を刺激します。それによって、古い固まりが解放されるのです。いつまでも持っている必要のないものが、解け出していきます。海の砂浜も、体内に溜まった毒を吸い取ってくれます。歩いた後は、すっきりさわやか。どこまでも透き通った海水は、見ているだけでも心が洗われます。風も心地よく、すべてが人を癒してくれます。屋久島の自然の力は、偉大です。何もしなくても、ただそこにいるだけで癒されます。その活用の仕方を知っていると、自然はすばらしいプレゼントをしてくれます。自然と共に、自然を活かして生きることですね。明日以降も屋久島体験記が続きます。お楽しみに!
2010.09.02
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